10
「本当いいんですかね?私たち先に入っちゃって……」
「気にする必要ないわ。女の子が汚れたまま長い間いるなんて、良くないじゃない」
《時の旅団》飛空艇船内の地下一階、大浴場脱衣場。
ミストラルとアンバー、おまけにユチは、着ていた服を脱ぎ、下着姿になっていた。各々のしなやかな肢体が、小さな布を残し、あらわになる。
というのも、ミストラルの境遇を説明した後にトウヤが風呂にでも入ろうかと席を立ったところ、アンバーがそれを阻止して、ミストラルが先に入る権利を無理に譲らせたという経緯である。最初は抗議したトウヤだったが、アンバーの威圧的な『当然、レディーファーストでしょ』の一言で、返す言葉もなく、撃沈。男女別に分かれているわけでもなく、一つしかない大浴場は、女の手に落ちた。かくしてトウヤは、哀愁を漂わせながら船の操縦室に向かい、飛空艇を《時の旅団》本拠地へ飛ばす役目に就くのだった。
性格上、他人の家(船)の風呂場を借りて、ましてやそこに一人で喜んで入るなんてことが到底できるはずもないミストラルは、何度も遠慮を繰り返したのだが、アンバーが一緒に入るという条件でこちらも渋々入浴する運びになった。
「ユっきゅんお先~!」
ユチは身につけていた衣類を乱雑に脱ぎ捨て、地べたに服が落ちることなど一切気にすることもなく浴室へ走り入っていく。
その光景は、銭湯で一番風呂を争う小学生以外のなにものでもなかった。対戦相手など、いないのだが。
「まったく、しょうがないわねぇ」
世話焼きなアンバーは、それを拾い上げて着替え用の籠に畳み入れる。
済むと、アンバーも胸や局部を覆い隠す下着を外し、入浴の準備を整えた。
「……? どうしたのよ、ミストラル」
大きいとまではいかないが、明らかに自分より豊かな胸元に、理想的な体型から生み出される曲線美。絹のようにきめ細かく白い肌。
同性でありながら惚れ惚れするようなアンバーに比べて、貧相な我が身体にミストラルはなんだかやるせない気持ちに苛まれる。
上から下まで全身を舐め回すように見つめるミストラルの目運びに気がつくと、アンバーは身体をくねらせてそれを拒んだ。
「きゃっ!……な、何よ!!なにジロジロ見てるのよー!女の子同士だからって、恥ずかしいじゃない!」
全身が熟れた林檎のようにみるみる紅潮していく。可愛らしすぎるアンバーの反応がまた、ミストラルをさらに落ち込ませる。
自分だったら多分、顔を赤くして黙り込むくらいだろう、と。
「いえ……なんでもありません……」
やはりと言うべきか、風呂場の中も例外なくスチームパンク調の装飾で統一されており、真鍮、鉄、木などの材料で作られていた。壁にはシャワーと風呂椅子、手桶が五つほど横並びに設置され、十数人が同時に入れるような大きな湯船が一つ。修学旅行の時に入る大浴場を彷彿させられる作りである。
蒸気がたちこめる湯の中では既に全身を洗い終わらせたユチが、じゃばじゃばとバタ足で泳いでいた。
「ねぇねぇ、見て見てミストラル。ユっきゅんの泳ぎ。どう?」
「どう……と言われましても」
正直、泳いでいるというか溺れてるのかな、と思う。
ずっと足をバタつかせているのにあまり前に進んでいない。ただ水をまき散らしているだけだった。
苦笑いをして返事に困るミストラルの横をアンバーが通り過ぎ、ユチに注意する。
「んもぉ、ちょっとユチ? 湯船で泳ぐのやめなさいよね。子どもじゃないんだから」
すかさずユチが言い返す。
「まだユっきゅんしか入ってないからいいんだもーん。誰にも迷惑かけてなきゅーん」
「水が飛ぶじゃない」
「どうせみんな裸だし、濡れるんだからよきゅんよきゅん」
「よくないわよ」
「アンバーうるさきゅんなー。じゃあ、カエル泳ぎにするきゅんかねぇ」
「そういう問題じゃないんだけど!」
言いながらアンバーは風呂椅子に腰を下ろし、手桶にお湯を満たす。そこにボディタオルを浸してから、シャンプーボトルを二回ほどプッシュすると、真紅の髪に混ぜ込んで泡立て、髪を洗い始めた。
ユチはアンバーの指摘にブウたらと反発しつつ結局のところ聞く耳持たずに、泳ぎを再開。セルフ実況のようなものをつけて、一人で水泳大会を開催する。
放っておいてもいいのだろうか。かといって、ミストラルが言える立場でもない。
オドオドするミストラルはアンバーの隣りにそそくさと座って、体を洗うことにした。
「まさか、異世界から来たなんてね」
真鍮のカランを締め、頭の泡を洗い流したアンバーが話しかける。
髪が濡れて、妙に麗しい。
「やっぱり、信じられませんかね……」
内に秘める不安を漏らす。
この話をするには必ず付きまとう不安だった。人間関係を築くことが苦手なミストラルにとっては特に。
トウヤが信じてくれただけで奇跡に近く、他の人が同じくすんなり信じてくれる道理はどこにもないのだ。
しかしアンバーは、そんな彼女の予想を裏切る返事をした。
「そんなことないわ。私は信じてるわよ。どうせ、アイツもそう言ったんでしょうけど」
アンバーは浸しておいたボディタオルを拾い上げ、ボトルを探す。
自分の足元、アンバーとは逆の位置に置いていたことに気付くと、ミストラルはそれを拾い上げて、アンバーに手渡した。
「信じてくれるんですか……?確かに、トーヤさんも信じるって言ってくれましたけど……」
「でしょうね。あいつはそういうやつだから」
ありがとう、と付け加えて、アンバーはボディタオルに液状石鹸を落とす。
「アンバーさんは何故……?」
アンバーは体を擦る手を一旦止め、しばらく考え込むようにしてから、言った。
「……私ね、弟がいるのよ。正確には〝いた〟だけど」
まずい事を聞いてしまった。
先ほどまでアメシストのように綺麗だった瞳が、深い海に沈んだように光が失われて見えた。
口調から、事故なのか病気なのかはわからなかったが、弟は亡くなってしまったのだろう。同じく弟のいるミストラルは、その存在を失う虚無感など想像したくもなかった。
ミストラルはあえてそこについて深く言及することを避け、聞き続けることにする。
「でもね……その弟との幼い頃の思い出が、少し変なのよ」
「変、ですか?」
「そう、弟と遊んだ場所も、過ごした家も、そこがどこなのかわからないのよ。記憶を頼りに探しても、思い出の場所は見つけられなかった。頭の中では映像が浮かび上がるんだけど、場所の名前とかもまったく思い出せないの。幼い頃の記憶なんて、そういうものだって理解してるんだけどね」
「単に幼い頃の記憶だからってわけではなさそうですね……」
ミストラルにもその感覚には心当たりがあった。元の世界での思い出は、楽しかったことから消え去りたいような嫌な記憶まで、しっかり覚えているのに、すっぽりと名前だけが欠けている。
誰かに呼び止められた光景でも、その時だけ声が聞こえない。
学校の名簿や靴箱に明記されていたはずの場所は、真っ白。
忘れた、というよりも、消された、そんなSF染みた感覚だった。
もしかしたら、アンバーも似たような感覚なのかもしれないと思った。
「私の中でも整理できてないから、話してて自分でも混乱しちゃうくらいわけがわからないわ。なにがなんだかさっぱりだから、普段はできるだけ考えないようにしてる」
そう言うアンバーは、悲しげな表情だった。
アンバーも、今の自分のように記憶に自信が持てないのだろう。
思い出しても曖昧で、まるで今朝見た夢を思い出すような感覚。忘れるわけもない事(自分で言えば名前)が、何故か欠片も思い出せない。
本人すら確信のない記憶を、誰かに信じてくれと話す気にもならない。
その悲しさと、寂しさ、なにより不安を、ミストラルはよく知っている。
トウヤが「信じる」と言ってくれた事が、どれだけ救われたことか。
「アンバーさん……」
「ミストラルの話聞いちゃったら、私と弟も異世界から来たのかもって思っちゃった。だからミストラルを信じるというより、信じたいのかも」
「え?」
「冗談よ。ちょっと幼い頃の記憶がないからって話が飛躍しすぎだもの」
ミストラルは、アンバーが冗談を言ってるようには見えなかった。
心のどこかで、その可能性を感じているのを内に溜め込めずに、つい吐き出してしまった、そんな気がした。
アンバーは切り替えるように「 あっ、こっちに背中向けて。洗ってあげる」と声のトーンを上げてから、話を変えた。
「トウヤ、最初にあなたと会った時は、あんなにおちゃらけてなかったでしょう?」
言われるまま背を向けると、アンバーはミストラルの背中をごしごしと優しく擦る。少し照れ恥ずかしかったが、反面、姉ができたような気分で心が温まる思いになり、ハニカミつつアンバーに返答した。
「はい、最初はすっごいクールな人だなあって思いました。正義のヒーローみたく、かっこよくて」
「そうなのよ。私が初めて会った時も、そうだった。凄い真面目な印象だったわ。でもあいつ、ただの極度の人見知りってだけなのよ?」
クスクスと笑うアンバー。大きな猫目が、柔和に細くなる。
悲しげな表情など、どこかに消えていた。
「そうだったんですね。トーヤさんが人見知りとか、ちょっと意外かもです」
「それだけじゃなくてトーヤは、カッコつけたがりだし、人が真面目な話をしててもふざけたり、おちゃらけたりするし……」
「そっちの方が、本当のトーヤさんなんですね」
「GvGもいつも行き当たりばったりだし、しかも厨二病……昨日だってちょっと私たちにわかるようにしてから行くんじゃダメなのって思うのよ。飛行する船から飛び降りるなんて普通しないじゃない……」
つらつらと日々の不満が決壊したダムの水のように溢れ出てくる。ミストラルに語りかけていたはずが、いつの間にか独り言のようになっていった。
このままではまずいと、慌ててミストラルはアンバーをなだめる。
「ちょっ……た、確かにそうですけど、そこまで言ったら可哀想ですよ。アンバーさん」
しかしそれは杞憂に終わる。
「――けど、やっぱりなんだかんだ言って、私たちのギルドマスター。ギルメンのことを絶対的に信用してくれるし、なにがあっても助けてくれる。だから私たちはあいつを信頼してるし、尊敬してるわ。尊敬は、ちょっとだけね」
ミストラルは、昨夜「ウチのギルドメンバーは俺に対する尊敬が足りないんだよ!あいつらぁ……」と愚痴をこぼしていたトウヤの姿を思い出して、おかしくなった。
(やっぱり、みんなトーヤさんを頼りにしてるじゃないですかっ)
自然と、笑みがこぼれた。
「本人には口が裂けてもこんなこと言いたくないけど」
「きっとトーヤさん、調子乗っちゃいますねっ」
そうね、とアンバーは口を緩ませる。
「ミストラルはまだ知り合って少ししか経ってないかもだけど、きっとあいつはあなたのチカラになってくれるはずよ。だからミストラルも、トーヤを信頼してあげてね」
アンバーは返事を待たず、ミストラルの全身をシャワーで洗い流して、砂だらけの髪を濡らす。さらに、シャンプーを適量出すと、ミストラルの髪をわしゃわしゃとかいて、泡立てた。
シャワーから降りかかる温水のせいで口が覆われ、返事をするタイミングが妙に出遅れてしまった。
代わりにミストラルは、心の中で(もちろんですっ)と呟く。
泡を洗い流すようなので、眼鏡を外して目を瞑ると、瞼の裏に昨夜助けられた時のトウヤの背中が思い浮かぶ。
その時、ずっと聞きそびれていた疑問を思い出し、アンバーにたずねた。
「トーヤさんって、時間を止められるんですか?」
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