ライオンハート
「ライオンハート」と言われるとスマップの歌を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、それ以前にこの言葉はありました。
リチャード1世それが「獅子心王」つまり彼こそが「らいおんはーと」のモデルです。意味はと言われると困ってしまいますね。
日本語に訳すのが非常に難しい言葉の一つです。
要するに「雄ライオンがメスライオンや子供たちを命がけでまもる」という言葉になります。
その日も高倉昇は病院への長い道のりを汗をかきながら登ってゆく。
小高い山の頂上にその病院はあった。
彼の仕事は「医者」である。「医者がお金持ち」というのは幻想に近い。
たしかにお金持ちの医者はいるが、「お金持ちのサラリーマン」だっているのである。ただ「命」というものに接している限り、「失敗は許されない」それゆえに、わずかではあるが「高い給料をいただく」ということになる。
昇がこの「修行」のような出勤を始めたのは最近「出てきたお腹のお肉」が原因だ。
医者というのはスケジュール通り過ぎていくという事はまずない。
三食どころか一日一食の時もある。そんなときはどうしても「ドカ食い」してしまう。結果「お腹は出てくる」というわけだ。
次々と自転車で通勤する若い医師や、看護婦に抜かれ、やっと病院に着いた。
汗が滝のように流れてくる。
とりあえず、更衣室に入りびしょ濡れの服を新しい服に着替え、彼の仕事が始まる。
彼はいわゆる「精神科医」だ。外科とは違い手術など行うことは無いが、「姿が見えない」病気というものほど厄介な物はない。
日々「人の悩み」に耳を傾け、それに適した処方箋を出す。
楽なように見えるが「人の悩み」なんて聞いても気持ちが良いわけではない。
「医者」という立場から「防御」する術を得ているが、「つらいとき」だってある。
「あついな~」昇はそう言いながら団扇を扇いだ。
「夏は暑いのが当たり前です」と看護婦の石川さんはそう話す。
石川さんは40代で経験も「そこらへんの医者」以上あるベテラン看護婦だ。
「今日予約が入っている患者さんは4組です。」
と石川さんはリストを渡した。
「ふむ。この足立美里さんというのは?」
「新しい患者さんで先生の「評判」を聞いてこられるそうです。」
「うむ」と昇は顎を撫でた。
昇は学生時代から「精神科医」を目指していた。「原因は必ず脳にある」そう思って彼は血液や、脳の状態を検査していた。
そして「落語部」いわゆる「落研」に所属して「会話」を徹底的に勉強する。
昇の父は「時計職人」でこういう地味な作業は父に似たともいえよう。
いつもの患者たちはそれぞれ「言うだけの事を言うとすっきりして帰っていく」
「これで薬を飲めばそりゃあ楽になるだろう。医者なんていなくてもいいんじゃないか?」と思ってしまうことがあるが、「ちょっとした会話」にヒントを見つけて微妙に薬を変えていく、それが昇のやり方だった。
「足立美里」という患者は男性を伴っていた。
「足立勲」夫である。
「とりあえず検査でもしてみますか?」
と昇は微笑んで見せた。
それに勲は安どする。
脳のCTがとられ、血液検査が行われた。
やがて「結果」が届けられる。
その「データ」を見て昇の目が一瞬鋭くなった。
とりあえず、問診を行うことに決める。
「足立さん、診察室へどうぞ」と看護婦の石川さんの声が聞こえた。
カーテンがゆっくりと引かれ、二人は中に入っていく。
足立美里は34歳になる「美しい女性」だった。
「どうかしましたか?」
「いえね、最近家内が「物忘れ」が激しくて、毎日のように「病院にいけ」というんですけど、どうしてもっていいまして。今日は無理やり連れてきた次第です。」
話しているのは夫の勲だ。40代の男盛りで美里とはお似合いの夫婦だった。
「だから心配いらないって。ほんとにうちの人大げさですいません。先生」
「いえいえ、何事も予防は大切ですよ。チョットして行動の中にも病気は潜んでる時がありますから。。。」
「とりあえず一日、詳しく調べてみましょう。」
「ほんとですか?先生ありがとうございます」
勲は昇の手を取った。
一日の検査を経て「おおよその結果」がでた。
結果は「認知症」である。
まれにではあるが、この病気は30代でも発生することがある。
「それが若年性」と頭に付けられるゆえんである。
一日の検査入院のあと、二人そろって「結果の報告」を行う。
「心配いりません。「軽い」物忘れです。万が一のため「お薬」を出しておきますので忘れないでお飲みください。」昇は「嘘」をついた。
「ほらやっぱりね。あなたって心配性ね」と美里は勲をみた。
勲は肩の力が抜けたようだった。
「それからご主人。少しお時間いただけませんか?お薬の扱い方をお教えしますので、奥さんが忘れそうになったら飲ませてあげてください。」
診察室に昇と勲の二人だけになる。美里は石川さんが導いて診察室からは遠くにいる。
「ご主人」
「はい」
「奥様は。。認知症です」
「え」
「時々10代の患者さんも発症することがあります。総合して考えてみますと、結論は若年性認知症の可能性が高いです。」
「このことを奥さんに話すかどうか、それは貴方が決めることです。お二人でゆっくりと話し合ってみてはいかがでしょうか?」
勲は言葉が出てこなかった。
「発症をなくすことはできませんが、「遅らせる」事はできます。出来ることは何でもやるつもりです。」
しばらく呆然としていた勲は突然立つと床に土下座した。
「せん。せい。せんせい、、お願い、、、します」「おね、、がいします。」
床に数滴の勲の涙が落ちていた。
「わかりました。」勲の頭は床に落としていた。
こうして「足立美里」の「遅らせる」行為は始まった。
最初のうちは「物忘れの通院」として薬を処方した。
しかし一向に改善の余地は見られなかった。
「運命にあらがう」かのように昇は海外の医学書や、学会報告を丁寧に読んでいく。
少しでも、「時間を止める」そのために毎日のように徹夜の日々が続いた。
人が「物を忘れる」ということは「いいこと」なのだ。
どんなに打ちひしがれてもそれを「忘れることで」再び人は歩きだすのである。
しかし、「愛する人を忘れる」としたらどうだろうか?
少しずつ確実に忘れていく。二人が初めてデートした場所や。二人が好きな曲。「二人で過ごした時間が少しずつ消えていく。」
それは手のひらから砂が落ちていくようなものだ。
どんなにあらがっても掌(てのひら)の小さなすき間から砂は落ちていく。
半年を経過して勲は仕事を辞めた。二人そろっての通院が続いた。
「失われた記憶を戻すために」二人でとった写真や、二人が好きな曲を流した。
その日昇は毎日の徹夜でふらふらとしながら病室に通った。
廊下に勲の姿があった。
「どうかしましたか?」昇は走った。
「ちくしょう。ちくしょう。」勲は泣きながら壁をたたいていた。
何に対して「ちくしょう」と言っているのかはわからない。
床には涙が溜まって小さな「水たまり」が出来ていた。
「足立さん。。「入院」させましょう。このままでは奥さんどころか、貴方までどうにかなってしまいます。」昇は肩に手をかけた。
「すこし、、ずつ。。すこしづつ。。。二人で過ごした日の事を忘れていくんです。わたしのことも。。すこしづつ。。。。」
勲は床にしゃがんだ。
「入院」という判断を昇はしたが、毎日のように勲は病室に通ってきている。
聞けば「夜、道路工事の仕事」をしているらしい。
彼を見ると昇は山のような本を抱え診察室に入った。
診察の合間にその山に登った。
やがて夏が再び訪れた。
「あついな~」と団扇を扇ぎながらも目は本にいる。
「すこしずつ」ではあるが、、「足立美里」の記憶をとどめることに成功していた。
が、「失われた記憶」を取り戻すことはできない。
その結果として「通院」に戻すことが出来た。
その日は美里の受診の日である。
「へ~「足立さん」って「らいおんハート」が好きなんですか?わたしもなんです。」
美里の声が響いた。
「美里さんも好きなんですか?」と勲は答える。
「ええ。大好きなんです」
二人して診察室に入る。
昇は「最近どうですか?「木村」さん?」という。木村というのは美里の旧姓だ。
「それがおかしくって、先生」
美里は笑いながら話し始めた。それを勲が見守る。
二人は離婚したわけではない。しかし、勲と両親、そして美里の両親が話し合い、「今は実家」で美里は生活している。
会話が一通り終わると、処方箋をだす。
「それじゃ、いきましょうか?木村さん」と石川さんが手を取り導いた。
「次は足立さんの番ね」と美里は微笑んだ。
「奥さんの具合はだいぶ良いですね。しかし、油断はできません。薬を忘れないで飲ませてあげて下さい。」昇は言った
「はい」勲の声は明るかった
「先生。わたしね、決めたんですよ。記憶が無くなったのなら「もういちど最初から」作っていけばいいって。だから今は「友達」なんですよ。」
「もう少しでデートに誘えるかもしれません。なんてね。。。」
勲は微笑んだ。
二人して病院から出ていく姿を昇と石川さんは眺めていた。
「もう一度最初からか。」と勲のセリフを口に出すと
「さ~始めるか」と腕まくりする。
すると石川さんは山のようなカルテを差し出した。
真夏の太陽が二人を照らしていた。
完
もう一度、最初から。。。 若狭屋 真夏(九代目) @wakasaya
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