[本文]第二席

生駒いこま壱岐守いきのかみ田村たむら紀伊守きいのかみ両名りょうめい上使じょうしとなって到着とうちゃくになりましたから、万事ばんじ島津しまづ薩摩さつまのかみがお世話せわもうしておりますから、両名りょうめいめ置きまして、早速さっそく井上谷いのうえだにむかってこのたび新将軍しんしょうぐん秀忠ひでただこう上使じょうしとあって、生駒いこま壱岐守いきのかみ田村たむら紀伊守きいのかみ両名りょうめい到着とうちゃくいたしたことをもうし入れました。


サア井上谷いのうえだに御殿ごてんではだい騒動そうどうでございます。秀頼ひでよりこうを初めとして豊臣とよとみ御家来ごけらいはなにがために上使じょうしをよこされたのであるか分らぬ。兎もともかくくことは出来できぬと、用意よういいたして待っておりますところへ、両名りょうめい上使じょうしうのでお出でに相成あいなりましたから、まず新御殿ごてん正面しょうめんにお通しもうした。豊臣とよとみ秀頼ひでよりこう御出迎でむかえに相成あいなりました後、


秀頼ひでよりおそれながら江戸えどおもて新将軍しんしょうぐん御名代ごみょうだい生駒いこま壱岐守いきのかみ田村たむら紀伊守きいのかみ両名りょうめい遠路えんろ所遥遥はるばる御大儀ごたいぎ千萬せんばん秀頼ひでより出迎でむかえをいたす事にござる。上使じょうしの趣、おおくだかれまするなれば、ありがたく存じまする」


慇懃いんぎんにご挨拶あいさつ相成あいなりました。田村たむら生駒いこま両人りょうにんは、


壱岐「ただいま御出迎でむかえの、ご苦労くろうにござる。将軍しょうぐん御諚ごじょうでござるが、大阪おおさか慶元けいげん両度りょうどの戦いはこれ軍門ぐんもんならいである故、是非ぜひなきこととおあきらめをねがいたい。かく太平たいへいの御代と相成あいなってみれば、秀頼ひでよりこう新将軍しんしょうぐんは婿と舅のあいだがらでござるにより、徳川とくがわ家においてもただいま秀頼ひでよりこう御有様ありさまるに忍びないとのおおせ、よってこのたび駿河台するがだい久能くのうさんの城が明城あきしろ相成あいなっておるを幸いに秀頼ひでよりこう百万ひゃくまんひゃくまんごくにて相立つべき旨、御沙汰ごさた相成あいなった。この早速さっそくお受けあって江戸えどおもて出府しゅっぷ相成あいなり、ありがたくお受けをいたされたい」


これを聞いた秀頼ひでよりこうは大いにお喜びに相成あいなりました。心の内に秀頼ひでよりこうは、


秀頼ひでより「こりゃ結構けっこうだ。駿河するがおもてに乗り出してまいれば、また豊臣とよとみ再興さいこう出来できる。早速さっそくの事お受けをしよう」


と考えまして、「ありがとうござる」とすでにおりをいたさんとしまするのをうしろにひかえておりました真田さなだ左衛門尉さえもんのじょう海野うんの幸村ゆきむらが、いきなり主人しゅじんの尻をおつねりに相成あいなりまして、


幸村ゆきむら「いけません。お受けをしてはいけません。貰ってよくば私がもらいます。豊臣とよとみの番頭たる私がくちばしを挟まない間に、何事なにごともご承知しょうちない貴方あなた勝手かってに言ってはいけませぬ。おひかえなさい」


とはえませぬから、目で仕方しかたをして、お尻をつねりましたから、秀頼ひでよりこうは、


秀頼ひでより真田さなだ、もらってはわるいか。仕方しかたがない。万事ばんじは番頭の御前ごぜんに任してあるのだから、よき様に返答へんとうをしてくれ」


そうおおせはなりませんが、早速さっそくの事で秀頼ひでよりこうはお頭を下げてひかえておいでになります。真田さなだ左衛門尉さえもんのじょう海野うんの幸村ゆきむら、席をお進みに相成あいなりましたが、


幸村ゆきむら「あいやこのたび遥遥はるばる遠路えんろの所をお使者ししゃにお出でくだされ、ありがたく存じます。主人しゅじん秀頼ひでよりより御返答ごへんとうもうすべきはずなれども、万事ばんじ幸村ゆきむらより御返答ごへんとうつかまつりまする。ただいま上使じょうしおもむうけたまわるに、秀頼ひでより駿河するが府中ふちゅうにて百万ひゃくまんひゃくまんごくくだかれるとの事、千萬せんばんかたじけなく候へども、少し当家とうけにて考える事これありそうろえば、このたびの所はおことわりをもうし上げまする。いずれまた出府しゅっぷの上、嘆願たんがんいたす義もこれありまするが、えずこのたびは宜しくおことわりをくだかれまする様」


とポンと断ってしまいました。これをきました田村たむら紀伊守きいのかみ両名りょうめい生駒いこま壱岐守いきのかみたがいに顔を見合して、


二人ふたり「どうだこりゃァ矢張大久保おおくぼじいさんの云ってたとおり、やぶを突ついてへびを出したか。流石さすが軍師ぐんし問屋とんや真田さなだ幸村ゆきむらだ。口上こうじょう上手うまい。嫌ともうすわけではござらぬが、当家とうけに少し考えることがござるから、追ってねがい出しをする。このたびの所はおことわりをするとう、どんな事をねがうのからん。かえって心配しんぱいになってきた。


顔色かおいろを変えましたが、嫌とうものを無理むりにやる訳にまいりません。そこで、


壱岐「しからばそのよし将軍しょうぐんによろしくもうし上げるでござろう」


いたし方がありませんから、つまり入費にゅうひぞんで、両名りょうめい江戸えどおもてかえってしまいました。その跡でもって秀頼ひでよりこうが、


秀頼ひでより「いかに幸村ゆきむら吾妻あづま天下てんかより駿河するが府中ふちゅう百万ひゃくまんひゃくまんごくやろうとうお言葉ことばであるになぜにお受けをせんか」


幸村ゆきむらおそれながら主人しゅじん貴方あなたはまだ若年じゃくねんなればおわきまえになりませぬが、よく物事ものごとを考えて御覧ごらんなさいませ。あなたに百万ひゃくまんひゃくまんごくあたえようという心が初めから徳川とくがわにあればなぜ大阪おおさかむかって軍馬ぐんばを向けましょうや。貴方あなた存命ぞんめいちゅうは、徳川とくがわおいてはまくらを高くしてねむる事の出来できない今日きょう有様ありさまでございます。よってこのたびもうして参った事は、もとより深き謀計ぼうけいがあるに相違そういございません。それゆえ、私がおことわりをもうしたよう次第しだいで、かねてち受けておったところでございまする。百万ひゃくまんひゃくまんごくおろ八百十七万石はっぴゃくじゅうななまんごくいたして、今に五七ごひちきりはたひるがえし、豊臣とよとみのおいえ再建さいけんいたそうとうのが幸村ゆきむらの心にございますれば、万事ばんじ私にお任せ相成あいなりまするように」


い終って一同いちどうの人に向い、


幸村ゆきむら今日きょう御登城ごとじょう相成あいなりました御家来ごけらい一統いっとうの中にて、豊臣とよとみ御為おんため生命いのちてようとうお方は、明四ッ時(9時くらい)に登城とじょうねがいたい。今日きょうはこれにてお退さがりありまする様」


これを聞いた豊臣とよとみ御家来ごけらい及び島津しまづ御家来ごけらいは、明日あすいかなる評定ひょうじょうがあるのからんと、その日はいずれもお帰りに相成あいなりましたが、さて翌日よくじつ相成あいなりますると、両家の御家ごかちゅう一統いっとうは、如何いかなる評定ひょうじょうなるかと、ドシドシ井上谷いのうえだに御殿ごてんへお上りに相成あいなりました。正面しょうめんには真田さなだ左衛門尉さえもんのじょう海野うんの幸村ゆきむら殿どのはじめ、せがれ大助だいすけ幸安ゆきやす後藤ごとう又兵またべ基次もとつぐ豪傑ごうけつひかえております。しこうして二段台の高い所には豊臣とよとみ秀頼ひでよりこう、一段下りまして島津しまづ薩摩さつまのかみさまはじめ、一統いっとうがおそろいに相成あいなります。そこで左衛門尉さえもんのじょう幸村ゆきむら殿どのが、


幸村ゆきむら如何いかにも各々おのおの方、御登城ごとじょう苦労くろうにござる。ついては昨日きのうもうしたるとおり、豊臣とよとみの為に一命いちめいを捨つべき御仁ごじんはこの場において二三名さんめいお出ましをねがいたいとうのは他でもござらぬが、昨日きのう上使じょうし口上こうじょうに、駿河するが府中ふちゅうにて百万ひゃくまんひゃくまんごくを与えようというのは、関東かんとうに深き謀計ぼうけいがあるに毛頭もうとう相違そういござらぬ。じゃによってこれから一度いちど江戸えどおもてむかって豊臣とよとみ名代みょうだい相成あいなってんでいただきたい。その口上こうじょう駿河するが府中ふちゅう百万ひゃくまんひゃくまんごくいただくはまことにかたじけないが、かくては天下てんか惑乱わくらんの基でござるから、何卒なにとぞいよいよくださるならば十万石じゅうまんごく結構けっこうでございまする。九十万石じゅうまんごくはお返しもうすから十万石じゅうまんごくにて南面山なんめんざん不落城らくじょう大阪おおさか秀頼ひでよりくだかれたいと云っておみをねがいたい。もし先方せんぽう駿河するが府中ふちゅうでならば百万ひゃくまんひゃくまんごくをやるが、大阪おおさかでは十万石じゅうまんごくをやらぬともうせばこれ関東かんとう謀計ぼうけいありとみとむる証拠しょうこでござる。よって百万ひゃくまんひゃくまんごくをくれて、大阪おおさか十万石じゅうまんごくをくれられぬとは理屈りくつわからぬ事である。それならば当方とうほうにも存じ寄りがあると云って関東かんとう二百六にひゃくろく十有余じゅうゆうよ大名だいみょうと論をしていただきたい。もしまか間違まちがえばにをしていただきたいのでござるが、この豊臣とよとみ御家来ごけらいの中にて早速さっそく江戸えどおもてんでくださる御仁ごじんはござらぬか。如何でござる……」


と言い終って家中かちゅうの者を見回みまわした。これをきましたる豊臣とよとみ家来けらい一同いちどうたがいにかお見合みあわわして、


皆「サア大変たいへんだ。豊臣とよとみ名代みょうだいをしようという大役たいやくだ。どうしたものであろう。談判だんぱんという事に相成あいなれば関東かんとう二百六にひゃくろく十有余じゅうゆうよ大名だいみょうを唯の一人ひとり相手あいてになって都合つごうによれば討死うちじにをしなければ相成あいならぬ。もとより生命いのちてるはかまわぬが、大役たいやく背負せおって無闇むやみんだ所がいたし方ない。どうしたものであろう」


うので、一人ひとり出る者はございません。一同いちどうしずまりかえってひかえて居りまするところへ差して、末席の方から飛び出しました一人ひとり荒武者あらむしゃ、年齢二十七八歳にいたしてみのたけ六尺ろくしゃく有余ゆうよもあろうとう、髪はカッツケとう奴で、たぶさ根本ねもとむらさきひもにて括り、はけ先を空にむかって振り上げましたその姿すがたいさましいことと云ったら、威風いふう凛々りんりんあたりをはら有様ありさまでございます。


あられ小紋こもんかみしも一着いっちゃくに及びましたが、大勢おおぜいひかえておりまする武士ぶしあいだを、御免ごめん御免ごめんいながらあらわてまいりましたは、これぞ大阪おおさか木村きむら主計頭かずさのかみ郎党ろうとう荒川あらかわ熊蔵くまぞうおに清澄きよずみでございます。これを御覧ごらん相成あいなったる左衛門尉さえもんのじょう海野うんの幸村ゆきむら殿どのは、


幸村ゆきむら「オヤ荒川あらかわあばれ者が飛び出して来やがった。こういうちゃもの談判だんぱんにどうして行けるものか。しかしどんなことをうからぬ」


と見ておられますると、ピタリ座を占めました荒川あらかわ熊蔵くまぞう


熊蔵くまぞうおそれながら軍師ぐんしただいまおおせ出しになりました義につき、これだけ大勢おおぜい御家来ごけらい御返答ごへんとういたすものがいないとは残念ざんねん千万せんばん拙者せっしゃなれば大役たいやくきっとつとめますから、右のやく目はこの荒川あらかわおおせ付けられとうござる」


幸村ゆきむら「ハハア、しからば荒川あらかわうじ貴殿きでんんで見事みごとこの大役たいやくつとくだしおかれるか」


熊蔵くまぞうおおせにや及ぶ。拙者せっしゃ何時いつでもまいりまする」


幸村ゆきむら「いやそれは千万せんばんかたじけない。しからばおくだされ。だか先方せんぽうへ入ってなん談判だんぱんいたされる」


熊蔵くまぞうただいま軍師ぐんし口上こうじょうきましたとおり、関東かんとうでは駿河するが府中ふちゅう百万ひゃくまんひゃくまんごくはいらぬ。だから同じくれる御心おこころがあれば一旦いったん落城らくじょういたした南面山なんめんざん不落城らくじょう十万石じゅうまんごくをいただきたいと身共みども談判だんぱんに及びます」


幸村ゆきむら「なるほど。しかしながらむこうが、駿河するが府中ふちゅうであれば百万ひゃくまんひゃくまんごくをやるが大阪おおさか一旦いったん落城らくじょうした城だからやることは出来できぬとえば、荒川あらかわうじ如何いかが返答へんとういたされる」


熊蔵くまぞう「ム……その時はいたし方ござらぬ。大阪おおさか十万石じゅうまんごくをくれぬものが、何ぜに駿河するが百万ひゃくまんひゃくまんごくをくれるはずがない。これ畢竟ひっきょうふか謀計ぼうけいがあるにさだまりとおるともうします」


幸村ゆきむら成程なるほど


熊蔵くまぞう「サアくれるかくれぬか、一ッ二ッの返答へんとういたせ。大阪おおさかでやるとえばそれでよし。くれぬとえば容赦ようしゃ相成あいならぬ。二百六にひゃくろく十有余じゅうゆうよ大名だいみょうはたもと八万騎はちまんき奴等やつらをブチってしまい、ことしなによれば寝所しんじょに飛び込み、二代にだい将軍しょうぐんあごたぶさをかけて、首をき抜いてしまいます」


幸村ゆきむら乱暴らんぼうな奴だ……荒川あらかわうじ、そんな事が出来できるか」


熊蔵くまぞう拙者せっしゃなれば大丈夫だいじょうぶ見事みごとやっておもうしまする」


幸村ゆきむら「いや左様さようなことをしては相成あいならぬ。もし先方せんぽうがくれぬとえば、しからば大阪おおさかじょうを除いた他でってくだしおかれたいと談判だんぱんいたしてもらいたい」


熊蔵くまぞう「なるほど。その大阪おおさかじょうを除いたほかところうのは……」


幸村ゆきむら「それは御身おんみはらなかにあること。わずれたる少勢をって関東かんとう百六ひゃくろく十余じゅうよ萬の大軍たいぐんを防ぐことの出来できるだけの名城めいじょうをお見出みだしになって、そのしろくだかれたいと談判だんぱんねがう。荒川あらかわうじ、そのしろは如何でござる」


熊蔵くまぞう「む……そのしろは存じもうさん」


幸村ゆきむららぬ様ではこの大役たいやくねがう訳にはまいらぬ」


熊蔵くまぞう左様さようか、それでは軍師ぐんし身共みどもまいることは出来できませぬか」


幸村ゆきむら如何いかにも。その駆引かけひきが出来できぬ様では、行ってもらったところがなんやくにも立ちもうさん」


熊蔵くまぞう「む……どうも残念ざんねん千万せんばん拙者せっしゃくち不調法ぶちょうほうだから理屈りくつにはかなわぬ。残念ざんねんだがいたし方はござらぬ」


荒川あらかわ熊蔵くまぞうは、さも無念むねんそうに歯噛はがみをらして、そのままズンズンと下ってしまいました。


さてこの後に続いてだれ一人ひとりも出るものがございません。一座いちざしずまり返っておりましたが、このときくちばしを入れられましたのがだれあろう、一段高いところひかえておられました島津しまづ薩摩さつまのかみさまでございます。

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