[本文]第十四席

彼の曲者くせものは、


曲者くせもの「ハテナ、今手が鳴った様であるが……」


と当りを見回みまわしましが、だれもおらぬ様子ようすでございますが、


曲者くせもの「さては不寝ねずばんがおるわい。こりゃかなわん」


と思ったか、曲者くせものはドンドン逃げ出しました。これをながめた荒川あらかわ熊蔵くまぞうは、


熊蔵くまぞう「捕り逃しはやらぬ。曲者くせものてッ……」


いながら、スックとばかり突っ立ち上りましたが、あわものでございまするから、えんしたにおったことをわすれてしまっている。ウンと頭を持ち上げたからお縁側えんがわの板を突き破って、顔を縁の上にした。


熊蔵くまぞう「アア痛い。つらかわがむけそうだ。エエイ忌々しいッ」


うと縁の板をき抜いてしまいました。そのまま縁から飛び出して、


熊蔵くまぞう曲者くせものッ、てッ」


けましたから、彼の曲者くせものはモウ仕方しかたないと思ったか、此方こちらくと熊蔵くまぞう曲者くせものッと飛びかかってくるのをかわしておいて、抜く手もせず一刀いっとうさやを払ってズンと切り下ろして来ました。熊蔵くまぞうもさるもの、たりやおうと体をかわしましたが、おぼえの大刀たいとうズラリとき抜いて身構みがまえに及んだ。


しばらくのあいだ火花ひばなを散らして戦う。上にあるかと思えば下になる。一上いちじょう一下いちげ五花ごか八花はっか秘術ひじゅつを尽して戦いましたが、彼の曲者くせもの中々なかなか腕前うでまえと見えまして勝負しょうぶがつきません。熊蔵くまぞう最早もはやじれったくなりましたから、


熊蔵くまぞう「サア曲者くせもの太刀たちちでは勝負しょうぶが付かぬ。組討くみうまいれ」


うむとこたえて彼の曲者くせものも剣を放って、たがいにエイヤムンズと四つに組みましたが、しばらくのあいだは上になり下になり揉みっておりましたが、熊蔵くまぞう力量りきりょうや勝りけん、到頭とうとう曲者くせものおさけてしまいました。


熊蔵くまぞう「サアアどうだこの野郎やろう非情ひじょうほねらせやがった。軍師ぐんしの云ったとおりなかなかつよやつだ。サア往生おうじょうしろ」


曲者くせものなんともわぬ。覆面ふくめん頭巾ずきんで顔をかくしている曲者くせものたぶさの毛をっ掴みました荒川あらかわ熊蔵くまぞう


熊蔵くまぞう「コリャ返答へんとうをしろ。かくう我は荒川あらかわ熊蔵くまぞううものである。下調べとう事はどこでもあるか、これから下調べをしてやる。サァ何者なにものに頼まれて参ったか白状はくじょうしろッ。うむ、一度いちど面を上げい」


と頭を掴んで首を下から捩じ上げたから堪りません。首の骨がポキンと云った。


熊蔵くまぞう「コリャ面を上げい。一度いちど改めてやるから……」


と二本の指をってたこの頭をひっくり返す様に覆面ふくめん頭巾ずきんきめくってると、ほほひげあごひげを生した立派りっぱな男でございます。


熊蔵くまぞう「うむ、はや白状はくじょうせい。わんとあらばこうしてくれるから……」


と握り堅めた拳骨げんこつでポカンとらわしたから、熊蔵くまぞう拳骨げんこつにかかったらかないません。ウウン……とうと死んでしまった。熊蔵くまぞうはそれともらず、


熊蔵くまぞう「どうだ痛いだろう。まだかざる時においてはなぐころしてしまうぞ。サアどうだ返答へんとうに及べ。こりゃ曲者くせもの何者なにものに頼まれて参ったか白状はくじょういたせ」


たぶさを持ってまわしたが、ふとると歯が五六本折れてグンニャリしておるから、


熊蔵くまぞう「サア失策しまった。とうとうころしてしまった。此奴こやつッをころしてしまったらなにもならぬ。エライ事をした」


と云っておりまするところへこの物音ものおとき付けて、一条いちじょう家来けらいが駆け付けてきました。


○「荒川あらかわ殿どの、どうなさいました」


熊蔵くまぞう「いや大丈夫だいじょうぶやっつけました」


○「じゃあ縄にけましょう」


熊蔵くまぞう「なに逃げる気遣きづかいはござらぬ。うっかりなぐころしてしまった」


○「それは大変たいへん


灯を持ってよくよく見ますると、曲者くせものうのはたまは飛んでしまい、歯は折れてしまっている。


○「どうもひどいことをなさいました」


熊蔵くまぞう「どうもいたし方ござらぬ。どうか後はよろしくおねがもうす。さらば御免ごめん……」


うと荒川あらかわ熊蔵くまぞう旅館りょかんに戻って来ました。


熊蔵くまぞう軍師ぐんしただいま帰りました」


大助だいすけ「うむ荒川あらかわか。ご苦労くろうだった。どうであったな。見れば顔を擦剥すりむいておるでないか」


熊蔵くまぞう「実はえんしたから飛び出す途端に頭で縁を突き上げましたので……」


大助だいすけあわものだな。曲者くせものは出たか」


熊蔵くまぞう「出ました。ところがおおせのとお中々なかなかつよやつ太刀たちちでは勝負しょうぶはつきませんから、組討くみうちをやりました」


大助だいすけ「うむ」


熊蔵くまぞう「とうとう捕り押さえまして、なんでもって帰らなければならんと、首を捩じ上げて下調べをやりました」


大助だいすけ「うむ。白状はくじょうしおったか」


熊蔵くまぞう中々なかなか白状はくじょうをしません。そこで拳骨げんこつって横面よこづらりました」


大助だいすけ「ヒドい事をするな。ころしてはいかんから……」


熊蔵くまぞう「ところが軍師ぐんし、なんです、横面よこづらたおしたのでとうとうたまが飛び出して死んでしまいました」


大助だいすけ「オヤオヤそれではなにをしに行ったのか訳が分らぬ」


熊蔵くまぞう「なに。あまりむこうがよわすぎましたから……」


大助だいすけよわすぎるということがあるか。ヒドい事をしたものだ。と云っていたし方はない。死人しにん口無くちなしだから、いずれなんとか沙汰さたがあろう」


うので、そのまま沙汰さたを待っておりました。


所が此方こちら一条いちじょうさきの関白かんぱく道友みちともきょう曲者くせもの死骸しがいを改めて見ましたが、書付かきつけもなにも持っておりませんから、何者なにものに頼まれた者とも相分あいわかりません。いたし方ないから所司代しょしだい板倉いたくら伊賀いがのかみ死骸しがいき渡しました。しかるにこの事を聞いた近衛このえ関白かんぱく種家たねいえきょうは、


種家たねいえ「こりゃいかん。仕方しかたがないからこの上はいまあいだ大助だいすけをぽい返してしまわねばならぬ」


う所から早速さっそくの事で板倉いたくら伊賀いがのかみもうし付けまして、三名さんめいの者は明日あす広書院ひろしょいんまで出頭しゅっとうせよと指紙さしがみを付けました。


伊賀いがのかみから真田さなだ大助だいすけの方へ通知がありましたから、大助だいすけ幸安ゆきやすを初め三名さんめい広書院ひろしょいん参殿どのに及んだ。その時の御取調べ役は二条にじょう左大臣さだいじん殿どのでございます。


左大「大助だいすけ折角せっかくであるが墨付すみつきけは京都きょうとおいてお取り上げに相成あいならぬ。その訳如何なんとなれば、大阪おおさかには大罪たいざいがある。とうのは慶元けいげん両度りょうどの戦いに一天いってん万乗ばんじょう大君おおきみ許可きょか相成あいならぬ大砲たいほうを放したことがある。これがために余程よほど宸襟しんきんを悩まし奉った。その罪は実に重大じゅうだい、よって大阪おおさかにて十万石じゅうまんごくてることは相成あいならぬ。墨付すみつきは取り上げるから左様さよう心得こころえろ。目通めどおりかなわぬ。退さがりおれッ……」


うことになりました。このとき大助だいすけ幸安ゆきやすはニンマリお笑いに相成あいなって、


大助だいすけうかがい上げたてまつります。しからば慶元けいげん両度りょうどの戦いにおそれ多くも許可きょかを得ないで大砲たいほうを放した罪があるから、大阪おおさかにて十万石じゅうまんごくてぬというお言葉ことばでございまするか」


左大「如何いかにも左様さようだ」


大助だいすけ「これは面白おもしろきことをうけたまわります。如何いかにも大阪おおさかに罪がありますれば十万石じゅうまんごくって無理むりてて頂こうとは存じませぬ。しかしながら大砲たいほうを放った罪があるともうされては残念ざんねん慶元けいげん両度りょうどの戦いには如何いかなる大砲たいほうを用いましたか、どうかおおおせをねがいまする。大阪おおさかには加藤かとう清正きよまさ公が朝鮮ちょうせんより持ち帰りました身連体しんれんたい国崩くにくずし大砲たいほう、及び真田さなだ一流いちりゅう張抜筒はりぬきづつを用いましたが、これは特に御許おゆるしをねがってありまするはず、斯様かような事をもうし上げてはおそれ入りますが、大名だいみょう同士どうし合戦かっせんにお公家くげ方においては、なにが為に依怙えこを遊ばしました。我が親父おやじ真田さなだ幸村ゆきむらちゃ臼山うすやまめ入り、正に徳川とくがわ家康いえやすらんといたしたる際、ちゃ臼山うすやまの頂には蜀紅錦しょっこうにしき御旗はたが翻っております。この御旗はたむかって矢を向けては朝敵ちょうてきでございまする。よって朝敵ちょうてき汚名おめいこうむっては残念ざんねんにございまするから、そのまま豊臣とよとみ秀頼ひでより薩摩さつまに落ちましでございまする。大名だいみょう同士どうしの戦いに依怙えこ沙汰さたはこれありますまいに、何故なぜあって徳川とくがわにお味方みかたを遊ばしました。大助だいすけ幸安ゆきやす、この御返答ごへんとううけたまわりとうございます」


と、これから大助だいすけ難波なんば戦記せんき神代かみよまき到頭とうとうと述べてました。これが為に二条にじょう左大臣さだいじんもなんとうてよいやら、返答へんとうにググッと詰っておりまするところへ、お上りに相成あいなりましたるは一条いちじょうさきの関白かんぱく道友みちともきょうでございまする。この体を御覧ごらんになって道友みちともきょうは、


道友みちとも「コレ無礼ぶれいであろう。大助だいすけ、ここをなんと心得こころえておる。広書院ひろしょいんおい大声おおごえはなつとは無礼ぶれいであろう。何事なにごとであるか、なお一度いちどもうしてみよ」


うお言葉ことばがかかりましたから、


大助だいすけ「実はこれこれ斯様かようおおせにございますから、おそれながら斯様かよう云々ともうし述べましたる次第しだいにございまする」


道友みちとも「ウフン、左様さようか。如何いかにもそのほうもうとおり、早速さっそく奏聞そうもんたてまつるから、暫時ざんじひかえておれ」


そこから道友みちともきょうから奏聞そうもんたてまつりますと、おそれ多くも聖上せいじょうには、そのほうよきにはからえとおん勅定ちょくじょうでございますから、道友みちともきょうはお退さがりになりましたが、徳川とくがわ加担かたんいたした公家くげしゅう、ことに自分じぶん殺害さつがいいたそうとした連中れんちゅうも、ほぼ見当けんとうが付きましたから、ここに九十八名という公家くげしゅうに残らず閉門へいもんもうし付けてしまった。お公家くげさんも好いつらかわでございます。道友みちともきょうはそれより大助だいすけ幸安ゆきやすちかくおまねきに相成あいなりまして、


道友みちとも大助だいすけ、この墨付すみつき二代にだい将軍しょうぐん秀忠ひでただよりくだしたものに毛頭もうとう相違そういないか」


大助だいすけ左様さようにございまする」


道友みちとも「よし。一度いちど勅使ちょくしてて取調べる間、暫時ざんじひかえておれ」


大助だいすけ委細いさい承知しょうちいたしました」


道友みちとも「してただいまどこを旅館りょかんいたしておる」


大助だいすけ三条さんじょうとお中島なかじまおお三右衛門さんえもん方に泊りおりまする」


道友みちとも左様さようか。旅人宿りょじんやどにては窮屈きゅうくつであろう。こう大寺だいじ故太閤たいこう秀吉ひでよし政所まんどころ八重やえ菩提所ぼだいしょであるから、そこを旅館りょかんいたせ。当方とうほうからこう大寺だいじもうしつかわしておくから……」


大助だいすけ「ははッ、ありがとう存じまする」


そこで大助だいすけ幸安ゆきやすを初め三名さんめいの者は、こう大寺だいじへお移りに相成あいなりました。


しかるにおはなし変りまして、閉門へいもんらいました九十何名の公家くげしゅうでございまする。寄り合って協議きょうぎいたしましたる所、大助だいすけ薩摩さつまへ帰したなれば、徳川とくがわ義理ぎりが立たぬから、一条いちじょうこうから墨付すみつきの許しを受けぬその前に、大助だいすけってしまわなければ相成あいならぬ。どうしたらよいか、こうしたらよいかと種々しゅしゅ評議ひょうぎいたしましたが、ここに同じ明智あけち浪人ろうにんでありました名前なまえ三宅みやけ宮内くうない名前なまえこそおかしいが腕は中々なかなか大したもの、ことに睡眠すいみんの法に長じた男でございます。頭になった難波なんば中納言ちゅうなごんが、


中納「宮内くうない、そのほう今晩こんばんこう大寺だいじに忍びんで、真田さなだ荒川あらかわ穴森あなもり三名さんめい首尾しゅびよくって立帰たちかえれ。三名さんめいりなば吾妻あづま将軍しょうぐんもうて、一万石いちまんごく大名だいみょうに取りててつかわす」


宮内くうない如何いかにもうけたまわりました。如何いかに幾ら軍師ぐんしでも忍術にんじゅつってやればれないことはございません。今晩こんばん間違まちがいなく忍びむことでございましょう」


中納「うむよくぞもうした。それでは用意よういに及べ」


宮内くうない委細いさい承知しょうちいたしました」


そこで三宅みやけ宮内くうない夜分やぶんに及んで装束しょうぞくを改め、こう大寺だいじ出掛けてまいりました……


閑話かんわ休題きゅうだいこう大寺だいじにおりまする荒川あらかわ熊蔵くまぞう穴森あなもり伊賀いがのかみ両人りょうにんは、別室べっしつにあって四方山よもやまの話をしておりましたが、次第しだい次第しだいに夜も更けてまいりましたから、何時いつしか眠ってしまいました。大助だいすけ幸安ゆきやす殿どののみは広い居間いまにて書物しょもつを広げ、しきりと書見しょけんに耽っておられましたが、最早もはや夜半やはん刻限こくげん相成あいなりましたから、これから寝もうかしらんとヒョイと横手を見ますると、一人ひとり武士ぶし両手を突いてひかえておりますから、はテこれはとひとみを定めてよくよく見ますると、これぞ穴山あなやま伊豆いずのかみせがれいたして穴山あなやま小助こすけう我が父真田さなだ左衛門尉さえもんのじょう海野うんの幸村ゆきむら家来けらいでございますから、


大助だいすけ「オオめずらしや。そちは穴山あなやま小助こすけではないか。なんだ今時分じぶん案内あんないも請わず忍びむとは如何いかがいたした」


穴山あなやまおそれながらもうし上げます。貴方あなた国表くにおもて発足はっそく相成あいなりましたる後、幸村ゆきむら軍師ぐんしには私を招いてのおおせ、せがれ吾妻あづまつかわしたが、関東かんとうおい如何いかなる事が起きるやも相分あいわからぬ。もしも生命いのちてるような事があっては相成あいならぬから見えかくれに付いてまいり、せがれを十分に保護ほごいたしくれよとのおおせにございまする。それゆえ今日きょうまでお側を離れず付いてまいりましたが、何事なにごと都合つごうよくお運びに相成あいなりました故、別に姿を出さずにおりました」


大助だいすけ「フウン、左様さようか。何時いつに変らぬ父の慈悲じひ、そちの誠忠せいちゅう実にも感心かんしんいたした。して何か今晩こんばん変ったことでもあるか」


穴山あなやま「実はこのたび閉門へいもんらいました九十八名の公家くげの中に、貴方あなたを殺そうと相談そうだん出来できまして、今宵こよい明智あけち浪人ろうにんにて名こそ解りませんが睡眠すいみんじゅつを使う名人が忍び模様もようにございまする。術を使い姿を消す奴でございますから、私が今晩こんばんお側にあって守護しゅごいたしまする。もし貴方あなた身体からだに眠気がさすようなことがございますれば、曲者くせものが術を施しおるのでございますから、赫赫云々かくかくしかじか呪文じゅもんとなえなされまする様、さすれば術が利かなくなり、姿もよく見えまするから……」


大助だいすけ左様さようか。よし承知しょうちに及んだ。しからば呪文じゅもん記憶きおくいたすであろう」


とその呪文じゅもん御記憶おきおく相成あいなって、なおも小助こすけと話しておられまするところへ忍びんでまいりましたのは三宅みやけ宮内くうない、サアいよいよこう大寺だいじ庭前ていぜん騒動そうどううお講談こうだんに移ってもうし上げます。

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