[本文]第五席

彦左ひこざ「オヤ奴は荒川あらかわだ。大阪おおさかちゃものか。えらい奴が来ておるわい。今井いまい駿河するがなんて変名へんめいしてトンでもない奴だ。その後はだれかしらん……」


今度こんど眼鏡めがねをかけて格子こうしの側にってヒョッとご覧に相成あいなりますると、こはまた如何いかに、慶元けいげんの戦いに又しても六文ろくもんせんはた指物さしものてて、彼方かなた稲村いなむら此方こちら稲村いなむらあらわれるので、こわくてこわくてたまず、逃げて逃げて逃げ回した六文ろくもんせん大将真田さなだ大助だいすけ幸安ゆきやすでございますから、流石さすが大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもんも、大助だいすけの顔を見た時にはピリピリッとふるえ上がりました。


彦左ひこざ「オヤこわい奴が来ておるわい。おれの為には生命いのち取りだ。彼奴あいつの顔を見ておると寿命じゅみょうが縮まってしまう。大阪おおさか何時いつひどい目にあわしおった真田さなだ幸村ゆきむらせがれ大助だいすけ幸安ゆきやすが、佐々木ささき金吾きんごと吐して来て居るのだ。こわい事だ、こわい事だ。とてもではないがこういう奴がんだら国乱こくらんになるに相違そういない。おれがやるなとうのに上使じょうしをやった許りにへびどころがおおきな蟒蛇うわばみを出しやがった。こりゃにもあしにもわん。ドエライ奴が来たものじゃ。こわこわいモウ帰ろう」


大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもん殿どのは、三両の店代を払っておいて、裏手うらての方からそのまま屋敷やしきこもっておいでになります……。


さて此方こちら将軍しょうぐんの方においては、評定ひょうじょうの上で若年寄わかどしよりより三名さんめいの者に出頭しゅっとういたせよと指紙さしがみ藤堂とうどう和泉守いずみのかみの方へ差しつかわしに相成あいなりましたから、藤堂とうどう和泉守いずみのかみから三名さんめいむかって御逹しに相成あいなりました。ときこそたれと三名さんめいは大いに喜びまして、素袍すおう大紋だいもん立烏帽子たてえぼしって早々そうそう紅葉山もみじやま千代田城ちよだじょう御登城ごとじょう相成あいなり、お玄関げんかんくちより芙蓉ふようへおかかりに相成あいなりまして、待っておりますると、その日の御取次とりつぎ役目やくめは、野洲やす河内郡かわちぐん宇都宮うつのみや十八万石じゅうはちまんごく本多ほんだ上野こうずけ介正純まさずみう、宇都宮うつのみや釣天井つりてんじょうでおいえつぶれた殿とのさんでございます。ただいま三名さんめいひかえて居りまするところへお出ましに相成あいなりました。


上野「あいや島津しまづ薩摩さつまのかみ殿どの御厄介ごやっかいにん豊臣とよとみ秀頼ひでよりこう御名代ごみょうだい佐々木ささき金吾きんご今井いまい駿河するが穴森あなもり伊賀いがのかみ三名さんめい将軍しょうぐん如何いかなるおねがいのあるか存じもうさんが、かくう我は野洲やす河内郡かわちぐん宇都宮うつのみや十八万石じゅうろくまんごく本多ほんだ上野こうずけ介正純まさずみでござる。おねがいの拙者せっしゃよりよしなにお取次とりつぎもうさん。如何いかなる義でござるや」


と呼ばわりましたが、真田さなだ大助だいすけは黙っております。本多ほんだ上野こうずけ介はしばらくのあいだひかえておりましたが、何も返答へんとういたしませんから、


上野「あいや三名さんめい、かくう我は野洲やす河内郡かわちぐん宇都宮うつのみや十八万石じゅうろくまんごく本多ほんだ上野こうずけ介正純まさずみでござる。将軍しょうぐん御願ねがいのは、如何いかなる義か存じもうさんが、おん物語ものがたりあれ。よりよしなにお取次とりつぎもうさん」


えども、真田さなだ大助だいすけは黙っております。側で見て居りました荒川あらかわ熊蔵くまぞう鬼はどくに思いましたから、大助だいすけの尻を突いて、


熊蔵くまぞう軍師ぐんし


大助だいすけ「なんだ」


熊蔵くまぞう「なんだではありません。我は本多ほんだ上野こうずけ介正純まさずみである、将軍しょうぐんへのねがいの取次とりつぎしてやろうと云っております。なんとか返事へんじしておやりなさい」


大助だいすけ「いいからうっちゃって置け。拙者せっしゃに考えがあるのだから、お前は黙っておれ」


熊蔵くまぞう「はいそれじゃ黙っております」


大助だいすけ一向いっこう返事へんじいたしませんから、本多ほんだ上野こうずけ介は立腹りっぷくいたしました。


上野「お三名さんめい、お耳が遠くて聞こえんのでござるか。将軍しょうぐんへのおねがいの如何いかなる事か存じもうさんなれども、お取次とりつぎを申そうとうのはお解りにならぬのでござるか」


言葉ことば高く呼ばわりましたから大助だいすけ幸安ゆきやすはキッと相成あいなり、大紋だいもん片袖かたそでを払って中啓ちゅうけい(扇の一種、畳んでも頭部は半開ひらき)をて直し、


大助だいすけだまれ上野」


上野「はい」


大助だいすけ「そのほう野洲やす河内郡かわちぐん宇都宮うつのみや十八万石じゅうろくまんごく本多ほんだ上野こうずけ介正純まさずみであることはよく存じおるわい。一体いったいそのほう我々われわれ目通めどおりへ、なんのやくって目通めどおりした」


上野「なんやくと云って、取次とりつぎやくでござる」


大助だいすけ取次とりつぎやくなればなぜ取次とりつぎやくを逹さない。私は取次とりつぎやくでござる。おねがいのは存じもうさんが、お取次とりつぎもうすとなぜもうさん。野洲やす河内郡かわちぐん宇都宮うつのみや十八万石じゅうろくまんごく本多ほんだ上野こうずけ介正純まさずみとは無礼ぶれいであろう。遥々はるばる薩摩さつまの国からそのほう知行ちぎょう名前なまえを聞かされに参った我々われわれではない。そのほう名前なまえもうさんでも紋を見れば野洲やす河内郡かわちぐん宇都宮うつのみや十八万石じゅうろくまんごく本多ほんだ上野こうずけ介正純まさずみと存じておるわい。タワケ者めッ。なぜ取次とりつぎやくだけをいたさない。知行ちぎょう在所ざいしょ名乗なのるのは、そも我々われわれ浪人ろうにんと侮ってか。勿体もったいなくも我々われわれなんと思う。今こそ浪人ろうにんいた領地りょうちさだまらぬといえども、天下てんかおさめし従一位じゅいちい関白かんぱく豊臣とよとみ秀吉ひでよし公の御嫡男ごちゃくなん秀頼ひでよりこう御名代ごみょうだいであるぞよ。目通めどおりかなわん。退さがれッ……」


しかとばした。このいきおいに本多ほんだ上野こうずけ介はへへッ……とうと下ってしまいました。荒川あらかわ熊蔵くまぞうはこれをながめて、


熊蔵くまぞう軍師ぐんし


大助だいすけ「なんだ」


熊蔵くまぞう「そんな事は身共みどもにやらしてもらわにゃなりません。軍師ぐんし一人ひとりしかとばしてしまえばあばれる役は大分暇ひまでございます」


大助だいすけ「なにサ、むこうがおこってくればその時にあばれるがよいでないか」


熊蔵くまぞう「なるほど、どうもいまようなことをわれておこらんなんてなさけない奴だな。いた奴はおらぬな」


熊蔵くまぞう力味りきみかえってひかえておりまするところへ、取次とりつぎやくて来ましたのは藤堂とうどう和泉守いずみのかみでございます。今度こんど在所ざいしょ知行ちぎょういません。


和泉いずみ各々おのおの方、藤堂とうどう和泉いずみでござる。将軍しょうぐんへのお取次とりつぎもうすでござるから、御願ねがいのおおせ付けくだされるよう」


大助だいすけ「いや、和泉守いずみのかみ殿どのまことにお取次とりつぎのお役目やくめ、ご苦労くろう千万せんばんだが、ねがいのは甚だみ入った事に候へば、我々われわれ将軍しょうぐん直々じきじき御対顔ごたいがんもうしあげ、その上にてもうし入れん。どうかお目通めどおりをねがいたい」


和泉いずみ「いや左様さような訳にはまいもうさん。将軍しょうぐん直々じきじき御対顔ごたいがんはかないもうさん」


大助だいすけ「かなわんとあればいたし方はござらん。お退さがりなさい」


和泉守いずみのかみがなんと云っても大助だいすけおいては取り合いませんから、藤堂とうどう和泉守いずみのかみそのまま退ってしまいました。ところがその後へ今度こんど井伊いい掃部かもんのかみがお出ましになりました。


掃部かもん井伊いい掃部かもんでござる。将軍しょうぐんへのおねがいの如何いかなる事でござるや。お取次とりつぎもうさん」


大助だいすけ「いや我々われわれ将軍しょうぐん直々じきじき御願ねがいをもうす義にござれば、お取次とりつぎ必要ひつようはござらぬ」


うから、井伊いい掃部かもんのかみはそのまま下ってしまいます。その後にむかって土井どい大炊頭おおいのかみが出ましたが、これもやり込められてしまい、それから松平まつだいら伊豆いずのかみが出ましたが、同じくんでしまう。阿部あべ豊後ぶんご守も出ましたが、これまたんでしまいます。


出るものは皆がことごとめられてしまいましたが、ところむかってお出ましに相成あいなりましたのは、丸のまるのうち三引きの大紋だいもんを付けたる仙台せんだい青葉山あおばやま城主じょうしゅ六十二万石ろくじゅうにまんごく伊達だて陸奥むつ守政宗まさむね公でございます。この人は黄門こうもん政宗まさむねいました。黄門こうもんうと水戸みと黄門こうもんばかりの様でございまするが、全て中納言ちゅうなごんくらいのある人は唐名とうみょう黄門こうもんいます。その黄門こうもん政宗まさむねがヒョコヒョコと出ましたが、大助だいすけの顔をながめて、


政宗まさむね「やァめずらしや大助だいすけ幸安ゆきやす殿どの将軍しょうぐん直々じきじき御願ねがいは相叶あいかなもうさん。何卒なにとぞ政宗まさむねおおせ付けられる様」


これを聞いたる大助だいすけ幸安ゆきやす大紋だいもん片袖かたそではらい、銀製ぎんせい中啓ちゅうけいにぎって、


大助だいすけ「ヤアこれはおめずらしい政宗まさむね公か。貴殿きでんならばなぜつんいにお這いさらん」


頭からこうわれたから政宗まさむね公はおどろきました。片目かためをクワッと見開いて、


政宗まさむね無礼ぶれいであろう大助だいすけ。この政宗まさむねに対してつんいに這えとはなんだッ」


大助だいすけ政宗まさむね立腹りっぷくするな。なんじ人間にんげんではない。獣物けだものであるヮ」


政宗まさむね「なにッ、政宗まさむね獣物けだものとな。その言葉ことば甚だもって合点がてんがいかん。今一言いちごんもうしてみよ。手はせぬぞ」


大助だいすけ「ご立腹りっぷくあるな政宗まさむね。その因縁いんねんを聞かせもうさん。貴殿きでん顔色かおいろを変えてわれるがそも不思議ふしぎでならぬ。貴殿きでん豊臣とよとみさかんのっ《さいちゅう》、豊臣とよとみ横領おうりょうせんとの謀反むほんくわだてた為、こと発覚はっかくいたして秀吉ひでよし公の勘気かんきを受け、京都きょうと四条しじょうかわらにて磔柱はりつけばしらにあげられんとしたことをおわすれに相成あいなったか。その時、貴殿きでん伊達だて政宗まさむねは決して謀反むほんくわだてたおぼえはござらぬ。何者なにものかの讒言ざんげんにございましょう。私は豊臣とよとみに対して忠勤ちゅうきんつくすものにございまするとわけ相立あいたって、ついに一命いちめいが助かった。その時に貴殿きでんは、我れ磔柱はりつけばしらにかかる所を、おたすくだされたるにり、この御恩ごおん子々しし孫々そんそんまでも忘却ぼうきゃくは仕らぬ。後の証拠しょうこであると云って、磔柱はりつけばしらいえたからいたしたではないか。しかるに秀吉ひでよし公御逝去ごせいきょの後、徳川とくがわに向て随身ずいしんをし、慶元けいげん両度りょうどの戦いには、関東かんとう先鋒せんぽう相成あいなって、備前びぜん島にむかってじんられた。これおんあだいたした所業しょぎょう、恩をらぬ奴だから獣物けだものだと云ったが如何である」


と後から荒川あらかわ熊蔵くまぞうが、


熊蔵くまぞう軍師ぐんし


大助だいすけ「なんだ」


熊蔵くまぞう「それは獣物けだものの中で何でござる。犬でござるか」


大助だいすけ「いや犬なれば三日みっか飼えば三日みっかの恩を知っている。猫だな。猫とう奴は三年さんねん飼っても三日みっかの恩をらぬ奴だから……」


熊蔵くまぞう成程なるほど軍師ぐんしそれに間違まちがいない。猫大名だいみょうだからつんいに這うがいい」


大助だいすけ「これ政宗まさむね獣物けだものが立って物をうから不思議ふしぎだ。目は二つ付けてあったが、天これをご覧に相成あいなって一眼お潰しに相成あいなった。片輪かたわ獣物けだものむかって我々われわれ将軍しょうぐんへのねがいのもうし出る理由わけはない。猫大名だいみょうめ。目通めどおかなわぬ退しりぞきおれッ……」


怒鳴どなり付けましたから、癇癖かんぺきの強い伊達だて政宗まさむねも、これにはグウの音も出ず、早々そうそうやり込められてんでしまいました。こういう調子で出る杭は片っかたっぱから打たれてしまいます。とうのは今徳川とくがわに付いておりまする大名だいみょうは、大抵たいてい豊臣とよとみの恩を受けない者はございませんからでございます。しかるにただいまかかりとあって、丸のまるのうち左万字ひだりまんじ御定紋ごじょうもんを付け、同じく銀製ぎんせい中啓ちゅうけいにぎってドシドシとお出ましに相成あいなりましたは、阿波あわ淡路あわじ両国りょうごくりょうしました阿洲あしゅう名東郡みょうとうごおり徳島とくしま二十五万石にじゅうごまんごく松平まつだいら阿波あわのかみ従四位じゅよんい殿とのさんでございます。これをながめました荒川あらかわ熊蔵くまぞうは、


熊蔵くまぞう軍師ぐんし今向むこうからて来ますのは松平まつだいら阿波あわのかみでございます。おどくでございますが、彼奴あいつむかって拙者せっしゃ一言いちごんいたいことがございますから、談判だんぱんやく目を交代していただきとうございます」


大助だいすけかわってどうする」


熊蔵くまぞう拙者せっしゃが少し理屈りくついたい事がございます。拙者せっしゃくち不調法ぶちょうほうだから他の大名だいみょうには勝てませんが、阿波あわのかみなら大丈夫だいじょうぶ、勝ちますから、この談判だんぱん拙者せっしゃむかってお譲りねがいとうございます」


大助だいすけかわってくれとえばかわってやるが、後でけして軍師ぐんし頼むとうなよ」


熊蔵くまぞう大丈夫だいじょうぶもうしません」


大助だいすけ「よし。しからばかわってやるから……」


と、大助だいすけは後に寄りましたから、荒川あらかわ熊蔵くまぞうは前にズッと出ましたが、いきなり大紋だいもんの袖を払って中啓ちゅうけいを握り、左手ひだりてをば法螺ほら貝のよう拳骨げんこついたしてひざの上に置きましたが、クワッとを見開いて、て来ました松平まつだいら阿波あわのかみの顔をにらみつけましたから、阿波あわのかみ吃驚びっくりいたしました。


阿波あわ気色けしきわるい奴だ。なにか身共みども遺恨いこんでもある様ににらたおしよる。こいつはわるところへ出た」


と思いましたが、今更いまさら物もわずにむ訳にもまいりません。サアこの所、如何が相成あいなりましょうやチョット見物みものでございまするから、一服いっぷくいたしましてつぎせきにてもうしあげまする。

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