3.ネガティブフラワーは忘れない

1

 平穏な日々が、しばらく続いた。


 由は、以前より積極的に花紗里に話しかけるようになった。

 迷惑かもしれない、という疑念は未だある。それでももはや傍観の選択肢は消えていた。放っておくことができなかった。


 花紗里には、目立った変化はない。

 あの戦闘の当日こそ早退したものの、翌日は普通に学校に現れて、それからは元通りの振る舞いを見せている。


「で、山潟さんには相手にしてもらえてるのか?」


 そんな彼女に対する由の態度こそ、級友たちには興味を引いたのだろう。

 由は尋正を始めとした友人たちに、度々そのような質問をぶつけられた。善良なる冷やかし笑いと共に。


「そんなんじゃないよ。僕はただ――」


 ただ、何だろうか。

 なぜ彼女を放っておけないのか。焦りにも似た感情はどこから来るのか。

 あれこれと言って追及をかわすも、自分が納得できる答えはまだ出せていない。


 月日の歩みは鈍いようでいて、後から振り返るとその早さが人を驚かす。

 少年のもやが払われるのを待たず、木々の緑はその厚みを増す。鳴き交わす鳥や虫の声に、日ごと新しい音色が加わっていく。


 夏がやってきた。







「はーい! では我々一年二組はぁ、お化け屋敷をやることに決定しましたァーッ!」


 威勢良くチョークを走らせながら、尋正が投票の結果を告げる。

 教室中から拍手が上がる。一部からは無念の呻きも。


「ちくしょう……高校で文化祭と来たらメイド喫茶ができるんじゃないのかよ……」

「ふざけんな男子。自分で着てろ」


 そんなやり取りも、どこか楽しげに響く。

 この教室に限ったことではない。年に一度のイベントを前にして、近頃は学校全体が、心の弾む雰囲気に包まれてきていた。


「――というわけで、由。お前には人一倍働いてもらうぜぇ~?」


 各々が準備に向けて動き出す放課後、尋正はそう言ってにやりと笑った。

 片手には扇めいて広げたプリントの束。それをこれ見よがしに揺らしてみせる。


「……クラスの実行委員が張り出さなきゃいけないやつだろ、それ。僕だって普通に仕事あるんだぞ」


 いい加減呆れ顔の由の言葉を、尋正は片手を突き出して遮る。


「まあ待ちな。俺だっていつも一方的に頼ってばかりじゃねえ」

(自覚はあったんだ……)


 今度はある意味感心した少年の耳に、彼はそっと口を寄せた。

 広げたプリントを壁にして囁く。意味深に横へ目をやりながら。


「ほら、実行委員権限でそれとなーく、当日の休憩時間を合わせてやるからさ」

「……」


 当然と言うべきか、その視線の先には山潟花紗里の姿。


「……あのさ。だから僕は」

「分かってる分かってる。皆まで言うな。じゃあよろしく! 貼る場所は裏に書いてあるからな!」


 釈明の試みむなしく、分厚い紙束が机に叩きつけられる。

 尋正は上機嫌で去っていく。由は頭を抱えた。いよいよ妙な流れになってきている気がして。


「……大丈夫? 南ヶ川くん」


 顔を上げる。

 もっとも、声だけで誰かは分かる。花紗里だ。

 最近は、ほんの少しずつではあるが、彼女から話しかけてくることもあるようになった。これまでの努力が実を結んでいるのだとすれば、冷やかされるだけの甲斐はあるのかもしれない。


「……いや、なんでもないよ。大丈夫」

「そう? ……大変だったら、手伝うよ」

「いやいや、本当に大丈夫。あ、ただ――」

「?」


 由は体ごと花紗里に向き直り、背筋を伸ばした。

 改まったような様子に、花紗里も作業の手を止める。


「もし良かったら、なんだけど。文化祭、一緒に見て回ってくれないかな?」

「…………」


 見たこともないものを目にした猫のように、花紗里の動きが固まった。


 ――まあ、せっかくの機会だ。少しは彼女の息抜きになればいい。

 そんな軽い気持ちでの提案が予想以上の反応を引き起こしたことを、由は疑問に思う。

 おまけになぜか周囲の視線を感じる。声を潜めての会話が漏れ聞こえる。


(「おお、よっしーが……よっしーがついに攻めよったで……!」)

(「すげえ大胆だ……恐れを知らぬ戦士かよ……」)

「――あ」


 由はようやく、自分が清水の舞台から飛び降りたことを自覚した。

 途端に気恥ずかしさが湧き上がってくる。煮られるような熱さと共に。


「――も、もちろん、嫌だったら嫌って言ってくれていいからさ! 正直に、で!」

「……あ、うん……」


 表情を失ったまま、花紗里はのろのろと頷く。

 それは果たしてどの意味の“うん”か。由は待った。額に汗を浮かべながら。周りの人間も固唾を呑んで見守る。そちらについてはできれば見ないでくれと願った。


「……いいよ。もし休憩の時間が一緒だったら」


 既に塞がれた退路に逃げ込む小動物のイメージが、由の脳裏をぎった。

 静かな感嘆の声が巻き起こる。尋正が視界の隅で親指を立てる。

 この瞬間に姿を消せたらどんなにいいだろう。魔法少女だと知られたくないと言ったかつての花紗里の気持ちが、由にも今は少し分かる気がした。


「あり……がとう。じゃあ、その、そういう感じでお願い」

「う、うん。そういう感じで」


 引きつった笑顔で口にした言葉に、ぎこちない動きで頷きが返る。

 由は彼女に心の中で詫びた。

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