12
《時の旅団》の本拠地ラシェード・フォーンは、蒸気機関や歯車が溢れる世界である。
幼児が遊んだ積み木のように歪な建物が層をなし、天を埋め尽くすほど猥雑とした街並み。石畳みの街路に軒を連ねる建物の壁には、ゼンマイ仕掛けの蜘蛛や何の用途に使われているとも知れない配管が迷路のように張り巡らされ、所々から蒸気を吹かしていた。一見してどこかレトロな雰囲気を醸し出し、ノスタルジックで心地の良い眺望。
ミストラルからすれば、産業革命時代のイギリスに似ているそうである。
中でも一際存在感を放つのが、街の中心に位置する巨大な時計台、ワールドクロックタワー。本拠地内を一望できるほどの高さを誇るその時計台は《時の旅団》の象徴であり、ギルドメンバー、トウヤ達の集会所でもあった。とはいっても、飛空艇内で不自由のない生活ができるため、時計台内には生活感のない広間や会議室があるだけだ。
ユチの溺死寸前の騒動が沈静化してから、一時間ほど。ミストラルらが搭乗する飛空艇は、《時の旅団》本拠地の上空へと到着していた。
飛空艇を時計台上層部に浮遊したまま横付けし、停泊させて碇を下す。
時計台に着いた頃には、時刻はすでに昼の十一時を過ぎ、昨夜から飲み物しか摂っていなかったトウヤとミストラルの空腹が、限界を突破しつつあった。
未だのぼせあがって茹でダコ状態のユチの介抱をアンバーに任せ、トウヤとミストラルは街に繰り出して昼飯の材料を買いに行くことにした。
「時計屋さんがいっぱいありますね。見たことのない形の時計がいっぱい」
主に時計や蒸気機関を利用した乗り物、メカニカルな見た目からは想像もつかない歯車で動く機械を生産し、他のギルドとの貿易で本拠地内の経済を流転させているラシェード・フォーンは、軒を連ねる店舗の半分以上が時計屋で占めている。ミストラルはその一つの店に近寄って、店先のショーウィンドウに並ぶ時計を物珍しい眼差しで眺めた。
「そりゃまぁ《時の旅団》っていうぐらいだからね」
「船の内装やトーヤさん達の服装もそうですが、《時の旅団》はスチームパンクがギルドのイメージデザインみたいな感じなんですか? 街全体もスチームパンクですし」
先に進んでしまったトウヤを小走りで追い、横に並んだところで尋ねた。
「本拠地全体をスチームパンクに統一してやろう! なんてことはしてないんだけどな。でもやっぱり、統括するギルドのイメージがそのまま本拠地内に影響を与えるのかもね。他のギルドもギルド名に準ずる雰囲気になってるし。例えば《硝子の花》なら『緑が生い茂る自然豊かな街並み』みたいに」
「ギルド民の方々の愛国心のようなものが現れるんですかねっ」
汚れたブレザーを洗濯する間だけと、アンバーが風呂上がりに貸してくれた少々サイズオーバーな《時の旅団》の制服(アンバーVer.)を嬉しそうにひらめかせ、意気揚々と町を見渡す。
時計台から真っ直ぐ伸びる大きな通りは、果物屋から始まって、職人の業が光る緻密な小物を売る店などの露店が所狭しと並んでいる。そこを行き交う人々の雑踏と店主の客寄せの掛け声が、ミストラルを夏祭りのような気分にさせた。
人を縫うように歩いていると果物屋の店主が二人の格好に気がつき、呼びかけてくる。
「おっ、マスター!これ持ってって!」
そう言ってキャッチボールのように勢い良く投げられた熟れた林檎を二つ、トウヤは「サンキュー」と捕球した。
突然放られたにも関わらず、慌てた様子一つない。
すると、続けざまに反対側の店の店員のおばさんが「あれ?新しいギルドメンバーの子かい?ならこれ、景気付けに!」となにやら食べ物が入った袋をトウヤに持たせる。
それもつかの間、今度は小学校低学年くらいの子どもが近寄ってきて「トーヤ、今度また遊んでねー」と後方から突進をかました。
トウヤは不意の攻撃を諸共せず「トーヤ〝さん〟だろー」と子どもの頭をガシガシと掴んでわざとらしく顔を歪ませる。
連鎖するようにトウヤの存在に気がつく群衆は、似たようなやり取りを幾度となく繰り返す。まるで、街中で芸能人を発見したような騒ぎである。あっという間に、トウヤのまわりには人だかりが発生してしまった。
それがどうしてかミストラルは誇らしく、嬉しかった。《時の旅団》の制服を着ているからだろうか。
「トーヤさん、人気者ですね」
「へへへ、これがトーヤさんの人望ってもんだぜ!なんてカリスマ性溢れるギルドマスターなんだろう!カッコいい!!」
逃げるようにして大通りを抜けたトウヤは、揉みくちゃにされたせいでギルド制服がシワだらけになっていた。はみ出したシャツが、かっこ悪さを倍増させている。
すぐさま気づいて整える様もまた、滑稽だった。
(自分で言わなきゃカッコいいだけで終わるのに)
ミストラルはそう思って苦笑する。
でもそうすることが、トウヤが親しみやすい理由でもあった。
「冗談はさておき、買い出しのつもりが、なにも買わないうちにアンバーとユチのお土産までできちゃったな。野菜とか肉とかもくれたし、持って帰ればアンバーがテキトーになんか料理してくれるだろ。時計台に戻って、みんなで飯食お」
気がつけばトウヤの腕の中には収まりきらないほどの食料や雑貨の山。手が疲れたトウヤは、大通りを抜けた場所にある階段に荷物を一旦置き、すぐ横に腰を下ろす。
「でも、さすがにみんなから貰いすぎて申し訳ないなぁ……気持ちは嬉しいんだけどさ」
荷物の山の中から、最初に貰った林檎を手にとって、一つをミストラルに放り渡し、もう一つを齧った。
「気にすることないんじゃないですか?みなさんトーヤさんが好きなんですよ。きっとこのいっぱいのプレゼントは、日頃の感謝です。普通、組織の長がこんなに好かれるもんじゃないと思いますよ。大体が不平不満をぶつけられたり、文句を言われる対象だったりするもんですって」
過去の自分を思い出しつつ、小さな口で林檎にパクリと噛み付く。
中から溢れ出る蜜の味が、口の中で甘く広がった。林檎を切ったりせずに食べるのは初めてだったが、皮付きの林檎も案外悪くない。空腹でいきなりご飯を食べるよりも、ミストラルにとっては胃が驚かずちょうど良かった。
ちらりとトウヤを見ると、予想外に少し物悲しい表情を浮かべている。また調子良くおどけるとばかり思っていた。
トウヤは抜け出てきた人混みに目を向け、どこか感傷に浸るように話し出す。
「別に俺はみんなに何かしてあげたりしてないんだけどな。どちらかといえばみんなが俺やギルメンを慕ってくれるからこそ、ギルドが成り立ってるというか……ギル民のみんなはさ、別にどこのギルドに移住したっていいんだぜ。正式な手続きさえすれば、どこのギルドの領土にだって居住地を変えられる。他のギルドのマスターには俺より凄かったり、魅力的な人間が沢山いる中、それでもみんなが俺たちを信じて《時の旅団》にいてくれるんだ。だからむしろ、俺が感謝しなきゃいけないくらいなんだよ」
トウヤは、決して独りよがりになるわけでも、ギルド民に対して威張り散らすこともしない。トウヤがギルド民を愛し、ギルド民がトウヤを信じる、その互いの相互関係が、《時の旅団》の絆だった。
ミストラルはそれがわかると、自信なさげなトウヤを元気づけるように声を張る。
「そこはトーヤさんらしく、カリスマ性だって言わないと!」
「……そうだな」
頭を掻きながらトウヤは自嘲気味に笑う。
「本当に、良いギルドだと思います。他のギルドのことなんて全然わかりませんけど、それだけは確信持って言えますもん。それぞれの人の心が繋がっていて、アットホームで、みんな他人なのに家族みたい」
改めて辺りを見上げ、仰ぐ。
どこを見ても新鮮な景色ばかり。自分が嫌で嫌で仕方なかった世界は、ここには影すらない。
トウヤがいて、アンバーやユチ、きっと他のギルドメンバーの人も良い人ばかりだろう。誰も自分を苛めたり、迫害したりしない。そこには心があって、優しい暖かさがあって、絆がある。
その全てが、元の世界でミストラルが追い求めた憧れても手に入れることのできなかったものだった。
生きる気力もなく、ただただ逃げて、現実から目を背け続けた自分が、ここでなら新しく生まれ変われるような気がした。元の世界の自分がどこかに行ったような、そんな晴れ晴れした気分だった。
いや、もしかしたら変わったのかもしれない。元の世界にいる自分と今の自分はもう別人で、今まさに自分は〝ミストラル〟であって、名のわからぬ少女とは異なっている。
〝ミストラル〟という新しい存在なのかと、錯覚できた。
「だろ? 俺もそう思う。だから俺はギルドマスターで居続けて、みんなの笑顔をこれからも守りたいんだ。楽しい時間ってさ、一瞬だろ? 退屈な時間はめちゃめちゃ長い気がするけど。俺は、楽しい時間がさらにもっともっと楽しくなれば、いつかその時間が一瞬どころか、光の速さ超えて、止まっちまうんじゃないかって思うんだ。時間が止まって、永遠に楽しい。そんな時が、くればいいなって」
「きますよ、絶対。私もトーヤさんと出会ってから、楽しいことばかりです。一瞬で、あっという間で、意識した時には、まるで時間が止まってたみたいな気分でしたもん。私は元の世界に帰れる方法を見つけたらトーヤさんを連れてって案内しますけど、トーヤさんは楽しい時間を止めちゃう方法を見つけたら、私をその時間に招待してくださいね」
「――もちろん」
トウヤがそう微笑むと、突然大きな鐘の音が空から降ってくる。
教会で結婚式をあげる時に鳴らされるような、そんな厚みのある音だった。
「え!な、なに……?!」
ミストラルは何事かと音の出処へ目をやった。
視線の先の時計台の針が、十二時に重なっていた。正午を知らせる時計台の鐘が重厚な音色を奏でていたのである。
同時に、そこかしこから時計の音が鳴り響き始める。街中のありとあらゆる場所に掛けられた、あるいは置かれた多種多様な時計が、まるで時計台の鐘に目覚めを起こされたように声を上げた。
「大丈夫大丈夫、警鐘とかじゃないから。これは《時の旅団》の名物で、毎日十二時になると鳴るんだ」
「街が……生きてるみたいですね……」
ベルの鳴動、何かのメロディ、鳩やその他の動物の鳴き声のようなものまでも聞こえる。全方位から発信される音の重なりが肌に届いて、空気全体が震えているようだった。
「あの時計台の鐘が鳴ることで初めて街中の時計が音を出すようになっててさ。まるで街全体が生きてるみたいに鳴く」
「なんか……なんて言ったらいいのか、言葉になりません……」
時計台の鐘が振られるたびに、心臓が叩かれたように鼓動する。
やがて、時のオーケストラは終焉を迎え、街は普段の賑やかさを取り戻した。
大通りを行き交うギルド民は一連の流れを気に止めることもなく、慣れた様子で買い物を続けている。
しかし、ミストラルは冷め止まない気持ちに満たされていた。
「毎日こうやって、あの時計台が鳴り響くことでギルドのみんなが元気になる、活気付く。あの時計台が示す時間は、この世界の時間の標準になってるんぜ。凄いだろ? あの時計台は俺らの集会所、ギルドのシンボルってだけじゃなくて、ギルドみんなの心の拠り所なんだ」
「まさに時のギルドですねっ」
トウヤは最後の一口を齧って、芯だけになった林檎を道端のゴミ箱に投げ入れた。そのまま立ち上がって尻を軽く叩き、帰る準備を始める。
「さてと、そろそろ戻ろうか。アンバー達も腹空かして待ってる」
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