第八話 魔王?「俺様が知ってる夜這いと違う」


 ※


 やれやれ、まさか本当に案内する羽目になるとは。懐かしい暗闇に目を細めながら、シキは記憶を辿りながら通路を歩く。


「へえー? この城、こんな隠し通路があったんだ。でも……なんか、随分雰囲気が違うみたいだけど。ジメジメして古臭い感じ……」


 後ろで辺りを見回しながら、オリガが不思議そうに言った。玉座の裏にある壁。そこにちょっとした仕掛けがあり、石造りの壁の一部を押し込むとこの通路が現れるのだ。シキには人間界の事情がわからないけれど、規模の大きい城であれば隠し通路の一つや二つくらいは珍しいことではない。

 だが、オリガが不思議に思うのも無理はない。


「チビ大臣やシェーラの話では、魔王城はその時の魔王によって形や内装を変えるらしいけど、ここは随分無骨なところなのね? 何となく、ジルらしくないような……」

『お前は自分と、見た目の違う幼馴染。骨格まで全く違う生き物だとでも言い張るつもりか? この通路は、言わば魔王城の骨格だ。人でいう服や肉にあたる外装や内装は変わるが、変わらない部分もある』


 淡々と話しながら、オリガを伴い薄暗い通路を進む。進むとは言っても、うっすらと埃の積もった床に残る足跡はオリガ一人分だけ。

 シキは実体が無いので、ふわふわと浮いているような形を取っている。


『この通路は魔王城の裏通路であり、どれだけ魔王が変わろうと変化したりしない。ここに入る際の仕掛けは変わるが……俺様の時代と同じ仕掛けだった辺り、やはり俺様とジルは似ているらしいな。俺様の頃の方が、この城はもっと煌びやかだったがな! 辺りには金や宝石が溢れ、血の池には肉食魚が猛々しく泳ぎ回りそして――』

「はいはい。まあ、それはそれとして……こんな通路、勇者であるあたしに教えちゃっても良かったの? こういう通路って、魔王とかが緊急時に逃げる為の通路なんでしょ?」

『……とことん人の話を聞かない小娘だ。もう何百年もまともに使っていないからな、ジルでさえ知っているかどうか疑問なくらいだ。それに……正直なところ、逃げるならばこの通路を使うよりも近くの窓から飛び降りた方が早い。魔人ならば、その程度では死なんからな』


 事実、この通路はシキが存命であった頃でさえ探検以外の目的では使ったことがない。それでも、かつては自分の城であったのだから道順くらいは覚えている。

 それにしても……壁の燭台に最低限の火が灯っているとはいえ、薄暗く不気味な雰囲気のあるこの通路を物ともしないとは。小娘とはいえ、やはり相手は勇者か。


「ジルの寝姿……きっと凶器レベルで綺麗なんだろうなぁ。ふへへ……ジルって寝る時、どんな格好してるのかなぁ。はっ、裸だったらどうしよう。それはそれでご馳走ですウッハウハ!」


 これさえ無ければ、ジルにとってはとんでも無い脅威になっただろうが。


「あ、ねえねえシキ。あんたに聞きたいことがあるんだけどさ!」

『何だ、いきなり』

「あんた、さっき子供が一人居たって言ってたじゃない? ということは、奥さんが居たってことでしょ?」

『……どうして、そこに食いつくんだお前は』

「良いじゃん。……で、あんたは一体どういう人を自分の伴侶に選んじゃったのよ? 教えなさいよ!」


 振り向けば、オリガがニヤニヤと笑っていた。洞察力と記憶力も申し分ない。とてつもなく偏ってはいるが。

 シキは重々しく溜め息を吐く。


『……何故、教えてやらねばならんのだ? 答える必要性は感じられない』

「えー? 良いじゃん、それ以上減るものなんてないじゃない!」

『本当に失礼なやつだな。少しは礼儀を覚えろ、それまでは絶対に教えてやらん!』

「ケチ!!」

『喧しい! ……ほら、着いたぞ』


 姦しく騒ぐオリガに辟易しつつ、シキは足を――無いけれども――止めた。一見は行き止まりだが、ただ壁が次の部屋との間にあるだけの話だ。

 先ほどと同じように、壁の仕掛けを教えてオリガに押させた。すると、壁の縦半分が音もなく手前に出て、横へと滑る。

 思惑通り、薄暗い通路に柔らかい明かりが差し込んできた。


「お、おおー。ここが、ジルの寝室……あ、ジル!」


 今まで煩く喚いていたくせに、ジルの姿を見つけた途端に声を潜めるオリガ。なんて現金なやつだ。

 ただ、シキとオリガが予想していた光景と目の前に広がる光景は、少し様子が違っていた。まだ、室内に明かりが残っているのだ。


「……ねえ、ジルってば机に向かって何をしているの?」


 ひそひそと、オリガが訊ねてくる。見れば、ジルはベッドではなく窓際に置かれた机に向かって居た。椅子に深く腰掛け、頬杖を付き左手で羽根ペンを持っている。

 もしや、またなのか。


『……日記を書いているんだろう。魔王は一日に一度は日記を書くように義務付けられているからな。ジルは日記を書くことが嫌いなようだが』

「へえ、日記か……ちょっと気になるなぁ。どんなことが書いてあるのかな……いや、でも流石に日記を覗き見するのはマズイよね」


 壁から身を顔だけを覗かせて、オリガが言った。妙なところを気にする娘だな、とシキは呆れる。

 そして、ジルも相変わらずなようだ。


「……ジル、寝てない? ペンが全く動いてないけど?」

『ああ、寝ているな。あんな体勢で、よく眠れるものだ』


 目蓋を伏せて、穏やかに肩を上下させるジル。まさか、オリガがすぐ傍に居ることにも気がつかないとは。平和ボケも良いところだ。


「……よ、よし。とりあえず、ジルの寝室までの行き方は覚えた。ありがとう、シキ。それじゃあ、あたしは一旦部屋に戻ろうかなぁ」

『……はあ?』


 はっ、いけない。思わず自慢の美貌に不似合いな、素っ頓狂な声を上げてしまった。豊かな銀髪を揺らしつつ、シキは気を取り直す。

 この小娘、何を言い出すのか。


『ここまで来ておいて帰るだなんて……面白くない冗談だな、小娘』

「だ、だって……ジルってば寝てるし!」

『夜這いなのだから、何の問題もないだろうが。ジルがちゃんとベッドに寝ていれば完璧だったんだがな』

「で、でも……その……」


 手をもじもじ、口をもごもごとさせて。まさか、この小娘。ここまで来て怖気づいたのか? 今更弱気になっても、腹立たしいだけなのだが。


「えっと、えーっと……あ、ほら! あたし、まだお風呂入ってないし!」

『あの埃っぽい通路を見ただろう? 風呂に入ってどれだけ垢を落とそうが、あの道を通れば数分で埃塗れだぞ』

「そ、それは……あ、剣! あたし、剣持ったままだ! 流石に物騒じゃん、置いてこなきゃ!!」

『床にでも置いておけば良いだろう? ……何なら、その剣でジルを脅しながら事に及べば良い。中々興奮するんじゃないか?』

「あんたの趣味えげつない! と、とにかく……今夜は出直して――」

『ええい、ごちゃごちゃと煩い! お前は勇者だろう、腹を括れ!!』

「え、ちょっ――うぎゃあ!!」


 あーだこーだと言い訳を始めるオリガの背後に回り、シキは彼女の背中を押した。残念ながら実体が無いので、貴重な魔力を消費して吹き飛ばした、の方が意味合い的には正解である。

 べちゃ、と無様にジルの足元に倒れ込むオリガ。色気の欠片も無い悲鳴に、流石のジルも目を覚ましたようで。

 ふわふわと欠伸をしながら、ジルが足元を見下ろした。


「ふあ……ううむ、寝てしまっていたか。全く、サギリのやつ……日記ならば昨日も書いたのに。ん……? オリガ、そこで何をしている?」

「……あんたの先祖にふっ飛ばされたのよ」

「先祖?」


 きょとんと、首を傾げるジル。全く、俺様と同じ容姿でそんな間抜けな表情をするんじゃない!! 己の姿がジルには見せられないことに、シキは憤る。

 まあ、良い。それくらいで怒っていたらきりが無いからな。


「うう、シキの鬼畜……! ま、まあ良いわ。ジル、宣言通りに夜這いに来たから!」

「やれやれ、まさか本当に来るとはな」


 何事も無かったかのように、すくっと立ち上がり指を突き付けるオリガ。これっぽっちもムードのない二人のやりとりに、シキはがっくりと肩を落とした。勇者よ、少しは無い色気を絞ってでも振り撒いたらどうだ。どう頑張っても果し合いにしか見えないぞ。

 剣も鞘に収まったまま、腰元にぶら下がっているだけ。これでは、ジルに担がれて部屋を放り出されるのがオチだな。凄まじく疲れた。今日はさっさと休むことにしよう。そう思って、シキは姿を消しかける。

 だが、その時だった。耳を疑うような台詞が聞こえて来たのは。


「……ふむ。これは……据え膳食わぬは男の恥、というやつか?」

「へ?」

『ん?』


 ジルは椅子から立ち上がると、オリガの腰に片腕を回して彼女の身体をひょいと持ち上げる。

 そして、そのままベッドにぽいっと放った。


「わわっ!?」


 魔王専用の、キングサイズのベッドに弾むオリガ。驚きはしたようだが、落ちた先は柔らかいマットだった為に痛みは少しも無いようだ。


「えっ、えっ?」

「ふふっ、それにしても夜這いか……それなら、日記などに構っていないでさっさと寝れば良かったな。いや、それでは主導権がきみに渡ってしまうか。女性にされるのも悪くはないが……私は、やはりこの方が良い」


 状況を全く把握出来ていない様子のオリガに、ジルが妖艶な微笑を浮かべながら覆いかぶさる。その拍子に、ジルの髪を纏めているリボンが呆気なく解けてしまった。

 するりと、銀色の髪が肩から落ちてオリガの頬を撫でる。


「では、お望み通り……私と子作りでもしようか、オリガ?」


 ほう? やはり腐っても俺様の血統か。シキはにやりと笑って、珍しく魔王らしさを見せつけるジルを見る。いや、これ以上は流石に邪魔者か? そんなものを覗く程、悪趣味でも無いしな。

 夜が開けてから、オリガに話を聞けば良いか。そう考えて、シキは再び姿を消そうとする。だが、またもやそれは叶わなかった。


 視界に突如、鮮血が舞った――


『なっ……』

「……イケメンすぎる、だめ……辛い」


 上半身を起こし、ボッタボタと鼻から血を流すオリガ。おいおい、鼻血だったのか。『なっ……』とか言ってしまって恥をかいてしまったじゃないか。

 というか、まだ服すら脱がされていないのに鼻血なんて流すな。いや、そもそもこのタイミングで鼻血だけはやめろ。頼むからやめろ。


「お、オリガ? ……大丈夫、か?」

「うん、大丈夫……バージンをロストしただけだから」

『嘘吐け!!』

「……私はまだ、何もしていないんだが」

「と、とととにかく! 今日のところは、これで勘弁してあげるんだからね!!」


 じゃあね、おやすみ! 手の甲で鼻を押さえたまま、オリガはジルを押し退けるようにしてベッドから降りると、そのまま自慢の駿足で隠し通路に逃げ込んで行ってしまった。寝室に残されたのはシキとジル、そして真新しい血痕だけである。

 字面だけ見ると、事件現場のようだ。


「……あれは、隠し通路か。やれやれ、よく見つけたものだな。私でさえ、たった今思い出したくらいなのに」


 呆然と、ジルが見送って。オリガの足音が聞こえなくなってから、ジルはベッドの縁に腰を下して、珍しく神妙な面持ちで悩まし気に唸った。


「うう……私は、女性に逃げられる程に魅力が無いのか……一体、どうすれば……」


 違う、違うぞジル。普段がふにゃふにゃしているから、いざという時の緩急が凄いんだ。


『……勇者も馬鹿だが、こいつもこいつで良い勝負だな』


 本日何度目かになるかわからない溜め息を吐いて。存在しない筈の肩に、ずっしりとのしかかるような疲労感に耐えられず。シキは今度こそ、その姿を消した。


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