[本文]第十五席

睡眠すいみんじゅつと云って相手あいてを眠らしてしまおうとう、ただいま催眠術さいみんじゅつと同じようなものでございましょう。忍術にんじゅつって姿をかくし、こう大寺だいじ庭前ていぜんに忍びみました三宅みやけ宮内くうない丁度ちょうど大助だいすけ幸安ゆきやすがおりまする座敷ざしきの縁の傍まで来ましたが、指でいんむすび口に呪文じゅもんとなえますと、大助だいすけ幸安ゆきやす身体からだに眠気がさして来ました。何時いつとはなしにひざについて見台けんだいの上に頭が下ってしまいました。そばにいました穴山あなやま小助こすけもそのとおり、ウツラウツラとして来ましたから、小助こすけ


小助こすけ「ハテななぜこんなに眠たいのかしらん」


大助だいすけると、コックリコックリと居眠いねむっておますから、


小助こすけ「さては愈々いよいよ曲者くせものが来ておるな。庭前ていぜん睡眠すいみんじゅつを使っておるに相違そういない。猪口才ちょこざい千萬せんばんなり」


大助だいすけ幸安ゆきやすひざを突いて、


小助こすけ軍師ぐんし居眠いねむってはいけません。曲者くせものが来ておりますから先程さきほどもうしたやつをおとなえなさい」


大助だいすけ「オオ、如何いかにも承知しょうちに及んだ」


早々そうそう呪文じゅもんをおとなえに相成あいなります。穴山あなやま小助こすけおいては一所懸命いっしょけんめい呪文じゅもんとなえて、むこうの術をもどしております。それゆえ三宅みやけ宮内くうないの方には少しも術の手応えがない。宮内くうないおどろきましたな。


宮内くうない「はテな。どうも不思議ふしぎだ。日本にほん名代みょうだい軍師ぐんしになると術を施しても利かぬと見えるな。どうもおかしい」


一所懸命いっしょけんめいに術を使いまするが、いくらはげしくやっても駄目だめでございます。やればやるほど術はとけてしまう。いくら術を使っても相手あいてが寝てくれねばなにもならぬ。こりゃ駄目だめだ、残念ざんねんながら帰ることにしよう、とうしろをこうとしたその気配けはいが、穴山あなやま小助こすけに解りましたから、


小助こすけ軍師ぐんし、どうやら曲者くせものは帰るよう具合ぐあいでございます」


大助だいすけ「帰らしてしまってはなんにもならぬ。る工夫はないか」


小助こすけ「それでは軍師ぐんし、少し居眠いねむりなさい。私が付いておりますか大丈夫だいじょうぶでございます」


大助だいすけ「それでは万事ばんじ頼むぞ」


小助こすけ「かしこまりました」


そこから大助だいすけ幸安ゆきやす殿どのには術にかかって、見台けんだいに頭を擦り付けて眠ってしまいましたが、穴山あなやま小助こすけにおいては忍術にんじゅつってパッと姿をかくしてしまい、扇子せんすの上ににぎこぶしをおいて、曲者くせものせたらっ捕えてくれんと、座敷ざしきの隅の方に姿を消してひかえております。


宮内くうないにおいては一旦いったん帰ろうとうしろをきましたが、グウグウと鼾声いびきが聞えますから、戸の隙間すきまから内を覗いてみますと、真田さなだ大助だいすけ見台けんだいの上に頭を付けて寝ておる様子ようす、隣の座敷ざしきでもグウグウとう鼾、これは荒川あらかわ熊蔵くまぞう穴森あなもり伊賀いがのかみでございまするが、この方は睡眠すいみんの法を行なわんでもよく眠っております。三宅みやけ宮内くうないはこれをながめて、


宮内くうない「サアどうなりこうなり術が利いたらしい。モウ大丈夫だいじょうぶだ」


忍術にんじゅつって内にプイと入って来ました。部屋へや云々をるとうと荒川あらかわ穴森あなもりらしいのがグウグウ高鼾たかいびきで眠っている。此方こちら座敷ざしきには書見しょけんをしていた武士ぶし見台けんだいに頭を付けて寝ている様子ようす


宮内くうない「ウム、確かに大助だいすけ幸安ゆきやすに違いない」


と、一刀いっとうをズラリとき《ぬ》抜きに及びましたが、エイヤと振りかぶるや否や大助だいすけの首を望んでくだして来ましたから、これを見て取った穴山あなやま小助こすけは、手許てもとへ飛びむがはやいか宮内くうないの利きをウンと許りにき捕みに及びまして、肩に担ぐやズドンと投げ付けた。宮内くうないおどろいたの驚かないのって、


宮内くうない「イヤ失策しまった。やりそこなったかッ」


と思いました事故ことゆえ、口に呪文じゅもんとなえて、九字を切ると、パッと姿を消した。片手かたてに刀をっ下げて、そのままスウ……と煙かように逃げ出してしまする奴を、同じく穴山あなやま小助こすけように姿を消したまま、逃しはやらぬと音もさせずにうしろからけました。しかるに宮内くうないにおいては縁側えんがわからにわ先へ飛び降りましたから、小助こすけにおいても同じくにわ先に飛び降りましてございまするが、大助だいすけ幸安ゆきやすはパッと目を見開ひらき、


大助だいすけ穴森あなもり荒川あらかわ両名りょうめいはやく起きろ。曲者くせものが忍びんだぞよ」


と呼びましたから、荒川あらかわ穴森あなもり両名りょうめいは、「なに曲者くせものッ、こりゃ大変たいへんだ」とガバと飛び起きるや否や、側にあったる大刀たいとうっ下げて、


熊蔵くまぞう曲者くせものはどこにおります」


大助だいすけ「今、縁の外に逃げ出した」


熊蔵くまぞう「そりゃ大変たいへん、逃しては相成あいならぬ」


縁側えんがわへ出ましたが、大助だいすけ幸安ゆきやすには雪洞ぼんぼりけて、


大助だいすけ荒川あらかわ、そこにおるからはやせい」


熊蔵くまぞう「どこにおります」


大助だいすけ「それまえ組討くみうちをいたしておる」


熊蔵くまぞう「どこに組討くみうちをやっております」


見えぬも道理どうり、ただ大助だいすけのみは呪文じゅもんとなえておりますから姿が見えるが、荒川あらかわ穴森あなもり両人りょうにんにはチッとも見えない。彼方かなた此方こちらをキョロキョロ見回みまわしております。


大助だいすけ坊主ぼうず貴様きさまには見えるか」


伊賀いが「どこにおるのか一向いっこうに見えぬ」


大助だいすけ「困った奴だな。貴様きさま足許あしもと組討くみうちをしておるのが見えぬか」


熊蔵くまぞう「なにもいません」


大助だいすけ「それ、今左に回った。それそれ泉水せんすいへ嵌る」


熊蔵くまぞう泉水せんすいへ……どうもおかしいな。一向いっこう見えません」


うておりまする間に、穴山あなやま小助こすけ三宅みやけ宮内くうない両人りょうにんは四つに組んでくんづもつれつしいたしておりましたが、到頭とうとう傍の泉水せんすいの中へザンブリ嵌りんでしまいました。水の中においては如何いかなる術も消えてしまいます。バタバタ音がいたしますから荒川あらかわ熊蔵くまぞうこれをながめて、


熊蔵くまぞう「オヤオヤ……だれかと組討くみうちをいたしておるな。術を使って姿を消すなんて、両人りょうにんとも怪体けたいな奴だ」


泉水せんすいの傍で頑張がんばっておりまする中、両人りょうにんの者は水上に浮き上がって来ましたから、荒川あらかわ熊蔵くまぞう両人りょうにんえりがみを掴んでにわ先にき上げました。熊蔵くまぞうの大力につかまれては逃げることもどうも出来できません。両人りょうにんとも大地だいちき連られました。


大助だいすけ「コレころしてはいかんぞ。りにいたせ」


熊蔵くまぞう大丈夫だいじょうぶでございます。一偏いっぺんころしておりますから、今度こんどりにいたします」


大助だいすけ一人ひとり仲間なかまじゃ。手放してやれ」


熊蔵くまぞう「どちらでございます」


熊蔵くまぞうにおいては穴山あなやま小助こすけが来ているとは夢にも知りません。ことに夜目でございますから、雪洞ぼんぼり灯明とうみょうだけでは急に解りそうなことはございません。このとき穴山あなやま小助こすけが、


小助こすけ荒川あらかわおれじゃ。そのを話してくれ。そうおさけられては息が出来できん。荒川あらかわおれじゃ」


荒川あらかわ「なにおれ名前なまえを知っているそのほうだれじゃ」


小助こすけ「解らぬか。おれじゃ」


荒川あらかわ「解らぬ」


小助こすけ穴山あなやま小助こすけじゃ」


荒川あらかわ「なに、穴山あなやまか。なるほど小助こすけに違いない。いつ来た」


小助こすけ「そんな挨拶あいさつはどうでもいい。はやく放してくれ」


荒川あらかわ「よし心得こころえた」


を放しましたから、小助こすけは起き上がりました。


大助だいすけ荒川あらかわ、その曲者くせものを逃すでないぞ」


荒川あらかわ心得こころえた。逃しはせん」


熊蔵くまぞう宮内くうない背中せなか馬乗うまのりに相成あいなりまして、


熊蔵くまぞう「こりゃどうじゃ。往生おうじょうしろ。何者なにものに頼まれて参ったのか白状はくじょうしろッ」


えりがみを捕えて押さえ付けましたから、大助だいすけはこれをながめて、


大助だいすけ荒川あらかわ、手荒いことをしてころしてはいかぬぞ」


荒川あらかわ大丈夫だいじょうぶでございます」


いながら、覆面ふくめん頭巾ずきんいたしておりまする宮内くうないの顔にを合てて、頭巾ずきんきめくってしまいました。


熊蔵くまぞう「こら何者なにものに頼まれて軍師ぐんし生命いのちを取りに参った。はや白状はくじょうに及べば生命いのちは助けてやる」


三宅みやけ宮内くうない最早もはや助からぬ所でございますから、生命いのちはないものと定め、決して白状はくじょうに及びません。


宮内くうない御免ごめんください。実は泥棒どろぼうに入ったので……」


熊蔵くまぞうだまれ。金を取る泥棒どろぼうはあるが、生命いのちを取る泥棒どろぼうがあるか。かさぬ時にはこうしてくれるぞ」


と栄螺のよう拳骨げんこつを振り上げてボカンとらわした。この拳骨げんこつでやられたら眼の玉は飛び出してしまいます。これをながめた穴山あなやま小助こすけは、


小助こすけ「オイ、荒川あらかわ、打ってはわるい。ころしてはなにもならぬから……」


熊蔵くまぞう大丈夫だいじょうぶだ。今度こんどころしはせん。少し加減かげんがしてあるから……どうだ曲者くせもの、チッとはこりたか。サアだれに頼まれたかはや白状はくじょうしてしまえ」


幾ら云っても返事へんじいたしませんから、


熊蔵くまぞう「こりゃ曲者くせもの返答へんとうをしろッ」


いながら、宮内くうないの顔を覗いてみますると、自ら舌を食い切ったものか、それとも熊蔵くまぞうに殴られた拍子ひょうしに舌を噛み切ったものか、タラタラ血を流しておりますから、熊蔵くまぞうおどろいて、


熊蔵くまぞう軍師ぐんし曲者くせものは口から血を吐いております。舌を食い切ったものと見えまして……」


大助だいすけ「そりゃ大変たいへんだ」


大助だいすけ幸安ゆきやすは傍に飛んで来て見まするとうと、早や死んでおりますから、


大助だいすけ荒川あらかわ、そのほう横面よこづらたおしたから、それに吃驚びっくりして舌を噛んだものだろう。折角せっかく証拠しょうこ物をころしてしまってはなんにもならぬ。ヒドい事をしたものだ。本当ほんとうにそのほうはしょうのない奴だ」


熊蔵くまぞう軍師ぐんし、なにもころす気はございません。あま白状はくじょうをしませんから、余程よほど手加減かげんをして殴ったので……」


大助だいすけ「そのほう手加減かげん一向いっこう目安にならぬ。とにかく、裸にいたして調べて見よ」


それから三宅みやけ宮内くうないを裸体にして調べてみましたが、別に証拠しょうこの品とうものは持っておりません。よんどころないから大助だいすけは、


大助だいすけ「惜しい証拠しょうこ物をなくしてしまったが、いたし方はない。夜が明けたら町奉行まちぶぎょうの方へき渡してしまえ」


う。そこで夜の明けるのをちまして、京都きょうと町奉行まちぶぎょうもうし上げました。町奉行まちぶぎょう松平まつだいら兵庫ひょうごのかみから所司代しょしだいに通知になりまして、早々そうそう死骸しがいは取り方付けということになり、それですまんでしまいましたが、大助だいすけ幸安ゆきやすにおいては一条いちじょうこうやしきに参って、この事を物語ものがたりりになりますると、


道友みちとも「ははァ、さては閉門へいもんにを喰った公家くげが、左様さよう謀計ぼうけいをしたに違いない。しかし無事ぶじ結構けっこうであった。まだ江戸えどより沙汰さたがないが、いずれその内にうてるであろうから、しばらく待っておれ」


うお言葉ことばでございます。よって大助だいすけこう大寺だいじにあって沙汰さたを相待っておりましたが、その中に吾妻あづまの方から御所ごしょの方へ豊臣とよとみ秀頼ひでより十万石じゅうまんごくって大阪おおさかつかわす墨付すみつき受渡うけわたしたに毛頭もうとう相違そういないとう事をもうしてまいりましたか、大阪おおさか贔屓びいき一条いちじょうこうはお喜びに相成あいなり、早速さっそく奏聞そうもんたてまつりまするとうと、綸旨りんじと共に墨付すみつきが下ってまいりました。


それから一条いちじょうこう大助だいすけを招いて御所ごしょおいても大阪おおさかにて十万石じゅうまんごくをおゆるしに相成あいなった。早速さっそく薩摩さつまに立ち帰るがよかろうとうお言葉ことばでございますから、大助だいすけ幸安ゆきやすの喜びは一方でございません。万万ばんばんお礼をもうしてこう大寺だいじかえり、しらばく京都きょうとにおりまして、この上は急ぎ薩摩さつまに立ち帰ろうと、京都きょうとをば四人連れで発足はっそくに及びました。

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