16. それぞれのソロ

 結局、白泉偉は神社にやってきてたむろしている留学生たちの世話を榊十佐に任せることにした。

 白泉家に伝わる流派も偉自身にいわせれば別に特別な技術でもなんでもなく、ただし基礎からはじめて実用段階にまで身に着けようとするとどうしても膨大な時間を必要とするだけの代物であり、その基礎の段階ではスポーツ化した剣道との共通点も多い。

 その点、幼少時から剣道と居合道を嗜んでいるという十佐は講師役としては格好の人材でもあり、同時に留学生たちにしてみればとにかく日本っぽいことをやって見せれば好奇心を満足させることができるわけである。

 そんなわけで偉の祖父の家でもある神社では、その夏、連日大勢の外国人が詰めかけて竹刀を振り回しながら掛け声をかけ合う珍妙な風景が見られることになった。

 十佐の方も、執拗な懇願に負けた偉の祖父が、

「お教えするほどのことはなにもないが、手が空いた時に少しくらいなら手合わせでもしようか」

 とかいってくれたおかげで、かなり協力的になってきている。

 当面、探索者としての活動は自粛するようだし、このひと夏を留学生たちの世話をすることで潰すのもやぶさかではないようだった。


 そうした十佐とは違い、偉は夏季休暇に入ってからも白金台迷宮にほぼ日参していた。

 ソロ活動に必要なスキルを習得して以来、偉はソロで迷宮に入ることが多かったから、他のふかけんのメンバーがどう動こうともあまり関心を持たずにマイペースで活動している。

 ここ最近は双葉アリスや草原真砂とパーティを組んで迷宮に入ることも多かったが、この二人の都合がつかないときはやはりソロで迷宮に入っていた。

 お互いの欠点を補いあうという意味ではパーティによる探索は実際的であったが、ちょいとした判断ミスが命取りになりかねないソロ活動での緊張感の方が、どちらかというと偉が迷宮に求めるものに近い気がする。


 十八歳という若年に似合わず、偉の経歴はかなり複雑である。

 偉が小学校にあがる直前に母が事故死し、あとから考えるとそのことが契機となってそれまでまともな勤め人であったはずの偉の父親の箍が外れたらしい。

 周囲の反対を押し切って偉を連れて渡米した。

 偉の父親は留学経験があり、言葉については不安に思わなかったらしい。

 当初は現地にある寿司店の店員として就労ビザを取得したらしいが、半年もせずにその職場を退職。

 そのあとは、通訳や日本人相手のガイドやカメラマン、はては生家でおぼえた護身術を教える道場を開くなどを、食と在住地を転々と変えながら十年以上を国外で過ごした。

 幼少時こそそんな生活も当たり前だと思っていた偉だが、少し成長すると自分たちの生活がかなり異常なものだといやでも気づかされることになる。

 なにより、短期間で転居するから長期間に渡って友達づきあいをする同年代の人間ができなかったのが偉にとっては一番つらかった。

 それ以外にも、言葉のことにはかなり苦労させられた。

 最初の数年はアメリカ国内にいたので英語はかなり早くから読み書きができるようになったが、その英語にしても国や州、地方によってかなり訛りが変化するので、父親の都合で転居したらまら最初からおぼえ直しに近い状態になる。

 母国語である日本語については、しゃべる方は問題なかったが、漢字を本格的に習うようになる前に国外に出たので、最初のうちは読み書きにかなり不自由した。

 近所の学校で教えてくれることもなかったので、偉は日本語を、特に漢字の読みや用法をおぼえるために自分で教材集めからはじめて自習するしかなかった。

 偉がそうした学習意欲を持つようになるかなり以前からインターネットがインフラとして普及していたので、教材に不自由することはなかった。

 インターネットの存在は、偉に日本語以外にも多くの知識を授けてくれた。

 転居した場所によっては、学校に通ったとしてもろくな知識を学べないことも多かったので、偉はかなりの知識をネット上でみつけて独習した。

 そうして各地を転々する生活を長く続けているうちに、偉は人あたりがよい愛想のよさを自然と身に着けるようになる。

 子どもの世界では、新参者というのはどこに行っても目立つ存在なので、そうでもしないと衝突が多すぎてやっていられないのだった。

 国外に出る前から仕込まれていた祖父の家に伝わる技術について、偉は国外に出てからも引き続き父親に手ほどきを受けていた。

 そのため、仮になんらかの衝突が起こったとしても自分の身が傷つく心配を偉はほとんどしていなかったわけだが、かといって偉は修羅場が発生するのを好むような性格でもなかった。

 ある程度成長すると、偉は自分の容姿が性別を問わず多くの人々を刺激するものであると自覚するようになり、なおいっそう他人を刺激しないように自分の言動を改めていくようになった。

 事実、いつでも実家の護身術のおかげで大事には至らなかったのだが、人通りの少ない場所で唐突に襲われるようなことも、偉は数知れないくらいに経験している。

 偉の父親が転居する場所は、必ずしも治安がいい場所ばかりではなかったのだ。


 偉がようやく十六歳になった頃、偉の父親が結婚するといいだした。

 それまで、偉の父親が特定の女性と親密になったことは何度かあったはずだが、籍をいれるまでには至らなかった。

 その頃には何年か前に建てた護身術の道場が軌道に乗っていたので、長く各地を転々としていた偉の父親も一応、地元の名士として扱われていた。

 そこで、偉自身の進路が具体的に問題になってきた。

 もともと、偉の中には十八歳になったら父親から独立してどこかの大学に通う予定があったわけだが、偉の父親が新しく家庭を持つというのなら、もっとその父親から距離を置いてもいいのではないか。

 そんな決心をして偉はハイスクールの卒業を待って単身で日本に帰国、祖父の家に寄寓しながら帰国子女枠のある城南大学で入試を受けて現在に至っている。


 そんな育ちをしているからか、偉は表面的な愛想のよさから想像できないほど他人を警戒してつき合う癖がついてしまっている。

 人格を形成する時期に長く、強く自己主張をする文化圏で育ったということもあったし、物心ついて以来、数え切れないほど暴力を伴う襲われ方をした経験もあり、なかなか他人を信用しようという気持ちにはなれなかった。

 それに、かなり人目を惹く容姿をしているのにもかかわらず、偉は誰かと親密な関係になったことがない。

 性交渉はおろか、まともにデートをしたことさえない。

 ストイックであるというよりは、他人を信頼すること自体を怖がるような心性を偉は育て、持ち続けていた。

 簡単にいえば、この白泉偉は他人と親密な関係になることを怖がっていた。


 そうした偉の性向がいくらかでも緩んできたのは城南大学に入学し、ふかけんで同年代の日本人たちを多く接する機会を得てからになる。

 偉にとってこれほど多くの同年輩の日本人と長く付き合うのはほとんどこれがはじめての体験といってもよかったが、彼らは偉が知る同年輩たちの者たちと比較するとかなり不用心であけっぴろげで単純で、他人というものを警戒していなかった。

 これが文化の違いというものかと実感しながら、そんな中で偉は、自分だけがいつまでもピリピリと他人を警戒し続けていくことにある種の馬鹿馬鹿しさを感じるようになってきている。

 かといって、完全に無警戒に慣れるほどには他人を信頼もできず、結局はソロで迷宮に入るのが一番気楽でいいなどと思ってしまうわけだが。


 パーティを組むよりもソロの方が気楽だと思う偉は、ここ最近は単独でのバッタの間トライアルに挑戦していた。

 バッタの間に出没するエネミーは、実はあまり怖くはない。

 保護服とヘルメット、それにプロテクターをきちんと身に着けていさえすれば、負傷するにしてもせいぜい打撲程度で済む。

 その打撲も、〈ヒール〉持ちであるならば特に警戒をする必要もなく、常時自分自身に対して〈ヒール〉をかけ続けていさえすれば傷跡も残らないほどだった。

 このトライアルで一番の障害になるのは、やはり対峙するエネミーの数の多さということになる。

 特に偉のようにまだ同時に多数のエネミーを殺傷する種類のスキルを習得していない探索者にとっては、やはりかなり難易度が高いトライアルになってしまう。

 迷宮を攻略するだけであるのならば、この場にいるバッタ型エネミーを無視して通過するだけで別に問題はないのだが、偉としてはどうにかして単身でこのトライアルを完遂できないものかと日頃から思っていた。

 ふかけんの仲間たちから奇妙に持ちあげられることが多いのだが、偉は自身が身に着けている体術について、小手先の技としか認識していない。

 海外生活が長い偉にしてみれば、銃火器による破壊力は強く認識するところであったし、多少、手足を振り回すのが巧妙であったとしても、その攻撃力はたかが知れているという思いが強かった。

 実際、このバッタの間を埋め尽くすエネミーたちのただ中にあって、偉の体術はあまり有効ではない。

 これほどエネミーの密度が濃い場所では、避けようもなく何度もエネミーの体当たりを食らうし、いくらエネミーを倒しても全体量には変化がないように思えてしまう。

 偉にとってこのトライアルは、つまりは気力と体力がいつまで保つかという根気が試される場であった。



 八月も中旬に近づくと、ふかけんの関係者の中にも慌ただしく姿を消す者が現れはじめた。

 いわゆる帰省シーズンであり、探索者として活動している地方出身の学生たちは経済的に余裕があるせいか、少し長めに期間をとって郷里に帰る者が多いいらしい。

 この頃秋田明雄が組んでいるパーティの中でも、町田市の実家から通っている一陣忍以外の二人は帰省するという。

「あっきーは帰省しないの?」

「車で二時間も飛ばせば着く場所だし、帰りたくなるよな家でもないんでね」

 明雄は曖昧な答え方をした。

「そっか。

 じゃあ、あの二人がいない間、どうする?」

「パーティとしての活動は、一時停止でいいんじゃないか?」

 明雄は忍とそんなことをいい合った。

「ちょうどおれも、ソロをやってみたかったところだし」

「ソロ?」

 忍は首を傾げる。

「あっきー、そういう効率が悪い方法は嫌いだと思ってた」

「いや、スキルの数を増やそうと思っていただけだよ」

 明雄は素直に説明をする。

「今から〈ショット〉系を生やそうと思っていたところだからさ。

 パーティ組んだままだと、どうしたって他の人の足を引っ張るだろ?」

「ああ、なる」

 説明をされ、忍は頷く。

 そういう事情ならば、なにかと要領がいい明雄がソロをやりたがることにも納得ができる。

「あっきー、今、〈投擲〉は持っていても〈ショット〉系とか〈バレット〉系は持っていなかったっけ。

 そういう事情じゃあ、仕方がないかな」

「残った二人だけで迷宮に入るのも、それこそ効率が悪いしな」

 明雄はそういった。

「忍はどうすんの?」

「んー。

 アリスのところにでも混ぜてもらうことにするかなー」


 そんなわけで、明雄は部室に転がっていたスリングショットのゴムを張り替えたものを手に、単独で迷宮に入った。

 ソロで迷宮に入るのは明雄としてもこれが最初の経験であり、そのためソロとしての基準がわからない明雄は第一階層から順番に攻略していくことにした。

 これまでパーティを組んでそれなりに深い階層しか潜ってこなかった明雄にとって、こんなに浅い階層に足を踏み入れるのは探索者として活動しはじめた初期以来であり、この程度の浅い階層に出没する程度のエネミーには特に苦戦をするとも思わないのだが、それにも関わらず、明雄は柄にもなく緊張している。

 明雄は〈隠密〉のスキルを使用したまま滑るように移動し続け、いくらもしないうちにエネミーと遭遇した。

 シロコウモリと呼ばれる飛翔するタイプのエネミーで、〈隠密〉スキルのおかげでまだ明雄の存在には気づいていない。

 明雄は静かに深呼吸をしてからスリングショットに鉛球を装填し、ゆっくりと引き絞る。

 探索者としてそこそこの経験を積んできている現在の明雄がギリギリ引くことができるほど強力な伸縮性を持つゴムが腕の長さ目一杯にまで引き伸ばされ、そして解き放たれた。

 意外に大きな音がして、スリングショットのゴムが収縮する。

 それと同時に、小さな鉛球が高速でシロコウモリにむかって飛んでいき、胴体部分に命中した。

 運動エネルギー量が多すぎたのか、鉛球はシロコウモリの腹部に大穴を開けて貫通し、シロコウモリは穿たれた穴から体液をまき散らしながら地面に落ちていった。

「おお」

 明雄は小さく呟く。

 なんとあっけない。

 というか、この調子ならもっと踏み込んでいっても大丈夫そうだな。

 とか、思った。

 実際のところ、明雄のスキル〈隠密〉とスリングショットをはじめとする投射系武器との相性はかなりいいのだが、明雄自身はそのことについてあまり強く意識してはいない。

 これなら、ということで、明雄は次々とエネミーを射殺しながら迷宮の中を突き進んだ。

 現在の明雄ほど累積効果を得ている者にとって浅層のエネミーはただでさえ弱すぎる相手であったし、それに加えて〈隠密〉スキルとスリングショットの組み合わせは強力すぎる。

 これといったトラブルも発生せず、明雄は順調に迷宮の中を進み、たいした時間もかけずに第七階層のバッタの間まで到着した。


「さて、どうするか」

 バッタの間で足を止め、明雄は考える。

 いや、考えるまでもなく、ここで遠距離攻撃系のスキルを得るために一匹でも多くのバッタ型エネミーを倒すわけだが。

 目前のバッタの間には夥しいバッタ型エネミーがひしめいているわけで。

 さて、やろうと思い切り、明雄はスリングショットに鉛球を装填して、次々とバッタ型エネミーを撃ち落とす。

 標的の密度もさることながら、バッタ型エネミーが明雄の存在をまるで認識しないので、落ち着いて撃てばほとんど全弾命中した。

 また、エネミーたちが明雄にむかって襲い掛かってくるということもない。

 何十匹だか何百匹だか撃ち落としたあと、明雄は、

「それにしてもこいつら、本当におれのことに気づかないんだな」

 と思い、試しにバッタの間の中に足を踏み入れることにした。

 バッタの間の中に入っても、バッタたちは相変わらず明雄のことを認識している様子はない。

 もちろん、明雄のことを感知しなくとも実態としての明雄はそこに存在するわけで、バッタたちは先ほどから何度となく感知できないはずの明雄に衝突している。

 とはいえ、それはバッタ型エネミーが攻撃として体当たりをしてくるときほどの凶暴さはなく、何十回衝突しようが明雄の側がまともにダメージを受けることはなかった。

「もうこの状態のまま攻撃を続けてもいいんじゃないかな」

 そう思えてきた明雄はすぐにその考えを実行に移した。

 スキル習得のためにスリングショットの使用は必須なわけだが、バッタ型エネミーの群れの中に飛び込んでいる現状ではたとえスリングショットを使用したとしても精密な狙いをつける必要さえない。

 スリングショットのゴムを強く引き絞る必要さえなく、軽く引いた状態で手近にいたバッタ型エネミーに鉛球をお見舞いする。

 バチン、とゴムが弾ける音がして鉛球の直撃を受けたバッタ型エネミーは錐もみ状態で地面に落ちた。

 その落ちたエネミーに目を落とすことなく、明雄はさらに鉛球を装填して次々とエネミーを叩き落す。

 先述の通り、エネミーが体のどこかに衝突してくるのは相変わらずであったが、そんな状態でさえエネミーからの反撃はなかった。

 バッタ型エネミーの知能が著しく低いということもあるのだろうが、こうして至近距離で攻撃されていてさえ、エネミーたちは明雄の存在を認識できないらしい。

「こうなれば、徹底的にやってやるか」

 明雄はそう決心し、調子に乗って次々とエネミーたちをスリングショットで撃ち落すしていく。

 幸いなことに、スリングショット用の鉛球はかなり余分に購入して〈フクロ〉の中に入れていた。

 迷宮付属の公社の売店でいくれでも購入できたからまとめ買いしていたわけだが、そのすべての鉛球を使い切るまで明雄はバッタ型エネミーを射殺し続けた。


 九時間以上経過したあと、迷宮から出てきた明雄は新たに〈ウィンド・ウショット〉、〈ファイヤ・ショット〉、〈アイス・ショット〉、〈サンダー・ショット〉、〈ゼロ距離射撃〉などのスキルを習得していた。

 途中からスリングショットではなくそうしたショット系スキルを順番に試していたので、ショット系スキルの連どもかなりあがっている。

 実はこれ以外に、〈バッタ・スレイヤー〉や〈遠近両用〉などのパッシブ・スキルも新しく習得していたりするのだが、鑑定系のスキルを持っていない明雄がそのことを知るのはかなり後になる。

 ただ一度迷宮に入っただけであげた成果としては、上々の部類になるだろう。



 それまでの固定パーティを解散したあとの草原水利はどうしたのかというと、実はやはりソロで迷宮に入っていた。

 とはいえ、〈テイマー〉スキルを持つ水利はたとえソロであったとしても実質的にはパーティに匹敵する戦力を揃えている。

 いや、パーティを通り越してもはや一個小隊といったところか。

 なにしろ現在水利が〈テイム〉しているエネミーの数は総勢で六十八体にも及ぶ。

 しかもそれぞれが累積効果によって強化され、本来の属する種族ではとうていできないような働きができるようになっている。

 同じような潜入時間を持つ他の探索者と比較した場合、そうした〈テイム〉したエネミーまで勘定に入れるのならば、おそらくは水利の攻撃力は群を抜いたものになるはずだ。

 そうして軍隊も同然となった水利とその配下にあるエネミーたちは、むかうところ敵なしといった風情でここ数日、迷宮の中を蹂躙し続けていた。

 そうしたエネミーたちの主人である水利は、シサツジカの背に乗ってドロップ・アイテムである〈水蛇のワンド〉を手にしていた。

 ワンド系のドロップ・アイテムは手にしているだけである種のスキル効果を強化する働きがあり、この一群の回復役務める水利にとっては最適のチョイスでもある。

 この集団において水利は、方針を決定する指揮官役と傷ついた仲間を〈ヒール〉によって回復する支援役をこなしている。

 ドロップ・アイテムの中には装備してエネミーを一定数倒すことで特殊なスキルを習得することができるようものも存在するのだが、これまでのところ水利にそうした特殊なアイテムを入手する機会は訪れたことはない。

 これだけの数で遭遇するエネミーを数の暴力によって片っ端から蹴散らしまわっているわけで、得られる経験値とドロップ・アイテムの量は普通にパーティで攻略しているときの比ではなかった。

 そのドロップ・アイテムの回収でさえ、今や専任で行うエネミーが存在している。

 アイテムの回収のみならず、それぞれのエネミーの特性に応じて分業化が進んでおり、この一群はひどく機能的な集団になっていた。

「これって、探索者としてはどうなのかな?」

 シサツジカの背に揺られながら、水利は首をひねる。

 なにしろ水利自身からして、絶え間なく〈ヒール〉のスキルを使用しエネミーたちが回収してきたアイテムをみずからの〈フクロ〉に収容することしかやっていない。

 それでいて、迷宮の攻略は順調に進んでおり、今では苦労らしい苦労もせずに、一日あたり五階層以上を危なげもなく走破するペースであった。

「もうすぐ、三百階層を突破しちゃうんだけど」

 絶え間なく〈ヒール〉のスキルを使用しながら、誰にともなく水利は呟く。

 これくらいの階層にもなると、浅い階層に出没していたような獣型のエネミー以外にも、ぼちぼち人型のエネミーも出没するようになる。

 そうした人型エネミーは探索者と同じように武装し、スキルを使うこともあるので難易度的には浅層よりも高くなっているはずなのだが、水利をはじめとする集団はこれもすべて数の暴力によって叩き潰した。

「この分だと、夏季休暇が終わる前に四百階層を突破してしまう勢いだけど」

 こんなにイージーでいいんだろうか、と、水利は内心で首を傾げている。

 もっとも、もう少し深い場所まで行けば多様なスキルを使いこなすエネミーが増えてくるはずだったし、その中には広域攻撃系スキルの持ち主もいるはずなので、この快進撃もいつまで続くわけではないということは水利もわきまえていたわけだが。



「うぉぉぉぉっ!」

 槇原猛敏は今日も全力だった。

〈カブトムシの戦斧〉を手に、遮二無二エネミーにむかっていく。

 この猛敏は細かい計算や駆け引きなどをすることは性分に合わないものとして最初から切り捨てている。

 エネミーは見つけ次第全力で近寄って行って、真正面から撃破する。

 まだ浅い階層であり、遭遇するエネミーもさほど強力なものではなかったからそんな無茶な方法が成立していた。

 なにしろこの猛敏は、ソロになる前に三か月以上も累積効果を蓄えている。

 今の猛敏ならば、二十階層より浅い場所に出没するような軟弱なエネミーなど束になってかかってきたとしても軽くいなすことができた。

 つまりは、それだけ猛敏自身にとっても得るところが少ないというわけでもあるのだが、猛敏自身はそこまで細かいことを気にしていないし気づいてもいない。

 その他にもいろいろと、本来ならば工夫してしかるべきところを面倒くさがっているおかげで、猛敏によるソロでの攻略は非効率的なものとなっていた。

 これまで、同じパーティを組んでいた者たちが陰に日向にフォローしていたことを猛敏自身の判断により無視して突っ切った結果がこれである。

 万事すべてがそんな調子であったから、もちろん迷宮潜行による収益性についても思い煩うことがない。

 一応、ドロップしたアイテムは拾い集めるし、これまでの経験から金になりそうなエネミーの死体は回収する。

 その程度のことはするのだが、これからあまり収益性のよくない階層にむかうその前に稼げる階層にいって稼いでおこう、と思う程度の計画性さえ持たない。

 よくいえば愚直、悪くいえば浅慮。

 どのようないい方をするにせよ、この猛敏の本質は猪突猛進、ろくに考えることなく行動にのみ邁進する典型的な脳筋であった。

 入手した当時、明らかに猛敏の手に余っていた〈カブトムシの戦斧〉は、最近になってようやくいくらか使いこなせてきたような気がする。

 どのような材質でできているのか不明であったが、より正確にいうのならばドロップ・アイテムとしてはさほど珍しいものではないのだから構成素材などは少し調べればわかりそうなものだが、そうした好奇心を最初から持ち合わせていない猛敏は〈カブトムシの戦斧〉のことをただ単に「非常識に重い」とだけ認識している。

 事実、その全長約一メートル半に〈カブトムシの戦斧〉重量は猛敏の体重を軽く超え、その重たい〈カブトムシの戦斧〉を自在に振り回すことは、いかに累積効果により強化された探索者の身体能力であっても決して容易なことではなかった。

 探索者が通常の人間よりもよほど強化されているといっても慣性をはじめとする物理法則まで捻じ曲げるほどでもなく、力任せに振り回すだけでは〈カブトムシの戦斧〉の重量に引っ張られて大きく姿勢を崩す、場合によっては転倒するだけなのである。

 かといって、遠慮しつつ振り回しているだけではせっかくのドロップ・アイテムもその威力を半分も活用することができないわけであり、すでに見てきたように〈カブトムシの戦斧〉を入手した当初の猛敏はこのアイテムの性能を十分に引き出せないでいた。

 それがいくらかでも改善されはじめたのは、〈斧術〉のスキルを習得して以降のことであり、その前後から猛敏はこのアイテムの巧妙な使用法が徐々に飲み込めてきたような気がする。

 それまで、猛敏は〈カブトムシの戦斧〉の重量を自分の筋力だけで制御しようとしていたのだが、これは土台無理筋な方法論であった。

〈カブトムシの戦斧〉の重量を猛敏の探索者としての身体能力で振り回し、しかもそれを任意のタイミングで引き止めたり別の方向に動かしたりするればとんでもない運動エネルギーに力ずくで逆らうことになり、仮にそれが成功したとしても、猛敏の姿勢は大きく崩れ、ともすればそのまま無様に地面の上に転倒しかねない。

 ではそうするのかというと、いったん勢いをつけて振り回しはじめたら、その勢いをできるだけ削がないように留意して、巧妙に利用する。

 それを実際にやるとどうなるかというと、〈カブトムシの戦斧〉を振り回した状態で猛敏自身が体を回転させ、その勢いを利用して周囲にいるエネミーに叩きつける、ということになる。

 傍からは猛敏が旋舞でもしながらエネミーに〈カブトムシの戦斧〉を叩き込んでいるように見えるのかもしれないが、猛敏本人はそんな優雅な気持ちを持つほどの余裕はなく、周囲の状況を必死に見定めながら扱いにくい〈カブトムシの戦斧〉を必死に制御しているわけで、この戦法を思いつきどうにか形になるところまで仕上げるのはかなりの苦労をした。

 浅い階層の弱いエネミーが相手でなかったら、苦労だけでは済まなかっただろうが、今になって思い返してみるとソロによる攻略は確かにメリットが少なく、非効率的なのかも知れないが、スキルや戦術の研究、開発にはいい環境であると思える。

「どっ、せいっ!」

 奇妙な掛け声をあげながら、猛敏はまた一体のエネミーの胴体を両断した。

〈カブトムシの戦斧〉の刃は極端に鋭いわけでもないのだが、それでも猛敏が全力で振るえば柔なエネミーの胴体くらいは軽く分断するだけの威力がある。

 そのとき猛敏が相手にしていたのはフンサイヒヒと呼ばれる全長二メートル前後の類人猿型のエネミーの群れだったのだが、その時点ですでに半数以上が猛敏によって倒されていた。

 フンサイヒヒたちは手にした棍棒を振りあげて興奮した様子で奇声を発しているのだが、うかつに近寄ればすでに倒された仲間たちと同じように目にあることを理解しているので遠巻きにして囲んでいる。

「おりゃあっ!」

 しかし、猛敏の方もそのままエネミーたちを取り逃がすつもりもなかった。

 砲丸投げのようなフォームで〈カブトムシの戦斧〉を振り回しながら巧妙に軌道を変えて近くにいたフンサイヒヒの股下から胸部にかけてを切り裂く。

 振りあげた勢いを殺すことなく左足を軸にして回転させ、猛敏は〈カブトムシの戦斧〉を動かし続ける。

 そのまま三回転半ほど振り回したあと、もはや警戒して猛敏に近寄らなくなっていたフンサイヒヒにむけて〈カブトムシの戦斧〉を投擲した。

 クソ重い重量物である〈カブトムシの戦斧〉が風を切って殺到し、逃げる間もなく一体のフンサイヒヒの頭部に直撃、その頭蓋骨を粉砕する。

 猛敏は自分で投擲した〈カブトムシの戦斧〉を追うようにして跳躍し、刃の部分がフンサイヒヒの頭部にのめり込んでいた〈カブトムシの戦斧〉の柄を掴み、渾身の力を込めて引きはがして再び〈カブトムシの戦斧〉を振り回しはじめる。

 あるいは。

 と、猛敏はそう考える。

 他の探索者なら、もっと巧妙な戦い方をするのかも知れない。

 だが、これこそが、おれの戦い方だ。

 力任せで勢い任せ。

 同時に、その場のノリに任せて考えるよりも先に動く。

 それこそが。

「砕けろっ!」

 再び〈カブトムシの戦斧〉を振りかぶった猛敏は、勢いをつけて次のフンサイヒヒに躍りかかる。


 これこそが、俺の戦い方だ。



「ごめんねー」

 秋田明雄と別れたあと、一陣忍は早速双葉アリスに連絡を取り、そこであっさりと振られた。

「真砂ちゃん、宿題が遅れているっていうからさあ。

 いい機会だから、しばらく真砂ちゃんの勉強を見ことにしたんだ」

「ああ」

 電話越しにそういわれたとき、忍は力なく頷くことしかできなかった。

「そうなんだ」

 アリスによると、白泉偉はパーティを組んでいないときは秋田明雄はソロで迷宮に入っているという。

 そのやり取りのあと、忍は、

「さて、どうすっかな」

 と考えてみた。

 SNSなどを使って同行できるパーティを探してみる手もあるのだが、そういえば明雄はスキルや戦法の開発にはソロである方がかえって都合がいいとかいう意味のことをいっていたな。

 忍も、これまでの経験により、少なくとも浅い階層をソロで潜っても十分に対処できる程度の累積効果は得ているはずだ。

 これ以上の経験値とか収益とかを目的としないのであれば、ソロで迷宮に入ることにもそれなりの意味はあるだろう。

 忍は忍で、探索者として自分の限界をかなり以前から意識してはいたのだ。

「中途半端なんだよな」

 と、忍は自分の立ち位置についてそう思う。


 忍は、前衛としても後衛としてもそこそこ無難な仕事をこなすことはできるのだが、逆にいえばそのどちらとしても突出したものを持たない。

 そもそも、男性と比較すると身体能力や体力面で若干不利な女性は、先天的に優位な資質を持っているのかそれとも特殊なスキルを得ていないと前衛で居続けることは難しい。

 忍が女だてらに前衛役を引き受けることが多かったのは、〈テイマー〉という特殊なスキルを持つ草原水利と後衛として突出した能力を持っていた双葉アリスと固定パーティを組んでいたからだった。

 ましてや、忍はショット系スキルを何種類か使いこなし、後衛としてもそこそこの仕事をすることができる。

 だが、最低限のことができるということと、最上のことができるということの間には相応のへだたりがあり、現在の忍は客観的に見て前衛としても後衛としてみても、圧倒的に打撃力が不足している。

 少なくとも、〈テイマー〉である水利や〈弾幕娘〉のアリスと肩を並べるだけのなにかは、持つに至っていない。

 では、どうするか?

 ここで都合よく便利で使い勝手のいい新しいスキルでも生えてくれればいいのだが、現実はそこまでご都合主義にはできていない。

 第一、忍自身が今後、前衛と後衛、どちらとしてやっていくつもりなのか、迷っている状態である。

「なかなか、夏希先輩のようにはいかないよな」

 と、忍は思う。

 ふかけんの先輩である角川夏希は女だてらに第一線の前衛として活躍しているわけだが、こうした女性はかなり珍しく、ふかけんの中でも数えるほどしかいない。

 突出した攻撃力を持っていたり、あるいは装備し続けることでなにか新しいスキルを習得できるようなアイテムを都合よく見つけることができればいいのだが、これもまた確率的に考えて望み薄であった。

 結局、地道に頑張るしかないのか。

 いろいろ考えた結果、忍はそう結論する。

 ひとつひとつの性能や錬度はやや低めであるものの、現在の忍のスキル構成はソロで迷宮に入っても問題がない程度には充実している。

 これまでパーティ中心でやってきた忍がしばらくソロでの攻略を体験してみれば、また新たに違ったことに気づくかも知れなかった。


 そんないきさつで、忍はここ数日、ソロで迷宮に挑戦している。

 ソロによる攻略の難易度が予想つかなかったので、比較的浅い階層である十階層からひとつずつ、深い階層へと降りていくことにした。

 たとえソロであったとしても、そのあたりに出没するエネミーはもはや忍の敵ではなくなっている。

 なんといっても現在の忍は、遠距離と近距離、双方のエネミーに柔軟に対応することができるのだ。

 忍自身はあまり自覚してはいなかったが、そうした柔軟さとは別に、忍は即応性という大きな武器を持っていた。

 エネミーの存在を察知してからの反応のよさは、ふかけんの同期の中ではおそらく白泉偉に次ぐ。

 これは反射神経のよさもさることながら、思い切りのよい忍の判断能力によるところが大きく、忍自身はこの反応のよさによってこれまで自覚がないままに所属していたパーティにかなりの貢献をしている。

 パーティを組んでいたときはエネミーを発見し次第、仲間たちにその存在を伝え、対処を迫るわけだったが、ソロで行動をしている現在はそうした過程は必要としない。

 そのため、忍はエネミーを発見し次第、即座に射殺している。

 この程度の浅い階層に出没するエネミーでは忍の攻撃が直撃しさえすれば即座に戦闘能力を喪失するため、たとえ遭遇したエネミーが単体ではなく群れをなしていたとしても、さしたる脅威にはならなかった。

 十階層から開始した忍のソロ攻略は、そのまま順調により深い階層へと進んでいく。

 想像していたよりも、ずっと手ごたえがないなあ。

 というのが、忍の感想だった。


 三十階層を越えたあたりから遭遇するエネミーに手ごてを感じるようになった。

 具体的にいうと、〈ショット〉系スキルの連発くらいでは戦闘不能にならないエネミーが徐々に増えてきた。

 そうしたエネミーに対して、仕方なく、忍はゴブリン型エネミーからの鹵獲品である片刃剣を手にして近接戦闘によって対応する。

 何度かそうした経験をしたあと、忍は装備を見直してプロテクターをより高性能なものに買い替えた。

 たとえ〈ヒール〉によって癒えるにしても、痛い思いはしないに越したことはないのだ。

 やはりソロでの攻略はパーティでの攻略よりもよほどエネミーの攻撃を受けやすく、より深い階層へ行くにしたがって忍の装備はよりいかついものへと変化していく。


 三十五階層を越えたあたりから進行速度は目に見えて鈍りはじめる。

 遭遇戦一回あたりに必要とされる時間が長引きはじめ、つまりはそれだけ忍が苦戦するようになってきたわけだった。

 現在、忍が苦戦しているのはこの階層の前後から出没しはじめるイノシシ型のエネミーで、幸いにして群れる習性はないらしいのだが、そのかわりに探索者を発見したらその巨体で一目散に突進してくる。

 なにしろ大きさでいえば小型乗用車くらいはあるので、それがまっしぐらにむかって来る様子はそれだけで迫力があったし、もちろんまともに跳ね飛ばされたら、累積効果で多少タフになっていたにしても無事では済まされない。

 これほどの巨体ともなれば忍が放つ程度の〈ショット〉系スキルが数発命中したところでたいしたダメージにはならず、逃げながら目などを感覚器官を狙って弱らせたうえ、隙をついて直接攻撃を何度も重ねてどうにか倒すことができるという強敵であった。

 パーティを組んでいたときは難なく倒せたエネミーだったが、大きな打撃力を持たない現在の忍がソロで倒すのには時間をかけてダメージを重ねていく以外に方法がない。

 そのイノシシ型を相手にしている最中に別口のエネミーが現れ、忍ひとりで二体以上を相手にできるはずもなくそのまま〈フラグ〉スキルを使用して逃げ帰るということも何度か経験した。

 こうなれば当然、どんなに長い時間を費やし心身を疲弊させる重労働もしていたとしても、なにも得るところがないということなる。

 完全なる徒労、無駄働きであった。


 ソロじゃあ、ここまでなのかな。

 これで何度目になるのか、そうして〈フラグ〉スキルにより迷宮出入り口付近まで逃げ帰った直後に、忍はそんなことを思う。

 忍の中に、情けない気持ちがいっぱいに広がった。

 イノシシ型との戦闘により、忍の体は疲弊しきっている。

 こんな状態で迷宮内に留まっていてもどうしようもないので、忍はのろのろとした足取りで迷宮の外に出た。

 まずは、この疲れをどうにかしないとどうにもしようがない。

 今日はもう帰るか、それともマッサージでも受けて休憩するか。

 迷宮が入っているビルには民間業者による探索者むけのサービス業者もテナントとして多数入っており、その中にはリラクゼーションやエステなどの女性むけの業者もかなりの割合を占めている。

 そんなに頻繁にでもなかったが、忍もソロで迷宮に入るようになってから何度かそうしたサービスを試していた。

 一日に何度も迷宮に入る場合、そうしたサービスを受けながら休憩をするのは、気分をリセットするのにちょうどよかったのだ。


 とりあえず、公社のシャワールームまで移動して汗を流し、普段着に着替えてから飲食店があるフロアまで移動した。

 こちらは特に探索者だけにむけた店舗というわけではないのだろうが、そのビルには多種多様な飲食店だけがテナントして入っているフロアがいくつかあり、ふかけんの仲間たちの間でも味や値段については日常的に情報を交換している。

 忍だけに限ったことではないのだが、探索者として現役で活動している者たちは全般的に食欲が旺盛である傾向があった。

 累積効果により身体能力が強化されていようとも、探索者も基本は生身の人間であり、そんな生身の人間が迷宮内で継続的に活動することはかなりの重労働に祖応する。

 だから、この傾向に関してはなんら不思議なことではない。

 忍もこの春に探索者として活動を開始して以来、カロリー表示を気にする必要もなく、気兼ねなくなんでも食べたいものを食べるようになった。

 どんなに食べたとしても、摂取したカロリーをそのまま消費しかねない勢いで激しい運動を行うのが探索者という存在なのである。

 死傷する危険性を度外視すれば、それなりに健康的な仕事なのかもしれないな、とか、忍は思う。

 その日は結局、いき慣れているイタリアンの店に入った。

 適度に気さくで適度に小洒落ていて、女性のお一人様でも気おくれすることなく入ることができる雰囲気で、なによりこの時間帯は均一料金でいくらでも食べることができるランチビュッフェのサービスをしている。

 仲間といっしょのときならともかく、一人で行くときに大量の注文をするのは精神的に避けたいところであったので、ソロで活動するようになってからは贔屓にしている店であった。

 料理も雰囲気もよい店で、ランチビュッフェといえども値段も相応にするのであるが、探索者としての収入を得るようになっている今の忍にとってはさしたる負担にはならない。

 たまたますいている時間帯だったので、忍は一人であるのにも関わらずテーブル席に案内された。

 ビュッフェといってもその店はセルフサービス制ではなくオーダー制だったので、忍は慣れた調子で席について直後にメニューを広げ、前菜とパスタ、肉料理と魚料理とと飲み物を注文する。

「おお、忍ちゃんじゃないか」

 頼んでいたハーブティが来るのとほぼ同時に、店内に入ってきた二人組のうちの片方から声をかけられた。

 声をかけてきたのは秋田明雄で、白泉偉が同行している。

「あんたらか」

 珍しい組み合わせだなと思いつつ、忍は気軽な口調で応じた。

「おお、あんたらだ」

 明雄もはやり気軽な口調でそう返し、さりげなく忍と同じテーブルに着いた。

 もちろん、偉もいっしょだ。

 そのテーブルは六人掛けだったので、三人が座ってもまだ余裕がある。

 昭雄と偉もその場にいた店員に手早く料理と飲み物を注文する。

 この二人にとってもこの店は来慣れた場所であるらしい。

「たまたまロビーで会ってな」

 明雄はそういって隣に座っている偉を軽く肘でこずいた。

「聞けば、同じバッタの間に挑戦しているっていうじゃないか」

「ソロで?」

 間髪を入れず、忍は確認する。

「うん。

 ソロで」

 なんでもない風に、偉が頷く。

「何日かやってみたけど、あれ、ソロだと凄い難しいね。

 おかげで〈加速〉なんて妙なスキルが生えてきたよ」

「妙なスキルといえば、おれの場合は〈遠近両用〉だったな」

 明雄が続ける。

「ユニークなのだかレアなのだかは知らないけど。

 少なくとも公社公認のスキル名一覧の中にはなかった」

 相変わらず、無茶をするなあ、と、忍は思う。

 バッタもの間といえば、何万だか何十万単位のエネミーを一度に相手にしなければならない難所だ。

 数名でパーティを組んでいてさえ難儀するというのに、その上そろで挑もうという発想自体がかなり無茶で無謀だった。

「でも、あそこ、そんなに難しいか?」

 明雄は、そういって首をひねる。

「手ごたえからすれば、もう少し頑張れば全滅までもって行けそうだけど」

「そりゃ、あっきーは〈隠密〉持ちだから」

 苦笑いを浮かべながらいった。

「反撃を受けない状態でやったら、あとはスタミナと撃破効率だけの問題になるじゃない」

 つい先ごろまで同じパーティで活動していた忍は、明雄のスキル構成や戦い方について熟知している。

「まあ、相性っていうやつはあるよね」

 偉は、いつもの調子で軽く流す。

「ぼくにとっては、バッタの間はなかなかの難所だけど」

「そういって新スキルを生やしていれば世話ないな」

 今度は明雄が苦笑いを浮かべる番だった。

「しかし、〈加速〉か。

 ますますニンジャっぽくなるな」

「ニンジャに暗殺者」

 忍は呟く。

「なんだかみんな、どんどん先にいくんだんだな」

「行き詰まりを感じているのですか?」

 忍の精神状態を敏感に察した偉が、そう訊ねてくる。

「まあね」

 忍は素直に頷く。

「わたしも今、ソロでやっているんだけど、三十五階層あたりから出てくるイノシシに苦戦していてね」

「イノシシか」

 明雄は軽く顔をしかめた。

「確かにあれば、ソロだとてこずりそうだな」

「もっとはっきりいっていいよ」

 忍はくちびるを尖らせる。

「打撃力がないと厳しいって」

 実際、忍は明雄の〈隠密〉ような特殊なスキルも偉の魔法みたいな身のこなしもない。

「それこそ、相性ってやつじゃないのか」

 偉は静かな口調でいった。

「別に特定のエネミーが苦手でも、迷宮に入るのには支障がないわけだし」

「これから先、タフなエネミーはいくらでも出てくるのにそんなことをいわれてもねえ」

 忍はそっとため息をついた。

「そんなのに遭遇するたびに〈フラグ〉で逃げ出せっていうの?」

「別にソロに拘らなくてもいいんじゃね?」

 明雄が軽い口調でいう。

「一生、ソロを経験しないで終わる探索者だって山ほどいるだろうし」

「いや、どちらかというと、そっちの方が多数派でしょう」

 偉も明雄の言葉に頷いた。

「でもわたしは、もっと強くなりたいの!」

 忍がそういったとき、店員が明雄と偉の飲み物を持ってきた。

 明雄がジンジャーエール、偉がエスプレッソドッピオだった。


「やあやあ。

 皆様お揃いで」

 三人がそれぞれの飲み物に口をつけたとき、見慣れた巨大な人影がテーブルに近づいてくる。

「同席しても構いませんかな?」

「なんだ、〈鈍牛〉か」

 明雄がいった。

「おれは構わないけど、お前、最近松濤の方に入り浸ってたんじゃね?」

「確かにお邪魔していていましたが、合間を見てソロの方も極めたいと思っておりまして」

「むこうの方に座りなよ」

 偉の隣に座ろうとした野間秀嗣に、偉が囁くように声をかける。

「こっちは二人なんだから」

「うん」

 忍も頷いて、すかさずそう声をかけた。

「こっち空いているし、遠慮しないで」

「よろしいのでありますか?」

 秀嗣は忍の顔色をうかがうように見たあと、おそるおそるといった感じで忍の隣に、ただしかなり距離を置いて腰かける。

「むしろ、あんたみたいに大きいのが対面に座られる方が、圧迫感を受ける」

 忍がそう断言すると、明雄が小さく噴き出した。

「違いない」

「でも、しばらく見ない間に随分とこざっぱりしたよね」

「そうね」

 忍が偉の言葉に同意する。

「見た感じ、スリムになった気がするし」

「松濤の子たちにヘアサロンに放り込まれまして」

 秀嗣はそういってハンカチを取り出し、額に浮かんだ汗を拭った。

「見た目はともかく、体重はむしろ増加する傾向にあるのですが」

「それは、あれだ」

 明雄がいった。

「脂肪が減って筋肉量が増えたんだな」

「だね」

 偉が頷く。

「健康的で、いい傾向だと思う」

「なんだかんだいって、動くもんね」

 忍も頷いた。

「迷宮の中に入ると」

 忍が注文した前菜とパスタを持ってきた店員がやって来て配膳し、秀嗣がやはり慣れた調子で注文を伝える。

「そのパスタ、うまそうだな」

 明雄が忍の皿をのぞき込んでいった。

「なにそれ、カニ?」

「うん。

 春菊とタラバガニとクリームソースのパスタ」

「ああ、おれもそれにすればよかったな」

「あとで頼めばいいじゃない」

「それで、最近こちらの様子はどうなっているのですか?」

 誰にともなく、秀嗣が訊ねる。

「一橋先輩の一件以来、特に変化はないかな」

 偉がそれに答えた。

「強いていえば、この三人が揃っているソロに挑んでいるのが、珍しいといえば珍しいのか」

「そういえば、一年で最初にソロはじめたの〈鈍牛〉だったよな」

 明雄がそんなことをいい出す。

「いえ、確か白泉さんとほぼ同時期だったと記憶していますが」

 秀嗣は汗を拭いながら、そういう。

「夏希の方の角川先輩にはゲーム的な発想だと一笑にふされましたし」

「でも、場合によっては便利だよな、ソロ」

 明雄は遠慮のない声で主張した。

「なにより、他人に気兼ねなく鍛えたいところだけを鍛えることができるし」

「だよね」

 偉も明雄の言葉に賛同した。

「場合によりけりだけど、ソロはソロで都合がいい面もあるから」

「なんか一芸がある人はそういえるからいいよ」

 ため息まじりに、忍がそういう。

「なにかあったのですか?」

 秀嗣が忍の方に顔をむけて訊ねた。

「一陣さんもソロやっていて、今、イノシシに苦戦しているらしいよ」

 偉がざっくりと説明をする。

「イノシシですか」

 秀嗣はその説明に頷いた。

「あれは確かに、女性の細腕ではきついかも知れませんな」

「そういうあんたは大丈夫そうだよね?」

 忍は、そう確認してみる。

「そうですな」

 秀嗣はあっさりと頷いた。

「小生の場合はこの体格ですから、イノシシを相手にする場合はまず盾を構えて体を使って突進を受け止めて、しかるのちにメイスを叩きつけることになります」

「おい」

 明雄が呆れた表情になった。

「あのイノシシの突進を、体で止めるって?

 あーんなにでかっくて速いやつを」

「それはおそらく、秀嗣くんも気づかないうちに、そういうパッシブ・スキルを生やしているんじゃにかな」

 偉が推測を述べた。

「そうでないと、説明がつかないし」

「それなら納得がいくな」

 明雄はそういって首を振った。

「そうでないと、物理的にありえないし」

「実際、ウェイトも大きな武器になるしね」

 偉はそういって頷いた。

「現実には、自分より体重や体格に恵まれている相手に勝てることはまずないし」

「そうでなけりゃ、格闘技なんかも体重別にわけてないしな」

 明雄も、そういって頷いた。

「つまり、そんだけ大きな体をした野間くんは、探索者としてもそれだけ有利ってことか」

 忍が、小さく呟く。

「わたしだけ、なんにもないな」

「まだまだこれからでありますよ」

 秀嗣が、忍にむかってそう力説した。

「これから、なんらかの有用なスキルが生えてくるかもしれませんし」

「ぼくもそう思うけど」

 偉も、秀嗣の言葉に賛同する。

「だって、まだ探索者をはじめて半年も経っていないんだよ。

 まだまだ焦るような時期ではないし、もっと長い目で見てもいいと思うけど」

「なんでもかんでも一人で抱え込みすぎるんだ、忍ちゃんは」

 明雄は、遠慮のないいい方をした。

「ソロでやるのに不安があるんなら、おれみたいにしばらくはどこかのパーティに入れてもらって地道に経験値を貯めてみろよ」

「実際、迷宮の中では、多少のことならば累積効果で地力を底上げすることで解決してしまいますからね」

 秀嗣は、身も蓋もない事実を指摘する。

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