第9話 とにかく書きまくる

 わたしのはじめての作品「ほんとうにお願いします」をカクヨムさんにアップした。いや、改めて読むとヒデエなんてもんじゃないな。思わず書きなおして、精一杯読むに耐えるものにしたつもりだが、あの有様だ。

 

 まあ時間が許すなら読んでいただきたい。

 ヒデエので。


 話を先にすすめよう。


 続けて自分のウェブサイトに上げた作品は、「女性専用車両」という作品だった。


 言っておくが、「女性専用車両は男性差別だ! ガオー!!」というようなキチガイの戯れ言とはまったく無関係な物語である。

 

 OLのお姉さんが通勤時に利用する女性専用車両で、どうも様子のおかしいセーラー服の少女に出会う。よく見ると、それは女装した少年だった。お姉さんのなかでなにか非常に意地悪な欲情が芽生え、ついその少年を痴漢してしまう、というもの。


 はっきり言って、アホみたいな話だ。

 女性の目から見れば、「男性差別の女性専用車両をなくせ! ガオー!」とか言ってるキチガイどもの戯れ言のほうが、ずっとマシかもしれない。


 

 作品のなかにメッセージなんてまるでない。

 わたしは小説にメッセージを込めることはない。

 

 わたしは単に、セーラー服を着て女性専用車両にドキドキしながら乗り込んでいる男子中学生がいたらおもしろいんじゃないか、それを悟ったお姉さんがエッチで意地悪だったらさらにおもしろいんじゃないか、と思っただけだ。

 

 おもしろいか? そんな話。

 いや、いい。自分にとって面白ければ。



 

 その次に書いたのが、「今晩中にできる女」という作品だった。

 もうタイトルからしてひどいものだが、これは実話にもとづいている。


 というのも、わたしの妻の知り合いに、おっそろしくアホでインランな女の子がいた。その子を、A子とする。A子は、ある夜、男友達……B男に電話で呼び出された。いそいで駆けつけると、B男一緒に、もう一人の男、C助がいた。A子は初対面のC助に紹介されたその夜、彼とセックスをしたらしい。

 で、そのA子が呼び出された理由というのが、C助がB男に「なあ、誰か今晩中にデキる女、いない?」と相談した結果だったと言う。


『今晩中にできる女』

……そのフレーズが、わたしの心に引っかかって仕方がなかった。

 すごいインパクトだと思った。

 というわけで、わたしはそのインパクトにもとづいて小説を書いた。


 

 それにしても快調な滑り出しだった。

 

 一気に3本も書けたのだ。

 けっこう、書きたいことが溜まっていたのだろう。

 いや、書きたいことが溜まっていた、というよりも、書きたいという衝動が溜まっていたというべきか。


 思ったことを思い通りに書く、という作業は、文句なしに楽しかった。

 人にカシコく見られようとか、もしくは感心されようとか、あまつさえこの調子で商業作家を目指すぜ! などという身分不相応なことは微塵も考えていなかった。


 ところで、イイ調子で書けるときは、書きまくったほうがいいと思う。

 そういうとき、たぶんその人はまともな精神状態ではない。

 そうでないと、どう考えても未熟でしょうもない自分の作品を、自ら晒し者にするようなこっ恥ずかしいことはできない。


 おそらく、小説を書きまくるとき、わたしはちょっとした躁状態にある。

 いわゆる万能感のようなものに、支配されているような気がする。


 でも、読んだ人が

「こいつ……よくもまあこんな恥知らずなことが書けるよな。それもまあネットにアップするとは。どこまでマヌケな野郎なんだ?」

 と思うことなど、まるで気にしない。



「文学講座」でウラジーミル・ナボコフが書いていたが、小説を書くという作業は、自分の作品に対してどこまで自惚れられるか、に掛かっているらしい。


『こんな作品、いったいどこが本にしてくれるというんだろう?』


 そういう“理性”の声と戦い続けて、物語を完成させることが大切だ、とナボコフは言っている。


 あとまあ、ナボコフのアドバイスで面白いと思ったのは、


『ひらめいた部分から書き始めてもいい』


 というところだった。


 なるほど。

 確かに、小説を書くにあたって、書き出しばっかりが溜まっていく、ということはよくあることで、わたしも書き出しだけの小説のストックは腐るほどある。


 で、改めてそれを発展させることは……まあない。


 面白いと思うところから書いていけ、というのはたとえばちょっと長い作品を書くときに参考になるかもしれない。

 で、おもしろいところをバラバラに書いていって、つなげる。

 話の辻褄をあわせる、というメンド臭い作業は、後回しにする。


 これは素晴らしい考え方だ。


 しかし書き始めた当時は、ナボコフ先生の「文学講座」を読んでいなかったため、小説は馬鹿正直に頭から書いていた。


 わたしは、テキストエディタで小説を書く。

 一行50文字に設定し、だいたい百行を一章とするように定めて書く。

 二章まですすめることができたら、「これは最後までいけるかも」と思う。

 三章、四章とすすめるうちに、「大丈夫なんじゃね?」と思えてくる。


 でも、最終話を書き終えるまで、「おれはこの話をちゃんと最後まで書けるだろうか?」という不安を拭うことはできない。


 書き始めるときは、いろいろとアイデアがある。

 それをすべて、作品にぶち込みたい、と願う。

 しかし、これまた意外なことに……書いていくうちに、そんなアイデアのほとんどは、なにか自分が書いている物語にほんとうに相応しいのか、てかこんなアイデア、いったいどこが面白いのか、と消極的な気分になってくる。


 だから、出来上がる小説は、最初思っていたものと全く違ったものになる。

 

 でも、書き続ける。

 いや、書けるときは、書き続けないといけないのだ。


 

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