第四話 ガウガウガウ!


 ジルの執務室を後にしてから、しばらく。とりあえず、自分達が守るべき陣地を下見するべくオリガとメノウが中庭を横切ろうとした時だった。

 一人のエルフ娘が、二人の元に駆け寄ってきた。


「あ、あの……勇者さん達! 今、お時間ありますか!?」

「え……大丈夫だけど、どうかしたの?」

「すみません、お忙しいところ恐縮なのですが。この中庭にある植木鉢とかベンチとか、動かせるものを片付けようかと思ったのですが人手が足りなくて……」


 エルフ娘が言うには、戦闘時の被害を出来るだけ減らす為に、片付けられる備品を出来るだけ片付けてしまおうと考えたらしい。見れば、中庭にあった植木鉢などは既に撤去されていた。

 すっきりと、何だか寂し気な中庭には誰もいない。どうやら、この娘が一人でここまで片付けたようだが。残るのは木目調のベンチがいくつか。大きさ的に、彼女一人で運ぶのは難しいだろう。


「しかも、わたし……この後はシェーラ様のお手伝いをしなければならなくて。でも、他の人も忙しいみたいで」

「うん、わかった。あのベンチを全部倉庫にしまえば良いんでしょう? それくらいなら、すぐにやっておくから」

「ありがとうございます! あ、倉庫の鍵はこれです。終わったら、近くに居る使用人に渡して貰えれば大丈夫ですので」


 そう言って、オリガに鍵を渡すとエルフ娘は医務室の方へと走って行った。ううむ、倉庫とはいえこんなに簡単に城内の鍵を預けるとは。


「信用されてるわねぇ、勇者さま?」

「……えへへー、悪い気はしないね」


 傍から見れば、雑用を押し付けられたようにしか見えないが。それでも、人間であるオリガ達を信頼してくれているのだ。


「よし、メノウ。さっさと終わらせちゃおう!」

「ハイハイ、仕方無いわねぇ」


 メノウと顔を見合わせて笑い合う。ベンチは二人で持てば、それほど重くはなかった。それらを倉庫の中に、綺麗に並べてしまい込む。

 何往復か繰り返せば、作業はすぐに終わってしまう。オリガが渡された鍵で扉を施錠する。


「これで、おっしまーい! あとは、この鍵を使用人の誰かに返せば良いだけだよねぇ」

「そうね……ッ、オリガ!」


 不意に、メノウが叫ぶ。親友兼相棒の声だけで、何が起きたかくらいはすぐに把握できる。反射的にメノウの前に立ち、剣の柄に手を置いて構える。

 そして、前方に現れた『それ』と対峙する。『それ』は、この魔王城に来るまでの道のりで何度も出会った魔物のように見えた。この騒ぎに乗じて、紛れ込んでしまったのだろうか。

 ……だが、それにしては様子がおかしい。


「ガルルル……」

「……ねえ、メノウ。これって……狼、だよね?」


 雪のように真っ白で、豊かな毛並み。獣特有の鋭い眼光は琥珀色、犬よりも大きくがっしりとした体躯は人間界でも見たことがある。

 そう。それは、どう見ても狼だった。鋭い爪を立てて、牙を剥き出しに低く唸る。どうやら、オリガ達に威嚇しているようだ。

 だが、すぐに襲って来ないところを見るにただの魔物だとは思えない。


「わあ……それにしても、真っ白で綺麗な狼だねぇ」

「ねえ、オリガ。もしかしてこの狼……このお城で飼っているペットなんじゃない?」


 メノウの言葉に、納得した。狼の様子は、彼女達が住んでいた故郷の村で飼っていた番犬と同じだ。

 滅茶苦茶に暴れるのではなく、何かを護ろうとする。凶暴そうではあるが、野性的ではない。

 こんなにも大きな城なのだから、狼の一頭や二頭を番犬兼ペットとして飼っていても不思議ではないかもしれない。


「大丈夫、ワタシ達は人間だけど敵じゃないわよ? ワタシはメノウ、こっちはオリガ。一応は勇者なんだけど、争うつもりはないわ」

「ガウ?」

「数日前にこのお城に来たの。まあ、一応勇者とその相棒だから、魔王さまとやることはやったけど」

「言い方。メノウ、言い方」

「ガウガウ」

「結果としては、惨敗だったわけ。それで、大怪我を負ったオリガの療養も兼ねて、しばらくこの魔王城に滞在させて貰っていたの」

「ガウー!」

「ほらね、オリガ。やっぱりこの子、このお城の子みたいよ?」

「えっ、今の会話してたの?」


 いや、確かにそれっぽかったけど。確かにこちらの言い分は伝わったのだろう。狼は警戒を解いて、興味深そうにオリガ達を見つめている。

 とりあえず、良かった。オリガもまた、肩から力を抜く。それにしても、大きな狼だなぁ。オリガよりも遥かに大きい。なんなら乗れそう。そんなことを考えながら観察していると、ふと狼の右前足に目が止まった。


「あれ。この狼、もしかして怪我をしてるんじゃない?」

「あらぁ、本当ね。うーん……これ、火傷みたいよ」

「クゥーン」


 真っ白な毛並みに、一か所だけ焦げたような痕。ぺろぺろと狼が舐める前足は、よく見ると皮膚が剥けてしまっている。

 昨夜、全身火傷まみれになったばかりなのだ。間違いない。


「あ、そういえば。あたし、まだ火傷の薬持ってるよ! シェーラが余分に渡してくれてたの、これを塗ればすぐに治るんじゃない?」

「あ、良いわねそれ。じゃあ、早速……」

「ガウ?」


 首を傾げる狼の背後に、メノウが回り込む。そして、慣れた様子で狼が暴れないように両手で抱えた。

 驚いたのは、どうやら狼の方らしい。


「ガウ!?」

「うふふ、捕まえたー! さ、オリガ。薬を塗ってあげて」

「あー……うん、わかった」

「ガウ―!」

「大丈夫よ、少し染みるかもしれないけど……すぐに良くなるから。ああーん、それにしてもこの子の毛並み、ふかふかで気持ち良いー!」


 わたわたと焦る様子の狼にも動じず、メノウがぎゅうっと狼を抱き締めた。ううむ、確かにもふもふとしていて気持ち良さそうだ。

 思わず、オリガは火傷を負っていない左前足を触る。


「おおー、肉球もぷにぷに!」

「ガウガウ!」

「尻尾もふさふさで、本当に可愛いわぁ! ガマンなんて出来ないっ、ぎゅー!!」

「ガウー、ハァハァハァハァ」

「……ん? 今、一瞬エロおやじの気配を察知したんだけど」


 気のせいか。オリガが気を取り直して、狼の前足に薬を塗ってやる。どこかに擦ってしまわないように、布を当てて包帯を巻いてやる。

 狼的にも特に気にならないのか、嫌がって外す素振りは無い。


「うん、これで良し。治るまで舐めちゃ駄目だからね?」

「ガウ」

「よし、良い子。さてと、ほらメノウ。そろそろ行かないと」


 いつの間にか、結構な時間が経ってしまっていた。約束の正午はもうすぐだ。このまま、ここに居るわけにはいかない。


「そうねぇ、でも……このシロちゃんはどうしようかしら?」

「ガウ」

「シロちゃんて」


 良いのか、そんなテキトーな名前を付けてしまっても。


「うーん……怪我してるから、どこかで休ませてあげた方が良いよね。あ、そうだ! さっきの倉庫とかどう? スペースは少し空いてたから、十分この子が寝転がれると思うし」

「……が、ガウ?」

「あ、それナイスアイディアよオリガ」

「ガウー!」

「あ、こら! 暴れちゃ駄目だってばー!」

「オリガ、そっち押さえて! 二人でなら、なんとかイケる筈よ」


 ジタバタと暴れる狼を、二人で押さえ付けながら運ぶ。この狼がジルのペットであるかどうかはわからないが――ただ、ジルがこのもふもふ真っ白毛玉な狼を抱き枕にして寝ている姿なら妄想は余裕である。可愛いしかない――ドラゴンが降りてきた時に、被害を受けないように。その一心で、何とか倉庫の元まで辿り着いた。

 倉庫の鍵を開けて、無理矢理に狼を中へと放り込む。


「ガウー!」

「よし。オリガ、早く鍵を!」

「わかってる!」


 狼が出てこない内に、素早く鍵を閉める。ぎゃんぎゃんと吠えながら、ガリガリと扉を引っ掻く音が聞こえる。怪我が悪化してしまいそうだが、その内諦めるだろう。


「ごめんねぇ、シロちゃん。お姉さんたち、これからお城でドラゴン退治しなきゃいけないのよ。落ち着いたら、出してあげるから」

『ガウー!!』

「うんうん、いい子いい子。さ、行くわよオリガ」

「うーん……大丈夫かなぁ?」


 若干の不安に、オリガは扉を見つめる。何だろう、この胸騒ぎ。狼に壊されてしまうような安っぽい代物では無さそうだが。

 あれか、武者震いってやつか。オリガはそう心に言い聞かせると、戦場へと向かった。


 ――そして、ついにその時が来た。


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