第七話 魔王「私の名前は……」


「いやー、食べた食べた。お腹が一杯になるだけでも幸せになれるんだから、人って単純な生き物よねぇ」

「あはは、本当よねー?」


 メノウが腹を撫でながら幸せそうに笑う。どうやら、魔界の食事が大層気に入ったらしい。

 しかし、それには激しく同意する。若干身の危険を感じはしたものの、食事自体は非常に美味しかった。畑や牛に囲まれて育ったのだから、それくらいわかる。

 美味しい食事で満腹になるだけで、人は幸せになって頑張ろうと思えるのだ。


「あ、ねえねえ二人とも。二人のお部屋に、石鹸とか無かったわよねぇ? 実はわたし、趣味で石鹸とかクリームとか色々作ってるんだー。よくお友達とかにもあげてるんだけど。まだ部屋にたくさんあるから、二人もいくつか持って行かない?」

「本当? シェーラって、趣味まで女の子っぽいのねー」

「えへへ。ぺリの国ではもともと香水とか化粧品が名産品だからねー。お薬の材料の余りとか勿体ないから、そういうので作ってるだけよー?」

「オリガ、アンタも何か欲しいのあったら――」

「さってとー、お腹も一杯になったし。活力は十分。早速、魔王に夜這いに行こうかな!」


 胃に溜まった美味なる食事は、オリガの野望を果たす為の力となった。残る問題は、どうやって魔王に仕掛けるかだ。


「あ、でもその前に何着て行こう? パジャマ? キャミソール? 思い切ってベビードールとか?」

「お、オリガちゃん?」

「ぎゃはー! それは流石に冒険しすぎかも? 人間界から魔界に来るまでだけでも結構な大冒険だったのに? まだ冒険しちゃうの? いやーん、ドキドキするぅー!」

「あー……これはしばらく放って置く方が良いかも」


 相手にするだけ面倒だし。メノウが慣れた様子で言えば、シェーラも苦笑するしか無いらしく。

 一人で勝手に夢を膨らませるオリガをそのままに、メノウがシェーラを背中をぽんぽんと押した。


「さあさあ、あそこのバカは放っておいて。その石鹸を見に行ってもいい?」

「え、わたしは構わないけど……オリガちゃんは……?」

「オリガは未だに石鹸の良し悪しとか、化粧品の種類とかよくわかってないからねぇ。ワタシが適当に見繕って持って行けば良いわよ」

「んー、二人がそれで良いなら構わないけど……」

「じゃあ、決まりね。オリガ、アンタは先に部屋に戻ってなさい。夜這いに行くのは良いけど、せめてお風呂に入って着替えてからにした方が良いわよ」

「うふふふ、いつもは鎧で隠れてるけど。あたしだって結構出てるところは出てるし、引っ込んでるところは引っ込んでるんだから。昼間と夜で違う姿にドッキドキ……あ、あれ? メノウ? シェーラ?」


 そう言い残すと、メノウはシェーラと共に階段を上って行ってしまう。残されたオリガは、その場で暫し幸せな妄想に己を抱き締めくるくると回っていたものの。

 二人が居なくなっていることに気が付き、はたと立ち止まる。そういえば、石鹸がどうのこうのと言っていたような。


「ちえ、ちょっとくらい構ってくれたって良いのに。仕方ない、部屋に戻ろうっと。あ、あれ……部屋って、どこだっけ?」


 メノウの言う通り、まずは汗やら何やらを洗い流す為にお風呂に入らなければ。そう考えて、オリガが踵を返す。しかし、よく見てみれば前も後ろも似たような景色。

 壁紙も、照明も毛の長い絨毯も。視界に入るのはどこも同じ。部屋の配置の違いはあるようだが……こういう時に変な置物とか絵画とか飾ってあれば目印になるのに!


「んー。この階なのは間違い無いと思うんだけど……ちくしょー! 勇者に優しくない城だなー! 魔王め。もう少しこう、案内板的なのを置いておいてくれても良いのに!」

「それは、気が利かなくて申し訳なかった」

「本当だよ! どうせなら、こう避難経路ならぬ魔王が今どこに居るかを示すようなナイスな経路図を……ん?」

「だが、此処は私だけではなく、皆の身を預かる場所だからな。内部構造が複雑になってしまうのは、致し方がないことだと理解して頂きたい。ちなみに、貴殿の部屋は此処から左に行き、突き当たりから数えて三番目の部屋だ」


 勇者殿。不意に背後、というより頭上から落ちてきた美声イケボ。え、何でこんな場所に? ぎぎぎ、と壊れかけたカラクリ人形のような動きで後ろを振り向く。

 癖の無い艶やかな銀髪に、しなやかな体躯。切れ長な目元に輝く紅玉の瞳に、オリガの姿が映っている。


「え……あ、え……なん、で」

「何で、と言われても……此処は、私の城だからな。別に、私が何処に居ようとも不思議なことでは無いと思うが?」


 はくはくと、水面から顔を出す魚のように唇を動かすだけのオリガに魔王が言った。彼が言うには、どうやら普通に階段を下りてきたところで思いっきり迷っている様子のオリガに気が付いて声をかけたらしい。足音がしなかったのは、足元がフカフカしているからか。

 シェーラの言う通り、この魔王は城内ならどこにでも行くし誰にでも気軽に声をかけてしまうようだ。これは確かに勘違いをするかもしれない。なんてやつ!


「ところで、勇者殿。見たところ、元気に動き回っているようだが……具合が悪いところは無いか?」

「と、特には無いかも」

「そうか。……それは良かった、ふふっ」


 そう言って、芸術品レベルの美貌に微笑が浮かぶ。あー、なる程。これは、誰でも恋に落ちますね。落ちない方がおかしいです。

 いや、待て待て。自分にはまず、確かめなければいけないことがあった筈だ。落ち着け、オリガ。勇者なんだから、魔王に気圧される理由は無い。

 先ほどから、何度も頭の中でシミュレーションした通りに聞けば良いのだ。


「あの、魔王……あんたに聞きたいことがあるんだけど」

「ふむ、私に?」

「あんた……もしかして、ついさっきお風呂に入ったばっかりじゃない!?」


 これは自信がある。なぜなら、さっきからとても良い香りがするから! シェーラも良い匂いだったけど、彼女の香水とは違う匂いだ。

 この柔らかい匂いは、石鹸やら入浴剤やらそういう類の匂いだ。時間が経てば薄れてしまう、期間限定の超希少モノ。匂いフェチならばわかって当然。


「さっき会った時より顔色も良いし、髪もツヤツヤしてるし。どう当たってる?」

「……当たっている」

「やっほーい! 流石、あたし……って、違う!! 間違えた!」


 何てことだ! 魔王があまりにも良い匂いを振りまいているものだから、つい匂いフェチのさがが! 


「あたしが訊きたいのは、あんたの、名前!」

「名前? 私の?」

「そう、名前! フルネーム! 教えなさい、今すぐ!!」

「…………」


 ビシッと強気な態度で言い放つオリガ。しかし、魔王は何故か黙り込んだまま、オリガの方を見つめるだけ。

 え、どうして何も言わない? いつもの癖でメノウに聞いてみようとするも、辺りにはオリガと魔王以外に誰も居ない。


「あ、えっと……」


 しかし、よく考えてみればこれは相当礼儀知らずと言うか、無礼な行動だったのではないだろうか。人間界に置き換えてみれば、勇者とはいえ田舎娘が国王の前に立って名前を教えろと命令しているのだから。

 兵士達に羽交い締めにされて、外に放り出されてもおかしくない。と、言うより自分が王様だったらそんな無礼者など確実に牢屋にぶち込んで三日間飯抜きにするわ。


「その……待って! やっぱり今のな――」

「ジル」

「へ?」

「私はジル。ジル・シキ・ティアレイン。ティアレインは初代魔王から繋がる血筋の名。シキは千年程前に実在した魔王の名だ」


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