講談速記本 豊臣秀頼西国轡物語

山下泰平

[解説] 豊臣秀頼西国轡物語とはなにか?

■『豊臣秀頼西国轡物語』の意味


『豊臣秀頼西国轡物語』という題名の時点で、現代人にとっては難解だと思う。少なくとも私自身は、その気になって考えるまで全く意味が分からなかった。


まず豊臣秀頼はそのまま豊臣秀頼、西国というのは九州地方を意味する。ただ轡物語というのが、どうにも分からない。調べてみると島津氏の家紋は「丸に十の字」で、轡紋と呼ばれることがある。つまり『豊臣秀頼西国轡物語』とは、豊臣秀頼が九州の島津家にいた頃の物語といった意味合いだということになる。島津氏の家紋は轡紋じゃないという人がいると思うが、明治時代はそういうことになってたんだから仕方ない。


タイトルは『豊臣秀頼西国轡物語』だが、物語の中で豊臣秀頼はほぼなにもしない。人の話を聞いて頭を下げたり、家臣に盃を下したり、嬉し泣きした後、しばらくすると病死してしまうくらいである。なんでそんな奴が題名になっているのかというと、題名にあまり意味はないからだ。格好良けりゃそれでいい、そのくらいの態度で命名されている。


だから題名の意味を考えても、あまり意味がない。こちらも現代人には了承し難いかもしれないが、当時の習慣なんだから観念するしかない。


■『豊臣秀頼西国轡物語』の作者について


『豊臣秀頼西国轡物語』の作者は、吾妻武蔵講演、吉田松茵速記となっていて、素直に読むと吾妻武蔵が講演し、吉田松茵が速記をしたということになる。しかしこちらもかなり怪しい。芸能関係にはかなり疎いため、あまり信用しないで欲しいのだが、私が調べた範囲内では吾妻武蔵という講談師はいないようだ。吾妻というのは浪花節の屋号に多い。それじゃ浪速節なのかというと、それもよく分からない。文体は講談っぽくある。


吉田松茵というふざけた名前の作者は、かなり面白い講談速記本を量産した人物で、大衆小説が出現する以前にいた名もなき天才の一人である。筆記とされているものの、どうにも作品が面白すぎる。当時の常識から考えると、新聞記者の可能性が高いだろう。この作品は速記本ではなしに、吉田が一人で書いた作品だと思われる。


思われるのだが、『豊臣秀頼西国轡物語』に似た物語が、江戸時代に存在している。だから吾妻武蔵なる講談師が『豊臣秀頼西国轡物語』を語り、吉田松茵が速記することは不可能ではない。


だがこの作品、実は『難波戦記後日談』として1900年に出版されている。吉田松茵が難波戦記後日談を参考にして、『豊臣秀頼西国轡物語』を書くことも可能である。


同じ言葉を繰り返してみたり、擬音を使ってみたりと、文体に浪花節や講談を感じさせる部分も多い。難波戦記後日談を吾妻武蔵なる芸人が、弁じていた可能性も否めない。しかしその口調も、後編にあたる『豊臣秀頼琉球征伐』では、形を潜めてしまう。私は講談速記本に関してはそれなりに読んでいるが、芸能や江戸時代の実録物には疎い。これ以上のことを調べるのは手に余る。


この様にどう書かれたのかすらよく分からないのが、講談速記本である。


■『豊臣秀頼西国轡物語』のおおまかな内容


『豊臣秀頼西国轡物語』は前作『真田幸村』の後日談ということになる。なんで真田幸村が生きてるんだと思った人は、前作を読んでみてほしい。


https://kakuyomu.jp/works/1177354054881283042


物語の中で活躍するのは真田幸村の息子真田大助幸安、荒川熊蔵、そして桂市兵衛である。


この作品は、講談速記本としてはかなり面白いもので、江戸の物語をベースにしているが、近代人でも読めるように仕上がっている。


江戸の娯楽作品の特徴として、テーマが散乱しすぎて意味が分からないというものがある。『豊臣秀頼西国轡物語』は、豊臣残党たちが徳川方の無能さ卑怯さに呆れかえり、ついには徳川幕府を見捨ててしまい、琉球国を中国から取り戻し、世界進出を狙うといったスケールの大きな物語である。これだけで十分に面白い。


しかし江戸の人たちは、島津の飛龍太郎左衞門という奸佞邪悪の家臣の悪行を、豊臣残党が懲らしめるといった、かなりどうでもいいエピソードに紙数を費してしまう。はっきりいって豊臣方の国取りがテーマなのに、飛龍太郎左衞門なんてクダらない武士が登場し、物語をひっかき回す意味がない。それはそれで江戸の洗練されていない物語といった趣もあるのだが、近代人が読むとかなり鬱陶しい。


ちなみに『豊臣秀頼西国轡物語』では、飛龍太郎左衞門のエピソードはまるまる除かれている。飛龍太郎が消滅したことで、物語の完成度が一気に上がる。


もちろんその他、整合性が取れてない部分にも微調整がなされている。後半になってくると作者が息切れしてしまい、ギリギリ納得できなくはないかなといった線でごまかしてある。これは書き手の体力の問題だから仕方ない。


豊臣方だと真田幸村と大助、後藤又兵衛、荒川熊蔵や桂市兵衛、徳川方では大久保彦左衛門といった講談速記本世界のスタープレイヤーが総出演している。徳川の人材は大久保彦左衛門だけなのだが、これはその通りで徳川方にスターがあまりいない。


大阪方は海外征服する足掛かりとして、琉球を成敗に行く。もちろん琉球にも豪傑たちがいて荒川熊蔵や桂市兵衛と勝負する。琉球の武士たちは、かなり強い。人外の能力を持ち、国内では敵なしの荒川熊蔵や桂市兵衛が負傷したりする。彼らのファンとしては、かなり衝撃的な作品でもある。


豊臣残党の面々は琉球を統治した後にスペインを狙うはずだったのだが、江戸時代の作者の根気と想像力がなくなってしまったのだろう、豊臣秀頼が病死してしまいそこで話は終っている。明治人は一定のルールの下で物語を生産していたため、洗練させることはできても、物語の続きを書くことはできなかった。


ちなみに豊臣方が海外で活躍する物語としては、豊臣秀吉が死なずに生きててスペインに出兵するっていう架空戦記が存在している。こちらは講談速記本とはちょっとジャンルが違う作品だ。


まとめるとこの作品は、合理性はないもののアイデアは面白く、スケールも大きい江戸の物語を究極にまで洗練させたのものだということになる。実はこの作品、大正7年にも『荒川熊蔵』として再出版されている。それだけ出来の良い物語だといえる。


講談速記本の世界を全く知らない人が読んで面白いのかというと少々疑問が残るのだが、私は講談速記本を読みすぎていて、知らない人の気持が分からなくなっている。まあ面白いんじゃないのかなと思う。

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