04. 明暗

 悲鳴と怒号。


 なにが。

 とか疑問に思う間もなく、左の臑に熱を感じる。


 熱い。

 とても、熱い。


 なぜか、ぐらり、と、視界が揺れる。


「おい!」

 引率の探索者が切迫した声を出して、肩につかみかかる。

「眠らせるぞ!」


 反応する暇さえ与えられなかった。

 直後、背中に痛痒を感じ、そこからじわじわと感触が鈍化していく。


 あれ?

 と、疑問を感じたときには、秋田明雄の意識は半ば失われていた。



「それで、目がさめたらこの有様になっていたんですがね」

 秋田明雄は見舞い客にそう説明する。

 あのときのことは、混乱するばかりだったので、よくおぼえていない。

 目がさめてから、自分の左足が変異体エネミーによって一度斬りとばされ、そのあとの処置が適切であったためにすぐに接合手術を施されたのだと説明をされた。

 現在、明雄の左足はギプスで固定されているわけだが、それにしたって明雄自身はいまだに自分の見に起こった出来事をうまく実感できていない。

 医師の説明によると、十日から二週間ほど経過を見て、問題がなければギプスを取って退院できるということであった。


 迷宮周辺には、常に医師と〈ヒール〉持ちが数名、交代で待機することが法により義務づけられている。

 内臓や頭部に大きな傷害を追わない限りは、今回のように大事に至らない場合が大半であった。


「本登録の前から大変な目にあったなあ」

 見舞いに来た徳間先輩は、大いに同情してくれた。

「変異体のエネミーに出くわす確率なんて、万に一つもない。

 一生エネミーと出会わない探索者の方が圧倒的に多い」

 お前は、酷く運が悪い。

 と、説明してくれる。


 緊急措置を施された変異体エネミーの被害者たちは、分散して近隣の病院に運び込まれ、そこで最終的な処置を受けていた。

 明雄が今入院しているのも、墨田区にある病院の大部屋であった。

「と、いわれましても」

 明雄は、そういって自分の鼻先を指で掻く。

「正直、あまり酷い目にあったという気もしないのですが」

 二週間も入院するはめになったということ、それにこうしてなにかと不自由を強いられていることは、それなりに堪えてはいる。

 だが明雄にしてみれば、見舞い客が口をそろえていうほど、自分が酷い目にあっているとは思えないでいた。

 一生左足の臑から先を失ったとかならともかく、結果的にいえば、今の明雄は驚くほど健康である。

 現代の医学は明雄が漠然と想像しているよりは、よほど進歩していたらしい。

 こうしている今も、ギプスの中の左足のあちこちに痒みを感じている。

 感覚があるということは、つまり、神経も繋がっているということだった。

 医師の説明によれば、ギプスが外れたらすぐに元通りに歩けるようになるだろう、という。

 筋力は衰えているのかもしれないが、二週間程度のギプス生活ならばたいしたリハビリも必要ないだろう、と、そのように説明された。

 だから、現在の明雄にとって一番の不都合は、入院生活に伴う退屈さになる。


「どうせすぐに知れることだから、今いっちまうけどな」

 徳間先輩は、訥々とした口調で続けた。

「お前といっしょに研修を受けていたうちのメンバー。

 すべて、うちから抜けた。

 中には、休学までした者も居る」

 明雄といっしょに研修を受けていた、ふかけんの仲間たちのことだった。

 無理もないか。

 と、明雄は思う。

 一度迷宮にはいればそうなる可能性がある。

 それを理屈で知っているのと、実際に体験するのとでは大きな開きがある。

 あの件が大きなトラウマになった子もいたことだろう。

 それに、ほとんど女子だったし、中には親御さんに強く反対されて探索者になることを諦めた子もいるのではないか。


「無理もないっすね」

 明雄は呟く。 

「親御さんにしてみれば、気が気ではないしょうし」

「他人事のようにいうな」

 徳間先輩は苦笑する。

「お前のところは、大丈夫なのか」

「うちはちょっと、変わっているもんで」

 明雄は言葉を濁した。

「家族といえば、姉は真っ先に見舞いに来てだいぶ泣かれましたが」

「心配してくれる人がいるうちが花さ」

 徳間先輩は、いう。

「それではお前は、懲りていないんだな?

 まだやる気があるんだな?」

「ええ」

 明雄はいった。

「せっかくバイトで稼いだ金をつぎ込んだんだ。

 ここで止めちまったら大損害。

 奨学金も早めに返済しておきたいし、退院したらバリバリいかせてもらうつもりっす」

「わかった」

 徳間先輩は頷く。

「うちのやつらにも、そのつもりで伝えておくよ」



 秋田明雄が変異体エネミーに遭遇し負傷したことは、ふかけん内でもそれなりの波紋を呼ぶことになる。

 誰にでも気安く声をかける明雄は、少なくとも新入生の間ではかなり顔が知られていたし、特に入学してから探索者登録を目指していた一派にとっては中心的な人物と目されていた。

 今回の件は、その明雄が、迷宮の冷徹な一面をその身を持って明示してくれた形である。

 病室で徳間先輩が明雄に説明していたように、その一件で迷宮が持つ危険性を改めて認識し、結果、ふかけんを脱退して探索者としての道を諦めた者が続出した。

 流石にある程度経験を積んでいた上級生たちに影響らしい影響はなかったが、新入生のうち三分の一ほどの人数が立て続けに退部届を提出してふかけんから遠ざかる結果となった。



「半分も抜けなっただけ、まだマシな方なのかな」

 などと早川静乃は思う。

 意外と残ったな、というのが静乃の率直な感想だった。

「止めるに止められない人もいるのだと思います」

 そう述べたのは、藤代葵だ。

「経済的な理由もあるだろうし……それに、潜在的な危険に対してあまり想像力が働かない、鈍感な人たちとかも」

「どっちにしろ、人数が減った分、こちらとしては楽になったかな」

 これも、静乃の本音だった。

 静乃と葵は、探索者としての経験を買われた結果、いつの間にか新入生の世話役みたいなポジションに立っている。

 世話をする人数が減れば経るほど必要な仕事も少なくなる、というのも、紛れもない事実なのだ。

「最近では、パーティ編成でもそんなに苦労はしなくなっていますが」

 葵はそう指摘をする。

 新入生たちがお互いの性格について理解を深めつつあること、それに、ぼちぼちスキルが生えてきた新入生たちが増えてきたことによって、少し前までのようなパーティメンバーの選り好みはめっきりと減ってきた。

 最近ではこちらがなにもしなくても、ごく自然に気があう者同士がパーティを組んで迷宮に挑んでいくようになっている。

 静乃と葵がふかけんの活動に参加するようになってからもう一月以上も過ぎている。

 入学学前に探索者としての資格を取得していた先行組は、もうなにかしらのスキルを生やしている頃であった。

 そうした先行組たちの人々は、そろそろ静乃と葵、それに先輩方と同伴して守られる立場から、自分たちよりも経験の少ない人たちを立場へと移行する時期に差し掛かっている。


「にしては、今少し頼りないんだけどね」

「同感です」

 静乃と葵は、そんな風にいって頷きあった。

「ひとつふたつのスキルが生えてきたとはいっても、まだまだ経験が不足しているし」

「研修の実習も含めても、潜行時間はまだ百時間になるかならないか、ですものね」

 静乃と葵のふたりは、タブレットで各人の空き時間を確認しながらパーティ・メンバーの調整を行う。

 新入生四、五人に引率役がひとりかふたりつくのが標準的な組み合わせだった。

 初期のように大勢でひとつのパーティを構成してどかんと経験値を稼ぐという事は、もうしていない。

 そうすることが可能なほどに攻撃的なスキルを持つ先輩方は意外に少なかったし、いたとしても都合よく時間が取れない場合が多かった。

「偉くんと秀嗣くんはバラしておいた方がいいっすよね?」

「そうですね。

 あのふたりは」

 静乃が確認すると、葵はあっさりと頷く。

「白泉偉と野間秀嗣。

 今の時点では、このふたりが頭一つ分くらい先行していますか」

 他の新入生たちと比較すると、ということである。

 偉は〈体術〉と〈フラグ〉、秀嗣は〈ヒール〉と〈両手持ち〉のスキルをそれぞれに習得していた。

 今の時点でふたつのスキルを生やしている生徒は他にも何名かいるのだが、このふたりのはそれ以外にも他の新入生たちに較べて、動きがいい。

 迷宮内の活動に不可欠な、瞬時の判断力と行動力とか育ってきている証拠だった。

 誰の目にでもわかりやすいスキルの有無以外にも、こうした、同じパーティでともに行動してみないと判断できない部分も、探索者の資質としては重要だったりする。

「このふたり以外にスキルがふたつ以上生やしている人は、っと……」

「〈ヒール〉と〈フクロ〉持ちの草原水利」

 そういって、葵は天井を見あげる。

「でも、この子は、いろいろと問題が」

「確か、今までに一度もエネミーを攻撃しないままここまで来た、とか」

「そう」

 葵は頷く。

「エネミーが疑似生命体だと理解してはいても、どうしても動物の姿をしたモノを傷つけられないとか」

「優しいんですね」

 静乃は軽くため息をついた。

「でもそういう性格だと……」

「……明らかに探索者にはむいていない」

 葵は静乃の言葉を引き取る。

「とりあえず、この子はしばらく偉くんと同じパーティに入れておきましょう」

「そうですね。

 偉くんはまだ〈ヒール〉を生やしていませんし」

「あとは、草原さんと同じスリングショット組のひとたちの中の数名が、ショット系のスキルをひとつふたつ生やしていますね、っと」

 静乃はタブレットの画面を確認しながらそういった。

「でもこれは、五十歩百歩というか」

「これといった長所もない、ということでもありますね」

 葵はズバリと斬って捨てる。

「ショット系のスキル程度では、近接戦闘組と比較すると攻撃力的な意味で完全に見劣りしますし」

 ロングレンジからの攻撃というのはそれなりに魅力的な要素ではあるのだが、ショット系のスキルでは打撃力という点でかなり問題がある。

 小型のエネミーが相手であっても、ともすると一撃で沈めることができないくらいの打撃力しかないのだ。

 そのショット系のスキルも長いこと使用し続けるとさらに上の攻撃力を持つバレット系スキルやさらに長距離の攻撃が可能となるシュート系スキルに育っていく可能性もある。

 しかし、ショット系スキルだけを持つ現状では、完全にパーティのお荷物状態になってしまう。

「こちらのひとたちは、もう少し頑張ってできるだけ早くもっと実用的なスキルを生やしていただきたいところですね」

「こうして見てみると、まだしもスリングショット組の方がスキルを生やしているんですよねえ」

 静乃は疑問を口にする。

「直接攻撃よりも遠距離攻撃の方がスキルが生えやすいんでしょうか?」

「エネミーとの距離よりも、積極性の違いでしょう」

 葵は答える。

「迷宮内でより多くの行動を行った方がスキルを得やすいとかいわれていますし」

「ああ、なるほど」

 静乃は頷いた。

「距離がある方が落ち着いて行動しやすくなる。その結果、積極的に動きやすくなるということか。

 してみると、初心者にまず簡単なスリングショットから勧めるここの先輩方のやり方は、それなりに筋が通っているんだな」

「これだけ短期間で有意の差異が現れている以上、否定できませんね」

 葵はいった。

「松濤女学園の後輩たちにも、スリングショットの導入を提案しておきましょうか」

「ちなみに、松濤では新入生にはどのような導入教育を?」

「最初から武器を持たせて上級生たちと同じに扱っています」

「それはまた、スパルタな」

「意外に体育会系ですからね、うちは。

 それに、そうすることによって早いうちから本番に強くなるという利点もあるんですよ」



 その日、早川静乃は前衛組二名、スリングショット組三名と自分自身でパーティを組んで白金台迷宮に入った。

「それ、本物ですか?」

 はじめて静乃と組む前衛組の新入生が、模型のアサルトライフルを指さして問いかける。

「まさか」

 静乃は簡単に答えた。

「オモチャだよ、オモチャ。

 これがあると、わたしのスキルが出やすくなるんだ」

「迷宮に本物の鉄砲を持ち込む人っていないのかな?」

 今度は、スリングショット組の新入生がそんなことをいいだす。

「いるよ」

 静乃は答えた。

「初期の頃は、銃器とか手榴弾とかもばんばん持ち込んでたそうだし。

 それに、うちのお爺ちゃんなんかも農閑期には鉄砲持って山に入っていた口だから、迷宮に入るときも猟銃持っていっていたよ」

 もちろん、猟銃の所持登録はしっかりやっているし、狩猟許可書も持っていた人だったけど。

 と、静乃はつけ加えた。

「へえ」

 日本における狩猟の周辺事情に詳しくない新入生たちは単純に感心して見せた。

「それで、どうなんですか?

 やっぱ、鉄砲って強いですか?」

 別の新入生が静乃に質問した。

「強いといえば、強いのかな」

 静乃は、微妙な表情になる。

「ただ、銃器とかって凄い音が響くんだよね。

 それでかえってエネミーを集めちゃうところもあるし。

 それに、低い階層のエネミー相手ならまだしも、ある程度深い階層のエネミーが相手だと日本で扱える猟銃程度ではろくなダメージ与えられなくなるし。

 結局、普通に鍛えたスキルが一番便利がいいんじゃないかな」

 これから狩猟許可書を取ったり猟銃所持登録をしたりする手間を考慮すると、断然、割に合わない。

 というのが、静乃の結論である。

「そんなもんなのかあ」

 意外な結論に、新入生たちは明らかに落胆したようだった。

「いっそのこと、ロケット砲とかを持ち込んでみては?」

「あほ」

 軽薄な口調でそんなことをいいだした新入生を、別の新入生がたしなめる。

「あれ、一発撃つのにいくらかかるか知らないのか?

 よほどの大物が相手でなければ、元なんか取れやしない」

 そんなやり取りをしながら、静乃たちのパーティは迷宮内を進む。


「ん」

 しばらくして、静乃がいった。

「二百メートル先の角を右に折れたところに、四体。

 ……いや、六体かな」

「エネミーっすか?」

「ん。

 早くしないと、もっと増えていくかも知れない」

 静乃は答えた。

「今の数なら、このパーティでもなんとか対処できると思うよ?」

 静乃自身は、今回は引率役なので緊急時以外に手を出すつもりはなかった。

「よし、行こう!」

 近接戦闘組の男子たちが弾かれたような動きで前に飛び出し、スリングショット組の女子もそれに続く。

 これまでに獲得した経験値によって身体能力も底上げされているので、二百メートルくらいなら全力疾走で駆け抜けても息も切らすことがない。

 いくらもしないうちにその角を右に曲がり、近接戦闘組の男子たちは雄叫びをあげてエネミーにむかっていく。

 その様子をみて、静乃は、

「あちゃあ」

 と思った。

 なにもこちらから声をあげて、エネミーに所在を悟らせなくてもいいではないか。

 エネミーに気づかれる前に攻撃をあて、運良くそこで仕留めることができれば、リスクなしに経験値を得ることができる。

 この男子たちは、根本的に狩りという行為の本質を理解していないようだった。

 これは、教えるべきことがたくさんありそうだなあ、と、静乃は思う。


 新入生たちは難なくエネミーを撃退した。

 まずは場数を踏むことを目的として、引率者である静乃が今の実力でも十分に対処できるエネミーしか出没しないような階層を選択しているのだから、当然の結果ではあったが。

「はい、注目!」

 静乃は語気を強めてパーティメンバーの注意を引いた。

「さっきのやり方は、いろいろと拙い点があります。

 というか、多すぎる。

 どこが悪かったか、いえる人はいますか?」

「あの」

 スリングショット組の女子が、片手をあげた。

「エネミーに攻撃する前に、声をあげてこちらの存在を知らせたこと、ですか?」

「はい、その通り」

 静乃は素っ気ない口調で頷いた。

「迷宮に入ったときは、無闇に物音をたてない。

 これは鉄則です。

 ことに皆さんはまだ〈察知〉のスキルを持っていませんから、エネミーが背後からそっと近づいてきていたら、相手に攻撃されるまで気づかない可能性もあります」

 静乃は猟師でもあった祖父とともに迷宮に入っていた経験から、狩りの際の鉄則を叩き込まれている。

 彼ら新入生の行動は、その鉄則から大きく外れていた。

 物音をたてて自分の存在を誇示すれば、通常の野生動物ならば遠ざかるだけだったが、この迷宮内に出没するエネミーは全力で、それこそ命を懸ける勢いで人間に攻撃してくる。

 今後の身の安全を図るためにも、エネミーから無闇に攻撃されない術だけは今のうちから叩き込む必要があった。

「わたしたちが迷宮に入るのは、エネミーを狩るためでしょう」

 静乃はそう続けた。

「自分たちが狩られる側になるような真似をして、どうしますか。

 ひっそりと相手に気づかれないように近づき、最小の手数で仕留めるのが狩りの鉄則です」



 一方、藤代葵は静乃とは対照的に、細かいことはひとまず置き、まずは新入生たちに自信をつけさせるのと同時に経験値を稼がせることを優先した。

 多少ななりとも体力的身体能力的に優位に立てば精神的にも余裕ができ、細かいところまで気を配る余裕も出てくる。

 そういう、理屈である。

 これは松濤女学園でも新入生を鍛える際に採用されている方法であり、つまりはそれなりの実績が証明されているという事でもあった。

 具体的にどうするかというと七階層のバッタが群生している広間まで移動し、そこで無数のバッタを相手に思う存分、新入生たちに暴れて貰うのだった。

 昨日今日探索者をはじめたばかりの新入生たちが数名だけ集まっても火力的にそこにいるバッタを絶滅させることは不可能であり、つまりは精根尽きるまで全力でバッタを倒し続ける事になる。

〈ヒール〉持ちの新入生が半数を越え、なおかつ逃亡のための〈フラグ〉持ちがパーティの中にいないと実行できない荒行でもあった。

 圧倒的多数のバッタを相手に、仲間をかばい合いながらいつまでもいつまでも長時間に渡って攻撃を続けていれば、否が応でもチームプレイの呼吸も飲み込んでくる。

 一度これを経験すると確実に疲弊するのだが、そのかわりに実行後は大多数の者が確実に成長するという、実践的なスパルタな内容であった。

 この荒行には葵自身も参加しておおいに暴れ、個人的な成果として、葵は新たに〈ヒール〉と〈フクロ〉のスキルを生やしている。

 これであとは〈フラグ〉のスキルを生やすことができれば、自分だけでパーティを率いることも可能になる、と葵は思った。

 今の時点では葵だけではなく、上級生の角川夏希が引率として同行していた。


 夏希は葵が示した方針に対して特に意見を述べることがなく、

「ま、いいんじゃないの」

 とのみコメントして、新入生パーティに同行するのみとなっている。

 育成方針に関することまで経験者である葵に任せた上で、自分自身のことはいざというときの予備戦力として割り切るつもりのようだ。

「だって、葵ちゃんだって中学高校と丸六年間松濤で部活やってたんでしょ?

 そんだけ経験がある人って、ふかけんの中でも数えるほどしかいないよ。

 その葵ちゃんがいいっていう方法なら、まず間違えはないっしょ」

 というのが、夏希のいい分らしかった。

 葵としては二振りの剣を腰に差している夏希の戦いぶりを早くこの目で確かめてみたい気もするのだが、夏希本人はこのような新入生育成の場では自分の立場を越えて戦闘行為に荷担するつもりはないようだった。


 他の新入生たちがバッタ型のエネミーと戦い、夏希が背後に下がって周囲を警戒している間、葵自身はどうしているのかというと生えたばかりの〈ヒール〉のスキルを使って傷ついた他の新入生たちを治療し続けていた。

 別に〈ヒール〉に限ったことではないのだが、迷宮内で習得できるスキルはおおむね使用し続けることで威力を増し、種類によってはより細かい制御が可能となる。

 また、〈ヒール〉などの治療系のスキルは同じパーティ内のメンバーでありさえすれば、そのメンバーとスキルの使用者との距離が離れていたとしても効果が減衰するという事はない、という性質があった。

 絶え間なく打撲などの軽傷を負い続ける新入生たちを延々と〈ヒール〉で治療し続けることは、葵にとってもまだ習得したばかりの〈ヒール〉の威力を増すためのトレーニングも兼ねている。

 夏希も葵といっしょに他の新入生たちに対して〈ヒール〉をかけ続けていたが、こちらの方は〈ヒール〉をかなり使い慣れているらしく、葵と比較するとスキルの発動時間が極端に短く、また威力もかなり大きいようであった。

 割合でいえば、葵がひとりに〈ヒール〉をかけ終えるまでに夏希は四、五人分に対して〈ヒール〉をかけている。

 傍目から見ても、スキル熟練度の差は歴然としていた。


「そろそろ、みんな疲れが出てきたんじゃないかな?」

 この日、葵自身を含めて新入生六人と夏希がパーティを組んでいたわけだが、このパーティが通称バッタの間に入ってから小一時間くらいした頃に、夏希がそんなことをいい出す。

「葵ちゃん。

 加勢して、ケリをつけちゃって」

「はい」

 葵はそういってみずからの得物である真新しい薙刀を持ち直した。

 夏希のいう「疲れ」とは、必ずしも肉体的なものばかりを指すのではない。

 新入生たちもこれまでにエネミーを倒して蓄積してきた効果により、肉体的にはそれなりに強化されているのだ。

 しかし、いくら肉体的に強化されたとはいっても、バッタの間の中にいるバッタは、数万から数十万にも届くかという膨大なものであった。

 彼ら、まだ経験が浅い新入生たちだけでそのすべてを倒しきるためには、まだま火力が不足していた。

「行きます」

 そう宣言して、葵はバッタの間に飛び込み、一陣の颱風と化した。

 葵が持つ攻撃用のスキルは〈刺突〉と〈薙ぎ払い〉のみ。

 ひどくシンプルなスキル構成であったが、葵自身の基本性能が高く、なおかつ、幼少時から習い覚えている熟練の技がある。

 他の新入生たちの間を縫うようにして走り抜け、そうして葵が通ったあとにはおびただしいバッタ型エネミーの死骸が落ちることになった。

 飛ぶバッタで塞がれていた視界が、葵の通ったあとにはかなり見通しがよくなっている。

 それとて一瞬のことで、そうしてできた間隙はすぐに他のバッタたちによって塞がれるわけだが、とにかくバッタ型エネミーの追撃効率は葵が参加する前とあととでは数倍以上に増加していた。

 それまで、精神的肉体的な疲労によって動きが鈍くなっていた他の新入生たちも、葵に活躍に元気づけられる形で再び活発に動き出す。

 それから、お互いに〈ヒール〉を掛け合いながら二時間ほどバッタ型エネミーを相手に悪戦苦闘をし、どうにか全滅に追い込むことに成功した。

「おーつかれーっ!」

 戦闘には参加せず〈ヒール〉での支援に徹していた夏希が、〈フクロ〉の中からよく冷えたペットボトルの水を出して新入生たちに配る。

「もう、いや」

「きついなあ、これは」

「もう、一歩も動けない」

 新入生たちは、ドロップしたアイテムを拾い集めはじめていた葵を除く全員がその場に座り込んで荒い息をついていた。

 息も絶え絶え、といった風情だった。

「でもまあ、葵ちゃんの手助けはあったものの、この人数でここのバッタを全滅させることができたのは凄いよ」

 そんな新入生たちに、夏希はそう声をかけた。

「経験値的にもかなりおいしかったはずだし、スキル的にもひとつやふたつ新しく生えていてもおかしくはない」

「そうですね」

 アイテムを拾い集めながら、葵が夏希の言葉を受ける。

「それに、ドロップ・アイテム的にも。

 金貨がちらほら落ちています。

 人数で均等に割ったとしても、今日だけでそれなりの収入になったかと」

 おお、と、新入生たちがどよめいた。

 落ちていた金貨の枚数にもよるのだが、地面の所々に鈍く光る金色の光点の数から察するに、少なく見積もってもひとりあたま数万円以上の収入にはなるのではないか。

 きついし、危険はともなうのだが、迷宮はこういうおいしい場面もあるのだ。

 新入生たちの気分が少し上向きになってきたとき、葵が、

「この分ですと、次の機会にはもう少し人数を減らしてもいいようですね。

 人数が減れば、経験知的にもドロップ・アイテム的にもよりおいしくなりますから」

 などといいだして、水を差す。

「なに、松濤はそんなことをやっているの?」

 夏希が葵に訊ねた。

「ええ。

 うちは意外に体育会系ですから。

 まずは少し多めの人数で挑んで、ここのバッタを全滅できるようになったら徐々に人数を減らしながら何度も同じように全滅させることができるようになるまで繰り返します。

 最終的には、単独で全滅できるようになればとりあえず脱初心者ということで……」



 野間秀嗣は白泉偉とともに、ふかけん新入生の中では先行している者に分類されている。

 もちろんそれは、早川静乃や藤代葵などの年単位で探索者としての経験を持つ者たちを除外した上での分類になるわけであるが、それでもほぼ同時期に探索者としての活動をはじめた中では、最初にスキルを生やすなど、かなりペースの速い上達ぶりをみせていた。

 その上達ぶりも決してゆえ無きことなどではなく、誰よりも多くの時間を迷宮で費やし、他人より多くの経験を迷宮内で得ていることに由来する。

 物心つくころから自分が容姿にも運動神経にも恵まれていないという事実をいやというほど思い知らされてきた秀嗣は、誰よりも地道な積み重ねの効果を重視していた。

 幼い頃からやってきたRPGゲームの影響もあったし、また、現実においても詰まらない基礎をいやというほど繰り返して身につけることで得られる知識や能力の確実さを秀嗣は信頼している。

 先天的な資質に恵まれていない秀嗣は、才能などという概念よりも努力という概念の方を、よほど信奉していた。

 するしかなかった。


 そんな努力教の信奉者である秀嗣は、大学入試を突破したあと、探索者としてデビューすることを決意したときからある計画を企図していた。

 それはつまり、実に単純な内容で、

「誰よりも多くの経験を積み、誰よりも早く強くなるよう努力する」

 というだけなのだが。

 実際に秀嗣は、城南大学に通うようになってからこの方、講義のはじまる二時間前には城南大学にほど近い白金台迷宮に入り、一時間前後単身で迷宮に挑んでもあまり危険ではない低い階層をさまよってエネミーを倒し、迷宮の施設で軽くシャワーを浴びて身支度を整えてから大学の講義に出席し、その講義が終わったらまた迷宮に移動して時間が許す限り低い階層でエネミーを倒す、という毎日を送っていた。

 学業の方も疎かにするつもりはなかったから、講義の内容についても予習復習を欠かさなかったが、秀嗣は入学してからこの方、それ以外の起きている時間はほとんど迷宮に費やしてきたことになる。

 ふかけんの活動として迷宮に入ることもあったが、そちらがなくても個人として迷宮に入っていたわけだ。

 そうした努力が実った結果、秀嗣は他の新入生たちに先行して〈ヒール〉や〈フクロ〉、〈両手持ち〉や〈フラグ〉などのスキルを生やすことに成功していた。


 ゲームを趣味としていた秀嗣は情報収集も欠かさなかった。

 攻略情報の収集は効率的な作業に必須の要素であることをそれまでの経験で思い知らされていたのだ。

 迷宮関連の情報を毎日のように漁っていた秀嗣は、公社が運営する探索者用SNSである探索者の記述を見つた。

 自分とより少し遅れて、どうやら五月に入ってから探索者になったばかりらしい者の日誌が、かなり詳細に記されていた。

 それだけならば特に珍しいこともないのだが、秀嗣はその探索者のある特殊性に気づき、強く興味を引かれる。

 そのSNSの内容を記述している者は、どうした理由があるのかまでは不明だが、どうやら終始一貫して単独で迷宮内に入り続けているらしい。

 ソロで活動する探索者は珍しいものの、決して皆無というわけではない。

 だが、ほとんどのソロ探索者は、少なくとも初心者のうちから一貫して単独で迷宮に入る、などというリスクを犯すことなく、ある程度普通にパーティを組んで経験を積んでからソロ活動を行っている。

 秀嗣自身からして、ふかけんの人々に有形無形の様々な便宜を払って貰いつつ、あくまでのその補助としてソロ活動を行っているわけであり。

 その探索者のように、右も左もわからない初心者のうちから一貫してソロで活動する、などという無茶な真似をしようなどという大胆な発想は、最初から持てなかった。


 秀嗣がその風変わりな探索者の活動内容に注目しはじめた事実は、将来的にはふかけんの他のメンバーにも少なからぬ影響を及ぼすことになる。

 しかし、この時点ではまだあくまで秀嗣が個人的な興味で注目しているのに過ぎなかった。



 白泉偉は、その朝も、現在身を寄せている祖父宅の道場で呼吸を整えていた。

 道場、といっても、祖父宅の裏庭にしつらえた離れの、二十畳ほどの板の間をそう呼んでいるのに過ぎない。

 起床してから小一時間ほど、胴着に袴姿でこの道場で軽く汗を流すのが偉の日課だった。

 この父方の祖父の家系はそれなりに古い来歴がある神社の宮司を代々勤めており、このまま順当に行けば偉自身もいずれはそのあとを継ぐことになっている。

 とはいえ、氏子も限られている小さな神社の宮司だけではとうてい生計を立てることはできないから、あくまで伝統を絶やさないため、副業として宮司を継ぐことになるわけだが。

 この道場の存在も、その祖父の家系に関連したものであった。

 歌舞や演芸、それに武芸などを神に奉納する習慣は、全国各地に古くから散見される。

 偉の家系の神社の場合、それがたまたま武芸という形態を取っていただけのことだった。

 祖父によるとそれこそ神代の古から受け継がれてきた技芸だというが、この点に関しては偉はかなり怪しんでいる。

 実家に残されている資料から判断する限り、江戸初期か、せいぜい戦国時代くらいまで遡れればいい方なのではないのか、などと偉自身は思っているのだが、とにかくそのあたりには成立していたらしい、技術体系であった。

 それを、神に奉納するために、白泉家は代々伝えていた。

 棒やたんぽ槍を使う鍛錬もするし、手裏剣を使うこともあれば、模造刀を使って居合いらしき練習もする。

 しかし、なによりも重視していたのは無手で、つまりなにも武器を持たない状態で、どんな危機に直面してもそれなりにやり過ごし身を守ること、だった。

 誰から詳細を聞かれたとき、とりあえず「護身術」と答えてることにしているのだが、これも決して嘘などではない。

 事実、近所の公民館で「護身術」としてこの武術のあくまで一端を、祖父はもう長いこと大勢の人たちに教授していた。

 偉の父親などは、宮司としての務めよりは余技であるそちらの技芸にのめり込みすぎたおかげで海を渡り、わざわざ治安の悪い地域を渡り歩いてのこの「護身術」を伝播していたりする。

「実際にどこまで使えるかどうか、実地に試してみたくなった」

 その一念でそこまでする父親に、偉は以前から畏れを感じるよりも呆れ返っていた。

 その父の放浪生活がなければ偉の父親が母親と出会うこともなく、従って偉自身も産まれることがなかったということを考えると、心中、かなり複雑な思いもあるのだが。

 ともかく、十八歳の偉は、紆余曲折があったにせよ現在ではこうして祖父の家がある日本に帰ってきて、祖父からプリミティブな状態の技芸を学び直しつつ、城南大学に通う身分となっている。

「自分の技がどこまで通用するものか、試してみたくなったから」

 そうした動機で探索者として登録し、迷宮に出入りするようになった自分自身と父親との類似性を、この時点で偉は、まるで自覚していなかった。



 軍曹こと一橋喜慶が秋田秋雄を見舞いに来たのは、まだ雨が降りしきる梅雨の最中のことだった。

「前にもいったが」

 見舞いの挨拶もそこそこに喜慶は本題を切り出してきた。

「お前さえよければ、おれのパーティにいれてやってもいい」

「病みあがりで、特にこの足はしばらくリハビリが必要になりますよ」

 そういって秋雄は、ギプスが取れたばかりの自分の脛を平手で軽く叩いた。

「そうか、リハビリか」

 喜慶は瞑目し、緩く息を吐いた。

「それに、どれくらいかかる?」

「医者は一月以上とかいっていますが、おれとしてはその半分の期間で考えています」

 秋雄は軽い口調でいった。

 特に根拠があるわけではなかったが、なんとなくその程度でできそうな気がしたのだ。

 基本的に秋雄は、物事をあまり深く考えない。

「あと、半月」

 喜慶は重々しい口調で、押し出すようにいった。

「梅雨が、開けるな」

「そうっすね」

 秋雄は軽い口調で答えた。

「たぶん、その頃には」

「遅くても早くてもいいが、準備ができたら連絡してくれ」

 喜慶はそう応じた。

「それはいいんですが、いや、ありがたいんですが」

 秋雄はいった。

「他の一年生は誘わないんですか?」

「面白そうなやつも、何人かはいたんだがな」

 喜慶は、そんな答え方をする。

「すでに完成されすぎているか、それとも変な色がついているかだ。

 ちょうどいいのは、今年はお前くらいしかいなかったな」

 さてこれは、評価されていると見ていいのだろうか。

 秋雄は、ふとそんなことを考え、そして、すぐにそれ以上に考えることを止めた。

 相手がおれのことをどう考えていようが、そんなことはどうでもいい。

 それよりも、せっかくこの先輩が直々におれのことを誘ってパーティに入れてくれる。

 その事実こそが、このときの秋雄にとっては大事なことだった。

 なにしろいきなり経験豊かなパーティの中に入ってしまえば、初心者のおれなんかはあっという間に効率よく経験値をゲットできるわけで。

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