『儀海史料真福寺文庫撮影目録(上・下巻)解説』

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第1話

真福寺文庫撮影目録(上・下)巻の解説です。


『儀海史料真福寺文庫撮影目録(上・下巻)解説』

                           清水太郎

 大疏指心鈔 十六冊(頼瑜述)

 『大日経疏指心鈔』(ダイニチキョウショシシンショウ)が正式名で、大疏指心

鈔は異名である。執筆年代は弘長元年(一二六一)~健治四年(一二七八)。本書は『大日経疏』の「入真言門住心品第一」、「入真言門住心品之余」、「入真言門住心品之余」の第三巻までに対する注釈書である。『大日経疏』の文章を適宜に切り分け、その中の語句の説明、あるいは重要な語句に関しては、種々の経典や論書、また先学者の意見を取り上げ、問答している。頼瑜は加持身説法を唱えたことで有名である。この『大日経疏指心鈔』はその加持身説を唱えたという根拠があるとして知られている。

加持身説法というのは、『大日経』の教主は誰なのかということであるが、その延長線上の、密教の教主は誰なのかということである。毘盧遮那仏が教主であることに、それぞれの学者は、異存がない。しかし、その毘盧遮那仏は法身であり、法身は理身として考えられており、説法するかどうかの問題に関しては、顕教の経典では、言語等をもたないで説法しないといわれている。弘法大師空海は『弁顕密二教論』等において、密教と顕教の違いは、密教は「自受用法性仏が内証智の境を説く」といい、これが法身説法であるという。また『弁顕二教論』の下巻において、「金剛頂経所談の毘盧遮那仏自受用身所説の内証自覚理智の法とは、即ち理智法身の境界なり」といっており、そこで毘盧遮那仏と自受用身、そして理法身と智法身の考えが複雑に交錯する。『大日経疏』では、「薄伽梵とは、毘盧遮那本地法身なり。次に如来とは、是れ加持身なり。其の所住の処を仏受用身と名つく」とある。「次云如来是仏加持身」が頼瑜の加持身説を唱える重要な部分である。そこでは、智証大師円珍・般若寺の観賢・木幡の信証・済暹僧都の意見を挙げ、「私に案ずるに、仏加持身とは、上の薄伽梵句の中を指す、彼の句は本地加持を含むが故に。本地無相位に、言語無し。加持身、これ今経の経主なる故に、曼荼羅中台の尊というなり」とあり、加持身説を立てている。


釈論開解鈔(しゃくろんかいげしょう)

 異名を『釈摩訶衍論開解鈔』という。本書は頼瑜による『釈摩訶衍論』の註釈書で、執筆年代は建長八年(一二五六)~弘安六年(一二八三)である。


『釈摩訶衍論』(しゃくーまかえんーろん)は略して釈論という。竜樹の造、後秦の筏提摩多(ばつだいまた)の訳と伝えられるが、七・八世紀頃に新羅か中国で作られたものと思われる。大乗起信論の詳細な注釈書。古くより偽撰説がある。日本でも天応元年(七八一)に戒明によって伝えられて以来、偽撰とするものが多い。日本では空海が真言所学論典に加えて以後、多くの研究・注釈がなされ、真言宗(東密)で重用された。頼瑜は真言宗の立場から、偽撰説を排して、顕・密を対弁している。

【大乗起信論】大乗仏教の論書。馬鳴(めみよう)の著と伝えられるが、五~六世紀の成立か。真諦(しんだい)訳一巻、実叉難陀(じつしゃなんだ)訳二巻がある。一心を基にして現実相(生滅門)と永遠相(真如門)を関係づけたもの。その中の「本覚」という用語は有名。大乗仏教の入門書として広く読まれる。略称、起信論。


 五大虚空蔵念誦次第

五大虚空蔵とは虚空蔵菩薩の徳あるいは智を五方に分けた五尊の総称。東方の福智(金剛)、南方の能満(宝光)、西方の施願(蓮華)北方の無垢(業用)、中央の解脱(法界)の各虚空蔵菩薩をいう。念誦は心に念じ、口に仏の名号または経文を唱えること。密教では、本尊の真言を観じてとなえ、本尊と自己との身・口・意のはたらきが1体となって成仏しようとすることをいう。東密では正念誦(念誦、次第念誦)と、散念誦(随意念誦、諸雑念誦)の二種がある。


 宝鑰愚草(ほうやくぐそう)

宝鑰は略称で『秘蔵宝鑰』が正式な名称である。空海の著で真言宗の教判である十住心の各々の行相と典拠を説いたもの。淳和天皇が天長年間(八二三~八三四)諸宗の碩徳に勅して各々その宗要を録し奏進させたとき、空海は秘密曼荼羅十住心論一〇巻を撰して上奏したが、その文が広博であったので重ねて勅を賜りこの書を奏進したものという。従って十住心論を広論といい、本論を略論という。本文には十住心の名数を列ね各条には引用経論を最小限に止めて簡略化している。

宝鑰愚草は宗祖弘法大師空海の著作に対し、伝法会談義に際して為された議論の内容を頼瑜が編集したものである。


 宝鑰勘注

宝鑰勘注は略称で『秘蔵宝鑰勘注』が正式な名称で、弘法大師の著作『秘蔵法鑰』三巻に対する注釈書である。頼瑜法印七十歳、永仁四年(一二九六)の時の著作で八巻よりなる。『秘蔵法鑰勘注』は『秘蔵法鑰』の全文を挙げ、適宜

に分割し、『秘蔵法鑰』の引用する経論を丹念に取り上げている。


菩提心論愚草

詳しくは金剛頂(こんごうちょう)瑜伽中発(ゆがちゅうほっ)阿耨多羅三藐(あくのくたらさんみゃく)三菩提心論という。龍猛(竜樹)の造、唐の不空の訳と伝える。菩提心をおこすことを勧め、密教の立場から菩提心を行願・勝義・三摩地の菩提心に分けて説く。空海が重要視し、そののち日本の真言宗でひろく学習された。十巻章、二十五巻書の一つである。天台密教の系統では、竜猛の造とせず不空の集という。頼瑜が伝法会談義に際して為された議論の内容を編集したものである(愚草)


 声字実相義愚草(しょうじじっそうぎぐそう)

声字実相義は空海の著。言葉と文字の本質を密教の立場から解明したもの。声字実相義愚草は頼瑜によって文永六年(一二六九)に著されたもので、伝法会の議論を書き記した問答形式の注釈書である。

【声字実相義】平安初期、真言宗開祖空海の著作。一巻。『声字義』ともいう。〈声〉は音声・言語、〈字〉は真実・真理の意味で、普通の考え方では言語や文字は真理(悟りの内容)を表現することはできないとするが、本書では真実の仏(法身)は自らのはたらき(身と口と意の三密)として言語と文字を示すから、真実の仏の声・字そのものが真実をあらわすと説く。これを声字すなわち実相という。真言宗で説く真言は真実語であるという思想。法身説法の思想を明らかにした言語哲学の書である。


 吽字義秘訣(うんじぎひけつ)

『吽字義探宗記』は弘安三年(一二八〇)七月に頼瑜が著した書で、平安初期の空海著作一巻、『吽字義』の注釈書である。そのなかで「諸字の義に優劣はないというものの、吽字は諸仏の本源であり、諸法の能生であるからこの字を釈して顕密の因行果を摂し、教理行果の四法を摂する。顕教においては真如を法体とするが、真言においては吽字をもって真如の所依とする。弘法大師空海は即身義、声字義、吽字義によって三部三密の義を表しており、順次に仏部身密、蓮華部語密、金剛部密となり、吽字は識大の種子であることなどから、章密金剛部を表すためにこの字を釈す。鑁字は金剛智身の種子であり、阿字は胎蔵理仏の種子であるが、吽字は金胎両部一心理智不二の種子であるからこの字を釈す」と書している。秘訣とは「事を行うのに最も効果が多くて、しかもめったに他人に知らせない法。奥儀」である。

【吽字義】平安初期、真言宗開祖空海の著作。一巻。〈吽〉という字を字相と字義とのニ方面から解明した書。字相とは字の直接的意味で、吽は訶(h)、阿(a)、汙(u)麼(m)の四字合成の語であり、〈訶〉は因で、一切諸法は因縁より生ずるの意味。〈阿〉は本初で、一切の字の母、一切の声の体、一切の実相の源であるの意味。〈汙〉は損減で、一切諸法の空・無常・無我の意味。〈麼〉は増益で、一切諸法に我・人があるの意味をもつ。字義は字の真実の意味で、密教独特の深い意味を示すが、これに別釈と合釈がある。別釈では、因・本初・損減・増益は、真実の立場すなわち空の立場からすれば、すべて不可得であると説く。合釈ではこの四字は順次に法身・報身・応身・化身、または理・教・行・果のいみであり、また因・根・究竟の三句を示すとも説き、これらの密号・密義を知るものは正覚を生ずるという。字義を通じて密教の基本的教義を明らかにした言語哲学の書である。


 即身義眼目鈔

即身義は真言密教の根本教義である即身成仏の義を説いたもの。他宗の宗義はいずれも、三劫成仏(歴劫成仏)の説をとるのに対して、肉身そのままで仏と平等なさとりが得られるとする。眼目鈔とは物事の肝心なところ。主眼。要点。


二教論指光鈔

本書の正式名称は『辨顯密二教論指光鈔』で、弘法大師の『辨顯密二教論』に対する注釈である。加持身説を打ち立てた頼瑜の教学を知る上で重要な価値を持っており、特に新義派で尊重されている。本書は『二教論』の全文を適宜に区切って引用しながら、その文句を一々解説している逐語釈となっている。

【弁顕密二教論】平安初期、真言宗開祖空海(弘法大師)の著作。二巻。弘仁六年(八一五)ころの作か。顕教(法相・三論・天台・華厳の四宗)と密教(真言宗)との差別・優劣を弁別し、真言宗の優越性と独立性を明らかにしたもの。顕密二教の教相判釈を説く。本書は「序説」と「引証喩釈」と「結語」とから成る。多くの引証文をあげるが、その趣意を要約すると、第一能説の仏身、第二所説の教説、第三成仏の遅速、第四教益の勝劣について顕密二教の著しい相違を説く。


二教論愚草

弘法大師の『辨顯密二教論』への注釈で、『二教論』の中から論題を設定し、その第について問答形式で論議している、いわば堅義の草本のようなものである。このように論議形式で著されたものはすべて『愚艸』と呼ばれている。


即身成仏義顕得鈔(そくしんじょうぶつぎいけんとくしょう)

本書は頼瑜三十二歳の時、正嘉元年(一二五七)に高野山において著されたものである。現存する『即身成仏義顕得鈔』は、文永四年(一二六七)に頼瑜自身が再冶し、翌年に訓点をほどこしたものである。『即身成仏義』の逐語釈となって、全文を適宜に分けて引用し、これに注釈を加える形で論が進められている。凡そ七十部の転籍が参照されている。このうち、頼瑜が『即身成仏義』を解釈する上で主な拠り所としたのは、『異本即身成仏義』と『即身成仏義章』である。『即身成仏義章』は覚鑁の著作になるが、この他にも、『五輪九字明秘密釈』『心月輪秘釈』『淨菩提心私記』など、覚鑁の著作が多く依用されている。「三密」について解釈する中で、「一密成仏」の問題を取り上げて論じている箇所もみられる。また、当時流行していた本覚思想を背景に、「草木成仏」について言及しており、これに関連して、有情非情の成仏を以下のように分類する教相判釈を展開している。

一、 但し仏一人のみ仏性有り…小乗

二、 多人、性有りと雖も、一分の無性を許す…法相

三、 一切衆生、皆、仏道を成ず…三論

四、 有情非情、倶に成仏す

  (一)、事理相即して成仏を論ずると雖も、理を以て本とす…天台

  (二)、事理鎔融して成仏を談ずると雖も、事を以て宗とす…華厳

  (三)、三密相応して、成仏を明かす…真言

そこで、天台、華厳は、非情の成仏を説いても理念的なものであり、ただ真言だけが、真実の色心不二を説くとしている。また、こうした教理的な問題ばかりでなく、即身成仏をめぐる実践的な問題についても言及されている。問答の中には、三密行を修することによって即身成仏できるのか、道場で妄念が起つたり、また道場から出て雑務を行っている時も、即身成仏しているのか、といった具体的な問題を扱ったものもある。


 十住心論引文・愚草

十住心論は空海が大日経・菩提心論を正所依とし、顯密諸経論章疏・儀軌・外典などを広く引用して、一〇種の住心をたてて真言行者の心品転昇の次第を論じたもので、頼瑜には十住心論にたいして引文・愚草・勘文・第五勘文・衆毛抄・衆毛鈔等の注釈書がある。

【十住心】空海の十住心論に説く一〇種の心のありかた。異生羝羊心・愚童持斎心・嬰童無畏心・唯蘊無我心・抜業因種心・他縁大乗心・覚心不生心・一道無為心・極無自性心・秘密荘厳心。この順で次第に低い段階から高い段階へとのぼっていく。


 瑜祇経拾古鈔巻下(ゆぎきょうしゅうこしょう)

『瑜祇経』の注釈である。『瑜祇経拾古鈔』の上巻、下巻にはそれぞれ奥書が記されているが、それらによれば、弘安七年(一二八四)の三月中旬、生年五十九歳の時に醍醐寺で執筆し、さらに弘安十年(一二八七)十二月二十三日、生年六十二歳の時に、紀州根来寺で加点したようである。

『瑜祇経』は、世尊金剛界遍照如来が、自性所成の眷属とともに、光明心殿に住して、三十七尊の心真言を説き、さらに、金剛愛染王の心真言、摂一切阿闍梨行位の真言、菩提心の真言、愛染王の修法、大勝金剛頂の真言、仏眼の真言、、内護摩、外護摩、五部の潅頂法、大焔金剛夜叉の修法などを説く。真言宗では、この『瑜祇経』を両部不二の深義を説く経典として重視する。


 陀羅尼儀愚草

【陀羅尼】サンスクリット語の音写で〈総持〉〈能持〉などと漢訳する。経典を記憶する力、善法を保持する力を原義とし、さらに呪文の意として用いられるようになった。〈呪文〉は本来、修行者が心の散乱を防いで集中し、教法や教理を記憶し保持するために用いたもので、すでに大乗仏教の時代に盛行しており、密教の時代になるとさらに言葉に内在する存在喚起の効能に期待する性格を強めた。同じく呪文としては〈真言〉や〈明呪〉さらには〈心真言〉があるが、言葉によって存在を喚起し、事象を支配するという本質は同じである。陀羅尼はそれのうちでは比較的長く、まず「ノウマク・サマンダボタナウ」という帰敬の辞に始まり、諸々の仏菩薩、神などに対する多くのエピセット(形容句)を連ね、祈願をし、最後に「ソワカ(蘇婆訶)」で結ぶ形式をとる場合が多い。


 理趣教文句愚草

【理趣教】般若理趣教ともいう。日本密教の真言宗で常時読誦される経典で、詳しくは〈大楽金剛不空真実三摩耶教般若波羅蜜多理趣品〉という。一巻。不空訳。本来、玄奘訳の〈大般若教〉(六〇〇巻)に含まれる「理趣分」を祖型とする般若経典であるが、それが密教化されたもので、密教内の伝承では金剛頂教十八会のうちの第六会をなすものとされる。

内容は十七段よりなり、各段の末尾に密教的な種子(その段の内容を代替しうるはずの特定のシラブル)を付するが、殊に初段に「妙適清浄句是菩薩位」以下のいわゆる十七清浄句が説かれ、この内容が男女の性行為に関わり、かつその行為そのものを肯定するがごとき意味にとりうるものであるため(因みに妙適とは、男女の性行為による快楽の状態を意味する)、この経典は仏教では本来否定され、抑圧さるべきものとしての性欲を肯定し、解放し、それによって密教の宗教理想たる諸仏の大楽の境地に冥合せんとする革命的な思想を宣明するものであるとの理解がなされている。しかし、この十七清浄句に相当するものは、すでに玄奨訳の「理趣分」中に存することから、そのような一見性欲肯定的な表現には般若経典を誦持する菩薩たちの内面性に対する比喩としての性格が見出されねばならず、またこの経典それ自体の趣旨は、例えば要約部分としての百頌偈の「菩薩勝慧者、乃至尽生死、恒作衆生利、而不趣涅槃」以下の偈が示す通り、純粋に大乗的である。

この経典の読誦の習慣を定めたのは空海であるが、その場合彼はこの経典のたとえば同じ初段の「金剛手よ、若し此の清浄出生句の般若の理趣を聞くもの有れば、乃し菩提道場に至るまで一切の蓋障及び煩悩障法業障を設え広く積集するとも必ず地獄等の趣に堕ちず、設え重罪を犯すとも消滅すること難からず」という表現が示す如き罪障の消滅や堕地獄を防ぐ呪術的な効力に注目したものであろう。


法華開題愚草

『法華経開題』は空海の著。『法華開題愚草』は頼瑜の『愚草』なる著作群の一つである。宗祖弘法大師空海の主要な著作に対し、伝法会談義に際して為された議論の内容を頼瑜が編集したもの。開題は仏教経典の題目について解釈しその大要を述べること。

【法華経】第一期(初期)大乗経典に属し、紀元五〇年から一五〇あたりにかけて成立したと考えられる経典。現在の漢訳本は、竺法護訳〈正法華経)(一〇巻二七品。二八六年訳)、鳩摩羅什訳〈妙法蓮華経〉(七巻二七品、のち八巻二八品。四〇六年訳)、闍那崛多・達摩笈多訳〈添品妙法蓮華経〉(七巻二七品、羅什訳の補訂。六〇一年訳)の三本であるが、羅什訳がもっぱら用いられてきた。一九世紀以後、ネパール、チベット、中央アジア、カシミール(ギルギット)などで原典写本が相次いで発見され、漢訳本と対比しながら、改めて法華経の成立状況や特色について研究が進められている。

【構成と内容】法華経は、伝統的には「安楽行品第十四」と「従地涌出品第十五」の間で区切りが入れられ、前半は「方便品第二」を中心として統一的真理(一乗妙法)を明かし(開三顕一)、後半は「如来寿量品第十六」を中心として永遠の仏(久遠釈迦)を明かす(開近顕遠)とされた。天台智顗(五三八―五九七)は『法華文句』において、前半を〈迹門〉、後半を〈本門〉と称し、それぞれの特色づけに努めた。ところで、原典の成立状況からすると、もう一つの部門が立てられてくる。それは、「法師品第十」から「嘱累品第二十二」(「提婆達多品第十二」を除く)までの部分で、大乗の菩薩ないし菩薩行が強調されている。たとえば「法師品」では、苦難を耐え忍んで慈悲利他の菩薩行に励む者が〈如来使〉とたたえられ、「従地涌出品」では、その典型として地涌の菩薩のことが、「常不軽菩薩品第十二」では常不軽菩薩のことが物語られ、「如来神力品第二十一」および「嘱累品」では、菩薩たちに布教の使命付与(付嘱、嘱累)がなされる。

【特色】以上、伝統的立場と成立史的観点とを合わせて結論すると、宇宙の統一的真理(一乗妙法)、久遠の人格的生命(久遠釈迦)、現実の人間的活動(菩薩行道)が法華経の三大特色といえよう。それらは大乗仏教の三要素(法・仏・菩薩)をなすもので、古来、宗派の別なく注釈書が著されたり、法華思想の体系化がはかられたりした。一方で、他の代表的な大乗仏典との関係や優劣が論ぜられた。例えば中国の五・六世紀におきた教相判釈において、真理の統一性を説き明かしたものとして法華経を万全同帰教、純一性を説き明かしたものとして華厳経を頓教、永遠性を説き明かしたものとして涅槃教を常住教と規定し、それらの間の優劣が論議された。

【日本における展開】日本では、聖徳太子の『法華義疏』(真偽問題がある)が法華教注釈の始まりであるが、平安初期に最澄が出て、天台法華宗を樹立し、

鎌倉中期に日蓮が出て、改めて法華思想の体系化に努める。一般では信仰や書写の功徳が説かれた部分に目を付け、除災招福や懺悔滅罪のための法会が営まれ、法華経を書写する行事がなされるにいたる。また法華八講など、法華経を講説する法会が催されたり、のちの法華経各品の内容が絵図に表されたり(法華曼荼羅)、説法(絵解き)に用いられたりした。文芸面では、釈教歌の多くが法華経歌であり、説話にもしばしば法華経が引用されるなど、法華経は民間に広く流布するようになり、今日に至っている。なお法華経の霊験功徳譚の編集は、中国や朝鮮(高麗)でも行われた。その中で唐の僧詳撰『法華伝記』、恵詳撰『弘賛法華伝』、新羅僧の義寂撰『法華経集験記』(『法華験記』)などは日本にも伝来し、同類国書の成立をうながした。その代表的なものが鎮源撰『法華験記』(『大日本国法華経験記』)である。また『梁塵秘抄』に収める「法華経二十八品歌百十五首」なども、法華経各品を今様に歌えあげた法文歌の圧巻として注目すべきものであろう。


  御遺告釈疑抄(ごゆいごくしゃくぎしょう)

一般に、弘法大師空海撰と言われる『御遺告』には四本が知られている。それは、『太政官符案并遺告』『御遺告』『遺告真然大徳等』『遺告諸弟子等』である。これらは相類似した内容を有するものであるが、『御遺告』(二十五箇条)は東寺の立場から述べられているのに対し、『太政官符案并遺告』や『遺告真然大徳』は高野山の立場に依拠しているなど、それぞれ差違が認められる。頼瑜の『御遺告釈疑鈔』は「問う。東寺真言家と文へり」云々という文章から始まり、第九の問に至るまで、『御遺告』(二十五箇条)の1本のみに認められる文章を解釈しており、一見して、四本の『御遺告』の中でも『御遺告』(二十五箇条)にたいする注釈書であることが知られる。

『御遺告釈疑抄』は、その奥書によると、弘長二年(一二六二)三月、頼瑜三十六歳の時に撰述されたものであるという。そこでは、撰述の動機として「忝なく師長の命を承り」とのべられているが、弘長元年六月以後、頼瑜は醍醐寺報恩院憲深に随っており、このことから憲深の要請を受けていたことが予想される。

『御遺告釈疑鈔』以前の『御遺告』注釈書としては、実運(一一〇五~一一六〇?)の『御遺告秘決』、尚作(?~一二四五)の『御遺告勘註』等が知られる。


法華開題愚草

『法華経開題』は空海の著。『法華開題愚草』は頼瑜の『愚草』なる著作群の一つである。宗祖弘法大師空海の主要な著作に対し、伝法会談義に際して為された議論の内容を頼瑜が編集したもの。開題は仏教経典の題目について解釈しその大要を述べること。

【法華経】第一期(初期)大乗経典に属し、紀元五〇年から一五〇あたりにかけて成立したと考えられる経典。現在の漢訳本は、竺法護訳〈正法華経)(一〇巻二七品。二八六年訳)、鳩摩羅什訳〈妙法蓮華経〉(七巻二七品、のち八巻二八品。四〇六年訳)、闍那崛多・達摩笈多訳〈添品妙法蓮華経〉(七巻二七品、羅什訳の補訂。六〇一年訳)の三本であるが、羅什訳がもっぱら用いられてきた。一九世紀以後、ネパール、チベット、中央アジア、カシミール(ギルギット)などで原典写本が相次いで発見され、漢訳本と対比しながら、改めて法華経の成立状況や特色について研究が進められている。

【構成と内容】法華経は、伝統的には「安楽行品第十四」と「従地涌出品第十五」の間で区切りが入れられ、前半は「方便品第二」を中心として統一的真理(一乗妙法)を明かし(開三顕一)、後半は「如来寿量品第十六」を中心として永遠の仏(久遠釈迦)を明かす(開近顕遠)とされた。天台智顗(五三八―五九七)は『法華文句』において、前半を〈迹門〉、後半を〈本門〉と称し、それぞれの特色づけに努めた。ところで、原典の成立状況からすると、もう一つの部門が立てられてくる。それは、「法師品第十」から「嘱累品第二十二」(「提婆達多品第十二」を除く)までの部分で、大乗の菩薩ないし菩薩行が強調されている。たとえば「法師品」では、苦難を耐え忍んで慈悲利他の菩薩行に励む者が〈如来使〉とたたえられ、「従地涌出品」では、その典型として地涌の菩薩のことが、「常不軽菩薩品第十二」では常不軽菩薩のことが物語られ、「如来神力品第二十一」および「嘱累品」では、菩薩たちに布教の使命付与(付嘱、嘱累)がなされる。

【特色】以上、伝統的立場と成立史的観点とを合わせて結論すると、宇宙の統一的真理(一乗妙法)、久遠の人格的生命(久遠釈迦)、現実の人間的活動(菩薩行道)が法華経の三大特色といえよう。それらは大乗仏教の三要素(法・仏・菩薩)をなすもので、古来、宗派の別なく注釈書が著されたり、法華思想の体系化がはかられたりした。一方で、他の代表的な大乗仏典との関係や優劣が論ぜられた。例えば中国の五・六世紀におきた教相判釈において、真理の統一性を説き明かしたものとして法華経を万全同帰教、純一性を説き明か

したものとして華厳経を頓教、永遠性を説き明かしたものとして涅槃教を常住教と規定し、それらの間の優劣が論議された。

【日本における展開】日本では、聖徳太子の『法華義疏』(真偽問題がある)が法華教注釈の始まりであるが、平安初期に最澄が出て、天台法華宗を樹立し、鎌倉中期に日蓮が出て、改めて法華思想の体系化に努める。一般では信仰や書写の功徳が説かれた部分に目を付け、除災招福や懺悔滅罪のための法会が営まれ、法華経を書写する行事がなされるにいたる。また法華八講など、法華経を講説する法会が催されたり、のちの法華経各品の内容が絵図に表されたり(法華曼荼羅)、説法(絵解き)に用いられたりした。文芸面では、釈教歌の多くが法華経歌であり、説話にもしばしば法華経が引用されるなど、法華経は民間に広く流布するようになり、今日に至っている。なお法華経の霊験功徳譚の編集は、中国や朝鮮(高麗)でも行われた。その中で唐の僧詳撰『法華伝記』、恵詳撰『弘賛法華伝』、新羅僧の義寂撰『法華経集験記』(『法華験記』)などは日本にも伝来し、同類国書の成立をうながした。その代表的なものが鎮源撰『法華験記』(『大日本国法華経験記』)である。また『梁塵秘抄』に収める「法華経二十八品歌百十五首」なども、法華経各品を今様に歌えあげた法文歌の圧巻として注目すべきものであろう。


御遺告釈疑抄(ごゆいごくしゃくぎしょう)

一般に、弘法大師空海撰と言われる『御遺告』には四本が知られている。それは、『太政官符案并遺告』『御遺告』『遺告真然大徳等』『遺告諸弟子等』である。これらは相類似した内容を有するものであるが、『御遺告』(二十五箇条)は東寺の立場から述べられているのに対し、『太政官符案并遺告』や『遺告真然大徳』は高野山の立場に依拠しているなど、それぞれ差違が認められる。頼瑜の『御遺告釈疑鈔』は「問う。東寺真言家と文へり」云々という文章から始まり、第九の問に至るまで、『御遺告』(二十五箇条)の1本のみに認められる文章を解釈しており、一見して、四本の『御遺告』の中でも『御遺告』(二十五箇条)にたいする注釈書であることが知られる。

『御遺告釈疑抄』は、その奥書によると、弘長二年(一二六二)三月、頼瑜三十六歳の時に撰述されたものであるという。そこでは、撰述の動機として「忝なく師長の命を承り」とのべられているが、弘長元年六月以後、頼瑜は醍醐寺報恩院憲深に随っており、このことから憲深の要請を受けていたことが予想される。

『御遺告釈疑鈔』以前の『御遺告』注釈書としては、実運(一一〇五~一一六〇?)の『御遺告秘決』、尚作(?~一二四五)の『御遺告勘註』等が知られる。

 

 東禅院印信

平安期末の悉曇学者、東禅院心蓮(治承五年寂)の印信。鎌倉時代の中期建長元年(一二四九)に醍醐寺の僧深賢の書写本がある。

【心蓮】平安後期の真言僧 ?~治承五年(一一八一)四月十八日没。諱は心蓮。号は理覚。長く高野山に住して顕密二教を研究し両部大法、諸尊秘軌を相承する。仏像を多く作り、十数年にわたって護摩を修し、千手法を四十数回行ったという。

【深賢】?~弘長二年(一二六二)真言宗の僧。字は淨林。按察法印、地蔵法印と号す。初め醍醐金剛院聖賢について潅頂を、次いで健保三年(一二一五)遍智院成賢から職位伝法を受けた。歴仁二年(一二三九)幼弟の親快に伝法潅頂を授け、聖教・儀軌を授与したという。醍醐寺内に地蔵院を創建して開祖となる。その法流を地蔵院流といい、三宝院の正統と称される。蔵書家としても有名で、正元元年(一二五九)以前のかれの書状によると、「八怗本」の平家物語を所持していた。平家物語の成立過程に新たな問題を提起した書状として注目されている。著書、『普賢延命記』、『五大虚空蔵記』、『秘蔵記抄』など。


 秘蔵記勘文

 『秘蔵記』二巻。空海の著。成立年不詳。密教の要義である両部曼荼羅・四種檀法・三部五部・道場観・三句五転・潅頂・本尊などについて約一〇〇条を挙げて解説したもの。著者については古来⑴不空の口説・恵果の記。⑵恵果の口説・空海の記の二説がある。⑴は不空の没後に来唐した般若三蔵の翻訳である守護・六度二経をあげ、その口訣が註してあるから、この説は信じることができない。杲宝の秘蔵私鈔第一には深賢の鈔を引いて⑵の説を用い、以後東密ではこの説を尊重している。しかし空海・杲燐などの口説を霊厳寺円行が記したものという説がある。頼瑜はこの『秘蔵記』に注釈を加えたものである。


 妙印抄 (大日経疏妙印鈔口傳 宥範)


 潅頂作法 醍醐口伝


【潅頂】(梵)アビシェーチャナ(阿鼻詮左)あるいはアビシェーカ(阿毘世迦)の訳。水を頭頂にそそぐこと。密教では法を伝え、仏縁を結ばせるための作法として重んじる。

古代インドでは即位式や立太子礼において、国王となるべき人の頂に四大海水をそそぐ即位潅頂の儀式が行われたが、大乗仏教では、これを菩薩が修行の最終階位で仏となるべき資格を得るのになぞらえ、法王の職位をうけて諸仏の智水がその頂に注がれると解されるようになった。のち密教になると、如来の五智を象徴する水を行者の頂にそそぐ儀式が行われるに至り、中国・日本にも伝わって、日本では延暦二十四年(八〇五)最澄が高雄山寺で初めて行った。東寺では承和十年(八四三)実慧が勅許を得て、潅頂院で春秋二季に伝法・結縁の両潅頂を行い、同十三年からは秋季のみとなった。延暦寺では嘉祥二年(八四九)、一説に仁寿元年(八五一)ともいう。円仁が鎮護国家のために潅頂を修し、例年朝廷から潅頂料を給された。高野山では応徳三年(一〇八六)から東寺に準じて、康和三年(一一〇一)から春秋二季に行われた。

伝法潅頂 受職潅頂、伝教潅頂、阿闍梨潅頂、得阿闍梨位潅頂、ともいい、所定の修行を経て伝法阿闍梨となろうとする者が大日如来の秘法を授かるために行う特別の潅頂。

受明潅頂 弟子潅頂、学法潅頂、受法潅頂、持明潅頂ともいい、密教の弟子になるために行う潅頂。

結縁潅頂 多くの人に仏縁を結ばせるため投華得仏の法によって行う簡単な儀式。

金剛界・胎蔵界の各法によりまたは両部を合わせ行う金剛界潅頂・胎蔵界潅頂・両部合

行潅頂、即身成仏義の深秘口訣を授ける即身義潅頂、空海御遺告の難解七箇の大事を授ける御遺告潅頂、悉曇の難解を明示する悉曇潅頂などがあり、台密では蘇悉地経に基づき両部不二の説によって修する蘇悉潅頂があり、この他に多くの潅頂がある。


 秘鈔(抄)口决・聞書・異尊聞書

『秘鈔』一五~一八巻など。守覚法親王(一一五〇~一二〇二)の著。成立年不詳。東密小野流所伝の諸尊法を集めたもの。およそ六〇尊法および付法五種をあげている。親王は初め広沢流を保寿院覚成に受けて沢見・沢鈔などを著したが、また醍醐の覚洞院勝賢に小野流を受けて野鈔(野月鈔)を作り、さらに勝賢に問うて口伝を集めて野決鈔とし、この野鈔と野決鈔とをあわせ類聚して勝賢の許に遣わし、印可を求めた。以来醍醐では秘鈔と呼び、広沢方では白表紙また広蓋鈔と呼ぶ。頼瑜は秘鈔問答二二巻を著している。


 駄都法口决抄

駄都法は、舎利法また米粒法(米粒を舎利というによる)ともいう。駄都(梵字ダートゥ)は如来の舎利をいい、この修法は道場の中央に仏舎利を安置し、舎利を如意宝珠として観ずる密教の最極秘法。空海の遺言により師資の口伝によって相承される。この法は末法の衆生を利益するために行うという。駄都法と如意宝珠法との異同について、三宝院流と観修寺流との間に説が分かれている。


 退蔵入理鈔(たいぞうにゅうりしょう)

頼瑜著。異名を野胎入鈔。執筆年代、正安二年(一三〇〇)九月十二日。奥書によれば頼瑜が七十五歳の時にある人に頼まれて、根来寺の中性院において著されたものである。小野の諸流で用いられる淳祐の弟子延命院元杲(一一九二~一二六三)作の『退蔵界念誦次第(退蔵界念誦私記、広次第)』に対する注釈で、本書より五年前に著された『金剛界発恵鈔』の姉妹編である。本書では、本軌である『大日経』や『大日経疏』、弘法大師や興教大師の著作をはじめとした多くの東密諸師の次第や釈、台密諸師の次第や釈などを引用しながら、「私に云く」として、頼瑜自身の意見を交えて、主に教理的な意味の説明を中心として解説している。頼瑜の晩年の著作であることから、諸流を兼学してきた胎蔵法に関する集大成ともいうべき著作である。

【胎蔵界】理性がすべてのものに内在して大悲によって守り育てられているのを、胎児が母胎内にあり、蓮華の種子が華の中に包まれているのに喩えて、理、因、本覚、化他などの意をあらわすのが胎蔵界。

金剛界奥義集

【金剛界】真言密教では、胎蔵(界)と対をなして、〈両部〉という。胎蔵を客体すなわち〈理〉とするのに対し、金剛界を主体すなわち〈智〉(智慧)とし、真理は主客一体、智と理の不二であると説く。〈金剛界〉とはダイヤモンドのような堅固な悟りを体とするという意味で、それを表現したものが〈金剛界曼荼羅〉である。奥義とは学芸や武術などの奥深い肝要な事柄。極意。


 金光明経開題(こんこうみょうきょうかいだい)

【金孔明経】大乗経典の一つ。曇無識、真諦約、闍那崛多、義淨訳という四訳が知られるが、完本として残るのは曇無識訳四巻と義浄訳一〇巻のみである。後者の正式の名称は〈金光明最勝王経〉であり、〈最勝王経〉と略称される。護国経典として名高い。開題とは経典の題目について解釈し、その大要を提示すること。


 陀羅尼儀愚草

【陀羅尼】サンスクリット語のダラー二―の音写で、〈総持〉〈能持〉などと漢訳する。経典を記憶する力、善法を保持する力を原義とし、さらに呪文の意として用いられるようになった。普通には長句のものを陀羅尼、数句からなる短いものを真言、一字二字などのものを種子という。


 止観勘文

【止観】もろもろのおもいを止めて心を一つの対象にそそぎ(止)、それによって正しい智慧を起こして対象を観る(観)ことをいう。即ち、定・慧の二法であり、寂照、明静などともいい、この二つは戒と共に仏教徒の重要な実践とされ、阿含をはじめ諸経論の多く説かれる。止と観とは互いに他を成立させて、仏道を完行させるものであるから、不離のかんけいにある。これは鳥の双翼のようであり、車の両輪のようであると喩えられる。勘文とはかんがえぶみ。


 阿字観秘釈

【阿字観】密教で宇宙人生を阿字におさめて、一切法がそれ自体において根本的であり生滅しないものであるという本不生の理を観ずること。密教では菩提心を観想するのに、略して阿字と蓮華と月輪との三種の観じ方がある。この三種はいずれも一心に他ならず、同時に具っているものであるが、初学者の修観の便宜上から区別して別々に観じさせるのであって、このうち、阿字を観ずるのを阿字観といい、これに声と字と実相との三観の別がある。なお、阿字を図画するときに、通常は月輪と蓮華を書いて、月輪中に阿字を置く。


 薄草决(うすぞうけち)

本聖教は、醍醐寺三宝流の本流・學洞院勝賢の附法である遍智院成賢によって類聚された諸尊法集成『薄雙紙』(あるいは『薄双紙』『薄草紙』)の口訣書。

『薄雙紙』は、初重と二重に分けられ、各五十六尊法に目録一怗、都合百十二尊法からなっている。通常、初重の五十六尊法は普通諸尊法と称され、聖天供等のごく一部の尊法を除き、これは未潅頂者にも伝授が許されている。これに対して、二重の五十六尊法は、深秘異尊法として、初重のときとは反対にごく一部の尊法を除いて、已達‖已潅頂者でなければこれらの伝授はうけられないという恒規が定められている。

この『薄草子口訣』は、頼瑜が、醍醐寺報恩院道場において、弘長二年(一二六二)正月九日より、三宝院流の正統、遍智院成賢の附法である報恩院憲深にしたがって、上述の『薄草紙』初重の伝授をうけたおりの委細なる口訣を認めた書である。


   平成二〇年十一月三日

参考資料

広説佛教語大辞典 上・下巻 中村元著

岩波仏教辞典第二版

岩波広辞苑

頼瑜 ―その生涯と思想― 智山伝法院選書



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