[本文]第九席

熊蔵くまぞう「ムム……貴様きさまの代になって何をったかは一向いっこう存ぜん」


阿波あわ拙者せっしゃぞくをしたかどうか、なんのわきまえもなく泥棒どろぼうとはなんだ。サア荒川あらかわ拙者せっしゃは何をった」


熊蔵くまぞう「ムム……それはなんだ……」


阿波あわ「サアはや御返答ごへんとうあれ。如何でござる」


熊蔵くまぞう「ムム……エライことになって来た。到頭とうとう盗人ぬすっとめられてしまった。出る杭は打たれるとはこの事だ。おれがこんなにこまっているのに、何をしているのからん」


と、うしろをいてみますと、大助だいすけ幸安ゆきやす殿どのはニコニコ笑っておいでになりますから、


熊蔵くまぞうひどいな。家来けらいめられているのに、笑って見物けんぶつするとはどうだ……軍師ぐんし、どうかおたすください。軍師ぐんし、どうかたのみます」


大助だいすけ荒川あらかわ、そのほう阿波あわのかみぞくをした事を知っているから泥棒どろぼうしかり付けたのであろう。初めにそのほうなんと云った。阿波あわのかみなれば決してめられません。軍師ぐんし頼むとはわんと云ったじゃないか。そのほうぞく因縁いんねんいて聞かせてやれ」


熊蔵くまぞう「それでも彼奴あいつの代になってぞくをした事は知りません」


大助だいすけらんでおって何故なぜ人をぞくと云った」


熊蔵くまぞう「いや軍師ぐんし、これからはしゃべりません。どうかおたすけください」


大助だいすけぞくの為にめられるとはなんたる様だ。以後いごしゃべらぬか」


熊蔵くまぞう「これからはしゃべりません」


大助だいすけ「どうだ往生おうじょうしたか」


熊蔵くまぞう往生おうじょういたしました」


大助だいすけ「しからばいたし方ない。身共みどもかわってやるから後へおひかえなさい」


熊蔵くまぞう「ありがとうございます……松平まつだいら阿波あわ身共みどもぞく因縁いんねん聞かせてやろうと思ったが、身共みども口下手くちべただから弁士べんしかわってうかがうから」


荒川あらかわ熊蔵くまぞううしろへんでしまいした故、真田さなだ大助だいすけ幸安ゆきやす殿どの静々しずしずと前に進みて、中啓ちゅうけいを抜き出して会釈えしゃくに及びました。


大助だいすけ「これはおめずらしや徳島とくしま城主じょうしゅ松平まつだいら阿波あわのかみどのでございまるか。かくう我は真田さなだ大助だいすけでござる。たま今荒川あらかわ熊蔵くまぞう貴殿きでんをとらえぞくと云ったについて、貴殿きでん大変たいへん御立腹ごりっぷくの体、事品ことしなによれば一刀いっとうの下にっててんの御様子ようすに相見られた」


阿波あわ如何いかにも左様さよう


大助だいすけ安房殿どの御立腹ごりっぷく御尤ごもっともでござるが、御立腹ごりっぷくなさるはかえってよろしくない。貴殿きでん自分じぶんの代になってぞくをしたおぼえはないとわるるが、ぞくをしたおぼえがござろう」


阿波あわ「いやぞくをしたおぼえはござらぬ。先祖せんぞ如何いかにも泥棒どろぼうであったが、身共みどもの代になって泥棒どろぼうをしたおぼえはない」


大助だいすけ「いよいよったおぼえはござらぬか」


阿波あわおぼえはない」


大助だいすけ「もしあればなんとさる」


阿波あわ「ある時においては拙者せっしゃ一命いちめいを進ぜる」


大助だいすけ「うむ。しからば大助だいすけ幸安ゆきやす貴殿きでんぞくをした因縁いんねんい聞かせん。もしない時は荒川あらかわ熊蔵くまぞう生命いのちを進んぜん。松平まつだいら阿波あわみみあかさらえてよく承れ。なんじの顔をるに付けては、そのほう所業しょぎょうにくむべきこと、ぷたつにきやっても腹のえない事がある。そもころ慶長けいちょう十九年じゅうくねん極月こくげつ二十二日の日であった。所は大阪おおさか穢多ヶ崎えたがさき此処ここじんかためているのが大阪おおさかかた勇士ゆうし明石あかし掃部かもんのすけであったが、わずかに千五百人の同勢どうぜいって固めておる。しかしここは最も要害ようがいとりでであって、この陣中じんちゅうむかって据付すえつけけてあるのが文禄ぶんろくの年中に朝鮮ちょうせん国から持って帰ったウツロギと大砲たいほう、それを身連体しんれんたい国崩くにくずし名付なづけて大阪おおさかじょうにてはみぎかいなと頼まれた大切たいせつ大砲たいほうだ。これあるが為に松平まつだいら阿波あわ、そのほう先頭せんとうとなってるといえども落す事出来ざるのみか、返って総敗軍そうはいぐん相成あいなって逃げ出した事をおぼえておるだろう」


大助だいすけいくさって分捕ぶんど功名こうみょうをするは、これは軍門ぐんもんならいであるが、いくさけてそのほうはその時なんといたした。味方みかたをうっちゃってなんじただ一騎いっきをもって逃げたところは勝間かつまむらであるとある。一軒の百姓ひゃくしょう家に入りんで見れば折しも家内かない一人ひとりもいないから、これ幸いとあたりを見れば、米俵こめだわら及びみのかさがあるから、まずみの笠を身にまとい首にこうむってにわかに農夫のうふの姿に扮装いでたち、米俵こめだわらを担いで穢多ヶ崎えたがさき陣中じんちゅうに参って見れば、明石あかしの軍は勝ちに乗じてドンドン跡と追って出たから陣中じんちゅうは空になっておる。その空の陣中じんちゅうに入りんで、私は御領分りょうぶん百姓ひゃくしょうでございます。兵糧ひょうろうを持ってまいりましたから御受ねがいたいと、兵糧ひょうろうをダシにいたして陣中じんちゅうに忍びみ、残る武者原むしゃばらをかき集め、据付すえつけけてあった身連体しんれんたい国崩くにくずし大砲たいほうを持って逃げ帰ったことがあるだろう」


大助だいすけ「どうだ、今申もうしたごとくである。人のおらぬ所に入り、例えみのにせよかさにせよ百姓ひゃくしょう道具どうぐを盗んで逃げる奴は関東かんとう大名だいみょうはなんともうすからぬが、大阪おおさかではこれを泥棒どろぼうもうすのだ。また敗軍はいぐん相成あいなったる者が、空の陣中じんちゅうに忍びんで身連体しんれんたい国崩くにくずし大砲たいほうぬすみ出すとは強盗ごうとうに等しき所為しょいである。軍陣のすべき所業しょぎょうではない。して又その大砲たいほうを持って帰ったが、関東かんとう百六ひゃくろく十有余ゆうよ万の大軍たいぐんの中で、この身連体しんれんたい大砲たいほうを打つものがない。折角せっかくぬすみ出した大砲たいほうであるが、火蓋ひぶたはなつ法をらぬ。なさけ無いかな宝をに入れながらむなしくはなつ事も出来できんであった」


大助だいすけ「しかるところ摂州せっしゅう茨木いばらきで十七万石をりょうしておった片桐かたぎり且元かつもとが、軍見物いくさけんぶつに来ておったから、徳川とくがわ家康いえやす且元かつもと手許てもとへ呼んで、なんじ大阪おおさかのものであるから、身連体しんれんたい国崩くにくずし大砲たいほうち方を存じておるであろうとうから、且元かつもと如何いかにも承知しょうちいたしておりますと云った。そこでサアはや大阪おおさかむかってこの大砲たいほうを打ていとなった為に、片桐かたぎり且元かつもとはこの砲が徳川とくがわに入った以上は、とてもこの勝利しょうり大阪おおさかには難しい。何者なにものが盗んだかを調べてるとそのほうである。片桐かたぎり且元かつもとはこの抱が徳川とくがわに入ったのは残念ざんねんだとは思ったが、最早もはや致仕方いたしかたがない。しばら躊躇ちゅうちょいたしていたが、徳川とくがわ味方みかたする考えなればこれをはやく打ていとう」


大助だいすけ且元かつもとはもとより打つ気はないが、この場合ばあいは止むを得ないから、鴫野しぎのぐちの方に筒先つつさきを向けて、愈々いよいよ打つという時に且元かつもとが、この一撃いちげきを放てばたちまち城は落る。この鴫野しぎのぐちには秀頼ひでよりこうを初め豊臣とよとみ柱石ちゅうせき一統いっとうそろいの場所ばしょである。もし今この一発いっぱつを放って、秀頼ひでよりこうのお生命いのちがなくなっては一大事だいじうので、この抱を打つ事をらぬを幸いに且元かつもとが、今と云ってすぐにこの抱を打つことは出来できぬ。何卒なにとぞ準備じゅんびのため人足にんそくを五十人貸していただきたい、そううのはこの抱の破裂はれつを防ぎ、かつ抱がうしろへ戻らんように土地とちに穴を掘らねばならぬと、人足にんそくに穴を掘らせた。別に左様さようなことをせずともよいのであるが、それ丈の余裕よゆうを付けて秀頼ひでよりこうを助けたいという考えであった。そこで穴を掘らせている間に、弟主膳しゅぜんって大阪おおさかじょうやぐらに向けて矢文やぶみを打たせた。その矢文やぶみ木村きむら長門ながとのかみ重成しげなりはたに当ったから、重成しげなり立腹りっぷくに及んで矢文やぶみを打つとは何事なにごとだと、その矢文やぶみを取ってわが親父おやじ左衛門尉さえもんのじょう幸村ゆきむらせると、その字は見覚おぼえのある片桐かたぎり且元かつもとの字で、このたび松平まつだいら阿波あわのかみ身連体しんれんたい大砲たいほうを盗んだ為に、この抱を放たねばならぬ事となった。よって秀頼ひでよりこう及びそのほかの方々はこの鴫野しぎのぐちをお退ねがいたいとたのみ状である」


大助だいすけいたし方ないから早々そうそう秀頼ひでよりこう真田さなだやまの我がとりでにお移しもうして、片桐かたぎりの方へ早や退いた事の合図あいずいたしたから、且元かつもともよんどころなく弾丸だんがん込めに及んだ。この大砲たいほう火蓋ひぶたを切ってはなつと、たちま鴫野しぎのぐちの城は落ちる。それと同時どうじ大砲たいほう砲身ほうしん破裂はれつさして仕舞しまったが、片桐かたぎり且元かつもとはこれがためについ坊主ぼうず相成あいなって、高野山こうやさんに登った事をそのほう存じておるであろう。松平まつだいら阿波あわ片桐かたぎりほどの誠忠せいちゅう無類むるいの者を、荒野こうやに上らせるとうのも、大阪おおさかでなければならぬ国崩くにくずし大砲たいほう破裂はれつするのも、鴫野しぎのぐちが落てしまうとうのも、皆汝なんじぞくをした許りである。これ程までに確かな証拠しょうこがあるのに、それでもそのほう泥棒どろぼうしたおぼえはないともうすか。言分いいぶんがあればもうしてみよ。どうだ返答へんとうに及べ……」


と、しかり付けられた時には、松平まつだいら阿波あわのかみ、顔をいたして、グウの音も出ません。このときうしろにひかえておりました荒川あらかわ熊蔵くまぞう、ヒョッコリ立ち上がって、


熊蔵くまぞう軍師ぐんし待っていました。拙者せっしゃはそれをうのをわすれておりました」


大助だいすけ「ジュンサイ(いい加減かげん)なことをうな」


熊蔵くまぞう「いや軍師ぐんし、それで胸がスッといたしました。これ松平まつだいら阿波あわ、どうだ盗人ぬすっとに違いあるまい。泥棒どろぼうッこの拳固げんこらえッ」


と腕を振り上げましたから、松平まつだいら阿波あわのかみはこりゃたまんと廊下ろうかへ飛んで出るや否や真一文字まいちもんじに奥の方へ逃げんでしまいました……


ニンマリ笑みを含んだ真田さなだ大助だいすけは、


大助だいすけ「サア斯様かようなものに相手あいてになる余裕よゆうはないから、将軍しょうぐん直々じきじき嘆願たんがんに及ぼう。各々おのおのお続きあれ」


荒川あらかわ熊蔵くまぞう穴森あなもり伊賀いがのかみ入道にゅうどう諸共もろともに、千代田城ちよだじょうない吹上げ御殿ごてんの方へドシドシと御入りに相成あいなります。こちらは二代にだい将軍しょうぐん秀忠ひでただこうおいては、どうにもご承知しょうち相成あいなりませんから、御簾みすの中におひかえになっております。ところへむかって大助だいすけ幸安ゆきやすは、将軍しょうぐんの座ってござるところへ近付きましたが、お側の者を初め大名だいみょうもこれをさえぎることが出来できません。うしろより、「大助だいすけてッ無礼ぶれいであろうぞ」と口々に呼ばわりまするが、荒川あらかわ熊蔵くまぞう穴森あなもり伊賀いがのかみ入道にゅうどう一刀いっとうつかけて、


二人ふたり「サアきたれ、軍師ぐんしの体にをかける奴があれば何奴どいつ此奴こやつ容赦ようしゃはない。二百六にひゃくろく十有余じゅうゆうよ大名だいみょうはたもと八万騎はちまんき束になってせたりともおそれはせん。見事みごとき受けてっててくれん」


仁王立におうだちに相成あいなって、四方しほう八方はっぽうにらみ付けておりますから、このいきおいに辟易へきえきいたして一人ひとりとして近寄るものはございません。そのうちに大助だいすけ幸安ゆきやすは早や将軍しょうぐんのお傍に近付きましたから、あれとおどろいて御寝所ごしんじょに入ろうとするのを、ひだりにてしかとはかますそを取りました大助だいすけ幸安ゆきやすみぎの手は畳の上にお突きに相成あいなりまして、


大助だいすけおそれながら上様うえさまもうし上げたてまつります。かくいう私は真田さなだ左衛門尉さえもんのじょう海野うんの幸村ゆきむらせがれいたして越前えちぜん敦賀つるが城主じょうしゅ大谷おおたに刑部ぎょうぶ少輔しょうゆう吉隆よしたかの孫に当りました真田さなだ大助だいすけ幸安ゆきやすめにござりまするが、先達て将軍しょうぐん上使じょうしいたして生駒いこま壱岐守いきのかみ田村たむら紀伊守きいのかみ御両所ごりょうしょ薩摩さつまくだかれ秀頼ひでより駿河するが府中ふちゅう百万ひゃくまんひゃくまんごくにてて得させるとの御意ぎょい、それについて我々われわれ三名さんめい秀頼ひでより名代みょうだいいたして出府しゅっぷいたしました次第しだいにございますが、駿河するが府中ふちゅう百万ひゃくまんひゃくまんごく当方とうほうにおいてあまりおそおおい事にございまするにり、九十万石じゅうまんごく返納へんのうつかまつり、残り十万石じゅうまんごくって大阪おおさかじょうくだかれたく、この御嘆願ごたんがんもうし上げたくまかしました。何卒なにとぞ御聞とどくだされん事、ひとえねがもうし上げたてまつります。もしこのき入れこれなきにおいては、大助だいすけ幸安ゆきやす存じ寄りがございまする。如何いかにございまする」


と、秀忠ひでただこう装束しょうぞくすそにぎって片膝ひざて、右手みぎて獅子頭ししがしらのついたる小剣しょうけんつかけて、返答へんとう次第しだいによっては一刀いっとうの下にころさんといきおいでございまする。秀忠ひでただこうはお顔の色はハッと変ってしまいました。


秀忠ひでただだれぞおらぬか、はやく出ませ」


言葉ことばけられましたから、数多かずおお大名だいみょうも傍へ行きたいが、ウッカリ行っては大助だいすけ将軍しょうぐんころしてしまう。ことに荒川あらかわ穴森あなもりという豪傑ごうけつ頑張がんばっておるのでございますから、ただウロウロといたすばかりでだれ一人ひとり出る者がございません。ところむかってお上りに相成あいなりましたのは、水戸みと中納言ちゅうなごん頼房よりふさ殿どのでございます。この騒動そうどう御覧ごらん相成あいなりまして、


頼房よりふさ「これはくことは相成あいならぬ。かような時は大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもんでないと治まらぬ。天下てんか柱石ちゅうせき大久保おおくぼはおらぬか。この席に大久保おおくぼはおらぬか」


とのお言葉ことばに、お数寄屋すきや坊主ぼうずさん四名よめいまいりまして、


坊主ぼうず大久保おおくぼ御老体ごろうたい過日かじつより御病気びょうきの由にておこもりにございまして、この席には御出頭ごしゅっとうになっておりません」


う。


頼房よりふさ病気びょうきにしてもいたし方はない。至急しきゅう大久保おおくぼを招けい」


う事になりましたから、早速さっそく使者ししゃとしてはたもとにて二百五十石を頂戴ちょうだいいたしました坂部さかべ三十郎さんじゅうろうう人が馬を用意よういに及んでヒラリ馬に跨るとうと、ハイヨハイヨの声勇ましく、駿河台するがだい錦小路にしきこうじ薬研堀やけんぼりなる大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもん邸宅ていたくで駆け付けました。

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