12. 宴のあと

 度重なるアンコールの声に応えて、榊十佐はこれで何度目になるのかわからない居合いの型を披露して見せた。

「おー!」

「サムライッ!」

 留学生たちが一斉にどよめく。

 基本的に、やつらはテンションが高く、オーバーアクションでもある。

 そのため、十佐も止めどころがわからなくなっていた。

 日本刀を武器として使用している探索者は留学生たちにとってもかなり珍しいらしく、捕まって質問責めになった結果がこの有様である。

 居合いの型、いわゆる抜刀術を披露すること自体は、十佐にしてみれば造作もないことであった。

 が。

「潮風で刀身が痛まないかな」

 などという心配ばかりを、この十佐は、先ほどからしている。

 十佐にしてみても、わざわざ鞘までしつらえた刀は数えるほどであるし、当然のことながら、そうしたお気に入りは普段は大事にしまい込んでいた。

 その秘蔵の品を使って抜刀術を披露しているあたり、この十佐もなかなかサービス精神が旺盛であるのかも知れない。


「長老は?」

「挨拶回りしているって」

 昇殿顕子と角川夏希が、そんなやり取りをしている。

「あの人もマメですね」

「マメというか、こちらからお願いして、大勢の人たちに来て貰っている立場だからね。

 当然なんじゃない」

 今回参加してくれた人々の多くは、本来ならばラッコ型などという弱いエネミーを相手にする必要がないベテランが多かった。

「ま、うちの新入生たちでもどうにか対抗できる程度のエネミーだしね」

 顕子のいいように、夏希が頷く。

「怖いのは、数だけか」

「討伐というよりは、お祭りみたいなものでしょう」

 顕子はそう続けた。

「これだけ大勢の探索者が参加できる討伐というのも、そうそうあるものでもないし」

「お祭り、か」

 夏希は周囲を見渡して呟いた。

 老若男女、様々な年格好の探索者たちが入り乱れ、ふかけんが提供した飲食物を手にしながら談笑している。

 そうなのかもな、と、夏希は思う。

「そういえば先輩、真面目に就職活動をしているそうじゃないですか」

「当たり前でしょう」

 顕子は即答する。

「誰もが長老みたいに根無し草でいられるわけじゃなし。

 今回の件も、もうちょっとうしろにズレていたら参加できないところだった。

 来週から、インターンに入る予定だったからね。

 あんたも早めに将来のことを考えておいた方がいいわよ。

 いつまでも学生のままでいられるわけじゃないんだから」

「将来、かあ」

 夏希はため息をついた。

「実感が、わかないなあ」

「いっておくけど、時間なんかすぐに過ぎるから」

 顕子は頷いた。

「ふかけんに所属していることは、面接だと意外に印象がいいのよ。

 探索者ってどうも、世間的には体育会系で判断力が鍛えられているってイメージがあるみたいで」


「ほれほれ、そっちにもまだ残っているぞ!」

 大ジョッキを手にしていた金城革は、赤い顔をしながら新入生たちに指示を飛ばした。

 鑑定系の特殊スキル〈計測〉持ちである革にとっては、周辺に散らばったドロップ・アイテムを見つけるのはたやすかった。

「そこと、あとその先の海底にもいくつか残っている!」

「海底はともかく、こちらにはまだスライムが群棲しているのでありますが!」

 少し離れた場所で、野間秀嗣が情けない声を出した。

「んなもん、蹴散らせ!」

 そういって革は、ケタケタと笑い出す。

「踏みつぶしても害がないエネミーだ!」

「あれ、ナメクジみたいで小生はあまり関わりたくないのでありますが……」

 秀嗣はぶつくさと小声で文句をいいながらも、革がいった通りにする。

 残ったアイテム拾いなどという雑用をゲストの皆さんや先輩方にやらせるわけにもいかず、結局はほとんどふかけん新入生組がしなければならなかった。

 これだけ大がかりな討伐であったのにも関わらず、いや、大がかりであったからこそ、か。

 ともかく、参加者全員に分配するほどの報酬は望めず、こうしてアイテムを回収しているのも、ゲストに振る舞う飲食代を少しでも埋め合わせるためであるという。

 秀嗣たち新入生も交代で飲食はしていたのだが。


「ショット系のスキルってあそこまで多重発動できるんですね!」

 その頃、双葉アリスは松濤女子学園の面々に捕まっていた。

「なにかコツでもあるんですか!」

「コツっていうか」

 戸惑いながらも、アリスは答える。

「バッタの間を何度もトライしているうちに、効率重視でやっていったら、いつの間にかできるようになっていたっていうか」

「ああ、なるほど!」

 今回の討伐においても、幾十もの遠距離攻撃系スキルを一度に発動していたアリスの様子はかなり目立っていた。

「双葉さん、あのテイマーの人と同じパーティの方でしたっけ?」

「そうそう。

 水利ちゃんといっしょだと、なんていうか、こっちも負けていられないなあって気分になってくるから」

「やっぱりそういう気持ちって大事ですよね!」

 彼女たちも無駄にだべっていたわけではなく、やはりアイテムの回収がてらに会話を行っている。

 この討伐以降、双葉アリスは〈固定砲台〉とか〈弾幕娘〉と呼ばれはじめることになる。

 

「これはナニ?」

「スイギュウの肉。

 ビーフだよ、ビーフ」

「おう、ビーフ!

 それなら、OKね!」

 片言の日本語でいって、その留学生は肉汁が滴る骨付き肉にかぶりつく。

 東南アジア系の顔立ちだったが、ムスリムの人なのかな、と秋山明雄は思う。

「もう日本は長いんですか?」

「まだ一年よ!」

 少し離れた場所で、白泉偉が大勢の留学生たちに囲まれて、

「ニンジャ! ニンジャ!」

 と囃したてられていた。


 参ったな、と白泉偉は思った。

 偉は、父親に連れられて去年まであちこちを渡り歩いていた関係で、英語とスペイン語ができる。

 英語はともかく、スペイン語の方はいつまでも訛りの取れない、拙い発音でどうにか日常会話がこなせる程度ではあったが。

 ともかく、そうした関係もあって金城革が引き連れてきた留学生たちのガイド役も自発的に勤めていたわけだが、いざエネミーとの対戦がはじまってみると、あきらかに他の探索者の戦い方とは異なる精妙な偉の身のこなしをみて、留学生たちが騒ぎはじめた。

 どうやら彼らの目には、偉の動きはニンジャそのものに見えるらしい。

 漢字の忍者、ではなく、カタカナのニンジャ。

 いわゆる、ガイジンが誤解する存在であるところのニンジャである。

 そんなんじゃないんだがなあ、と、偉は困惑する。

 手裏剣術だって、偉にいわせれば実際には別に忍びの者の専売特許というわけでもなく、歴とした武芸として広く伝承されている技術なのであった。

 組み手や剣術と同じように、武術の一体系に位置づけることができる、誰もが習得可能な技術に過ぎない。

 そんなことを思いながら、偉はクナイを投げつけた。

 偉が投じたクナイは、十メートル以上も離れた場所で留学生のひとりが掲げていたなにかのエネミーの生肉に深々と突き刺さる。

 どっと、また周囲が湧いた。

「この程度のことなら、〈throwing〉スキル持なら誰でもできるだろう!」

 英語で、偉はそう口にした。

「でも今、オオイはスキルを使っていなかっただろう?」

「なんでわかるんだよ!」

 英語だと、偉の口調は普段よりも荒っぽくなる。

「わかるさ、それくらい」

 その白人の留学生はいった。

「その態度を見ていればね」


 草原水利がテイムしたエネミーのうち、ポチやキリーなんかはあり余るラッコ型エネミーの死体を食べている。

 それはもう、ガツガツと。

 そうした肉食エネミーのために水利は、おやつとしてバッタ型エネミーの死体を〈フクロ〉の中に常備しているほどだ。

 その他の、明らかに肉食ではないエネミーが食物を必要としている場面を、水利は見たことがない。

 ペットショップで入手できる飼料なども与えてみたことがあるのだが、見向きもされなかった。

 こうした補食行為もエネミーにしてみれば普通の動物とは違った意味合いを持っているのかも知れないな、と、水利は思う。

 その証拠に、飲まず食わずのエネミーたちも特に弱ったりすることはなく、その逆に時間が経過すればするほど元気に、より力強くなっていっている。

 あるいは、人間が経験値とか呼んでいるいる謎エネルギーを直接体内に取り込んで活用するような仕掛けが、こうしたエネミーには備わっているのかも知れないな、とも、水利は思った。

 その水利の肩には、新たにテイムしたばかりのラッコ型エネミー、ラニーがちょこんと乗っかり、水利が与えたバッタ型エネミーの死体を一心不乱に貪っている。

 水利が使役するエネミーは日を追うごとに増え続けていた。

 なんとなく一種類につき一体しかテイムしてこなかったのは、そうした制約を自分で設けなければテイムしたエネミーが際限なく増え続けていく気がしたのだ。

 今の時点でも水利がテイムしたエネミーはかなりの数にのぼり、そのほとんどは、今、特に用事もないため、松濤女子の面々をはじめとする多くの探索者たちに愛玩されるままになっている。

〈テイム〉はかなりレアなスキルであり、従って人間にたいして従順な様子を見せるエネミーたちを見かける機会はほとんどない。

 動物好きの探索者たちが寄ってくるのも、無理はないところだった。

 やはりもふもふな毛皮を持つほ乳類系のエネミーが一番人気であったが、虫系やは虫類系のエネミーにもそれなりに人が集まっている。

 好みは人それぞれ、といったところかな、と、水利は思う。

 この大規模討伐が事実上〈テイマー〉水利のお披露目の場として機能し、この日以降、探索者たちの間で水利の名が広く知られるようになったことに水利自身が気がつくのは、もう少し時間が必要だった。


「インストラクター、ですか」

 早川静乃は、なんだか腑に落ちないような表情で頷く。

 静乃は藤代葵から、扶桑文佳という女性を紹介されているところだった。

「ええ」

 文佳は静乃の様子に構わず、余裕のある態度で続ける。

「意外に多いんですよ。

 資格を取ったはいいが、いっしょに迷宮に入る仲間に心当たりがないという方は。

 そうした方々に一定の実力がつくまでおつき合いして、同時にパーティを組めるような方々を紹介するところまでをお世話しています」

 探索者関連でも、いろいろな商売があるものだなと静乃は思った。

「それで、以前にいった事業化のことですが」

 葵が続ける。

「こちらの扶桑さんの会社と提携すれば、低い階層のエネミーも無理なく常時一定数を確保することが可能になると思うのです」

「うーん」

 静乃は低く唸った。

「それはいいにしても」

「まだなにか問題が?」

 煮え切らない態度の静乃に、葵が疑問の声をあげる。

「いや、エネミーの死体の供給はそれで解決したとしても、だよ。

 そういうインストラクターを必要とする人たちって、要するにお客さんでしょ?」

 静乃はいった。

「そのお客さんに対して、毛皮の剥ぎ取りや死体の解体をやらせてもいいもんかなあ、と」

「ああ、その件ですか」

 葵はいった。

「これまでのように、探索者自身がそうした解体作業までを行うのは非効率的です。

 毛皮の剥ぎ取りや解体作業については、これからは専門の人手を確保することにしましょう」

「……それ、できる?」

 静乃は、難しい表情になった。

「特に慣れないうちは、かなりキツい仕事だよ?

 募集かけて人が集まったとしても、定着率はあまりよくないんじゃないかなあ?」

「ある意味では、現実的な懸念ですね」

 文佳は静乃の言葉に頷いて見せた。

「ですが、案ずるよりも生むがやすし。

 くよくよ悩むよりも、まずは試しにやってみましょう。

 小規模な範囲で試験運用してみれば、実際にできるものかどうか、見通しがたつと思いますし」

「そうですね」

 葵も頷いた。

「やる前にあれこれ悩むよりは、実際に試してみてから判断しましょう」


「今年の一年は、どうやらおもしろい連中が揃っているようじゃないか」

「ええ、まあ」

 ふかけんOBである中年男に捕まった徳間隆康は、曖昧に答えた。

「時期からみて、そろそろ一本立ちする頃なんじゃないか?」

「そうですね。

 もう引率を必要とするやつはほとんどいませんし。

 今回の経験値が駄目押しになったでしょうし」

 入学前後から探索者になったようなひよっ子たちも、夏期休暇がはじまる前後から手を放れていく。

 隆康にしてみれば、毎年恒例のことだった。

「しかし、まだお前が仕切ってるのか」

 OBの中年男はいった。

「下級生に、まともに仕切れるやつはいないのか?」

「いないこともないんですがね」

 隆康は、やはり曖昧に言葉を濁す。

「でも、なに。

 それも今年で終わりですよ。

 おれも、来年にはふかけんにはいませんから」


「ふう」

 野間秀嗣はため息をついてどっかりと砂浜の上に腰を降ろす。

 重たい鈍牛の兜を外して、ひさしぶりに外気に顔を晒した。

 暑いな、と、秀嗣は思う。

 迷宮の中の例に漏れず、この階層も気温だけをみれば、さほど高くはないはずだった。

 が、なにせ浜辺であり、その分、湿気は高い。

 ねっとりとした空気は、正直、不快ですらあった。

 それに、探索者としての装備は安全性が常に優先されているわけだが、快適性まで考慮されているわけではない。

 長時間着用したままだと、体温が保護服の中に籠もってしまうのだった。

 事実、今、秀嗣の保護服の中は、汗で凄いことになっている。

 秀嗣は上気した頭を冷ますため、〈フクロ〉の中から水のペットボトルを取り出して、その中身を自分の頭の上からかけた。

 冷たくて、気持ちがいい。

 そんなことを思いつつ周囲を見渡すと、すでに大半の探索者はヘルメットどころか保護服を脱いでもっとラフな格好になっている。

 中には、水着姿になっている者までいた。

 この周辺の安全性が完全に確保されたと、そう判断したんだろうな。

 と、秀嗣は思った。

 事実、その様子だけを見ていると、ここが迷宮の中であるとは到底思えないほどに、平和な光景だった。

 ほんの少し前まで、大量のエネミーを相手にしていたのに。

 秀嗣は、そんな風に微かな違和感をおぼえる。

 この場にいる大半の人々ほどには切り替えが早くない自分は、つまりは不器用なのだろうな、とも、思う。

 着替えるにしても、保護服の中は汗まみれだしなあ、と、秀嗣は思った。

 公社の職員たちも、売店や仮説トイレは用意してくれても、流石にシャワーまでは設置してくれていない。

 まあ、このままでもいいか。

 少し考えた結果、秀嗣はそう結論し、やはり〈フクロ〉の中からタオルを取り出してわしゃわしゃと濡れた頭髪を拭った。

「あ、大きな人だっ!」

 若い女性の声が、意外なほど近くから聞こえてきた。

「あの、海に入って両手で槍を振り回していた人!」

 まさか自分のことか、などと驚くよりも早く、秀嗣の周囲に少女たちが群がってくる。

「わあ。

 本当に大きい」

「このヘルメット、凄い」

「持ってみてもいいですか?

 あ、重い!」

 なんだなんだ、と、秀嗣は思う。

 異性からこれほど関心を持たれたことは、秀嗣の生涯でもこれがはじめてのことであった。

 驚きのあまりフリーズしていた秀嗣をよそに、恐れを知らない少女たちは好奇心の赴くままに振る舞い続けた。

「ようやく持ちあげられた!」

「大きいし、重いし。

 これ、何キロくらいあるんですか?」

「ええっと」

 秀嗣は不明瞭な発音の小声で答えた。

「だいたい、四十キロ近く」

「わあ!」

「やっぱり、それくらいに」

「これ、被ってみてもいいですか?」

「あ、そ、その」

 秀嗣は、慌てる。

「いいけど、それ。

 汗が」

 つい先ほどまで秀嗣が着用していた兜の中は、当然のことながら秀嗣の汗の匂いが充満している。

「なんだ、そんなことですか」

「気にしない、気にしない」

「うちの部室なんて、ねえ」

 秀嗣が気にするほどは、そうした異臭を嫌う様子もなく、少女たちはわいわいと騒ぎながら後退で鈍牛の兜を被る。

「わ!

 これ、中、凄いよ!」

「なに?」

「広い!

 普通にしているよりも明るいし、広く見える!」

「本当?」

「見てみなよ、ほら!

 ハイテクだよハイテク!」

「本当だ!

 目の中に、ぴーっと来るよこれ!」


「わははははは」

 柊周作は、例によってご機嫌だった。

「やあやあ、松濤のお嬢さん方。

 ちゃんと楽しんでますかな?」

「あ!」

「卑怯な人だ!」

 周作に対する松濤女子の反応は、あまり芳しいものではなかった。

「卑怯、結構!」

 しかし、周作の方は、ここぞとばかりに胸を張る。

「所詮世の中、ノリと要領だよ!

 コツコツやるやつはご苦労さんってね!

 わははははは」

 周作にしてみれば、別にナンパ目的で声をかけたわけでもない。

 いろいろと面倒な十八歳以下の女性を本気で相手にしなければならないほどには、周作も異性に不自由していないのだ。

 羽振りのいい探索者というのは、ある種の女性にはよくモテる。

 えり好みをせず、そして割り切ってしまえば、おいしい思いはいくらでもできた。

 効率よく稼いで派手に散財をする。

 こうした周作の姿も、探索者のあり方としてひとつの類型であり、決して例外的な存在というわけではない。

 しばらく歩いてから周作は足と止め、

「絶景かな絶景かな」

 などと呟いて目を細める。

 どうやら留学生が中心になっているようであったが、そこでは大勢の女性が保護服を脱ぎ捨て、色とりどりの水着姿になって海水浴を楽しんでいた。

 ゲストの探索者や、それにふかけんの女性たちも混ざっているようだ。

 迷宮の中であるから、夏特有の強烈な日差しはないのだが、これだけ大勢の探索者でエネミーを一掃した直後のこの砂浜であれば、確かにこのうえなく安全なわけである。

 普通に海水浴を楽しんでも支障はないのだろう。

 しまったな。

 と、周作は思った。

 おれも水着を用意してくるべきだった。

 なんといっても、これほど綺麗な砂浜は他にはないはずなのだ。

 汚物はすべて、スライムたちが片づけている。

「さっそく嗅ぎつけたんですか」

 足を止めていた周作に、声をかけた者がいる。

「相変わらず抜け目がありませんね、先輩」

 ビキニ姿の角川史緒がすぐそこに立っていた。

「残念なことに、おれは水着を持っていない」

 周作はそんなことをいい出す。

「いっそのこと、下着姿で海に入ろうかな」

「いよいよ軽薄を通り越して変態の域に入るのですか?」

 史緒はそういってわざとらしく目を見開き、驚愕の表情を作ってみせる。

「今度からどこかであっても声をかけないでください」

「冗談だよ」

 周作はいった。

「いや、水着を持ってこなかったのは本当だけど。

 しかし、まあ」

 周作は史緒の全身を無遠慮に眺めた。

「なんですか?」

「相変わらず、いつまでたっても育たないねえ。

 お前」

「ほっといてください!」

 史緒は、上半身のある部分が、見ていて可哀想になるくらいにささやかだった。


 槇原猛敏は先ほどからのべつなしに料理をガッついていた。

 以前から猛敏は健啖家ではあったが、探索者として活動するようになって以降、以前に輪をかけて旺盛な食欲を見せるようになっている。 

 今回のエネミー討伐が終了までにかなり長時間に渡ったこともあり、猛敏の食欲は普段の五割り増しくらいにまでなっていた。

 幸いなことに、食料と飲み物はいくらでも用意されている。

 ここで遠慮すべき理由は、どこにもなかった。

「に、兄ちゃん」

 小柄な、赤ら顔の中年男が声をかけてきた。

「あ、あんた、よく食うなあ」

「どうも」

 猛敏は、短く応じておく。

 おそらく、ゲスト探索者の一人だろう。

 初対面だったが、失礼にならない程度には相手をしておく必要がある。

 と、猛敏は判断した。

「に、兄ちゃんも、いっぱいどうだい?」

 そいって、中年男は猛敏に透明なグラスを掲げてみせる。

「すいません」

 猛敏は頭をさげた。

「おれ、まだ未成年なので。

 そちらにおつき合いすることはできません」

「そ、そうかい」

 中年男は、気を悪くした風もなく、持っていたグラスを一気に飲み干した。

「それは、残念だなあ」

「はぁ」

 猛敏は手にしていた肉を口の中に放り込んで咀嚼した。

「お、おれが兄ちゃんくらいのときにはだなあ」

 それで終わるかと思ったが、その中年男、猿渡朋春はそれ以降もえんえん猛敏につきまとうことになる。

 この〈暴風〉の異名を取る朋春は、その実力に一目おかれ、それなりに名が通った探索者であったが、同時に、私生活においては酒癖の悪さで有名でもあった。

 朋春を知る探索者ならば酒を口にした朋春に自分から近づくことはまずなく、そうした事情に明るくはない猛敏がそういう朋春に捕まってしまった形である。

 そのとき、少し離れた場所で喧噪が大きくなった。

 そのあたりには、なぜか外国人の探索者が大勢いて、先ほどからかなり賑やかなことになっていたのだが、その喧噪がにわかにさらに大きくなったのだ。

「なんだ?」

 猛敏はそう呟いて、そちらの方に視線を走らせる。

「……白泉のやつじゃないか」

 猛敏の視線の先では、見おぼえのある白泉偉の小柄な体が、長身の、日本刀を持った男と対峙している。


 どうしてこうなった、と、白泉は思った。

「こういうのは、趣味じゃないんだけどなあ」

 口に出しては、そういう。

「同感だ」

 日本刀を持った男も、短くその意見に賛同した。

「お前、ふかけんの関係者か?」

「この春から城南に通っている、白泉偉といいます」

「そうか。

 おれは、ふかけん所属の二回生で、榊十佐という」

「先輩でしたか」

「一応はな。

 先輩らしいことは、まるでしてないが」

 ふかけんの上級生たちが、全員、後輩の育成に熱心なわけではない。

 それどころか、自分の活動のことを第一義に考えて、いっさい関知しない者の方が多いくらいだった。

 十佐も、こうした大多数の上級生の一員ということになる。 

 また留学生たちからサムライとかニンジャとして認識されていたこの二人が引き合わされるのは、時間の問題だった。

「まさか真剣に果たし合いをするわけにはいきませんから、適当にそれっぽく動いてお茶を濁した方がいいかと思いますが」

「それも、同感だ」

 偉の提案に、十佐が頷く。

「当たらないように気をつけて振るから、適当に避けてくれ」

「わかりました」

 十佐の指示はかなりアバウトであったが、偉はあっさりとそれを認める。

「では、先輩からどうぞ」

「ふむ」

 十佐は、鞘から抜いた日本刀を振りかぶった。

「では、失礼する」

 次の瞬間、十佐は全身に冷や汗をかいていた。

 刀を振りおろす前に、五メートル以上は先にいた偉の顔が、すぐ目の前に肉薄していたのである。

 十佐は慌てて後ずさり、大きな声を出した。

「お前、何者だ!」

 ぞっとした。

 十佐は、偉が近づいてきた様子を認識できなかったのだ。

「さっきもいった通り、ふかけんの一年生ですよ」

 偉は、緊張を欠いた口調で答える。

「そうか」

 ただ者ではないな、こいつ。

 そう思いつつ、十佐はいった。

「今度は、本気でいく。

 お前なら、難なく避けられるだろう」

「ちょっと先輩!」

 はじめて、偉が慌てた声をだした。

「それ、洒落にならない!」

 抜き身の真剣を持ちながら、なにをいっているのだこの人は、と、偉は思う。

「問答無用!」

 次の一撃を、十佐は最後まで完遂できなかった。

 剣を振り切る前に、十佐が握った柄頭を、やはりいつの間にか肉薄していた偉がてのひらで押さえて身動きを封じていたのだ。

「……無刀取り、だと?」

 うめくようにいった十佐の声は、震えていた。


「あ、いたいた!」

 そういっていきなり現れた金城革が、早川静乃の肩にしなだれかかってきた。

「探したよー、静乃ちゃん。

 悪いんだけどさあ。

 ちょっと、静乃ちゃんの力を貸してねー」

「ちょっと、金城先輩!」

 藤代葵が、珍しく慌てた声を出す。

「こちらのはなしがまだ終わっていないのですが!」

「葵ちゃん」

 そばにいた扶桑文佳がそういって、ゆっくり首を振る。

「これ以上の商談は、また場を改めて行いましょう」

「それでは、ちょっと静乃ちゃんお借りしますねえ!」

 そういって革は静乃の腕を取ってずりずりと引きずっていく。

「ちょ、ちょっと先輩!

 どこにいくんですか!」

「静乃ちゃんの〈魔騨〉が必要なのだよ!」

「なんでまた!」

「んっふっふっふ。

 それはだねえ」

 革は意味ありげな笑い声をたててから、いった。

「わたしは貝を食べたいのだぁ!」

「あんた、酔っぱらっているでしょうっ!」


「先輩」

 大野相馬は新鷄兼平に訊ねた。

「おれたち、いつまでこうしてアイテム拾いをしていればいいんですか?」

「ずっと」

 兼平は短く答える。

「すべてのアイテムを拾い終わるまで、だ」

「そんな、殺生な」

 誠吾はぼやいた。

「一年は他にもいるのに、なんでおれたちばかりが」

「お前たち、先にたっぷり飲み食いしていただろう?」

 兼平は指摘する。

「他の一年がアイテム拾いをしていたときに。

 それに、おれもこうしてつき合ってやっているんだから文句をいうな」

 その答えを聞いて、相馬と誠吾は揃って深いため息をついた。

「ま、誰かがやらなければならない仕事は、おれたちみたいな地味な人間が片づけることになっているんだよ」

 兼平は、そうも続ける。

「それって、不公平なんじゃないですか?」

 相馬が、不満を口にした。

「っていうか、地味だと決めつけられてもなあ」

 誠吾も、口をとがらせる。

「ではお前たちには、特筆すべき特徴というものがあるのか?」

 兼平は、不意に真剣な口調になった。

「レアだったりユニークだったりするスキルや装備を持っていたり、特別に運が良かったり逆に悪かったり、理由もなく異性が集まってきたりするのか?」

「そんな、ラノベかマンガの主人公でもあるまいし」

 相馬が、呆れた口調で応じた。

「そう。

 幸か不幸か、おれたちは主人公体質ではない」

 兼平は力強く断言した。

「これはもう、明らかなことだ」

「そんなことを力説されてもな」

 誠吾は、そんな兼平の態度に戸惑っている。

「なに、脇役的な生き方も、そんなに悪いものでもないぞ。

 あれをみて見ろ」

 兼平が指さした方向では、小柄な少年が日本刀を振り回している長身の男に追い回されていた。

「あ」

「白泉だ」

 相馬と誠吾が、その光景を見て呟く。

「刀を振り回しているのは、おれの同期の榊だな。

 あいつも最近は大学に寄りつかないそうだが」

 兼平は平静な声を出した。

「主人公体質であるということは、本人が望まない不幸や境遇を押しつかられるということにも等しい。

 そこへいくと、一山いくらの有象無象、いくらでも替えの利く脇役的な人生は、そのような危難とは無縁だ。

 平々凡々として、だからこそ、余計な苦労をしなくても済む平和な人生。

 結構なことではないか」

 そういって兼平は、

「地味キャラ最高! 裏方万歳!」

 などと叫び出す。

 相馬と誠吾は、そんな兼平をうろんな目つきで眺める。


「しょ、小生は、その」

 しどろもどろになりながら、秀嗣は説明を続ける。

「幼少時から、見たとおりの巨漢であり、ど、同時に、赤面症でも多汗症でもあり……」

「へー」

「小生、だって」

「リアルで使っている人、はじめてみた」

「それで、そんなに髪を伸ばして顔を隠しているんだー」

「切っちゃおうよ、その髪。

 似合ってないし」

「この髪を切ると、その。

 いささか不都合といいますか」

 秀嗣は慌てて抗弁する。

「似合うとか似合わないという以前に、その。

 小生には他人の視線を遮蔽する何物かが必要なのでありまして。

 それで、その。

 この髪がないと、対人関係に支障をきたしかねないといいますか」

 顔を隠すように半端に伸ばしてこの髪も、日頃からの芝居がかったものいいも、すべて、秀嗣の対人恐怖症を和らげるための方策なのである。

「でもさあ、わたしたとはこうして話せているわけだし」

「サークルの人たちとも、普通に会話できているんでしょ?」

「確かに、昔のひでっちにはそういう傾向があったかも知れない。

 でも、今ではかなり改善されているんじゃないかな?」

「そうそう。

 だって、ヒデっち探索者をはじめたのこの春からでしょ?

 もっと自信を持っていいと思うけど」

「さっきも凄かったし」

「うちの一年たちと比べると、ねえ」

「ヒデっちは、自分を過小評価していると思うなあ」

「とりあえず、その髪は切ろう。

 カットハウスの予約入れちゃうかね」

「ここ、電波は入らないでしょ」

「あ、そうだった」

 いつの間にか、松濤女子の生徒たちは秀嗣に対して集団でカウンセリングじみたことをしはじめていた。


「え?」

 それまで盛大に飲食にいそしんでいた早川颯は、切れ切れに聞こえてきた声を耳にして小さく驚きの声を出した。

「ねーちゃん、〈魔弾〉を使うの!」

 ユニークスキル〈魔弾〉を披露するということで、先ほどから探索者たちが騒いでいる。

 ユニークスキルとはその名の通り、唯一無二の存在であり、つまりはそれを使用している場面をその目で見る機会はかなり限られている。

 探索者たちが騒ぐのにも、それなりの理由があった。

 颯は紙皿と割り箸を投げ捨てて、騒ぎの根源、静乃の姿を求めて走り出す。

 しかし、静乃の〈魔弾〉の正体を知っている颯は、あのスキルは乱用するべきではないと思っていた。

 威力の大きさは折り紙付きであったが、普通に迷宮に入っているだけならば使用する必要もないスキルでもある。

 たいていのエネミーが相手ならば、〈狙撃〉スキルだけでも十分に対応できるはずなのだ。

 なにより、颯自身が静乃には〈魔弾〉スキルを使用して欲しくはなかった。


 人混みをかき分けるようにして静乃のすぐ近くに到着したとき、静乃はすでに模型の銃を構えているところだった。

「ねーちゃん!」

 颯は叫ぶ。

「止めなよ!

 こんなところで!」

「うん。

 大丈夫だから」

 颯の姿に気づいた静乃が、力なく笑った。

「心配しないで」

 するよ。

 と、颯は、心の中で叫ぶ。

 だが、静乃がこの表情をしているときには、止めても無駄だろうなということも理解していた。


 静乃は模型の銃を構え直す。

「あれでいいんですね?」

「ああ、あれでいい」

 金城革が、静乃の言葉に応えた。

 静乃は〈察知〉のスキルを、革は〈計測〉のスキルを持っている。

 銃口の延長線上になにがあるのか、二人とも説明をするまでもなく理解していた。

 静乃は、模型の銃を構えたまま、深呼吸をする。

 そして、すべてを思い出そうとする。


 崩壊。

 もはや帰ることができない、故郷。

 いなくなった人々。

 散り散りになった人々。

 放棄された、何代もかけて耕し続けた田畑。

 瓦礫。

 廃墟。

 倒壊した建物。

 裂けたアスファルト。

 炎。


 その日で一変した、静乃の十四年間の思い出すべてを。


 そうした思いでのすべてが〈魔弾〉と化して海中をくぐり抜け、遮蔽物を無視して海底にいた貝型のエネミーに炸裂する。


「命中しました」

「命中は、したな」

 静乃は〈察知〉のスキルを、革は〈計測〉のスキルを持っている。

 つまり、そんなことは確認するまでもなく、この二人なら理解できるはずだった。

 しかし、静乃はあえて言葉にした。


 その言葉が終わるやいなや、海上に巨大な水柱が発生する。

 そしてその水柱は、海岸にいた人々の上に海水の水滴を降らせた。


「だが、これでは貝は食えないな」

 革は、小声でぼやく。

「威力が大きすぎる。

 エネミーの肉は残っていないだろう。

 それから、その」

 少し間をあけて、革はつけ加える。

「無理をいって、悪かったな」

 革は、酔いが醒めた顔つきをしていた。


 鑑定系のスキルが実際にはどのように知覚されているのかというのは、スキルの持ち主によってかなり個人差があるそうだ。

 だから、実際に、革が静乃の姿になにを見たのか、静乃には想像ができない。

 革が持つスキル〈計測〉はかなり特殊な性質を持つというし、静乃が漠然と想像する以上に、〈魔弾〉の性質を理解していたのかも知れない。


「いいですよ、別に」

 静乃は、なんでもないことのような気軽な口調でいった。

「いつかは、使わなければならないと思っていましたし」



「だからさあ、一口にスキルといってもだなあ。

 使いこなし方次第ではいくらでも強力になる可能性を秘めているわけで」

 赤い顔をした徳間隆康は、新入生たちを集めて演説を開始した。

「レアだのユニークだのばかりが強力なわけではにといってことは、声を大にして主張しておきたいね。

 おい、そこの」

 隆康はたまたま近くにいた槇原猛敏を指さした。

「お前。

 その場で、立っていろ。

 しばらく動くなよ」

「うす」

 猛敏は隆康にいわれるままに、その場で立ちあがった。

「それから、お前。

 お前だお前。

 そこのデカいの!」

 次ぎに、隆康は野間秀嗣を指さした。

「お前、そこで盾を出して突っ立てろ」

 秀嗣は、猛敏の背後、ただし十メートル以上離れた位置で〈フクロ〉から盾を出して構えた。

「うん。

 これでいい。

 いいか! 一回しかやらないからよく見ておけよ!

 はっ!」

 隆康は気合いとともに、猛敏の胸元に拳を放つ。

 隆康の拳は、猛敏の体にさえ届くことなく、その直前で停止していた。

 しかし、猛敏の遙かに後方で盾を構えていた秀嗣の体が、軽々と吹き飛ばされる。

 ちなみに、秀嗣の体重は百二十キロを優に越えていた。

 その場にいた新入生たちが、騒がしくなる。

「……遠当てだ」

 目を見開いた白泉偉が、呆然とした様子で呟いた。

「まさか、本当にできる人がいるなんて」

「そんな上等なもんじゃねーよ」

 隆康は、吠えるようにいう。

「今のはだなあ、ごくごく単純な、誰でも生やすことができる〈刺突〉スキルの効果だ。

 ありきたりな〈刺突〉スキルでも、使いようによってはここまでのことができるようになる。

 熟練度と、それに応用だな。

 自分で自分の限界を設定するな!

 できると思いこめば、いずれはなんでもできるようになる!

 迷宮というのは、つまりはそんな滅茶苦茶な場所だ!」

 


 そんな騒ぎをしている間にも、時間は過ぎていく。

 その特殊階層からも、徐々に人が去っていった。

 迷宮内であるから、日が沈むことこそなかったが。

 人影がまばらになった海岸で、座り込みながらグラスを抱えていた人物がいた。

 猿渡朋春という、中年の探索者だった。

「……せーしゅんだなぁ」

 ぽつりと、朋春は呟く。

 周囲に人はいなかったので、その呟きを耳にした者はいなかった。

 朋春がなんに対してそうコメントしたのか、誰にもわからない。

 あるいは。

 意味のない、酔っぱらいのたわごとなのかも知れなかったが。 

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