エッセイ「たろうさんのお仏壇」

@19643812

第1話

私の家の仏壇の行く末は?


エッセイ「たろうさんのお仏壇」

                          清水太郎

我が家のお仏壇は2代目です、私も2代目なのです。信心深い母でした、自分の生まれた古里、元八王子村へ戦争中に疎開者として帰って来たのです。東京の新大久保で、未亡人となってアパートに暮らしていた時に私の父と出会い「あの人は辞めた方がいいよ」の忠告も聞かずに所帯を持ったと聞きました。当時の暮らしぶりはまあまあようだったようです。

父は40歳になっても身が固まらない、賭け事好きの我が儘な次男坊だったらしく、祖母が心配して、父が所帯を持ったとき「良かった」と安心したそうです。後で知りましたが、女癖も悪かったのです。

戦争中は朝鮮にも渡り、札束と拳銃を懐に持っていた事もあったと聞きました。母の古里に来てからは、シャッターの仕事が出来ないので、高尾にあった中島飛行機の仕事もしたようです。そこで材木を調達し、掘建小屋を神主さんの土地に母と建てたのです。その時に母は身籠もっていました、双子の姉と私です。妹が直ぐに生まれ、生活はたいへんだったのです。「ミルクの配給で取り合いになり、争った」と父が言っていました。私たちを取り上げてくれたのが、御産婆さんの宮崎さんでした。

若い人はもうニコヨン(254)失対を知らないでしょうね。祖父がやっていた豆腐屋を一時やったのですが、上手く行かずに、辞めてからは最後までその仕事でした。失対は貧乏の代名詞なのです。「327に行って来る」と自転車に乗り出かけたものです。最後は高尾山での仕事でした。アブレの時が競輪なのです。

食べ物さえあれば田舎でも暮らせる時代でした。今は無理ですね、なにもかもお金お金の時代です。母が新興宗教に入ったのは貧乏を抜け出したくて、祈らずにいられなかったからでしょうね。最初の仏壇を信者の人に作って貰い、その前で生活や子供の幸せを必死に拝んだのでしょうね。

ある日、母は食べ物がなくて、水団だけを出したことがあります。父は「こんな物を食べさせやがって、お前の宗教のせいだ」と怒鳴ったのです、忘れられません。あの時の母の祈りがなかったら今の幸せは、なかったと思うのです。2代目のお仏壇は母が買いました、団地に住んでからです。母に代わって、お仏壇を守ってくれるのは妻です。毎朝、ご飯にお茶を用意しています、過去帳に書かれた、人の命日に大きめのロウソクとお線香を欠かしません。私よりも、ご先祖様は妻をありがたいと喜んでいると思います。ですから、守られているのは多分妻ですね。

一人娘は姓が違います、このお仏壇を守る人がなくなるかも知れません。孫が来ると珍しいのか、私がお輪を鳴らすと音色よりも、触ったりするのが、面白いようです。まだ、ご位牌には手が届きません。触られても、ご先祖様は喜ばれると思います。

正面に代々のご位牌と、両脇には父母のお位牌を飾り、過去帳には親族の名前を記載してあります。私も毎朝欠かさず、娘と二人の孫の名を念じながら、お輪を鳴らします。

夏が来ると孫は3歳です。弟も立って歩き、お仏壇を見て触ることしょう。お仏壇の行く末は、ご先祖様がもうお決めでしょうかね。


エッセイ応募作品です。平成28年7月(校正)10日。加筆!

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