23. 日輪と稲妻

 起きあがった巨人は、三体もいた。

 高さ五メートル前後の城壁でだいたい腹部まで隠れているから、全長はだいたい八メートル前後といったところか。

〈計測〉スキルを持つ金城革にでも確認すればもっと詳しい数値が判明するのかもしれないが、いずれにせよ通常の人間と比較すればその巨体だけで十分な脅威となる。

 しかも、その巨人たちは迷宮に出没する人型エネミーの例に漏れず、なんらかのスキルを所持していると想定するのが自然だった。

 三体の巨人のうちの一体は、長大な錫杖に見える物体を手にしている。

 つまりは、広域ないしは遠距離攻撃が可能ななんらかのスキルを所持している可能性が高い。


 たった十五人で、勝てるわけがねえ。


 なまじ探索者としての経験があるだけに、柊周作はそう思ってしまう。

 何人かは減らしたはずだったが、それでもあの巨人たち以外にも、まだ半数前後の再生死人の探索者も残っているはずであった。

 そのどちらかだけでも十分に手強いというのに、その両方を、たった十五人程度の、しかもその大半はまだ経験一年にも満たないひよっこ同然の探索者で相手をしなければならないとは。

 周作にいわせれば、現在の状況は無理ゲーもいいところだった。


『柊っ!

 なにをぼうっとしていやがる!』

 無線越しに、徳間隆康の叱責が周作の耳に届いた。

『とっととやつらの数を減らしていかないと、こちらが不利になる一方だぞ!』

「本気であんなのに勝てると思っているんですか、あんたは!」

 ほぼ反射的に、周作は隆康に叫び返している。

『どうして勝てないと思うんだ?』

 隆康は平然とした口調でそう切り返してきた。

『迷宮だか〈ネクロマンサー〉だか知らないが、せっかくこんなボーナスステージを用意してくれたんだ!

 ここはがっぽりと稼ぐチャンスだぞ!』

 虚勢なのか、それとも本気でそう思っているのか。

 そのときの隆康の口調からは、にわかには判断できなかった。

 しかし、次に隆康が口にした言葉は、確かに周作には効果があった。

『それ以前に、〈遊び人〉がこんなときに萎縮をしてどうする!

 柊!

 さっき城壁を壊したやつは残っていないのか!』

「無茶いわないでください!」

 そう叫び返したとき、周作はすでにいつもの〈遊び人〉のふてぶてしさを取り戻していた。

「あれが一発いくらすると思っているんですか?

 それに、動かない標的ならともかく、動きまわる的相手にあれを当てる自信はありませんよ!」

『なら、自分でできる方法であの巨人たちをどうにかしろ!』

 隆康も叫び返してきた。

『死人どもの始末は一年にでも任せておけ!

 おれも、これから巨人たちをどうにかする!』



 巨人たちの姿を確認したとき、昇殿顕子はすぐに足を止めて歌い出した。

 こんなとき、顕子の喉から絞り出されたのは、幼いころにデイスクで鑑賞したことがある、国産初のカラーテレビアニメの主題歌であった。

 手塚治虫原作の動物たちが主人公のアニメで、富田勲作曲。

 おそらく顕子の両親たちとしては、ディズニーかなにかと同じように、子どもにとって無難な作品を鑑賞させていたつもりだったのだろう。

 それはともかく。

 あーあー。

 あーあー。

 などと歌詞を引用しても著作権的に引っかかる心配が要らないこと、歌詞自体に意味が無いことなど、いろいろな意味で便利な歌であった。

 スキル〈応援歌〉。

 所属しているパーティ全員の能力を底あげする効果を持つ、かなり使い勝手のいいバフ効果を持つスキルであった。

 今回の場合、やたらと数が多い草原水利が〈テイム〉してきたエネミーたちの諸元性能も一律に底あげすることになるので、結果としてみればその効果はいつもと比較すると数倍、いや、数十倍にもなるだろう。

 とにかく、顕子自信が直に戦闘に参加するよりはここで足を止めて〈応援歌〉を歌い続ける方が、遥かに効率よくパーティに貢献できる。

 顕子はそう判断をした。



 巨人の姿を目にした途端に足を止めた顕子とは逆に、金城革は足を早めた。

「『一年生たちは死人たちの始末を優先的に!』」

 革は誰にともなく無線越しにそう指示を告げ、そして自分のロッドを取り出す。

 革の広域攻撃スキルの有効範囲にまで巨人たちが入るまでには、まだ間合いが空きすぎていた。

 先行しているのは、隆康と周作、野間秀嗣と一陣忍の二組であったはずだ。

 前者はともかく、後者の行動については若干の不安がある。

 うまく判断をして適切な行動を取ってくれればいいのだが。

 とにかく、あの巨人は今の新入生たちにとってはまだ完全に手に余るエネミーであったし、そちらに気を取られるよりは、その先に、もっと倒しやすい、再生死人たちを完全に沈黙させておいた方がより全然ではあるのだ。

 こちらと同人数の十五人いるはずの死人たちは、すでにその三分の一前後を倒しているはずである。

 今の一年生たちが全力で相手をすれば、どうにか倒すことができるはずであった。

 なにしろ今年の一年には、藤代葵や白泉偉、それに大勢のエネミーを率いる〈テイマー〉の草原水利がいる。

 これだけの戦力が団結してかかれば、よほどの相手でなければ苦戦をするはずがない。

 今はそうした死人たちよりも、あの三体の巨人たちをどうにかする方が、よほど手こずりそうだった。

 三体、か。

 革は〈計測〉スキルを使いながら三体の巨人を確認する。

 身長は人間の四倍前後、体重は十倍以上。

 その巨体を自在に操る身体能力だけでも十分に脅威だというのに、それ以外にも複数のスキルと武器を所持している。

 一体は、自分自身の身長よりも長い錫杖を。

 一体は、その巨体がすっぽりと隠れるような楕円形の大盾を。

 最後の一体は、どうした加減か腕が四本もあり、その腕ひとつひとつに一振りずつの長剣を持っている。

 それぞれ、特殊攻撃、防御、物理攻撃を担当するための複数のスキルを所持していた。

 分業も可能、というわけか。

 革は思う。

 あの三体がうまく連携して動くとなると、今の十五人だけでは少し厳しいかな。

 というのが、革の本音である。

 セオリーでいうのなら、まず錫杖持ちの巨人を真っ先に片付けるのであったが、他の二体がその攻撃を妨害してくるのは明らかだった。

 あの三体のうち、どれか一体を片づけることができれれば難易度は極端に下がるわけだが、巨人の方も容易にそんな真似を許してはくれはしないだろう。



「金城先輩はああいってるけど!」

 一陣忍はそばにいた野間秀嗣に訊ねた。

「どうする!」

「どうするっ、て」

 一瞬、秀嗣は口ごもってしまった。

 忍がいいたいことは、理解できる。

 今、秀嗣と忍の二人は、徳間隆康と柊周作の二人と同じく、ふかけんメンバーの中では巨人たちに近い場所に位置している。

 しかし、それは同時に城壁に近いということでもあり、つまりは死人たちと早めに接触する可能性が大きいということも意味していた。

 この場合、忍がいう、

「どうする!」

 とは、まずどちらのエネミーに対処をするのか、ということである。

 この二人が離れて個別に動くのは、論外であった。

 ただでさえ不安のある戦力をさらに分割しても、自分たちにとって振りな方にしか働かない。

 秀嗣はちらっりと目線をやって、巨人たちの方に走っていった隆康の方を確認する。

 隆康らしき小さな人影が、盛大に、雷光を巨人たちの方に放っていた。

 大きな楕円形の盾を持った巨人に、その雷光はあっさりと遮られて目立った効果はないようだったが、少なくとも巨人たちの注意を引いて牽制することには成功をしている。

「あちらへ参りましょう!」

 秀嗣はそう決断した。

「先輩方の二人だけでは、あの巨人の相手は難航するかと思われますです!」

「了解!」

 忍は、その意見に反対しなかった。

「わたしたちでは力不足で、直接巨人たちを相手にすることはできないかも知れないけど、巨人たちを援護しようとする死人たちの相手をすることくらいはできそうだしね!」

 巨人たちを相手にしている先輩方の、護衛というわけだった。

「一陣さんの例のスキルならば、あの巨人たちのもダメージを通すことが可能と思われますが」

 走りながら、秀嗣はそういった。

「再使用できるまで、まだ二分以上!」

 秀嗣と並走しながら、忍が答える。

「一発撃つとしばらく使えなくなるのが、このスキルの難点なんだよね」



「おっしゃぁっ!」

〈甲虫の戦斧〉を担いだ槇原猛敏が、はしゃいだ声を出した。

「つまりは、死人どもを殲滅しろということだな!」

「できるのかよ、お前に!」

 そぐそばでその言葉を耳にしていた大野相馬が、大声でツッコミをいれる。

「防御無視、猪突猛進しか能がないお前じゃあ、すぐに迎撃されるのがオチだ!

 相手は一度死んでいるとはいえ、おれたちより経験豊富な探索者ばかりだぞ!」

「知らねえよっ!」

 猛敏は吠えた。

「難しいことを考えるのは、お前や他のやつらに任せる!

 おれができるのは、真正面から突っ込んでいって敵の注意を引きつけ、できることならば何人かと刺し違える覚悟で戦うことくらいだ!」

 ああ。

 と、相馬は悟った。

 こいつは、馬鹿だ。

 以前から馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、いよいよもって筋金入りだ。

 それも、本人自身もそうと確信しているタイプの、正真正銘の馬鹿だ。

「つまりは、お前が囮になるということか!」

 相馬は叫んだ。

「知らねえよ!」

 猛敏は叫び返した。

「おれはおれの好きなように動く!

 結果として敵をあぶり出す囮の役目を果たすかも知れないが、そんなことはおれの知ったこっちゃねー!」

 こういう馬鹿には、手助けをしてやる人間が必要だな、と、相馬は思った。

 この馬鹿一人だけでは、まだ十人以上は残っていると予想される死人たちの相手をさせるのは荷が勝ち過ぎるというものだ。

 スケイルメイルに身を包み、つまりはそこそこの防御力を持ち、〈エンチャント〉の仕切るにより多様な状況に対応できる自分がサポートしてやらなければ、この馬鹿はすぐに自滅してしまうだろう。



「無線で筒抜けなんだよなあ」

 白泉偉は気の抜けた調子でいった。

 今回、パーティメンバー全員に用意されたろあんシーバーは、マルチチャンネルタイプとかで通話が可能な状態になれば機械が勝手に判断をして自動で回線を開く機能を持っていた。

 曲がりくねった迷宮の通路内など、遮蔽物が偉場所ではその恩恵にもろくに預かることはできなかったわけだが、今いる場所は遠くに見える城壁以外になにもないような、開けた場所である。

 猛敏と相馬は、偉から三百メートル以上は離れてたところを城壁にむかって走っているところだったが、二人の会話は筒抜けだった。

『それで、実際にはどうしますか?』

 偉から少し遅れてきている藤代葵が、そう訊ねてきた。

『あの二人ならば、特に槙原くんが決死の覚悟で突入していけば、多少格上の相手でもそれなりに撹乱することは可能だと思いますが』

「無茶で無謀な分、迫力はあるからね、彼」

 猛敏とも何度かパーティを組んだ経験がある偉が応じる。

「前衛は彼らに任せて、他の人は彼の相手をしてペースを乱した死人たちを個別に撃破。

 ということで、いいんじゃいかな」

『同感』

 偉の少し前を走っていた秋田明雄が、偉の意見に賛同した。

『あの巨人たちはかなり強そうだし、さっさと死体を片づけて先輩たちに合流していこう』

『秋田くん、すぐに片づけることを前提にして発言しているし』

 今度は双葉アリスが発言した。

『実際にはかなりきついと思うんだけどね。

 死人さんたちの相手は』

 基本的な前提として、死人たちの方が、ふかけんの新入生たちよりも探索者としてのキャリアが長く、それだけ格上なのである。

『かといって、あの巨人の相手も先輩たちだけではきついと思うよ』

 無線越しに、早川静乃の声が入ってきた。

『無理を承知で、できるだけ早くどうにかしてそちらの援護にむかわないと。

 最悪の事態にもなりかねない』

 最悪の事態、とは、〈フラグ〉のスキルで逃げることができない今は、すなわちパーティ全滅ということになる。

『できるかできないかを考えるよりも、無理を承知でやり遂げるしかないってことだよな』

 明雄が、まとめた。

『他に選択肢がない以上、相手を全滅させるしかないじゃないか。

 そのための順番としては、巨人たちを相手にする前に、まずは邪魔な死人たちを一掃しておこうってことだよな』

 明雄のこの結論に、異論を挟む者はいなかった。



「うぉぉぉぉっ!」

 隆康は雄叫びをあげながら〈方天戟〉を振りかざす。

 別に意味もなく声をあげているわけではなく、巨人たちの注意を自分に集めるための雄叫びであった。

〈方天戟〉の効果による雷撃は、巨人たちに意味のあるダメージを与えることはできていない。

 しかし、巨人たちにとってもこの雷撃の直撃を受ければそれなりの脅威になることは確かであるらしく、回避や防御の動きは見せている。

 雷撃と雄叫びによって巨人たちの注意を引きつけ、隆康は巨人たちを城壁のこちら側へと誘導していた。

 この場合、一番に気をつけるべきは特殊な攻撃スキルを所持していると予想される錫杖持ちの巨人になるわけだが、その錫杖持ちの巨人の注意は、柊周作がうまい具合に引きつけてくれていた。

 周作は、例によって〈フクロ〉から取り出した自動小銃を斉射することによって、うまいこと〈錫杖持ち〉が精神を集中する時間が持てないようにしている。

 同時に隆康が雷撃を発している以上、〈大盾持ち〉の巨人もそのどちらかに対応するしかなく、これまでのところ、三体の巨人は隆康と周作によっていいように翻弄されている形であった。

 だが、それもいつまで続くか。

 隆康は、冷静にそう思考する。

 城壁を出て、こちら側にまで誘導されてくれたものの、巨人たちの様子にはまだまだ余裕があるように見受けられた。

 隆康の誘導にも、あえて乗ってやっているという風に見えないこともなかったし、それに、〈四本腕〉の巨人がまだ本格的に動いていないことも気になっていた。

 見くびりやがって。

 と、隆康は思う。

 やつら、おれたちなんかいつでも捻り潰せる自信あるだ。

 だから、もうしばらくは様子見をしていてもいいと思っていやがる。

 今の時点でまだ〈四本腕〉が動いていない理由は、そうとでも考えないと辻褄が合わない気がした。

 隆康や周作による攻撃も、本気で警戒しているというよりは、適当にあしらわれているような印象がある。

 もうしばらくはそうして見くびられるくらいの方が、隆康にとっても都合はいいのだが。

 隆康にとっても、今やっていることは、本格的な攻撃というよりは、ふかけんの他のメンガーが合流してくるまでの時間稼ぎに近かった。


『お待たせしましたー』

 そうしているうちに、ヘルメット内にとりつけたスピーカーから唐突に女の声が聞こえた。

「一陣か!」

 今どこにいるのか、にわかに判断はつかなかったが、一陣忍が無線の届く範囲にまで移動してきたらしい。

「例のビームは撃てるか?」

『今なら、撃てます』

 忍は即答した。

『セオリー通り、〈錫杖持ち〉を狙いますか?』

「どれを狙ってもいいが、慎重に狙って確実にダメージを与えろ」

 隆康は即答する。

「お前の例のスキルは、一発外すと目も当てられないんだからな!」

 たとえ三体のうちの一体だけでも、これで片づけることができれば、それ以降の仕事がかなり楽になる。

「柊!

 特に〈大盾持ち〉の注意を引きつけておいてくれ!」

『わかってますって』

 やる気があるのかないのかよくわからない、周作の声が無線越しに帰ってくる。

 その声が終わるか終わらないかのうちに、少し離れた場所で行われていた周作による巨人たちへの銃撃が激しくなる。

 小口径の自動小銃なので、仮に命中したとしても巨体を誇る巨人たちにとってはたいしたダメージはならないはずだったが、それでも鬱陶しくは思うのか、〈大盾持ち〉と〈錫杖持ち〉の注意が周作の方に流れたように見えた。

「今なら行けるだろう」

『はい。

 撃ちます』

 隆康がいい終わらないうちに、忍の返答とともに、白くて太い光条が唐突に空中に出現した。

 その〈ビーム〉の出現は巨人たちにとっても予想外だったのか、三体のうち二体が目に見えて動きに迷いが見えた。

 忍から発した〈ビーム〉は、まっすぐに〈錫杖持ち〉の方へと伸びていく。

 慌ててその〈ビーム〉と〈錫杖持ち〉との間に、〈大盾持ち〉が体を割りこませる。

 しかし、その際、よほど慌てていたのか、肝心の〈大盾〉を構える前に〈ビーム〉の前に体を出したので、腹部から胸部に忍の〈ビーム〉をまともに浴びてしまう。

〈錫杖持ち〉も、無事では済まなかった。

〈大盾持ち〉が立ちふさがるのが遅れたため、〈錫杖持ち〉は〈ビーム〉を避けようとして足がもつれて、無様にその場に尻餅をつく。

 結果、その体で〈ビーム〉を受けることこそなかったものの、転倒した拍子に〈錫杖〉で〈ビーム〉受けてしまい、長々しい〈錫杖〉が真ん中から真っ二つに切断されてしまった。

 腹部と胸部の一部を炭化させた〈大盾持ち〉が、甲高い悲鳴を周囲に響かせる。

 高熱による攻撃のため、ほとんど出血を伴わず、それだけに凄惨な印象はほとんど受けなかった。

 しかし、人間なら間違いなく致命傷に近いダメージを受けながらも、〈大盾持ち〉は甲高い悲鳴を上げつつも、なおも平然と立ちあがろうとする。

 人型とはいえさすがはエネミーというべきか、驚異的な生命力だった。


『よく保たせた』

 忍とは別の、女の声がスピーカーに響く。

『即時、抹殺を開始する』

 静かな、金城革の声だった。

 その声が終わるか終わらないかのうちに、〈大盾持ち〉の体が、足の先から白く凍りついていく。

〈大盾持ち〉はキイイイイイと耳障りな声を立てるが、なにしと足が完全に凍っているものだから逃げることができない。

 そのまま無理に体を動かそうとしてバランスを崩し、すっかり凍って柔軟性を失っていた脛が、膨大な体重を支えきれずに半ばからぽっきりと折れてしまった。

 そのまま〈大盾持ち〉は、大きな地響きを立てて地面に転がり、そうしている最中にも体の徐々に白く凍りついた部分が大きく広がっていく。

〈氷結の女王〉との異名を取る、革のスキルによる攻撃だった。

「そのスキルで三体同時に攻撃できないのか?」

 試しに、隆康は訊ねてみた。

『無茶をいわないでください』

 革はスキルを使用しながら、短く返答する。

『今回の相手は、質量が質量です。

 一度に一体を相手にするのが限界ですよ』



「うぉぉぉぉっ!」

 雄叫びをあげながら、猛敏はまっしぐらに城壁の破壊された部分へとつっこんでいった。

 途中、城壁方面からいくつかの攻撃が猛敏の方になされたが、猛敏はそれを避けることもなく突進していく。

 流石にこの猛敏の動きは想定外だったのか、一瞬、弾幕が薄くなったような気がした。

 無理も無いな。

 と、その猛敏のすぐうしろを走っていた相馬は思う。

 ここまで自分にむかってくる攻撃に関心を払わない馬鹿な探索者も、確かに珍しいだろう。

 走りつつ、相馬が〈エンチャント〉スキルを猛敏に重ね掛けをすることによって、限界まで、一時的に猛敏の防御力を底上げておいた結果だった。

〈エンチャント〉というスキル自体は比較的ポピュラーなスキルであったが、実際に使いこなせている〈エンチャンター〉は意外に少ない。

 昨年末、相馬がバイトと平行して〈エンチャント〉スキルについて学んだ成果が、こんなところで役に立った形だった。

 あとはこの猛敏と爆弾を、探索者として大先輩にあたる死者たちにぶつけるだけだ。

 相馬と猛敏の二人が死力を尽くせば、相応の成果は出せるだろうし、すぐあとにふかけんの仲間たちも続いている。

 最悪でも城壁の中から死者の連中を燻り出すことができれば、あとは静乃が〈狙撃〉で片をつけてくれるはずだった。

 いくつかのスキルが命中しても勢いが衰えない猛敏の様子に業を煮やしたのか、ついに城壁から何名かの死者が姿を現した。

 すかさず、相馬は死者たちにむかって短剣を〈投擲〉する。

 それまで猛敏の背に隠れていたせいで、死者たちは相馬の存在を察知していなかったようだ。

 これまで猪突猛進しかしていない猛敏の様子にからこのような不意打ちを予想していなかったであろう死者たちの体に、相馬が〈投擲〉した短剣が面白いように命中し、その刃が深々と体に潜り込んだ。

 そういや、昔の探索者の装備は、今のものほど丈夫にできてはいないっていってたな、と、相馬はこれまでの先輩方の言葉を思い出す。

 それだけではなく、相馬は〈投擲〉した短剣の一本一本に、遅延性の発熱性〈エンチャント〉をかけていた。

〈投擲〉をしてから三秒後に、短剣はどうしようもないほど、握りを触ることもできないほどに熱くなっているはずである。

 体内に刺さった状態であれば、短剣に接した部分が焼けただれ、周囲の肉を焼き、あるいは煮ていくような熱量を発するはずだった。

 案の定、短剣が命中した死者たちは、抗戦する余裕もなくその場に倒れて苦痛にのたうち回っている。

 すぐに駆け寄って近寄った猛敏が、〈戦斧〉をおおきく振りかぶってそうした死者たちの首をめがけて〈戦斧〉を振りおろす。

 猛敏としては確実に首を分断してその死者の動きを止め、結果として自分たちの身の安全を確保するのが目的であったが、何分死者たちも苦痛にもがいて動き回っていたので、その目論見通りの結果になることはなかった。

 猛敏が振りおろした〈戦斧〉の刃は、ある死者の後頭部の半ばまにまでのめり込み、別の死者の場合は首ではなく肩から入って腕の根本を半分まで割った。

 当然、死者は暴れまわるは悲鳴をあげるわ、大出血を伴うわで、周囲はかなり凄惨な状態になってしまった。

 が、この惨状をもたらした本人である猛敏だけが平然として何度も〈戦斧〉を振るい、そうした半端に負傷した死者たちが完全に沈黙するまでその刃を振りおろし続けた。

 死者たちの苦痛をいたずらに長引かせるのに気が引けて、相馬も死者たちに再度引導を渡す作業に手を貸す。

 そんなことをしている間に、猛敏と相馬とは、ほぼ全身に返り血を浴びてかなり酷い格好になってしまった。

 ……納得いかねえー。

 と、相馬は思う。

 なんでおれまで、この馬鹿の行動の尻拭いをしなければならないのだ。

 相馬がそんなことを思う間にも、事態は逼迫している。

 その場にいた死者たちが動かなくなるのを確認してから、猛敏はすぐに別の死者を求めて駆け出していった。

 体力だけはある馬鹿だな、とか思いつつ、相馬はそのあとをついていく。



「うわぁ」

 猛敏と相馬がその場を離れた直後、その惨劇があった現場に到着した明雄は呟いた。

「酷いことになってんな」

 探索者として働くようになって以来、明雄もそれなりに出血沙汰には耐性ができたものと自負していた。

 しかしこの惨状は、そうでもあってもかなりきつい。

 どんな戦い方をすりゃ、ここまで血をぶちまけられるんだ。

 と、明雄は疑問に思った。

「わっ!」

 明雄に続いて到着した偉が、そう声をあげて立ち止まった。

「これは、また。

 派手やったなあ」

 明雄も偉も、そうする余裕が有るときはできるだけ急所への一撃でエネミーの命を奪うようにしてきたため、ここまで敵が抵抗する戦い方、殺し方をすることはほとんどなかった。

 冷静に考えれば、命を奪われる側にしてみれば、きれいな方法だろうと凄惨な方法であろうと、その手口によって区別することにあまり意味はないのであろうが。

「ここまで圧倒的に戦えるんなら、もう死者たちの相手はあの二人に任せておいていいんじゃないか?」

 明雄はいった。

「これは、たまたま良い条件が重なった結果かも知れませんし」

 偉は慎重論を唱える。

「いや、むしろ、そう見るのが自然だと思います。

 死者たちの方がぼくたちよりも格上だという前提に立つ以上、あの二人だけに任せておくのはやはり危険でしょう」

「だよな」

 明雄は軽く頷く。

「だけど、どうしよう。

 ここからまたばらばらで行動するのも危ないし、かと言って大勢でこの中をくまなく探すのも時間がかかるし」

 そういって明雄は、城壁を見あげた。


『城壁の中なら、うちの子たちのうち、飛べる子たちが先に行って死者の人たちを探しているはずですが』

 無線機を通じて草原水利の声が聞こえてきた。

『そろそろ探し終えている頃だと思います』

 水利が〈テイム〉したエネミーのうち、空を飛べるものは鳥型や昆虫型などを含めで八十種類近く。

 飛行スピードはまちまちであるものの、顕子の〈応援歌〉のバフ効果もあって、かなりの速度で城壁内を捜索しているということだった。

 むろん、中にいるはずの死者たちを探すだけではなく、探し当てたあとに始末をする行為まで含めて、水利は命令を下している。

〈テイム〉したエネミーたちと感覚を共有したり、あるいは遠く離れたエネミーたちと意思の疎通を図るようなありがちかつ便利な能力を水利は持っていなかったので、現状でどうなっているのかは実際のところはわからないという。


 では、どうするか。

 そう思って顔を見合わせる明雄と偉の耳に、

『ふた手にわかれたらどうでしょうか』

 やはり無線を通して、葵の声が聞こえてくる。

『城壁付近で待機しておく組と、先輩方のお手伝いをしに、巨人退治にむかう組とに』

「それがよさそうだな」

 明雄はいった。


 そのあと、軽く相談をした結果、対巨人戦にはあまり役に立ちそうもない人間をこの場に待機させておくことになった。

 スキル構成ならびに現時点での実力を考慮した上で待機組と給餌にむかう組に分けるわけである。

 もちろん、待機組もいつまでもこの場に待機しているわけではなく、城壁内に残っているはずの死者たちを掃討し終えたことを確認し次第、対巨人戦に合流することになっていた。

 藤代葵、白泉偉、早川静乃の三名が、ここまで集合することなく、そのまま対巨人戦にむかうことになった。

 この三人ならば、それなりに足手まといにならずに戦うことができるだろうという判断である。

 水利は、役目を終えたエネミーたちが集合するための目印として、この場に留まる必要があった。

 一通りの捜索を終えたエネミーたちは、匂いかなにかを頼りにして水利がいる場所まで帰ってくることになっているという。



〈大盾持ち〉の体が内部から氷ついているさなかに、半分に折れた錫杖を両手に持った〈錫杖持ち〉が隆康と忍にむかって迫ってきた。

 隆康が〈丸亀の盾〉と〈方天戟〉を両手に構えて、迫り来る〈錫杖持ち〉を睨む。

 忍は、あの巨体に対してはたいした打撃にはならないと承知しながらも、ショット系のスキルを連射した。

 足のどこかにすべて命中したはずだったが、案の定、〈錫杖持ち〉はなんの苦痛も感じていない様子でこちらにむかってくる。

 大きいな、と、忍は他人事のように思いながら、〈錫杖持ち〉の巨体を身あげた。

 なにしろ、一歩、足を降ろすたびに、大きな地響きを立てるほどの重量を持つ相手なのだ。

 こんなに巨大な者を、矮小な人間なんかが本当に倒すことができるんだろうか。

 忍は、どこか麻痺した感覚の中で、そんなことを考えてしまう。

 ただ単に大きいだけのエネミーならばこれまでにも何度か倒した経験があったが、これほどの大きさをした人型を相手にするのは忍にしてもはじめての経験である。

 その非現実的な光景を目の当たりにして、忍の思考が麻痺するもの不思議なことではなかった。


「お前ら一年は、まだ巨人タイプとたりあったことがなかったな」

 そんな忍に、隆康が背中越しに声をかけてくる。

「巨人タイプと入っても、初戦はエネミーだ。

 決して倒せない相手でもないし、相手が人の形をしているからといって、むやみに気おくれするものでもない。

 その証拠を、これから見せてやる」


 そういい終わるやいなや、隆康の背中がブレる。

 いや、消える。

 隆康が一気に十メートル以上も跳躍したのだということに気づくまで、しばらく時間が必要だった。

 隆康は、今は、〈錫杖持ち〉に肉薄していた。

〈錫杖持ち〉はまっぷたつに折れた錫杖で、隆康の〈方天戟〉を受け止めている。

 すぐに地面に飛び降りた隆康は、今度は〈方天戟〉を振りかざして雷撃を呼び、〈錫杖持ち〉にむけて投げつけた。

〈錫杖持ち〉は大きく飛び退って雷撃を避ける。


 ……は?

 と、忍は思う。

 目が点になる、とは、こういうときの忍のような状態を指すのだろう。

 なに、あの先輩。

 あの巨人と、互角に肉弾戦を渡りあっているんですけど。

 それも、どちらかというと隆康の方が押し気味だった。


 おおおおおおおお!

 と隆康が雄叫びをあげた。

 忍はその声の迫力に身をすくませ、飛び退っていた〈錫杖持ち〉も大きく体をすくませ、そのまま大きな地響きをたてて尻餅をついた。

 忍はしらなかったが、その雄叫びは隆康のスキル〈威嚇〉の効果を持ったものだった。

 心身ともに一時的な麻痺状態になった〈錫杖持ち〉に、隆康が〈方天戟〉を振りかざした。

 雷撃ではなく、純粋な物理攻撃。

 つまり、〈方天戟〉の鋭利な穂先に渾身の力を込めて、目前にあった〈錫杖持ち〉の脛を薙ぐ。

 いや、斬り裂く。


 キィィイィィィィィィィ!


〈錫杖持ち〉が、悲鳴をあげて苦痛に身を捩った。

 それには構わず、隆康は〈方天戟〉を振るい続けた。

 雷撃が、鋭利な穂先が〈錫杖持ち〉の体のそこここを傷つけていく。

 体格差のせいで、なかなか致命傷を与えることができず、かえって残酷な光景を出現させていた。

〈錫杖持ち〉は、今では自身よりも遥かに小さな体しか持っていない隆康にすっかり怯え、完全に戦意を喪失していた。


 凄い。

 と、忍は思う。

 累積効果を溜めた探索者というのは、ここまで強くなれるものなのか。

 そう思いながらも忍は、どこか物哀しい思いでその光景を見ていた。


〈方天戟〉の穂先を〈錫杖持ち〉の首元に深々と差し込み、ようやく、隆康が〈錫杖持ち〉のとどめを刺した。

 隆康は深く差し込んだ〈方天戟〉の柄を回転させて、より多くの出血を誘う。

 驚くほど大量の血がにじみ出た。

〈錫杖持ち〉の気管にもその血が流れこんだのか、ゴボゴボといやな音がたった。

 巨人たちも、体の構造自体は人間のそれと大差ないものらしい。

 最初から見ていた忍にとってはかなり長いように感じたが、実際にはせいぜい数分間のできごとだったろう。


「『長老!』」

 肉声と無線、両方から同じ声が聞こえてきた。

「〈四本腕〉がそっちにいくぞ!」

 柊周作の声だった。


〈四本腕〉は〈錫杖持ち〉よりも遥かに俊敏だった。

 一キロ以上はあった距離を一気に詰め、〈錫杖持ち〉を倒したばかりの隆康に肉薄する。

 巨体を感じさせぬ、軽やかな動きだった。

〈四本腕〉の剣による攻撃を、隆康は〈丸亀の盾〉でかろうじて受け止める。

 しかし、とっさのことでその勢いを逸らすことはできず、まともに受けてしまったため、その体ごと軽々と飛ばされてしまった。

 五メートル以上も飛ばされた末、隆康は受け身を取る余裕もなく地面の上に叩きつけられる。

 悶絶しながら、そのままごろごろとさらに何メートルか転げまわった。

 すぐに起きあがることができない隆康に、〈四本腕〉がさらに剣による追撃を行う。

 人の身長よりも遥かに長い刀身が風を斬りながら振りおろされ──そこで、不自然に止まる。


「ぐっ。

 ぐ」

 頭上に盾を構えた野間秀嗣が、〈四本腕〉の剣を掲げた盾で受け止めていた。

 もっとも、その両足は深く地面にのめり込んでいるし、〈四本腕〉の剣と地面とに挟まれて、ろくに身動きが取れない状態ではあったが。

 秀嗣は全身を痙攣させて、冷や汗を流しながらどうにかこらえているような状態だった。


 不意に。

 秀嗣の視界がすべて白に染まった。


 忍のスキルによって発生したビームが、秀嗣の身動きを封じていた〈四本腕〉の手首を灼いたのだった。

 そのビームによって手首から先を切り落とされて、〈四本腕〉は大きく跳躍して秀嗣や隆康から距離を取る。

「……はぁ」

 その場に、秀嗣はへたりこんだ。

 たかだ一撃をまともに受け止めただけで、残っていた体力を一気に奪われてしまった気分がした。

「長老!」

 それでも、なけなしの気力をかき集めて、秀嗣は叫ぶ。

「動けますか!」

「……うるせえな」

 どうにか、隆康は上体を起こすことができた。

 しかし、大きく片を上下させている。

 どうやら、先ほどの攻撃によるダメージは、まだ抜けきっていないようだ。

「お前、どうにか間に合っったか」

「〈兜〉のマイナス補正のかげで、だいぶ遅れましたが」

「いいや。

 肝心なときに間に合ったんだから、それだけでも上出来だ」


 そのとき、

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」

 という、地鳴りのような声があがった。

 その声の発生源は、当然、〈四本腕〉。

 さきほどの隆康と同じく、〈威嚇〉スキルの発露だった。

 その威力は、隆康のものと比較にならないほどに大きかったが。

 その場にいたすべての生物がその声に畏怖し、その場で動きを止めた。

 そのとき、空を飛んでいた水利のエネミーたちも例外ではなく、そのまま動きを止めてばたばたと地に落ちていく。


 これは、ヤバいな。

〈威嚇〉スキルの効果によって身をすくませた状態で、隆康は冷静に考える。

 三体いた巨人のうち、最後の一体は、他の二体とは比較にならないほどに強力な存在だった。

 このままでは、なす術もなくあの〈四本腕〉によって、ふかけんのメンバーは全員虐殺されてしまうだろう。

 早く動け、おれの体!

 と、心のなかで叱責しても、隆康の体は微塵も動く気配がなかった。

 ああ。

 これは、本当にヤバい。

 おれでさえ抵抗できないのだから、ふかけんのメンバーはもっと長時間、身動きを封じられるに違いない。

 これは、もう、どうにもならないのか。

 そんなことを考える隆康の視界が陰った。

 近寄ってきた〈四本腕〉の巨体が、天井から降りてくる迷宮のぼんやりとした光源を遮ったのだ。

 ああ。

 こんな終わり方か。

 隆康は、そんな風に思った。


 よし。

 スキルの効果範囲内に、入った。

 少し離れた場所で、同じように体の自由を奪われ、その場に倒れていた革は思った。

 幸いなことに、倒れても目は開いたままで、しかも視界の中には隆康や秀嗣の姿もとらえている。

 その二人に近寄ってきた〈四本腕〉の姿も、当然のことながら視界の中に入っていた。

 その状態で、つまり、身動きを封じられたままで、革は〈氷結〉スキルを発動させた。

 標的はもちろん〈四本腕〉。

〈四本腕〉は、他の二体の巨人と比べると一回り小さかったので、その分、早く冷やすことができる。

 革は頭のなかで、

「急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ……」

 と連呼しながら、これまで経験した中の最大出力で〈氷結〉スキルを発動させる。

 スキルの効果範囲内から出ることを防ぐため、まず下半身から凍らせていった。

 異変を感じた〈四本腕〉がその場から飛び退いて逃げようとしたときは、すでに半分くらい下半身の血肉が凍った状態だったので、〈四本腕〉は足をもつれさせてその場に倒れる。

 ざまを見ろ。

 と、革は思う。

 スキルの効果範囲外に逃げられなかったのは、幸いだった。

 革はそのまま、〈氷結〉スキルを使い続ける。

 足だけでは駄目。

 腕も凍れ。

 頭も。

 胴体も。

 内臓も。

 すべて、しっかり凍りついてしまえ!


 相手の動きを封じてしまった以上、革のスキルの効果は絶大だった。

 まして、相手は体が巨大であるとはいっても、たかが一個体。

 油断をすることなく挑めば、革の〈氷結〉スキルならば数分で氷の彫像と化す質量だ。

 このまま、〈四本腕〉も彫像になるかと思われた、そのとき。


〈四本腕〉が、大きく身を捩った。

 すでにすっかり凍りついていた腕や足が、〈四本腕〉の巨体を、重量を支えきれずに割れ、砕けていく。

 まだ比較的〈氷結〉スキルの影響を受けていなかった体幹部の筋力を総動員して、〈四本腕〉はその場から脱しようとしていた。

 すっかり凍りつき、今やなんの役にも立たなくなった手足をあっさりと犠牲にして。

 なんという執念、なんという生命力。

 革は感嘆する。

 いや、どちらかというと、呆れる、といった方が近い。

 なんという、無駄な努力。

 手足を失い、胴体の力だけで這いずりまわっているようでは、どのみち、〈氷結〉スキルの効果範囲外に逃れることはできない。

 革はそのまま〈氷結〉スキルを使い続ける。

 しかし、このときの革は失念していた。

〈四本腕〉も、スキルを使えということを。


「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」


〈四本腕〉が、吼えた。

 先ほどの雄叫びとは比較にならないほど、深い威力を秘めた〈威嚇〉であった。

 体の自由を奪うだけではなく、そう、その雄叫びを耳にした者の、思考さえも麻痺させてしまうような迫力に満ちた雄叫び。

 それを耳にした革も、もはや意味のある思考をすることができないようになってしまった。

 当然、発動中であった革の〈氷結〉スキルも、強制的に中断されることになる。


 もはや、生きて動いているものは、〈四本腕〉以外にはいない世界となった。

 その世界で、〈四本腕〉はエネミーとしての本能に従って、ずるずると這いずって、手近にいる個体たちの方に近寄っていく。

 それはつまり、隆康と秀嗣の二人になるわけだが。

 これほど深刻なダメージを受けた〈四本腕〉自身の生命も、もうさほど長くは保たないだろうことを〈四本腕〉自身も悟っていた。

 ならば、それまで残された時間を、すべて外部からの侵入者である生物群を殲滅するために使用するだけのことだ。

 それこそが、エネミーたちに等しく刻印されている本能に近い感情だった。

〈四本腕〉は、その巨体を不自然によじらせながら、隆康と秀嗣に近寄っていく。


 その様子を、身動きも思考も封じられた革はまばたきもできない目で目撃していた。

 ああ。

 駄目だ。

 こんなの。

 切れ切れにそんな感情が浮かんでは消えていくが、意味のある思考にまで育つことはない。

 ただ、この現状に対して大きな不満を持っていることだけは、はっきりと自覚していた。

 こんなのって、ない。

 革はまとまらない思考を、どうにか練りあげようとする。

 どうすれば。

 どうすれば。

 どうすれば。

 どうすれば。

 どうすれば。

 どうすれば。

 これを、どうにかできるのか。

 誰か。

 助けて!


 革がそこまで考えたとき、奇跡が、起こった。


 あとでそのときの状況を思い返してみれば、それは奇跡でもなんでもなかったと思うのかもしれないが、そのときの革には、奇跡にしか思えなった。

 しかしその奇跡は、革がまるで想像をしない形で具現化したわけだが。


 唐突に、なんの前触れもなく出現した、半透明のゼリー状の物体が、ずりずりと蠢いていた〈四本腕〉に覆いかぶさり、その全身を包み込んだ。


 なんだ、あれは。

 と、まだ麻痺状態から完全に脱していない革はぼんやりと思う。

 見おぼえがあるような、ないような。

 巨大なゼリー状の物体に包まれた〈四本腕〉は、しばらく必死な様子でもがき続けていたが、すぐにぐったりとして動かなくなった。

 窒息、死?

 と、その様子をすっかり目撃していた革は、ぼんやりとそう思う。

 麻痺した思考は徐々に元に戻りつつあったが、まだ完全には回復していない。


 巨大ゼリーに包まれていた〈四本腕〉の体は、徐々に輪郭がぼやけていった。

 輪郭が、ぼやける?

 そこで、革の思考にスイッチが入る。

 いやあれは、そのまま消化されているのだ。

 縮尺こそ異なるが、同じような情景を、革はこれまで、迷宮の中で何度も目撃している。

 あの巨大なゼリーは、大きいだけのスライムだ。

 迷宮の掃除屋。

 なんでも食い尽くしす、スカベンジャーのスライム。

 そのスライムの、おそらくは変異体。

 あれほど大きなスライムの変種の噂は滅多にきいたことがないが、最近、何度か目撃されているらしい。

 そのスライムの変異体が、なんでここに。

 と、だんだんまともに回るようになってきた頭で革は考え続ける。

 思考とは違い、体の方は相変わらず自由に動かないままだった。

 なにか考えることの他に、やるべきこともない。


 そういえばあの変異体スライムは、唐突に現れたな、と、革は思う。

 スライムにあんな能力があると聞いたことがないが、変異体ゆえなのか。

 さっきのあれは、〈フラグ〉スキルにも似た、テレポーテーション、あるいは、ワープ能力のように見えた。

 あのスライム変異体が、なんらかの特殊な能力によってここまで移動してきたのは、なんの目的があってのことか。

 考えるまでもないな。

 と、革は目の前で展開されている光景を見ながら思う。

〈四本腕〉のような、強力なエネミーの食べるためだ。

 おそらくは、なんらかの理由で急いでそうした栄養のある食料を摂取する必要があったのだろう。

 では、それはなぜか。


 現状、考えることしかできないので、革の思考はどこまでも続く。

 普通に考えれば、なんらかの理由で弱っていたからだ。


 変異体スライムの体に包まれていた〈四本腕〉の体は、今ではすっかり原型を留めなていないところまで消化されていた。 

 変異体スライムの体は、出現した時と比べて何割か大きくなっているような気がする。

 今はまだ、〈四本腕〉の体を消化するのに塩がしいようだが、そろそろ体の自由を取り戻さなくては、大変なことになるのではないだろうか。

 革は、そんなことを思いはじめる。

 身動きが取れない自分たちなど、あの変異体スライムにとっては、それこそ食いでのないおやつみたいな存在でしかないだろう。

 早く、動け。

 動けるようになれ、動けるようになれ、動けるようになれ、動けるようになれ……と、革は念じ続ける。


 ついに〈四本腕〉の体が完全に消化され、変異体スライムの中にかけらも残されなくなった。

 変異体スライムは、ぶるんと大きく半透明な体を震わせ、もぞもぞと次の獲物にむかって動き出す。

 折れて散らばっていた、凍ったままの〈四本腕〉の手足を、変異体スライムは体内に取り込んでいった。

 そのまま、他の巨人たちの死体の存在に気づけばいいのだが。

 と、革は思う。

 だが、そうした巨人たちよりも変異体スライムから近い場所に、革自身や隆康や秀嗣の、動けないからだがあるのが問題だった。


 一難去ってまた一難。

 さて、この危機をどうやって回避するべきか。

 と、革が考えたとき、またもや唐突に、革の目の前に異物が出現した。


 いや、それを異物というのは語弊があるか。

 迷宮の中で保護服に身を包んだ探索者の姿は、別に珍しくもなんともない。

 その探索者の胸部には、かなり大きな日輪(コロナ)と稲妻をシンボライズした模様がプリントされていた。

 その探索者は、革ら周辺に倒れおているふかけんのメンバーには目もくれず、まっしぐらに変異体エネミーを目指して駆けていく。

 まるで、その変異体エネミーを追ってきたかのような動きだった。

 その探索者は、なにもない虚空から次々と立て続けに何種類もの物体を取り出して、変異体エネミーに投げつける。

〈フクロ〉から取り出した物体を〈投擲〉スキルによって投げつける方法は、探索者の間では別に珍しくもなんともなかったが、その探索者の動きはやけに素早かった。

 ごく短時間のうちに、何十、いや、百以上の多種多様な武器や物体が、変異体エネミーの透明な体に投げつけられる。

 そうした武器や物体は、変異体エネエミーの体に物理的な影響を与えただけではなかった。

 それ以外にも、なぜか変異体エネミーの体は、そうしたその探索者がなげつけた物体の周囲に限って、大きく焼け焦げていた。

 なんらかの、スキルの影響か?

 そう疑問に感じた革は、〈計測〉スキルをオンにして、その探索者の情報を閲覧する。


〈いらだちの波及〉?

〈憤怒の防壁〉?

 どちらも、聞いたことがないスキル名だった。

 レアか、それともユニークか。

 でも、こんなに若い探索者が二つもユニークスキルを持つことなんて、あり得るんだろうか。

 その探索者の特異な点は、それだけではない。

 累積効果の溜まり具合こそ、ごく普通の範疇に収まっていたが、その累積効果の割には、やけに成長率がいい。

 それに、なんといっても、この膨大なスキルの数々。

 特に、称号系などと俗称される、特定のエネミーにのみ甚大な攻撃力を発揮するタイプのスキルを非常識なほど、膨大に所持している。

 いったい、どういう攻略をしていたら、こんないびつな探索者ができあがるのか。

 その探索者の情報を閲覧するうちに、革は目眩がするような感覚に襲われる。


 革がそうした観察と考察をしているうちに、その探索者は次の行動を移っていた。

 その単作者自身の育ち方と同じく、いびつな形状の槍のような武器を〈フクロ〉から取り出して、構える。

 長い柄の先に、大小の獣の牙が折り重なっていつついている、武器というよりは前衛芸術のオブジェのような、不格好な武器であった。

 その武器に関する情報も、革は当然のように〈計測〉スキルによって読み込む。


〈猪突の牙矛〉。

 使用者がそれを持って前進する限り、使用者が持てる攻撃力を倍増する。


 驚いたことに、有用な特殊効果つきのドロップ・アイテムだった。

 これまで革が耳にしたことがないことから察するに、おそらくは、かなりレアな逸品。

 おそらくは、これまで数えるほどしか見つかっていないような値打ち物だろう。

 そのレア・アイテムを、その探索者はまるでなんでもない武器のように平然と構えていた。

 それだけではなく。

 その探索者は、どうしたわけか、フェイスカバーを跳ねあげ、続いてやはり〈フクロ〉から一振りの剣を取り出して、その柄を口に咥えた。

〈計測〉スキルで品定めをするまでもなく、その剣は、革にとっても見慣れた種類の剣だった。

 後輩の角川夏希が愛用している、〈走狗の剣〉。

〈猪突の牙矛〉ほどのレアなものではないにしろ、その剣もやはり特殊効果つきのドロップ・アイテムであり、その効果は……。

「走力のプラス補正」

 呟くことに成功して、革は、ようやく麻痺が回復しつつあることに気づいた。

 いや、今はそれよりも。

 革は、その探索者の動向に注視する。


 前進する意思と力を攻撃力に変換する〈猪突の牙矛〉と、走力すなわち前進する力を倍増する〈走狗の剣〉の両方を一度に装備したその探索者は、前に進み続ける限り、本来持てる攻撃力を二倍どころではない、何倍にも増大して使用することが可能となることになる。

 そんな非常識な、ときに物理法則すら逸脱するような現象が起こりえるのが、迷宮という場所だった。

 そんな方法を独自に考案して実行しているのだとすれば、その探索者は、かなり筋がいい。

 もっとも、攻撃力ばかりが不釣り合いに増大したとしても、実際にできることは、そんなにはないのだが。


「だが、この場合は」

 革は呟いた。

 単身では破壊しきれないほど、巨大な体躯を持つ変異体スライムを相手にする場合には、なるほど、有効な戦法だ。

 しかし、スライムは。

「体内に取り込んだ物質を、無差別に消化していくという性質を持っている」

 そのスライムの性質を、この探索者はどうやって回避するつもりなのか。


 その探索者が、動いた。

 動いた、と思ったら、すでに変異体スライムの巨体の只中に身を置いて、縦横に〈猪突の牙矛〉を振り回して、変異体スライムの透明な肉体を引きちぎっていた。


 それだけではなく。

 その探索者の周囲にある変異体スライムの肉が、まるで高温であぶられたかのように、あっという間に焼け焦げていく。

 探索者から距離を置いた箇所も、すぐに乾燥して縮んでいく。

 探索者の周辺に高温度を発生させる、〈憤怒の防壁〉というスキルの効果だった。

 このスキルがある限り、変異体スライムといえどもこの探索者を消化することはできない。


 また、その探索者が振り回している〈猪突の牙矛〉の周囲には、なぜかバチバチと放電現象が起こっている。

 さては、先ほど、大量の物質を変異体スライムの投げつけていたときも、このスキルを使っていたのか、と、革はいまさらながらに気づいた。

 スキル〈いらだちの波及〉。

 スキル使用者が持つ装備の周囲に、高圧電流を纏わせる効果を持つスキルだった。


 なるほど。

 コロナと稲妻だ。

 その探索者の胸にプリントされたマークの意味について、革は深く得心をした。

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