③ キャラの息吹を感じて

3章③「キャラの息吹を感じて」


 深夜の仕事場で、俺はキャラクター作りを続けていた。

「うーん……」

 しかし、いつもはノリノリで書く設定が、どうにも楽しくない。

 なにを書いてもボツになるんじゃないか――そんな思いが頭をもたげる。

 また先輩が呆れ顔になったり、ため息をついたりしたら……。

 そう思うと、逃げ出したくなってくる。


「ちょっと、休憩するか……」

 なんて言ってみたものの、PCの画面に打ち込まれた文字量はたかが知れている。

 三時間以上デスクに座り続けて、できたキャラのアイデアも二、三案ってところ。

 絶不調というか、スランプというか。


『先生の書くキャラはね、強すぎるのよ』


 キリカ先輩から言われたこと。

 あれがどんな意味だったのか――それがわからない限り、今やっていることも徒労に終わりそうな気がしていた。

 っていうのも、手を動かせてない言い訳だよな。

 でも、こんな気持ちでキャラつくっても、魅力的に仕上がるわけない。


 椅子を立ち上がると、いつのまにか仕事場は真っ暗。

 腕時計機能もついているクリオネを見ると、表示されている時刻は深夜二時。

 丑三つ時ってやつだ。スプラッター好き的には一番元気になる時間なんだけどな。

 今夜は新月の狼男かってくらいにやる気が出ない。


 なーご。

 軽く寝ようと思ったら、ソファをヤヌシが占拠していた。

 あぶね、暗いから気づかずにボフッと飛び込むところだったぜ……。


「お前は、なんの悩みもなさそうでいいよなあ」

 デブいカラダをうつぶせにして、だらだらしまくりで。

 頭をなでると、嫌味を言われたのがわかったのか、ヤヌシは不機嫌そうにブルブルと首を振った。


 この調子だと、どいてはくれなさそうだなー。

 ま、ソファはもうひとつあるし、そっちで寝るか。


「ふふ……、ふふふ……」

 そう思っていると、仕事場の奥から、なんとも不気味な笑い声が聞こえてきた。

 なんだ、なんの声だ……?


「誰かいるのか……?」

「うふふふふふ……」

 おどろおどろしい、女の声だ。ぼうっと仄かな光も灯っている。

 ぞわっ、と背筋が震えた。


 おいおいおい……。

 俺はホラー大好きだけど、ジャパニーズ・ホラーっていうの? いわゆるじめっとした幽霊が出てくるやつはあんまり得意じゃないんだよ。

 夜道歩いてるときも、白粉を塗った髪の長い女にだけは会いたくない。

 血だらけのチェーンソーを振りかざすマスク男なら大歓迎なんだが。


「ヤヌシぃ、ここ事故物件じゃないよな?」

 にゃあああ。

 なに言ってやがるテメエ的な鳴き声。

 だよな、この空間はお前が作り出しているんだもんな。幽霊なんているわけない。

 ごくり、とつばを飲み込み、俺は笑い声の正体を探るべく近くへにじり寄る。


「えへ、えへへ……。おねえさまってば……」


 すると――なんのことはない。そこには、液晶タブレット上でペンを動かしながら薄ら笑いを浮かべているマカロンがいた。


 光っていたのは、タブレットの画面か……。脅かしやがって。

 しかし、気持ち悪いことに変わりはない。いつも無表情にしているくせに、今はよだれを垂らしそうなほど緩んだ顔になってるんだもんな。


「なに描いてるんだ?」

 声をかけると、マカロンはふわふわのパジャマに包まれた肩をびくんと震わせた。

 どうやら俺が後ろにやってきていることに、全然気づいていなかったらしい。


「……へんたい。かってにのぞかないでください」

「いやいや、あんな奇怪な笑い声を部屋に響かしてたら気になっても仕方ないだろ」

「あたしはわらってなんかいません。へんたいとくゆうのげんちょうでは?」

 こいつ。見た目は天使かと思うのに、言うことは本気でかわいくないな。


 これはどうしてもなにを描いていたのか知りたい。ひょいっと背伸びすると、マカロンの肩ごしに液晶タブレットの画面がちらりと見えた。


 描かれているのは、抱き合うほどの至近距離で向かい合っているふたりの女性。

 身長差があって、背が低いほうの女の子が、高いほうを見上げる格好になっている。

 頬は赤く染まり、周囲に散っているのは桜の花びら。


「……それ、お前とキリカ先輩?」

 そういえば、百合っぽい四コマ漫画がメインなんだっけ。

 アクションっぽいイラストもあんなに上手く書けるのに、残念としか言いようがない。


「だれのきょかをえてみているんですか」

 どん、と脇腹に拳が突き刺さる。が、マカロンの非力さじゃ大して痛くはない。

「ふん、効かないぜ。そんな攻撃」

 それこそ、急所でも殴られないかぎりは。

 う、嫌なこと思い出して下腹が痛くなってきた。


「それ、仕事の絵じゃないよな。趣味絵ってやつ?」

「そうですが?」

 マカロンはむっと唇を突き出す。


「いや、別にサボってるって意味で言ったんじゃないぞ?」

「それならゆるしましょう」

 俺、そんな怒られるようなことしてないだろ。


「おねえさまをころしたいふけんぜんやろうとちがって、あたしはおねえさまをあいしたいんです。けんぜんなこころで」

「なるほど。健全だな」


 …………ん? 健全か?

 自分がアブノーマルすぎて、基準がよくわからなくなっているような……。


「だからじゃましないでください。こんやじゅうに、かんせいさせたいんですから」

「ちょっと待ってくれ」

 イラストに戻ろうとするマカロンを俺は引き留める。


「なんですか。まだなにか?」

 むすっとして、俺をにらみつけてくる。

 それが志を同じくする仲間に向ける視線かよ。


「DFCの先輩として、なんかこう……、アドバイスくれないか?」

 頼りたい気持ちはかなり薄れてきてたんだけど、俺は絞り出すように言った。


「アドバイス、ですか」

 毒気を抜かれたように、マカロンが首をかしげる。

「じんかくきょうせいにはでんきしょっくちりょうがゆうこうです」

「ほう。電気ショック治療ね。でも怖くないか」

「あんしんしてください。しぬかのうせいは、ごまんかいにいっかいです」

「意外と低いんだな」

「きせきにかけましょう」

「ちょっと待て。お前今死ぬ方にかけただろ!」


 ………………?


「いや、根本から違う!」

「は?」

「俺が聞きたいのは、創作のほうのアドバイスだから!」

「なんだそっちですか。へんたいをなおしたいのかと」

 普通に考えればわかるだろ! わざとでしかない!

「……ごほん」

 気を取り直して、俺は訊ねる。


「わからないんだよ、どうして俺のキャラがボツになるのか。ほら、マカロンのほうがキリカ先輩との付き合い長いだろ? 編集長OKをもらうためのコツ、みたいなモンがあればこっそり教えてもらえないかな」

「たんじゅんに、とりやろうのじつりょくがないからでは? あたしはあんなにボツだされたことないです」


 うわ、ドヤ顔ムカつく!

 しかし、ここで怒ったらダメだ。

 我慢してでも、なんとかこいつから糸口をつかまなきゃ。

 俺はマカロンの肩をがしっと掴み、向かい合う。


「確かに、俺には実力がない、のかもしれない……」

「…………とりやろう…………。いがいとしんけんにーー」

「この誰にも負けない、内に秘めたありあまる才能を外に出せるだけの実力が……」

「はなしてください。バカがうつります」

「いいや、離さない。話してくれるまで離さない!」

「あたしもはなしてくれるまではなしませんよ」

「離したら話す?」

「しょうがありません。このけがらわしいてからのがれるためには」


 俺が手を離すと、マカロンはふーふーと自分の肩に息を吹きかける。

 怪我したみたいにすんなよ。


「おねえさまがいいたかったのは、リアリティだとおもいます」

「リアリティ……?」

「ええ。アイアンロードでしたっけ? あのキャラ、ぜんぜんリアリティないので」


「いや待ってくれ。リアリティって要するにあれだろ? 実在しそうか、そうじゃないかってことだろ? そりゃアイアンロードがいるわけないだろ」

 アイアンロードは全身金属の改造人間だぜ?

「そんなこと言ったら、『LEOLA』に登場したゾンビ殺しのギースとか、実在しねえじゃん」

 ゾンビ自体、この世に存在しないんだし。

「そういうことでなく」

 マカロンはダメな生徒を持つ教師みたいなため息を返してきた。


「リアリティとは、キャラがいきをしているか、ということです」

「息を……」

「はい。もっといえば、たべているか、ねているか、セックスしているか、ということです」

「セッ……つ、つまり、食欲、睡眠欲、性欲ってことか?」

「はい。どうていやろうならオナニーです」


「なんでお前、そう恥ずかしい単語をスラスラと言えるんだ!? 俺みたいな繊細な少年だと、復唱するのもはばかられるんだが!」

「こんなたんごをはずかしがっていては、ひわいなさくひんはかけません」

「感心すべきか悩む発言!」


 しかし、息だの、三大欲だのがどうして今、出てくるんだ?


「もうじゅうぶんでしょう。ヒントあげすぎました。あたしはあたしのよくぼうをみたすとします。ごー、あうぇい」

 そう言うと、マカロンはタブレットに向き直り、作業を再開する。


 ふむふむ、つまりは欲望に忠実であれ、的なことを言いたいわけだな。

 なるほど、なるほど。


 さっぱりわからん。



「……なるほど。わかる気がするなあ」

 翌日。放課後前のホームルームを控えた教室。

 キリカ先輩やマカロンからもらった指摘について聞いてもらうと、メアはうんうんとうなずいた。


「またまた。わかったフリしちゃって、メアってばよー。知ったかぶりしなくてもいいんだぞ」

「モゲルってたまにメチャクチャ失礼だよね」

 むっと太い眉を寄せるメア。


「ていうか、モゲルにボク以外の友達がいたんて驚きだよ。しかもそんなアドバイスまでくれるようなさ」

「それこそ失礼だな。俺の交友関係はお前が思うより広いんだよ」

 もちろん、誰に指摘をもらったのかは伝えてない。無料コンテンツ撲滅委員会のことは内緒だからな。


「ボクね、子供の頃からマンガ書いてたじゃない?」

「ああ」

 俺はメアの幼なじみだし、もちろん知ってる。

 ほんとに毎日、息をするようにノートに落書きをしているような女の子だった。


「昔から面白かったよな、お前のマンガは」

「モゲルはボクの一番の読者だったよねー」

 メアは爽やかに笑う。


 過去形で言うけど、俺自身は今でも一番の読者だって思ってるぞ。

 残念なのは、発禁法が施行されてからはメアの「本当に描きたいもの」が読めていない、そんな気がすることだけだ。


「でもね、ある日ボクのマンガをお母さんに読んでもらったらさ、『私は好きになれない』って言われたんだ」

「マジかよ。あの優しいおばさんが?」

 家に遊びに行ったらいつもお菓子とジュース出してくれるおばさん。

 うるさくしても、怒られたことなんて一度もない。メアが部屋の壁に落書きしたときだって、全然怒らなかったって聞いたこともある。

 おばさんが、娘を、娘の作品を否定するようなこと、言うはずないと思うんだが。


「なにが気にくわなかったんだよ。お前、俺が顔負けするようなスプラッター作品でも描いてたのか?」

 それなら娘の嗜好を心配するのもわかるけど。

「いやいや、ボク、モゲルみたいなダメ人間じゃないから」

「うっせ」

 ツッコミにちょいちょい俺に対する攻撃を織り交ぜてくるな。


「じゃあ、あれか。お前が大好きなホモをーー」

「描いてないってば! 仮に描いてたとしても親には見せないから!」

 顔を赤くして否定するメア。

 この反応……。こいつ、描くことは描いてやがったな。

 なんて早熟なやつだ!


 メアは胸を押さえて落ち着きを取り戻すと、言う。

「母さんはこう言うんだよ。『だって、あなたの書くキャラクターって、ご飯食べてないじゃない』って」


 …………は?

 ご飯を食べるシーン?


「そりゃ、おばさんがおかしくないか? そんなシーン描かないのが当然だろ。朝起きて、モーニングを食べて、家を出る、なんてシーンを書くのは愚の骨頂なんだから」

 盛り上がりに欠ける日常シーンは、読者からしたら退屈以外の何物でもない。

 物語をそんな日常からスタートさせてしまうなんて、初心者にありがちなミス、創作者がやってはいけないことリストのトップに載るようなことだ。


「そうだよね。この大して役に立つこと教えてくれない学校でさえ、そう教えるくらいだし」

 メアもなかなか言うな。


「でもさ、ボクはそう言われて気づいたんだよ。そもそもボク、キャラひとりひとりがそうやって生きていることに想いを馳せていたのかなって」

 俺は、ハッとさせられる。

 今、メアが言ったことは俺にも当てはまることだ。


 昨日、マカロンに『キャラが息をしているか』と言われたとき、ピンと来なかった。

 三大欲について語られても、なにを当たり前のことを、と心のどこかで思っていた。

 でも、違う。


 当たり前だと思ってしまったってことは、意識していなかったってことだ。

 意識していないから、出来てもいない。


 そして、同時に思ったことがある。


「なんか、すごい話だな……」

「ん?」

「だってそうだろ。そういう厳しいことを言うってことは、おばさん、お前が子供のときからプロを目指すって思ってたってことじゃん。じゃなきゃ、娘の描いたマンガだぜ? なにも考えずに面白い面白いって返すだろ」

「だよね。今だからこう穏やかに話せるけど、当時はケンカになってしばらく母さんと口きかなかったよ」

 そうなるわな。親に否定されたら、子供はグレる。


「ふーむ……」

 俺は考え込む。

 最初のとっかかりは掴めた気がする。

 でも、どうキャラづくりに反映する?


 まさかキャラシートに「カレーを食べてます」「睡眠時間は六時間」「オナニーは二日に一回」と書くわけにもいかない。いや、書いてもいいんだけど、それだけでキリカ先輩が通してくれるわきゃない。

 んー、あと少しで、先輩の意図が理解できそうな気がしているんだけどなあ……。


「モゲル、溝渕先生来た」


 没入が深くなりかけたとき、教室に担任のハゲ、溝渕が入ってきた。

 ホームルームが終われば、またDFCの仕事場に直行。そこで改めて考えればいいか。

 いやまあ、溝渕が大した話をするとも思えないんだけど、ホームルームで話を聞いてなくて怒られるのもバカらしいしな。


「ところで諸君は『無料コンテンツ撲滅委員会』という集団を知っているか」

 そんな適当な態度で聞いていたから、俺は溝渕の口から出た言葉に仰天した。

 ……え、なんでDFCの話がいきなり出てきた!?


「なんですか、それ」「知りません」などとクラスメイトたちが声をあげる。

 前に座っているメアはーー硬直してる。

 メアはメアで、自分が違法コンテンツを読んでいることがバレたのでは、と思っているようだ。


 俺の正体がバレた、わけじゃないよな?

 溝渕の視線は、特定の誰かに向けられているわけじゃない。

 それに、罪を糾弾するような口調でもない。

 

 落ち着け。もし正体がバレたんなら、特殊検閲官たちが取り押さえにくるはずだ。

 大体、このクラスにはまさにその役割を持つ女ーー道明寺シイナがいるんだから。


「すでに報道を知っている者もいると思うが」

 溝渕は続ける。

 ん、報道ってなんだ?

 無料コンテンツ撲滅委員会が、報道されたって言ってるのか?


 なワケないだろ。

 だって、俺たちはおおっぴらに宣伝できないからこそ、ビラのバラまきなんかをやってるんだぜ?

 発禁法違反の集団、とか報道されれば、興味を持った人がサイトをのぞいてくれる。必然的にそのうちの何割かは読者に変わるから、俺たちにとっては得。

 そんなの、検閲省がわからないはずもないし、許すわけもない。

 

「無料コンテンツ撲滅委員会とは、創作レジスタンスを名乗りながら、その実態は詐欺集団だ。金を奪われたくなければ、決してクレジットカードの番号などを登録したりしないように」

 溝渕はそう言うと、持っていた資料を机の上でトントンと整える。


「今日のホームルームは以上だ」

「あの、どういうことですか?」

 メアが手を挙げながら立ち上がる。

 ナイス。俺の代わりに訊いてくれるなんて、さすが我が幼なじみ。


「ん、まさか新堂君。そこのコンテンツを読んでいたわけではあるまいね?」

「ま、まさか」

 焦って、ぶんぶんと手を振り否定するメア。


「無料コンテンツ撲滅委員会は、有料な違法コンテンツを配信している集団らしい。それだけでも許されないが、彼らは読者から本来定められている料金よりも高い、法外と言ってもいい金額を引き落としているとのことだ。全く、腹立たしい犯罪者たちがいたものだよ」


 一丁前に義憤を感じている様子で、溝渕は説明する。

 信じられない、許せないよね、と次々に同調するクラスメイトたち。

 特に検閲官志望のやつらはチャラチャラとした正義感を振りかざし「俺がプロだったら、捕まえてやるのにな」とか言ってやがる。


 まあ……、犯罪を咎められるのは、わかる。

 理不尽だとはいえ、現行の発禁法に違反しているのは確かだからな。


 でも、詐欺って? 読者からお金を騙し取っているって?

 そんなこと、キリカ先輩がするはずない。

 自分たちのコンテンツにこだわりを持っているDFCのメンバーが、許すはずがない。


「アハッ。わざわざ無料コンテンツ以外を読みにいって、お金をくすね取られるなんてお気の毒さまな人もいたものね」

 そこで愉快そうに笑い出したのはーー道明寺シイナだった。


「でも、その被害者も、発禁法を破っていた犯罪者ってことでしょう? そりゃ、騙されるほうも悪いわよねぇ」


 DFCへの批判に加わっていない俺とメアに、ニヤニヤとした視線を向けるーーその勝ち誇った表情に、俺は全てを悟る。


 全部お前の仕業だな、道明寺シイナ。

 俺は沸き上がる怒りを叫ぶに変えることもできず、拳を握りしめるしかなかった。

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無料コンテンツ撲滅委員会 羽根川牧人 @hanekawa

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