第5話 で、どういうのがエロいのか

 とはいえ、「自分にとって」エロい小説を書くということと、「不特定多数の他人にとって」エロいものを書くということは、あきらかに違う。


 このへんはエロ小説ばかり、もうイヤというほど書いてきたが、いまいちよく理解できていない。


 たとえば、だ。


“「ああっ! ……お願いっ! お願いっ! あたしの淫乱マ●コに、ご主人さまの逞しいおち●ぽを入れて頂戴っ! んああっ……す、すごく、すごく太いっ! ケメ子の子宮に、ご主人さまのお●んぽの先が、ずんずん当たってるうっ! ……ああっ、か、堪忍、……け、ケメ子、も、もう逝っちゃう、逝っちゃいますううううっ! ……そ、そのまま中に、なかに頂戴っ! ケメ子のお腹のなかを、ご主人さまの濃厚なおちん●ミルクでいっぱいにしてええっ!」

 昼間はいつも取り澄ましているケメ子の、メスとしての本性を垣間見た西田は、そのあまりに淫らな変貌ぶりに苦笑しながらも、腰のストロークを短く調整し、追い上げていくのだった。”


 というような文章。

 これは果たして、エロいのだろうか。


 いや、エロいのかもしれない。

 激しく乱されて、淫語を叫びまくる女。

 その嬌態を冷静に観察しながら、女を徹底的に犯し尽くす男。


 ただまあ、これがリアルなのか、といえば、まったくそういうことはない。


 はっきり言って、わたしはこれではエロい気分になれない。

 文章を追う目が、斜めに進んでしまう。

 

 たとえば、ある種のAVでは、女優さんがこういうセリフを吐くシーンがあったりするが、エロ小説ではまあそれなりに形になっていたとしても、現実の存在である女性がこういう淫語をダラダラと並べると、やはり失笑せざるをえない。


 話はそれるが、だいぶ前の「an an」のセックス特集(こういうのは、いつも何か小説のヒントになるかと思って買って読むのだが、参考になった試しがない)の読者の声ページに、


『彼氏がエッチの最中にエロ小説みたいな言葉を言わせようとする。正直言って、いきなり彼氏が変態になったみたいで引く』


 という意見があった。そりゃそうだろう。


 

 そういうわけで、エロ小説を書くにあたり、わたし個人としては、上に挙げたような小説はどうも自分自身がエロい気分になれないため、書けない、と判断した。


 じゃあ、どうすればええんや。


 当時はすでにネット内において、わたしが目指すところのエロ分野で小説をガンガン発表されている先人たちがいた。

 ざっと目を通したが、ほとんどが、上記のような代物だった。

 わたしは愕然とした。

 あわてて本屋に行き、平積みになっている官能小説の類を(立ち読みで)読んだ。

 ほとんどが、上記のような代物だった。


 どないしたらええんや。


 人に読んでもらうようにするために、そういう書き方を今から極めるべきなのか。

 いや、確かに人に読んでもらうことは大切だが、自分がエロいと思えない表現方法で小説を書いていて、楽しいのか。

 というか、ウェブサイトにエロ小説を発表する、などという一文の得にもならないことをするつもりの自分が、なぜ、本意ではないものを描かねばならないのか。


 それは明らかに矛盾というものであろう。


 では自分は、どういうものをエロいと感じるのだろうか。

 どういうエロを描けば、自分自身を楽しませることができるのだろうか。


 ……今日びのSNS時代、インターネットは画一化された価値観を共有しあい、最大公約数的な共感をわかちあう、いうなれば老人会の集まりのような空間になってしまった。社会批判? いや違う。これは単なる愚痴だ。


 わたしがウェブサイトを作ろうと考えていたゼロ年代前半、インターネットの個人サイトは(ほとんどがクズ同然だったが)、特殊な性的嗜好を持つ者にとって、いや、ややもすれば犯罪者になる寸前で踏みとどまっている狂人たちにとって、これまで誰に明かしたこともない欲求や欲望を解消するための、一種のアサイラムだった。


 ネットサーフィン、という言葉よりも、ネットの深い階層に潜っていくこと……いわば、「ネットダイブ」を続けていけば、そんなサイトにいくらでも出会うことができた。今なら通報祭りになっているような狂人たちのサイトに出会うのは、まるで女子寮のゴミ捨て場でゴミ漁りをしているようなインモラルな楽しみであった。


 彼らは、他人にどう思われるかなど、まるで気にしていない。

 他人から評価されようという意識がまるでないばかりか、徹底的に自分を楽しませるため、自分の欲望を吐き出すためだけに、コンテンツを創造していた。


 わたしが彼らから学んだものははかり知れない。


 そうだ、とわたしは思った。

 自分がエロいと思えればそれでいいんだ。

 他人の評価なんか気にするな。自分自身であれ。


 セックス・ピストルズのジョニー・ロットンも言っている。

『世の中には、こうじゃいけない、なんてものはないんだ』


 わたしは彼らの影響のもとに、ただ自分を喜ばせるためだけに……いやマジな話、自分で書いたもので自分が抜ける、そう思えるような小説を書き始めた。


 次回は、当時のエロテキストサイトの素晴らしさについて書きたいと思う。


 

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