第12話 なぜ、無理して読まれようとするのか

 元も子もない話だけれども、最近はとくに考えてしまう。


 もちろん、自分が書いたものが他人に読まれればうれしい。

 感想なんかももらえれば、かなりうれしい。

 カクヨムさんでは★もらえれば有頂天だ。


 まあ逆に、酷評されるのもうれしいかもしれない。

 テメエ、マジでやる気あんのか? 正気なのか? とか。

 お前の小説プリントアウトしてケツ拭いてやったぜ! とか。

 あるいは、

 とても人に公開するレベルの作品とは思えません。不快です、とか。


 

 読まれる、ということはとても大切なことだ。

 わたくしどものように、お金のためではなく、純粋な自己顕示欲から小説を書き、それをネットで無料公開しているようなスキモノたちにしてみれば。


 読まれない、ということほど悲しいことはない。


 恐ろしいのは世に知られず死ぬこと。

 今日ある髪も、明日にはなくなる。


 

 でもまあ、書くこと、書いて発表することが自分にとっての癒やしになるなら、たとえ誰に読まれなくても、それは自分に対していいことをしているのだ、と思う。



 小説サイト「西田三郎商店」を作ったとき、当時はレンタル掲示板が全盛だったので、「感想はこちら!」とサイトにも掲示板を設置し、よだれをダラダラ垂らしながら待ち構える犬みたいに、誰かから感想を貰えるのを待ち続けた。



 正味な話、サイト開設して丸二年は、感想はひとつも貰えなかった。

 

 わたしは無人島で髪ぼうぼう、ヒゲふさふさ、服ボロボロ、身体ガリガリになって膝を抱えながら助けの船を待つ遭難者のように、誰かから評価されることを待ち続けた。完全なキャスト・アウェイ状態だ。


 でも、それでも、新しいものを書いては、アップし続けた。


 これは修行なんだ、と思った。


 いや、別に辛いわけじゃないので修行ではない、とも思った。


 言うなれば、これはSETIみたいなものだ。

 宇宙空間にずっと電波信号を送り続けて、いつ来るともわからない知的生命体からの返信を待つような。だいたい、この広大な宇宙にわれわれのような知的生命体がいるとしても、こちらのコミュニケーション手段とE.T.たちのコミュニケーション手段はまるで違うかもしれない。それでも待つ。待つ。待つ。


 ひたすら、発信しながら、待つ。


 こうして待ち続けた孤独な日々のおかげで、誰からも評価されない、無視されることに関しては、かなりタフになった。


 逆に、どうせ誰も読んでねーんだから、徹底的に好き勝手やってやる、と開き直れるようになった。


 

 やがて、ぽつり、ぽつりと掲示板に感想を貰えるようになる。

 世の中にはおっそろしくヒマでモノ好きな人間がいるのだ。


 わたしも人の子だ。

 そりゃあもう、パンツの中に漏らすくらいうれしかった。


 定期的に感想をくれる奇特な人もいた。


 でもまあ、感想がぷっつり途絶えてしまうこともある。

 でもまあ、焦る必要はない。

 なぜウケないのだろう? と悩む必要もないと思った。

 たまたま、わたしの書いたものが、遠くの誰かの感覚に引っかかっただけだ。



 ときにはほんものの変態から激励の言葉をいただいた。


 いい歳をしてセーラー服を着てはほんものの電車のなかでの痴漢プレイをしてお金を稼いでいる三十路のOLと、女装願望を抱えた美少年の物語、『終電ガール』を書いたときだ。


“いっぱい●●していっぱい●●出しました。

ぼくもこんな目に遭いたいな。

●●と●●●を重ねて●●●●したいな。

素っ裸で電車から放り出されたいな”


 その変態からの言葉は、これまで貰ったどの感想よりも印象に残っている。

 一字一句覚えているが、ここでは一字一句書き記せないのが残念だ。


 余談だが『終電ガール』というタイトルは、パール兄弟のナンバーから頂いた。パール兄弟のファンの人からのお叱りは、まだ受けていない(セーフ)。



 

 誰かから感想や評価(悪い評価も含めて)をいただけるというのは、ほんとうに有り難い話であって、道で千円札を拾うことくらい、嬉しく、かつ稀なことだ。


 

 でも、感想がもらえないからといって、感想をもらえそうな作品を書く、というのは、本末転倒のような気がする。



 いま、主流になっているジャンルを意識して書いたりとか。

 最近はやりの文体で書いたりとか。

 異世界にチートしたりとか。

 妹とどうこうしたりとか。



 いや、それが本当に書きたいものなら、それでいいのかもしれない。

 あるいは、そういうジャンルで身を立てるつもりで、果敢に新たな世界へ挑戦するというのは、非常に有意義なことだと思う。



 わたしも、そういうことをしてみたいという欲求にとらわれる。

 いや、やってみたい。いつかは。


 ただ、わたしは「人から読んでもらえるようになる」ために、自分がにとって書くことが楽しくなくなってしまうことのほうが怖い。



 決して「自分を信じて自分の書きたいものを書き続けろ」というのではない。

 自分の信じないものを書いて、自分に嫌気がさすのがイヤなのだ。


 わたしは臆病で、心が狭い。


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