13


 エプロン姿のアンバーが、テーブルの上に皿を並べる。高級レストランのウェイターさながらの動きと、新妻のような風貌が、彼女にはとても似合っていた。


 飛空艇一階の広間が、香ばしい匂いで満たされる。献立は彩り鮮やかに野菜が添えてある、ふわとろな半熟たまごに包まれたオムライス。それとは別に、食欲をそそるオニオンスープが付いていた。

 ケチャップでハートマークが描かれているのが、アンバーの秘めたる可愛いさが垣間見れた。


「なんだよー、俺オムライス嫌いなのに~。ケチャップ苦手なの知ってんだろー」


 ミストラルの前に置かれた皿を見てトウヤは口を尖らせ、頬杖をついて不満を申し立てる。好き嫌いが激しいのだろうか。

 それに対して負けじと睨みつけて返答をする料理人。


「うるさいわねー、あんたにはちゃんと別のモノ作ってるわよ。ちょっとは待てらんないの?」


 やり取りを横目にするミストラルは、スプーンを握り、背でケチャップのハートを塗り広げた。せっかくの絵が少し勿体無い気がした。

 いただきますと呟いてからひと口運ぶ。


 甘いたまごと酸味のあるケチャップ、そこに包まれたバターとケチャップがよく染み込んだライス。当初はもしかしたら見たことのない異国料理のようなものが登場するのではないかと警戒したミストラルだったが、口に広がる期待を裏切らない美味しさに感動すら覚える。


(ありがとうございます、アンバーさん)


 トウヤにオムライスとは別の料理を差し出してから、向かいに座るアンバーが微かに眉をひそめてミストラルに訊く。


「どう?お口にあったかしら」

「はい、とっても美味しいです!」


 アンバーの言葉に即座に返答をした。

 あまりの反応にきょとん顔になるアンバーが、安堵を含んで小さく笑う。


「そ、ならよかった」

「ユチさんは食べないんですか?」


 食事をする程度ならば時計台内にあるテーブルで事足りるのだが、わざわざ飛空艇の食卓に移動することになったのは、そのユチが理由だった。

 というのも、日頃から飛空艇一階のソファを独占しベストプレイス扱いして動かないユチを、心配性なアンバーは近くから離れたくなかったのである。まだ気持ち悪いと仮病を使うユチに、アンバーはまんまと騙されていた。


「まだ食欲湧かないみたいよ。さっきゼリー食べて、また寝てるわ」

「それは単にアンバーに優しくされたのにつけ込んで、飯よりゼリーでお腹いっぱいにしたかっただけだな」


 トウヤは料理をスプーンでつつきながら、ぼやく。

 アンバーはひと口食べて自分の手料理の味を確かめた。口の端をほころばせながら満足したように頷いて、話し始める。


「そういえばミストラルが帰れるかもしれない手掛かりなんだけど、心当たりを思い出したのよ」

「心当たり?」


 口をもごもごさせながら、トウヤはなんとか聞き取れる言葉で訊き返す。


「いつだったか聞きかじった噂で、ギルド《Chaos》のマスターが昔異世界がどうのって話をしてたらしいのよね。ミストラルのいた異世界のこと何か知ってるんじゃないかしら」

「ふむ……相変わらず噂とか好きだなアンバー」

「はぁ?!なにそれ、あんたがコミュ障だから私がこうやって情報仕入れてるんじゃない!ちょっとは感謝しなさいよね」


 本筋とはズレた返答をするトウヤに、アンバーはため息混じりに言った。


「すいませんアンバーさん……私のためにありがとうございます……」

 ミストラルは申し訳なくなって、もじもじと身を縮こませる。

「違う違う、ミストラルに言ったわけじゃないの。今回のはたまたま思い出しただけだし」


 アンバーは慌ててミストラルの誤解を解こうと否定するが、またもふざけたギルドマスターが横槍を入れてくる。


「俺だって《硝子の花》とか《百花繚乱》とは交流してるもーん」

「とか、ってなによ。とかって!その二つだけじゃない!しかも、ギルドマスターの二人としか交流してないし。そういうのはギルド交流とは言わないの!」


 キッと睨みつけるようなアンバーの視線がトウヤを刺した。しかし、本人はそれを全く気にしない。


「ちょっ、お二人とも!トーヤさん、せっかくアンバーさんが手掛かりをくれたのに茶化さないでくださいよぉ」


 ミストラルが意を決して仲裁に入る。賑やかなのは良いが、脱線していてもうなんの話をしているのだか収拾がつかなくなっているのを修正する。これ以上騒いでしまうと、前回のようにユチが起きてしまうのも懸念していた。


「とにかく、古い噂でしかないけど《Chaos》に行って本人に話を聞いてみれば、ミストラルの帰る方法のヒントがあるかも知れないわ」


 ミストラルの静止で我に返ったアンバーは、口元を引きつらせながら毛先をいじ

 る。


「《Chaos》……カオスって言えば、混沌って意味だっけ?」


 トウヤはスプーンに乗った料理を一口運んで、曖昧な記憶を二人に確かめるようにつぶやく。


「混沌っていうのは意訳みたいな感じで、本来は神話の神様の名前なんですよ。えっと……空間とか、そんな感じの……」

 と蓄積された雑学を引っ張りだして答えるミストラル。


「へぇ、そうだったんだ。詳しいなミストラル」

「そ、そういう本も良く読んでたんで……」


 頷いて感心するトウヤの反応に、ミストラルは照れくさそうに毛先をいじる。アンバーの癖がうつってしまったようだった。


「それにしても、《Chaos》って、ギルド名すら聞いたことないな」


 この発言に答えるのはアンバー。


「そりゃそうよ、全体の領土も小さい上に鎖国ギルドだもの。他ギルドとの貿易はおろか、ウチ以上に他ギルドとの関係が希薄なの。加えて、ギルドメンバーも0人。ギル民はそれなりにいるらしいんだけど、マスターのナルだけが領土を統治してる。ナルのワンマン帝国みたいね」

「ギルメンが0って、こりゃまた物凄いワンマンだな。しかも鎖国してる上に、帝国ギルドって……完全にギルドを私物化してやがる。聞いた限りだと、あんまり良いやつではなさそうだなぁ……」


 トウヤにしては珍しく低い静かな口調で、言葉に嫌悪のようなものを帯びている。


 普段おちゃらけたり優しいだけのトウヤのギャップに、ミストラルは圧倒された。何故か自分がしでかしたような気分で、おずおずと発言する。

 誰へ向けるでもなく、自分の内心の不安をこぼすように。


「会いに行ってもお話してくれるでしょうか?」

「そうね、そこが問題。本拠地の周りも高い壁で囲われてて、入り口の門には衛士が門番してるみたい。ギルマスの許可がないと中に入れないのよ」

「そこは行ってみて、だな。そいつの能力スキルとかはわからないの? 話がわかる相手じゃなかった時に警戒しとかないと」


 トウヤが質問すると、アンバーは神妙な面持ちになって、一拍置いてから告げた。


「――なんでも、存在抹消能力らしいわ」

「存在抹消……?」


 震えた声で返事をしたのはミストラルだった。穏やかではない語感に、顔が曇っていた。

 アンバーはミストラルを一瞥してから、続けた。


「どういう原理かは知らないけど、ナルが能力スキルを使うと対象者は一瞬にして存在を消されるらしいわ。跡形もなくね。トーヤが時を止めた時みたいに、まわりはなにが起きたかわからないんだって」


 船内に重い空気が立ち込める。

 あれだけ美味しかったオムライスが、今では味がしない。口の中で粘土を噛んでいるみたいに、気色悪い感覚が続く。それどころか、ミストラルは吐き出しそうですらあった。


 しかし、二人の重たい空気に同調する気の無い男は、話を聞いていなかったように黙々と料理を口に詰め込んで、皿を空にする。とても不味そうには見えない。コップいっぱいに入った水を一気に飲み干して、無理やり含んだ料理を胃に流し込んだ。


 そして威勢良く立ち上がり、言う。


「善は急げだな。行くぞ、ミストラル!」

「え?!これからですか??今のアンバーさんの話聞いてました?!」

「ちまちま本当かどうかわからない噂話に踊らされてどうすんだ。だったら直接聞いた方が一発だろ。せっかくの手掛かり、二の足踏んでる暇はない」

「そりゃあ、もちろんそうですけど……」


 ミストラルは肩を落として、どうしたものかと助けを請うようにアンバーの顔色を伺ってみる。

 その視線を感じたアンバーは、両手を挙げて肩を竦めた。


「諦めた方がいいわよ。この馬鹿、一度言ったら聞かないんだから」

「は、はあ……」

「どうでもいいけど、無茶すんじゃないわよ? ナルはもちろん、ギルメンがいないって言っても、本拠地内にいる衛士はそこそこ腕の立つ奴ららしいわ。しかも、何千人も。流石のあんたでも、その数相手にしたら……死ぬわよ」

「死……って」


 不穏な言葉の連続にすっかり意気消沈するミストラルとは対照的に、トウヤは口元を吊り上げて自信満々に言う。


「おいおい、俺を誰だと思ってるんだよ」


「まったく、その自信がどこから湧いてくるんだか」

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