[本文]第四席

荒川あらかわ熊蔵くまぞうさけいきおいと腹立はらだちまぎれに、さんざんに怒鳴どなり付けましたが、余程よほどむねかんじたと見え、さけいもめ、涙を一杯いっぱいためて目を赤くしながら内へ入ってきました。


熊蔵くまぞう軍師ぐんし、甚だ失礼しつれいいたしました」


大助だいすけ荒川あらかわ、今なにをしておった」


熊蔵くまぞう「何をしたって腹が立って腹が立って仕様しようがござらぬ。親父おやじ仇敵かたきに付きしたがってかえって恩人おんじん刃向はむかいをいたすような加藤かとうでござるから、坊主ぼうず憎けりゃ袈裟けさまでもで、家来けらいの奴をガオンとらわしてやりましたので……」


大助だいすけだま荒川あらかわ我々われわれ左様さよう陽気ようき浮気うわき道中どうちゅういたしておるのではない。主家しゅかの為においえが立つか立たぬかと生死せいしさかいである。左様さよう乱暴らんぼういたす者はこれかられてく訳にはまいらぬ」


熊蔵くまぞう「いや軍師ぐんし、私は左衛門尉さえもんのじょう幸村ゆきむらこうおおせによりあばれる役をっております」


大助だいすけ「それは大きに心得こころえ違いだ。あばれる役は如何いかにもっておるであろうが、愈々いよいよ談判だんぱんに及び殿中でんちゅうにおいて万一のことがあった場合ばあいあばれよとおおせである。道中どうちゅうおいあばれよとはおおせにはなるまい」


熊蔵くまぞう「はい」


大助だいすけ左様さよう乱暴らんぼういたす者は供とは最早もはや相叶あいかなわぬ。この先の長き道中どうちゅう如何いかなる騒動そうどうき起すかもれぬにより、ここから薩摩さつまへ立ち帰れ。供は差許さしゆるさんからこれよりひまつかわす」


熊蔵くまぞう「はい」


大助だいすけはやく帰れ」


これには熊蔵くまぞう閉口へいこういたしました。


熊蔵くまぞうただいまひまを頂いた所が、面目めんもくなくて軍師ぐんし幸村ゆきむらこうに合す顔がございません。どうかこのたびの所はおゆるしをねがっておともねがいます。」


大助だいすけ「いやならん」


熊蔵くまぞう「なんと云っても供はかないませんか」


大助だいすけ「なんと云っても供はかなわん」


熊蔵くまぞう「それではいたし方ございません。このまま国へは帰れませんから、この場において割腹かっぷくいたします……穴森あなもり介錯かいしゃくを頼む」


肌押し開いきでに一刀いっとうき抜かんといたしますから、穴森あなもり伊賀いがのかみ熊蔵くまぞうめて、


伊賀いが軍師ぐんし、このたびの所はおゆるしをねがいまする。荒川あらかわ、よくおれが謝ってやるから、以後いごは気を付けい」


と供にお詫びをいたします。大助だいすけにおいては元より返す気ははじめからございませんが、ちゃもの荒川あらかわでございますから、この際充分じゅうぶんに油を取って置かぬと物騒ぶっそうだと思いまして、充分じゅうぶんこらさんがための計略けいりゃくでございます。


大助だいすけ「それでは穴森あなもり仲裁ちゅうさいに免じてこのたびの所は差許さしゆるすが、以後いごあばれることは相成あいならんぞ」


熊蔵くまぞう「ありがとうございます。以後いご滅多めったあばれません」


大助だいすけとにかくあばれる必要ひつようがある時には、身共みども指図さしずをするから、それまではあばれることは相成あいならぬぞ」


熊蔵くまぞう「かしこまりました」


大助だいすけ「サアそれでは出立しゅったつしよう。じゃがこのままいては出立しゅったつ出来できぬ……亭主ていしゅどくじゃが白紙はくしを二三枚貸してくれ」


亭主ていしゅ「かしこまりました」


亭主ていしゅ早速さっそくそれへ料紙りょうしを持ってまいりましたから、大助だいすけ幸安ゆきやす殿どのは腰の矢立やたてを取り出して、サラサラッと一通ひととおり手紙てがみしたため、


大助だいすけ亭主ていしゅ、これを当城主じょうしゅ加藤かとう式部しきぶ大輔たゆう忠広ただひろ殿どのへ渡してくれる様 」


と何にか一通ひととおりのこしておいて、そのまま荒川あらかわ穴森あなもり伊賀いがのかみとも熊本くまもと御出立ごしゅったつ相成あいなりました。ところが此方こちらは逃げて帰りました武士ぶし早速さっそく忠広ただひろ公にこのよしもうし上げましたが、元来がんらい暗君あんくんでございますから、


忠広ただひろ「なに荒川あらかわ熊蔵くまぞうつかまえられたとな。よく生命いのちすけかった事だ。まアまアよいからうっちゃっておけい」


うのですまんでしまいましたが、この加藤かとう式部しきぶ大輔たゆう忠広ただひろ殿どのう人は、後年こうねん阿蘇山あそさんにありまする雄体杉おんたいすぎ雌体杉めんたいすぎを切って、これにて一万石いちまんごくの船をこしらえ、日本丸にほんまると名を付けて、この船に乗って参勤交代さんきんこうたいいたしましたが故に、将軍しょうぐんよりおとがめを受け、第一箇条にこの船のもうひらきが出来なんだ為、ついに泉州せんしゅう妙国寺みょうこくじ有名ゆうめい蘇鉄そてつのありまする寺で、縁側えんがわにおいて切腹せっぷくをしたと殿とのさんでございまする。


それゆえあたら豪傑ごうけつ家柄いえがら二代にだいにして滅んでしまいました。まこと残念ざんねんなことでございます……


さて此方こちら真田さなだ大助だいすけを初め三名さんめいの者はドンドン道をいそいでやってまいりましたが、中国ちゅうごくに渡って早や播州ばんしゅう姫路ひめじの城も横目よこめながめ、大阪おおさかてまいり、南面山なんめんざん不落城らくじょうながめて、往年おうねんこの城に居った事もあるかと涙をこぼしつつ、京都きょうとに入って御所ごしょの荒れておるのを見て、徳川とくがわ所業しょぎょうを憎み、それより東海道とうかいどうをただひたすらいそいでつい江戸えどおもてへ入りました。


そこで早速さっそく小石川こいしかわ富坂とみさかなる藤堂とうどう和泉守いずみのかみ中屋敷なかやしきにお着きになりまして、ここを仮の旅館りょかんいたし、この段を将軍しょうぐんにおとどけに相成あいなります。


このたび島津しまづ御厄介ごやっかいにん相成あいなった豊臣とよとみ秀頼ひでより名代みょうだいいたして、佐々木ささき金吾きんご今井いまい駿河するが穴森あなもり伊賀いがのかみ三名さんめい将軍しょうぐん御願ねがいのこれあり。ただいま藤堂とうどう和泉守いずみのかみ中屋敷なかやしき到着とうちゃくいたしたという事をば、将軍しょうぐんの方へおとどけに相成あいなりました。


もとより若年寄わかどしよりから老中ろうじゅう老中ろうじゅうから三大老たいろう三大老たいろうから将軍しょうぐんへのお耳へと順を追ってもうし入れたのでございますが、サァ千代田城ちよだじょうでは大騒ぎでございます。一体いったいなにが為に来たのであろう。佐々木ささき金吾きんご今井いまい駿河するがなんて聞いたこともない名だが、秀頼ひでよりこう名代みょうだいとあればくわけにはいかぬ。それッ饗応きょうおうをせよとうので、賄方まかないかた藤堂とうどう和泉守いずみのかみおおせ付けられました。するとこの話が大変たいへん大きくなって来たものでございますから、駿河台するがだいなる大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもんの耳に入りました。彦左ひこざ衛門えもんはそれを聞いて大いにおどろき、


彦左ひこざ「サア大変たいへんだ。それではあのヘッポコ大名だいみょうは、おれがやるなとうのに使者ししゃをやったものと見えるな。いよいよへびを出したからぬ。しょうのない奴等やつらだ……コレ花房はなふさや、そこの帳面ちょうめんを持って来い」


家来けらい花房はなふさ志摩しま之助のすけが、


志摩しま御前ごぜんれでございますか」


差出さしだしたのは、諸国しょこく大名だいみょうから家来けらい名前なまえを書いた武鑑ぶかんようなものでございます。彦左ひこざ衛門えもん眼鏡めがねをかけながらその帳面ちょうめんを取って、大阪おおさかかた勇士ゆうし及び薩摩さつま家来けらいに、佐々木ささき金吾きんご今井いまい駿河するがという者があるからんと、よくよく調べてみましたけが、薩摩さつま穴森あなもり伊賀いがのかみ入道にゅうどうえば有名ゆうめい人間にんげんでございますから、調べなくても解っておりまするが、佐々木ささき金吾きんご今井いまい駿河するがう者はございません。


彦左ひこざ「はテな。ない所をると変名へんめいかもれぬ。だれだろう。一度いちど人相にんそうを見て来てやろう」


というので大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもん早速さっそく覆面ふくめん頭巾ずきんいたされました。家来けらい花房はなふさ志摩しま之助のすけを連れまして、小石川こいしかわ富坂とみさかの真向かいに煎餅せんべいがございますから、その煎餅せんべいの家へお入りになりました。


彦左ひこざ「許せよ」


亭主ていしゅ「いらっしゃいませ。なにかお入用いりようでございますか」


彦左ひこざ「いや、私は煎餅せんべいを買いに来たのではない。亭主ていしゅ、私の顔を知っているか」


亭主ていしゅ「ヘエ……」


彦左ひこざ「私は駿河台するがだい大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもんだ」


亭主ていしゅ「ヘエッ、大久保おおくぼ御前ごぜんでございますか」


亭主ていしゅおどろいて、にわに飛んで下り、大地だいち両手を突きまする奴を、


彦左ひこざ「いや亭主ていしゅ、そんなにしてもらわんでもいい。どうじゃな亭主ていしゅ世間せけんではこの大久保おおくぼつかまえて毛虫けむしおやじだとか狸爺たぬきおやじだとか云っておるそうじゃが、左様さようか」


亭主ていしゅ「なかなか左様さようなことはございません」


彦左ひこざ「いやこれは座興ざきょうだ。どうじゃな煎餅せんべいはよく売れるかな」


亭主ていしゅ「へいお陰様でボツボツ売れます」


彦左ひこざ「一日になんぼ売れる?」


亭主ていしゅ大久保おおくぼの爺めひまだと見えて色々いろいろなことをきに来たものだと思っております。


亭主ていしゅ「そりゃ日によりまして違いますので、なんぼともさだまりません」


彦左ひこざ左様さようかな。しからばどうじゃ。今日きょう一日を三両の売上として店を買ってやるがどうじゃ」


亭主ていしゅ「そりゃモウ買っていただきますれば結構けっこうでございます」


彦左ひこざ左様さようか。それでは煎餅せんべいはタダじゃな」


亭主ていしゅ「ヘイ、どうか御随意ごずいいに……」


彦左ひこざとにかくそれでは表をめてくれ。煎餅せんべいはいらぬが、少々しょうしょう見たいものがあるから」


亭主ていしゅ左様さようでございますか」


そこで亭主ていしゅは表の店をめてしまいまして、お茶菓子ちゃがしや煙草盆を出して待遇をいたします。


亭主ていしゅ「どうぞ御前ごぜん、ごゆっくりとおいでくださいませ」


彦左ひこざ「いや亭主ていしゅ、そんなに構ってくれんでもいい。しかし亭主ていしゅ、この向いの藤堂とうどう屋敷やしき薩摩さつまから三人さんにん勇士ゆうしが来て居るとうことだが、本当ほんとうか」


亭主ていしゅ左様さようでございます。なんでも三人さんにん来てお出でになります」


彦左ひこざ「その三名さんめいというのはどんな人間にんげんか知っておるか」


亭主ていしゅ「お名前なまえは存じませんが、顔は存じております。今さっき三人さんにん風呂ふろにお出でになりました様でございます」


彦左ひこざ左様さようか。それは結構けっこうじゃ。一番いちばん先におるのはどんな男じゃ」


亭主ていしゅ左様さようでございます。年頃としごろは二十七八でございましょう」


彦左ひこざ「なに年頃としごろ二十七八だ」


亭主ていしゅ「ヘイ。背の高さは七尺ななしゃくほどもあろうかと大変たいへんおおきな男で顔はあかがおでございまして、身には黒羽くろは二重はぶたえ着物きものに、丸鞘さや大小だいしょう刀を差しております」


彦左ひこざ「フウン。紋は分っておるか」


亭主ていしゅ「紋は無紋むもんでございます」


彦左ひこざ「フウン、紋をかくしておるな。いずれも余程よほどえらい奴に違いないが、だれらんナ……その次はどんな奴じゃ」


亭主ていしゅ「中に立っている人は年頃としごろ十七八でございますが、非常ひじょう温和おとなしい男振おとこぶりの良いお方で、女にしても間違まちがう位でございます」


彦左ひこざ「はテな、豊臣とよとみ男振おとこぶりが良いのは木村きむら長門ながとのかみ真田さなだ大助だいすけ幸安ゆきやすであるが、はてだれだろう。それから」


亭主ていしゅ「その後に付いておりますのはみのたけ八尺もあろうかとう恐しいおおきなぼうさんでございます」


彦左ひこざ「それはわかった。穴森あなもり伊賀いがのかみだ。フウン、今風呂ふろに行っておるか」


亭主ていしゅ「ヘイ、もう程なくお帰りでしょう」


彦左ひこざ左様さようか」


大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもん殿どのが待っておられまするところへ、しばらくすると風呂ふろからお帰りになりました三名さんめい、先が荒川あらかわ熊蔵くまぞうで、中が真田さなだ大助だいすけ、その後から穴森あなもり伊賀いがのかみがついてまいりますが、荒川あらかわ熊蔵くまぞうはただでさえあかかおを湯に入ったものでございますから、まるで茹でたこの様でございます。拳骨げんこつを固めて八方はっぽうを配り、関東かんとうの奴らめ手向てむかいをいたしなればたおすぞとわん許りに肩をおこらしてドンドンいそいでかえってまいりまするのを、煎餅せんべい亭主ていしゅがこれをながめて、


亭主ていしゅ御前ごぜんただいまお帰りになります。ご覧あそばしませ」


彦左ひこざ左様さようか。ドレどんな奴からん」


大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもんは立ち上がって格子こうしあいだからながめて見ますると、こはそも如何いか大阪おおさか度々たびたび鉄棒てつぼうってけられた荒川あらかわ熊蔵くまぞうおに清澄きよずみでございますから、彦左ひこざ衛門えもんはギョッとばかりにおどろきました。

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