テンプレその2『クラスメートが休んだら、プリントを届ける』
学校からいったん帰宅し、カバンを置くと。
おれ――結野奏汰は、預かったプリントを片手に再び外に出た。
向かう先は、おれが愛してやまない幼なじみ――天里美織の家。
昨晩から熱を出してしまったらしく、いつも元気な美織にしては珍しいことに、今日は学校を欠席していた。
そんなわけで、隣の家に住むおれが、プリントを届ける役になったわけだが……。
――――ピコンッ♪
片手に持ったスマホに、RINEのポップアップが表示される。
差し出し主は案の定……テンプレの神様だ。
【欠席した好きな子の家に、プリントを届けに行く……素晴らしいシチュエーションじゃん、奏汰っち! これはもしかしたら、美織っちとフラグを立てるチャンスかもよ?】
そんなメッセージとともに、黒髪ツインテールの美少女がVサインをしているスタンプが送られてくる。
【ふ、不謹慎だっつーの。美織は体調が悪いんだぞ?】
【だーかーら。そんな美織っちを看病することによって、二人の距離は急速に縮まるんだって。こんな最高のテンプレ、逃していいの? ん?】
……ぐっ。
確かに、神様の言うことは一理ある。
『テンプレートデイズ』のご加護を受けて以来、おれの人生はテンプレまみれだが……その大半は、ろくでもない展開ばっかりだ。
特に、幼なじみの美織に関連するイベントは、まぁひどいの一言に尽きる。
昨今のテンプレ展開だと、幼なじみは『噛ませ犬』になりがちとはいえ、もうちょっとやりようがあるだろとは思う。
そこに舞い込んできた、この絶好のイベントチャンス。
……そりゃあ、期待してないって言ったら嘘になる。
ピンポーン♪
チャイムを鳴らしてみるが、美織の家から反応はない。
あいつのお父さんとお母さんは忙しい人たちだからな。仕事から帰ってないんだろう。
となると、残るは美織だが……熱があるわけだし、寝てるのかもしれない。
どうしたものかと思いつつ、念のため玄関の扉を引いてみると。
――――ギィと音が鳴って、扉が開いた。
「不用心だな……なんかあったらどうすんだよ」
呆れながらも、おれは二階にある美織の部屋へと向かう。
寝てるところを起こしても悪いし、プリントだけ置いて帰ろう。
……なんにもイベントが起こらないってのも、ちょっと残念ではあるけど。
そんなことを思いつつ、おれはおもむろに――美織の部屋のドアを開けた。
「えっ。ちょっ、そうくん!?」
予想外の展開に、おれは思わず硬直してしまう。
寝ていると思っていた美織は、ベッドの上に腰掛けていた。
――白地に水玉模様の、下着姿で。
「あ。え。あ……」
「い……いつまで見てんのよ! えっち! バカ!!」
慌てて掛け布団をかぶると、美織は顔を真っ赤にして、ちょっと勝ち気なその瞳で睨みつけてきた。
首筋で切り揃えた茶髪は汗のせいで、ぺったりと肌に貼り付いている。
熱のせいか、いつもより上気している頬は、なんだか色っぽい。
そうしてボーッと顔を眺めていると、美織はただでさえちっちゃい身体を、さらに縮こまらせる。
「……見たでしょ」
「い、いや! 大丈夫だ! 何もなかった!!」
「何もないとは何よ!? 少しはあるわよ! お……大きくは、ないけど……」
消え入りそうな声で呟いて、美織は布団に顔を埋めた。
机の上には水の入った洗面器が置かれており、濡れたタオルが掛けられている。
そうか。汗をかいたから、タオルで身体を拭こうとしてたのか。
「ご、ごめんな美織……すぐ帰るから」
持ってきたプリントを机に置くと、おれは布団にくるまっている美織から目を逸らした。
あの布団の中に、下着だけを身にまとった美織がいると思うと――心臓がバクバクして止まらない。
生まれ変わったら、美織の布団になれますように。
「……待って、そうくん」
そうして部屋を立ち去ろうとしたところ、後ろから美織に声を掛けられる。
そして、震える声で。
「そうくん……あたしのこんな恥ずかしい格好見て……どう思った?」
「ど、どうって……?」
「ちょっとくらい……ドキドキしてくれた?」
「い、いや。そりゃあ、まぁ……」
ちょっとどころか、そろそろ死ぬんじゃないかってくらい、心臓はフル回転してますが。
「そうくん……なんだかね、寒いのが止まらないの」
「ね、熱のせいだろ。早く服着て、ゆっくり寝て治せよ」
「…………あっためて」
――――!?
「み、美織!? おま、何言ってんだ!?」
「分かんない……頭がボーッとしちゃって、分かんないよぅ……でも、そうくんにあっためてほしいんだよぉ……寒くて、寂しくって……せつないの」
拝啓、『テンプレートデイズ』様。
このたびは大変素晴らしいテンプレをご提供くださり、誠にありがとうございます。
今後とも、この調子でよろしくお願いいたします。
――と、心の中で『テンプレートデイズ』に手紙をしたためて。
おれは生唾を飲み込んで、美織の方へと振り返った。
熱と恥ずかしさで染まった赤い顔で、美織は上目遣いにおれを見つめている。
「そうくん……」
さよなら、おれの理性。
脳内の回路がひとつ焼き切れたのを感じつつ、おれは美織へと早足に近づいて――。
――――ガシャンッ!!
まさに、その瞬間だった。
窓ガラスがぶち破られたかと思うと、ごろごろと人間が転がり込んできたのは。
シンと静まり返る、美織の部屋。
……拝啓、『テンプレートデイズ』様。
ふざけんじゃねぇぞ、この野郎!
「……けほ、けほ」
床にぐったりと倒れ伏した少女は、わざとらしい咳を漏らした。
そして、ころんと転がって仰向けになる。
白い肌に、長い睫毛に縁取られた瞳。
入院着みたいな服の上からでも分かる、はち切れんばかりの大きな胸。
青みがかった銀髪は、お団子のようにまとめられている。
そんな、いつもとは違う装いで――おれの許嫁にしてアルゼクラン皇国の第五皇女、ティナリア=アルゼクランはくいっと、銀縁の眼鏡をずり上げた。
……なんで眼鏡してんの、お前?
「けほ、けほ……すみません。わたし、昔っから身体が弱くって」
「小芝居はいいから、窓ガラスをぶち破った理由を説明しろティナ」
「ティナ……? どなたですか、それは? わたしは余命僅かな病弱少女、
何を言っているんだ、こいつは……。
今日も絶賛、こいつの頭のネジは数本ぶっ飛んでやがる。
「繰り返しになりますが、わたしは余命僅かな病弱眼鏡っ娘。この病院に入院してから、かれこれ数年が経ちました」
「お前の中の設定ではそうなんだろう。お前の中ではな!」
「けほ、けほ……この葉っぱが全部落ちたら、わたしも死ぬのですね」
そう言って、ティナはごそごそと紙袋を漁って、サボテンを取り出した。
「あ……葉っぱがありません。わたしの命も、ここまでです」
「サボテンって、針が葉の役割してるらしいぞ」
「死ぬ前に、わたしの本当の姿……見てくれますか?」
「お断りです」
「ありがとうございます……お願い、聞いてくれて」
「台本どおりに進行するのをやめろ! 人の話を聞け!!」
しかしティナさん、おれのツッコミを華麗にスルー。
潤んだ瞳でおれを見つめながら、するりとお団子にしばった髪をほどいた。
そして――ゆっくりと、眼鏡を外す。
そこにいたのは。
「驚きました? 実はわたし……ティナリア=アルゼクランだったんです。あなたの、婚約者の」
……びっくりするほど、びっくりしねぇ。
「むぅ? なんだか反応が薄いですね。眼鏡を外したら、なんとぉ……じゃじゃーん! そこにいたのは美少女!! しかもしかもぉ……それはあなたの婚約者、ティナちゃんだったのですよ!」
大声を上げて立ち上がると、ティナは腰元まである青みがかった銀髪を、さらりと掻き上げた。
おれはそれを無表情に見やって、手近にあったサボテンでティナをちくちくする。
「いたっ!? 何をするんですか、奏汰さま! ひどいです、あんまりです!!」
「あんまりなのはお前の頭だ!」
「おかしいですね……日本人の好きなシチュエーション『冴えない眼鏡っ娘が眼鏡を外すと、美少女だった』『病弱少女が死ぬ間際にお願い事をする』の、豪華二本立てでお送りしたのに」
「……ごほっ、ごほっ!」
そうしておれとティナが大騒ぎをしていると、ふいにベッドから咳き込む声が聞こえてきた。
見ると、そこには布団の中で横になって、こちらをジト目で見ている美織の姿が。
「ティナ……何しに来たのよ、あんた」
「何って、美織さんの具合が悪いとお聞きしたので、励ましにですね」
「余計に具合悪くなったわよ……何が病弱眼鏡っ娘よ。いちゃつくんなら帰ってよ。ティナも、そうくんも」
えっ、おれも!?
「み、美織。さ、寒くないか? 風邪引いてると、寒いよな? な?」
「……もう平気だから、帰って」
「そうは言っても、顔色悪いぞ? 風邪はぶり返しやすいから、暖かくしないと。ほーら、寒いだろ? な?」
「早く服着て寝たいんだってば……早急に帰ってよ」
愕然。
なんで? さっきまでの甘いシチュエーションは、どこへ行っちゃったの?
涙が出そう。男の子だけど。
――――ピコンッ♪
【諦めなよ……未練がましいよ、奏汰っち?】
【嫌だぁぁぁ! さっきまですげーいい雰囲気だったじゃねーか!! おれが何したって言うんだよぉぉぉぉぉ!?】
【フラグが立つ直前で邪魔が入るっていうのも、ラブコメのテンプレだからねぇ】
【嫌だぁぁぁぁぁ! 美織とくっつきたい!! 美織の凍える身体を温めてあげたい!!】
【うわっ……奏汰っちの煩悩、キモすぎ……?】
黒髪ツインテールの女の子が、口元に手を当てているスタンプが押される。
おれはガクリと床に膝をつき、頭を抱える。
「奏汰さま。美織さんは体調が悪いのです。そろそろ帰りましょうよ」
「お前が体調を悪化させたんだろ、お前が!」
眼鏡とサボテンを紙袋にしまいながら冷静に言うティナに、さすがのおれも堪忍袋の緒が切れたね。
そのくだらないグッズの入ってる紙袋は没収だ。帰り道で処分してやる。
「あっ、ちょっ。奏汰さま、それはダメ!」
おれが紙袋を取り上げると、ティナは本気で焦ったように手を伸ばしてくる。
「なんでだよ、どうせ眼鏡とサボテンしか入ってないんだろ?」
「や、だから。とにかく、返してくださいってばぁ!!」
とかなんとか、紙袋の奪い合いをしていると。
袋の中身が一斉に――美織の部屋にぶちまけられた。
眼鏡に、サボテン。
プリンにゼリーにスポーツドリンク。
レンジでチンタイプのおかゆセットまで、ご丁寧に用意してある。
「ティナ……それ」
「あぅ……」
美織に紙袋の中身を見られて、明らかに狼狽した様子のティナ。
そして――ぷいっと、美織から顔をそむけて。
「べ、別に美織さんのために持ってきたわけではありません。美織さんの前でおいしそうに食べて、嫌がらせしようとしただけです。ですが……見つかった以上は仕方ないですね。あげますよ、ありがたく思ってください」
「……ありがと、ティナ」
「だ、だから美織さんのために用意したわけじゃないんですってば! なんだか張り合いがないですね、美織さんがぐったりしてると!! 早く治してくださいよ。じゃないと、またお邪魔しに来ますからねっ!!」
「はいはい……分かったわよ」
柔らかな声でそう答えて、美織はにっこりと微笑む。
ティナは顔をゆでだこみたいな色にしたまま、最後まで美織に視線を向けることなく――部屋を出て行った。
「……ったく、素直じゃねぇな。あいつも」
「まぁ、それもティナらしいけどね」
そうして言葉を交わすと、おれと美織は笑い合った。
まぁ、甘くてべったべたなテンプレイベントは、逃しちまったけど。
――――今日のところは、これでよしとするか。
「おーい、ティナ!」
美織の家を出たところで、先に帰ろうとしていたティナに声を掛ける。
ティナはおそるおそるこちらを振り返り、美織がいないことを確認すると……ほっとしたように、おれに歩み寄ってきた。
「奏汰さま。先ほどの病弱眼鏡っ娘シチュエーション、本当のところいかがでした?」
「迷惑としか思わなかったぞ」
「むぅ……奏汰さまの好みは、難しいです」
そうして、おれとティナが軽口を言い合っていると。
「あら? 結野くんとアルゼクランさんじゃない」
目の前から歩いてきた通行人Aが、何気なく声を掛けてきた。
それは――目立たないこと山のごとしな、おれたちのクラスメート。
首元で二つ結びにした黒髪に、少し太めの眉。
分厚いレンズの眼鏡の奥は、光の反射のせいか窺い知ることができない。
茂部花子こと――モブ子。
「ねぇ、知ってる? ネギは首に巻くより、普通に食べた方が風邪予防になるのよ」
まるでおれたちが美織のお見舞いに行ってきたことを見越したように、風邪の話題を振ってくるモブ子。相変わらず、なんでもお見通しな奴だな。
……『冴えない眼鏡っ娘が眼鏡を外すと、美少女だった』。
ついさっきティナが挙げていたテンプレが、ふと思い出される。
「ん? 私の顔に、何かついてるかしら?」
キョトンと首をかしげるモブ子。
そんなモブ子に向かって、おれは言わずにいられなかった。
「なぁ、モブ子。その眼鏡……取ってみてくれないか?」
「奏汰さま?」
何を言い出すんだとばかりに、ティナがこちらを怪訝な顔つきで睨んでくる。
だけど、気になったものは仕方ない。
……おれの人生はテンプレだらけだ。
だったらひょっとして、こいつってテンプレどおり、超美少女なんじゃあ――。
「ふふ……嫌よ」
しかし、そんなおれの期待をあっさりぶった切って。
モブ子は「ばいばい」と手を振って帰って行く。
「ちょっ! モブ子、頼む!! その眼鏡、取って――ぐぇ!?」
「奏汰さま……わたしの眼鏡には興味を示さず、モブ子さんの眼鏡にはそんなに反応するっていうのは、どういうことなんですか!?」
やめろ、襟を引っ張るな。首が絞まるって!
こうして、結局モブ子の秘密は分からずじまい。
その上、ティナには「モブ子にも気があるんじゃないか!?」と勘違いされて、騒ぎ立てられて。
……今日も相変わらず、テンプレどおり騒がしい、おれの日常なのだった。
テンプレ展開のせいで、おれのラブコメが鬼畜難易度 特別編/氷高悠 ファンタジア文庫 @fantasia
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