25. 孤独

 早朝に、浅い眠りから目を醒ます。

 早川静乃は、その日の朝も目覚まし時計が鳴る前に目を醒まし、枕元に置いていた目覚まし時計のアラームが鳴ると同時にそれを止めた。 

 この目覚まし時計は静乃がこのマンションに引っ越してきたときに叔母から贈られたもので、平素から眠りが浅い静乃にとっては無用の長物ともいえたが、それでもせっかく好意で贈られたものだからこうして愛用していはいる。

 それから静乃は半身を起こしてベッドに腰掛け、大きく伸びをする。

 それから、ベッドサイドに置いていた自分のスマホを手にとって画面を確認した。

 三月十一日、午前六時四十五分。

「五年目、か」

 誰にともなく、静乃は呟く。



 少し前から鳴嶋成行というふかけんの部外者とパーティを組みはじめたわけだが、毎日その成行と組んでいるわけではない。

 そもそも専業探索者である成行と大学生であるふかけんのメンバーとでは生活パターン自体が異なっていたし、いっしょにパーティを組むためにはそのたびにスケジュールを調整する必要があった。

 それに、成行はこの三月から静乃や藤代葵の紹介で週に何日か扶桑さんの会社に出入りをするようになってもいた。

 とはいえ、人に慣れていない成行の性格ではいきなりインストラクター業務に従事することはできず、今の時点ではひたすらレベリングの仕事をしているようだったが。

 鳴嶋成行という探索者ついて、静乃は改めて考えてみることがある。

 自分と同年輩であり、探索者としての経験は一年未満。

 その割には、強いといえば強い。

 ただしそれは、称号系と通商される特定のエネミーを弱体化させるスキルも込みにした上の強さであり、静乃たちの先輩である金城革などにいわせると、成行のスキル構成は、

「強力だけど、脆い。

 歪んでいる」

 ということになる。


 実際、いっしょにパーティを組んで行動するようになって、成行が探索者として知っていて当然の知識をごっそりと欠落させていることに静乃が気づかされたことも、一度や二度ではなかったりする。

 それまで、ほとんどソロでやってきたという言葉に嘘はないらしく、普通なら他の同行者から当然のように伝授されているはずの細かい知識やコツなどを、成行はほとんど知らなかった。

 それでよくもまあ今まで無事でいられたものだと静乃などは呆れ半分に感心するわけだが、それでも成行がこれまでどうにか探索者としてやってこれたのは、迷宮の中では過剰なまでに用心深く行動してきたからだろうなと、静乃はそう予想する。

 その逆に、迷宮を舐めてかかるよりは遥かにマシなわけだが。

 とにかく成行は、探索者としてかなり稀有なあり方をしていた。

 静乃は、あの特殊階層で見た、成行の戦い方を思い出す。

 あのとき、静乃と葵、それに白泉偉の三人は、対巨人戦を行っているはずである先輩方に加勢するべく、急行している最中だった。

 あと数百メートルで到着するというところで、最後に残った巨人のスキルに身動きを封じられ、その場でその最後の巨人が変異体スライムに飲み込まれ、消化されるところを遠目に目撃していた。

 そこに現れた成行が、手慣れた様子で変異体スライムを討伐する様子も、すべて。

 あとで知ったところによると、その時点で成行はすでに何度か同じような変異体スライムを倒していたわけで、そのために必要な手順もすべて心得ており、セオリーとして定型化していたそうだ。

 成行にしてみればそのセオリー通りに、機械的な作業を繰り返していたのに過ぎないわけだが、目撃していた静乃たちから見ていると、ずいぶんと強い探索者が唐突に出現して変異体スライムを短時間で片づけた、という印象が強かった。

 実際には、成行がスライム系のエネミーを極端に弱体化させるスキルを所持していたことも手伝ってそういう印象を強くしたわけだが、それでも経験一年未満の探索者の動きではないのは確かだった。

 あとで成行自身と会話を交わすようになってから、成行の迷宮潜行時間を聞いたとき、その長さに静乃は目眩を感じたりもするのだが、キャリア一年未満とはいっても、成行の場合、その一年未満の期間内に、標準的な探索者数年分に相当する経験を積んできている。

 革などが、

「強力だけど、歪んでいる」

 というのは、ある意味では正しいのだった。

 普通の探索者ならば、そんな無理をしようとは思わないし、なにかの間違いでその無理を実行しようとしたとしても、大半の者はどこかの時点で脱落しているだろう。

 とにかく、成行という探索者が、探索者としてはいろいろな意味で例外的な存在であることは、静乃の目から見ても他の探索者の目から見ても、明らかなようであった。


「身震いしました」

 静乃の友人である葵などは、はじめて成行の戦い方を目撃した当時のことを思い返してこう語った。

「そして、目が離せなかった」

 葵から見た成行の戦い方は、ただひたすら、がむしゃらに力づくでエネミーを攻撃し続けるという、いってみれば粗暴な戦い方だった。

 動きにも無駄が多く、お世辞にも洗練されたものではなかったが、しかし葵はそのムダが多い戦い方に不思議に魅了されるところがあった。


 戦いというよりは、作業だな。

 そのとき、成行の方法を目撃して、偉はそう思った。

 そのとき、成行が変異体スライムを退治する様子を目撃した三人の中で、この偉だけが成行について予備知識を持っていた。

 不意に出現した探索者の正体を、偉だけはすぐに察した。

 そして、その後の様子を目撃してからも、

「ああ、やはりな」

 と、成行であればこうするだろうと想像していたことを確認する形となった。

 成行の戦い方というのは、いってみれば、

「リスクを最小限にして、確実にエネミーを倒す」

 という理念をただひたすら忠実に実行しているのに過ぎない。

 長くソロで活動していた成行は、他者からの支援を期待できる立場ではなく、とにかく危険に身を晒さないということを一番の目標にして活動していた。

 到底のエネミーを弱体化させるスキルを揃えたのも、この「リスクを最小限にする」という目標に対して忠実であろうとした結果だったし、二つある成行のユニーク・スキルのうち〈憤怒の防壁〉の方は、明らかに周囲のエネミーから確実に身を守るのを目的としたスキルである。

 そうしたスキル習得の条件や機序についてはまだまだ不明な点が多いのだが、スキル所持者の願望や精神のあり方を多分に反映しているという説がある。

 とにかく、偉にいわせれば、エネミーによって自身が害される可能性を極端に排除した上で、戦いを作業レベルにまで解体しようとする成行の方法論は、ある意味では武という概念の究極の具進化なのではないか、とさえ思った。

 別に望んでそうなったわけではないが、武芸を嗜んでいる偉にしてみれば誰かに師事したわけでもなくそうしてプリミティブな形で武の理念を体現している成行のあり方に関心を持たないわけにはいかず、自然と注視ししてしまった。


 つまりはこのとき、三者三様の形で鳴嶋成行という存在に引きつけられたのだった。


 この日は、その成行が所用で静乃たちふかけんのメンバーに同行できない日であった。

 例によって白金台迷宮のロビーで待ち合わせながら、静乃はスマホをいじっていた。

「どうもー」

 そんな静乃に、一陣忍が声をかけてくる。

「他の人たち、まだ?」

 忍うしろには、秋田明雄が控えていた。

「うん、まだ」

 静乃はメールを書くのを中断して、軽い口調で答える。

 待ち合わせの時間までには、まだ間があった。

「静乃ちゃん、明日明後日は出れないんだって?」

「うん。

 法事があって」

 静乃は答えた。

「習志野に行かなけりゃならない。

 今も、そのための連絡をしようとしていたところ」

 今の早川家の菩提寺は、叔父の家近くにある某寺になっていた。

「そういう用事じゃあ、しかたがないね」

 そういって、忍は頷く。

「ま、わたしも用事があって、明日明後日はこっちには出られないんだけど」

「スポーツチャンバラの試合だっけ?」

「そうそう。

 あれ、やってみると結構ハマるね。

 静乃ちゃんも試しにやってみない?」

「いや、わたしは」

 静乃は苦笑いを浮かべた。

「運動神経には、あまり自信がないから。

 そういうのは、ちょっと」

「へえ」

 忍は目を見開いた。

「なんか、意外」

「間違っても前衛むきではないんだよ、実は」

「誰が前衛むきではないって?」

 いつの間に来たのか、槇原猛敏がそう声をかけてきた。

「飛び込んでみれば意外となんとかなるもんだぞ。

 現にあの野間だって、どうにかなっているんだから」

「偉そうに」

「お前がいうな」

 両角誠吾と大野相馬が立て続けに猛敏にツッコミを入れた。

「考えなしに前に出ればいいってもんじゃないぞ」

「それをフォローする身にもなってみろ」

 他の者にはともかく、この二人は猛敏に関してはおよそ遠慮というものがない。

「まあまあ」

 苦笑いを浮かべながら、明雄がそんな二人を制した。

「槇原に対していいたいことがたっぷりとあるのはわかるけど、そういうのはまた別の機会にな」

「やあやああ、遅れましたか」

 そんな声をかけながら、野間秀嗣が近寄ってきた。

「今日は、いよいよ本年度の締めですな」

「締めというほどのこともないけどな」

 相馬が応じる。

「ただ、そろそろ来年度の新入生を出迎える準備をしなけりゃならない時期だ。

 おれたちの学年がメインになって受付業務その他、新入生をかんげいすることになっているから、ぼちぼちそっちの準備もしていかなければならない」

 そのように、ふかけんの先輩方にいわれたのだった。

「今度はおれたちが出迎える側になるのか」

 感慨深げに、明雄がいった。

「というか、もう一年近く経つんだな」

「早いよねー」

 忍が、明雄の言葉に賛同する。

「短いようで、いろいろなイベントがあったし」

「へいへい」

 誠吾がうんざりとした声を出した。

「リア充は爆発してろ」

「新入生の歓迎準備はともかくとして」

 偉が話題を戻す。

「本格的にみんなで迷宮を入るもの、しばらくはできなくなるかなあと。

 進級したら、別にキャンパスに移る人もいる」

「それに、そこの野間なんか、明日辺りからもう松濤出身の子を白金台迷宮にエスコートするお仕事をはじめるんだぜ」

 笑み浮かべながら、明雄がそんなことをいい出した。

「リア充というのなら、おれなんかよりもハーレム状態の野間の方がよっぽどリアルが充実している」

 それを聞くと、猛敏、相馬、誠吾の三人が真顔になって秀嗣の方に顔をむける。

「い、いや」

 秀嗣はいった。

「彼女らも、ふかけんへの入部を希望しておりますし。

 こちらに慣れるのなら早いほうがいいだろうと思いまして、そういうことになった次第でして」

「リア充爆発しろ!」

「一人くらいこっちに紹介しろ!」

「リメンバーパールハーバー!」

 三人は口々にそんなことを叫んだ。

 最後のは、完全に意味不明だった。

「確かに、松濤からのうちへの進学した者は、今年は例年よりも多かったようですね」

 葵までもが、その話題に便乗する。

「野間くんの影響かどうかは定かではありませんが」

「まあ、それはそれとして」

 偉がいった。

「今日は、草原さんは来れないっていってたよね?」

「そうだね」

 忍が頷く。

「なんでも、公社の依頼で学術調査の手伝いをするとかなんとか」

「学術調査?」

 静乃が首を傾げた。

「探索者が手伝えることなんてあんの?」

「護衛よ、護衛」

 忍が静乃の疑問に答える。

「なんでも、エネミーの行動とか生態を研究している人たちなんだそうだけど、あの子の場合、一人で数十人単位の人間をフォローすることが可能だから」

「ああ」

 静乃は頷いた。

「それでいて、人件費は一人分で済むし。

 公社側から見れば、確かに重宝する人材かも」

「実際には、便利に使われるだけあって、ギャラはそれなりに貰っているようだけどね」

「それでも、大勢の探索者を確保することと比較すれば、かなり安あがりに済むわけだけど」

 全員でそんなことをいいあって、改めて草原水利のレアスキル〈テイマー〉の利点を確認し合った。

「あと、誰が来るんだっけ?」

「アリスちゃんだね」

「双葉か」

「集合時間までまだ少し余裕があるし、気楽に待とうよ」

「ごめーん」

 そんなことをいいあっているところに、話題になっていた双葉アリスが現れた。

「遅れちゃったかな?」

「遅れてはないよ」

「うん。

 最後だけど、十分に集合時間前」

「それじゃあ、行こうか」


 今回のパーティは、早川静乃、藤代葵、白泉偉、野間秀嗣、槇原猛敏、大野相馬、両角誠吾、一陣忍、秋田明雄、双葉アリスの総勢十名構成。

 この年度を締めくくるのにふさわしい、人数と構成になった。

「階層はどうする?」

「みんな育ってきているし、ちょっと深い階層に挑戦してみいいんじゃないか?」

 明雄と猛敏がそんなやり取りをしたあと、葵の方に顔をむける。

 こうした判断を必要とされるときは、キャリアが長く自発的にリーダーシップを取ることが多い葵の意見を重視することが一年の間ではなんとなく慣例となっていた。

「無理をしない程度でしたら」

 葵は思案顔で、慎重な口ぶりでいった。

「このメンバーなら、そうですね。

 千階層まではいかなくても、慎重にこなせば九百階層くらいまでは攻略可能でしょうか」

 葵自身も、千階層より深い階層は、レベリング目的で水利に連れて行った貰ったときに経験しただけであった。

「九百階層か」

 偉がいった。

「かなりにギリギリにはなるけど、今回の面子なら、どうにかなるんじゃないかな。

 あくまで、全員が慎重に行動すればということが前提になるけど」

「くれぐれも、勝手に先走るなよ」

 誠吾が、猛敏に念を押している。



「九百階層には、リザードマンとヨロイクモがよく出没します」

 迷宮に入る前に、葵が注意事項を述べた。

「これらのエネミーは、幸いなことに群れを作って行動する習性がありません。

 そのかわり、より浅い階層で出没するエネミーよりも極端に硬く、すぐには傷つけることができないので注意してください」

 リザードマンは身長二メートル前後の、その名の通り爬虫類が直立したかのような外観を持つ人型エネミーで、全身が硬い鱗に覆われていて、刃物は通らないし打撃攻撃も威力がかなり軽減される。

 ヨロイクモとは、全高百五十センチ程度の太い脚を持つ節足動物で、蜘蛛というよりはヤシガニ類に近い外観をしていたエネミーだった。

 こちらは、全身が鱗ではなく硬い外殻によって覆われており、いずれにせよ物理的な攻撃がひどく通りにくいという特徴を持っている。

 葵の言葉通り、

「群れをなす習性がない」

 ことだけが救いであり、特に経験の浅い探索者に取ってはかなり倒しにくい、一体を倒すのに時間がかかるエネミーだった。

「〈ショット〉系とかスキルは、どこまで通用するの?」

 アリスが訊ねる。

「練度にもよりますが」

 葵は即答した。

「鱗や外殻が外部の温度の変化をある程度遮断するらしく、熱や冷気はほとんど通用しないものと思っておいてください。

 ウィンド系は、練度が高くてもほとんど通用しません」

「囲んでタコ殴りにするしか対処のしようがない相手かあ」

 忍が、ため息混じりにそういった。

「この面子だと、かなり苦戦しそうじゃないか?」

 明雄が慎重論を唱えた。

「今回は、もっと浅い階層を選んだ方がいいと思う」

 迷宮内で何度か酷い目にあってきた明雄は、このようなときにはより安全そうな選択をする傾向がある。

「賛成」

 偉も、片手をあげた。

「こういってはなんだけど、ぼくの攻撃は軽いからね。

 刃物がほとんど通らないような相手だと、実質的に、ぼくはほとんど戦力外になっちゃう」

 軽い口調ではあったが、前衛の中でもかなり頼りになる存在である偉の腰が引けている事実は、パーティメンバーにもかなりの動揺をもたらした。

「どうする?」

「今回は、もっと浅い階層にしておくか」

 すぐに、そんな意見が出てくるようになった。

「それでは、本日はリザードマンとかヨロイクモが出てこない、それよりは浅い階層に行きましょうか?」

 全体の空気を読んだ葵が、そんな提案をしてきた。

「その二体が出てこなければ、今のおれたちの実力でもどうにかなりそうなんだよな?」

 相馬が、葵に確認する。

「なにぶん、迷宮内のことなので絶対といいきることはできませんが」

 葵は慎重な口ぶりでそういった。

「一般的な傾向としては、かなり安全だと思われます」

「確率の問題だけど、イレギュラーとか出てくる可能性もあるもんな」

 頷きつつ、明雄がいった。

「絶対の安全を求めるつもりはないけど、それでも無理をすることはなく、いくらかは安全マージンを考えた浅い階層にいった方が無難だと思う」

「ですな」

 秀嗣も明雄の案に賛同した。

「千里の道も一歩から。

 深い階層に挑むのは、もっち実力をつけてからでも遅くはないのであります」

 ということで、今日は八百七十階層からはじめることになった。

 葵や静乃、偉らの一軍からみるとこの程度の階層はもはや慣れた場所になるが、その他の者たちはそこまで深い階層に足を踏み入れたことがほとんどない。

 それでも、今の実力ならばその階層前後ならば対処可能なはずだと葵と静乃は判断した。

 これまで慎重に安全マージンを取っていたおかげでより浅い階層しか経験していない者も、すでに実力的にはその程度の階層は十分に攻略可能だと判断した形になる。

 ずっとソロでやってきたあの〈スローター〉は、こうして安全基準を判断してくれる外部の協力者もいなかったんだよな、と、静乃は唐突にそんなことを思い出した。

 ほとんど誰の助言も求めず、何百回という階層を自分のちからと判断だけで攻略し続けるというのは、どんな気持ちがするものだろうか?

 ひどく孤独なはずだということは想像できるのだが、それ以上に細かいことまでは静乃には想像できなかった。



 八百七十階層も、ちょっと見ただけではより浅い階層と何ら変わるところがない通路が続いていた。

 変わっているのは、通路や壁などの迷宮を構成する部分ではなく、その内部で蠢くエネミーたちの種類や構成なのだ。

 例によって遠距離のエネミーを完治するスキルを持っている静乃が案内役になり、その他の九人が静乃の指示に従って前進していく。

 途中、何度かエネミーに遭遇したが、二軍連中が心配していたように、そうしたエネミーたちに遅れを取ることはなく、むしろこれまでの経験があるからかかなり落ち着いて対処することができた。

 遭遇するエネミーが変わったとしても、探索者がやるべきこと、すなわちエネミーを倒して戦利品を回収する作業はより浅い階層でやってきたことと大差はない。

 むしろ、ここまで深い階層に来ても自分たちの攻撃が十分に通用するということが実証され、二軍連中も次第に自信を深めていった。

 八百七十階層には、人型と獣型のエネミーが半々くらいの比率で出現する。

 流石に一年ちかく探索者として過ごしていれば、全員なにがしかの役に立つスキルを所持しているわけで、うまく役割分担をしながらそうしたスキルを使いこなし全員でエネミーを討伐しながらしばらくは順調に進んでいった。

 異変が起きたのは、八百七十階層に入ってから四十分ほど経過したときたった。

 二度目の休憩を終え、しばらく進んだ先で、唐突に目前の通路が何本かの細い道に分岐していた。

 通うろが分岐すること自体は迷宮の中では別に珍しいことではないのだが、道幅が極端に狭くなるということはあまりない。

 このパーティの中では比較的経験が長い葵や静乃も、こういうパターンは経験していないし、他の探索者の経験談として聞いたことがない。

「どうする?」

「なんだ、これ」

 十人のパーティメンバーはその場に立ち止まって相談をしはじめた。

「こういうのも、特殊階層のってことになるのかな?」

「いや、入学してから今まで、二回も特殊階層を見つけているんだぞ。

 主にそこの野間が」

「でも、確率的にはありえるんだよねえ。

 そういう偶然も」

「二度あることは三度あるっていうしさあ」

「特に今回は、特殊階層に当たりやすい野間くんだけではなく、迷宮でしんどい目にあいやすい秋田くんも来ているし」

「慎重に対処するつもりなら、これ以上に進まずに一度引き返すべきだな」

 明雄はそう提案した。

「通路がこんな形をしているは、あくまでたまたまであって、この階層は特殊な階層ではないのかも知れない。

 だけど、一度娑婆に出て入りなおせば、二度と同じこの階層に来ることはないはずだ」

 あくまで、たとえそれが潜在的なものであれ、危険要素はできるだけ排除しておくべきだという慎重論だった。

「だけどよ」

 猛敏は明雄の慎重論に真っ向から反対する意見を投じた。

「特殊階層である可能性があるってだけで、実際になんらかの危険性にぶちあたったわけでもないだろう?

 引き返すことははいつでもできるし、最終的な判断をくだすのは少し先に進んでからでもいいんじゃないのか」

 実際、〈フラグ〉のスキルが使用可能なことはすでに何名かが確認をしていた。

 少なくとも今の時点では、以前に体験したような、引き返すころが不能なタイプの特殊買いそうだと判断する材料はない。

「もう少し様子を見るといいましても」

 野間はその分岐している通路を指差していった。

「この道幅では、せいぜいが二人くらいしか並んで歩くことができないのですが。

 これでは、いざエネミーに遭遇したとしても、戦えるのは先頭にいる二名だけということになります。

 この環境だけでも、われわれにとってかなり不利な条件なのではないでしょうか?」

「早川さん」

 偉が、静乃に対して確認した。

「こちらに近づいていくるエネミーはいない?」

「今のところは」

 静乃は即答する。

「エネミーが近づいてきたら、問答無用で教えるよ」

「で、どうするんだ」

 猛敏が他の者たちの顔を見渡して確認してきた。

「秋田がいう危険性というのも具体的な根拠があるわけではなく、あくまでそういう可能性もあるという程度のことだ。

 それでも、一度引き返すか?」

「一度引き返してから戻ってきても別にいいだろう」

 明雄はそう主張した。

「それで危険性が少なくなるんなら、それでいいじゃないか。

 どうせ、娑婆との移動はスキルを使えば一瞬で済むんだ。

 ここで仕切りなおしたとしても、おれたちが失うものはほとんどなにもない」

「まあ、それで」

「危険性が回避できるんなら」

 他の者たちも、明雄の意見に賛同する。

 そこでこのパーティは、一度迷宮から出ることになった。

 とはいえ、一度外に出てから、またすぐに八百七十階層にとんぼ返りしたのだが。


 再度、八百七十階層に入り直してから三十分ほどは、順調な攻略が続いた。

 しばらくなんの問題もなく進んだ先で遭遇したのは、またしても分岐。

 それも、分岐した先の道幅が極端に狭くなる、前回と同じパターンの分岐であった。

「ここ、八百七十階層でも、前に入った八百七十階層とは別の八百七十階層なんだよな」

「そのはずだけど」

 誠吾と相馬が、そんなやり取りをはじめる。

「一度外に出たら、別に迷宮になるはずだ。

 実際、通路の形状も前のときとはかなり違っているし」

 そう答えた相馬は、自分のスマホの画面を確認していた。

 そのスマホには自分が通った道筋を記録するアプリがインストールされており、そのログを確認していたのだ。

「で、今度はどうする?」

 猛敏がいった。

「また仕切りなおすか?

 それとも、今日はここで仕舞いにするか?」

 またその場で小討論がはじまり、ここで終わりにするのはもったいないということで再度迷宮の外に出て仕切りなおすことになった。

 なにしろ、今日はまだ一時間強しか迷宮に入っていない。


「今度は、一階ずらした階層に入ってみましょう」

 外に出てから、葵がそう提案してきた。

「二度も同じような分岐が出てくるのは、かなり異例の事態だと思います」

 念には念を入れて、前の二回とは違った条件で移動をしてみようという提案だった。

 当然のことながら反対意見を出すものはいなかった。

 そして、今度は八百七十一階層を進みはじめたわけだが、今回は攻略を開始して十分もしないうちに例の分岐にでくわした。

「どうするよ、これ」

「今日は、なにがなんでもおれたちにこの分岐を進ませたいのかなあ」

「ときどき、迷宮自体がなんらかの意思を持っているんじゃないかと思うときがあるよ」

「そういう仮説を出していたなんとかいう学者さんがいたなあ。

 意思というか、迷宮自体がなんらかの知性を持って探索者をあしらっているという……」

「その手の仮説なら一山いくらというくらい大量に提出されているよ。

 検証のしようもないので、結局は受け止めたやつが信じる信じないというレベルでしか判断できないけどな」

「そんなことよりも、だ」

 猛敏が他の全員の顔をゆっくり見渡してからいった。

「今度はどうする?

 また、仕切りなおすか?

 それとも、今日はすっぱりここで中断するか」


 短い時間、相談した結果、今度は慎重に分岐の先に進むことに決定した。

 なにかというと前に出たがる猛敏の癖が他の全員に伝染したわけではないが、この分だともう一度仕切りなおしてもまた同じような分岐によって行く手を遮られるのではないかと懸念と不安をその場にいた全員が抱いていたからだった。

 それに、せっかくの年度の区切りと思ったこの日の攻略をこんな形で中断するのは、誰もが避けたいとも思っていた。


 分岐の先は、道幅が狭い。

 せいぜい二人くらいがようやく肩を並べて横なることができる程度の幅しかない。

 かといって人数を分けて、それぞれの分岐に別れて進むという選択をするのもいざというときに適切な対処ができない可能性があった。

 それで結局、一番分厚いプロテクターと〈鈍牛の兜〉を装備している秀嗣と、それに〈ワイバーンのスケイルメイル〉を装備している相馬とが先頭につき、残りの者たちがそのうしろをぞろぞろとついていくというフォーメンションを採用した。

 この先でエネミーに遭遇したとしても、先頭の二人以外はほとんど戦闘に参加できない、つまりは遊兵がむやみに多いフォーメーションではあったが、こうした、なにが起きるのか予想できない状況下では、戦力を分散することだけは避けたかったのだ。

 先頭をいく二人のうち、特に秀嗣の方が〈鈍牛の兜〉の移動力マイナス補正の影響下にあるため、進行速度はかなり遅かった。

 移動速度の遅さとこれからなにが起きるのかという不安とで、内心ではかなりのストレスを感じながらの進行となる。

「エネミーの姿は?」

「うーん。

 まだ感じられないねえ」

 ときおり、誰かが静乃に問いけけて、静乃が緊張感のない声で応じるということを繰り返しながら、彼らパーティメンバーはぞろぞろと移動をし続けた。

 用心深い葵や明雄などは、ときおりこっそりと〈フラグ〉のスキルがまだ使用可能かどうか、確認をすることも忘れなかった。

 迷宮がこれだけ特殊な反応をこのパーティに示しているのだから、これか先、どんな異変が起こっても不思議ではないと、誰もが感じていた。


「しかし、一年の最後に奇妙なことになったもんだな」

 しばらくして、例に空気を読むということがない猛敏が大声でそんなことをいい出した。

「〈フラグ〉は使えるようだからいざというときは逃げるだけだが、これはないよなあ」

「お前!」

 誠吾が大きな声を出して猛敏を窘めた。

「いい加減にしろよ!

 みんな、あえて声に出さずに自制していたことを!」

「あ」

 そのとき、列の最後にいた静乃が声をあげた。

「エネミー、見つけた。

 前方、んん、今、八百メートルくらい先かな。

 ただし、どんどんこちらの方にむかって移動してきているから、すぐにでも接触すると思う。

 先頭の二人は準備をしてて。

 足が速いなー。

 もう見えると思う。

 接触まで、四、三、二、一……」


「ちょっと待てよおい!」

 相馬が、目前まで迫ってきたエネミーの姿を見て大声をあげた。

「なんでこんなところにリザードマンがいるんだよ!」


「うぉぉぉぉぉっっ!」

 意外に俊敏な動作で肉薄してくるリザードマンにむかって、秀嗣は雄叫びをあげつつ突っ込んでいく。

 リザードマン。

 少し前に話題に出ていた、九百階層より深層に出没する、今の一年の手には余るエネミー。

 しかし、こうして接触してしまった以上、戦う以外に道はなかった。

 たとえ最終的に逃げるにしても、そのためには隙を作る必要がある。

 秀嗣はこのとき、あえて武器は持たずにリザードマンに迫っていた。

 リザードマンの動きの機敏さから判断するに、真正面から秀嗣が武器で攻撃をしかけても、まともに命中することはないだろうと、そう判断したのだった。

 リザードマンの方は、石かなにかを削りだしたかのような質感の棍棒のような武器を肩にかついでいる。

 ごついし、でかい。

 あんなのを振り回され、それがまともに命中したらひとたまりもないな、と秀嗣は思った。

 リザードマンに体ごとぶつかり、できれば抱きついて、できるだけ動きを鈍らせるつもりだった。

 なにしろこの通路は道幅が狭い。

 秀嗣自身の体で塞いでしまえば、リザードマンも後続の仲間たちにすぐには危害を加えることは不可能なはずだ。

 しかし、リザードマンは、秀嗣の突進を冷静に観察し、直前で足を止めて、素早く振りかぶった棍棒を秀嗣の脳天に叩きつけた。

 背後から、

「その程度の攻撃くらい避けろよ!」

 という誰かの罵声が飛んできたような気がするが、その声の主の詮索をする余裕など秀嗣にはなかった。

 リザードマンの力は強く、たとえ〈鈍牛の兜〉によって守られたているにせよ、秀嗣の意識を一瞬飛ばすくらいの衝撃は受けているのだ。

 いや、〈鈍牛の兜〉のドロップ・アイテム特有の非常識な防御力がなかったら、直撃を受けた秀嗣は到底無事では済まされなかっただろう。

 そう思えるくらい、強力な攻撃だった。


 硬え。

 何本かの短剣をリザードマンに〈投擲〉していた相馬は、そうした短剣がすべて命中し、しかしリザードマンの体表にあっさりと弾かれたことによって、このエネミーの防御力を改めて確認した。

 鱗に守られているんだかなんだか知らないが、とにかく、このエネミーには半端な攻撃は通用しないということが実感できた。

〈投擲〉による攻撃が無効だと悟った相馬は、その場で足を止めて雄叫びをあげて突進していく秀嗣に対して、慌てて〈エンチャント〉スキルをかけて全体の防御力を底あげしておく。

 おれの攻撃が通用しないのなら、今、できることはこれくらいしかないもんなあ、と、相馬はそんなことを思う。

 あの硬いリザードマンの体表を突破できるような攻撃というと、それは……。


「よっ!」

 猛敏は軽い足取りで前進し、身軽に跳ねあがって相馬の肩を踏み台にして、さらに上方へと身を躍らせた。

 なにしろ、ここは狭い。

 おまけに、今は体がでかく背も高い秀嗣が道を塞いでいる。

 その秀嗣の前に出てリザードマンと直接対決するためには、上に出るのが一番の近道であった。

 猪突猛進しか能がないように思われている猛敏であったが、それでもこれまで相応に累積効果の恩恵は得ているわけで、相馬の方を踏み台にして秀嗣の頭上を飛び越える程度の芸当くらいは普通にできてしまうのだった。

 むろん、無策のまま、秀嗣の頭上を飛び越えたわけではなく、猛敏は獰猛な笑みを浮かべながら〈甲虫の戦斧〉を振りかぶっている。

 このリザードマンのように硬いエネミーに対抗でそうなのは、このパーティの中では重くて高い攻撃力を持つ猛敏の〈甲虫の戦斧〉くらいなものだろう。

 と、猛敏は勝手に判断している。

 それに、まさかリザードマンも秀嗣の頭上を飛び越えて攻撃してくる者がいるとは、想像できまい。

 猛敏が秀嗣の頭上をちょうど飛び越えようとしたそのとき、リザードマンが秀嗣の頭上に棍棒を叩きつけた。

 秀嗣は、前に腰をおるようにして上体を沈めていく。

 おっと、あぶねえ。

 このままでは秀嗣の体もろともリザードマンも飛び越してしまう。

 瞬時に判断した猛敏は、反射的に〈戦斧〉を壁面に叩きつけて強引に軌道修正をした。

 リザードマンは、秀嗣の体をそのまま乗り越えようとしている。

 そのリザードマンの体の上に、猛敏は、落ちた。

 リザードマンごと、猛敏が秀嗣を押しつぶしたような形となる。

 まだだ。

 リザードマンに肉薄した瞬間、猛敏は〈戦斧〉を薙いでリザードマンの鼻面に、横から〈戦斧〉の刃を当てた。

〈戦斧〉の刃がリザードマンの鱗を切り裂くことはなかったものの、いきなり頭部に横からの打撃をくらったリザードマンは大きく姿勢を崩して、そして猛敏の体重によってその場に押しつぶされる。

 落下しながら、これでも刃は立たないか、と、猛敏は冷静にそんなことを考えた。

 なら、打撃だけで攻撃を続けるしかねえな、と。

 地面に手をつく代わりに〈戦斧〉の石突きを叩きつけて姿勢をただして、猛敏は地面に降り立つ。

 そしてそのままリザードマンに〈戦斧〉を叩きつけた。

 猛敏の動きは無駄が多く、決して洗練されたものではない。

 しかし、これまで長い時間〈甲虫の戦斧〉を振り回してきただけあって、その扱いにだけは熟練していた。

 刃が立たないのなら、何度でもぶつけるだけだ。

 そう思い、猛敏は〈戦斧〉を操って立て続けにリザードマンに叩きつける。

 リザードマンの方はあまりダメージを受けているようにも見えなかったが、それでも煩わしいといは思うらしく、素早く体制を立て直したかと思うと棍棒を猛敏に叩きつけようとする。

 その動きを呼んで、猛敏は〈戦斧〉で弾いて棍棒の軌跡を逸らした。

 それなりに実戦経験を積んできた猛敏は、これくらいのことならば意識するまでもなく、反射に体を動かせるようになっている。


 倒れた秀嗣のすぐそばで、猛敏とリザードマンの激しい攻防が行われていた。

 一見して意外に接戦、に見えるが、実は、リザードマンの方にはまだかなり余裕があるな、と、偉はすぐにそう見抜く

 リザードマンは余力を残したまま、猛敏の力量をはかるためにあえて動きを緩くしているようだ。

「足止めをしている今のうちに」

 偉は口に出してそういった。

「一陣さん、いけない?」


「槇原くんごと撃ちぬいてもいいんなら」

 忍は即答した。

 忍の一撃必殺のスキルは、威力が大きすぎるのだ。

 仲間が標的のすぐそばにいるような状況では、使用することができない。

「じゃあ、わたしがいっちゃう」

 かわりに、アリスがそういってショット系のスキルをリザードマンにむかって連射しはじめた。

 五メートルくらいしか離れていない近距離からの一斉斉射。

 命中しないわけがなかった。

 ほとんど全弾が命中している割には、リザードマンは一度身震いしただけであり、アリスの攻撃が効いているようには見えない。

 やはり鱗がネックか、と、アリスは思う。

 事前に説明があった通り、あの鱗は多少の温度差も体内には届けない物質でできているらしかった。


 リザードマンは不意に動きを早くして、〈戦斧〉ごと猛敏の体を棍棒で弾き飛ばす。

 そのまま体のむきを変えて、アリスの方に突進しようとした。

 リザードマンが足を踏み出したそのとき、大きな衝撃を感じてリザードマンは上体をのけぞらせる。

 さらに数回、リザードマンは連続して胸部の周辺におおきな衝撃を感じた。

 体がバラバラになるのではないか。

 そんな錯覚さえおぼえる、大きな打撃。

 これは、なんだ。

 と、リザードマンがそう思ったとき、ついに頑丈な鱗が破損されて、目に見えない物理攻撃がリザードマンの体内に侵入した。

 一度突破口が開いたら、その場所から何発かの静乃の〈狙撃〉スキルによる攻撃がリザードマンの体内を侵すようになる。

 銃弾を模したそのスキルによる攻撃は、一度リザードマンの内部に入るとそのまま直進して硬い鱗に弾かれ、リザードマンの体内をずたずたにしながら運動エネルギーを完全に消尽するまで跳弾し続ける。

 そんな状態になって、はじめてリザードマンは息絶えた。


「おーい、大丈夫かあ?」

 倒れていた秀嗣や猛敏を介抱する者。

「すっげえ硬いエネミーだったな」

「やはり九百階層は、おれたちにはまだ早いや」

 などと呑気な会話をはじめる者。

 リザードマンを倒したことによって、パーティの空気は一気に弛緩した、かに見えた。

「気をつけて!」

 そんなとき、静乃が珍しく切迫した声を出す。

「新手が来るよ!」

 一度緩みはじめた周囲の空気が、一気に引き締まる。

「またリザードマン?」

「ううん、違う」

 静乃は早口に知るかぎりの情報を口にする。

「今度のは、人型ではない。

 ただし、数が多い。

 ええと、全部で五体。

 意外に動きが早い。

 さっきのリザードマンよりも。

 もう見えるはず」

「あれは」

 リザードマンがやって来た方向を見ながら、葵が呟いた。

「ヨロイクモ」

「なんでもいいけど!」

 忍は慌ててそちらの方に移動した。

「とにかく来るやつは、片っ端から片づける!」

 倒れたままの秀嗣、ようやく起きあがって頭を振っている猛敏を追い越して最前列まで出たところで、忍はビーム系スキルを発動。

 一気に接近中だったヨロイクモ五体を焼き殺した。

 道幅が狭く、逃げ場がないこのような場所では、忍のこのスキルはかなり効果的だった。


「もう来ないよね」

 忍が静乃に確認した。

「今からエネミーが来ても、しばらくはわたしは役立たずだけど」

「残念」

 静乃は頬を引くつかせながら答えた。

「また近づいて来るよ。

 今度は、リザードマンとヨロイクモの両方。

 ご丁寧に、道のこちら側とあちら側、両方から接近中」

「おい!」

 誠吾が叫んだ。

「流石にやってらんねえ!

 今のおれたちに手に負えるような状況ではない!

 今すぐ撤退しよう!」

「かなり常識的な判断ですね」

 偉がそういったのを皮切りに、その場にいる全員が即座に賛成をする。

 なによりも安全が優先されるという基本原則は、この場にいる全員にとっては本能に近いほどに強烈に叩きこまれているのだ。

「それでは、〈フラグ〉スキルを使用してこの場から脱出します」

 このパーティのリーダー格である葵はその場でそう宣言し、〈フラグ〉スキルを使用した。


 しかし、実際に迷宮第一階層まで脱出できたのは、パーティのうちの半分の人数でしかなかった。


「ふぁ!」

 相馬が間の抜けた声をあげた。

「なんだって、全員、この場にいないんだ!」

 通常、〈フラグ〉スキルの効果はパーティ全員に及ぶ。

 十名いたパーティのうち、半数の五名だけが移動してくるということは、通常ならばありえないのだった。

「この場にいるのは、ええと」

 誠吾が慌てて左右を見渡し、その場にいる人間を確認する。

「おれと相馬に一陣、猛敏に、双葉か」

「この場にいないのは、静乃ちゃんと葵ちゃん、白泉くん、野間くんにあっきー!」

 忍が確認する。

「どうする?」

「どうするもこうするも」

 相馬がいった。

「明らかに、異常事態だ。

 まずは公社の窓口になにがあったのかを報告して、あとは公社の指示に従うしかないだろう」

 相馬のその言葉に、その場にいた全員が頷く。

 あそこが特殊階層の一種なのかどうかは相馬たちには判断することができなかったが、前後の状況もかなりおかしなところがあったし、自分たちだけで解決が可能な事態とは思えないのであった。

 彼ら脱出成功組四名は足早に迷宮から出て、公社の窓口へとむかった。



 暗いな、と、静乃は思う。

 ここはどこだろう。

 いつのもの明るい迷宮の中ではないことだけは確かだった。

 つまりは、かなり異常な状態だということか、と、心中でそう確認をする。

 迷宮の中は常に明るく、そして、〈フラグ〉は迷宮内を移動することしかできないスキルだった。

 この場所が暗いということ、それに、〈フラグ〉を使用しても予定していた迷宮入口付近に移動していないということ。

 このどちらもが、かなり異常なことといえた。

 他の人たちは、どうしているんだろうか。

 静乃はそう考え、

「おーい!」

 と、声をあげてみた。

 ひょっとしたら、誰か仲間が、近くにいるかもしれない。

「誰かいるー?

 この声が聞こえたら、返事をしてー!」


 返答はなかった。

 それどころか、静乃自身の声が反響することもない。

 つまりは、ここはかなり開けた場所なのかな。

 と、静乃は推測をする。

 しばらく待ってみても目が慣れないから、よほど光源が乏しい場所なのだろう。

 静乃は保護服のポケットからスマホを取り出し、周囲を照らしてみた。

 驚いたことに、スマホの光源が床以外のなにかを照らすことはなかった。

 つまりは、この光源が届く範囲内に壁などの遮蔽物がない、開けて真っ暗な場所に取り残されたわけか。

 一応、念の為にスマホの画面も確認してみる。

 予想していた通りに、やはりアンテナは一本も立っていなかった。

 ここは、迷宮と中と同じく、電波が届かない場所になるらしい。

 スマホをポケットの中に戻しながら、静乃はそう考える。


 かなり不自然な状況下にあるとは思ったが、なにせ迷宮の中でのことである。

 ここが迷宮の中にあるという確証も実はないのだが、だけどまあ、状況からしてやはり迷宮の一部ではあるだろうと予想できた。

 だから、だったら、どんなことだって起こりえるのだ。

 他の人たちは、今の静乃と同じような場所にいるのだろうか?

 それとも、無事に迷宮から出ることができたのだろうか?


 次に静乃は、自分の〈フラグ〉スキルを使用してこの場から脱出できないものかどうか試してみた。

 結果、失敗。

 少し前の再生死人たちの特殊階層と同じように、ここでは〈フラグ〉のスキルは封じられているらしい。

 さて、どうするか。

 静乃は、その場に座り込んで考えはじめた。

 今、この場で、これ以上できることはないだろうか。

 自分でできることがないとすれば、誰かが救助に来てくれるのを待つしかない。

 しかし。

 と、静乃は暗闇の中で苦笑いを浮かべる。

 迷宮の中では、遭難した誰かを救助する方法はほとんどないのだ。

 つまりは、静乃は自力でこの場を脱出する方法をおもいつかなければ、このまま衰弱死するまでこの場にとどまり続けることくらいしか選択肢がないわけで。

 これは、かなり本格的に困ったことになったな、と、静乃は思った。

 そして、その場に寝そべって、なにか対策はないものかと考えはじめる。

 寝そべって楽な姿勢になったのは、なにか思いつくまで、できるだけ体力を消耗することを避けたかったからだ。

 こんな形で危地に陥るとは、静乃もこれまで想像したことがなかった。

 流石は迷宮。

 理不尽この上ない。


 そういえば、早く脱出しないと明日からの法事に間に合わないな、とか、しばらしてから、静乃はそんなことを考えはじめる。

 実際にはそれどころではない、かなり深刻な状態にあるわけだが、差し迫って生命の危険に晒されているわけでもないので、静乃としてはあまりシリアスに考えられないのだった。

 このまま、こうして餓死だか衰弱死するのもいいか、とか、思いはじめる。

 もともと、ここまで行きのびてきているのが奇跡みたいなものだしなあ。

 あれから四年、いや、もう五年目になるのか。

 あの、静乃の両親と兄を奪った、今では東日本大震災と呼ばれている異変から。


 あの異変のとき、静乃は十四歳の中学生だった。

 静乃の家があった場所は海からは距離があったため、津波による直接的な被害にはあわなかった。

 そのかわり、先祖伝来の田畑は無残にもほじくり返され、当時住んでいた家は半壊した。

 あのとき、静乃は祖父とともに山の中にいて、罠猟の手伝いをしていた。

 異変を感じ、祖父とともに家に帰ってみると、家は半ば潰れていて、とてもではないが中に入って必要な物を取ってこれるような状態ではなかった。

 田んぼや畑はぐしゃぐしゃになっており、その様子を確認した祖父は、これをまた使えるようにするためには、重機でも借りてきて整地からやり直すしかないといった意味のことを方言で呟いた。

 そんな費用をすぐに用立てることもできなかったので、結局はそのまま放棄して今に至っているわけだが。

 静乃と祖父はそのあと、何度か両親や静乃の兄に連絡を取ろうと試みたが、結局、誰とも連絡が取れないまま避難所生活へと移行した。

 両親と兄も外出先から戻らないままに避難所で一月弱ほどを過ごしたあと、習志野に居住していた叔父一家を頼ってそこに移動することになった。


 あの異変で経験したことは、今でも静乃の奥底に澱のように沈殿している。

 ように、感じることがある。

 普段はあまり意識することがないのだが、あれ以来、静乃の眠りは浅いままだ。

 気にしていないようでいて、その実、確かに静乃のなにかを決定的に変質させてしまっている。

 結局、いまだにあのときのことを消化しきれていないんだろうな、と、静乃は思う。


 いやな思い出なんて、全部、体の中から出てしまえばいいのに。


 暗闇の中で寝そべったまま、静乃は片手をあげて、指鉄砲を作る。

 そして、

「ばん!」

 と、呟いた。


 探索者のスキルとは、その探索者の精神状態や願望が反映されて結果であることもあるという。

 だとすれば、静乃が持つ〈魔弾〉のスキルなどは、明らかに静乃の願望を反映したスキルであるはずだ。

 いくら強力であっても、あんなスキルを所持できる人間が、本当の意味で幸福であるわけがない。


 あ、いやだなあ。

 と、静乃は考える。

 こんな場所にいつまでもいたら、考えることがどんどん暗くなっていく。

 早くどうにかしないと。

 もしくは、誰かに助けてもらわないと。


 でも、はは。

 外から助けてもらう線は、ほとんど望み薄なんだよなあ。


 さて。

 本当に、どうしよう。

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