第2話 人は読みたくもないし、書きたくもない。
そういう極端な考えに至った理由はなにか、と言えば、
『わたしは広告関係のコピーライターという仕事をしている』
ということによるところが大きい。
「マジでか。よくもこんなひでえ文章でメシが食えているな」
いや、わたし自身もそう思う。しかもわたしは、自営だ。
「ゆっくり、時間をかけて餓死でもしようって魂胆か?」
たしかに、あまり裕福ではないが、とりあえずメシは食べているし、週に何度かは(多いときは週7日)外飲みする。
わたしは酒を飲むのが大好きだ。
ビールとワインと、ドストエフスキー。いや、ドストエフスキーはどうでもいい。
酒を飲むと、とてもじゃないが読書なんかできない。
というか、文章を書くことよりも、文章を読むことよりも、できるなら酒を飲んで過ごしている時間のほうが有意義に感じる。
そんないい加減なわたしは、仕事であるからして、仕事のための文章を描くのが大嫌いである。いまも、仕事のための文章から逃避するために、これを書いている。
いや、許されるなら、ビールを飲んでいたい。
それでも、そんなわたしでも、「文章を書くこと」を職業にできるのだ。
これはどういうことか?
つまりそれは、人々は……もちろんクライアントも含む……わたしが仕事で書いた文章なんか、ロクに読んでいないからである。
きちんと読まれていないから、わたしのような悪文家で、「てにをは」さえ怪しい文章でも、なんとかバレずに済んでいるのだ。
この仕事を始めたころ、ベテランのデザイナーがわたしにこう言った。
「西田くん、コピーなんてな、デザイナーからしたら模様みたいなもんやで」
以来、わたしは収まるべきところに文字が収まるよう、模様としての文章を書いている。だから、わたしが仕事で文章を書く場合、その量が多くなりすぎることもないし、少くなりすぎることもほとんどない。
ときに、わたしがそういういい加減なライターであることを見抜く、鋭いクライアントもいる。それを指摘されると、わたしは激しく落ち込む。
そして、次はもっとうまくごまかそう、と決意する。
そもそもなぜ、わたしのようないい加減なライターのところに、そこそこ食っていけるくらいの仕事が入ってくるのか、といえば、それは誰もが、文章を書くのがイヤでイヤで仕方ないから、ということになる。
取材のために遠方に出向き、人に話を聞き、メモを取り、文章に起こす。
あるいは、大量の資料を読み込んで、わかりやすくまとめる。
はたまた、コンセプトやテーマをでっち上げて、企画書をつくる。
こんなめんどくさい、うっとおしい作業、誰もやりたくない。
だからわたしは仕事にありつくことができる。
もしこれを若い方が読んでいるなら(読んでないと思うが)、以下に発表するわたしの職業観を、記憶の片隅の、ほんとの片隅、最新型のお掃除ロボットでもホコリが取れないような、片隅中の片隅にでも置いておいてほしい。
仕事とは、ほかの人がやりたがらないことをやってお金を貰うことである。
仕事で文章を書くことは、わたしにとって苦痛である。
しかし、ほかの人にとっては、もっと苦痛であるらしい。
だから、わたしに仕事が回ってくる。
わたしは、ほかのこと……たとえば、浄水器や保険を売り歩く、とか……もしくは高所で命綱をつけて作業する、とか……あるいは深夜のコンビニやホテルのカウンターで立ちっぱなし、とか……をする苦痛と、文章を書くことの苦痛を秤にかける。
文章を書くことは、なんとか、ギリギリ、我慢できる苦痛であることに気づく。
だから、わたしは今後も、文章を書くことでお金を貰っていくことになるだろう。
大いなる勘違いかもしれない、と思わない日はない。
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