21. 集合
『それで?』
電話越しに、徳間隆康の不機嫌そうな声が聞こえてきた。
『そんなことを真っ先におれに知らせて、いったいどうしようってんだ?
夏の場合とは違って、おれはそんな特殊階層のことは聞いたことないし、したがって有用な助言もできそうにない。
第一、そんな重大事、ふかけんの中だけで解決できるとでも思っているのか?
真っ先に、おれなんかに知らせるよりも先に、公社の窓口に駆け込んで相談するのがまっとうな手順ってもんだろう!』
「はいっ!」
野間秀嗣はスマホを耳に当てたままその場で姿勢を正した。
「そうしますですっ!」
というわけで、その足で秀嗣は公社の窓口に駆け込み、手近にいた職員を捕まえてしかじかの要件で来ましたと来意を告げた。
その場で解決できる案件ではなかったため、秀嗣はすぐに奥にある部屋へと招かれ、そこでより詳しい事情を語ることになった。
平行して、ヘルメットに内蔵されているカメラに録画されたデータも公社の職員たちの手によってチェックされ、秀嗣がはなした内容に矛盾がないかどうか検分される。
「初めてのパターンだな」
「こういう特殊階層は、確かに記録にありませんね」
「しかし、人語を解してコミュニケーションが取れるエネミーというだけでもかなり例外的なのに」
「未帰還の探索者をそのまま操っているのか、それともそのままに複製、あるいは再構成しているのか」
「そのまま操っているということはないだろう」
「野間探索者が出会った者が名乗った通り、外見通りの者だったとすれば、今頃はとっくに老衰死しているはずだ」
「複製、再構成、か。
そういえば、エネミーはすべて迷宮がなんらかの方法で製造したものだという説があったな」
「DNA鑑定では否定されたはずですけどね、その説」
「しかし、よりにもよって人間にしか見えないエネミーとは」
「法的にはどうなんだ?」
「死体を操り動かすエネミーだとすれば、その操られた死体を損傷すれば死体損壊かなにかの罪状に該当するんじゃないのか?」
「過去に迷宮に消えた探索者を複製して使っているのだとしたら、それを倒すことは傷害罪あるいは殺人罪に該当しないのか?」
「複製ないしは再構成された人間には、人権はあるのかないのか」
「いや、それ以前に、その元になった探索者の遺族からクレームはつかないものか?」
「いろいろと、対処が難しい相手だな」
「公社の中だけでは判断ができない案件であることだけは確かだ」
「関係省庁にも問い合わせと連絡をしておけ。
まずは根回しだ、根回し」
公社と関係省庁の間で対応について合意を取るだけで数日の時間を必要とした。
いや、数日しか要しなかった、というべきか。
日本の法体制並びに社会的な風土においてはもっと揉めてもよさそうな事例であったが、結局のところ、厳密にいえば迷宮内は日本国の管理下にはないという認識を関係各所で改めて確認して終わった。
そう。
迷宮内は一種の治外法権、この世ではないどこか、異邦であり異界なのである。
そこで起こった諸々の出来事を常世の方で判断し、裁こうとするのが傲慢なのだろう。
こうして公社の方針としては、死人を自称するそうした複製あるいは再構成人間は単なるエネミーとして扱うことに決定をした。
そうするのが一番面倒がなかったし、なにより、その自称死人が語ったところによると、その特殊階層での勝者には相応の報酬が用意されているらしい。
もちろん、それは迷宮内に探索者たちを引き寄せるための偽情報、一種の罠だと解釈することもできたわけだが、公社はそうではない可能性に賭けた。
結局、探索者や公社をはじめとする人間を駆りたてるための一番の餌はごく単純な「欲望」なのであった。
公社の方針が決定した翌日、秀嗣は公社に呼びだされて数名の公社職員を連れてくだんの特殊階層へと案内することになった。
〈フラグ〉スキルの性質上、この時点で秀嗣以外の何者もその特殊階層に行くことができなかったし、これから正式にクエストを発注するつもりであった公社側としては、他の案内人も数名は確保しておく必要があったのだ。
その特殊階層まで案内をするためには最低一度は実際にその特殊階層に実際に足を踏み入れている必要があり、そのために秀嗣が呼び出されたわけである。
もっとも、その場に集められたのは秀嗣だけではなかったが。
「やあやあ。
若き探索者くん」
オールバックになでつけた髪型の、耳の先が尖った男が片手をあげて秀嗣に挨拶をした。
「聞いていた以上に大きく見えるな、君は」
探索者としての資格を取るための講習を受けているときに使用していたテキストの中で見ていた顔だった。
人類が出会った、二番目の知的生命体。
今では日本国籍を取得して、エルフ田マサシと名乗っているはずの生命体だった。
「どうしてぼくなんかがこの場にいるのかって顔をしているねえ、君。
そりゃそうさ。
君が見つけたのは、迷宮が持つ七十年の歴史の中でも極めて異例な階層なんだから。
そりゃあ、ぼくくらい呼ばれもするさ」
秀嗣がなにか反応をしめす前に、エルフ田は一方的にまくしたてる。
「実のところ、今日のゲストはぼくだけじゃないよ。
ほら。
そこにいるのは地上最強の存在。
ああ、君たち探索者にとってはこういった方が通りがいいのか。
彼が、彼こそが、〈所沢迷宮のエース〉、毎日のように未曾有の迷宮探索最深記録を更新している男、その人だ」
「どうも」
その男は、秀嗣にむかって短く挨拶をした。
「門脇といいます」
その業績と比較すると、随分と普通な外見をしている人だった。
秀嗣自身よりは背が低いが、まず標準的な身長と体格をしているといってもいい。
年の頃でいえば、三十は超えているだろうが四十には届いていないくらいか。
秀嗣くらいの年齢のものから見れば十分におじさんといえたが、雰囲気からするとおじさんよりもおにいさん寄りではある。
ちょっと不機嫌そうな様子に見えるのは、秀嗣と同じようにエルフ田の饒舌に辟易していたからも知れない。
そんな次第で、秀嗣は公社職員とエルフだと〈所沢迷宮のエース〉を伴って、くだんの特殊階層へと飛ぶ。
特殊階層は秀嗣が以前来たときと同様に濃い霧に包まれて、見通しが効かない状態だった。
ほんの五メートル先さえ見えない濃霧だ。
その濃霧の中から人影がやって来る。
以前に秀嗣が会った、旧日本陸軍の兵士の格好をした者とは別人のようだ。
その者は保護服とプロテクターをまとい、探索者としての格好をしていた。
随分と旧式の装備で、ヘルメットのつけていたフェイスガードはすっかり破損し、ヘルメット自体もあちこちが大きくへこんでいたが。
というか、あれほど頭部がへこんでいたら、もはや生きてはいけないのではないか、と秀嗣は思った。
死人、か。
以前出会った旧日本兵の格好をしていた男が自称していたように、やはりこの階層に出没するのは実態のわからないエネミーに操られた死者なのか。
「そこにいるのは娑婆から来た生者か」
そんなことを秀嗣が思っているうちに、近寄ってきた人影が声をかけてきた。
「この階層に脚を踏み入れた以上、同じ人数の死者が相手にするというルールは伝わっているな?」
「そのことなのですが」
公社の職員がその人影にいった。
「交渉の余地はありませんか?
こうして言葉が通じる以上、なんらかの交渉を行うことは可能であると思いますが」
「無駄だよ」
その人影は答えた。
「おれたちは今や、何者ともわからない存在に操られ、たまたま動いているだけの死体なんだ。
生前にできていたことは一通りできるようだが、一挙手一投足、そのすべてにおいておれたちを生み出した、いや、再生したエネミーにとって都合がいいときにかぎり許される。
そして、そのエネミーになにが許されているか、操られている側であるおれたちにはわからないんだ。
こういている今も、ここまでやって来たお前たちと同じ人数のおれたち死人が集まってきているはずだ。
おれがなにも手出しをしていいないのは、今の状況で手を出しても袋叩きにあって終わるってことがわかっているからだ。
ま、だからこそ、こんな長話もできているわけだがな」
その人影は、明らかに死んでいた。
ヘルメットごと側頭部が大きくひしゃげている状態で生きていける人間は存在しない。
「時間稼ぎというわけでありますか」
はじめて、秀嗣が口を開いた。
「そうとも、若いの。
いいや、おれの後輩になるのか」
そういってその人影は眼球を欠いた双眸を秀嗣の方にむける。
「おれが迷宮でくたばったのは、おれの記憶が確かならば、バブル経済真っ盛りの八十二年だ。
あれから娑婆ではどれくらいの時間が経ったんだ?」
「小生たちは二千十六年から来ました」
「ほう!
二十一世紀かい!」
その人影、いや死体はそういって笑い声をあげた。
「そう聞いても、なんかピンと来ないな。
どうだい?
娑婆ではもうそろそろ、車は飛んでいるのかい?」
「空を飛ぶ自家用車は普及していませんが、電気と通常の内燃機関を併用するハイブリッド車はかなり一般的になりつつありますです」
「そうかい、そうかい」
秀嗣の答えを聞くと、その死体は楽しげに笑い声をあげた。
「世の中確実に進歩しているようで、なによりだ。
と。
そろそろおれの仲間が来たようだな。
後悔をしないように、そちらも用意しておけよ」
「では、打ち合わせ通りに」
公社の職員が合図をすると、秀嗣を含むその場にいた大多数の人間が〈フラグ〉スキルを使用して迷宮入り口まで瞬間的に移動をした。
その階層に残されたのは、〈所沢迷宮のエース〉こと門脇莞爾と、それにエルフ田マサシの二名のみ。
「本当に残してきても大丈夫なんでありましょうか?」
迷宮入り口付近に移動した直後に、秀嗣は心配そうな様子でそんなことを口にした。
特殊階層に残してきた莞爾たちの身を案じているのだ。
「あー」
公社の職員たちは、複雑な表情を浮かべて顔を見合わせる。
「あの人たちのことならば、心配する必要が無いかと」
「というよりは、心配するだけ馬鹿馬鹿しいというべきか」
「完全に規格外品だからな、どちらも」
職員たちが口々にそんな言葉をいっている最中に、まさにその話題になっている莞爾とエルフ田の二名が忽然と姿を現した。
「もう、終わったのでありますか?」
驚愕で目を見開きながら、秀嗣が確認する。
「瞬殺瞬殺」
エルフ田が楽しそうな口調で秀嗣の問に答えた。
「〈所沢迷宮のエース〉にかかれば、万事こんなもんですよ。
ぼく自身でやったとしても、瞬殺は無理でも秒殺くらいは確実にできるんですけれどね」
莞爾とエルフ田は、かなり大量のドロップ・アイテムと倒した死者が身につけていた装備品を持ち帰ってきた。
あの特殊階層で勝利すればどのような戦利品をできるのか調査することは必要だったし、それに死者が身につけていた装備品を調べれば、いつの時代に迷宮内で未帰還者になった死者なのかが明瞭になる。
公社が莞爾にむかって、そうした物をすべて持ち帰るように指示を出していたのだった。
ドロップ・アイテムはレアメタルとか希少価値が高い浮きや装備品などであり、いどちらにせよかなり高額なものばかりだった。
換金すればどれも数百万円以上の価値があるものばかりであり、あの特殊階層に出向いていく価値は十分にあると確信させるだけの物品ばかりだ。
死者たちの装備品を調べた結果、この東京周辺に迷宮が現れて以来約七十年に渡った、ほぼすべての年代の死者が出現しているようだ、ということが判明した。
もっとも、古い時代の死者ほど多くなる傾向はあるようだったが。
探索者の安全対策は年々強化されていく一方なので、いいかえれば、時代を遡るほど探索者が迷宮内で行方不明になる件数は多くなるので、こうした傾向があるのは別に不思議でもなんでもなかった。
こうした調査の結果、公社はこの特殊階層への挑戦を「ハイリスク、ハイリターンのクエスト」と位置づけ、希望するパーティには改めて同意書への署名をしてもらうのと引き換えに公社の職員がその特殊階層に案内をする、という扱いをすることに決定した。
実際、人間と同等の知能を持ち、各種のスキルを使いこなす、つまり、死者とはいえ実力的には探索者と同等の存在を相手に戦うのは、かなりのリスクを伴う。
莞爾のような規格外の存在でもないかぎり、軽々とこの特殊階層をクリアすることはできないだろうし、通常の迷宮潜行やクエストと同じように軽く考えてもらっても探索者の被害が増えるばかりであり、そうなると公社としても困るのだった。
普通に考えると、そこまでリスクの高いクエストは誰も希望しないように思えるのだが、そこは命知らずというかどこかネジが外れたところがある探索者の常で、毎日何組かのパーティがこの特殊階層の攻略を希望してくるらしい。
相応に経験を積んだベテラン勢がほとんどであったが、中には秀嗣たちと同じような経験一年にも満たないひよっこのパーティも含まれているそうだった。
結果としては、無事すべての死者を倒して莫大な報酬を得たパーティもあり、その逆に多数の死傷者を出して何も得るものがないまま、生存者は命からがら逃げ出してきたようなパーティもあり、で、そのときどきによって成果はまちまちであった。
興味深いのは、ベテラン勢ほどいい結果を得ているというわけではないという点であり、どうやらこの特殊階層の主は、相手の強さによってあてがう死者の質を対応するようには決定しておらず、完全に単なる人数だけを合わせてあてがっているらしいことが徐々にはっきりしてきた。
つまり、攻略難易度は完全に特殊階層の主の気分次第であり、挑戦をする探索者の側にしてみれば運頼みということになる。
実力さえあればどうにか自分の運命を切り開けるというタイプの試練ではないと判明していくつれて、その特殊階層に引きよせられていく者、逆に興味を示さなくなる者、探索者それぞれの性格により反応はまっぷたつに割れた。
また、何度か経験を積めば探索者側の有利になるような性格の階層でもなかったため、二度三度と複数回に渡って挑戦をする探索者もほとんどいなかった。
散々な結果に終わればもう二度とその階層には行きたがらなかったし、いい結果を得た者は何度も挑戦することによってその幸運が自分から逃げていくことを警戒するようだ。
探索者という人種は、意外とジンクスみたいなものを重く見る傾向があるらしい。
一般の探索者もその特殊階層に挑戦できるようになってから、しばらくの日数が経過した。
多くの探索者に知られ、多くの人々によって噂がささやかれるようになると、どうしたってそれにふさわしい名称というものが必要となっていく。
公社側は例によって無味乾燥なアルファベットと数字の連なりでその特殊階層を呼称していたわけだが、そんな様子では感情移入がしにくいし、それ以前にその公式名称はひどくおぼえにくい。
そこで、というわけでもないのだが、探索者たちはいつしかその特殊階層を〈死者の戦場〉と呼ぶようになっていた。
その特殊階層にいるらしい、自由に死者を使役するエネミーはそのままずばり〈ネクロマンサー〉と呼ばれることが多いようだ。
とはいえ、この〈ネクロマンサー〉については、会話が可能な死者たちがそういう存在がいると口にするだけであって、探索者側がはっきりとその存在を確認したことはないのだが。
こうした仲間内で通じる符丁か隠語のようなものでやり取りするのは探索者の社会でも別に珍しい事例ではなかった。
また、報酬だけが目当てでもなく、いわゆる〈死者の戦場〉に挑む者も徐々に目立って来るようになった。
迷宮が東京近辺に出現してから七十年前後になる。
その間、迷宮内では数えきれないほどの人間が行方不明となっているわけであり、そうした未帰還者の知人や親族が探索者として活動している例も決して珍しいわけではないのである。
つまりはその〈死者の戦場〉が迷宮で散った死者を利用する形で甦らせる性質を持つのであれば、自分たちの知人や親族ともう一度顔を合わせる機会もあるのではないか。
そのように考える探索者も、少なからずいるようであった。
冷静に考えれば、迷宮内で行方不明となった膨大な人数からランダムに数名からせいぜい数十名くらいが選抜されて再生されたところで、その中に自分の知り合いが含まれている確率はかなり極小であるということはすぐにでもわかりそうなものである。
そんなことにはすぐに気づきそうなものだったが、それでもひと目だけでもいいからそうした帰らぬ人と会いたいと考える人々はそうした理性的な思考をあえて停止して行動しているようだった。
もちろん、そうした幻想に取り憑かれた人々に田の仲間たちが必ずつき合うとは限らず、その手の人々は〈死者の戦場〉に挑むためのパーティメンバー集めにかなり苦労するのが常であるらしい。
その攻略クエストが公社によって公式に公開されて以来、探索者用のSNS には〈死者の戦場〉に挑むメンバーを募る書き込みが増え続けていた。
もちろん、増える一方ではなく、そうした書き込みをした者同士が集まって実際にパーティを組んで〈死者の戦場〉に挑むパターンも徐々に増えているようだった。
秀嗣がその特殊階層を発見してから半月も経つと、そうした諸々の反応が起こりつつ、その〈死者の戦場〉は探索者たちにとってすっかり迷宮の一要素として受け入れられていた。
何が起こるのがわからないのが迷宮という場所であり、その迷宮に日常的に出入りをしている探索者たちは、変化に対する順応性はかなり高いのであった。
ふかけんでも、腕に覚えがある、いいかえれば相応の経験を積んできた先輩方が何組かパーティを組んで〈死者の戦場〉に挑んだらしい。
いい結果を出したものとそうではないものは、やはりだいたい半々の結果に落ち着いているようだった。
そのうちの敗走組も状況判断は的確であり、
「こりゃ駄目だ」
と判断した時点で一目散に〈フラグ〉を使用して退散した様子であったから、今の時点では取り返しのつかない結果を招いたパーティはいないらしい。
〈死者の戦場〉が運要素の強い特殊階層であるという風評がすでに広がっていたことが、こうした思い切りのよさについていい意味で背中を押すような効果を持ったのだろう。
秀嗣としては、自分が発見した特殊階層で自分に縁がある人が未帰還者に連ならないでよかったと、胸をなでおろしているところである。
「そろそろおれたちも〈死者の戦場〉に挑戦してみないか?」
二月に入った入ったある日、秀嗣は秋田明雄からそのように声をかけられた。
「発見者がいつまでも挑戦しないまま、というのも格好がつかないだろう」
自分の行動により格好がつくとかつかないとか、そういう思考は秀嗣の中にはない。
もとより、秀嗣は自己評価が低めの人間であったので、どちらかというと格好がつかないのがデフォルトなのである。
それを抜きにしても、迷宮の中では外聞を気にするよりはもっと冷静にリスクをけいさんするべきではないか、というのが秀嗣のスタンスであった。
だが、口に出しては、秀嗣はこういった。
「他のメンバーはきまっているのでありますか?」
「一年の一軍連中には声をかけてある」
明雄はいった。
「その他には、おれと忍と〈テイマー〉と〈戦斧〉、それに〈エンチャンター〉だな。
今の時点で、声をかけているのは」
つまりは、藤代葵や早川静乃、白泉偉などの総合的に高い能力を持ち安定している者と、それになにかしらの一芸を持っている連中を一年の中からかき集めてきたということであるらしかった。
「少しでも先行きが危ういと思ったら、すぐに逃げますですよ」
「当然だな」
明雄は頷いた。
「そうするように、全員にいって回るつもりだった。
なにせ今回は、相手の強さは完全に運任せだ。
いくら意気込んでも、駄目な相手とあたったら即効でバックレるべきだろう」
そこまでわきまえているのならいいか、と、秀嗣は思った。
この明雄は野心的なところも十分にあるのだが、それとは別に、生き残るための嗅覚は鋭いような部分もある。
それこそ、研修中に脚を一本失いかけた経験をすれば、いやでも慎重になるのであろうが。
「それとは別に」
しかし、秀嗣はそれだけでは納得せず、さらに条件をつけた。
「実際に攻略をする前に、先輩方に相談をし、できれば何名かパーティに参加をしてもらうように働きかけるべきであります。
確実性が、全然違ってくると思うのであります」
「そうだな」
明雄は秀嗣の意見に素直に頷いた。
「おれとしても、パーティが安定した方がいいわけだし。
おれの方でも先輩方に声をかけてみて、協力してくれる人がいないかどうか心当たりをあたってみることにしよう」
そういう作業は社交的な明雄にしてみてもむしろ得意とするところだった。
それからさらに数日が過ぎ、その間にふかけんの〈死者の戦場〉攻略パーティの詳細や日程も徐々に固まってきた。
先輩方の参加者としては、徳間隆康、金城革、昇殿顕子、榊十佐、柊周作といった面々が呼びかけに応じて参加してくれることになった。
そうした参加者との詳細を打ち合わせ、スケジュールを調整する仕事などは発案者である明雄が自発的に引き受け、数日意見を交換した結果、建国記念日で休日でもある二月十一日に決行することになった。
明雄は公社が配布している同意書をもらい、参加者全員の署名を集めて回る。
最終的には〈長老〉徳間隆康、〈氷結の女王〉金城革、〈応援歌〉昇殿顕子、〈剣士〉榊十佐、〈遊び人〉柊周作、〈薙刀使い〉藤代葵、〈狙撃手〉早川静乃、〈ニンジャ〉白泉偉、〈テイマー〉草原水利、〈鈍牛〉野間秀嗣、〈暗殺者〉秋田明雄、〈砲台娘〉一陣忍、〈弾幕娘〉双葉アリス、〈エンチャンター〉大野相馬、〈戦斧〉槇原猛敏の総勢十五名となった。
これが多いのか少ないのかは見方によって意見が別れるところであるが、ふかけんの一年を中心として、それをサポートするために若干の先輩方と考えると、かなり手堅い布陣であるといえた。
なにしろ、相手の戦力が実際にいってみないことには明瞭にならないことが特徴である特殊階層である。
これで駄目だと判断したら、その場で〈フラグ〉を使用して個々に敗走するだけの事だった。
そして結構当日、十五名のパーティメンバーは白金台迷宮のロビーに集合しつつあった。
「しかし、凄い面子が集まったもんだな」
相馬がそんなことをいう。
「一年はともかく、先輩方はそうそうたる面子だぞ。
長老なんて拳ひとつでワイバーンを叩き落としていたからな」
「夏の特殊階層で見せていた、遠当てか」
明雄が応じた。
「あれでワイバーンを落とせるって、どんだけだよ」
明雄はまだワイバーンが出没する階層までいったことはないのだが、ワイバーンが空を飛ぶわりには硬いエネミーであるということは噂を聞いて知っていた。
なんでもその鱗はえらく硬く、九ミリ弾くらいなら余裕で弾き返すとかいわれている。
「十分に経験を積んだ探索者が非常識な能力を得ることはよくわることです」
澄ました顔をして、葵がそんな風にコメントをした。
「それは敵についてもいえることで、ことに今回の敵は一度死んでいるとはいっても同じ人間になるわけですから。
これまでとは、いろいろと勝手が違ってくるかと思います」
「ぼくたちは到達した階層では、まだ人間と同等かそれ以上の知能を持つエネミーは出現していないからね」
偉も、葵の言葉に頷いた。
「もっと深い階層にいくと、いずれものすごい魔法を駆使するようなエネミーも出てくるそうだけど」
「強力なスキルよりも怖いのは悪知恵だよな」
明雄はそう意見を述べた。
「人間が相手になるってことは、これまでのエネミーとは違ってかなり狡猾な手を駆使してくる可能性があるってことで。
スキルなんかよりも、そうしたズルるい意味での賢さの方がよほど恐ろしいし始末に悪い」
「これまで戦ってきたエネミーは、個々の能力はさておき、どこかアホなところがあって憎めない感じだったもんな」
相馬が明雄の言葉に頷いた。
「変に知恵が回る相手は、確かにやりにくいし十分に警戒してかかるべきだろう」
「人間が相手か」
アリスが水利にその話題を振った。
「水利ちゃん、ちゃんと相手にできる?」
アリスは、友人の水利が本来、エネミーを傷つけるのをためらうほど優しい性格だと知っていた。
「なんとか頑張る」
水利はそういって自分の胸の前で拳を握った。
「それに、今回相手にするのは本来ならかなり前にお亡くなりになっているような人たちでしょ?
そういう方々をこうした形で操るエネミーに対しては、怒りしか湧いてきません。
これは、死者の人間性を犯す冒涜です!」
「ものは考えようだよね」
忍はいった。
「そうした先輩たちを倒すことで、今度こそ静かに眠らせることができるという考え方もあるわけで」
確かにそういうふうに考えた方が、精神衛生上はいいのだろうなと水利は思った。
「よう、野間」
隆康が秀嗣に声をかけてきた。
「一年も経たないうちに二度も特集階層を発見するなんて、お前も引きが強いなあ」
「それも二回とも、ソロのときに限ってであります」
秀嗣は姿勢を正して答えた。
「運がいいやら悪いやら、であります」
「いいか悪いかっていったら、間違いなくいい方だろうよ」
隆康はいった。
「運が悪いっていったら、一年の中では秋田だな。
春には脚をなくしかけて、年末には迷宮内で遭難しかけて。
まああいつも、運は悪いかもしれないが悪運が強い。
二度もそんな危難にあって、なんだかんだで無事にやりすごしているわけだからな」
「今回のパーティにはそんなに運がいいのと悪運が強いのと、二人もいるんだから何事もなく終わるだろうね」
気軽な口調でそういったのは、〈遊び人〉の異名を取る柊周作であった。
「おれとしては、楽をしてたんまり稼げるのが理想的な展開なんだけど」
この周作が〈遊び人〉と呼ばれるのには二通りの理由がある。
文字通り、日頃から遊び歩いていることと、それに、特に迷宮の中でなにをやりだすのかわからない人間であるからだった。
「あなたはせいぜいおとなしくしていなさい」
昇殿顕子が周作にむかっていった。
「あんたがなにかやりはじめると、他のパーティメンバーに負担がかかることが多いんだから」
周作という人間の厄介さは、二年より上のふかけんメンバーに知れ渡っていた。
しかし同時に、周作のそんな突拍子もない行動がパーティの危機を救うことも度々あったので、周作もどうにかふかけんの内部で爪弾きにあわずに済んでいるわけだが。
「ふふふふふふ」
榊十佐は抜身の日本刀の刀身を眺めながらなんだか怪しい笑みを浮かべていた。
「斬れる!
おれもついに本物の人間を公然と斬る事ができるぞっ!」
などと、危ないことをぶつぶつと呟いていた。
当然のことながら、その呟きをたまたま耳にした通行人たちが気味悪そうな表情をして十佐から距離をとって足早に歩み去っていく。
そもそも、抜身の日本刀を持って笑みを浮かべている事自体、迷宮の外でやったら即通報されてもおかしくはない奇行といえた。
「白泉。
あの先輩なんとかしろよ」
「あの人はもう手遅れです」
明雄にいわれて、偉はそのように返した。
「見た目の怪しさ以外にはあまり害がない人なので、そのままそっとしておくのに限ります」
かなり酷いいわれようであった。
「うおぉぉぉぉぉっ!」
一年の中にも負けず劣らずの奇行に走る者がいた。
「おれはやるぞぉっ!
やってやる!
いくら相手が探索者としての大先輩だろうとも、胸を借りるつもりで存分に暴れまくってやる!」
こういう内容を大声で叫ぶのは、一年の中でも猛敏くらいしかいなかった。
他の一年生も猛敏のこういうノリに慣れてしまったのか、まともに注意をしようとする者はいない。
せいぜい、比較的仲がよい相馬がげんなりとした表情をして、
「そういうのもほどほどにな」
と小声で注意をするだけであった。
「その階層、濃い霧が出て視界が効かないってことですよね」
静乃が沈んだ表情でいった。
「そうなると、長距離狙撃の旨味があまりなくなるかなあ」
「特殊階層に入ってからしばらくすると唐突に霧が晴れたという例もあるそうだ」
革がそう応じていた。
「今のうちから悲観をする必要もないだろう。
無線機も配っているし、いざとなれば他のパーティメンバーに誘導してもらって敵を狙えばいい。
今回のパーティは〈鑑定〉系のスキル持ちが意外に多いから、霧が濃くて視界が悪くても、そういう〈鑑定〉系スキル持ちに先導してもらって少人数で行動していけば、そんなにこまることはないと思う」
そういう革自身が〈計測〉という〈鑑定〉系の特殊スキル持ちであったし、それ以外にも隆康、周作、葵、静乃、水利、明雄、忍と全十五名のうち約半数にあたる七名ものメンバーが〈鑑定〉系のスキルを所持している。
これは、視界が悪いとされている今回の階層に挑むにあたっては、大きな利点となるはずであった。
そうした〈鑑定〉系のスキルを所持していれば、たとえ霧越しであっても敵の居場所を把握できるのである。
また、無線機ついていえば、広い迷宮の内部では、意外に遠隔地にいる仲間との連絡に不自由することがある。
外界とは違い、迷宮内に携帯の中継基地を張り巡らせることは物理的に不可能だとされているので、探索者がそうした遠隔地との連絡手段を必要とする場合には、自前で道具を揃える必要があった。
そこで手段として選ばれることが多いのが、トランシーバーないしは無線機である。
どちらも機能や性能としては似たようなものであったが、個人で携帯できる、邪魔にならない大きさのものに限定をすると、すぐにバッテリー切れになりがちであるということと、それに、通話者の間に電波を遮蔽物する物体がある場合、たとえ電波が届くはずの距離でも通話が不可能になることがあるなどの不自由な点も多かった。
他の欠点はともかく、バッテリーの保ちに関しては予備のバッテリーを余分に用意しておいて、〈フクロ〉の中にでも詰めておけばある程度はフォローできるのだが、それでもエネミーとの戦闘などで手が離せないときに限ってバッテリーが切れることがあり、いまだに多くの探索者の頭を悩ませている問題である。
「とにかく、今回はこれだけの人数がいるわけだし、中でなにが起こるのか予想できない階層になるわけですから」
葵が周囲にいる人たちにむかって注意事項を述べていた。
「できるだけ連絡は絶やさないようにしましょう。
そのために、ハンズフリーで使用できる機種を揃えたわけですし」
そんな様子を見て、偉はやはり華がある子だな、という感想を抱いた。
先輩方も今回はあくまで一年が中心になったパーティであると割り切っているのか、葵がリーダー然とした態度をとっても特に不満そうな様子も見せず、それどころかどこか面白がっているような風ですらある。
葵の方は松濤で下級生たちから頼られることが多かった経験から自然とそうしたあリーダー然とした態度を取ってしまうのであろうが、今のところそれは悪い風には受け取られていなかった。
なにより、彼女はきれいだからな。
とか、偉は自分の容姿のことを棚にあげてそんなことを思う。
スラリとしたモデル体型で、美少女から美女へと脱皮している最中の年頃であった。
なまじ容姿が整いすぎているからか、かえって異性からは声をかけられることがほとんどないらしい。
そういう偉自身も、葵に限らずふかけんの女性陣をあまり異性をいう捉え方をしたことがないのだが。
身近すぎるというか、なにしろいっしょにパーティを組むことが多いと、大袈裟ないい方をするとお互いの命を預け合う機会もそれなりにあるわけで、そうした境遇に長くいる者同士だとどうしても相手を異性のように感じなくなってしまうのだった。
もっともこれは、偉だけの感性であるのかもしれず、その証拠に明雄と忍は同じパーティを組みながらもそれなりにきちんとした男女交際を続けているらしい。
つまるところ、そうした感性は個人差があるということか、と、偉は一人で結論する。
あまり長い時間、ロビーにたむろしていてるのも時間がもったいなかったので、十五名のふかけんメンバーは公社の窓口に同意書を提出してから迷宮へとむかう。
いつもの通りゲートをくぐって迷宮内に入り、そこからは秀嗣の〈フラグ〉スキルによって十五名全員が通称〈死者の戦場〉と呼ばれる特殊階層へと瞬時に移動をする。
〈フラグ〉スキルを使うことによって移動するのはいつものことだったが、噂に聞いていた濃霧によって視界が遮られていたので、パーティメンバー全員が即座にここは普段の迷宮内とは違った環境なのだなと、そのように実感した。
「ここからは打ち合わせ通り、二人一組で周囲の状況を探索にかかること」
革が全員に指示を出した。
事前に打ち合わせをしていた内容通りだったので、この場で異論を出すものはいない。
二人一組といっても、この場には革自身と〈テイマー〉である水利、それに秀嗣が残る予定になっていた。
〈鈍牛の兜〉の効果により移動力にマイナスの補正がかかっている秀嗣は、今回のような特殊な環境において斥候役を務めるのにはむいていなかったし、それよりは一箇所に居場所を固定してそこの護衛役を努めてもらったほうが実際的だろう、という判断である。
特殊スキル〈計測〉を持ち広範囲に効果がある攻撃スキルを持つ革はやはり自分から撃って出るよりはとりあえず待ちの姿勢でパーティ全体の動きを把握していた方があとになって動きやすかったし、〈テイマー〉である水利は、極端なことをいえば本人さえ無事ならば使役しているエネミーの補充はいくらでも効くわけであり、そのことを考慮するとやはり攻めよりも守りの姿勢を貫いておく方が賢明といえた。
残りの十二人はそれぞれ、隆康は十佐と、顕子は周作と、葵は猛敏と、静乃はアリスと、明雄は相馬と、忍は偉とペアを組んで周囲を捜索することなる。
〈鑑定〉系スキルの持ち主と、その手のスキルを持っていない人間とでペアを作ったわけだが、〈遊び人〉の周作と〈戦斧〉の猛敏とはそれぞれにふかけんのメンバーから要注意とみなされており、彼らが暴走した場合に即座に押さえつけることが可能な人間と組ませることになったため、最終的にはこうした組み合わせに落ち着いたわけだった。
「出発する前に」
革はいった。
「草原。
〈テイム〉したエネミーをすべて吐き出して」
「はい」
水利がことなげに頷くと、水利の周囲のなにもない空間から突如おびただしい数の動物が現れ、どどどどどどどどと地響きをたてて周囲に散っていった。
なにしろこの時点で水利が〈テイム〉したエネミーは三百種類をゆうに超えている。
移動速度の関係上、そのすべてを斥候役として出すわけではないのだが、そうした水利が〈テイム〉したエネミーたちはこれまで水利とともに活動してきた結果として莫大な累積効果を得ている。
つまり、身体能力をはじめとする諸元能力が本来の種族の平均値の数倍にまで高まっているため、そうしたエネミーたちが本気を出してうごきはじめるとエネミーの動きを目で追うことに慣れているふかけんのメンバーでさえすぐに見失うほどの速度と機動力を発揮するのだった。
そうした移動力に優れていない種族のエネミーたちも、水利の周囲に散開して敵襲への警戒をおこなっている。
「多分、迷宮内で一対一で正面から戦ったとしたら、草原に勝てる探索者はほとんどいないんじゃないかな?」
「おれもそう思う」
そんな光景を目の当たりにした相馬と猛敏が、そんな感想を述べ合った。
「まあ、実際のところ、今の水利とタイマン張って勝てるのは〈所沢迷宮のエース〉くらいじゃないかな」
すぐそばでその会話を耳にしていた隆康が、口を挟んできた。
「一度、門脇マテリアルの仕事でやつの戦いぶりを見たことがあるけど、あれはもう無茶苦茶だ。
歩く理不尽であるといってもいい。
同じ人間カテゴリの中に入れておいてもいいものかどうか悩むくらいの、圧倒的な強さだった。
おれは一回だけあいつとパーティを組んで運び屋をやったわけだけど、そのたかが一回だけで〈フクロ〉の容量が五割以上増えたぞ」
なんだそれは、と、隆康の独白を聞いていた全員がそう思った。
〈フクロ〉スキルに限らず、スキルや探索者の能力はエネミーを倒した時に得られる経験値を得ることによって拡大する、といわれていた。
隆康の言葉を信じるならば、隆康はただ一度〈所沢迷宮のエース〉と同じパーティとして活動しただけで、それまでの経験値の半分以上に相当する経験値を得た勘定になる。
いくら超深層のエネミーを相手にしているとはいえ、たかだか一回の戦闘でそれだけの経験値を稼げる人間というのは、はやりどこかおかしい。
隆康自身が口にした通り、
「同じ人間のカテゴリ」
に入れておくのがおかしく思えるほど、破格な存在であるといえる。
「おい、〈鈍牛〉」
明雄が秀嗣に呼びかけた。
「お前、少し前に〈所沢迷宮のエース〉とあったとかいってただろう?」
「はい。
お会いしましたが」
秀嗣は素直に頷く。
「見た感じでは、割合に地味な印象の方でしたけど。
おじさんになりかけのおにいさんといった風情の」
公社が公表しているデータによれば、〈所沢迷宮のエース〉こと門脇莞爾はまだ三十代半ばだったはずだ。
どちらかといえば、実年齢よりは若く見える印象だったな、と、秀嗣は思い返す。
「外見は、普通の人なのか?」
「そうですな」
秀嗣は、また頷く。
「人混みの中に紛れてしまえばすぐに見失ってしまいそうな、そんな普通の方に見えました」
実際、そのときの莞爾は控えめな物腰を目にしていたこともあって、〈所沢迷宮のエース〉に対する秀嗣の印象は、鮮烈なものとはいいがたい。
どちらかというと、同時に会ったエルフ田マサシの言動からの方に、秀嗣の場合はより強い印象を受けたような気がする。
〈所沢迷宮のエース〉の印象は秀嗣にしてみれば、あまりにも普通の人でありすぎて、隆康が語るような強烈な人間には思えなかったのだ。
「そんなことより、さっさと斥候に行こうぜ」
猛敏が珍しく正論に思える言葉を吐いた。
「時間が惜しいし、水利のエネミーばかり働かせていても仕方がないだろう」
「確かに」
「せっっかくエネミーたちが露払いをしてくれているんだから、有効に活用しなけりゃな」
ふかけんのメンバーは口々にそんなことをいいながら、濃霧の中へと散っていった。
実際、先行しているエネミーたちがなにかの異変を感じ取ったら、すぐに引き返してふかけんのメンバーにも知らせてくれる手はずになっていた。
また、そうした段取りを整えることによって、ふかけんメンバーの安全性を比較的に高めているともいえる。
そのわかり、水利のエネミーたちが真っ先になんらかの危険にさらされる可能性が高くなるわけだが、こればかりは仕方がなかった。
とにかく、革、水利、秀嗣の三名と護衛役のエネミーたちだけをその場に残して、ふかけんのメンバーは去っていった。
「遭遇するんならさっさと出てくりゃいいのに」
見通しのあまり効かない迷宮内を移動しながら、猛敏がそんなことをいった。
「わたしたちが遭遇する前に、なんらかの前兆を草原さんのエネミーが伝えてくれるはずですが」
葵が冷静に指摘をする。
「わかっているって」
猛敏はいった。
「あくまで気持ちの問題だ。
気持ちの」
槇原猛敏は、これまで葵の周囲にいないタイプの人間だった。
最初は粗暴な人間に思えてたのだが、ある程度親交を深めてみると、実際にはさして粗暴なわけではなく、ただたんに思慮が浅くて感情の赴くままに行動するので言動が粗野に見えるというだけの人間だということが徐々に理解できてきた。
そうした傾向も、一般にはプラスよりもマイナスに受け取られがちであり、葵もそう思っていたのだが、この猛敏は軽挙妄動が過ぎるためにかえって滑稽に見えることがあり、つまり一言でいえば妙な愛嬌があるのだ。
その愛嬌で猛敏の短所までが帳消しになるとまでは葵も思わないのだが、葵の周囲にはここまで無防備な人間はこれまでにいなかったので、物珍しさ半分に、最近では珍獣かなにかとつき合うような気持ちで接するようになっている。
そうしてしばらくつき合ってみると、この竹としという男は確かに浅慮で考えが足りない部分はあるものの、周囲の人たちには人並み以上に配慮するところはあるし、決して粗暴なだけの人間ではないのだということが徐々に理解できるようになってきた。
城南大学に入学できるくらいであるから、頭は人並みに回るはずなのだが、そうした頭脳労働をなぜか自分のためにすることはないらしい。
それ以外にも、この猛敏は思い込みが激しい傾向があった。
一番わかりやすのは、最初に入手した〈甲虫の戦斧〉という武器を使用することに拘り、こだわりすぎて当時固定パーティを組んでいた人たちか総スカンされ、それでもまだ懲りずに〈甲虫の戦斧〉を使い続けている。
頑固というか、アホというか。
それでもそれを一徹に使い続けて、今はそれなりに〈甲虫の戦斧〉を使いこなせるようになってきてはいるのだから、これはこれで見上げた根性と呼ぶべきなのだろう。
虚仮の一念、といういい方もできるわけだが。
葵にとって、この猛敏は、静乃や偉など同じふかけんの仲間でもきれいにまとまっている人たちとは違い、どこか破れていて型にはまりきらない、不思議な魅力を感じる人間だった。
とはいえ、間違っても異性として魅力的に思えるようなタイプではないのだが。
そう。
ただし、観察対象としては、非常に魅力的だ。
「そういえば藤代の家は、大層な金持ちなんだそうだな」
唐突に、猛敏がそんなことをいいだした。
「お金持ちといいましても、親族が経営している起業の株を多少持っている程度ですから」
葵には、どの程度の資産を持っていれば「お金持ち」の範疇に入るのか、実は今でもよく判断ができない。
実際、松濤のときの学友たちは葵の家よりも裕福なくらいの家庭が多かったくらいだし、葵自身はそれまで自分の家庭が特に裕福であると思ったことはなかった。
どうやらそういうわけでもなさそうだ、と思いはじめたのは大学に入学してからで、つまりはここにに至ってはじめて葵は貧富の差というものが現代日本においてもそれなりに存在するのだということを実感したのだった。
ふかけんの中には、ポリシーからではなく必要に迫られて学費や生活費を自分で工面している学生が大勢いる。
葵もよく知っている水利や明雄がこのパターンに該当するわけだが、そうした人々とじかに接するようになってはじめて、葵は経済的な困難が絵空事として画面の中にだけではなく、身近な問題として存在することを肌で感じるようになったといえる。
そんな葵だから、猛敏がいう「大層なお金持ち」というのも、実のところどの程度の資産状況をからをそう呼んで構わないものなのか、にわかには判断がつきかないであった。
「単純にお金持ちというだけなら、入学してから今ままで、一年足らずの歳月でサラリーマンの平均年収を軽く超える金額を稼いでいるふかけんのメンバーは、全員、お金持ちになるのではないでしょうか?」
それで、そついそんないい方をしてしまう。
「まあ、貧乏ではないだろうな」
猛敏は、葵が発言した内容よりも、葵のいい方に一片の邪気も含まれていないことにむしろ鼻白んで、語勢を落とした。
「藤代は、本当に苦労をしないで育ったんだなあ」
続いて、猛敏は呆れたような口調でそう続けた。
「苦労とは、不平不満を心のなかに秘めたままことを為そうとするから、どうしたって心の中のわだかまりが消えないような状態だと、そのように教えられました」
葵は生真面目な口調でいった。
「同じ仕事でも、苦労してやる者と楽しんでやる者とがいるのは、そのためだと」
「すべては気の持ちようってわけか?」
猛敏は葵の発言を鼻で笑った。
「誰だ。
そんな無責任なことを藤代に教えたのは」
「わたしのお祖母様です」
葵は猛敏の態度にも怯むことなく、そう答える。
「そしてお祖母様は、決して無責任な方ではありません」
「ってぃっ!」
そのとき、唐突に猛敏が叫び声をあげた。
「畜生!
やつら、やりやがったっ!」
何事か、と葵が猛敏の全身を注視してチェックすると、猛敏の右の脛に、太い棒状の物体が貫通していた。
「……罠、ですか?」
「多分な」
猛敏は軽く顔をしかめながら答える。
「射出式の罠だ。
この霧のおかげで、罠の存在自体に気づかなかった」
葵は、偉との会話を思い出す。
相手が、一度死んだとはいえ、実質、人間と変わらない能力を持っているのなら。
それは、相応の知能と狡猾さも持っていることになる。
そうであるのなら、こうした罠を仕掛ける可能性も予め想定しておくべきだった、と、葵は思った。
その場にはいない場所でも自動的に敵対者を傷つけるこうした仕掛けは、狡猾であるのと同時に、仕掛ける側にしてみれば実に合理的な選択なのだ。
なにしろ、少ない労力で大きな成果をあげることができる。
その選択肢があるのなら、選択しないで入られないほどに合理的な手段なのだった。
「一度帰りますか?」
葵は猛敏に訊ねた。
「当然だ」
猛敏は金属製の棒を自分の脛から引っこ抜こうとしながら答える。
猛敏の顔中に、びっしりと汗が浮かんでいた。
「罠の存在を、みんなに知らせる必要がある」
現在、葵と猛敏は無線の通じない場所にいる。
誰かに連絡をするためには、無線が通じる場所まで移動する必要があった。
「それは抜かないでください」
葵はいった。
「抜くと出血します」
〈ヒール〉を集中して使えば短時間のうちに傷口を塞ぐことは可能だったが、〈ヒール〉のスキルでは体外に出た分の血液までは補充できない。
これだけの傷口から出血すれば、猛敏はしばらく使い物にならないだろう。
「こいつを抜かないと、ろくに歩けやしないんだ」
猛敏は、苦痛をこらえながら実に情けない表情を作った。
「肩ぐらい、わたしが貸します」
葵は、半ば呆れながら猛敏にそういった。
「まずはそのまま、連絡が付く場所まで二人で移動しましょう」
この猛敏という男は、なんて短絡的で愚かな判断をするの生物なのだろうか。
呆れながらも葵は、いったとおりに猛敏に肩を貸した。
こうなってもまだ〈フラグ〉で脱出することを発想しない戦意の高さだけは、評価に値すると思うが。
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