第6話 作文の先生に注意されたこと。

作文を書くときに、先生方から注意されたことを意識してやっています。それが、私の物語たちに多大な影響を及ぼしています。

それらへの考え方が、これまでの話のような、私自身の人生観を形成する成分の一つと言えるでしょう。


一つ目に、文章中で二語以上の単語を重複して使いすぎないようにすること。

二つ目に、作文では「ですます調」あるいは「である調」などで統一すること。

三つ目に、句読点の位置に気を付けること。(句点{。}読点{、})

四つ目に、知らない単語は使わない事。

五つ目に、作文や公的文書などでは造語をつくらない事。


まず、同じ単語を複数回にわたって連続して使用してはいけません。(私の判断です)

作文など公的文書は別にしても、

小説において同じ単語ばかりを使ってしまうのは、読者に「飽きた」と思わせてしまうからです。

先生からは、言い換えることも必要だと教わりました。

そうでなくても心理学的に言えば、「洗脳」してしまう危険もあります。解くことのできるマジックならばいいのですがね。

途中で読み終えた場合の影響に恐怖を覚えたこともあります。

異論もあるとは思いますが、自分の体験に基づいて書かせていただいているので、あえて記載しました。

良薬は口に苦しとは言いますが、良い効果もないならただの植物の粉末ですよ!ホコリですよ!


「史上最大の災害」とかいって強調するのはいいですが、くどくなりやすくもなります。

「十三番目の番人」みたいな二つ名は別ですよ。かっこいいし。


つぎに、文調を統一することです。

「ですます調」で統一された小説が嫌いだっていう友人もいるくらいで、公式な小論文では「である調」が理想とされることもありますね。

地の文に主人公の感情を交えていくのが私のこだわりであります。

先生からは、「統一感と確定された意見が作文に必要だ」と言われた覚えがあります。

一人称、三人称、神の視点、などの地の文の形式もありますから、書きやすいよう、かつ読みやすいよう工夫が必要だということですね。


さらには、句読点くとうてんに関する重要な問題。

はっきり言って私にとっては大きな問題です。

単語の区切りから適切な読点を打つのが苦手でして。

台詞ならば多少位置が違っていても息の様子が伝わればいいのです。

地の文に打つとなると勝手が違ってきます。

それこそ、良識的な読者に合わせてより意味が伝わりやすい文が求められる。

文の道を始めてかなり経ちますが、誤解ほど恐ろしいものはありませんから…。

せっかくですから、例を出しましょうか。


いつか、見た夢の中で全身に傷を負った少女は言った。

いつか見た夢の中で、全身に傷を負った少女は言った。

いつか見た、夢の中で全身に傷を負った少女は言った。

いつか見た夢の中で全身に傷を負った、少女は言った。


一通り打ってみました。

恐ろしいことにいくらでも意味を考えられてしまう。

くれぐれも、文の推敲はよく考えていただけますよう。


あ、次に続きますよ。

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人生論はすなわち創作論です。 登月才媛(ノボリツキ サキ) @memobata-41

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