[本文]第一席

エエ、本日ほんじつより観客かんきゃく諸君しょくんのおのぞみによりまして、西国さいこくくつわ物語ものがたり豊臣とよとみ秀頼ひでより表題ひょうだいの下に、豊臣とよとみ二度にどはた揚げといたって活発かっぱつなるお講談こうだんもうしあげます。どうか鷹揚おうよう御遊おあそびあらんことをねがっておきます。


さてころ元和げんな元年がんねん(1615)五月ごがつ七日なのか大阪おおさかじょう到頭とうとう落城らくじょううことに相成あいなりました。豊臣とよとみには島津しまづ薩摩さつまのかみかみさま代々だいだいこれはお世話せわもうし上げんければならぬ理由わけがありまして、大阪おおさかの滅びる前に豊臣とよとみ秀頼ひでよりこうには、わずかの家来けらいと共にさかい七堂ヶ浜しちどうがはまへ迎えにまいりました。島津しまづの船に乗って、島津しまづへ落ち延びに相成あいなりました。しこうして秀頼ひでよりこう島津しまづこう御厄介ごやっかい相成あいなられ、ただいまでは鹿児島かごしま井上谷いのうえだにう所に、新築しんちく御殿ごてん出来できましたから、これへお移りに相成あいなり、秀頼ひでよりこう閑居かんきょかんきょしょうものがここにチャンと出来できました。


もっともお側に付いておるのは真田さなだ左衛門尉さえもんのじょう海野うんの幸村ゆきむら同大助だいすけ幸安ゆきやす後藤ごとう又兵またべ基次もとつぐ荒川あらかわ熊蔵くまぞうおに清澄きよずみ、そのほかの二三の勇士ゆうしと、百七八十人ひゃくひちはちじゅうにん家来けらいとが豊臣とよとみ秀頼ひでより守護しゅごということに相成あいなり、付き添っておりまする。


此方こちら大阪おおさか落城らくじょう相成あいなりましたから、世は徳川とくがわ天下てんか相成あいなり、徳川とくがわ家康いえやす征夷大将軍しょうぐん相成あいなりましたが、もなく御逝去ごせいきょになり新将軍しんしょうぐん秀忠ひでただこう二代にだい将軍しょうぐんと代は変りました。よってこれで天下てんか太平たいへい無事ぶじのようでございまするが、内心ないしんは決っしてそうではございません。


ここにある日のことでありましたが、徳川とくがわ殿中でんちゅうかりに詰めておられました当時とうじあら大名だいみょうわれた大名だいみょうのうちで紀伊きい大納言だいなごん頼宣よりのぶ藤堂とうどう和泉守いずみのかみ伊井いい掃部かもんのかみ生駒いこま壱岐守いきのかみう、これらの大名だいみょうが寄り合ってなにかご相談そうだん相成あいなりましたが、その時、藤堂とうどう和泉守いずみのかみが、


和泉いずみ「しかし紀伊公きいこう、このたび東照公とうしょうこう御逝去ごせいきょ相成あいなりましてただいまでは二代にだい上様うえさまの御代となり天下てんか太平たいへい無事ぶじの様でござるが、中々なかなか太平たいへいという訳にはいかぬ。我々われわれ滑々こつこつ考えてみるに、いま豊臣とよとみ秀頼ひでよりこう薩摩さつまむかって、お落ちに相成あいなり、島津しまづ御厄介ごやっかいになっておられるが、我々われわれ島津しまづ有様ありさまるに、禄高ろくだか七十七ななじゅうななまん八百はっぴゃくこくいたして勿体もったいなくも先祖せんぞ頼朝よりとも公の御末流ごばつりゅう島津しまづだけにて武鑑ぶかん出来できる位でござる。じゃによって島津しまづ薩摩さつまのかみ尻押しりおしをいたして、徳川とくがわむかってめ寄せてきた時には、とても受けめる事は出来できぬ。ことに天海てんかい上人しょうにん南光なんこう坊が御逝去ごせいきょ相成あいなったる時も、どうかして豊臣とよとみ残党ざんとうを残らずうち滅ぼさぬ時には、まくらを高くして寝ることが出来できぬとおおせになったが、そこで我々われわれの考えるのには、まずこれから豊臣とよとみむかって使者ししゃてる。将軍しょうぐん御名代ごみょうだいというので使者ししゃてて、丁度ちょうどただいま駿河するがくに府中ふちゅう久能くのうさんの城が明城あきしろになっておるから、この城にむかって秀頼ひでよりこうを入れ、百万ひゃくまんひゃくまんごくつかわすから一度いちど出府しゅっぷに及べともうつかわしたなれば、キッとるに相違そういござらぬ。我々われわれ大阪おおさか勝手かって一向いっこう存ぜぬが、駿河するがの城なれば大丈夫だいじょうぶ安倍川あべかわの境と久能くのうさん地雷火じらいかを打って放したなれば、いくら真田さなだ幸村ゆきむら名軍師めいぐんしであろうが、後藤ごとう又兵またべ英雄えいゆうであろうが、豊臣とよとみ残党ざんとう皆殺ころしにするのは容易よういな事、なんと各々おのおの一つご相談そうだん如何いかなものでござる」


と鼻うごめかしてうのを紀伊きい大納言だいなごん頼宣よりのぶこうきに相成あいなり、


頼宣よりのぶ「いかにも藤堂とうどう和泉守いずみのかみわるるごとく、成程なるほどよい策略である。しからばこれから将軍しょうぐん御名代ごみょうだいと云って島津しまづ使者ししゃてることにしよう。だがその使者ししゃにはだれをやったらよかろう」


とご相談そうだんをしておられまするところへ、時ならぬ折に勝手かって登城とじょう相成あいなりましたは、これぞ駿河台するがだい錦小路にしきこうじ薬研堀やけんぼりなる三千石せんごくはたもと頭、天下てんか三賢人さんけんじんわれました大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもん忠敦ただのり殿どのでございます。時ならぬ時分じぶん御登城ごとじょう相成あいなりましたから、「大久保おおくぼ殿どののお上り……」とうその声諸共もろともにお数寄屋すきや坊主ぼうず両人りょうにん立ちまして、


坊主ぼうずおそれながら御老体ごろうたいには御登城ごとじょう苦労くろうに存じます」


と肩を持ってくれる。


彦左ひこざ「フウン坊主ぼうず今日きょうはなにを思ったか、急に将軍しょうぐんのご機嫌きげんを伺わんと登城とじょうした。其方そのほう日々ひび苦労くろうである」


坊主ぼうず「サアどうぞおかかくだしおかれます様に」


そこで彦左ひこざ衛門えもんはお腰の物を抜いて、ちゃ坊主ぼうずにお渡しに相成あいなりまして、両人りょうにんの肩に掛かられましたが、これは一人ひとり坊主ぼうずの肩にすがってまいるのを片杖かたづえ御免ごめんいます。両人りょうにんの肩にすがるやつを両杖りょうづえ御免ごめんもうしまして、彦左ひこざ衛門えもんはこの両杖りょうづえ御免ごめんになっております。


人によると道路どうろを突き歩いた杖と頭巾ずきんこうむって御殿ごてんを歩いたともうしますが、将軍しょうぐん御前ごぜんむかって、いくら我儘わがまま大久保おおくぼと云ってもソンな無法むほうなことは出来できません。ただいま大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもんはお数寄屋すきや坊主ぼうずの肩にすがったなりで、お廊下ろうかをグングン伝って紅葉山もみじやま千代田城ちよだじょう奥御殿ごてんむかっておかかりに相成あいなります。さぎふじ等、それぞれ詰所つめしょ大名だいみょうひかえております。その大名だいみょう詰所つめしょ御覧ごらん相成あいなって、かり手前てまえまでると耳の恐しくはや大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもんでございますから、「なん各々おのおの御相談そうだんは如何でござる……」という話をヒョイと耳にしました。


彦左ひこざ坊主ぼうずしばらて」


坊主ぼうず「はい」


彦左ひこざただいまこの中でヒソヒソ話をいたすが、一体いったいだれがお寄合よりあいになる」


坊主ぼうずおそれながら紀伊公きいこうを初めとして、藤堂とうどう生駒いこま伊井いい田村たむら様等の御連中ごれんちゅう御揃おそろいでございます」


彦左ひこざ「ハハア、皆相当そうとうあら大名だいみょう寄合よりあいだ。よし貴様きさま用事ようじはないから勝手かってに下れ。モウこれでよいから」


絽鞘ろざや大小だいしょうをおりに相成あいなって、小刀しょうとうを前半に帯し、大刀たいとうをお廊下ろうかに杖に突いたるなり。しばらく中の様子ようすをおきに相成あいなりましたが、ふすまの外で、


彦左ひこざ「あいや御免ごめんください。どなたのお寄合よりあいでござるからぬが御免ごめんください」


う声をきましたお大名だいみょう一同いちどうたがいに顔と顔を見合せ、


藤堂とうどう「サア各々おのおの大変たいへんだ。駿河台するがだい狸爺たぬきおやじが来た。大久保おおくぼ毛虫けむしおやじだ。我儘わがまま勝手かって親父おやじだが、かなわんことには東照権現とうしょうごんげん御逝去ごせいきょの際、我なき後は大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもんって我といたせとうお言葉ことばであるから、今更いまさらいたし方はござらぬが、傲慢ごうまん無礼ぶれいな爺でござるから、いまの話を耳に入れたならば、かえって話をちゃちゃにするかも分らぬ。よってここは大久保おおくぼらさん方がよろしかろう」


藤堂とうどう和泉守いずみのかみいますると、一同いちどうはこれに同意どういをして、如何いかにもそれがよろしかろうと澄ましておりますると、彦左ひこざ衛門えもんふすまをサッと開いて、


彦左ひこざ「いやこれは紀伊公きいこう初め一統いっとうそろいでござるな」


頼宣よりのぶ「これは御老体ごろうたいでござるか。御登城ごとじょう苦労くろうにござる」


彦左ひこざ「なにさ、時々の勝手かって登城とじょうで……しかしただいま廊下ろうかでふと耳にいたしたことでござるが、各々おのおの方は今何なんの話をしていらっしゃった」


頼宣よりのぶ「ウム……それは別に変った事はござらぬ。いずれもみな国産こくさんの話で、紀州きしゅうには蜜柑みかん沢山たくさん出来できるとか、伊勢いせではいわし数多かずおおく取れるとよう国産こくさんの話をいたしておったので」


彦左ひこざ左様さようか。しかし各々おのおの方、彦左ひこざ衛門えもん国産こくさん沢山たくさん聞いたが、久能くのうさんじん安倍川あべかわの境に地雷火じらいかを伏せ、豊臣とよとみ残党ざんとうを討ち滅ぼそうと国産こくさん何処どこにござるか、一応承うけたまわりたい」


これには一同いちどうグウの音も出ない。耳のはや老爺おやじだとおどろいております。


頼宣よりのぶ「ム……」


彦左ひこざ「あまり馬鹿ばかにされるな。この大久保おおくぼは年を取っても耳が聞える。各々おのおの方は年を取れば目がうとくなって歯が抜けてしまい、耳が遠くなるものと思召おぼしめすが、左様さようなことでは徳川とくがわの後見は出来できん。ただいまのおはなし大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもん逐一ちくいちうけたまわった。各々おのおの方も御同然ごどうぜん徳川とくがわ天下てんかを思えばこそ、左様さよう言葉ことばも出たのでござろうが、よく物を考えてごらん。ころ慶長けいちょう十九年じゅうくねん、明くれば元和げんな元年がんねんの二年にかけ、夏冬の両戦りょういくさに、大阪おおさかつい落城らくじょうとなり、徳川とくがわ勝利しょうりとなった事でござるが、関東かんとう百六ひゃくろく十有余ゆうよ万の大軍たいぐん大阪おおさかわずかに十六万の小勢しょうぜい、それにも関わらず真田さなだ幸村ゆきむら采配さいはいでもって、何時いつ何時いつ敗北はいぼくいたしたことを各々おのおの方はおわすれに相成あいなったか。それゆえ拙者せっしゃただいまのおはなしもうす。もっともその真田さなだ死去しきょいたせばともかく、真田さなだ歴然れきぜんと生きておる。そのほか後藤ごとう荒川あらかわの如き豪傑ごうけつが、島津しまづに落ち延び、井上谷いのうえだにおい秀頼ひでよりこう介抱かいほういたしておる。今頃ころ真田さなだ幸村ゆきむら天文てんもんをくって考えておる。関東かんとうのヒョットコ大名だいみょうめ、ひまがあると見ててつまらぬ事を考えておる。いずれなにか云ってくるに違いない。来ればそれを幸いに謀計ぼうけいの裏をくぐってむこうの地雷火じらいかをもってむこうをやらんと考えておる。真田さなだ計略けいりゃく具合ぐあいよく出来できておるだろうから、ウッカリんだ日にはどうう目にわされるか分らぬ。俗にやぶをつついてへびを出すの仮令たとえ左様さよう無手むてぽうな事は相成あいなりません。ひまになればこそ斯様かような考えも出る。以後いごはおつつしみなさい。必ず共に上使じょうしをやることは相成あいなりませんぞ」


と云ったなりで大久保おおくぼ彦左ひこざ衛門えもんはその場を立って廊下ろうかて、


彦左ひこざ「年の若いのは後先あとさきを考えんからどうもならぬ。つまらぬ大名だいみょうばかりじゃ。話せる大名だいみょう一人ひとりもありゃせん」


つぶやきながら、一人ひとりしゃべって行ってしまいました……後では一同いちどうたがいに顔を見合みあわわせて、


頼宣よりのぶ「どうだ各々おのおの大久保おおくぼう奴は傲慢ごうまん無礼ぶれいな爺だ。己のうことばかり云って、我々われわれうことをきもしない。ヒドい老爺おやじだ」


和泉いずみ「ナニ、大久保おおくぼう事くらい何程なにほどのことがござろう。大阪おおさか落城らくじょういたしたは真田さなだ力量りきりょうがないからだ。滅多めった戦争せんそうの起きる気遣きづかいはござらぬからかまわぬ。上使じょうしをやることにいたそう」


頼宣よりのぶ如何いかにも左様さよう。それではだれをやる事にいたそう」


うのでここにだれをやろう、彼をやろうと評定ひょうじょう相成あいなりましたが、ついに田村たむら紀伊守きいのかみ生駒いこま壱岐守いきのかみ、この二人ふたり上使じょうしうことにさだまりました。


そこでさっそくこの両名りょうめい江戸えど発足はっそくに及びまする。江戸えどおもてから薩摩さつままでは里数が余程よほどございますが、この道中どうちゅうあずかっておきまして、見台けんだいをポンと叩けば上使じょうし島津しまづ到着とうちゃく相成あいなりました。サアいよいよこれからが豊臣とよとみ秀頼ひでよりこう駿河するが府中ふちゅう百万ひゃくまんひゃくまんごくるからぬかというおはなしでございます。


一寸ちょっと一息ひといき入れまして……。

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