人間も見ようによっては魔物という話

月下ゆずりは

第1話

 大昔から疑問だったことがある。

 なぜ、足が二本ついているのだろうかということだ。


 いい朝だと布団の中で目が覚める。

 布団の中で足を揉み解す。なぜ、足がついているのだろうという疑問が頭の中で回転している。

 なぜ、足がついているのだろうと思い始めたのは大昔のことだ。まだ子供のころに抱いた疑問が現在でも渦巻いているのだ。細かいことを気にしすぎと両親には言われていたが、張本人からすれば重大なクエスチョンだった。

 自分という存在について深く考えるものは少ない。考えるだけ無駄であると誰もが思うかもしれないが、誰もが遭遇する思春期という強敵を前にすれば、自分とは何かという疑問という名の剣を用意せざるを得なくなる。

 人物はため息を吐くと朝の準備をするべく布団の誘惑を足で撥ね退けてベッドから降り立った。部屋の隅にすえられたベッドから這い出て大あくびをかみ殺しながら引き戸を動かして外に出る。

 気の遠くなるような高さの木々の中央にすえつけられた我が家。

 扉を出てすぐある手すりにもたれると地平線を眺めた。

 いわく、世界樹とも呼ばれているらしい。

 赤い月がかすかに浮かぶ青い空。目を凝らしてみると、ぼんやりと白い城のようなものが浮いているのがわかる。

 その昔、古代人と呼ばれた人たちが建造したという都市の遠景である。

 こういうときはいいなと思う。特に遠くを見るときは家族の誰よりも得意だから。

 じとりとした目で自分の二本の足を見つめる。関節のある、細い二本の足。蹄がついているならばすばやく移動できる。鉤爪があるならば木をうまく上ることだってできるというのに、小さい足の指は土を掻くような頑丈なつくりでもなければ、水中を泳ぐ時に有利に働く膜もついていないのだ。

 人物はため息を吐くと、通りすがりのご近所さんに軽く会釈して挨拶をした。


 「おはようございます。今日もいい天気ですねお坊っちゃん」

 「おはようございます。天気はいいんですけど、あんまり晴ればかりでも困りますねぇ」


 人物は天を仰いだ。

 ご近所のおじさんは朗らかに笑う。


 「はっはっは。気にしても仕方がないでしょう。雨は雨乞いしてもそうそう降るものでもないのだから」

 「神官連中に聞かせてやりたいセリフです。あ、いまのナシで」

 「まーた怒られますよ」


 と軽く会話をしてから、家の中庭へと進んでいく。天高く生えている木には雨が降り注ぐほか、雲と触れ合うことでできる水が重力にしたがって落ちてくる。昔の人の知恵というものはすばらしいもので、水を地上からくみ上げないでもよいようにと、雨水と露を集めてくみ上げられるように水道が完備されていた。

 木の洞の中の井戸にあるバケツを滑車を使って引き上げると、頭に担いで歩いていく。


 「腰がいてえ。足のばねがないからしゃーないな」


 ぶつくさと文句を言いつつ家の中へと入る。

 リビングから廊下を進む。洗濯物をまとめた籠を床から取ると、足で蹴って床を擦らせつつ洗い場へと運ぶ。洗濯物を一気にたらいの中にぶち込むと足で踏んで洗う。踏んで洗える点は非常に楽である。家族とご近所さんは必死で手で洗うのだから。

 じゃぶじゃぶと布切れを洗っていると、背後に気配を感じた。

 振り返らずに声をかける。

 シャツの袖口を捲り上げつつ。


 「洗濯物当番ご苦労!」

 「姉さん……」


 人物は朝からまた飛ばしてんなと思いつつ振り返った。声の大きさたるや鯨の潮吹きにも匹敵する勢いであった。

 紫色の髪の毛を腰まで垂らした目のパッチリとしたグラマー。肌は血管さえ浮いてしまうのではと錯覚する真珠のような肌。口元を勝気に持ち上げた様は、道行く男どもを虐殺して墓に埋めるであろう美しさであった。緩やかに伸ばされた足はネグリジェによって輪郭を隠されていて、うっすらと流線型を見せ付けていた。均整の取れた容姿は弟であるその人物からしても美人であると断言できた。

 薄布のネグリジェは高価な代物であることを示すかのようにつくりの細かい刺繍が無尽に走っていた。

 ……にもかかわらずわざとらしく胸元を開けている。弟をからかいに来たのだろうと察しがついたので、人物は振り返る時間をものの数秒にとどめた。

 姉はずるりと背後に接近してくるとわざとらしく胸元を押し付けてくる。

 人物の表情は変わらない。考えてみてほしい。家族のおっぱいに興奮できるやつがいるのだろうかということだ。

 せめてかわいい女の子ならなと本人に伝えたら憤慨しそうなことを考えていた。

 もくもくと足ふみを続けて無視していると、視界の隅から紫色の髪が割り込んできた。


 「もー朝から暗いぞー。もてないぞー」

 「リィーロさんリィーロさんなら洗濯物代わってくんねぇかな」

 「やだー用事思い出しちゃったーごめんねー」


 姉――リィーロの手に洗濯籠を押し付けんと人物が声を上げると、肝心のリィーロは同じようにするりと視界から消えて逃げ出していった。

 ふんっ。鼻を鳴らすと洗濯を続行。下着やら何やらがあってもかまわず踏んでおく。

 全て終わると水をよく絞って籠の中に乗せて中庭に出た。

 中庭はよく手入れが行き届いていた。神様の姿を祀った像が直立するそばには大木が二本突き出していた。よく見ると大木の根元には根っこがなく、敷かれた板の隙間からは大木の中央から伸びてきている枝に過ぎないことがわかる。

 人物は大木の上に居を構えているのであった。

 洗濯物を洗濯干しの棒にかけていく。皺のできぬように丹念に指で広げてはかける。全てかけ終えると額の汗を軽く手の甲でぬぐった。

  朝一番の選択はきょうだいの仕事である。本来の仕事とは別の仕事で、交代交代で仕事を担当するはずだった。

 だが姉は一向に仕事をしようとしないので、いつも人物が処理するのだった。

 というのも人物が一番洗濯物が早いからだ。特別な道具を使わない限りは彼にかなうものはいなかった。

 ふと外を仰いでみると、家の外の門の前でうろうろしている人物がいるではないか。

 人物――アオという青年は、赤毛を手で掻きあげつつ歩み寄った。


 「神官サマじゃないですか」


 嫌みったらしい口調に人物の眉が傾いだ。


 「君という男はいつもいつも皮肉ばかり口にするのだなあ。その口でお母さんにおはようの口付けをするというのかい」


 神官と呼ばれた女性は腕を組むと鼻を鳴らした。

 白い装束。二本の牙と鋭い眼球をかたどった頭巾に模様を凝らしたローブ。傍らについた杖には動物が絡み合って螺旋構造を形成していた。

 世界を創造したと言う神様は二人いたという。男と、女。二人は絡み合って一本になった。世界はひとつの柱から生まれた。という神話に基づくものだ。

 アオは、正直神様に信頼をおいていなかった。だから反応もつまらなそうなひねくれたものになる。

 神官の女性は――サリィナといった。紫色の髪の毛を地面に届くほど伸ばした切れ長の瞳が特徴的な妙齢の女性である。

 彼女は神官になるために生まれてきたような女性だった。先祖代々神に仕えてきた一族の一人。子供のころから神殿で育ち、神官になるためだけに教育を受けて、祝福を得た。定期的に執り行われる儀式には常に参加していた。

 そんなサリィナからしてもアオという男は不思議だった。どうしてこうもひねくれるのだろうという疑問が渦巻いていた。


 「母さんへのキスはもう卒業したんだが。神官サマ」

 「君によい知らせを持ってきた。戦士になるための儀式を受けるように賢人会議から決定が下された」


 聞くなり、アオは押し黙ってサリィナと同じように腕を組んだ。


 「なるほどね。客観的な意見を聞かせろ。俺は本当に戦士にふさわしいのか」


 アオにとって最大の疑問点だった。

 戦士とは何か。それはアオの家族の家系に由来する重大な儀式である。

 曰く、アオの一族――は悪しき化け物たちから世界樹と呼ばれる住処を守ってきたのだと。一族の名をソラルといい、ソラル一族は常に優秀な戦士を輩出してきたのだという。

 赤毛の青年アオ=ソラルは再び腕を組むとむっつり押し黙って答えを待った。

 サリィナは口元を緩めるとアオの赤毛のつんつんとした髪の毛をくしゃくしゃに撫で回した。羞恥を浮かべて手を払われてしまったが。


 「どんな答えが欲しい? 慰めてもいい。神様は平等に愛してくださる」

 「どうかな」


 アオが言った。


 「神様は俺を愛してないかもしれんぞ」

 「素直じゃないなあ。神様に授かった術を行使できるんだから少なからず君の事を想っているということだろう?」

 「たまたまだろ」

 「たまたま力を与える神はいないと思うんだ。でどうするのか決めて欲しい。儀式を受けるのか、受けないのか」

 「行くに決まってんだろ。日は知ってる。きちんと行くから心配すんな」


 アオは腕を解くとサリィナに背中を向けて歩き始めた。

 素直に行きますと言えばいいのにとサリィナは微笑みつつも人差し指と中指を絡ませて胸元に置き神様に祈りを捧げた。

 アオは早速家に戻ると朝飯の仕度をするべく手を洗った。

 野菜を刻んでは鍋に放り込む。調味料と水を加えて完成。後は煮込むだけだ。そうして、火を熾そうとして釜の前に立った。

 魔術、神術、呪術、祈祷、その他無数の方法がある中でも世界樹の住民が用いるのは神術と呼ばれる。上位の存在に対し忠誠を誓うことで力を分け与えてもらうのである。日々の火熾しや仕事や治療にも用いられる。

 アオもまた他の住民と同じように術を扱うことができたが、なぜ扱えるのだろうと教会に行くたびに疑問に思ったのだ。

 釜の中に木材を突っ込み手を翳す。


 「"神の名において命ず 燃えろ"」


 小さな種火が手元に渦巻きながら発生した。右手と左手でこね回すようにして火を木材に移す。息を吐きかけて火を成長させていく。拳より大きく成長したオレンジ色の塊を広げるために小さい枝を差し込んでいく。炎を見つめながら軽くむせた。

 ふいごを踏んで火を料理ができる段階にまで成長させていると、背後に気配があった。

 例のネグリジェを着込んだリィーロだった。目をごしごしと擦っている。眠たそうだった。

 またこいつは二度寝してたのか。アオは呆れ顔でふいごから足を離すと鍋に突っ込んだ匙をかき混ぜて匂いをかいでいた。


 「遅い。どうせ二度寝してたんだろ姉貴」

 「……なぜばれたんだろう」

 「むしろばれないと思ってんの?」


 おかしいなぁと暢気なことを言う姉の頭を叩いて、手でメガホンを作る。


 「みんな起きろ! メシだぞ!」


 と。

 食後に後片付けくらいはやれと姉の手に皿を押し付けて自室に戻るとベッドにごろりと転がって思うのだ。


 「なんで俺だけ二本の足なんだろうな」


 家族を含む世界樹の住民たち。大抵の種族はみんな足が蛇や魚や馬のような格好をしているというのにと。

 二本足に二本腕につるつるの肌をした種族なんて聞いたことも見たこともない。

 俺はどこから来たのだろうという疑問は今日も解消されないままだった。



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