20. 挑戦

「お前、また松濤迷宮に入り浸っているそうだな」

 両角誠吾が野間秀嗣にそう声をかけていた。

「入り浸っているというか、必要とされれば出向いていくのは盾役としては当然のことであります」

「盾役ったって、松濤の子のほとんどはおれたちよりもよっぽど強いじゃないか」

 大野相馬も誠吾に加担する。

「変な下心を出して、手がうしろに回るようなことはするんじゃないぞ。

 相手は十八歳以下なんだからな」

「失敬な」

 いわれた秀嗣は目に見えて不機嫌な表情になった。

「下心もなにも、小生は最初からそんなつもりではありません!

 第一、彼女たちも最初から小生のことを男扱いしていないのであります!」

「そうなの?」

 そんなやり取りを横目で見ていた白泉偉が近くにいた藤代葵に小声で確認した。

「彼の中では、そういうことになっているのではないかと」

 葵も、小声で答える。

「実際には、何人か積極的にアプローチしている子もいるようですが。

 ただ本人があの調子ですから。

 どうも本気で自分なんかが本気で相手にされるわけがないと頑なに思い込んでいるようでして」

「高等部の子の中には、志望校、城南に変えた子もいるようだし」

 早川静乃が、やはり小声でつけ加えた。

「颯が松濤の子たちと連絡取り合っているんで、そういう情報、入ってくるんだよね」

「知らぬは本人ばかりなり、ってパターンか」

「野間くん、面倒見はいいみたいだから、松濤の子に限らず、下級生には人気が出るタイプだと思うけど」

 あくまで無関係な外野たちは、無責任な放言を重ねる。

「そこ、白泉!」

 相馬が偉を名指しで非難しだした。

「お前も他人事じゃないぞ!

 お前なんか平然とハーレムパーティをしているじゃないか!」

「ハーレムパーティっ、て」

 偉は苦笑いを浮かべる。

「迷宮に入っているときは、そういうこと、考えている余裕ないよ」

「そうそう」

 双葉アリスが偉の言葉に頷く。

「パーティに貢献できるかどうか、役に立つかどうかで面子を決めているわけでさ。

 男とか女とかそういう面倒なの、わざわざ迷宮の中にまで持ち込みたくはないし」

「同期の中では、どちらかというと女の方が優勢だからなあ、今のところ」

 秋田明雄が指摘をした。

「早川とか藤代とか、キャリアが長いのとか、草原とか双葉とか特殊なスキル持ちだったり、スキルを上手く使いこなしているのとか。

 そういう一軍とパーティを組んでも見劣りしないのが、たまたま白泉だけだたってことだろう」

「どうせおれたちは二軍以下だよ!」

 相馬が大きな声を出した。

「秋田!

 お前なんか、いつのまにか一陣とくっつきやがって!」

「くっついたというか」

 秋田は苦笑いを浮かべる。

「ああなったら、逃げ場がないだろ?

 いつの間にか外堀が埋まってたし」

「ほほう」

 明雄の隣りにいた一陣忍が目を細める。

「あっきーは、いやいやだったのかー」

「い、いや!

 別にそういうわけではなくてだな!」


 ふかけんの新入生たちが再び集合したのは、年も改まって一月六日になってからになる。

 それまで、各自独自の判断で迷宮入りしていた者は決して少なくはなかったのだが、帰省していた者が帰ってきた頃を見計らって一度集まり、情報交換をかねて親睦を深めようということになった。

 なにより、探索者にとって情報は命。

 ようやく初心者の段階を超えてまとまった稼ぎを得る段階に入った多くの新入生たちにとって、こうした集まりは歓迎されるところだった。

 SNSを通じて声をかけ合い、白銀台迷宮の影響圏にある飲食店タヴェルナに予約を取り、こうして集まっている。


「気にしないくていいぞ」

 誠吾が相馬の肩に手を置いていった。

「こいつ、どうやら年末に振られたみたいだからさ。

 それでいろいろと拗らせてるらしい」

「なんだ」

 真っ先に、アリスが反応する。

「単にやっかんでるだけか」

「まだ焦る年でもないのに」

 草原水利は幸せそうな顔をしてマルゲリータにかぶりつく。

 マルゲリータは数あるピザの中でも具材がシンプルであるから、その分、料理人の腕が素直に反映される料理でもある。

 こういう単純な料理が普通にうまいというのは幸福なことだと水利は思った。

「大野のやっかみは別にどうでもいいけどな」

 誠吾が話題を変えた。

「昨年末にはいろいろなことがあったなあ。

 迷宮絡みで」

「そうだねえ」

 アリスが相槌をうった。

「秋田くんと忍が一週間近くも二人っきりになったとか」

「いっておくが、やましいことをするような精神的な余裕はなかったぞ」

 明雄がすかさず弁明をする。

「わかっているって」

 水利がいう。

「そっちじゃなく、両角くんがいっているのは例の強盗団のことじゃない?

 うちのおかーさんも心配していたし」

「ああ。

 あれな」

 明雄は頷いた。

「探索者界隈じゃあまり話題にならないけど、世間的にはかなり騒がれていたな」

「何年かに一度、大規模な摘発があるそうですからね」

 偉がいった。

「事情を知る人にとっては、またいつものか程度の認識なんだろうけど。

 ただ、迷宮絡みで警察が動いて、それがニュース種になることは滅多にないから。

 迷宮とか探索者関連のことが大々的に報道されていると、物珍しさが先に立つんじゃないかな」

「そういう不名誉な報道の方が目立ちますからな」

 秀嗣が頷いた。

「実際には、レアメタルをはじめとした各種物資を供給して、われわれ探索者も普段から日本経済に少なからぬ貢献をしているはずなのですが」

「普段から普通にやっていることっていうのは、目立たないから」

 アリスが反応する。

「もしも迷宮が現れなかったとしたら、今の日本もかなり変わった歴史を歩んでいたはずだけど」

「戦後の復興も、うまく出来なかったかも知れない」

 偉が指摘をする。

「当時、敗戦でかなりズタボロになっていたはずだし。

 迷宮がなかったとしたら、当時の日本が経済的に復調できるような材料って、あまりないんだよね」

「朝鮮紛争は?」

 葵がいう。

「仮に迷宮がなかったとしても、あの紛争は発生したと思いますが」

「タイミングとか考えると、あの前後に同じような紛争が起こるのは確実だと思うけど」

 偉はいった。

「でも、そのあとの経緯はかなり違ってくるんじゃないかな。

 案外、半島がドイツみたいに東西の国家に分断されていたのかもしれないし。

 いや、半島は縦に長いから、東西ではなくて南北になるのかな」

「地理的な条件を考慮すると、半島はどうしても米中の緩衝地帯としての役割を果たさなければならないわけですが」

 葵は真剣な表情で考え込む。

「それでも、国家分断までするでしょうか?」

「ちょっと待ってくだい」

 秀嗣までもが、この話題に乗ってくる。

「紛争の経緯が異なってくるということは、日本の再軍備も遅れるか、もしくはできないことになるのではありませんか?」

「現実的に考えて、それなりの規模を持つ国家がいつまでも軍事力を持たないでいるということは考えられないけどね」

 偉は頷く。

「客観的に考えて、人口が一億もある日本のボリュームっていうのは世界的みてもそれなりのものだよ。

 日本が軍備を放棄としても、実際には他の国が放っておかないんじゃないかと。

 仮に迷宮がなかったとしても、すぐそこにソ連や中国の存在しているかぎり、アメリカはなにかと口実を設けて日本にもなんらかの軍備を負担させると思うよ。

 それは現行の、国防軍という形ではないのかも知れないけど」

「朝鮮紛争があって国防軍もできるんなら、仮に迷宮がなかったとしても、大枠ではあまり代わり映えしないんだが」

 明雄があまり興味がなさそうな表情でいう。

「まあ、そうなりますな」

 秀嗣はいった。

「戦後に関しては、もうだいたいの世界情勢が定まっていますし。

 ちなみに仮想戦記の世界では、迷宮が発生するのがあと何十年か早かったらという設定が定番なのであります」

「資源の問題か」

 明雄も秀嗣の言葉に頷く。

「当時は切実だったそうだからな。

 迷宮があれば、石油以外の物資はだいたい供給できるようになる。

 もっとも、今の公社なみに探索者の安全性を確保できることが前提になるんだろうが」

「そこまでいくのには、やはり何十年単位の時間が必要になると思いますよ」

 偉は指摘をした。

「現実に、公社も最初からここまで巧くやれていたわけではありませんから」

「昭和時代は、かなり雑というか大雑把だったらしいね」

 誠吾がいった。

「安全対策もそれなりにはしていたそうだけど、今ほど徹底はしていなかったそうだし」

「時代性というものでしょうね」

 葵が頷いた。

「探索者の安全よりも、採算性やアイテム類の回収率が優先されていた時代が長かったようです。

 当時は、日本全体が経済復興のためになりふり構わないような風潮に包まれていましたから」

「そんな時代に生まれたとしたら、絶対に探索者になんかならなかっただろうな」

 相馬が、そう呟いた。

 その場にいた全員が、相馬の言葉に頷く。


「話題、戻すけど」

 アリスがいった。

「今回話題になった強盗被害者。

 四人もの強盗を返り討ちにした人がソロだったって噂があるけど、あれ、本当かな?」

「ニュースでは、十八歳という年齢だけで実名は出ていなかったね」

 偉が、アリスの言葉に頷く。

「未成年者だったから配慮されたんだと思うけど」

「おれたちとタメで、ソロで、格上の襲撃者四人を一度に返り討ちか」

 それまで会話に参加せず、黙々と料理を平らげていた槇原猛敏が遠い目をしてそういった。

「世の中には、そんな凄腕の探索者もいるもんだなあ」

 累積効果がなによりもものをいう探索者の世界では、経験の長短はかなり絶対的な基準とされている。

 自分より確実に長いキャリアを持つ探索者と対戦しても、よほどのことがない限り勝ち目はないのだった。

 もっとも、探索者同士が戦うような状況は、現実にはそれこそ強盗にでも遭遇しないかぎりは、まず発生しないわけだが。

「それよりも探索者相手の強盗って、割に合うのか?」

 相馬が疑問を口にした。

「監視カメラをはじめとする公社のシステムの裏をかくよな面倒な手間までかけてさ」

「割に合うかどうかはともかく、成功すればそれなりの実入りはあるんじゃないか」

 明雄が反応する。

「相手にもよるだろうけど。

 レアなアイテムをとかを持っていれば、それを取りあげただけで数千万円から場合によっては億に届く金になる。

 ブラクックマーケットに流して実際の収益が何割か割引になるにしても、それだけの金になるのなら、犯罪に手を染めようっていうやつもそれなりに出てくると思うけど」

「ましてや、ソロが相手だったらね」

 水利がいった。

「数人で取り囲めば、まず負けることはないわけだし。

 エネミーを相手にしてもうまい具合に収益ができるドロップ・アイテムを入手できるかどうかは運次第だし。

 それよりは、確実に儲かるとわかっている相手を狩る方を選ぶ人は、それなりにいるかと」

「たとえソロであっても、ろくなアイテムも持っていないおれたちみたいな初心者なんかは、そんな強盗にさえ相手にされないだろうけどな」

 猛敏が、そう結論した。



「潜る前に買い出しか」

 新年の顔合わせ会が終わったら、今度は全員で買い出しに出ることになった。

 年末、明雄と忍が迷宮で遭難した件はふかけん内でも当然取り沙汰されていて、その対策として十分な水と食料を確保して持ち歩くことが推奨されていたのだ。

 ちなみにこれは別にふかけん内部のことに留まらず、公社からも同様の通達が全探索者に出されている。

 明雄と忍の証言を元にして対策をたてようとすれば、結論も同じようなものになるのだった。

 白金台迷宮の近くにある、探索者が多く利用するデイスカウントショップはそうした風潮に敏感に反応し、手軽な手間と短い調理時間ですぐに食べることができるレトルトや軍事用のレーションなどを大量に仕入れて対応していた。

 明雄や忍がそうされていたように、〈フラグ〉のスキルを封じられた場合、上級者ほど長い日時に渡って迷宮内に留まる計算になり、より多くの食料や水を確保する必要があるのだった。

 それ以外に、テントや寝袋などのキャンプ用品も売れているようだ。

 そうした余分な荷物を普段から持ち歩くようになれば、当然、〈フクロ〉スキルの容量もそれだけ圧迫するわけだが、それを惜しんで迷宮内から出られなくなってしまっては元も子もない。

 大多数の探索者は多少の不便よりも自分の身の安全を優先した。

「どうせ持ち込むんなら、コンビニ弁当とかでもいいんじゃないか」

 猛敏がそんなことをいい出した。

「おれ、青いコンビニのフュドラ丼、好きなんだよね。

 どうせ〈フクロ〉の中に放り込んでおけば、半永久的に保つんだし」

「コンビニ相手だと、大量に買ったとしても値引き交渉には応じてくれないぜ」

 高校時代にコンビでのバイト経験がある明雄が、指摘してやる。

「コンビニは基本、定価販売だしな」

「それがあるか」

 猛敏は軽く顔をしかめる。

「コスパ以外にも、栄養バランスのことも考えないと」

 アリスが口を挟んできた。

「一日や二日ならともかく、何日間もこれだけ食べて過ごすことまで想定しておかないと。

 食べ物のおかげで気力や体力が落ちるようなことも十分に考えられるし」

「そう考えると、栄養バランスはもちろんのこと、種類もできるだけ多く揃えて飽きないように工夫しておかないとな」

 相馬がいった。

「その辺、経験者としてはどうだ?

 秋田」

「とりあえずいえることは」

 明雄はさらりと答える。

「たまに例外はあるが、大抵のエネミーの肉は固く筋張っていて、酷い匂いがして、かなり飢えてなければ口にしたくもない代物だってことだな。

 素直にこうして外から持ち込んだ食料を食っているのが無難だと思う」


 そうした保存食を何十箱分も店に注文をして、現金で取引する代わりに値引き交渉をする。

 実際の商品は、一部は店の在庫から受け取り、残りはあとで各自が受け取りに来ることになっていた。

 ふかけんの一年生たちにしてみれば、別にすべての商品をその場で受け取らなくてはならない理由もないわけである。

 値引き交渉については、意外にそういう交渉が好きな葵が名乗りでてやってくれた。

「藤代、確かかなりいいところの家のお嬢さんだってことだろ?」

「だからじゃないか」

 少し離れた場所で、誠吾と相馬がそんなやり取りをしている。

「親類が大体、なにかの会社を経営しているそうだけど、そういう環境で育てば嫌でもコストには敏感になるって」

 葵の身元については、昨年夏に静乃を巻き込んでの起業騒ぎのおりに周知のものとなっていた。



「誰かいっしょに潜らないか?」

 買い出しが終わると、猛敏がそんなことをいい出した。

「しばらくソロでやってたんだが、いい加減、飽きてきてな」

「今、ソロでどこまで潜れるようになったんだよ」

 即座に誠吾が確認してくる。

「この間、三百階層を超えたな」

 猛敏が、なんでもないことのように答える。

「ソロで三百階層でありますか!」

 秀嗣が目を見開いて驚く。

「それはまた、随分と豪気な」

「どちらかというと苦行に近いよね、それ」

 偉も、呆れたような表情を浮かべてそういった。

「よっぽど我慢強いんだな」

 エネミーとの対戦だけに限らず、その前段階である斥候やそのあとにあるアイテムの回収までソロで行うとなると、なにをするせよ、手間や時間が、パーティのときの何倍もかかることになる。

 秀嗣と偉とはたまにソロで迷宮に入ることがあるから、実際的な手数をかなりリアルに想像することができた。

 他の要素はさておき、そろで三百階層を突破したというのが本当ならば、猛敏の忍耐強さだけは十分に強化に値する。

 二人は、ほとんど同時に同じような感想を抱く。

 この二人にしても、普段がパーティで迷宮に入っていて、その合間にソロで活動しているから、まだしも耐えられている面が強い。

 ソロのみで数ヶ月も迷宮に入り続けるなど、多少はソロに慣れているこの二人にしてみても、苦行を通り越して拷問に近い行為であった。

「それでは」

「うん」

 葵と静乃がどちらからともなく顔を見合わせて頷き合う。

「試しに、今日はいっしょに潜ってみようか?」

 葵と静乃、偉やアリスのパーティに、猛敏が誘われた。



「うおぉぉぉぉっっ!」

 蛮声を張りあげながら、猛敏はオーク・タイプの集団に単身で突っ込んでいった。

「……ありゃ?」

 アリスの目が、点になる。

「あの子、オーク・タイプを相手にするのは、これがはじめてじゃなかったっけ?」

「そのはずですけどね」

 偉も、半ば呆れながら答える。

「こなしてきた階層的には」

 それでも、少しも怯む様子がないというのは、果たして短所か長所か。

 いや、両方だろうな、この場合。

 と、偉は思い直す。

「やる気だけは有り余っている。

 そんなプレイスタイルですね」

 葵が猛敏の方法を端的に評価する。

「洗練はされていませんが、これはこれで有効でしょう。

 あくまで、パーティメンバーの援護が受けられる場合に限りますが」

 葵がいう通り、猛敏の動きには無駄が多く、それだけに隙も多かった。

 的確に急所を攻撃するか、それができなければ手足の腱を斬るなどをしてエネミーの行動に大きな制限を課す、葵や偉の合理的な方法とは違い、その場のノリと勢いだけで押していくのが猛敏の方法論であるらしい。

 それでも、流石にこれまでソロで鍛えてきただけあって、猛敏の動きは無駄が多いながらも独特の気迫に満ちていた。

 気のせいか、相手をしているオーク・タイプも猛敏の勢いに気圧され、戸惑っているように見えないこともない。

「そう。

 援護援護」

 静乃がのんびりとした声で、自分の得物である模型のライフルを構えた。

「せっかく前衛のアタッカーがエネミーの注意を引きつけてくれているんだから、この状況を有効に活用しないと」

「そだね」

 静乃の言葉に、アリスがあっさりと頷く。

「そんじゃあ、援護行ってきます」

 そういって、アリスもエネミーの集団へと近寄っていった。

「放置しておいても、彼一人でオーク・タイプを全滅させてしまいそうな勢いですね」

「かなり乱暴なやり方ではありますが、前衛としての役割はそれなりに果たしているわけですし」

 偉と葵とは、そんな風に頷き合ってからオーク・タイプの方へとむかっていった。


「勢いと攻撃力だけは過剰なほどにありますね」

 というのが、葵による猛敏のスタイルの評価だった。

「エネミーの撃破数も多かったけど、エネミーの攻撃を受ける頻度も多い。

 あんな様子では、これから先で、命がいくらあっても足りません」

 葵の言葉通り、他の四人とは違い、猛敏の保護服はほぼ全身に渡ってエネミーの攻撃を受けた痕跡が刻まれている。

 探索者用の保護服といえば、現代科学の粋を凝らして耐久性を向上させているわけだが、何度も同じ箇所に大きなダメージを受けてしまえばいつかは破損をする。

 この分だと、猛敏は保護服をかなり頻繁に買い換えているのだろうなと、偉は予想した。

「エネミーの攻撃を自分に集中させるのも、前衛の役割だろう」

 葵の評言を受けて、猛敏はなぜ非難されているのかわからない、という表情になった。

「保護服用の応急処置パッチはたっぷりと用意しているし、多少の傷なら〈ヒール〉ですぐに直すことができる」

「だからといって、あえてエネミーの攻撃を自分の体で受けることには意味がありません」

 葵はなおもいい募った。

「避けられる攻撃を避けないのは、どう考えても無駄です。

 無意味です。

 それ以上に、リスクが大きすぎます。

 装備の性能をあてにしすぎです」

「藤代や白泉のように、器用にエネミーの攻撃をすべてかわせる探索者ばかりじゃないだろう」

 猛敏はのんびりとした口調で、そう指摘をした。

「おれはおれで、これでも自分できる精一杯のことをやっているつもりなんだけどなあ」

「槇原は、攻撃力に全振りしているタイプだよね」

 偉が静かな口調で指摘をした。

「見てると、カウンター狙いもかなり多かったし」

「そう!

 それだよ!」

 猛敏の声が、俄然、大きくなる。

「いくらパーティを組んでやっているとはいっても、今のおれだとこの階層のエネミーはやはり強敵になるわけでさあ。

 無傷で渡り合おうなんて、都合のいいことはいってられないわけよ!」

「ということで、槇原は槇原でまじめにやっていると思うよ」

 偉は葵にむかって、そう指摘をした。

「むしろ、今の時点で最善の方法をあえて選択しているといってもいいのでは?」

「まあ、槇原くんも、好きで痛い思いをしているわけでもないと思うから」

 静乃が、のんびりとした口調でいった。

「もう少しして累積効果が溜まってきたら、自然ともっと余裕のある戦い方をするようになるだろうし」

「当然だな」

 猛敏は、ここぞとばかりに昂然と胸を張ってみせた。

「実力的に余裕があるのなら、相応の戦い方をしてみせるって」

「そうですか」

 葵は静かな声で応じる。

「葵ちゃんはさあ」

 アリスが口を挟んでくる。

「あれ、松濤のやり方に慣れすぎているんじゃないかな。

 ひでっちから聞いたところによると、松濤の子たちは勇猛果敢だけど、女の子だけあって自分から攻撃を受けるのは避ける傾向があるみたいだし。

 槙原くんみたいな無謀すれすれの突撃タイプとは、これまであまり組んだことがないでしょ?」

「そういわれてみれば、そういう傾向はあるのかもしれませんが」

 葵は、まだなにか納得のいかない表情をしている。

「ですがやはり、自分からリスクを増やしていくようなやり方は、やはり承服できません」

「それについては、できるだけ気をつける」

 猛敏は殊勝な表情をして、そういう。

「リスク管理は確かに甘いけど、打撃力だけを見れば十分な戦力になっているわけだし」

 偉がとりなすように、そんなことをいい出した。

「もう少し様子見をしながら、レベリングをしてみてはどうかな。

 さっきもいったように、基本能力に余裕が出てきたら槇原のやり方も自然に変わってくるだろうし」

 結局猛敏は、しばらくこのパーティで面倒を見てもらうことになった。



「ここ、何階層だっけ?」

「三百八十階層」

 相馬の問いかけに、誠吾が答えた。

「もう少し頑張れば、四百階層に届くな」

「一軍連中はどこまでいっているって?」

「五百階層はかなり前に通過しているとかいっていたけど。

 今頃は六百階層を突破しているのかもしれない。

 やつら、進むペース早いから」

「気にしない、気にしない」

 忍がのんきな口調でそういった。

「他のパーティと比較しても、いいことなんかなにひとつないから。

 わたしらはわたしらにできる最善を尽くしていれば、それでいいんじゃないかな」

「第一、藤代と早川は、おれたちとはキャリアからして違うからな」

 明雄も口を開いた。

「そんなパーティとは、比較するのも馬鹿馬鹿しいって」

「だな」

「うん」

 この四人は、相変わらず固定パーティを組んでいた。

 しいていえば、長らく別の場所でバイトをして来た相馬が、今ではそのバイト先からプレゼントされてきたとかいう、ワイバーンの鱗でつくったスケールメイルを保護服の上から着こむようになったことくらいか。

 このスケイルメイルには様々な効果を持つ〈エンチャント〉スキルが施されており、見た目以上の防御力を誇るということだった。

 相馬自身も、手入れのつもりなのかときおり、そのスケイルメイルに自分で〈エンチャント〉をかけているようだった。

 これにより、パーティメンバーの中では実質一番の防御力を持つにいった相馬は、復帰以後、積極的に前衛としての役割を果たすようになっていた。

 もともと、このパーティは攻撃力には不自由していないかわりに、前に出てエネミーの注意を引き付ける盾役をする者がいなかったので、相馬が自発的にその役割を引き受けるようになって以降、目にみえて討伐の効率があがっている。

 対戦するエネミーの数がほぼ同数であっても、より短時間で始末をつけられるようになっていた。

 また相馬は、バイト先で身につけてきた〈エンチャント〉スキルの応用により、他のメンバーへのバフ行為も積極的に行うようになっていたため、このパーティが階層を走破していくペースは去年よりもずっと早くなっている。

「こうして確認してみると、支援系スキルの威力も、あるのとないのとでは全然違うんだな」

 というのが、相馬を別にした他のパーティたちの共通した感想だった。

 ここまで育て、活用の仕方を外部で学習してきたことによって、相馬ははじめて〈エンチャント〉スキルを十全に活用することができるようになった形である。


 スキルのことはさておき、相馬自身もスケイルメイルという新しい装備品を得たこと、それに一度先輩方のパーティに同行して深い階層で経験値を得たことによって以前とは確実に違ってきた。

 相馬がそうした形でレベリングを行ったのはたかだか一回であったが、その一回で得ることができた経験値はその時点の相馬にとってはかなり貴重なものとなった。

 そのとき、相馬は二ヶ月前後バイトにかまけて迷宮に入っていなかったわけだが、そのたがが一回のレベリングによって、誠吾など同じパーティの連中が眼を見張るほどの成長をすることができた形である。

 やはり成長を望むのであれば、探索者は少しでも深い階層に赴かなくては駄目だな、と、相馬はごくごく常識的な認識をこの事実によって新ためて確認した。

 とにかく、心機一転した相馬は以前以上に張り切って迷宮で活動しはじめて、その意欲は他のパーティメンバーにも伝染し、そのパーティは以前よりも速いペースで迷宮を攻略していくようになる。

 もともと、葵や静乃ら一軍のパーティに比べると地味に印象はあるものの、それまでに堅実に攻略を行ってきたパーティであるだけに、相馬という盾役を得たことによって一気に潜在的な能力が開花してきた形であった。

 どちらかというと、防御力と比較すると攻撃力に偏重した育ち方をしてきたパーティであったが、相馬が敵の戦力をひきつけることによって、その攻撃能力を効率的に集中させることができるようになった。

〈エンチャン〉スキルと同様、タフで信頼ができる盾役がいるのといないのとではここまで違ってくるものか、と、彼らパーティメンバーは実感した。



 さて、松濤とふかけんのパーティ間を渡り歩き、更にその合間にはソロでの活動も行っている野間秀嗣であるが、ふかけんのメンバーよりも探索者としての経験が長く、従って深い階層で活動することが多い松濤の子たちに同行することによって、ふかけんの他のメンバーたちよりも効率的に経験値を稼いでいた。

 秀嗣が松濤のパーティに同行するのは週末や長期の連休がある時期のみに限られていたが、それでも実際の成果としては大違いであり、おそらくふかけんの同期の中では群を抜いた成長をしている。

 累積効果などの実感しやすい経験値以外にも、秀嗣は多くの種類のパーティを経験し、ソロでも迷宮に入ることによって、普通ならば経験できないような様々な局面を経験し、その場その場での対応法を実地に学んでいた。

 すでに突出したキャリアを持っていた葵や静乃、体術という迷宮の外で学んでいた技能を活用していた偉などといった面子と比較すると地味で目立たない存在ではあったが、客観的に見て秀嗣も探索者としてかなりユニークな成長の仕方をしている。

 前提として運動神経にあまり自身がなかった秀嗣は、比較的初期に〈鈍牛の兜〉というアイテムを得たことにより、本格的に防御力重視の育成を心がけるようになった。

 装備品も武器よりは防具を重視して買い換えるようになり、今ではほぼ全身に緩衝材でできたプロテクターを括りつけた格好になっていた。

 見方によってはかなり不格好なのだが、回避に自信がない秀嗣が前線に出続けるためにはこの程度の用心は必須であり、また、もともと体の大きな秀嗣がこうした目立つ格好をして前に出ることによって、なおさらエネミーたちの注意を引くという効果もあった。

 攻撃力に関しては同じパーティにいる他のメンバーをあてにして、秀嗣はエネミーたちの注意と攻撃を集めることに専念する、典型的な盾役として早くから自身を育ててきたことになる。

 実際には、こうした盾役を好んでやりたがる者は希少であったから、秀嗣が誘われることは多かった。

 盾役のなり手がないという傾向は別に女子だけで構成されている松濤のメンバーだけに限ったことではなく、全探索者的な傾向である。

 いくら〈ヒール〉のスキルで多少の負傷はすぐに癒えるとわかっていても、誰も好んで痛い思いをしたくはないのであった。

 秀嗣のようにみずからの意思で盾役を任じている者は少なく、たまにいる盾役もだいたいはパーティ内での役割分担で必要だから、いやいややっている者がほとんどであった。

 優秀で信頼できる盾役の存在は、秀嗣が漠然と予測していた以上に貴重だった。

 最近では噂を聞いたとかいう面識のない探索者が、わざわざ秀嗣を口説きに来たり、ネット上でパーティへ誘ってくれたりすることさえある。

 秀嗣としても様々なパーティに参加して見聞を広げてみたいところではあったが、たいていは秀嗣の体が開く時間に先方のパーティが集合できなかったりするので、実際にはそうした未知のパーティと行動をともにする機会は案外少なかった。

 学生として大学に通い、旧知のふかけんのメンバーとの都合を優先すると、秀嗣自身の空いている時間はほとんどないといってもいい。

 秀嗣は普段から過密気味のスケジュールで動いており、そこにさらに新しい予定を組み入れようとするのはかなりの無理があったわけだ。


 そんな秀嗣であったが、週に一度か二度の頻度で葵や静乃らのふかけん一軍パーティに同行して迷宮に入っていた。

 同行する頻度はせいぜいその程度であったが、定期的に同じパーティメンバーとして行動していたので連携するのに問題はない。

 慣れたもので、お互いにやるべきことを心得て円滑にうごくことができた。

 まだ一年に届かないとはいえ、もう半年以上も断続的に行動をともにしているパーティなのである。

「うおおおおおっ!」

 しかしこのとき、猛敏という新しいメンバーが加わったことによって、パーティの調子は少し狂っているように思えた。

 狂っている、といういい方に語弊がるのなら、以前より連携が雑になっているように見えた。

 偉や双葉アリスが合流してきたときには、こういうことはなかったんだけどな、と、秀嗣は思う。

 秀嗣はエネミーに対処しながら冷静にメンバーの様子を観察する。

 不調の原因は、すぐにわかった。

 葵だ。

 意外といえば意外、当然といえば当然に思えた。

 松濤の子たちとパーティを組む機会が多い秀嗣は、ある傾向に気づいていた。

 前に出て派手に活躍することを好む松濤の子たちは、どちらかというと自分がパーティの中心で活躍しないと気が済まない子の方が多い。

 派手にエネミーを撃破することによって、自分がパーティの中心であると誇示することによってはじめて活き活きしとしてくるタイプが、圧倒的に多かった。

 実際にはパーティメンバーのすべてがそれほどの活躍をできるわけでもないのだが、支援役の子も含めて、パーティ内の誰かを主役にすることによって、モチベーションを高めているような側面があるのだ。

 演劇的な目で探索者としての活動を捉えているというか。

 盾役の秀嗣のような人材が、歓迎される理由でもある。

 そこへいくと、華があり自然とパーティの中心になってしまう葵などは、典型的な主役タイプだな。

 とか、秀嗣は思う。

 このパーティに現在流れているかすかな不協和音は、秀嗣が見るところ、つまりは葵が拗ねているせいであった。

 葵以上に派手な活躍をして、パーティ内の注目を集めている猛敏の存在が、現在の不調の原因であるといえた。


 さて、これはどうするべきだろうか、と、秀嗣は考える。

 一番安易な、それだけに効果が高い解決方法は、葵と猛敏を別のパーティに引き離すことだった。

 しかしそれでは、葵自身がまだ気づいていない、主役体質という傾向を葵が自覚する機会を失うことになる。

 葵の探索者人生はまだまだ続くだろうし、人生、などちう大げさなことをいわないまでも、これから数年先はふかけんのメンバーとして後輩たちを指導していく立場になるのだ。

 そうした傾向を、葵自身が今のうちに自覚しておくことに越したことはない。

 秀嗣は、そんな風に考える。

 さり気なく、葵に自覚を促す方法はないものか。


「槇原どのは随分と動けるようになったようですな」

 何度か猛敏を含んだメンバーで戦闘を経験したあと、秀嗣はそう声をかけてみた。

「以前の時に比べると、見違えるようであります」

「そりゃ、そうだろう」

 猛敏は昂然と胸を張った。

「これまでずっと、ソロで鍛えてきたからな!」

「確かに動きや、特に斧の扱いなどには眼を見張るものがありますが」

 秀嗣はそう続ける。

「長いことソロでやってきただけあって、他のパーティメンバーとの連携は不得手なようですな」

「そ、そうか?」

 猛敏は、意外に素直に狼狽した様子を見せる。

「いわれてみれば、そうなのかも知れないな」

 もともと猛敏は、単純な性格をしているものの、他者の都合を考慮できないほどに傲慢というわけでもない。

 それに以前、誠吾や相馬から固定パーティの解散を一方的に通達された経験があったから、自分がある程度身勝手な行動をしちえるという自覚もあったのだろう。

「これから先、探索者として長くやっていくつもりであるのなら、このあたりで他のメンバーに合わせていく方法を学ぶ時期に来ているのかもしれませんな」

 秀嗣は、そう続ける。

「幸いこのパーティは、ふかけんの中でも一番安定したパーティであります。

 そうしたことを学ぶのには、かなりいい環境であるかと」

「それで、具体的にはどうすればいいんだ」

 猛敏は、意外なほど素直に秀嗣の誘導に乗ってきた。

「まずはあと一度か二度、戦闘に参加せず、他のメンバーの方法を観察してみましょう」

 秀嗣は、そんな提案をしてみる。

「前線から一歩引いたところで観察をすることによって、それまで見えなかったものが見えてくるかもしれませんゆえ」

「お、おう。

 わかった!」

 猛敏は、素直に秀嗣の提案をのんだ。

「そんなことでいいんなら、お安い御用だ。

 あ。

 他の面子が、おれが戦闘に参加しないことを承知してくれるのなら、だが」

「なにも問題はありません」

 それまで成り行きを見守ってきた葵が即答する。

「槙原くんを除外したとしても、このパーティの攻撃力はどちらかというと過剰なほどですから」

「そうだね」

 偉も、頷いてくれる。

「たまにはそういうのも、いいのかもしれない。

 槇原だけではなく、今度、全員順番に戦闘から外れて見学してみることにしようか」

「それまでの方法論を見直すのには、有効な方法になるかな」

 静乃も、例によって軽く口調で賛同してくれる。

「そういう機会を作っていかないと、集団としての成長もないわけだし。

 うん。

 いい機会だと思うよ」

 アリスはなにも意見をいうことはなかったが、葵や猛敏から見えない位置から、秀嗣にむかって親指を立ててくれた。


 それから二度のエネミーの戦闘を、猛敏はなにも手を出さずに距離をおいて見学した。

「なにか気づきましたか?」

 戦闘が終わったあとの、アイテムの回収をしながらの休憩時間に、秀嗣は猛敏に声をかける。

「確かにこのパーティの攻撃力は、むしろ過剰なくらいだな」

 猛敏はいった。

「藤代と白泉だけでも十分なほどなのに、さらに距離をおいた支援役として、早川や双葉までいる」

 猛敏はそこで一度言葉を切り、

「……これでは、おれがいる意味がそもそもないんじゃないか」

 とまで、いい出した。

「戦力は多いに越したことはないでしょう」

 秀嗣はそういった。

「このパーティ内で、槇原どのが一番貢献できるとしたら、どのような方法があると思われますか?」

「それ、考えてみたんだがな」

 猛敏は、ゆくっくりとした口調でいった。

「エネミーの注意を引きつけ、撹乱する役目は、藤代と白泉がいれば十分なんだ。

 そのどちらか一人だけでもいいくらいで。

 だから、その中におれが入っていくとすれば、その二人が蹴散らしたエネミーたちのうちで、まだ健在なやつらを始末していく役割になると思う。

 おそらくそれが、一番効率的だ」

 結果として、猛敏は自力でその結論にたどり着いた。


「槙原くんが指摘していたように、前線の撹乱役なら白泉くん一人でも十分に果たせるようですね」

 その次は、葵が自発的に見学役に回った。

「今の段階では、ですが。

 ただ、この先、深い階層に行くに従って人型エネミーの知能も高くなっていくはずですから、今のうちから撹乱役二名体制に慣れておくことも意味が無いわけではないと、そうも思いますが。

 それと、メンバーが固定されたことによって慣れが生じてしまい、結果としてパーティとしての柔軟性が損なわれていたのではないかという点は、理解が出来ました。

 順番に、戦闘に参加せず見学するだけではなく、たまには役割を入れ替えて、あえて不得手とする戦い方をしてみるのもいいいのかも知れません」

「ああ、それは面白そうだな」

 偉がすぐに反応した。

「ぼく、距離を置いた攻撃は〈投擲〉くらいしかできないけど、たまには遠距離支援役に回ってみたい」

「白泉くんの場合、その〈投擲〉くらい、が、普通に一級品だからね」

 アリスが、げんなりとした表情になる。

「今さらわたしに近接戦闘やらせるなんて、それなんて罰ゲーム?」

「小生も、こう、派手に暴れるような役割には、対応できかねますな」

 すかさず、秀嗣も若干おどけた口調でいった。

「そういう派手な役回りは、もっとふさわしい方が大勢いらっしゃるわけでして」


 結局その日は、パーティメンバーが順番に見学にまわるだけで迷宮から出ることになった。

 それでも、いつもよりは長い時間、迷宮に留まることになったのだが。

「感謝します」

 迷宮から出て戦利品の精算と収益の分配を終え、ロビーで解散する間際、葵が秀嗣に声をかけてくる。

「おかげで自分の至らなさを自覚することができました」

「なに、外にいる者の方がかえって気づきやすいこともあるというだけのことでありますよ」

 秀嗣は軽くそう応じておいた。


「誰かが指摘をしなけりゃならないことえはあったんだけどね」

 シャワールムに移動したあと、偉はそんなことをいい出した。

「ただ、藤代さんに直接いったら、かえって拗れる気がしてさ。

 彼女、意外に気位が高いから」

「そうなんでありますか?」

 秀嗣は、聞き返した。

「そうなんだよ、うん」

 偉は説明してくれる。

「特にぼくとか、それに早川さんとかにはなんとなく対抗意識みたいなものをもっているみたいで。

 その点、直接彼女にいうのではなく、槇原に指摘することで間接的に注意するように促したのは、いい方法だった」

「対抗意識」

 秀嗣は、呟く。

「あの、藤代さんが、でありますか?」

「うん。

 そう」

 偉は頷く。

「彼女、いろいろと恵まれた境遇だからかな。

 かえってコンプレックスが強いような面もあったり。

 実力を認めた人に対しては、素直に反発したりしてくるんだよね」

「そうなんでありますか」

 秀嗣はそういって、ゆっくりと首を左右に振った。

 秀嗣から見た藤代葵という人物は、なんというか、絵に描いたような完璧超人だった。

 そんな葵がそのような人間らしい感情を抱えていたとは、なかなか実感できない。

「案外、距離の問題なのかもね」

 偉は、そんないい方をする。

「見えているはずのものになかなか気づけなかったり、その逆に、普通なら気づかないようなことにすっと気づけたりするのは」



 ともあれ、その一件以来、そのパーティはいい方向に転がりだしたようだ。

 パーティメンバーの間で役割を交代したり、あるいはそれまで組む機会のなかった知り合いをパーティ内に招いたりして、多様な戦闘経験を積んで研究をするようになった。

 この研究には、パーティメンバーの不得手とする戦闘方法の再訓練も含まれていた。

 たとえばアリスがいくら近接戦闘を苦手にするといっても、実際に他のメンバーが倒れてしまえば自分自身で対処するしかないわけで、そうした非常時にもどうにかしのげる程度に、不得手な分野であっても練度を高めておく必要がある。

 つまりは、これからより深い階層にいく前に、パーティ全体の強度を本格的にあげはじめていた。

 年末の明雄と忍の一件が意識されていたせいでもあり、日常的な戦闘行動だけではなく、予想外の自体に遭遇した場合のことも想定した上で、その状況に生き残るための訓練と研究に着手しはじめた形であった。

 もっともこれは、このパーティだけに限ったことではなく、ふかけんの関係者感では程度の差こそあれ、全般に似たような対応は行われていたのだが。


 そんな中、秀嗣は例によって迷宮に入り浸っていた。

 年末年始の連休も終わり、松濤の子たちに呼ばれるのもほとんど週末だけになっている。

 他のパーティとうまく合流できないときは、自然とソロでの活動になった。

 秀嗣はふかけんの一年生の中では、偉と並んで迷宮潜行時間が長い。

 暇がありさえすれば、こうしてソロになることも厭わずに迷宮内に入ってくからだった。

 基本、慎重な性格の秀嗣は、ソロの場合はかなり浅い階層の入る傾向がある。

 浅い階層は、戦闘面では歯ごたえを感じないものの、それ以外の面では学ぶべきことが多い。

 秀嗣は、そういうふうに感じていた。

 特に年末以来、秀嗣は不意に特定のスキルが、あるいはすべてのスキルが使用不可能になった場合、どのように対応するべきかということを念頭においた上で迷宮に入るようになっていた。

 以前なら決して使うことがなかったような、探索者用の自動マッピングアプリも、改めて自分のスマホにインストールして使用しするようになっている。

 そもそも、〈フラグ〉のスキルがありさえすれば、詳細なマッピングをする必要すらないのだ。

 道に迷ったら、一度迷宮から出て十分に休養を取ってから、仕切りなおして再挑戦すればいいだけのことだった。

 しかし、年末の一件以来、そうしたスキルも常に問題なく使用できるわけではない、という意識が強くなっている。

 これは秀嗣だけのことではなく、探索者全員が強く意識しはじめたことだった。

 これまでにいた未帰還者のうちの、そのすべてが、とまではいわないが、それでも何割かが、おそらくは似たような目にあって迷宮の中で姿を消しているはずなのである。

 極端なことをいえば、スキルがロックされたり、あるいは探索者としての累積効果がすべて無効化された状態であっても、自力だけで帰還するだけの能力をやしないたいところであったが、現実的なことを考えると、この想定は実行不可能だった。

 生身の人間である以上、限界というものはあるわけで。

 なにしろ、たとえば〈フクロ〉のスキルが封じられただけでも、大半の探索者はその時点で詰んでしまうだろう。

 道具や水、食料の携帯が出来ない状態では、どんなに強力な探索者であろうとも、長い時間を迷宮内で過ごすことは不可能なはずだった。

 そこまで極端な事態には抗する術はないわけだが、それでも秀嗣としては、できるだけの備えはしておきたかった。


 そうしてエネミーとの戦闘面ではなく、迷宮内でのサバイバル訓練を重視してソロで迷宮に入っていたある日、秀嗣は何の気なしに次の階層に移動する階段を降り、そこでその階層が普段の迷宮とはまるで違った雰囲気であることに気づいた。


 あ。

 と、秀嗣は思う。

 この違和感は、以前にも経験したことがあったような気がした。

 あのときはいきなり視界が開けて潮の香りを感じたものだが、今回はその逆に、薄暗くて視界が遠くまで届かない。

 いずれにしろ、また特殊階層に出くわしたのは、どうやら確かなようだった。

 ……なんで、自分ばかりが。

 と、秀嗣は思う。

 基本的に秀嗣は楽天的な性格をしているのだが、このときばかりは理不尽さを感じた。

 一年も間を置かず、ソロのときばかりに特殊階層の発見者にならなくてもいいではないか。

 とか、そう思ってしまったのだ。

 秀嗣は、周囲を油断なく見渡す。

 本格的な探索をするためにはまたふかけんの仲間たちを頼る必要があるわけだが、いずれにせよ、第一発見者としてはこの階層がどういう性質のものであるのか把握しておく必要がある。

 かといって、あまり無理な真似をして未帰還者の列に加わるつもりもなかったので、あくまで危険がない範囲内で周囲の状況を観察してから去るつもりだった。


「そこにいるのは、生者であるか!」

 周囲を見渡していると、いきなり声をかけられた。

 それも、かなりの大声だ。

 思わず、秀嗣は、

「うひゃぁつ!」

 とか、悲鳴をあげてしまう。

「むむ。

 その反応。

 間違いなく生者であろう」

 その声が、段々と近づいてきた。

「して外界は、今ではどれほどのときが過ぎ去っているのか?

 そこの生者よ。

 貴様は、何年から来た?」

 ずいぶんと芝居がかったものいいだだな、と、秀嗣は思った。

 それに、いっていることも、いろいろとおかしい。

 まるで自分が生きていないかのようないい草であった。

「来た、といういい方の意味がわかりませんが」

 秀嗣はいった。

「今は、二千十六年、平成二十六年になります」

「今、二千十六年といったか?」

 声は、いまではすぐ間近にまで迫っていた。

「それは、西暦か?

 へいせいというのは、新たな年号なのか?」

 その割には、濃い霧が周囲を覆っているため、声の主の姿が見えないのだが。

「新たな、というか、昭和の次の年号になります」

 秀嗣は答える。

 相手が何者かは知らないが、日本語が通じるのならば会話をするしかない。

「昭和の次の年号、か」

 声の主が、ようやく霧の中から姿を現した。

「そうか。

 陛下がお隠れになってから、それほどの月日が経っているのか」

 声の主は、映画やドラマの中でしか見たことないよな、旧日本軍兵の軍服を着用している、小柄な痩せた男だった。

 ただ、目だけが異様にギラついているように見える。

「外の変化には興味はあるが、今は役割をまっとうすることにしよう。

 おれは、この迷宮に呑まれた死人の一人、仲間も大勢いる」

「死人、て」

 秀嗣は頬を引きつらせた。

「ご冗談を。

 しっかり、こうして動いて喋っているじゃないですか」

「これは、迷宮内に棲息するある化性の仕業でな」

 そういって、軍服の男は両手を軽く広げた。

「やつは、死人を操る能力を持っている。

 われらは、そいつの意思に逆らうことができない駒も同然の存在だ。

 そいつの意思から逸脱しない範囲内であれば、こうしてある程度は自由に動けるわけだがな」

「はあ」

 どう受け止めていいものか、判断がつかない秀嗣は生返事をした。

「なんだ。

 大兵の割には、肝が座っていないやつだな」

 死人であると自称する軍服の男は、秀嗣の態度を見てそんな風にいった。

「とにかく、まずはそいつの意思に応じて役割を果たすことにしよう。

 おれたち死者を操っている化性は生きた人間と死者とを争わせることを望んでいる。

 生きた人間であれば誰でもいいというわけではなく、できるだけ迷宮の影響を強く受け、それだけ強化された人間であることが望ましい。

 人数に制限はないが、そちらの人数にあわせてこちらの同じ人数を出すことなるから、そのつもりで用意をしろ」

「ええっと、それは」

 戸惑いながらも、秀嗣は確認した。

「つまりは、同じ人数で、果たし合いをするわけですか?」

「そうなるな」

 軍服の自称死者は頷いた。

「無論、断るつもりならば、この階層から去ってそのまま無視を決め込めばそれでいい。

 おれ個人の操られてはいない部分としてしては、ぜひそうするように勧めたいところだな。

 だが、おれたちを操っている化性は、おれたち死者を倒せばその成績に応じて相応の褒美を用意しているとのことだ」

「その、死者をあやつるなにかとは、信頼に値する存在なのですか?」

「いや。

 それは全然、駄目だろう」

 軍服の自称死者は、そういってかぶりを振った。

「自分でいい出した規則は順守するようだが、それ以外の点ではまるで信用ならん。

 人数は揃えるとはいっているが、地形その他の条件はすべてそいつの意向次第だ。

 もしもこの挑戦に応じるつもりならば、かなり不利な戦いを強いられる。

 そのように、覚悟しておくがいい」


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