わたくしどもはなぜ読まれもしない小説を書くのか。

西田三郎

第1話 基本、人は文章を読みたくない。

 まず最初にもうしあげたいのは、言葉を書く人と書かない人、その決定的なちがいについてである。


 文章を書く人というのは、基本的に、書いてある文字を見ると「読みたく」なる。

 で、文章を書かない人というのは、基本的に書いてある文字を「読みたく」ない。


 いやもちろん、自分では文章を書かない読書家、という人もいるだろう。

 でも、そういう人は基本的に、「文章を書く人」側の人だ。

 おそらくブログに読書日記をつけたり、ツイッターやフェイスブックで読書感想を書いて「読書家」アピールをしたり、まあそうではなくてもこっそりと読書ノートをつけたりしているに違いない。絶対そうだ。そうに決まっている。


 と、続けて3行ほど段落のない文章を上に書いたが、文章を書かない人は、もうこの3行以上の文章で「ウゲッ!」となる。


 彼らは、不必要な文字は読みたくないのである。

 べつに、知性や品性の問題ではない。

 文章を書く人と、書かない人、その2種類がいるというだけの話だ。

 これらは敵対しているわけでも、優劣の問題でもない。


 書かない人を蔑視する、文章を書く人というのは、鼻持ちならない人が多い。

 言うなれば、ヴィレッジヴァンガードのPOPを書いてる店員のような。

 もしくは、スタンダードブックストアの店員のような。


 上のヴィレヴァンとスタブの店員に関する記述は、完全なわたしの偏見だ。


 かなり話がそれた。しかも私怨と偏見で。


 文章を書く人間は、文章を書かない人間について理解していない。

 というか、自分たちが当然していることを、誰もがすると思っている。

 

 文章を書く人が陥りやすい勘違いは、

『人は誰しも、書かれている文章は読むものだ』

 と思っているところだ。


 これほど致命的な勘違いはない。


 人は、よっぽどの物好きか好きものでない限り、『文章を読む』などというめんどくさい、苦痛を伴う、退屈な作業をしたくないのである。


 でも、文章を書く人間は、書き続ける。

 それが当然、誰かに読まれるものだと信じこみながら。


 

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