07. 鈍牛の兜

 野間秀嗣の朝は早い。

 現在、まだ十八歳の秀嗣は両親と同居していた。

 そして、その住居は茅ヶ崎にあり、秀嗣は毎日四時半には家を出ている。

 始発がほぼ五時前であり、それに間に合うように駅に到着したいからだった。

 茅ヶ崎からいきつけの白金台迷宮までは、東海道線で新橋ま出て、そこから内幸町まで徒歩で移動し、都営三田線で白金高輪まで出るのが一番早い。

 東海道線に乗車している時間は五十分前後あり、秀嗣はその移動時間を予習や復習に当てていた。そうした時間をうまく活用なければ、秀嗣の頭では大学の講義についていけないのだった。

 少なくとも、秀嗣自身はそう思いこんでいた。

 始発の場合、少なくとも茅ヶ崎の駅では電車の座席は余裕で座ることができる。

 乗客も徐々に増えていくのだが、一度座席に座ってしまえば品川駅に到着するまで五十分前後、手の中にあるテキストに意識を集中できるのだった。

 秀嗣は自分を、肉体的にも頭脳的にも優秀な人間だとは思っていないが、それでもコツコツと地道に頑張ればそれなりの成果が出せるということを経験上、学習している。

 裏を返すとそうした努力を怠ると、途端にどうしようもない駄目人間に転落することを弁えているため、地道な努力を怠ることはなかった。

 白金高輪の駅から四、五分ほど歩くと、白金台迷宮が入っているオフィスビルに到着する。

 この頃には、たいてい、六時二十分前後になっていた。

 迷宮のロビーで秀嗣は〈フクロ〉に持参していた手荷物を収納し、同時に探索者用の装備を身につける。

 この〈フクロ〉のスキルにより瞬時に衣服を身につける技も、最初はかなりまごついたものだが、最近ではごく自然に行えるようになっていた。

 所定の手続きを終え、とはいっても、実際はIDカードをゲートに設置されている読み取り機にかざすだけだのだが、秀嗣は単身で迷宮に入っていく。



 幼少時からゲームを嗜んでいた秀嗣は、攻略情報の重要さを熟知していた。

 リアルな迷宮においては、別に明確な攻略情報があるわけではないのだが、それに近いものは存在する。

 ネット上に残された、探索者の先輩たちが残した膨大な記録である。

 全盛期半ばから出現した迷宮に関する記録は、当然のことながらネット上にも膨大に存在した。

 それらはたいてい、個人的な記録であり、従って断片的で未整理なものが多く、真偽のほどがかなり怪しいものもかなり含まれていたのだが、それでも秀嗣はそうした断片的な情報を自分で繋ぎ合わせ、意味のある形で解釈をしていく煩雑な仕事を厭わうことはなかった。

 つまりは、時間がある限りは片っ端から役に立ちそうな情報を検索して自分のために整理していたのだが、そのときにたまたま目にしたある探索者の記録が秀嗣の注意を引いた。


「徹頭徹尾、ソロねえ」

 その探索者のことをはなしたとき、角川夏希は鼻で笑った。

「全くメリットがないわけではないけど、それ以上にリスクが大きすぎる。

 まともな神経の持ち主なら、まずやらないよ」

 その頃はまだ、新入生だけのパーティでは心許なく、有志の上級生が引率役を引き受けてくれていた時期だった。

 夏希も、そうした引率役として顔を合わせる機会が多かったのだ。

 実質的には同じパーティに入って迷宮にはいるだけであり、それ以上になにかをするということはないのだが、いざというときに頼れる戦力が行動をともにしてくれるだけでも経験の浅い新入生たちにとっては大きな安心感を得られる。

 そうして同じパーティを組んでいたとき、〈スライム・キラー〉の方法について話題に出してみたのだが、夏希の評価はさんざんなものだった。

「ですが、まだエネミーが弱い浅い階層で念入りに経験値をためておくというのも、それなりに理にかなっているように思いますが」

 秀嗣はほぼ反射的に反駁した。

「ゲーム的な発想だな」

 夏希は、秀嗣の言葉を一蹴する。

「実際の迷宮は、ゲームのような数字のやり取りだけでできているわけではない。

 たとえば、そうだな。

 ついこの間、秋田がイレギュラーに遭遇して大怪我を負ったばかりだろう。

 ろくにスキルも生えていないひよっこが、ああしたアクシデントに遭って常に正しい対処ができると思うのか?」

 そういわれると、秀嗣は反論ができなくなってしまう。

 実際には、変異体だのイレギュラーなエネミーに遭遇する確率はかなり低い。

 万が一、どころではなく、それこそ天文学的な数値になってしまうだろう。

 しかし、そうした不幸な偶然がまったく起きないとも断言できないのが迷宮という場所なのだった。 

「第一、そうした方法が有効だというのなら、とっくの昔にメソッドとしてもっと一般化しているはずだ」

 夏希は、さらに続ける。

「逆に訊くが、最初からソロで迷宮に入り続ける方法が今ではほとんど実行されていないのはなぜか、考えてみたことはあるか?」

「エネミーの特殊な攻撃、たとえば毒物とかに対抗する術を初期の探索者は持たなかったからですか?」

 そのとき、たまたま同じパーティに入っていた双葉アリスが指摘した。

「そう。

 毒物もそうだが、それ以外に電撃を放ったりや炎を吐いたりするエネミーは浅い階層でも出没する。

 そうしたエネミーに対しての知識も今ではかなり充実していて、予防接種やワクチン、装備類なども、そうしたエネミーの存在を前提にして開発されているわけだ。

 距離があるうちから早めに攻撃して倒すなどの方法論も確立している。

 初期の探索者は、現在の探索者よりもずっと危険な立場にいた。

 当然、迷宮の中ではそれだけ注意深く行動する必要があったし、単独行動なんて言語道断、もってのほかだったろう。

 秀嗣。

 ソロで迷宮にはいることのメリットとはなんだ?」

「すぐに思いつくのは、ドロップ・アイテムや経験値を独占できることであります」

「そうだな」

 夏希は頷いた。

「だが、初心者が行き来できる程度の低い階層で得られるものなど、たかが知れている。

 そんな低い階層で得られる経験値もアイテムも、少し経験を積んで深い階層に入りさえすればあっという間に追い越せる程度のものだ。

 その程度のメリットしかないのに、初心者があえて危険なソロをやらなければならない理由なんか、どこにもない。

 ある程度経験を積んだあとに、少し深い階層をソロで潜るのならまた別だけどな。

 実際、自分の実力を客観視できるようになってから、その実力に見合った場所をソロでうろつく探索者は少なくはない。

 だけど、最初から最後までソロをまっとうしようというのは、一言でいってしまえば自殺行為だ。

 絶対に、推奨できない」

 夏希は普段の態度とは違い、かなり強い口調で念を押した。

「迷宮とは、そんな甘い考えて入っていって、いつまでも無事でいられるほど安全な場所ではないんだ」


 結局、秀嗣がソロで迷宮にはいるようになったのは、そうした問答があってから一月以上もあとのことだった。

 夏希の忠告を肝に銘じて安全マージンを充分にとり、ソロで迷宮にはいるときは、普段パーティで出入りしている階層の三分の一程度までと決めている。

 その程度の浅い階層なら、なんとか単身でも対処できるだろうと判断したのだった。 

 少しでも不利だと判断したら即座に〈フラグ〉のスキルで引き返すことも心がけていた。



 現在、秀嗣が行きつけにしているのは、第四階層だった。

 その階層から、クエストにあったトツゲキウサギが出没しはじめるからだ。

 トツゲキウサギは全長一メートルほどの巨大なウサギで、その名の通り、探索者を見つけるとまっしぐらにむかってきて、体当たりをかましてくるエネミーであった。

 体重は、三十キロから四十キロ代の間といわれていて、それくらいの質量が野生動物の速度で体当たりをしてくるわけで、まともに食らえば探索者の側も多大なダメージを受ける。

 そうなる前に、トツゲキウサギの姿を見つけ次第、遠距離攻撃で倒すのが通常のセオリーだった。

 発見次第倒す、というのは、別のこのエネミーに限った方法ではなく、すべてのエネミーに共通する対処法であったが、残念なことに、目下の秀嗣はそうした遠距離にむいた攻撃方法を持っていない。

 ではどうするのかというと、真っ正面からその体当たりを受け止める。

 遠距離攻撃系のスキルなどを持たない代わりに、秀嗣は〈両手持ち〉のスキルを習得していた。

 この〈両手持ち〉とは、両手が利き腕と同じように器用になるというパッシブ・スキルであり、効果としては微妙な上、パッシブ・スキルの常として長いこと秀嗣本人も習得したこと自体に気づかないでいた。

 鑑定系のスキルを持つ藤代葵に指摘をされて、はじめてそのスキルを習得していたことに気づいたくらいだ。

 どうやら、自分の反応速度に鈍さに対応するため、両手に盾を掲げて使うようにしていたせいで、そのような微妙なスキルが生えたようだった。


 エネミー。

 人間を見ると見境なく襲ってくる習性を持つ、迷宮内に発生する擬似生命体を、そのように総称している。

 かなり深い階層まで進むと、人型の、探索者と同じような多種多様なスキルを使いこなすエネミーも出没するというのだが、秀嗣自身はまだそんな階層まで足を踏み入れたことがない。

 つまりは、秀嗣は普段から野生動物と同等かそれ以上の俊敏さを持つエネミーたちと渡り合っているわけである。

 多少、累積効果により身体の諸機能が底上げされているとはいっても、もともと運動神経に自信がない秀嗣はそうしたエネミーの動きになかなかついていけなかった。

 そうした自分の鈍くささをフォローするため、秀嗣は両手にひとつずつ持った盾で直接エネミーを殴る戦法を採用していた。

 素早く動く相手に鈍い秀嗣が攻撃を当てるには、線でよりも面で攻撃した方が命中しやすい、という理屈である。

 明らかに素人考えではあったが、秀嗣の場合、この方法はなかなかうまくいった。

 それまでなかなか命中しなかった攻撃が、両手に持った盾で殴るようになってから、目に見えて当たるようになってきたのだ。

 もちろん、その程度の打撃だけで倒すことができるほど、ほとんどのエネミーは柔ではなかった。

 しかし、秀嗣の力任せの一撃をまともにうけたエネミーは、気を失うか負傷するかして、めっきり動きが鈍った。

 そうして弱ったエネミーは、他のパーティメンバーのいい標的になる。

 結果として、それまであまり攻撃面ではパーティに貢献できなかった秀嗣は、盾の両手持ちを採用して以来、曲がりなりにも相応の戦力として数えられるようになったわけだった。


 現在、秀嗣は透明な特殊硬化樹脂で製造された盾を愛用していた。

 探索者用の盾としては初心者向けの、従って耐久性の方もそれなりの安物ではあったが、なにしろ透明であるがゆえに両手に構えていても視界を遮らない。

 それに、戦闘の途中で破損したとしても、すぐに予備の盾を〈フクロ〉の中から取りだして構えることができるので、耐久性についてもあまり問題に思わなかった。

 もっと深い階層に出入りするようになってからならばともかく、現在、秀嗣がうろついているような階層に出没するようなエネミーが相手なら、この程度の盾でも充分に対応可能なのである。


 透明な盾を両手にひとつずつ持って秀嗣は進む。

 パーティを組まずに単独でということで、いつもより心持ちゆっくりとした速度だった。

 秀嗣は早川静乃が持つ〈察知〉のような、周辺のエネミーの位置が把握できるスキルを所持していないので、なおさら注意深く周辺の様子をうかがう必要がある。

 落ちきがない様子で視線をさまよわせながら進む秀嗣の臆病な様子は、傍目にはかなり滑稽にも見たことだろう。

 しかし秀嗣はそもそも自分の容姿や見栄えについては一種の諦観ともいうべき感情を持っていたので、自分の不甲斐なさについては今さら認識を新たにする必要もない。

 幸いなことに、ここ最近、ソロのときの目標にしているトツゲキウサギは鹿や水牛型のエネミーのように群れで行動する習性はなく、たいてい単独で出現する。

 秀嗣単独でも、油断しなければどうにか倒すことができるエネミーだった。

 トグゲキウサギは、今、秀嗣がさまよっている四階層から出没しはじめるエネミーであったが、決してこの階層にそのトツゲキウサギしかエネミーが出現しないわけではない。

 これまで、ここよりも浅い階層に出没してきたエネミーがランダムで出現するため、個々のエネミーに対して適切な対処をする必要があった。

 ひとつ間違えれば戦闘が長引き、その結果他のエネミーを引きつけてドツボにハマる。

 一度そうなってしまえば〈フラグ〉を用いて強制的に迷宮入り口まで撤退するしか仕切り直す術はなく、そうなれば当然、その戦闘でドロップしたアイテムを拾うことはできなくなる。

 つまりは、その戦闘の分は、丸々ただ働きになってしまう。

 だからソロで迷宮に入るには〈フラグ〉のスキルを習得している、あるいは潜る予定の階層に出没する程度のエネミーならどれほど束になっていたとしても余裕で蹴散らすことができる実力の所持が最低限の条件とされていた。

 秀嗣自身はその条件のうちの前者、つまり、〈フラグ〉スキルの習得者に該当する。


 そうして警戒しながら進むうちに、秀嗣は唐突に背中に重い衝撃を受けた。

 前方につんのめりそうになった秀嗣は、足をついて踏ん張り、転倒することを回避する。

 そのまま背後を振り返ろうとする途中で、今度は脇腹に重い打撃を受けた。

 姿勢を持ち直しながら、秀嗣は、これまでの経験からトツゲキウサギによる攻撃であろうと推測する。


 トツゲキウサギは、全長一メートル前後、体重は三十キロ以上もあるウサギ型のエネミーだった。

 それだけの質量を持つ生物が、野生動物特有の筋力をフルに発揮して体当たりをかましてくれば、それはもうかなりの衝撃が発生する。

 まだしも体重がある秀嗣が相手だからたたらを踏む程度で済んでいるが、小柄な女性などがやつらの体当たりをまともに食らってしまうと、そのまま数メートルも吹き飛ばされるのだった。

 当然、無事で済むはずもなく、原付かなにかと交通事故を起こしたとき程度のダメージは受ける。

 当たりどころが悪ければそのまま気を失ってしまってもおかしくはないし、パーティメンバーの中に〈ヒール〉持ちがいなければそれ以上の探索は諦めて〈フクロ〉で撤退すべき状況に追い込まれる。

 しかし小柄な女性二人分以上の体重を持つ秀嗣の場合は、そのトツゲキウサギの体当たりもさしたるダメージにはならない。

 

 振り返り、素早く移動するトツゲキウサギを視認した秀嗣は、両手に持った透明な盾を改めて構え直す。

 トツゲキウサギの動きは素早く、秀嗣がむきなおるとランダムに左右に移動して、攪乱しようとしてきた。

 浅い階層から出現することからもわかるように、トツゲキウサギはあまり強力なエネミーではない。

 油断をせず、初撃の体当たりさえいなしてしまえばさしたる脅威にはならないエネミーだと、秀嗣は知っている。

 目まぐるしく左右に跳ねて移動しながら、トツゲキウサギは明らかに秀嗣の隙をうかがおうとする気配を放っていた。

 あるいは、秀嗣がもっと強そうな探索者であったら、初撃で沈まなかった時点で一目散に逃げていったのだろう。

 が、こうしてその場に留まって戦闘を続行する様子を見せているということは、秀嗣がトツゲキウサギを大したことがないエネミーだと認識しているように、そのトツゲキウサギも秀嗣の実力をかなり下に見積もっているらしい。

 しかし秀嗣の方も、これまで地道に頑張ってきただけあり、いささかも慌てることなく冷静に対応している。

 左右に飛び跳ねるトツゲキウサギの動きを見据え、トツゲキウサギが体当たりしてくるのに合わせて手にしていた盾を突き出す。

 秀嗣の動きは俊敏ではなかったが、こちらに体当たりをしてくるトツゲキウサギの動きは直線的であり、タイミングさえあえばカウンターが狙えるのであった。

 頭部に盾による直撃を受けたトツゲキウサギは、脳震盪を起こしてその場に落ちる。

 すかさず、秀嗣はトツゲキウサギに近寄り、その頸部を踏みつぶす。

 エネミーが動物の形状を模している以上、その弱点もモデルとなった動物とほぼ同じ。

 つまりは脊椎を損傷すればもはや生命活動を維持することはできず、確実に息の根を止めることができる。

 また、あとで毛皮を取ることが前提となっている今回の場合、刃物などによって外部からの損傷を増やすことも避けたかった。

 こうした際、秀嗣自身の体重は大きな武器となった。

 

 秀嗣は七時過ぎまでそうしてウサギ狩りを行い、何羽かのトツゲキウサギの死体を〈フクロ〉の中に収納したあと、朝の部を終いにして迷宮から出る。

 それから迷宮に併設されている民間企業が経営する探索者むけのアメニティルームでシャワーを浴び、ようやく目黒キャンパスへとむかう。

 迷宮のある白金台から目黒まで一駅区間だけ東京メトロを利用し、城南大学の目黒キャンパスに移動したあと、学食でようやく朝食を摂る。

 城南大学の学食は朝食用のメニューが充実しており、かなり格安でまともな食事にありつくことができた。

 それをいいことに、秀嗣はだいたい通常であれば三人分くらいに相当する量の食事を買い込んで、ゆっくりと楽しむ。

 秀嗣はダイエットにはあまり関心が持たなかったが、探索者として活動しはじめて以来、運動量が格段に増えていた。

 そのせいか、食事量は特に変えていないのにも関わらず、体つきがの方は持ちスリムになっている。

 とはいっても、体重にはほとんど変化がなかったし、外見に似合わず口の悪い双葉アリスにいわせると、

「バレーボールがラグビーボールに変わったくらいの変化はあるよね」

 といった程度の変化でしかなかったが。


 それから、普通の学生らしく大学の講義を受ける。

 ふかけんの新入生たちは、

「長老のようになるな」

 を合い言葉に、割合、真面目に講義を消化していた。

 計画的に欠席するのはいいのだが、決して単位は落とすなというわけである。

 特に入院して一月近く大学に通えなかった秋田明雄などは、今の時点ですでにいくつか、出席日数的にあぶない講義があるという。

 明雄に限らず、入院を必要とする怪我を受ければ講義の方も必然的に休むしかないわけで、それを覚悟した上で探索者として活動する以上、学業の方も手を抜くわけにはいかないのだった。



 そして、その日取っていた講義をすべて受講し終えると、秀嗣はまた迷宮へとむかう。

 ふかけんのメンバーで時間が合う連中がいればその人たちとパーティを組むし、そうでなければ朝のように単独で迷宮に入る。

 夏希先輩にいくら非効率的だと指摘されようが、秀嗣はソロで迷宮に入ることをやめなかった。

 件の〈スライム・キラー〉ほど徹底してソロを極めようとは思わないし、そもそも極める必要もないのだが、それでもソロはソロで得るものがあると秀嗣は判断している。

 実際に得られる累積効果など、第三者にもそうとわかるようなものではなく、無形の知識や経験など、パーティを組んでいるだけでは得られないものがソロ活動にはある、と。


 その日は先日、戦斧のドロップ・アイテムを入手した槇原猛敏を含む男ばかり三名とパーティを組むことになっていた。

 女子とはいわず、せめて女顔の白泉偉の都合がつけがまだしも目の保養になるのだが、この日、偉なにやら用事があるとかで迷宮には入らないという。

 男ばかりのパーティというのもまたむさ苦しい限りではあるが、もちろん、秀嗣は実際にそう思っていることを口にすることもない。

 どうせ、他のやつらも似たようなことを思っており、わざわざそんなことを口に出してパーティ内の空気を険悪なものにする必要がなかったからだ。

 秀嗣が白金台迷宮のロビーに到着したとき、槇原猛敏はひときわ大きな、長い柄のついた斧の刃を、見せびらかすようにかざしていていた。

「それが、例のドロップ・アイテムでありますか?」

 はじめてその武器を目にした秀嗣が、そう声をかける。

「おう、そうよ」

 猛敏はそういって頬をほこばせた。

「おれにも、ようやく運が回ってきた」

「運ねえ」

 その場にいた、猛敏とよくパーティを組む大野相馬という男がため息をついた。

「誰も引き取り手がなかったアイテムを押しつけられたのに」

「引き取り手がなかった?」

 秀嗣は首をひねった。

「なにか問題があるアイテムなのですか?」

「問題は、ない」

 猛敏は静かな口調でそう主張する。

「攻撃力などの性能も、十分に高い」

「ただ、重すぎるんだよな」

 やはり猛敏と組むことが多い、両角誠吾が口を挟んできた。

「今の段階のおれたちにしてみると、な。

 もう少し累積効果で力が強くなってからならともかく、今の時点では、無理に使おうとしても動きが鈍くなる。

 取り回しに苦労する」

 そういうことか、と、秀嗣は納得した。

 ただ単に持ち運ぶのとの、自由自在に扱うことの間には大きな壁がある。

 その斧は、現在の猛敏の得物としては、格段に重すぎるのだろう。

「しばらくは仕舞っておいて、今の時点ではもっと扱い易い得物を使うべきなのでは?」

 秀嗣は、一応、そう忠告してみた。

「いや、できる限り、こいつを使う」

 しかし、猛敏の反応はかたくなだった。

「今の時点で多少苦労をするにしても、おれもすぐに成長して、こいつに相応しくなる」

「仮にそうなったとしても」

「ものが、斧だからなあ」

 大野相馬と両角誠吾が、ため息混じりにそんなことをいいあった。

「他の武器ならともかく、斧じゃあなあ」

「熟練も、する甲斐がないっていうか」

「斧使いというのは、地味なんだよなあ」

「育てたとしても、あまり活躍の場がないっていうか」

「不遇武器の代名詞っていうか」

「お前らなあ」

 猛敏は怒りで声を震わせた。

「ゲームかなんかのイメージで余計な先入観を持つのは構わんが、実際にこいつの攻撃力は半端じゃないぞ。

 先輩方も、下手な刃物よりは打撃武器の方が実用的だといっているし、この斧はどちらかというとその重さでダメージを大きくする武器だ」

「それってつまり、技能よりも力任せの攻撃にむいているってことじゃないか?」

「つまり猛敏は、自分が力押ししかできない人種だということを自分で認めるんだ」

 すかさず、相馬と誠吾がそんなことをいい出す。

 このアイテムの引き取り手がいなかったのは、斧に対してそんなイメージがあったからか、と、秀嗣はここではじめて知ることになった。

「うるせえっ!」

 猛敏は顔をひきつらせて一喝する。

「それより、面子は揃ったんだ。

 さっさと迷宮に入るぞ!」


「階層はどこに?」

「十四階層だ」

 秀嗣が訊ねると、猛敏が即答する。

「今日は、水牛を狙う」

「この面子で、でありますか?」

 秀嗣は思わず聞き返してしまった。

「引率者も、藤代嬢や早川嬢もいないのに?」

 上級生や藤代葵、それに早川静乃が同行しているのならば、なにも問題はない。

 しかし、その他の新入生だけでいきなり十四階層にむかうのは、それもハクゲキシギュウを狙うのは、秀嗣にしてみればかなり無謀な選択に思えた。

 なにしろハクゲキスギュウはほとんど単体では行動せず、数十頭から場合によっては百頭以上の群れを作って行動する。

 都合よく、そのうちの一部だけを相手にするということが、できるわけもない。

「大丈夫だ」

 猛敏はそういって手にしていた戦斧をかざしてみせた。

「今のおれたちには、これがある」

 その目つきを見て、秀嗣は、

「説得しても無駄だな」

 と悟った。

 他の二人、相馬や誠吾の様子を確認すると、なにやら諦観した様子だ。

 おそらくは、これまでにも説得を試みて、そしておそらくは成功しなかったのだろう。

 この猛敏は、新しく手に入れたドロップ・アイテムの威力を確かめたくてしかたがないのだ。

「少しでも危なそうだと判断したら、すぐに引き返しますぞ」

 秀嗣は念を入れて、あらかじめそう宣言しておいた。

 猛敏以外の二人が、秀嗣の言葉に大きく頷いている。

 仮に、群れを全滅させずに数頭を倒したところで〈フラグ〉によってその場から逃亡したとしたら、倒したエネミー分の累積効果はともかく、エネミーの死体とかドロップ・アイテムとかの物品を回収することはできなくなる。

 つまりは、完全なただ働きになるわけだが、だからといって自分たちの命と引き替えにするわけにはいかなかった。

 そして、この四人の中で〈フラグ〉のスキルを習得しているのは秀嗣ただひとり。

 つまりは、そうした際、引き返すタイミングを最終的に判断するのは、秀嗣の役目となる。

 もともと、猛敏の注文によりかなり無理な階層に挑むわけだから、秀嗣にしてみても引き際に関して妥協するつもりはなかった。


 そして、彼らのパーティは十四階層に出現する。

 スキル構成的には、槇原猛敏が〈刺突〉と〈薙払い〉のファイター・タイプ。

 大野相馬が〈刺突〉と〈投擲〉持ちの短剣使いで、〈フクロ〉もすでに生えている。

 両角誠吾はショット系のスキルを何種類かと、それに〈ヒール〉を習得していた。  

 そして、秀嗣自身はこの時点で〈両手持ち〉、〈ヒール〉、〈フクロ〉、〈フラグ〉を生やしている。

〈フラグ〉持ちの秀嗣がいなければ緊急脱出することは不可能になるわけで、普段は引率の先輩方か秀嗣のような〈フラグ〉持ちを探してパーティを組んでいるのだろう。

 実力的にもスキル構成的にも一抹の不安を感じるパーティではあったが、他のふかけんの新入生たちもこの時点では似たり寄ったりであり、秀嗣としても文句をいうつもりはない。

 人員構成やスキルの内実よりも、この面子だけで十四階層に挑むことに、秀嗣は少なからず不安を感じていた。

 先に宣言しておいた通り、少しでも不安を感じる状況になれば、有無をいわさずその場から脱出するつもりでいる。


 パーティの中に〈察知〉のスキルを持つ者がいないので、全員で十四階層をあてもなく走り回ることになる。

 つまりは、人数が増えただけで秀嗣自身がソロのときとやることは変わっていない。

 事前にエネミーの位置を関知する方法がスキル以外にない以上、こうしたときに待ちの姿勢になるのは仕方がなかった。

〈察知〉のスキルも、早くおぼえたいなあと、小走りになりながら秀嗣は思う。


 パーティメンバー四人の中で秀嗣が一番足が遅かったので、自然と秀嗣のペースに合わせた速度になる。

 自分の思うようなペースで駆け続けることができず、まず猛敏が苛ついた様子をみせはじめた。

「そう焦るなって」

 相馬が、そんな猛敏に声をかける。

「別に、早く走ればそれだけ多くのエネミーを狩ることができるってわけでもない」

「確率的に考えると、移動距離を稼げばそれだけ多くのエネミーに遭遇できるはずだ」

 猛敏は目に見えて不機嫌な声で応じた。

「だとしても、必要以上に急いだって、無駄に疲れるだけだよ」

 誠吾がことさらにのんびりした声を出す。

「実際にエネミーと遭遇したとき、息を切らしていたんじゃどうしようもない」

 猛敏は、その言葉には直接答えず、不満そうに鼻を鳴らして会話を打ち切る。


 そんな、少々険悪な空気の中、最初のエネミーを前方に発見した。

 一キロはないが、数百メートルは離れた場所に、ぽつんと小さな影が見える。

 大きさからいっても狙っているハクゲキスイギュウではなく、別種のエネミーだった。

 が、こうして目視してしまった以上、無視することはできない。

 こちらがエネミーを発見したということは、エネミーの方もこちらの存在に気づいている可能性が高く、その場で避けたとしてもすぐに仲間を引き連れてこちらのあとを追ってくる場合があるのだ。

 つまりは、見つけた以上は積極的に狩っていくのが一番安全な方法だということになる。

「面倒な」

 先頭を走る猛敏がいらだちを含んで声で、吐き捨てるようにいった。

「手っ取り早くすますぞ」

「了解」

「いわれるまでもない」

 相馬と誠吾が、即座に応じる。

 秀嗣だけが、言葉を発する余裕もなく、彼らに追いすがっていた。

 そうした会話をしている間にも、彼らは走る速度をゆるめなかった。


 そのエネミーは、メイソウダヌキと呼ばれるエネミーだった。

 比較的小型なエネミーであり、特別素早かったり力が強かったりするわけでもなく、特異な攻撃方法を持っているわけでもない。

 ただ、種族的な特性として〈ヒール〉のスキルに似た回復技を持っているので、他の強力なエネミーと同時に出現したときは狩るのに手間取るエネミーであった。

 単体ならば、初心者にでも苦労せずに狩ることができる相手だったが。

 幸いなことに、今はその場には、そのメイソウダヌキは一体しかない。

 相馬と誠吾が、ほぼ同時に短剣を投じて〈ライトニング・ショット〉のスキルを放つ。

〈ライトニング・ショット〉はいわゆる電気の火花を投じるスキルで、多くのショット系スキルと同じく有効射程距離は二十メートル前後とされている。

 エネミーの動きを鈍らせるスタン効果があるので、初撃に使用されることが多いショット系スキルだった。

 短剣と〈ライトニング・ショット〉とは、見事にメイソウダヌキに命中。

 そのメイソウダヌキは、パーティが近寄るときには逃げることも抵抗できないほどの弱っており、瀕死の状態だった。

 ぐったりと横たわるメイソウダヌキの体躯に、猛敏が無造作に戦斧の刃を振り下ろす。

 ほとんど胴体を両断された状態で、メイソウダヌキの死骸はそのまま相馬の〈フクロ〉の中に収納された。

 独特の臭みがあるメイソウダヌキの肉はとうてい食用ならず、二束三文で公社に引き取られた、そのあとは肥料にでもするしかない。

 その場に放置してスライムの餌にしてもいいくらいの代物だった。

「次にいくぞ、次に……」

 猛敏が振り返り、他のパーティメンバーにそういいかけて、目を見開く。

「危ない!」

 猛敏は、そう叫んでいた。

 パーティのすぐ近く、秀嗣のすぐ背後に全長三メートルもあるモヒカンクマが、いつの間にか忍び寄っていた。

 間一髪で、振り返りざまに透明な特殊樹脂製の盾を構えた秀嗣はモヒカンクマの前肢による攻撃を受け止めた。

 受け止めたはいいが、それだけでは前肢の勢いを殺しきることができず、そのままの姿勢でずるずると三メートルほど後退を余儀なくされる。

「小生が注意を引いている間に、早く!」

 秀嗣はそう叫んで、モヒカンクマにむかっていく。

 秀嗣の背後から、誠吾がショット系のスキルを乱射し、相馬も〈フクロ〉の中から短剣を立て続けに出してはモヒカンクマにむかって投じる。

 どちらも命中しているのだが、あまり効果はないようだった。

 モヒカンクマの体躯は分厚い毛皮に包まれているため、生半可な攻撃では大したダメージを与えられることができない。

「うおぉぉぉっ!」

 雄叫びをあげて、猛敏が自慢の戦斧を振りかざしてモヒカンクマに襲いかかる。

 馬鹿、声をあげるな!

 と、モヒカンクマの注意を引きつけながら、秀嗣は思った。

 そんな声をあげたら、これから攻撃しにいきますとエネミーに合図をするようなものじゃないか。

 案の定、猛敏が振りかざした戦斧はモヒカンクマの前肢に軽く弾かれ、その拍子に猛敏自身の体も軽々と五メートルほど吹き飛ばされてしまう。

 ごん、と、ヘルメットが床に強く叩きつけられた音がして、猛敏はそのまま動かなくなる。

 もともと、身の丈に合わない戦斧を持っていた猛敏は、モヒカンクマの動きをみてからそれを回避する余裕を持っていなかったのだ。

 秀嗣としては、モヒカンクマの注意を引きつつ、吹き飛ばされた猛敏を意識して〈ヒール〉を使い続けるしかない。


 その戦闘は、体感ではかなり長く続いたように思えた。

 だが実際には、せいぜい数分といったところだろう。

 秀嗣が前に出てモヒカンクマの注意を引き、相馬がそのうしろから短剣を投じて攪乱。

 その隙をついて、誠吾がモヒカンクマの頭部目がけてショット系のスキルを乱発する。

 頭部には感覚器官が集中しているので、非力なショット系スキルであっても命中さえすればそれなりのダメージになる。

 特に、火傷や氷で気道を塞ぐことに成功すさえすれば、窒息死が狙える。

 どうやら誠吾たちもそのメソッドをわきまえているようだったので、秀嗣としては安心して壁役を遂行することができた。

 猛敏を欠いた今のパーティは決定的に攻撃力を欠いていたのだが、三人の闘志は衰えていなかった。

 他のパーティメンバーがやるべきことをわかっているとき、壁役である秀嗣ができることはエネミーの注意を自分に引いて時間を稼ぐことだけ。

 つまり、ここまでくれば、あとは自分の仕事に専念するだけでいい。

 秀嗣は継続的に他のメンバーに〈ヒール〉をかけながら、モヒカンクマの攻撃をいなすことに集中する。

 いなす、といっても、モヒカンクマの攻撃は流石に力強く、まともに受けると盾越しの攻撃であっても、百キロは優に越える体重を持つ秀嗣の体が何メートルも吹き飛ばされる。

 最初に持っていた特殊樹脂製の盾は一撃で破砕されたのですぐに破棄し、今では新たに〈フクロ〉から取り出した、より耐久性のある金属製の盾を使用していた。

 その金属製の盾であっても、わずか数回の攻撃を受け止めれば使い物にならないほどに歪んでしまうのだが。

 いくつも盾を使い潰しながら、秀嗣はモヒカンクマに何度も弾き飛ばされ、そしてすぐに前に出て、モヒカンクマの注意を引きつけ続ける。

 モヒカンクマの攻撃はできるだけ盾で受け流すようにしていたつもりだったが、いつの間にか保護服のそこここに大きな亀裂が入っていた。

 当然、流血もしている。

 秀嗣自身も気づかないうちに、攻撃を受けていたようだ。

 極度な興奮状態にあると、一時的に痛みを感じなくということは聞いたことがあるが、今の自分はそんな状態なのだろうな、と、秀嗣はぼんやりと思う。

 正直なところ、目の前のモヒカンクマの相手をするのが精一杯であり、他のことを感じている余裕がない。

 自分自身にも継続的に〈ヒール〉をかけながらでなければ、秀嗣自身もとうの昔に沈んでいただろう。

 しかし、〈ヒール〉のスキルは破壊された体組織を修復することはできても、肉体的な疲労まで回復させるわけではない。

 目の前のモヒカンクマの動きに果敢に対応しながらも、秀嗣は、自分の体が徐々に重くなっていくのを感じていた。

 朦朧とした目で確認すると、モヒカンクマも満身創痍の様子だった。

 特に顔の部分は、火膨れや霜に覆われて酷い有様になっている。

 このままいけば、どうにか倒せそうだな、と、秀嗣は思った。


「お前ら、よくやったっ!」

 いつの間にか息を吹き返したのか、猛敏の叫び声があがった。

「あとはまかせろっ!」

 また大声を出して!

 と、秀嗣は心中で猛敏を毒づく。

 しかし、短時間の失神から復活したらしい猛敏の動きは、秀嗣たちの予想を超えて素早かった。

 その大声を聞いた次の瞬間には、猛敏はモヒカンクマの背後に回っている。

 通りすがりに一撃を決めたのか、モヒカンクマの大腿部が裂けて大量に出血していた。

 なるほど。

 あの戦斧の性能がいいのは、確かなことらしい。

 などと、例によってあまり働かない頭の中で、秀嗣はそんなことを思う。

 秀嗣は秀嗣で、いぜんとして止まることがないモヒカンクマの猛攻を捌くだけで精一杯なのだった。

 秀嗣たちにとって幸いだったのは、気づかないうちに、モヒカンクマの動きを反応を大きく遅らせてることに成功していたことだ。

 野生のままの体力や瞬発力などはさほど損なわれてはいなかったが、このときのモヒカンクマは頭部、すなわち、目や耳、鼻などにショット系の攻撃を多数受け、つまりは視覚や聴覚、嗅覚などの感覚がかなり鈍くなっている状態だった。

 そのせいで猛敏の接近と攻撃に対応するのが一瞬遅れ、そして、その遅れは文字通り、致命的なものとなる。

 大腿部への攻撃に続き、猛敏はモヒカンクマの背後から例の戦斧を二度、三度と素早く叩きつけた。

 頸椎まで傷つけることはなかったが、腰部の背後が大きく損傷して、どくどくと大量に流血する。

 モヒカンクマが、吼えた。

 苦痛からか、それとも敵に対する威嚇のためかはわからない。

 吼えてから、モヒカンクマは背後を襲った敵、つまり猛敏を振り返ろうとする。

 この動きが、大きな隙となった。


 モヒカンクマの猛攻が唐突に止む。

 そのことを感じた秀嗣は、例によってぼんやりとした思考で、

「あっ。

 チャンス」

 などと考えた。

 モヒカンクマとの対戦が開始して以来の、好機であった。

 なんの?

 攻撃をするための、だ。

 秀嗣としてははっきりと思考をしたつもりではなかったが、体は自然に動いていた。

 まず、両手に持っていた盾を捨て、〈フクロ〉の中からメイスを取り出して持ち変える。

 この頃には秀嗣も〈フクロ〉の扱いにかなり習熟していたので、ほとんど一瞬でこの動作を終えることができた。

 そしてそのメイスを、目前にいるモヒカンクマにぶち当てた。

 秀嗣は〈両手持ち〉というスキルを習得しているので、利き腕とそうでない腕の区別はほとんど意味のない状態にある。

 左右から、巨大なモヒカンクマの体に、メイスがのめり込む。

 分厚い毛皮と脂肪に阻まれ、いまいち攻撃が効いているような感触がない。

 ならば、と、秀嗣はもっと効果的な場所を探す。

 あるじゃないか。

 ほんの少し、上に、のびあがれば。

 とか、秀嗣は思う。

 そして、考えるのとほぼ同時に体が動いていた。

 伸びをするようにして、モヒカンクマの胸部や肩のあたりを左右から叩く。

 そしてすぐに、飛びあがりながらモヒカンクマの頭部をメイスで叩くようになった。

 秀嗣のメイスは、重たい金属の重りに柄をつけたような無骨な鈍器だった。

 そんな代物を、まだ初心者とはいえ累積効果で強化された探索者の腕力でごん、ごん、ごんと何度も打ちつけられるのである。

 秀嗣よりも一メートル近く高い位置にある頭骨を狙うため、その攻撃のほとんどはモヒカンクマの顎や後頭部に命中する。


 秀嗣がそうしている間、なぜモヒカンクマが秀嗣に反撃をしなかったかというと、他のパーティメンバーもそれぞれ同時にモヒカンクマを攻撃していたからだった。

 まず、猛敏は戦斧を何度も振るってモヒカンクマの背中や後肢に切りつけていた。

 十分に勢いをつけた戦斧の切れ味は鋭く、面白いようにモヒカンクマの肉を割り、筋を断ち、出血を誘う。

 モヒカンクマにしてみれば、猛敏と秀嗣に挟撃されている状態になる。

 この二人に少し遅れたが、状況の変化を見た相馬と誠吾も猛攻を開始した。

 二人の間から、モヒカンクマの負傷した部分を狙って、短剣を投じたりショット系スキルを容赦なく連射する。

 弱っている場所を狙うのは、こうした場合の常套手段でもあった。

 要するに、四人全員が参加してモヒカンクマをタコ殴りにしはじめたのだ。


 強者であったはずのモヒカンクマの吼え声が、徐々に弱々しいものになっていく。

 秀嗣による頭部攻撃が効いたのか、モヒカンクマは徐々に直立した姿勢から身を屈めるようになった。

 頭蓋骨を強打されると、どんな屈強な生物であっても脳味噌に衝撃が伝わる。

 脳を直接揺さぶられたら運動機能に障害が発生するのであった。

 そして、姿勢を低くしたところを狙って、猛敏はモヒカンクマの首に切りつけた。

 初撃は頸動脈を分断して大出血を誘発するだけだったが、二撃目の攻撃で戦斧がモヒカンクマの頸椎の隙間に潜り込み、主要な神経系統を分断する。

 モヒカンクマは巨体を痙攣させながら、その場にゆっくりと倒れてそのまま動かなくなった。


 しばらく、四人の若者たちは、モヒカンクマの体を見おろして荒い息をつくだけだった。


「はっ」

 誰かが、笑い声をあげた。

「はははははは」

 それがきっかけになって、四人は、全員でしばらく狂ったように笑いだす。

「やっちまった!

 本当にやっちまったっ!」

「クマだぞ、クマ!」

「モヒカンクマって、本当ならもっと深い階層で出るエネミーじゃなかったか?」

「誰だよ!

 少しでも危なくなったら、〈フラグ〉で逃げますっていってたのっ!」

「そういったやつが、真っ先にモヒカンクマにむかっていっているしっ!」

「いやもう、無我夢中で。

 気づいたら、ああなっていたとしか」

「いいっていいって!

 とにかく、おれたちはやり遂げたんだ!

 おれたち四人だけでだぞっ!」

「おい!

 おれ、スキルが増えているよっ!」

「お、おれもだっ!」

 おれもおれも、と四人はそれぞれのスキルについて報告をしあった。

 猛敏が〈斧術〉、相馬が〈エンチャント〉、誠吾が〈察知〉を、そして、秀嗣は自身は〈強打〉をそれぞれに生やしていた。


「クマが効いたんだな、クマが」

「自分よりも明らかに格上の相手を倒したときに、スキルは生えやすいとかいうしな」

 疲れてその場にへたり込んでいる秀嗣を囲んで、三人がそんな会話を続けている。

 秀嗣は、モヒカンクマの返り血でべっとりと濡れていたフェイスガードをヘルメットから取り外し、〈フクロ〉から取り出したペットボトルの水をかけて洗い流していた。

 金属盾のスペアはまだ少し残っていたが、流石にヘルメットに取りつけるフェイスガードの替えまでは用意していない。

 このままでは視界が悪し過ぎるので、水で洗い流すしかないのだった。

 帰ったら、盾の補充擦るのと同時に、フェイスガードの予備も多めに仕入れておかなけりゃな、とか、秀嗣は思う。


「おお!

 前よりもずっと、スムースに動かせる!」

 少し離れた場所で、猛敏がぶんぶんと戦斧を振り回しながらそんなことをいいだした。

 先ほどから、〈斧術〉の効果を試していたのだ。

 いわれてみると、以前の猛敏は戦斧の重さに体の動きがついていけていないような動きであったが、今の猛敏の動きは随分と安定しているように見える。

 以前は斧に振り回されていたのが、今は斧を振り回している、とでもいおうか。

 これが〈斧術〉というスキルの効果か、と、秀嗣は思った。

「あっ!」

 突然、誠吾が大きな声をあげた。

「ここからしばらく移動したところに、水牛の群れが居る!」

 この誠吾も、〈察知〉のスキルを試していたところだった。

「どうする?

 いったん帰って次の機会にする?」

 残りの三人は、なんともいえない表情で顔を見合わせた。

「一度帰って、仕切り直した方がいいと思われます」

 まず秀嗣が、慎重論を唱えた。

「少なくとも小生は、今の戦闘ではなはだ疲弊いたしました」

「おれは、このまま行きたいな」

 猛敏は胸を張ってそういった。

「この斧と、それに新しいスキルがどこまでやれるのかすぐにでも試してみたい」

「その群れの規模は?」

 相馬が誠吾に訊ねる。

「具体的な頭数まではわからない」

 誠吾は即答した。

「少ないってことはないな。

 数十頭はいると思うけど、百頭以上いるかどうかまではわからない」

「最初から、肉やドロップは諦めてかかるか」

 少し考えてから、相馬がそんな提案をする。

「狙いを経験値のみに絞る。

 あくまでスキルの確認を目的として、エネミーを倒せるだけ倒して、限界だと判断したら秀嗣の〈フラグ〉でとんずら」

「ま、妥当なところだな」

 誠吾は相馬の案について、そう判断をくだした。

「慎重すぎても得るところが少ない。

 大胆すぎるとすべてを失いかねない。

 その中間というと、そんなことろかと」

「本当にやる気ですか?」

 秀嗣は露骨に顔をしかめる。

「そうするのならば、せめて休憩する時間だけはたっぷりと頂きたいものであります」

「違いない」

 猛敏はそういった笑い声をあげた。

「休憩と、それに防具の点検とかに少し時間を取ろう。

 誠吾の〈察知〉があれば、不意打ちを食らうこともないだろうし」  

 特に真っ正面からモヒカンクマと殴り合いを演じた秀嗣は、ほぼ全身の装備を取り替える必要があった。



「うおおおおおっ!」

 猛敏が雄叫びをあげてハクゲキスイギュウに迫る。

 そのあとを誠吾と相馬が続き、さらに遅れて秀嗣があとを追う。

 エネミーの数が数だから、気づかれないように近づくという方法は非現実的であった。

 だからといって猛敏のように、わざわざ目立つような真似をして近寄らなくてもいいと秀嗣は思うのだが、これはまあ、気合いというやつだろう。

 合理性よりも精神性を優先するあたりに、猛敏の性格がうかがえる。

 新たに〈斧術〉のスキルを習得したから、というわけではないだろうが、猛敏の動きは以前にも増して俊敏だった。

 先ほどのモヒカンクマは、今の秀嗣たちにとって、経験値的にそれほどおいしいエネミーであったらしい。


 先頭の猛敏が群れと接触する前に、相馬の短剣と誠吾のスキルがハクゲキスイギュウを攻撃している。

 その威力も、以前とは比較にならないほど増大していた。

 たとえば相馬は、〈エンチャント〉のスキルによって短剣に熱や電気をまとわせた状態で投じていたのだが、そもそも投じられた短剣の勢いからして格段に違う。

 こうした大型のエネミーを相手にするとき、相馬はまず例外なく眼窩を狙う。

 命中した場合、分厚い頭蓋骨に当たったよりも、遙かに容易に致命傷を与えることができるからだ。

 しかし、このとき、相馬が投げた短剣はまっすぐにハクゲキスイギュウの眼窩に飛び込み、そのまま直進して脳細胞までもをあっさりと破壊した。

〈エンチャント〉によって与えられた付加効果があろうがなかろうが、脳髄を破壊されればハクゲキスイギュウも即死する。

「……え?」

 足こそ止めたなかったものの、思わぬ威力に短剣を投じた相馬自身が思わず気の抜けた声を出していた。

 短剣の一投でこれほど大物を仕留めたことは、相馬にしてみてもはじめてのことだった。

〈投擲〉スキルの熟練度が、知らぬ間にあがっていた結果らしい。


 そうした事情は、誠吾の場合もあまりかわりなかった。

 誠吾の場合、相馬とは違って各種のショット系スキルをハクゲキスイギュウの群れに放ったわけであるが、その一撃一撃がいちいち以前とは比較にならないほどに威力を増していた。

 頭部に命中しさえすればまず即死、という点は相馬の事情と似たようなものだったが、それ以外の部位に命中した場合であってもその被害は甚大であり、攻撃を受けてなおかつ生き残ったハクゲキスイギュウたちはその場に膝を折ってうずくまるか、それとも情けない悲鳴をあげて逃げまどうかであった。


「なんだ、お前らだけでも軽く全滅できるんじゃないのか!」

 そんなことを叫びながら、猛敏が混乱した群れの中に突入した。

 逃げまどうハクゲキスイギュウの中を甲斐くぐりながら、猛敏は俊敏に戦斧を振るって次々とハクゲキスイギュウの頸部を分断していく。

 その動きが、実に滑らかだった。


 ようやく秀嗣が群れに到着したとき、ハクゲキスイギュウは他の三人の探索者から逃げまどうだけの無害な獣と化していた。

 三人が三人とも、ほとんど一撃でハクゲキスイギュウを即死させるだけの攻撃力を獲得しており、そのことをハクゲキスイギュウたちも理解しているようだ。

 これは、盾の出番はないな。

 秀嗣はそう判断し、〈フクロ〉の中からメイスを取り出して両手に一本ずつ持った。

 そして、こちらにむかって来ることもない、逃げまどうハクゲキスイギュウの頭部に追いついて、次々と打ち下ろしていく。

 少し前まであれほど脅威に感じていたハクゲキスイギュウが、秀嗣の一撃によりあっさりと頭蓋骨を粉砕して事切れていった。

 秀嗣自身も、他の三人と同様に身体能力を大幅に強化されているらしかった。

 いや、〈強打〉スキルの補正効果もあるのか。

 と、秀嗣は思い直す。


 当初の、かなり苦戦するという予測とは裏腹に、秀嗣たち四人はわずか二十分足らずでその群れを壊滅させた。

「今後の課題は、できるだけ傷をつけずに倒すということですな」

 すべてが終わったあと、秀嗣には、そんな軽口を叩く余裕さえあった。

 破損部分が多いと、肉を売るときの値引き分もそれだけ多くなるのだ。

「次の機会には気をつけよう」

 猛敏はそういって笑い声をあげた。

「これ、全部〈フクロ〉に収められるか?」

 誠吾がそんな疑問の声をあげる。

「やってみなくてはわかりませんが、できるだけ傷の少ないものから順番に〈フクロ〉に収納することにしましょう」

 秀嗣は、そう答える。

 今回のパーティには、相馬と秀嗣という二人の〈フクロ〉持ちがいるわけだが、どちらも経験が少なく、その収納能力にも限界があった。

「では、この死体を限界まで〈フクロ〉に詰めて、今日は終わりね」

 当の相馬が、そんなことをいう。

「あ」

「どうした?」

「ドロップ・アイテム、見つけた」

 相馬は、そういって死体の中に紛れていた巨大な物体を両手で持ちあげて見せた。

「兜だな」

「兜でありますね」

「だが、明らかに人間サイズではない」

「大きすぎるな、これは」

「公社に売るか?」

「売ってもいいけど、一度〈鑑定〉をして貰ってからにした方がいいんじゃないか?」

「おれも、そんな気がする。

 なんか、曰くありげだし」


 持ち帰って金城女史に見て貰った結果、そのアイテムは〈鈍牛の兜〉といい、装備した者の防御力を劇的に向上させる効果があるということが判明した。

「その代わり、移動力にもマイナスの補正がかかるようだけど」

「移動力にマイナス補正?」

「わかりやすくいえば、走るのが遅くなる。

 材質は純度の高いアダマンタイン製だったから、そのまま売ってもかなりの金額になると思うけど」

 アダマンタインとは、ギリシャ神話に登場する、きわめて硬い金属ないしは宝石をさす名称だった。

 迷宮内で産出する未知の金属には架空の金属の名称をあてはめる習慣があるので、今では迷宮で産出するきわめて硬いある金属をさす名称にもなっている。

 その希少価値と実用性から、高値で取り引きされていた。

 今回の場合、防具としてもかなり高性能であったから、アイテム自体もかなり高額で取り引きされることになるだろう。

 そのまま市場に流せば、のはなしだったが。


「これは、秀ちーのだな」

「秀嗣むきだな」

「うん。

 秀嗣のものでいい」

 秀嗣以外の三人は、口々にそういいあった。

「いやいやいや」

 秀嗣だけが、反発する。

「これだけの値打ち物、本来ならば換金してから等分にわけるべきなのでは?」

「それよりも、秀ちーの防御力を底あげする方がいい」

「長い目で見ると、お得だよな」

「クマを相手にしたとき、一歩も引き下がらなかったあのガッツがあれば、今後も多くの仲間を救ってくれるだろう」


 そんなやりとりがあり、〈鈍牛の兜〉は秀嗣の手に渡った。

 とはいえ、サイズ的に大きすぎるのでそのまま使用することはできず、さらに手を加える必要があったのだが。

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