第九話 魔王達が嘆いていた、丁度その頃
※
魔王城の北側に広がる広大な森林。通称『黒の森』と呼ばれるそこは木々が密集して生い茂っている為か、昼間でも常に薄暗い。
今のように、月が頭上で煌めく時間であれば尚のこと。足元で気儘に咲く夜光花以外の明かりは皆無である。魔物も生息しているが、魔界の支配者たる王がすぐ近くに居る為かこの辺りは比較的静かである。
そんな、平穏な夜であった筈なのに。
「見つけたぞ、止まれ!!」
「くそっ、しつけぇ女だな!?」
鋭く声を飛ばすも、相手は素直に従おうとしなかった。思わず舌を打つと、地面を這うように伸ばされた木の根に足を引っ掛けないように意識しながら闇を駆ける。
夜の眷属たる自分から逃げられるとでも思っているのか! 短い黒髪を揺らしながら、妙齢の女が叫ぶ。だが、相手も体力自慢な獣人の男だ。少しでも気を抜いたら逃げられてしまう。
「調子に乗りやがって……これでも喰らえ!」
「――――ッ!?」
不意に、何か小さなボールのようなものが足元を転がる。しまった! 女が咄嗟に足を止めた、次の瞬間だった。
ボールが破裂し、中に込められていた魔法が発動する。青紫色の魔法陣が煙へと気化し、女の視界を覆う。金色の双眸が映す世界はぐにゃりと歪み、膝を付かないようにするので精一杯だ。
「ギャハハ! 『階級』持ちの悪魔様が、情けねぇなあ!!」
「くそっ……魔王陛下のお膝元で、このような狼藉を働くとは……!」
「ふん、悔しかったらオレを捕まえてみろよ? そんな状態じゃ、無理だろうけどな!!」
下品な笑い声を上げる男。手に持った愛用の杖を支えに、なんとか姿勢を正す。こんな使い捨ての魔法など、数分もすればすぐに消える。何なら、今ここで解除の魔法を使えば一分もかからずに視界は元に戻る。
だが、その間に男には逃げられてしまうだろう。
「ぐっ……」
両足を踏ん張り、男に向かって杖を突き付ける。深紅の宝石を抱く杖に、男は一瞬怯むものの。すぐに挑発的な笑みを浮かべるだけ。
「あんたのことは知ってるぜ。数百もの魔物を一瞬で消し炭に出来るんだって? それなら、その杖でオレのことも燃やしてみせろよ。魔王さまがすぐ近くに居る、この森ごと焼き払ってさぁ!?」
ケタケタと、男が嘲笑う。そう、女の得意とする魔法は強力ではあるものの、下手をすればこの森の広範囲を焼く尽くす。そうすれば、目と鼻の先にある魔王城への被害もきっと免れないだろう。それだけは避けなければ。
でも……それならば、どうすれば!!
「くくっ、じゃあな。ショーグンさ――ぎゃあぁ!?」
「いやん、女の子に乱暴するなんて……ダメな男ねぇ」
お仕置きよん? 聞き慣れない声が届くや否や、立て続けに二つの爆発音が轟いた。女は反射的に身構えるも、その爆発音は彼女に向けられたものではなかった。
地面を抉る、小さな衝撃。悲鳴を上げたのは、男の方だ。同時に、視界が徐々に元へと戻り始める。ぐにゃぐにゃに歪んでいた景色は秩序を取り戻し、再び暗闇に支配された森が視界一杯に広がる。
すると、驚くべき光景が視界に飛び込んできた。
「ひいっ、ひいいいぃ!? い、いでぇよぉ! 悪かった、謝る! 盗んだものは全部返す、だから助けてくれよぉ!!」
今まで嘲笑していた男が一変、右足と左肩から血を出しながら地面をのたうち回っているのだ。涙と鼻水で顔面をぐしゃぐしゃにしながら、男が助けを請う。
自分は何も出来なかった筈なのに。一体、何が起こったというのか。
「こ、これは……どうして」
「うふふ……お姉さん、困っていたみたいだから。ワタシ、こう見えても困っている人を放っておけないのよ。そのお兄さんドロボウなんでしょう? 人間界では、ドロボウは立派な犯罪者なのよ」
そう言って、現れたのは見慣れない風体の女だった。露出の多い格好もさることながら、角も牙も――魔力すらも持たない存在。金属の筒に取っ手を付けたかのような奇抜な物体を男に向けたまま、こちらに向かって来る。
間違いない。彼女は魔族ではない、人間だ。火薬の辛い香りを纏い、猫のような笑顔を向けてくる。
「あなたは……人間、ですよね。どうして、人間がここに?」
「あらぁ? 人間界では、相手の素性を聞く前にまず、自分から名乗ることが常識なのよ? 魔界では違うのかしら、お姉さん?」
「え……あ、いえ、その……失礼しました!」
困った。すっかり彼女のペースである。だが、武器をこちらに向ける様子は無いし、何より彼女の言い分は正しい。妙に妖艶な雰囲気を振り撒いているが、敵意は無いよう。
何よりも、自分が追いかけていた盗人を捕まえてくれたのだ。何者であろうとも、相手には敬意を表さなければ。胸に片手を添え、すっと頭を下げて礼をする。
「手を貸して頂き、感謝します。自分はリイン・ビュレト。七十二柱に属する悪魔の一人であり、魔王ジル陛下が配する魔法軍の将軍を務めさせて頂いている者です」
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