エピローグ

エピローグ

 夏休みはまだはじまったばかりで、太陽の陽射しは相変わらずきつく、蝉は修行僧のように同じ声で鳴き続けていた。

 ナツとソラ、樹と桐子は、ソラの家に向かっていた。家の処置や引っ越し作業、その他諸々の下見のためである。家族が一人増えるというのは、何かと大変なことだった。

 車が高速道路を降りてしばらくすると、あたりには人家よりも田んぼや畑が多く広がっている。山並みの緑が鮮やかで、そこかしこに草木が茂っていた。遠くには白い雪を頂いた高峰が、月に似た姿で霞んでいた。

 ナツは車の窓から、そんな光景を眺めている。ソラが知っているのはこんな世界で、この世界がソラにとってのすべてだった。街のことをあんなに珍しがっていたのも、無理のないところではある。

 やがて、車はソラの家に到着した。それは山のそばに作られた、古風で瀟洒な建物だった。洋風の平屋建てで、木材と石壁が格子状に組み合わされている。墨色の柱と白い壁面が、品のいいコントラストになっていた。ちょっとした別荘といったところでもある。

 家の扉を開くと、中は薄暗く、霊廟を思わせる静かさだった。室内には、数日分の暗闇が埃みたいに堆積している。電気をつけて窓を開けると、部屋の中はようやく一呼吸ついた、という感じだった。

 ソラの案内で一通り家を見てまわると、

「僕らはちょっと細かいところを調べるから、二人は好きにしてていいよ」

 と、樹は言った。

 なら、その辺を散歩でもしようかということで、ナツとソラは家の外に出かけた。

 少し歩いていくと、道はゆるい上り坂になっている。片側には田んぼやため池が広がり、もう一方は雑木林になっていた。木々の影はトンネルみたいに続き、その向こうからは洪水みたいに蝉の声があふれている。

 あの電車でのことが終わったあと、ソラの周囲でおかしなことは起こっていない。例の二人組が出現することも、執行者が来訪することもなかった。おそらく、何かの取り引きが行われたのだろう。ナツにはよくわからなかったが、それも「大人の事情」というやつかもしれなかった。

「……一つ、聞いてもいいか?」

 ナツは歩きながら、ふと訊ねた。

 少し前で懐かしそうにあたりを眺めていたソラは、振り返っている。

「何だ?」

「ちょっとした疑問だよ。たいしたことじゃないけど、それでも一応、疑問には違いない」

 そしてナツは、何気ない調子で言った。

使?」

「…………」

 二人とも歩いたまま、立ちどまろうとはしない。ナツは前を向いたまま、ソラはその少し先で後ろ向きにナツのことを見ながら。

「どうして、そう思うんだ?」

 ソラは特に、肯定も否定もせずに訊いた。

「可能性の一つとして、そういうこともあるっていうだけの話なんだ。何しろ〈運命遊戯〉の魔法は解釈の仕方がいくらでもあるからな」

「ふむ」

「まず、あの二人に捕まって逃げだすときのことだ」

 とナツは解説した。

「あの時、俺の〈幽霊模型〉は普段より力が増してるみたいだった。というより、あの頃からそれは〝完全な魔法〟になりはじめてた気がする。壁に扉を現実化するなんて、いつもなら無理だったかもしれない。セロハンテープも、あそこまでの長さははじめてだった」

 ソラは黙ったまま、何も言わなかった。

「それに〝観測魔法〟でお前のことを探そうとしたときもそうだ。俺のあのコンパスがその補助的な役割をはたしたとはいえ、本当にそれだけだったのか? あれはそこまで強力な魔法でもないし、時間もずいぶんたってた」

「それで――」

 と、ソラは立ちどまって言った。

「お前はどう思うんだ?」

 ナツも坂の途中で、足をとめた。

「つまりお前は、実は魔法使いなんじゃないのか、と思うんだ。〝魔法の効果を強くする〟、そんな魔法が使えるんじゃないかと。そう思えば、あの〈運命遊戯〉がずっと続いていたことの説明にもなるんだよ。そして、すべてがうまくいったことの説明にも」

 ソラはちょっと、目をつむっている。まるで何かに、耳を澄ますように。

「――さあな」

 とソラは再び歩きだしながら言った。

「少なくとも、私は魔法を使えないし、魔法の揺らぎを感じることもない。そのことだけは、確かだ」

「だろうな」

 ナツは釈然としない顔をしながら、ソラのあとに続いた。

「……ただの可能性の話だからな。けど、ただの可能性の話だけど、だからといってお前が魔法使いでないということにはならない」

「無意味な議論だ」

 ソラはそう言って、少し笑ってみせた。

「まあ、十円玉の裏表でイカサマをするくらいだから、そうでもないのかもしれないが」

 肩をすくめるようにしながら、ナツは言う。

「――何だ、気づいてたのか」

 ソラはちょっと意外そうな顔をした。二人が最初に賭けをした、あの時のことだ。

「そりゃあな」

 ナツはそう言って苦笑する。

「何しろ、わざわざ指先に十円玉が乗ってるんだからおかしな話だ。普通なら、手のひらにあるべきなのに。つまりお前は、指先か何かで裏表を判断してから、手首を返して逆にしたんだ。どっちにしろ自分が勝てるように」

「人には運命を決める力があるからな」

 と、ソラはうそぶいてみせた。

 坂道はまだ続いていて、二人は休みもせずに歩いていく。振り返るとずっと下のほうまで道が見とおせて、それなりの高さまで登ってきたのがわかった。

「そうだ、ついでに一つ秘密を教えてやろう」

 不意に振り向いて、ソラはそんなことを言った。

「秘密?」

「うん――〝オルゴール〟だ」

「……ん?」

「それが秘密だ」

 ナツは何だか、よくわからない顔をするしかない。けれどソラは、もうそれで大切な役目は終わったというふうに、また前を向いて歩いていく。

 坂の頂上に到着したらしく、道はまっすぐになっていた。二人が振り返ると、ずっと向こうまで遮るものもなく景色が広がっている。まるで何かを告げそこねたような風が、吹きすぎていった。夏の空は、そのまま紙に写してしまえそうな青さでどこまでも広がっている。

「さてと、予言だと俺たちはこれからどうなるんだ?」

 ナツはひどくどうでもよさそうに、そう訊ねた。

「さあな――」

 ソラはそう言って、ちょっといたずらっぽく笑っている。

「未来のことは、誰にもわからないからな」

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不完全世界と魔法使いたち② ~ナツと運命の魔法使い~ 安路 海途 @alones

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