第五話 新種のイモが、声をかけたそうにこちらを見ている!
『異界の門』とは文字通り、今居る世界とは異なる世界へ繋がる門のことである。魔界への門、もしくは人間界への門など呼び方は様々だが。とにかく、人間界と魔界を繋ぐ場所のことを門と呼んでいるのだ。
人間界から見ると、オリガ達が魔界へ降り立った際に通ったもの以外に異界の門は無い。魔界から見てもそう。だが、それは表向きの話。
魔王城の地下、最奥に存在するその場所で。オリガの前に現れたそれは正しく異界の門だったが、明らかに想像していたものとは違っていた。
「これが、異界の門? なんか、門って感じがしないんだけど」
「仕方がないだろう。この門は、過去の魔王陛下がこっそり、かつ無理矢理にこじ開けたものだからな。とは言っても、僕も実物を見たのは初めてだが」
「この門は百年以上使われていないからのう。儂も見るのは初めてじゃ」
オリガの感想に、サギリとアルバートも頷く。門というからにはこう、荘厳な両開きの扉でもくっついてるものかと思っていたが。目の前に開かれたそれは、全く様子が違っていた。
まず、扉ですらなかった。空中にひび割れのような亀裂が生じただけ。亀裂の大きさはそれほど大きくなく、身体の大きなアルバートは屈まないと入れないだろう。隙間から見える景色は空間が歪み、不気味な程にぐにゃぐにゃしている。薄暗い地下とも、明るい外とも様子が違う。
「改めて確認するが、この門は人間界の首都近くに繋がっている。よって、二人が人間界へ到着し次第、すぐに門を閉めさせて貰う。帰還する際には、アルバート殿がこの門を開けてください。僕は二人が帰還するまで、ここで待機しております」
「うむ、わかった」
「……アルバート殿。念の為に言わせて頂きますけど、くれぐれも人間界を見て回ろうだなんて考えないでくださいね」
「わ、わかっておる……ぞ」
サギリの苦言に、アルバートが目を逸らした。やはり、この男。好奇心というか、放浪癖が相当酷いらしい。
流石、仕事を放り出して三か月も山籠もりをするだけある。
「では、行ってらっしゃいませ。アルバート殿、それから勇者。無事のご帰還を、お待ちしております」
サギリが深々と一礼する。いつもはキャンキャンと小うるさいサギリが、こうも大臣らしい態度をとっていると調子が狂う。立場は上でも、アルバートの方が年齢が上だからか。
それとも、オリガ達がジルを救う為の最後の希望だからか。
「では、行こうか。勇者オリガ、人間界へ。くくくっ、わくわくするのう?」
「……うん」
まだ見ぬ人間界が待ちきれないのか、アルバートが亀裂の中へと飛び込む。オリガも後を追うようにして、門をくぐった。歪む視界は世界を超えている為か、
それとも……心に巣食う迷いのせいか。オリガはまだ、自分の気持ちに整理が付けられないでいた――。
※
「わあ……! 凄い、本当に人間界に戻って来たんだ」
ほんの一瞬の息苦しさ。歪んでいた視界は、見えない手に無理矢理こじ開けられるようにして鮮明さを取り戻した。だが、そこは薄暗い地下ではなかった。
木漏れ日が煌めく森林。どことなく甘さを感じる風が、オリガの髪を柔らかく揺らす。木々の隙間から見える、見覚えのある城壁。数日前、魔界でも似たような景色を見たが。ここは、黒の森ではない。
肌に馴染む空気の感覚。そうだ。間違いない、ここは人間界なのだ。
「ああ……戻ってきちゃったなぁ」
本当に一瞬で戻って来れたことも衝撃であったが。オリガの声を止めたのは、焦燥感だった。どうしよう、本当に戻ってきてしまった。
早く、早く決めなければ――
「ギャウンッ!?」
そんなオリガの焦りをガン無視するかのような、情けない悲鳴……ではなく、鳴き声。嫌な予感がしてオリガが振り向くと、そこに今までのアルバートの姿は無かった。
「…………」
「……クゥーン」
「クゥーン、じゃないわよ! ちょっとオッサン! あれだけわくわくするとか言っておいて、やる気あるの!?」
代わりにあったのは、いつかの真っ白な毛むくじゃら。言い変えて、狼。この男、本当に物事のタイミングが悪いらしい。
そう、非常に運が悪いことに。人間界は本日、新月の日であったのだ……。
「うう、なんと情けない……どうして儂はこうも運に見放されておるのか……」
大きな体を丸めるようにして、人に戻ったアルバートが情けない声で弱音を吐きまくる。リインから念のためにと渡されていた月の石が役立つことになるとは。
でも、何だか様子がおかしい。昨日は石一個でケロッとしていたのに。
「はあ、しかし想像以上に苦しいのう……気を抜いたら、狼に戻ってしまいそうじゃ」
「そんなに苦しいの?」
「うむ。儂のように自然に魔力を左右される種族にとって、魔力がどこにも存在しない空間は凄まじく応えるようじゃ」
人選ミスだな、これは。石二個でようやく立ち上がったアルバートの醜態に、オリガは確信した。そして呆れると同時に、自分の中で最悪な企みが頭をもたげるのを感じた。
アルバートは強い。ジルも言っていた、彼の実力は自身と並ぶ程だと。それなら、オリガではアルバートに勝つことは難しい。でも、それはあくまで魔界での話。人の形を保つことで精一杯な状態ならば、オリガにも勝機があるかもしれない。
もしも……アルバートを討ち取れば、魔界へ戻る術は無くなる。そして、ジルが助かる可能性も無くなる。
魔王が死ぬ。そうすれば、オリガの勇者として役目は果たされる。直接手を下さずとも、全てが終わるのだ。
「それにしても、歴代の魔王陛下が人間界に侵略した理由がようやくわかった気がするのう」
「……え?」
「人間は凄い。魔力が存在しないこの世界で、魔法を使うことなく我等と同等の文明を築き上げてきた。知恵と知識を駆使し、数々の技術を生み出した。魔王陛下達は、人間を恐れていたのだ。そなた達人間が魔族を恐れるように、儂ら魔族も人間が恐かった」
そう言って、アルバートが笑う。その一言で、オリガの中で引っかかっていた何かがすとんと落ちる。
そうだ、忘れていた。人間と魔族。自分達と、彼ら。違うけれど、同じだ。
「でも、それなら勇者の役目って」
「さて、勇者よ。無事に人間界に来ることが出来たのだ。何かと見て回りたいところじゃが……急いで陛下の薬を調達しようではないか」
「あ、ああ。うん、そうね」
アルバートの声に、オリガははっと顔を上げた。何かがわかりそうな気がしたけれども、今は時間が無い。
「と、とりあえず。薬を手に入れられれば良いのだから、王様にご挨拶する必要はないってこと。こそこそーっとケイア様に会いに行って、メノウがコルト熱になって動けなくなっちゃったから、薬をくださいって言えばきっと大丈夫よ」
「儂は、そなたが薬を確保して戻ってくるのをここで待って居れば良いのじゃな?」
オリガは頷く。今のアルバートは人の形をしてはいるが、大きな身体と堂々とした身なりはやはり目立つ。
というわけで。変な騒ぎにならないよう、彼には異界の門の近くで待っていて貰う方が良い。
「……小一時間だけでも、この辺りをウロウロしたい」
「絶対だめ!」
「じょ、冗談じゃ! 陛下のお命がかかっておるのだから、ちゃんと待っておるぞ」
今は見えないふさふさの尻尾が、がっくり垂れ下がったかのような幻覚が見える。ううむ、このオッサン……放っておいたら本当にどこかへ探検しに行ってしまいそうだ。彼の我慢が限界に達する前に、さっさと戻ってくるしかない。
だが……オリガはこの時、とんでもなく油断してしまっていた。
「それじゃあ、行ってくるから。もう一回言うけど、オッサンはくれぐれもここで――」
「オリガ殿?」
「待っててよね…………って、え?」
突如、森の中から聞こえた声。鳥や虫の鳴き声なんかではない。もちろんオリガでも、アルバートの声でもなかった。聞き覚えのある声に、オリガは恐る恐る振り向いた。
なるほど、アルバートの不運って伝染するのか。自分の不注意を、他人のせいにしつつ。オリガは絶望した。
狩猟用の弓矢を片手に近づいてくる、一人の青年。明るい茶髪に、無邪気に煌めく緑色の瞳。少々童顔だが、端正な顔立ちには覚えがある。
加えて、森を歩くには全くそぐわない煌びやかな衣装を身に纏う姿も、その胸に刻まれる紋章の意味もオリガは知っている。
「ああ、やはりオリガ殿ではありませんか! お久しぶりです、お元気そうで何よりです。おや、そちらの方は……メノウ殿は、ご一緒ではないのですか?」
「お、お久しぶりです。サンティ、王子」
――新種のイモが現れたのかと思ったら、王子様でした。
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