第四話 いざ、人間界へ!


 メノウの言葉に、サギリ達が不安そうに顔を見合わせる。


「……陛下のご病気を治す為に、人間界の国王陛下直属の医者に薬をくれと頼むのか? 流石に無謀じゃないか?」

「う、うーん。そもそも、魔王さまの為に人間界のお薬を、っていう考え自体が厳しいのかもー?」

「あの、それよりも……ケイア殿は、お偉い立場の方なんですよね? 我々のような魔族は、何をどうすればお会いになれるのでしょうか」

「ううむ、皆目見当もつかぬ」

「だ、大丈夫! あたしが、ケイア様に頼んでジルの薬を貰ってくるわ! 勇者だもの、ちゃちゃっと済ませてくるわよ」


 意気込んで、オリガは自分の胸を叩く。人間界において、勇者という立場はかなり優遇されている。それは国王城であっても例外ではない。

 ていうか、国王はいつでも遊びに来て良いって言ってたし! きっと大丈夫、怒られない!


「お前が? 勇者なのに?」

「な、何よ……だって、ジルが倒れたのはあたしのせいだし……」


 ふと、気がつく。何だか、皆の様子に違和感を覚えた。訝しむように、じろじろとした視線。

 怪訝そうな目を向けられてしまえば、言葉が上手く紡げなくなってしまう。


「まあ、良い。本人がああ言っておるのじゃ、信じることにしようではないか」


 気まずい雰囲気の中、口火を切ったのはアルバートだった。年長者の言葉に、彼以外の魔族が神妙な面持ちで頷いた。


「そ、そうですね。何にせよ、オリガ殿お一人にお任せすることは出来ませんし」

「え? 何それ、リイン。どういうこと?」

「小型の門は性質上、開いたままにすることはできません。魔物はもちろん、関係の無い魔族や人間が巻き込まれてしまうかもしれませんから」


 なるほど、とオリガは納得する。かと言って、人間界から魔界へ戻る際にまた旅をしていたのでは確実に間に合わない。


「と言うことは、人間界から魔界へ戻る時には改めて門を開けないと駄目ってことか……やっぱり、門はあたしじゃ開けられないのよね?」

「残念ながら、その通りだ。しかも、異界の門の開閉はかなり高度な技術を要する為に扱える者は限られる。加えて、陛下のことを考えればこれ以上ぐずぐずしている猶予は無い。よって、我々の中から誰か一人が勇者と共に人間界へ行くのが最善だと僕は考える」


 更に。サギリが再び地図を指して続ける。


「見ての通り、門は首都レグンボーゲにとても近い。門自体は森の中に設置されているようだが、これだけ首都が近いならば人間に見つかる可能性が高い。魔族が首都の近くに現れたら、間違いなく騒ぎになってしまう。そうだろう?」

「そ、そうね」

「だから、万が一のことを考えれば出来るだけ人間に近しい見た目の者が妥当だと考えられるわけだが……」


 全員が、互いの顔を見る。サギリが言うように、人間に近い見た目ならば何かと誤魔化しが効くだろう。でも、それは意外にも難問だった。

 ダークエルフであるサギリは、小さい癖に耳だけは大きく尖っている。ぺリのシェーラは天使のような翼を持ち、リインに至っては悪魔の翼だけではなく羊のような角や尻尾まで生えてしまっている。

 条件に当てはまる者はジルを除いて、一人しか居なかった。自然と集まる視線に、件の男はにこやかに笑った。


「おお、どうやら儂しか居らぬようじゃのう!」

「確かに、アルバート殿は狼か人か、どちらかの姿ですものね」

「妙に嬉しそうなのが、逆に不安ですけど」


 満場一致、というよりは消去法だった。ジルを超える大男ではあるが、アルバートの耳は尖ってないし、角も翼も尻尾もない。

 魔力が切れたら狼になってしまうが、人間界にも狼は存在するのでおかしくはない。狩人に狙われて毛皮にされる可能性はあるが。


「……まあ、アルバート殿ならば大丈夫でしょう。初めて行く人間界だからって、無駄にはしゃがないでくださいね?」

「うぐっ、わ……わかっておるぞ、もちろん」

「勇者達も良いな? アルバート殿と共に人間界へ行き、コルト熱の薬を手に入れて来て欲しい。ケイア殿との交渉などは全て任せる」

「オッケー、任せて! 絶対にジルを助けるんだから。ね、メノウ?」


 希望は繋がった。これでジルを助けられる。否、絶対に助ける。サギリの言葉に力いっぱいに頷いて、オリガはいつものようにメノウを見た。

 でも、メノウが返してきた答えは、予想外のものだった。


「悪いけど、オリガ。ワタシ、人間界には行かないわ」

「……え?」


 首を横に振るメノウ。すぐには、彼女の言葉を理解することが出来なかった。オリガだけではなく、本人以外の全員が同じ表情をしていた。


「えっと、メノウ……どういう、こと?」

「ねえ、ボクちゃん。五分だけ、オリガと二人だけで話をさせてくれない?」

「あ、ああ。構わないが……」


 そう言って立ち上がったメノウが、オリガの右手首を掴んだ。わけもわからないまま、引き摺られるようにしてオリガも腰を上げてそのまま部屋を出る。

 彼女がオリガを解放したのは、ジルの寝室から離れた廊下の曲がり角に来た時だった。


「ちょっと、メノウ! どういうことよ、人間界に行かないだなんて――」

「ねえ、オリガ。そろそろ、はっきり決めた方が良いと思うのよ」


 オリガの言葉を遮って、メノウが静かに言った。普段の妙に色めいた雰囲気は、今の彼女には無かった。

 チョコレート色の瞳に真っ直ぐ見据えられて、オリガはたじろぐ。


「き、決めるって何を?」

「これからのことを、よ。ねえ、オリガは本当に魔王さまを助けたいの? 勇者のあんたが、魔王を助ける。それが、どういうことか……ちゃんとわかってる?」

「そ、それは……」


 メノウの言葉が、オリガの心に突き刺さる。口調は穏やかだが、そこに孕むのは刃のような鋭さであった。

 思わず、息が詰まる。


「聞いて、オリガ。ワタシはね、決めたの。ドラゴンとの戦いで、ワタシはこの魔界がとっても大事な場所になった。食べ物は美味しいし、皆は優しいし、何よりワタシの野望を叶えられる場所だと思えた」

「最後、最後がなんか」

「オリガも、きっとそう思ってるとは思うの。でも、あんたはワタシみたいに気楽な立場じゃない。人間界に居る皆の期待と願いを背負っている勇者なの。それなのに、魔王さまがドストライクのイケメンだったからって、それだけで投げ出して良い立場じゃない」


 わかるでしょ? メノウがオリガをまっすぐに見据えて言った。言い返す言葉が見つからない。だって、オリガも同じことで迷っていたから。


 勇者が魔王を助ける。


 それは……果たして、許されることなのだろうか。


「ワタシは、あんたがどんな選択をしたって文句は言わないわ。でも、その選択をする時の邪魔にだけはなりたくない」

「……邪魔だなんて、思ったことないもん」

「とにかく、これはオリガが自分で決めることだとお姉さんは思うのよ。自分の気持ちと、立場。あまり時間は無いけど、よく考えて。後悔だけはしないように、ね?」


 そう言って、メノウはオリガを残して立ち去った。しん、と静まり返る空気。一体、いつからだろう。心臓が痛いくらいに鼓動して、指先が震えるくらいの緊張に支配されていたのは。

 後悔だけはしないように。メノウのその言葉が、オリガの頭の中で何度も何度も繰り返されていた。

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