11

「……」


 ぴくりと、アンバーの手が止まる。

 間を空けて、黙ったままだったが、泡を綺麗に洗い流してくれた。

 目の周りの水を拭い取ってから眼鏡をかけると、鏡越しにアンバーと目があう。

 聞いたらまずかったのだろうか。


「あいつがそう言ってたの?」

「私が狼の集団に襲われてた時に『時よ止まれ』ってトーヤさんが言ったら、いきなりその狼が同時にバーってやられたんですよ。だから本当に時間を止めちゃったのかなって」

「あいつ……FBファイナルブラストを……」


 アンバーはよくわからないことを小さく呟いてから、ミストラルの質問に回答した。


「先に答えちゃうと……そうよ。トーヤは時間を止められるの。加えて、時の加速や遅延まで。時間に関することは大抵ね。しかもあいつは、止まった時間の中でも自由に動けるのよ」


 ミストラルは、喉元で準備していた「やっぱり、トーヤさんの冗談ですよね」という言葉を飲み込む。

 いくら異世界にしても、そこまでのファンタジーはないだろうと、思っていた。だが、グリーンティーを思い出すと、そうも言っていられないなと、冷静に考える。


「異世界から来たって言う私が言うのもなんですが、凄いですね……」

「時を止めるっていうのは、本当にぶっ飛んでるわね。ミストラルの世界ではこういう、特別なチカラみたいなのを持ってる人っていないの?」

「私の世界には、多分いないと思います。手品とか、そういうのが限度なんじゃないかと……」

「まぁやっぱりそうよね。この世界でもギル民は殆どを持ってる人なんていないし。大抵持ってるのは、ギルメンの人だけよ」

「ギルメンの人は特別なチカラがあるってことは、アンバーさんやユチさんもなにかしら特別なチカラがあるんですか??」

「ギルメンが特別なチカラを持ってるんじゃなくて、特別なチカラを持つギル民がギルメンになってるだけなんだけどね。ややこしいけど。そうだ、ちょっとそこの扉を開けてみてくれる?」


 アンバーが指さしたのは、浴場の出入り口。脱衣所に続く、扉だった。

 言われるまま、ミストラルは開けるためにドアノブへ手をかける。


「こう、ですか?」


 グッと力を入れて、風呂場側からだと押し戸になるので、手を前に押し込む。


 が、数ミリ開いたくらいで扉の前にある物にでもぶつかったように戸が止まり、ビクともしなくなった。何度か引いたり押したりを繰り返してみるも、一向に開く気がしない。


「あの……扉が開きません……なにか突っかかってるみたいで……」


 雑談を楽しんでいる間に、地味なピンチが到来する。風呂場に閉じ込められてしまったみたいだった。

 この感じでは、三人で思い切り体当たりでもするか、あるいはトウヤが異変に気付いて助けに来てくれないと、出られない。

 せっかく温まった体が、冷え切った気がした。


「ふふふ、安心して。それが私の能力スキルだから」

「これ、アンバーさんのチカラのせいで開かないんですか?!」

「私のは簡単に言うと、頑丈で透明なバリア、ガラスみたいな壁を作る能力よ。ドーム状にして自分を囲うこともできるし、大きさは自由自在。今はその扉が開かないように、脱衣所側にバリアを作ってみたの。覗き防止に普段からそうしてるんだけどね。試しにもう一度開けてみて?」


 アンバーは右手をノックするように振ると、なにもないはずの場所からコンコンという軽い音が鳴る。まさに言う通り、ガラスが叩かれたような音だった。その際に見えないバリアが、小さな衝撃に反応するように波状に広がって、微かに発光した。


 まだそこに見えないバリアがあるのか、はたまた消えたのか、ミストラルには確認しようがない。

 ミストラルは、アンバーに言われた通りドアノブに力を入れると、今度はすんなりと扉が開いた。


「本当だ……凄い……」

「基本的には防御専用のね。トーヤに比べたら、貧弱なものよ。あいつのは、反則みたいなもんだけど」

「でも、自分の身を守ることができるっていいじゃないですか。立派です!」


 アンバーは風呂椅子から立ち上がって、湯船に歩み寄る。その縁でしゃがみこんでから手のひらでお湯を掬いとって、温度を確認するためか、肩にかけた。水の滴る髪と、鎖骨に流れる水。よく見ると程よく温まった体が、桜色を帯びていた。

 ゆっくりと足を浸していき、湯に身を沈めていく。


「そうね。最低限、並大抵のモンスターに殺される心配はないわね」


 親に連れそうカルガモのように、アンバーに倣うミストラル。

 思ったより熱い。

 息を止め、グッと堪えて湯底に降りる。体が温度に慣れたあたりで一息ついて、アンバーに疑問を呈した。


能力スキルを習得するのには、やっぱり修行とかしたんですか??」

「修行って、そんなものするわけないじゃない。ある日突然、使えるようになるのよ」

「なにかきっかけとかないもんなんですか??」

「それがわかれば、みんな能力スキルを持つでしょうね」

「ですよねぇ……」


 お湯に顔の半分が隠れるほど沈めて、口を尖らせぶくぶくとしてみせる。

 ちょっと、期待はずれだった。

 自分もトーヤに頼らずとも身を守る方法があるなら、多少辛い修行でも、挑戦したかったからだ。


〝なにか〟に立ち向かう、そんなチカラにミストラルは常に憧れている。


「不思議な気分だったわよ。何故か能力の使い方と名前が感覚でわかるの。『歩き方を教わらないのに歩けるようになる赤子のようだ』って、よく表現されるわ。まさにその通り。最初のうちは上手く使いこなせなくて、自分の意思とは関係なく能力スキルが発動したり、解除されたりを大変なんだから」

「ユチさんはどんな能力スキルなんですか?」

「ユチは私とは全く逆で……」


 そういえば静かね、とアンバーはユチがいる方に目をやる。

 そこには、白くて丸い小さな島が浮いているだけで、元気に泳ぐユチはどこにもいなかった。

 少し離れた所にいるユチは、湯気で見えないだけなのか。


(なによ、あれ……?)


 アンバーは目を凝らしてよく見ると、ぷかぷかと湯面の揺れに合わせて動いていた。小さな島からは、気泡が沸き立っている場所がある。


(ユチが持ち込んだ玩具かなにかかしら……)


 それは小さな島が段々と姿をあらわし、明確になってきた。質感が、とても玩具のような無機質なものには見えない。まるで――


(まさか……)


 隣のミストラルは、眼鏡が曇ってあまりわかっていないようだった。

 人が浮いていて、背中だけ水面上に顔を出していたのだということが。


「えぇえ?! ちょっと! ユチ――?!」


 急いで駆け寄るアンバー。


 その背中は、のぼせてぴくりとも動かなくなった、溺れるユチだった。

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