18. 〈エンチャンター〉のお仕事
一陣忍と大野相馬と両角誠吾、それに秋田明雄の四人は十月も半ばを過ぎたこの頃になっても相変わらずパーティを組んでいた。
以前と違うところはといえば。
「うまく避けてね!」
忍がそう叫ぶと、相馬と誠吾は慌てて飛びのき、そのまま地面に伏せる。
そのすぐあとに、直径五十センチほどの白熱色の光線がさっと横薙ぎに走った。
その光線に接触したエネミーたちが光線の接触した個所から炭化して絶命し、ばたばたと倒れていく。
これが、忍が預かった〈灼熱のロッド〉というドロップ・アイテムを一定時間以上、装備することによって習得できるスキル〈ヒート・キャノン〉の実際の効果であった。
威力ありすぎだ。
と、相馬は思う。
反則級じゃないか。
と、誠吾も思う。
とにかく、忍があのスキルを使おうとするときは、すぐに地面に伏せておくことに越したことはない。
〈ヒート・キャノン〉は今の忍では一度使用すると五分以上再使用できないそうだが、そのかわり、一発当たりの持続時間は意外に長い。
正確に測ったことはないのだが、優に一分以上は平気で持続している。
その持続時間の間、スキルの使用者である忍は自由に光線を移動させることが可能であった。
その攻撃力と相まって、大勢のエネミーを一掃するのに最適なスキルであるといえる。
これがゲームだったら立派なバランス・ブレイカーになっていたことだろう。
「ほらほら。
いつまでもそんなこところに寝っ転がって」
地面に伏せたまま動こうとしない二人に、忍がそう声をかける。
「あんたたち、またあっきーばかり働かせる気?」
地面に伏せたままのこの二人とは違い、光線が接触する直前にひょいと真上に跳躍することで避けた明雄は、そのまま何事もなかったようにまだ倒されてはいないエネミーにむかって駆け出していた。
〈察知〉スキルを持つ明雄にとって、〈ヒート・キャノン〉が来るタイミングを予測して避けることはかなり容易であるらしかった。
あれはあれで狡いよなあ、と、相馬と誠吾はそんなことを思っている。
明雄と忍に牽引される形でこのところ、以前とは比較にならないペースで累積効果を得ていた二人であったが、あれから新たなスキルを生やしたり画期的なドロップ・アイテムを入手したりとしたイベントは起こっていない。
地味に自力はあがっていて、以前なら出入りできなかったような二百階層より深い場所まで平然と足を踏み入れられるようになっていたが、忍や明雄との差は開くばかりのように感じられていた。
「このままでは差がつくばかりだよなあ」
探索が終わったあと、シャワールームで相馬がそんなことをいい出した。
「おれもまったく同じことを考えていた」
誠吾も相馬の言葉に頷く。
明雄と忍は一旦迷宮から引き揚げてその日の成果を分配したあと、まだ潜り足りないといってそれぞれソロで迷宮に入っていった。
つまりは、この時点でもう迷宮に入りたくないと思いはじめている相馬と誠吾とは違い、メンタルとフィジカルの両面において二人ともまだまだ余裕があるということだった。
「そこでおれは、しばらくバイトをすることにした」
相馬は、唐突にそんなことをいい出す。
「なぜそこでバイトのはなしになる」
誠吾はすかさずツッコミをいれた。
「第一、金ならもう十分に稼いでいるだろう」
この二人がふかけんの活動に参加しだしてからまだようやく半年たつか経たないかという時期であったが、それでもすでにそれぞれの儲け分は平均的な大学卒のサラリーマンが初年度に貰える年収を軽く超えている。
大学での学業も並行して行っていること、それに、もっと深い階層に挑んでいる連中がもっと稼いでいることを考えると、常識的に考えてみて、同年配の人間と比較しても経済的な余裕はあるはずだった。
「金だったら、他の連中はおれたちよりももっと稼いでいる」
相馬はそう指摘した。
「一年の中では、おれたちは出遅れている方だろ」
「まあなあ」
誠吾も、その点は認めるしかない。
「なんといっても、おれたちには売りとなる特徴がない」
相馬はいった。
「その点についても、異議はない」
誠吾は素直に頷いた。
「だが、地味なスキルでも使いようでは大きな武器になるという先輩方はいるぞ。
長老とか新鶏先輩とか」
「新鶏先輩はともかく、長老はまた別格だろう」
相馬は軽く眉をひそめてみせる。
「あの人は、ほれ。
あれでも、かなり凄いらしいから」
「そうなんだってな」
誠吾も頷く。
「正直、あまりピンとこないけど」
「だってあの人、単純に考えても、もう八年も迷宮に入っているわけだろ?」
相馬はいった。
「藤代のお嬢さんが中学高校と六年、早川ちゃんでさえ四年であそこまで育っているんだよ?
それが八年もまともに探索者をやっていたら、どこまでの化け物になるものか」
「今のおれたちには想像もできないな」
誠吾は呟いた。
「地味だろうが基本スキルしか生えてなかろうが、地道に経験を積んでいくのも手か」
「じゃあ、その地味なのはお前に任せる!」
相馬はそういいきった。
「おれは、もっと一点突破を狙うわ」
「それで、バイトになるのか」
誠吾は複雑な表情になった。
「本当に、探索者にとって一点突破になるようなバイトなんかあるのか?」
「あるさ」
相馬はにやりと笑った。
「ふかけんのOGで、〈エンチャンター〉のスキルを育てて、それで生計を立てている人がいるらしい。
おれはしばらくその人に弟子入りして、〈エンチャント〉のスキルを極めようと思う」
「OG?」
誠吾は眉根を寄せた。
「ウサギ狩のクエスト発注した人のことか?」
「そう、それ」
相馬は声を大きくした。
「あの人の工房、今、バイト募集していてな。
ちょうどいい機会だから先輩バイトをして、ついでに〈エンチャン〉スキルの有効活用法を教授してもらおうかと思っている!」
「お、おう」
急にテンションが高くなった相馬の様子に引き気味になりながらも、誠吾はなんとか頷いてみせた。
「まあ、頑張れや。
……ってことは、迷宮探索はしばらく休む形になるのか?」
「そうなるな」
相馬は頷く。
「時間があけばソロで入ることもあるかもしれないが、少なくともバイトをしている間はパーティ・プレイは無理だと思う」
「そうか」
誠吾はいった。
「しばらく、寂しくなるな」
「寂しいというよりも、あれだな」
相馬もいった。
「一陣と秋田の野郎、なんか仲良すぎじゃね?
二人だけ愛称呼び捨てだし」
「その中に一人取り残されるおれのことも考えろよ」
誠吾はうろんな目つきで相馬の顔を見た。
「それでもう、そのバイトは決まったのか?」
「いや、これから応募する」
相馬はあっさりとした口調で答えた。
「ああ。
現役の城南生か」
数日後、蒲田にある工房で相馬が面接を受けたとき、相馬から受け取った履歴書に目を落とすなり岩浪美桜はそう呟いた。
「そんで探索者ってことは、ひょっとしてふかけんにも入っている?」
「ええ、まあ」
相馬は頷く。
「あれ、夏の特殊階層攻略の際にも、一方的にお見かけはしてるんですけれどもね」
「うん。
あのときね」
相馬の言葉を、美桜はあっさりと受け流す。
「あのときに参加していたのは、現役のふかけんメンバーだけでも三桁になるし。
そこにわたしみたいなOGやOBも含めるともうわけわかめ。
君がいたとしても、おぼえてはいないなあ」
「ですよねー」
美桜の返答に、相馬は頷く。
なにしろ、なにしろあのときは人数が人数である。
直に対面して自己紹介をしあったりしていなかったら、記憶にないのが当然であった。
相馬にしてみても、日本刀を振り回して白泉を追いかけていた先輩とか投網とかをつかってやりたい放題にしていたハイテンションな先輩のことしか、つまりは濃い面子しかよくおぼえていない。
美桜のことをおぼえていたのは、あのとき美桜が長老の徳間先輩とよくはなしていたのを見かけ、そのときの会話の内容から相馬と同じ〈エンチャント〉スキルの使い手であるということで強く印象に残っていたためである。
「それで、採用してもらますか?」
相馬は美桜に確認をする。
「うん。
いいよー」
相馬が確認すると、美桜はあっさりと頷いた。
「ふかけんの後輩くんだし、それにどうせ手伝ってもらうなら探索者の方がよかったし。
ほら、お客さんからお預かりする装備品っていうのは、あれ、結構重いから。
累積効果がない人だと事実上無理なんだよねえ。
大野くんは車の運転できる人?」
「できます」
相馬は即答する。
「うちの田舎の方では、だいたい高校を卒業するのと同時に免許取ることになっているんで」
「そうかそうか」
美桜は深く何度も頷いた。
「そりゃまた、都合がいい。
そうなると、大野くんにもうちの車に乗って巡回してもらうのもいいかなあ」
「巡回、ですか?」
「そ。
迷宮のあちこちに、さ」
美桜はまた何度も頷いた。
「出店っていうかデリバリっていうか。
〈エンチャント〉スキルって、スキル自体はそんなにレアでもないんだけど、それを使いこなしてついでにそれで商売している人って今はわたししかいなくってさ。
需要はあるんだけど完全に手が足りてない状態だったんだよね」
「〈エンチャント〉のスキル、おれも持っていますけど」
相馬は片手をあげてそう申告した。
「おお。
〈エンチャント〉のスキルまで!」
美桜は大げさに思えるほどの反応を示してくれた。
「それはますます、都合がいいなあ。
ええっと、探索者になったのはこの春からだっけ?」
「ええ」
「じゃあ、スキルを得てからも日が浅いから、使いこなすところまでいってないでしょう?」
「はい」
「うん。
それじゃあ、必要なことはちゃんと教えるから、時間があるときには小物とかに〈エンチャント〉をかける仕事もしてもらえるかな?
そちらは製造数に応じて歩合給ということで時間給とは別にお給料を用意するから」
「はい、はい」
相馬は身を乗り出した。
「そのかわり、〈エンチャント〉スキルの使いこなし方とかをしっかりと教えてください!」
「うん。
いいよー」
美桜はあっさりと頷いた。
「といっても、実際に教えてあげられるのは時間があるときだけになると思うけど」
そんなわけで、相馬のバイト生活がはじまった。
とはいえ、大学をさぼってまでするほどの熱意は相馬も持ち合わせてはいなかったから、平日は講義が終わった夕方からの勤務になる。
たいていは蒲田にある美桜の工房まで電車と徒歩で移動し、そこの駐車場に置いてあるワゴン車に乗って迷宮近くの駐車場へと移動する。
あるいは、すでにどこかの駐車場に移動している美桜の場所まで移動をする。
美桜が「巡回」といういい方をしたことからもわかるように、だいたい都内近郊にある三十三か所の迷宮を順番に回っていくような形になる。
巡回する日程はほぼ固定されていて、そうした迷宮付近の駐車場で〈エンチャント〉スキルを使用する装備を受け取り、次に同じ迷宮に巡回で回る日に返すという形になる。
もちろん、短時間のうちに〈エンチャント〉が住むような場合には、美桜がその場ですぐに施す場合もあった。
その他に、ラビットフットなどの美桜が開発した小物類なども車内に常備して移動販売を行っていた。
つまりワゴン車で移動販売と〈エンチャント〉を必要とする装備品の受け渡しを行うわけだが、相馬が勤務に入るとその時間の分だけ美桜は〈エンチャント〉に専念することができる。
装備品を数日預かる必要があることからもわかるように、ある程度複雑な効果を持つ〈エンチャント〉を施すためには数時間から場合によっては数十時間も必要とする場合すらあり、現状、そうした高度のな〈エンチャント〉を有償で引き受けているのは美桜ひとりであったので、美桜は多忙であり、なおかつ長い期間、順番待ちがかなりできているような状態であった。
相馬の最初のうち、小物などの販売と装備品受け渡しの業務、つまりは接客の仕事をして、その間、美桜は車内で時間がかかり神経を使う〈エンチャント〉を施す仕事を行う。
美桜にしてみれば相馬がいる間はお客さんの相手をする必要がなく、〈エンチャント〉の業務にだけに集中できることになる。
「まずは、装備すると持ち主の運気があがる〈エンチャント〉の仕方から」
相馬が仕事に慣れてきて余裕が出てくると、約束通り、今度は業務の合間を見て〈エンチャント〉スキルについての様々なコツや方法などをかなり詳しくレクチャーしてくれるようになった。
これにより、相馬でもラビットフットなどの簡単な小物類なら自分で製造できるようになり、客待ちの時間も退屈する暇はなくなった。
別に〈エンチャント〉に限ったはなしではないのだが、スキルというものは使えば使うほど練度というものがあがり、より柔軟な使用法が可能となる。
相馬もこれまで自分なりに迷宮内で〈エンチャント〉のスキルを使ってきているわけであるが、それらはだいたい使用する武器になんらかの効果を付与する即効的なものであり、美桜がやっているような精緻にして複雑な付与はしたことがなかった。
たとえそういう付与の存在を知っていたとしても、あまりにも複雑な付与については相馬が単独で再現しようとしてもほぼ不可能だったのではないか。
美桜が数時間以上の長時間に渡ってようやく完成させるような施術について、相馬はそんなことを思う。
今の時点では、相馬は「持ち主の幸運値を若干あげる」とか、施術に必要となる時間が長い割には効果が実感しにくい〈エンチャント〉の初歩を美桜から習いはじめたところだった。
こうしたその場で効果がわからない種類のエンチャンは、実力的に使用可能な状態になってからなにかとせわしない迷宮内ではなかなか試す機会がない。
相馬は店番をしながらウサギの毛皮を手に取って一心に施術した。
こうして、今の相馬の実力なら二十分前後も念を込めればどうにか継続的な効果を持つラビットフットのお守りになるはずだ。
エンチャンターとして相馬以上の実力を持つ美桜なら、この同じ作業もわずか三分以内に完了してしまう。
エンチャンターとして駆け出しの相馬と美桜とでは、実力的にはそれくらいの格差があった。
こうして相馬が作った分には時給とは別計算で製造数に応じて報酬をくれることになっているのだが、その双方をひっくるめて計算しても実際に迷宮に入って稼ぐことができる金額の十分の一にも満たない。
今の時点では金銭的な利益よりも美桜から〈エンチャント〉関連の知見を学ぶことを優先しているため、相馬としてはそれでもよいと思っていた。
事実、現在、美桜が担当しているような複雑な施術は今の相馬には逆立ちしてもできないような高等な技術であり、学ぶべき点が多い。
そうしたレクチャーは業務の合間、あるいは迷宮から相馬が帰還して荷物の仕分けなども終わって一息ついた時間に限られて行われている。
相馬が工房から直接車を出すときには美桜は同行せず、工房に残ってエンチャントの施術をおこなっていることが多かった。
そうした施術には精神を集中させる必要があり、移動や店番をしながら細切れにおこなうことも決してできないわけではなかったが、それよりはやはりまとまった時間を取って集中して行った方が効率がいい。
相馬が毎日のように勤務に出るようになると、美桜が工房に困る日数が多くなる。
その方が仕事がはかどり、つまりは効率的に業務を進めることができるからだったら、循環先の迷宮では美桜の顔をみるために用もなく車に立ち寄っていく常連客も意外に多く、相馬はそうした先輩探索者たちとも自然に面識を得、ときには話し込むようになった。
そうした先輩方が口から出る内容は相馬にとっても参考になることが多く、先輩方にしてみても探索者としてはまだ駆け出しといっていい相馬が素直に感心してくれる様子が初々しく見えるらしく、割と喜んで長々と迷宮のあれこれを教えてくれる。
「美桜ちゃんはあれか?
まだ決まった男はできていないのか?」
「どうなんですかね?」
訊かれて、相馬は首を捻る。
相馬は美桜のプライベートなことはまるで知らなかったので、素直にわからないと答えるしかない。
「美桜ちゃんももういい歳だろ。
いい加減、いい相手をみつけないと間に合わなくなるぞ」
そういうことをいうのは大抵、いい年齢をしたおっさんやおばさんの探索者が多かった。
文脈によってはセクハラに受け止められかねない内容だったが、彼ら彼女らはどうやら本気で美桜のことを心配しているらしい。
「結婚には別に適齢期なんかないけど、出産や育児は早ければはやいほどいから」
というのが彼らの言い分だった。
これまでもそれとなく縁談とか紹介を美桜に持ちかけようとする者はいたそうだが、美桜自身がそれをすげなく断っているという。
美桜は、外見的にはかなり若く見えた。
相馬自身よりもほんの少し年上、せいぜい二十代半ばくらいにしか見えない。
小柄でスレンダーな体形で、外見からはあまり女性を感じさせない。
いや、相馬は、美桜の実際の年齢については確認する機会がなかったのだが、実年齢もそんなに外見からはかけ離れていないだろう。
こうした商売を三年前後になると、これまでの客たちのとやり取りから相馬は確認していたので、大学卒業後に本格的にこの商売をはじめたと考えると年齢的にもしっくりとくる。
とにかく、容姿にも性格にも問題があるわけではなく、強いていえば仕事の方が忙しすぎて誰かとうき合うような時間がなさそうだという点のみが難点であった。
いや、それに加えて、本人があまりそうした出会いに前向きではないということもあるか、と、相馬は心の中でつけ加える。
いずれにせよ、他人の、それもバイト先の雇い主の交際関係に首を突っ込むほど相馬もアレではなかったので、その手の話題については適当に相槌をうちながら受け流すことにした。
美桜が担当している施術は、だいたいは迷宮内にポップしたドロップ・アイテムを少しでも人間に使いやすいような形にするものがほとんどであった。
そうしたドロップ・アイテムのほとんどは強力な効果などを持つ代わりに大きさや重さなどが人間にとっては扱いにくい代物であることが多い。
なんらかの加工を施して、たとえば握りの部分を削ったりなどしてどうにか人間の手でも扱えるようにして使用し続ける例もあるのだが、そうしたアイテム類に付与されている効果を損なわないために元の形状を損なわずにどうにか使用しようとする者も多かった。
そういう者が、美桜の客になるわけだ。
もちろん、そうした強力なアイテムを入手できるわけだから相馬自身などよりはよほど強く強力な探索者たちであり、美桜はそうしたベテラン勢からいざというときに頼ることができる商用エンチャンターとして一目置かれている。
実際に美桜がやっているのは、そうしたアイテム類の元の機能を損なわず、つまりすでに施されている効果と干渉しないような形を選んで〈エンチャント〉と行い、見かけの軽量化やある種の慣性制御などの複雑な術式を付与することにある。
どのような効果が付与しているのかはアイテムごとに違っていたから、注文を受けるたびに細かく読み取ってはそれと干渉しないような術式を考えねばならず、相当の知識と経験を持つエンチャンターでないと実行は不可能な、高度な技術を必要とする仕事であった。
現在はその手の仕事を請け負っている業者がほとんど美桜一人になっているため、数日から場合によっては数か月単位で順番待ちになってしまう場合もあるのにも関わらず、これまで客足が途絶えたことはないという。
そうしたスキルを高度なレベルで使いこなしていることからも分かるように、美桜自身もそれなりの経験を積んだ探索者である。
ならば、自分で迷宮に入ったほうがよほど楽に稼げるのではないか、と、相馬はそんなことを思い、いつだったか実際にその質問を美桜にぶつけてみたことがある。
「そうだねー」
美桜はなんとも曖昧な微笑みを浮かべて相馬の問いに答えた。
「お金のことだけ考えると、そうするのも手だとは思うんだけどー。
でも、わたしがエンチャンターとしてお仕事をすることで、大勢の探索者が助かっているわけだしねー。
難しいところだねー」
実際には、助かっているというレベルを遥かに超えて美桜の存在は数多くの探索者に感謝の念とそれを超えた崇拝の念すら抱かせている。
実際に施術の終わったアイテムを受け渡す業務をするようになってから、相馬はそのことに気づいた。
美桜にその手の仕事を依頼する探索者の側にしてみれば、自分の命を託すようなアイテムを託すわけである。
相応の信頼がなければ依頼されることすらないし、そうした信頼はこれまでの実績が元になって築かれているわけで。
そう考えると、普段の軽そうな言動とは裏腹に、この美桜という人物はかなりの大物なのではないかと相馬は次第にそんなことを考えるようになった。
美桜も多忙であったが、相馬も徐々に多忙になってきた。
というのは、それまで相馬は巡回した迷宮の駐車場での接客や施術したアイテムの受け渡し、それに簡単なエンチャント施術によるアイテムの製造程度しか仕事をしていなかったのだが、美桜のあまりの多忙ぶりを見かねて徐々に自分から提案をして仕事を増やしていったからだった。
まず相馬は、それまで美桜が本腰を入れて整理していなかった工房の収支状況について、美桜に許可を取って調べることにする。
それまで美桜は、市販の会計ソフトに適当に数字を入力したもので収支状況を把握し、その帳簿を使って納税金額も決定していた。
実際に調べてみると、普段の業務の合間にやっているものだからか、かなり適当というか杜撰であった。
いろいろよ抜けが多く、必要経費であるのにも関わらず領収書をもらい忘れたりただ単に帳簿に記入するのを忘れていたりで、結果として納税額が大きく変わって来てかなりの金額を損していることがわかった。
借金もないし、もともと探索者という金回りのいい連中が顧客で収入自体は多い業種であったので赤字にこそなってはいなかったが、しなくてもいい損をあちこちでしていることがわかった。
半面、本当に必要な経費は、相馬が漠然と予想していたよりもずっと多額であった。
この工房や駐車場の賃料に車両の維持費や燃料費はいうにおよばず、巡回先の迷宮に付属する駐車場の料金は意外に高い。
相馬は都内で運転することがなかったのでこれまで気づかなかったが、迷宮の効果範囲内にある駐車場はほとんど例外なく探索者を対象とした迷宮料金であり、その付近の駐車場の相場と比較しても数倍から場合によっては十倍以上も高い。
探索者は迷宮で取れた物品を売って利益を得ているわけであり、迷宮影響圏内の駐車場がそれなりに込み合うのも、よくよく考えてみれば必然的なことであった。
その高額な駐車料金を前提として、日程を決めて各迷宮を巡回して移動店舗を開いているわけで、そりゃ、普通に店を構えるよりは維持費も高くなるよなあ、と、相馬は変な納得の仕方をする。
むしろ、これだけ経費が多いのにもかかわらず、今まで赤字になっていなかったことの方が不思議に思えたが、こちらも美桜が長時間拘束されるような複雑な施術を行う場合はかなり高額な料金をふっかけているわけっであり、多少どんぶり勘定だったり経費がかさんだりしても、滅多なことでは赤字にならないか、と、相馬はそんなことを思う。
そうして相馬が収支商況を詳細にチュックしていくと、相馬がバイトに入った前後から、収支状況は明らかに改善されていた。
それまで美桜自身がやっていた雑用を相馬が引き受けたせいでエンチャント施術の効率があがり、顧客への引き渡し件数が増えた結果であった。
そうして相馬が美桜の工房に働きに出るようになってから、あっという間に一月以上が経過した。
相馬自身も最初のバイト代を貰う。
それは、探索者としての稼ぎには到底及ばないものの、最初の時給で単純計算した金額よりははるかに多額であった。
運転などの手当てがついたほか、製造方面の賃金も別途についていたし、それ以外に最初は指示されていなかった仕事も含めて自主的にあれこれと手を出していた結果、最終的にはかなりの金額になっていた。
その上、美桜には〈エンチャント〉スキルについての細かいコツなどを教授してもらっているので、相馬にとっては長い目で見るとかなりお得なバイトであるのかも知れない。
たとえば、〈エンチャント〉スキルが武器やアイテムのような物質にだけにではなく、人間の体に直接施術できることはよく知られているのだが、実際にこれを実行できる〈エンチャンター〉はかなり限られている。
それは〈エンチャント〉スキルを使いこなすことが、他のスキルよりは後天的に学ぶべき部分が多く、ただ漠然と自分だけで育てるだけでは到達できない細かい方法論とか無数にあるおかげであり、特に直接人体にかける施術の場合はちょいとした力加減の差でエンチャントをおこなった人体を傷つけないので慎重に学ぶ必要があった。
そうした人体に直接〈エンチャント〉スキルを施術する方法を相馬は美桜から何種類か伝授され、得に迷宮に入ることなくその施術の効果が持続している間は実質数割増しの実力を発揮できることになった。
そうした人体に直接施術する方法一通りを相馬が学び終えたとき、美桜は珍しくいっしょに迷宮に入らないかと誘って来る。
「それはいいですけど」
戸惑いつつも、相馬は即答する。
バイトを開始してからこの方、相馬は迷宮にはぱったりと入らなっくなっていた。
単純にそんな暇がなかったのである。
「なんで、いきなり」
相馬が戸惑っているのは、これまで、相馬が知る限り、美桜が迷宮に入ろうとするそぶりがなかったためでもある。
ここ最近の美桜の多忙ぶりを知る相馬としては、そのこと自体は別に不審には思わない。
しかし、いきなり迷宮に入ろうといいだしとこには不自然さしか感じなかった。
「近く、新しい商品を開発しようと思って」
美桜はそう説明してくれる。
「そのための素材採取のために、迷宮に入りたいわけだけど」
「また、ラビットフットみたいな小物ですか?」
相馬は訊ねた。
「ううん。
それよりは、ちょっと高級なものになるかな」
美桜は、開発をする商品が具体的にどんなものになるのかは説明しなかった。
「相馬くんさえよかったら」
その後、具体的な日時を打ち合わせしてその日は解散ということになった。
その当日、相馬は久しぶりに白金台迷宮のロビーに来ていた。
時間帯のせいか、ふかけんの顔見知りとは会っていない。
待ち合わせの時間にまでまだ余裕があるせいか、美桜の姿もまだ見えなった。
「む」
所在なげに佇んでいると、探索者用の装備に身を包んだ若い男に声をかけられる。
「お前、ふかけんの一年だったよな?
夏のラッコ討伐のときに新鶏のやつとつるんでいたいたやつだ」
「別につるんでいたつもりもないですが」
相馬は反射的にそう答えていた。
「そういうあなたは、刀を振り回して白泉を追い回していた危ない人ですね?」
「そういういい方をするな」
榊十佐は特に気を悪くした風もなく、苦笑いを浮かべていてる。
「おれも一応、ふかけんのメンバーに入っているはずだ」
「新鶏先輩から聞いています」
相馬は答えた。
「榊先輩であってますよね?
なんでも、留年の危機にあるとか」
「新鶏のやつ、そんなことまで説明しているのか」
十佐は、苦り切った表情になった。
「日本刀というのはだなあ、維持するのに多大な資金を必要とするんだよ!」
つまりは、その資金とやらを確保するのに忙しく、大学の方が疎かになっているらしい。
「はぁ。
まだそんなことをいっているのかこの刀フェチは!」
背後から近付いてきた男が、いきなり大きな声でいった。
「そんなことだからお前はいつまでたってもうだつが上がらないのだ!
武器など所詮道具と割り切ってとっとと使い潰してみろ!
それくらいの甲斐性がなくてなんための探索者かっ!」
出た、と、相馬はかなり引き気味になった。
夏のラッコ討伐の際にも悪目立ちをしていたふかけんの先輩、確か三回生の柊周作とかいう名前だったか。
「お言葉ですが、多少不自由をしても使い続けるのがこだわりというものですよ」
「そんな拘りなぞ犬にでも食わせちまえ。
迷宮探索なんて所詮は金儲けの手段に過ぎん。
まず効率を第一に優先するのが最善手というものだろう」
「少なくともおれは、その効率とやらをあまり重視していませんけどね。
効率よりも重視すべきはまず美学です! 拘りです!」
どうやらこの二人の先輩は旧知の中であるらしく、すでに相馬をよそに二人だけで漫才じみたやりとりを開始している。
なんで、今日に限ってこんな濃い人たちばかり遭遇するかな、と、相馬は思った。
同じふかけんに所属しているとはいっても、この二人は相馬たち新入生とはあまり接点がない先輩たちであった。
実際に顔を会わせるのも、これが二回目になる。
こんな偶然は願い下げだなあ、と、相馬はげんなりとしながらそんなことを思った。
この二人がどのような人物なのか知っているほど深い付き合いはないのだが、今、こうしてちょいとしたやり取りをしただけでも、つき合うとひどく疲れる人種であるということははっきりとわかっている。
二人のやりとりを適当に聞き流しながら、岩浪先輩、はやく来ないかな、と、相馬はぼんやりとそんなことを思っていた。
「おう、すまんすまん。
待たせたか」
しばらくそうしていると、また声をかけられた。
今度も顔見知りの、ふかけんの先輩だった。
「長老」
相馬はいった。
「なんでこんなところに?」
「長老いうな」
徳間隆康はお決まりのセリフを吐いた。
「なんでって、そりゃ、美桜のやつに呼ばれたからだろ」
「美桜」
相馬は呟く。
「岩浪先輩に、ですか?」
「そうそう。
その、岩浪美桜だ」
隆康は相馬の言葉に頷く。
「お前らも、美桜のやつに呼ばれたんだろう?」
お前らも。
って、いうことは。
相馬は背後を振り返る。
「然り。
その通り」
「でなけりゃ、こんな時間にこんなところにいないよ」
十佐と周作が、それぞれに答えていた。
そりゃ、そうか。
と、相馬は思う。
美桜ほどのキャリアを持つ探索者が、自分のような駆け出しをわざわざ同行するメリットなどないに等しい。
この場に相馬が呼ばれたのは、あくまでついで。
ついでといういい方がわるければ、同行させることによって相馬に経験値を稼がせるためだろう。
戦力というよりは、おまけとして呼ばれたわけだった。
「あ、もうみんな揃っている」
そんなやり取りをしていたところに、当の美桜がやってきた。
「遅れてごめんねえ。
ひさびさに電車乗ったら、乗り継ぎ間違えちゃって」
「いや、約束の時間までまだ少しある」
みなを代表して、隆康が美桜に応じた。
「それよりも、準備を終えたらさっさと中に入ろう」
「そうだね」
美桜はそういった次の瞬間には、着ていた服が探索者用の保護服に変わっている。
〈フクロ〉のスキルの応用であった。
「それじゃあ、中に入ろうか」
かなり気軽な口調で美桜はいった。
本当にこの面子で大丈夫なんだろうか、と、相馬は思う。
単純に実力のみをとりだしてみれば、相馬自身よりもよほど頼りになる人たちなのだろう。
しかし、それ以外の性格などの部分が、相馬としては不安であった。
「そういえば、今日はどの階層に行くんですか?」
歩きながら、相馬が美桜に訊ねる。
「はなしてなかったけ?」
美桜は首を傾げた。
「七百二十階層よりも深い階層ならどこでもいいんだけど」
「ということは、ワイバーン狙いか」
周作がことなげな口調でいった。
「そこの新人君は別にして、この面子ならば確実に安全圏だな」
「七百二十階層よりも、深い」
当の相馬は、くらりと目眩に襲われた気がした。
「そんな深い階層、おれはいったことはありませんよ」
相馬がこれまでに足を踏み入れた階層は最も深い階層でも五百階層を越えていない。
相馬にとって七百階層よりも深い階層とは、完全に実力と乖離していてどういう状況なのかさえ想像できないような領域だった。
「大丈夫、大丈夫」
美桜が子どもでもあやすような口調で相馬にはなしかけた。
「おねーさんが念入りに保護系の〈エンチャント〉を施しておきますから」
逆にいうと、そういう保護がなければ相馬の身の安全はかなり危うい場所であるということであった。
「じゃ、七百二十階層でいいんだな?」
迷宮に入るなり隆康がそういって、誰かがそれに返答をする前に〈フラグ〉スキルを使用して移動する。
移動した先はいつもと同じような迷宮の光景が広がっていたが、これは迷宮の構造的にどこの階層であっても外見上の見え方は大差がないためであった。
壁や壁面などはいつものようにぼんやりと白い光を放っていて、かなり遠くの方まで見通しが効く。
「ワイバーン狙いでいいすね?」
十佐がそういって先頭に立って歩きはじめた。
っていうことは、榊先輩は察知系のスキルを持っているわけか、と、相馬は一人で納得している。
「ひょい」
周作が軽く呟いて、手にしていた槍を振り回した。
すると、なにもないと思っていた空間から突然身長二メートルを超える、頭に角の生えた巨人が喉から血を流した状態で出現し、その場でどうっと前に倒れた。
「わっ」
相馬は、思わずそんな悲鳴をあげている。
「と、このように、これくらいの階層になれば、いつどこに〈隠密〉系のスキルを持ったエネミーが潜んでいるのかわからないので、くれぐれも気を抜くことがないように」
周作は、相馬の方を見ながらそういった。
「オーガか」
隆康は眉をひそめた。
「ろくな装備を持ってねーな。
今時、皮の腰巻に棍棒はないだろう。
お前は日本昔ばなしに出てくる鬼か!」
もちろん、そのオーガ・タイプのエネミーからはなにも剥ぎ取ることはなく、一同は先へと急ぐ。
周作が、
「この面子ならば安全圏」
と豪語した通り、十佐、周作、隆康の三人は遭遇するエネミーを次々と軽く一撃で撃破していった。
特にこのうちの隆康は、なにも手にしていない状態で次々と遠くにいるエネミーを倒している。
夏にあの特殊階層で見た、かなり特異なスキルの使い方を多用してエネミーを撲殺しているらしかった。
ってことは、この人たち、普段はどこまで深い階層を攻めているんだよ、と、相馬は慄然としてくる。
相馬はといえば、エネミーに遭遇するたび悲鳴をあげたりどっと入り込んでくる大量の経験値におののいて硬直することくらいしかいていない。
客観的に見ても、完全にこのパーティのお荷物状態であった。
相馬としては、実質なにもしていなかったわけだが、彼我の実力差を様々と見せつけられた形であり、ただ同行しているだけで盛大に気疲れを感じた。
「やあやあやあ。
ご苦労さんご苦労さん」
数時間後、迷宮から出て来た美桜は他の面子に対して労いの言葉をかけていた。
「おかげさまで予想以上に大量のワイバーンの鱗が手に入ったよ。
皆さん、お疲れ様でございます」
「そのワイバーンの鱗、どうするんですか?」
なんの気なしに、相馬は疑問の声をあげた。
「うん。
試しに、これで装備を作ってみようと思って」
美桜は答えた。
「こういうエネミーの素材を加工した物は、よほどのことがなければ現代技術を最先端をいく現行の探索者の装備を性能面では越えられないといわれているけどさ。
こういう素材と〈エンチャンター〉スキルを組み合わせるとまだまだ安全な物ができるんじゃないかと、そう思ってね」
「……でも、それだと製作費がかなり嵩むんじゃないですかね?」
相馬はいった。
現状、現役で商業営業をしている〈エンチャンター〉は美桜一人のはずだった。
当然、その人件費はかなり高額に設定されている。
相馬が知る限り、美桜は今の仕事をこなすだけで精いっぱいのはずだった。
「だから、試作品」
美桜は相馬の方を見ていった。
「君みたいな新手の〈エンチャンター〉も出てきていることだし、ここいらで〈エンチャント〉スキルの可能性を少しでも広げておきたいと思ってね」
そこまで考えているのか、と、相馬は驚いた。
正直、普段の美桜を見ていると、日々の仕事をこなすのが精いっぱいで、そこまで先のことを考えているような余裕はないように、相馬の目には映っていたのだった。
「こいつがなんで探索者として稼がず、〈エンチャンター〉を仕事にしているのかしっているか?」
隆康は相馬にそんなことをいいだす。
「こいつはな。
探索者が少しでも安全に仕事をできるようと決意して、他の探索者を助けることを仕事に選んだんだ。
その、何度も知り合いの探索者を迷宮の中でなくしているからな」
それからさらに時間が経ち、ワイバーンの鱗を材料にしたスケイルアーマーは着々と完成に近づいて行った。
鱗のひとうひとつに美桜が何重にも〈エンチャント〉スキルを施術して防御力を増し、その鱗を近所の工場に持ち込んでアーマーの形に繋いでもらう。
美桜の工房があるあたりは昔から町工場が多い場所で、それでも今では昔ほどそうした工場は残っていないそうだが、逆にいえばいまだに残っている工場はそれなりの技術力を持っている。
美桜がワイバーンの鱗を持ち込んで求めている製品について説明すると、その面倒な仕様を理解した上でかなり格安で引き受けてくれ工場があった。
「大野くん、うちの仕事、とりあえず来週までね」
十二月も中旬になり、スルケイルアーマがほぼ完成したある日、相馬は美桜から唐突にそんな宣告をされた。
「なんでですか?」
相馬は美桜に食ってかかった。
「おれ、なんか大きな失敗しましたか?」
「そういうことじゃあ、ないんだけどなあ」
美桜は苦笑いを浮かべる。
「君、今、ほとんど迷宮に入っていないでしょ?
最初にここに来たとき、いっていたことを思いだしなさいって。
このままいつまでもこんなところでくすぶっていたら、いつまでたっても探索者としては大成できないよ。
それに、今の段階で君に教えられることはだいたい教えきったと思うし。
あとは、そうね。
あと半年か一年か。
とにかく、君が迷宮に入ってばんばん累積効果をためて、〈エンチャント〉スキルの錬度も格段にあがってからなら、また改めて教えることが出てくるから、そのときになったらまたこの工房を訪ねてきなさい」
「……ええっと」
あまりにも突然のことだったので、しばらくの間、相馬はまともな思考ができなかった。
とりあえずは、相馬がなんらかのへまをして首になるわけではないらしいことは理解できた。
「おれが抜けると、また仕事の効率が落ちたりしませんか?」
しばらく考えた末、ようやくそんなことをいう。
「心配するまでもありません」
美桜はいった。
「藤代ちゃん経由で紹介された〈エンチャント〉持ちの子が、何人か来週から手伝いに来てくれることになっています」
美桜はそういって微笑んだ。
「大野くん、君がよくしてくれたから、わたしも人を雇うことに前向きになれたんですよ。
それまでは、募集広告は一応出していたものの、誰かを雇うとか使うことなんて、本気で想定していませんでした」
そんなわけで、相馬はクリスマスを前にした時期に、いきなり元の生活に戻ることになった。
元の生活?
おれ、なにをしていたっけ?
などと、相馬は思う。
もちろん、実際には相馬も記憶している。
大学と迷宮を行ったり来たりして生活していたのだ。
そもそも、美桜の工房を訪ねたのだって、ふかけんの他の一年生との格差に絶望をして〈エンチャント〉スキルの使い方を学ぶのが、当初の大きな目標だったはずだ。
その目標はおおむね達成されたはずだし、そのことについて美桜からも太鼓判を貰ったわけだが、相馬はどうもいつまでもしっくりと来ない違和感をおぼえていた。
元の生活とやらに戻った相馬を、元の仲間たちは暖かく迎え入れてくれた。
というか、大学には真面目に通っていたので、ふかけんの同期生たちともそれなりの頻度で顔を会わせてはいたのだが。
相馬がバイトに夢中になっている間に一陣、以前から距離が近い様子だった一陣忍と秋田明雄は本格的にくっついていた。
この二人と両角誠吾は相変わらず固定パーティを組んでいたわけだが、誠吾に忍の知り合いの女子を紹介する試みは今のところ成功した様子がない。
相馬も、まずは元通りにその三人のパーティに入れてもらうことになった。
「さぼっていた割には強くなってないか、お前」
迷宮に入るとすぐに、誠吾にそんなことを指摘される。
「本当に、ここしばらく迷宮に入っていなかったのか?」
「ああ」
相馬はいった。
「いや、正確には一度だけ、素材集めのパーティに入れてもらったことはある」
「そんとき、どの階層にいったのよ?」
明雄が、呆れたような表情を作って訊ねてきた。
「七百二十階層からはじめて、それよりももっと深い階層へと移動したけど」
「七百二十階層っ、て」
忍が目を丸くした。
「そんな深い階層に、どれくらい長いしたの?」
「ええと。
半日くらい?」
相馬は答えた。
「とはいっても、おれ自身はなんにもしていないし、ほとんどついていっただけだけど」
「その間、他の面子はエネミーを倒していたんだな?」
明雄が、確認してくる。
「ああ、そう」
相馬はぼんやりと頷く。
「数としては、かなり倒していたな」
「じゃあ、劇的に基本性能が向上しているはずだ」
明雄はため息交じりにそういい、他の二人も明雄の言葉にうんうんと頷いて見せた。
その言葉は決して嘘などではなく、実際にエネミーを相手にしてみると、相馬は自分の基本性能が以前と比較して各段に向上しているのを実感することになった。
スピードにスタミナに反射神経。
そうした諸々が、以前と比べて明確に向上している。
かなり長いブランクがあるのにも関わらず、相馬は以前よりもよほど楽に探索を行うことができるようになっていた。
ただ、〈エンチャント〉を除いた各種のスキルは、ブランク中にまるで使用する機会がなく、したがって錬度や性能も以前とまるで変わらなかった。
これはまあ、仕方がない。
そのかわり、〈エンチャント〉スキルに関しては、威力や性能はいうに及ばず、その応用バリエーションも確実に増えていて、早速パーティに貢献することになった。
他の三人に何回か〈エンチャント〉スキルかけるだけで、防御力その他が各段に向上して安全性が高くなる。
この分なら、もっと深い階層に移動しても大丈夫そうだなと判断し、相馬たちのパーティはその日のうちに五階層も深い階層を制覇した。
クリスマスの前後は忍と明雄が休みたいというので、必然的に相馬たちのパーティも活動休止となった。
誠吾と二人で、あるいはソロで迷宮に入るのもありだとは思うが、正直なところ、クリスマスまで迷宮に入り浸っていたくはないという気持ちが強い。
相馬も誠吾と同じく、特定の女性と深い関係になることなくこの年のクリスマスを迎えることになったわけだが、それはそれ。
単純にクリスマスを一人で過ごすことと、わざわざ迷宮に入り浸って過ごすのとでは、みじめさの度合いが違って来る。
ような、気がした。
この年の十二月は二十三日が休日で二十六日が土曜日。
二十四日と二十五日が休みとなると、相馬としても暇を持て余す。
誠吾は、少し早めに帰省するようだったが、年末はこっちで過ごすことにしていた相馬は、特に予定を持たなかった。
『大野くん。
明日、時間取れる?』
二十三日、相馬は岩浪美桜からひさびさに連絡を貰った。
「ああ、はい」
相馬は反射的に返事をしていた。
「予定は特に入っていませんが」
今さら見栄を張るつもりもなかった。
『それじゃあ、悪いけどうちの工房に来て貰えるかな?
ちょっと、渡したいものがあるから』
「え、いいんですか?」
相馬は、やはり反射的に訊き返している。
「明日はイブですよ?」
『社会人になるとね、そういう行事はあんまり関係なくなるの』
そう答える美桜の声は苦笑いを含んでいた。
『あ。
でも、大野くんにプレゼントがあるのは本当だから』
「あ、はい」
相馬は慌てて居住まいをただす。
「よろこんで、訪問させていただきます」
電話を切ったあと、相馬は慌てた。
これは大変なことですよ、などのかなりパニくっている。
クリスマス・イブに若い女性に招かれ、しかもプレゼントがあるなどといわれたことはこれまで相馬の十八年の人生の中でもはじめての経験であった。
これは、あれかな?
いや、バイト中もそんな雰囲気になったことはまるでなかったし。
とか訝しみながらも、相馬は慌てて外出して急ぎ適当なプレゼントを用意するのであった。
幸い、現在の相馬は金ならば不相応なほど持っている。
プレゼント以外にも、自分の服も新しく購入しておいた。
翌日の二十四日、めかしこんだ相馬は蒲田にある美桜の工房へと急ぐ。
約束の時間は七時で、相馬はその少し前に工房に到着する。
数日前まで毎日のように潜っていたドアをノックし、
「どうぞ」
という美桜の声を確認してから、相馬は中に入った。
そのとたん、パンパンいくつかの軽い破裂音が聞こえる。
クラッカーだ。
パーティなんかでよく使われる例のクラッカーが、自分にむけて使われたのだと気づくまでに、しばらく時間が必要だった。
「メリー・クリスマス!」
満面の笑みを浮かべた美桜が、相馬に声をかけた。
「この子たちねえ、大野くんと入れ違いに入って来て、うちを手伝ってくれている子たち!」
「ああ」
そうですか。
と、相馬は思う。
そうですよね、二人きりのはずがないですよね。
「少し前までこちらでバイトをさせてもらっていた、大野といいます」
内心の落胆をできるだけ隠して、相馬は初対面の女性二人にそう挨拶をした。
その二人は相馬自身とさほど変わらない年恰好で、それぞれ石動と銚子と名乗った。
藤代葵経由で美桜の工房に紹介された、探索者向けインストラクター事業で世話になっている生徒さんであるということだった。
今の実力ではまだ探索者として独り立ちするところまで成長していないので、せっかく生えて来た〈エンチャント〉スキルを活かせるこの工房でしばらく働くという。
それはいいのだが。
「……なんでここに長老がいるんですか?」
相馬は目を眇めて美桜の隣にいた徳間隆康に訊ねた。
「長老いうな」
隆康はいった。
「おれがここにいちゃいけないのか?
もちろん、美桜に招かれたからだよ」
「この二人、熱々なんですよー!」
「工房を立ちあげるときも、徳間さんにかなり出資してもらったんだって!」
石動さんと銚子さんが、能天気な声をあげた。
ああ、そういうことですかい。
と、相馬は一人、内心で得心する。
「えっと、これ、プレゼントです」
相馬はとりあえず、持参した包みを美桜に渡した。
「こんなに人がいるなんて思ってなかったから、岩浪さんの分しか用意して来ませんでしたが」
無難なプレゼントを用意しておいたよかった。
と、相馬は思う。
相馬にしてみても本気で期待していたわけではなく、せいぜい半信半疑でいたからまだしも傷は浅かった。
「えー。
本当?
わたしに?
いいのー?」
美桜は、無邪気に喜びの声をあげている。
「……本当に、これ、貰っていいんですか?」
美桜が用意したとかいうプレゼントを目の前にした相馬は、震える声でそう呟いた。
「もちろん!」
美桜は声を張る。
「君のサイズに合わせて作っているもん!
そのかわり、実地に使用した際のレポートなんかもあとでこちらに知らせてくれるとありがたいなっ!」
「そりゃあまあ、試作品ですからねえ」
相馬は、そういって頷く。
美桜が相馬に用意したプレゼントとは、相馬もよく知っているワイバーンの鱗から作ったスケイルメイルだった。
相馬は、これの価値もよく知っている。
材料といい、美桜が惜しみもなく施術した〈エンチャント〉スキルといい、実際に売買するとなればかなり高額の商品になるはずである。
こいつが、自分のものになるのか。
あまりの事実に、相馬は慄いた。
今の自分には、過分な装備であるとも思った。
「今までで、一番最高のプレゼントですよ、これは」
相馬は、そう感想を述べた。
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