[本文]第十三席

大助だいすけ委細いさい承知しょうちつかまつりました」


大助だいすけ幸安ゆきやす如が返答へんとういたしました時に、荒川あらかわ熊蔵くまぞう吃驚びっくりいたしました。


熊蔵くまぞう軍師ぐんし


大助だいすけ「なんだ」


熊蔵くまぞう貴方あなた、あんなものが解りますか。傍へって箱を触って見れば、音でも聞いて判断はんだん出来できまするが、あんなに離して置いて解りますか」


大助だいすけ「そりゃ解る」


熊蔵くまぞう「解りますか。天文てんもんるのは夜の事でございましょう。昼には星はておりません」


大助だいすけ「昼でも星はておる。まあ黙ってひかえておれ」


いながら身繕みずくろいをいたして坐り直しましたが、大助だいすけ幸安ゆきやす殿どのはその箱にむかってしばらくのあいだ、指をくって考えておられましたが、見当けんとうが付いたと見え、


大助だいすけおそれながらおこたつかまつります。中に忍ばせありまする一品は、山からて人のに渡り金となりましてはじめて人を斬る剣の様にわきまえます」


中納言ちゅうなごんおどろきました。


中納「うむ、如何いかにもなんじもうとおり、剣が忍ばせてある。その剣は如何いかなる剣であるか解りおるか」


大助だいすけ如何いかにも解りおります。勿体もったいなくもこの中の宝剣ほうけんは、日本にほん一の刀鍛冶かじ五郎ごろう入道にゅうどう正宗まさむね大原おおはら右馬頭うまのかみ東郷とうごう行基もとゆき三名さんめいが、舅槌しゅうとづち姉槌あねづち妹槌いもうとづちを持ってち上げ、おそれ多くも一天いってん万乗ばんじょう御枕まくらかたなに差し上げましたる朝日丸あさひまる名剣めいけんにございまする。どうかお改めをねがいまする」


公卿くぎょうさんの一同いちどうおどろいてしゃくをポンと叩いて、「いや大助だいすけ幸安ゆきやす天晴あっぱ天晴あっぱれ」とおどろきましたが、荒川あらかわ熊蔵くまぞうもこれを聞いておどろきました。


中納「ヘエ……朝日丸あさひまる宝剣ほうけんですか」


と云っておりまするところむかって、一条いちじょうこうのお上り……と声諸共もろともに、お上りになりましたは、大阪おおさかかた御贔屓びいき一条いちじょうさきの関白かんぱく道友みちともでございまする。ピタリと御着座ちゃくざ相成あいなりましたが、


道友みちとも大助だいすけ幸安ゆきやす、面を上げい」


大助だいすけ「ははッ」


道友みちとも麿まろ一条いちじょうさきの関白かんぱく道友みちともである。そのほうねがもうしの如何いかなる事か存ぜんが、何が為に箱の中の当物あてもの判断はんだんいたしたる。斯様かようの事をいたすべきものは、陰陽頭いんようかみ天文てんもん博士はかせのするべきものである。斯様かようなぐさみ事をいたしおる場合ばあいではあるまい。豊臣とよとみの立つか立たぬかと生死せいしさかいである。なぜ願面がんめんを持ってねがい出しに及ばぬ。タワケ者めッ」


大助だいすけおそれながらそのは既にねがい出してございまする」


道友みちとも左様さようか。しからばしばら休息きゅうそくに及べ」


と云っておいて難波なんば中納言ちゅうなごん殿どのに向われ、なにをねがい出したかとおたずねになりますると、中納言ちゅうなごん仕方しかたがございませんから願書がんしょ差出さしだしました。


道友みちとも「ウうむ。しからばこれより奏聞そうもんたてまつるであろう」


早速さっそく一天いってん万乗ばんじょう大君おおきみもうし上げますると、近衛このえ関白かんぱく相談そうだんの上、よきにいたしやれというおん勅定ちょくじょうでございますから、そこで道友みちともきょうはお退しりぞきに相成あいなり、近衛このえ関白かんぱく種家たねいえきょうをおまねきに相成あいなって、


道友みちともおん勅定ちょくじょう斯様かよう云々の次第しだい大阪おおさかつかわしてよろしかろうと存ずるが、関白かんぱく御意ぎょい見は如何……」


とご相談そうだんになりますると、前にももうしたとおり、近衛このえ関白かんぱく徳川とくがわ方の人でございます。よって、


中納「ただいま即答そくとうは出来兼ねます。おって返答へんとういたしますから……」


う事でございますから、一条いちじょうこう仕方しかたがございません。自分じぶんててやりたい考えてございまするが、近衛このえ関白かんぱく同意どういしてくれぬとこまる。そこで大助だいすけ幸安ゆきやすむかって、


道友みちとも大助だいすけ幸安ゆきやす麿まろててやりたいがいち量見りょうけんててやる訳にはまいらぬ。よって旅館りょかんに下り相待っておる様、そのうちに下げつかわすから……」


大助だいすけ「ありがとうございます」


うので大助だいすけ幸安ゆきやすを初め三名さんめいは、目礼もくれいいたして旅館りょかんき取りました。ところが此方こちら近衛このえ関白かんぱく種家たねいえきょう早々そうそう公家くげさん一同いちどうを招いて相談そうだんでございまするが、この寄合よりあいの公家くげさんは何れも関東かんとう贔屓びいきでございますから堪りません。


「こりゃかなわぬ。一条いちじょうさきの関白かんぱく意見いけんとおりにしたなれば、関東かんとうだい騒動そうどうである。大阪おおさか贔屓びいき一条いちじょうさきの関白かんぱくのみ、よってこれをなきものにすれば後はどうでもなるべきものである。しかしえず関東かんとうの心を探って見よう」


ということに相成あいなりまして、極く内々で江戸えどおもてへお使いをてられました。その要は、真田さなだ大助だいすけ幸安ゆきやす墨付すみつきってねがって参ったが、大阪おおさか十万石じゅうまんごくててやるものであるか、あるいはててはわるいものであるかときにやりました。将軍しょうぐんの方ではおどろきました。「箱根はこねやま稲葉いなば丹後たんごのかみったのはそれでは全く偽物であって最早もはや京都きょうとに行っておるか。そりゃ大変たいへんだ。京都きょうと綸旨りんじ頂戴ちょうだいに及んだ日には天下てんか大動乱だいどうらんである」


うので何分なにぶんにもよろしくおねがいをもうす。お取り上げには相成あいならぬ様にと、沢山たくさん賄賂わいろを使いましたから、地獄の沙汰さた金次第しだい公家くげさんも金に目がくれる様では始末しまつにおえません。近衛このえ関白かんぱくの方から、「よし承知しょうちに及んだ。心配しんぱいいたすな」と関東かんとうの方へいやっておいて、再び関東かんとう方の公家くげしゅうを集めて相談そうだんでございます。


「サアこの上は邪魔じゃまになるのは一条いちじょうさきの関白かんぱくである。早速さっそくのことでころしてしまえ。ころしさえすれば後は自由じゆうになるから……」


うので、もと丹波たんば亀山かめやま城主じょうしゅ惟任これとう日向ひゅうが光秀みつひで家来けらいでありました真子しんし六郎兵衛ろくろべえう腕の方が六十五人力もあろうと豪傑ごうけつ忍術にんじゅつの名人なる人をまねきました。


関白かんぱく六郎兵衛ろくろべえ、話はこれこれ斯様かよう次第しだいである。首尾しゅびよく一条いちじょう生命いのちを取ったならば、関東かんとう申立てて一国の大名だいみょうに取りててやるから……」


六郎「委細いさい承知しょうちつかまつりました」


そこでこれはいよいよ夜陰やいんに忍んで一条いちじょうこうを殺そうと準備じゅんびいたしております。


はなしは変って、此方こちら三条さんじょうとおりのおお三右衛門さんえもん方に宿っております大助だいすけ幸安ゆきやす、及び荒川あらかわ、穴守の両人りょうにんは、如何いかなる返答へんとうが下ってるからんと待っておりますが、中々なかなか急に下って来ませんから、退屈たいくつ仕方しかたがございません。毎日まいにち酒を飲んでおいでに相成あいなりました。ある日、大助だいすけ幸安ゆきやす殿どの縁側えんがわてややしばらくしてから座敷ざしきにお帰りに相成あいなり、


大助だいすけ荒川あらかわ


熊蔵くまぞう「はい」


大助だいすけ「そのほう薩摩さつまてから今日きょうまで熊本くまもと乱暴らんぼうをして千代田城ちよだじょうで少し許り働いたきり、これと云って強い敵に出会っておるまい。どうだ一番いちばんつよやつ相手あいてにして働きたいか」


熊蔵くまぞう「はい。どうもこのころは腕が夜泣よなきをしてたまりません」


大助だいすけ「そうだろう。そのほうに好い敵をこしらえてやるから、今晩こんばんは思い切りあばれて来い」


熊蔵くまぞう「それは結構けっこうで、軍師ぐんし、なにか良い事がございますか」


大助だいすけ「ある。しかしそのほう、ウッカリしているとやられるかもれんぞ。余程よほど強い敵だから」


熊蔵くまぞう「なァに。気遣きづかいはございません。大丈夫だいじょうぶでござる」


大助だいすけ「それならばこれからすぐに堀川ほりかわなる一条いちじょうこうのお邸宅ていたくに参って、事によると今晩こんばん曲者くせものが忍びみますから、私が不寝ねず御番ごばんいたす様との大助だいすけ幸安ゆきやす命令めいれいでございますと云って、今晩こんばん不寝ねずばんいたしてまいれ」


熊蔵くまぞう「かしこまりました」


大助だいすけ「しかし前にももうしたとおり、今晩こんばん曲者くせものはなかなかつよやつだから、うっかりするとやられるぞ。ころすことは相叶あいかなわぬ。ってまいれ」


熊蔵くまぞう大丈夫だいじょうぶってまいります」


大助だいすけころしてはいかんぞ」


熊蔵くまぞう「かしこまりました」


うので、荒川あらかわ熊蔵くまぞう早速さっそく用意よういに及んで、堀川ほりかわなる一条いちじょうこうのお車寄くるまよせにより玄関げんかんまいりまして、


熊蔵くまぞう「おねがもうす」


と声をける。雑仕役ぞうしやくがそれへまいり、


雑仕「いずれから」


熊蔵くまぞう「かくう我は真田さなだ大助だいすけ幸安ゆきやす家来けらいにて、荒川あらかわ熊蔵くまぞうもうす者でござる」


雑仕「ははァ荒川あらかわ殿どのでございますか。なにか御用ごようで……」


熊蔵くまぞう主人しゅじん命令めいれいでござるが、主人しゅじん大助だいすけ天文てんもんって考えたるところ今宵こよい曲者くせもの忍びんで一条いちじょうこうを討ち奉らんといた気配けはい、よって拙者せっしゃ不寝ねずばんいたせとの事にござる。このよし、お伝えをねがいたい」


雑仕「かしこまりました」


このよし早々そうそう一条いちじょうこうもうし上げましたから、一条いちじょうさきの関白かんぱく道友みちともきょうは御喜びに相成あいなりました。荒川あらかわ熊蔵くまぞう目通めどおりさせて、


道友みちとも荒川あらかわ熊蔵くまぞう苦労くろうである。大助だいすけ幸安ゆきやす忠誠ちゅうせいには感心かんしんに及んだ。よろしく頼む」


熊蔵くまぞう「ははッ」


道友みちとも「コレだれぞある。荒川あらかわに酒を取らせよ」


熊蔵くまぞう御前ごぜん、お酒はいただきません。曲者くせものりにした後に頂戴ちょうだいいたします」


道友みちとも左様さようか。それではよきにいたせ」


う中に日は暮れましたから、荒川あらかわ熊蔵くまぞうはさて何処どこ不寝ねずばんをしようかと考えましたが、部屋へやの中では仕方しかたがない。そこで到頭とうとう縁側えんがわてここで不寝ねずばんをしようと見ますると、一条いちじょうこうやしき余程よほど縁側えんがわが高うございます。よってこのえんしたが良いとうので、縁側えんがわの下に入って座りみましたが、余程よほど高い縁で頭の上にはまだ一尺ほど空いておりまする。荒川あらかわ熊蔵くまぞうは蜘蛛みたいな様子ようすで、えんしたに巣をんで、いて待っておりまする中、追々おいおいと夜が更けてまいりまするが、てど暮せど曲者くせものまいりません。夜は次第しだい々々に更け渡り、夜中よなかの鐘がいんに響いて物凄ものすごく、ボ……ンと聞える時刻じこく相成あいなりましたが、曲者くせものの影も姿も見えませんから、荒川あらかわ熊蔵くまぞう退屈たいくつ仕方しかたがない。ボツボツ欠伸あくびをしはじめた。


熊蔵くまぞう糞垂くそたッ、曲者くせものはまだせぬ。さては軍師ぐんし天文てんもんが外れたかな。夜中よなかの鐘が鳴ったのに、まだて来んとは糞面白くそおもしろくもない。こんな事なれば酒を頂戴ちょうだいすれば良かったに……オオ寒い。いまいましい奴だな。はやて来ればいいのに。しかしモウちっと待っておろう」


ひとごといながら、ややしばらく待っておりますると、むこうの高塀たかべいの傍に植えてありまする松のが風もないのにバラバラッとちた様子ようすあたりがシーンといたしておりまするから、一つ落ちてもよく聞えます。クワっと目を見開いた荒川あらかわ熊蔵くまぞう


熊蔵くまぞう「ムム……、風もないのにが落ちるというのは不思議ふしぎだ」


えんしたから首をしてむこうを見ますれば、くろけな装束しょうぞくいたした奴が、松の枝にブラ下り片足かたあしを松の根方ねかたにありまする燈籠こもの上にくだし、今や下に飛び降りようといたしておりまするから、これをながめた荒川あらかわ熊蔵くまぞうは、


熊蔵くまぞう「お出でた、せたぞ、糞垂くそたれがッ、如何いかにも軍師ぐんし天文てんもんは外れぬわい。彼奴あいつどうするからぬ」


と首をすくめて、息をこらしてジッとながめとおりましたが、曲者くせもの左様さようの事とは少しも知りません。下に降りてまいりまして、彼方あなた彼方かなた様子ようすながめながら、足音あしおとを忍ばせて縁側えんがわの傍まで近寄りました。踏み止まってしばら様子ようすを伺っておる体でありましたが、中々なかなか一条いちじょうこうやしきは雨戸が厳重げんじゅうでございます。すると彼の曲者くせものズラリ一刀いっとうき《ぬ》抜きまして、戸の隙間すきまにそいつをほりみ、戸をこじ開けようといたしますから、荒川あらかわ熊蔵くまぞうはこれをながめて、


熊蔵くまぞう「おのれッ」


うのは口の中、に唾つけて思わずらずポンとを叩いた。失策しまったと息をらして力味りきみかえっておりますると、彼の曲者くせものはこの物音ものおとを聞いてアッとおどろき、二歩三歩後うしろに寄り、あたりをジイッ……と見回みまわしてございまする……。

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