02. 侮れない人たち

「何階層からいきます?」

「まずは、嬢ちゃんたちの実力を見てみたいからなあ」

 迷宮にはいった直後に、夏希と隆康はそんなやり取りをする。

「新入生の嬢ちゃんたち、これまで最深でどれくらいの階層まで行ったことがある?」

「最深ですと、三百八十階層あたりです」

 葵は平静な声で告げた。

「中高校生の部活で、三百八十階層って」

 隆康はしばらく絶句した。

「そいつは、すげえなあ」

 そのあと、今度は静乃に確認してくる。

「それで、そっちの静乃ちゃんの方は?」

「どこまでいっているんでしょうね?」

 静乃は首をひねった。

「いつも仲間の人の〈フラグ〉で移動していたから、どの階層にいっているのかはほとんど意識したことがないんですが。

 一番頻繁に出入りしていたのは、水牛がいっぱい出てくる階層です」

「水牛……っていうと、ハクゲキスイギュウのことかな?

 十八階層の」

「そう。

 その、ハクゲキスイギュウです。多分」

 静乃が答えた。

「ちゃんと処理すると、美味しいんですよね。あれ」

「うまいかどうかは別にして、十八階層か」

 隆康は、少し眉根を寄せた。

「意外に、低階層だな」

「そりゃ、わたしと叔父さんたちは、あくまでお肉を取るために迷宮に入っていたわけですから」

 静乃は平然と答える。

「別に深い階層に行かなければならない理由もありませんし」

「そりゃま、そうなんだがな」

 静乃の言葉に、隆康は頷く。

 なにを目的として迷宮に入るのか。

 その動機は、探索者それぞれによって異なる。

 必ずしも、すべての探索者が深い階層を目指すわけではない。

「では、まずはその十八階層からいってみようか」

 隆康は、そう結論した。


 そして次の瞬間には、周囲の風景が変わっている。

「あれ?」

 静乃がいった。

「誰か、〈フラグ〉を使いました」

「使った使った」

 隆康がいう。

「今、おれが使った。

 ここは静乃ちゃんお馴染みの十八階層だ。

 静乃ちゃんは、ここでいつものように狩りをしてみてくれ。

 あくまで静乃ちゃんの実力を見るためだから、相手は水牛でなくてもなんでもいいぞ」

「そうですか」

 そういうと、静乃は素早く周囲を見渡す。

 そして模型のアサルト・ライフルを構え、

「バン、バン、バン、バン」

 と、何度か口に出して呟いた。

「まずは四体、水牛を倒しました」

 ことなげな口調で、静乃が続ける。

「あっちの方の、ここから少し離れた場所で死んでいるはずです」


 静乃に先導される形で四人はぞろぞろと移動し、一キロ以上も歩いた先でようやくハクゲキスイギュウの死体を確認する。

 四体のハクゲキスイギュウはすべて、きれいに額を撃ち抜かれていた。

「例の、〈魔弾〉ってスキルなのか?」

 隆康が呆れたような声を出す。

「完全に遠距離用のスキルってわけか?」 

「え?」

 静乃は首をひねった。

「〈魔弾〉は、まだ使っていませんけど。

 それよりもこの子たち、わたしが引き取ってもいいんでしょうか?」

 そういって、静乃はハクゲキスイギュウの死体を指さした。

「これが、〈魔弾〉ではないって……」

 隆康は、そういったきり絶句してしまう。

「〈魔弾〉でないのだとしたら、〈察知〉と〈狙撃〉の連携技ということになりますね」

 夏希が指摘をする。

「完全に遠距離型のスキル構成というわけで。

 道理で、防具にお金をかけていないはずです」

 エネミーが近寄る前に倒してしまうのだから、防具にお金をかける必要もない。

 夏希は、

「それからこの水牛についてですが、完全に早川さんだけで倒したものですから、早川さんが持ち帰ってもいいですよね?」

 と、続ける。

 隆康への確認だった。

「あ、ああ」

 隆康は、頷く。

「静乃ちゃんについては、よく理解できたと思う。

〈魔弾〉について確認するのは、また今度の機会にしておこう。

 金城女史といっしょのときの方がいいだろうしな。

 次は、葵ちゃんの番になるわけだが」

「どうやらこの場にいる方々は自分の身は自分で守れるようですから、三百八十階層に移動をお願いします」

 それまで黙って事態を見守っていた葵は、そういった。


 静乃がハクゲキスイギュウの死体を〈フクロ〉に収納するのを待って、四人はまた隆康の〈フラグ〉によって三百八十階層に移動する。

〈フラグ〉とは、要するに迷宮の内部を瞬間移動するスキルだった。

 ただし、迷宮外には使用できないということと、それに、〈フラグ〉の所有者がいったことがない場所には移動できないという制約が存在するわけだが。

「徳間先輩は、一番深い階層だと、どこまで潜っているんですか?」

 邪気のない口調で、静乃が訊ねる。

「そいつは、企業秘密だな」

 隆康は短く答えた。

「この人、これでなかなかガチな攻略しているんですよ」

 夏希が、横から茶々を入れた。

「ここが三百八十階層ですか」

 周囲を見渡しながら、誰にともなく静乃が呟く。

「低い階層と、あまり変わりませんね」

「外見上は」

 葵が、静乃の疑問を引き取った。

「出現するエネミー以外には、ほとんど差はありません。

 例外的に、たまに変わった階層が出現することもありますが。

 ところで早川さん。

〈察知〉のスキルを持ちなら、ここからもっとも近いエネミーの所在地を教えて欲しいのですが」

「あっちだね」

 静乃は即答する。

「前方しばらく歩いていくと、七体……いや、八体のエネミーがいる。

 移動速度はあまり早くないし、大きさも、うん。人間よりも少し小さいくらい。

 それから、同じ新入生なんだから、さんはつけない方向でお願いします」

「ありがとうございます。

 その……早川」

「いいにくかったら、静乃で」

「ええ、静乃。

 では、わたしのことも今後は葵と」

「うん。

 わかった」


「エネミー、もう三体……いや、四体増えた。

 今の時点で、十二体。

 移動の途中で、静乃がそんなことをいい出す。

「どうする?

 少し間引く?」

〈狙撃〉スキル持ちの静乃なら、雑作もなくエネミーの数を減らすことが可能だった。

「いえ、そのままで」

 葵は即答した。

「せっかく静乃が妙技を見せてくださったのですから、わたしも少しは頑張りませんと」

「なに、危なさそうだったらおれたちも助けに入る」

 隆康がそんなことをいい出した。

「まずは安心して暴れてこい」

「それには及びません」

 葵が静かな声で応じる。

「この程度の数でしたら、わたしひとりで十分に対応できるはずです」

「そいつはよかった」

 隆康はいった。

「今年の新人は、優秀ですね」

 夏希も口を挟んでくる。

「実力が確認できたのは、まだ二人だけどな」

「わたしの実力を確認していただくのは、まだこれかなのですが」

 隆康の呟きに、葵が反応した。


「……人型だ」

 しばらく歩いて目当てのエネミー集団に近づいてから、静乃はそういった軽く顔をしかめた。

 普段、静乃が行っているような低い階層では、こうした人型のエネミーはほぼ出現しない。

「深層では珍しくもありません」

 葵は淡々とした口調でいう。

「視認できました。

 行きます」

 次の瞬間、葵は探索者特有の瞬発力を発揮して人型エネミーの集団に突入した。

 葵の持つ薙刀が閃き、人型エネミーたちは抵抗する間もなく、一体また一体と倒されていく。

 一瞬の遅滞もない、戦いというよりは舞のような動作だった。

 人型エネミーも棍棒や錆びた剣などで武装していたのだが、一合も刃を合わせることなく葵の振るう薙刀によって急所を切り刻まれていく。

 大抵は首元を裂かれて即死に近い状態だったが、まれに手足を切られて動きを封じられてから改めてとどめを刺された者もいた。

 いずれにせよ、十二体いたエネミーがすべて地に伏せるのに、一分も必要としなかった。

「武装したゴブリン・タイプ十二体をこの短時間で制圧、ねえ」

 隆康が呆れたような声を出す。

「おまけに、返り血さえ浴びていない。

 葵ちゃん。

 あんた、武道経験者か?」

「この薙刀を見て、わかりませんでしたか?」

 葵は小さく首を傾げた。

「薙刀というのは、経験者でなければうまく扱えない武器なのですけど。

 こちらの方は祖母が師範代でしたので、それこそ物心つく頃から嗜んでいます」

「……本当の、エリートってわけか」

 隆康は呟いた。

 この藤代葵は、おそらくは探索者としてのスキル抜きでも、十分に素のスペックが高いのだろう、と、隆康は思う。

 それこそ、現代の日本人としては無駄なほどに。

 

 つまり早川静乃と藤代葵の実力を確認するという当初の目的は果たされたと判断して、四人はすぐに隆康の〈フラグ〉によって迷宮入り口まで転移、そのまま迷宮から出る。

 迷宮を出てから四人は電話番号とメールアドレスを交換し、夏希は静乃と葵に城南大学不可知領域研究会の入会案内書と入部届を手渡した。

「今日はこれで解散するけど、初心者の引率については協力してくれると本当に助かるんだ」

 別れ際に、隆康は静乃と葵にそういった。

「強制することでもないんだがな。

 具体的な日程とかが決まったらまた連絡するから、そのつもりでいてくれ」

 そういって隆康と夏希は〈フクロ〉のスキルを使用してその場で瞬間的に着替え、すぐに去っていった。

「このあと、どうしますか?」

 葵が静乃に語りかける。

「知り合いに連絡して、牛さんの死体を引き取りに来れるか確認してみる」

 静乃は、微妙にズレた返答をする。

「なにか予定はありますか?」

 葵は、辛抱強く問いを重ねる。

「いや。

 別に決まった予定とかはないけど」

「では、これもなにかの縁ですし、少しおはなしをしましょう。

 ロッカールームで着替えてきますので、そこのカフェで待っていてください」

 迷宮内で活動した時間がごく短かったこともあり、静乃自身は汗ひとつ掻いていない。

 シャワーを浴びる必要もなく、例によって〈フクロ〉を使用して瞬間的に着替えるだけで済んだ。


 松濤迷宮も、他のほとんどの迷宮がそうであるように、七十年前のある日、唐突に私有地の中に発生した迷宮である。

 その迷宮の出入りについては日本政府によってそれなりに厳重に管理されているわけだが、迷宮の周辺にある探索者むけの施設に関しては地権者の経営に委ねられている。

 私立学校と隣接していることも影響しているのか、松濤迷宮周辺の探索者むけ福利厚生施設は清潔でどことなくハイソな雰囲気の内装でまとめられていた。

 そうした雰囲気を反映してか、探索者たちも、他の迷宮と比較すると比較的高齢な女性が多いような印象を、静乃は受けた。

 とはいえ、静乃が知っている他の迷宮といえば、叔父一家と通っていた印旛沼迷宮しかないわけだが。

 あちらの女性探索者といえば、迷宮に入ることを仕事と割り切っているようなパートのおばさんめいた人たちが大半だったが、こちらの女性探索者はみんなスーツを着込んだ、びしっとした人が多いなあ、とか思いながら、静乃は高価な紅茶を啜った。

 迷宮に併設されたカフェも高級感があふれ、紅茶一杯が軽く千円以上もしたりする。

 普段の静乃ならばこんな値段設定の店に自発的に入ることはまずないのだが、それはあくまで静乃が貧乏性であるからに過ぎない。

 四年前から探索者として迷宮に入っていた静乃はそれなり報酬もほぼそのまま探索者用のIDカードにデポジットしたままにしており、経済的にみれば決して貧しくはないのだ。

 学費もこの春からの家賃や生活費もすべて自分でまかない、それでもまだ大部分の報酬が使われないままIDカードの中に眠っている状態だった。


「お待たせしました」

 背筋をピンと伸ばした藤代葵が、静乃の座るテーブルのすぐそばに立っていた。

「別にそんなに待ってもいないけど」

 静乃は軽い口調で答える。 

 葵が静乃の対面に座ると、ウェイトレスがすぐにオーダーを取りに来た。

 葵は即座にアッサムのストレート・ティとベイクドチーズケーキを頼んだ。

「それで、今回は見ることができませんでしたが」

 ウェイトレスが去ると、葵は早速静乃にむかって質問を発する。

「〈魔弾〉とは、具体的にはどういうスキルなのですか?

 もし差し支えないようでしたら、お教えして頂きたいのですが」

「差し支えは別にないけど」

 そういったあと、静乃は、

「うーん」

 と唸った。

「差し支えはないけど、説明するのはちょっと難しいかなあ」

 そのあと、そう続ける。

「〈狙撃〉とは、違うのですか?」

「ぜんぜん、違う」

 この問いについては、静乃はきっぱりと答えることができた。

「〈狙撃〉はビューン! って感じなんだけど、〈魔弾〉はバシーンッ! ズガンッ! って感じ」

「……擬音で説明されましても」

 珍しく、葵が困惑した表情を見せる。

 そのとき、静乃や葵たちとさして変わらない年格好のウェイトレスが葵のアッサム・ティとベイクドチーズケーキを持ってきてテーブルの上に置く。

「では〈狙撃〉スキルは、バレット系のスキルなどと同じように、魔力を標的にぶつけて的を攻撃するスキルということで、間違いはないですか?」

 葵は、切り口を変えて静乃に訊ねてみた。

「うん。

 そう、なるのかな」

 葵は、あっさりと頷く。

「でも、よくあるバレット系っていうのは魔力を火とか氷に変換してぶつける感じだけど、〈狙撃〉はあくまで物理効果だけになるだけど。

 それに、早すぎて肉眼では動きが追えないけど、ちゃんと弾道を描いて飛んでいくからね、〈狙撃〉は」

「そうなんですか」

 葵は目を丸くする。

「それでは、狙いを外すことなども……」

「そういうまったくないわけではないけど、実際にはかなり珍しい。

 狙った場所にほぼ確実に命中するから、〈狙撃〉なわけで」

 静乃はそういってゆっくりと首を振った。

「で、実際に標的を外すときっていうのは具体的にどういう場合かというと、発射したあとに弾道の上に障害物が入ってきたときね。

 これだと、弾丸が標的に命中する前にその障害物に着弾しちゃうから」

「結果として、標的には当たらない。

 そういう、わけですか」

 葵は、大きく頷いた。

「つまり〈狙撃〉スキルとは、魔力で物理的な弾丸を作り出し高速で射出するスキルなわけですね」

「だいたい、そんな感じ」

 静乃も、頷いた。

「それで、〈魔弾〉の方なんだけど。

〈魔弾〉は、〈狙撃〉とは違って、途中経過がないんだ。

 極端なことをいえば、標的との間に障害物があったとしても、その障害物をすり抜けて着弾する」

「……え?」

 葵がその事実を理解するまで、数秒の時間を必要とした。

「それでは……百発百中、絶対に外さないというわけですか?」

「少なくとも、今のところは」

 静乃はもっともらしい顔をして答える。

「一度も、〈魔弾〉が外れたことはないね。

 その名の通り、魔法の弾丸を撃ち出すスキル、ということになるのかな」

「しかも、その威力は可変」

「うん。

 撃つ前に、時間をかけて準備すればするほど、威力は増大する」

 なんだそれは、と、葵は思う。

 便利、なんてものではない。

 単独のスキルとしては、あまりにも強力に過ぎるのではないか。

「それ、ユニーク・スキルなのですよね?」

「今のところ、そうみたいだね」

 あっけらかんとした態度で、静乃は認めた。

「少なくとも、公社が公式に確認しているスキルの一覧表にはなかったし」

 のちに〈ふかけん〉の「エリート」と「天然」と呼ばれることになる二人の会話は、こんな調子ではじまった。



 数日後、葵と静乃の二人は白金台迷宮に集合した。

 松濤迷宮が学校法人松濤女学園に所有されている迷宮であるように、この白金台迷宮も私有地の中に発生した迷宮である。

 白金台迷宮の所有者は都心部を中心にいくつものオフィスビルを建てている大手不動産会社で、直接迷宮や探索者を管理する仕事は公社が、それ以外の探索者相手のアメニティの部分はこの不動産会社が担当していた。

 白金台迷宮も、物理的にはかなり大きなオフィスビルの内部にテナントの一種として入居している形となっている。

 迷宮へ入るゲートがあるのはそのビルの一階部分なるわけだが、その上下なども迷宮ないしは探索者のための施設によって占められており、特に迷宮を中心とした半径五百メートル以内のほとんどのスペースは駐車場になっている。

〈フクロ〉のスキルを経由して迷宮内で採取した物品を大々的にやり取りできる場所は意外に少なく、白金台迷宮は交通の便がよい都心部にあり、大きな荷、あるいは大量な荷物を搬出するためにわざわざここの駐車場で待ち合わせ場所に指定して他の迷宮からやってくる探索者も多いという。

 そうした荷捌きのための駐車であっても賃料はそれなりに発生するわけであり、白金台迷宮関連の事業は迷宮が存在する限り赤字にはなりようがないのであった。


 場所柄か、この白金台迷宮を利用する探索者の大半は専業ではなく、他に本業を持っている兼業探索者が多かった。

 普段は周囲のオフィスで就業している企業経営者や管理職の人々が判断力や集中力を鍛えるために、本業の合間に定期的に迷宮に入ることがいつの頃からか常態化している。

 その他、時間帯によっては近くに済む専業主婦の人々などがフィットネスジム代わりに利用したりしていた。

 一口に迷宮といっても都内近郊に三十三カ所もある。

 それだけあればそれぞれの迷宮で利用者層の棲み分けというは自然と生じるわけであり、この白金台迷宮の特徴を簡単に説明するならば、「一見ハイソその実探索者の平均年齢が高い」ということになる。

 あえて表層的なイメージを述べるのならば、白金台迷宮の利用者層は、おっさん、おばさん臭いのだった。


 この日、すでに探索者登録が済んでいる新入生たちが先輩方とといっしょに迷宮に入り、経験値を分けて貰う〈ふかけん〉の恒例行事である。

 葵にせよ静乃にせよそれなりの迷宮先行時間を持っており、今さら他の探索者から経験値を分けて貰う必要性はまるでない身ではあったが、他の部員たちとの顔合わせも兼ねてもいるので、先輩方によって半ば強制的に参加を要請されている。

 この日集まった新入生は二十数名ほどであったが、葵も静乃も近い将来この中の何名かとパーティを組んで迷宮にはいることになるわけであり、そのためのもこような顔合わせの機会は必要ではあった。

 迷宮に入る前に、ゲート前のホールでざっと順番に自己紹介をする。

 今回集まった面々の大部分はこの日が初対面であり、この自己紹介の過程も外せないのであった。

「あー。

 これから新入生の歓迎と親睦を兼ね、全員で迷宮に入るわけですが……」

 一通り自己紹介が終わったあと、先輩方を代表して金城女史が挨拶をした。

「……これだけ大勢で入るとはいっても、なにしろ迷宮の中になるわけです。

 いつ、なにが起こるのかわかりませんので、気を引き締めていきましょう。

 それでは、新入生の皆さん。

 はぐれないように注意してついて来てください」

 金城女史はこの日、アイボリーホワイトの保護服を着用していた。

 長身細身の金城女史に先導される形で、三十名近いふかけんの関係者たちがぞろぞろとゲートを潜り迷宮へとはいっていく。

 

「全員、揃っているかい?」

 金城女史はふかけん関係者が全員揃っているのか確認してから、唐突に〈フラグ〉を使用した。

〈フラグ〉による移動が終わった途端に、先頭近くにいた新入生女子が目前に展開されている光景を見て、

「ひっ!」

 と、小さな悲鳴をあげる。

「はい。

 すでにご存じの方も多いと思いますが、ここは七階層にある通称バッタの間。

 この数知れない巨大バッタがひしめく広場を潜ると、ようやく八階層に到達できるという場所です。

 このバッタ型エネミーは一体一体はさして強いわけでもありませんが、なにしろこの数ですから、低階層での最初の難関といわれていますね」

 金城女子は淀みなく説明する。

「今回はあくまで皆さんへのレベリングが目的になるわけですから、ここでは手早く用件を済ませてしまいましょう」

 そういい終わるやいなや、金城女史は手にしていた杖を構えて数秒瞑目し、そして次の瞬間にはあれだけ目前の広間にひしめいていたバッタ型のエネミーが唐突に、一斉に地面に落ちる。

「え?」

 一瞬なにが起こったのか把握できず、静乃は間の抜けた声を出してしまった。

 すぐ近くにいた葵はその場に屈んで、地面に落ちていたバッタ型エネミーを手に取る。

「全部、凍っています」

 葵は小さな声で事実を告げた。

「しかし、この数をすべて、一瞬にして、ですか」

「範囲攻撃型、といわれるタイプのスキルだな」

 のんびりとした声で徳間先輩が説明してくれる。

「マップ兵器じみたこのスキルのおかげで、金城女史は氷結の女王という異名で呼ばれている。

 今の一発だけでも、お前ら初心者にとってはだいぶん、潤ったはずだ。経験値的な意味で」

 エネミーを倒したときに探索者が得られる得体の知れないチカラはいろいろな呼び方をされるのだが、一番一般的な名称は経験値であろう。

 この経験値は、探索者を強化するだけではなく新たなスキルをおぼえるための糧になるといわれている。

 そして、パーティ内の誰がエネミーを倒そうが、その経験値はパーティ内のメンバーに対して均等に割り振られるという。

 確かに、静乃や葵など、すでにある程度経験を積んでいるもの以外の新入生たちにとって、ここで得られた経験値はかなり貴重なものであったはずだ。


「すっげぇー!」

「体が、軽い!」

 少し遅れてこの自体を理解した新入生たちが、はしゃぎはじめる。

 まだ探索者資格を取得してから日が浅い彼らにしてみれば、自分の能力が一気に延びたように錯覚してしまうのかも知れないな、と、静乃は思った。

「いいんですか、これ?」

 静乃は小声で徳間先輩に訊ねる。

「レベリングってものは、元々こういうもんだろう」

 徳間先輩は平然とそういった。

「別に心配しなくても、ここで得られる程度の経験値だけで通用するほど、迷宮は甘くはないさ」

 静乃の心配する内容を正確に把握し上で応じてくれているな、と、納得できた。

 特に初心者の浅い探索者が一挙に多くの経験値を得てしまうと、自分の力量を過信してつまらない失敗をする傾向があるのだ。

 徳間先輩がこういうのならば、ここで得た経験値くらいではまるで役に立たない深い階層にすぐ移動するのだろうな、と、静乃は予想する。


 実際には、しばらくそのバッタ型エネミーの広間で、全員総出でエネミーの死体をかき分け、ドロップ・アイテムを拾い集める作業を完遂してから移動することになったわけだが。

 ちなみに、この恒例行事の間に取得したドロップ・アイテムはすべてふかけんの部費として徴発されることになっていた。


 ドロップ・アイテム拾いが終わったあと、一同はまた〈フラグ〉で移動をする。

 とはいえ、階層が変わっても迷宮内の風景はさして代わりばえしないのだが。

「はい。

 甘やかすのはここまで」

 金城女史の代わりに背の低い、ずんぐりとした体形の女性が新入生たちに声をかける。

「ここからは、君たち新入生たちにも働いて貰うから。

 いつまでも他人にただで経験値を分けて貰うだけっていうのも、心苦しいでしょう?」

「質問があります!」

 新入生の中で、ひときわ立派な体格の男子が片手をあげて質問する。

「階層でいうと、ここはどこあたりになるのでありましょうかっ!」

「元気な子ね」

 ずんぐりとした体形の女性、昇殿顕子はハスキーな声で囁くように答える。

「ここは、二十ニ階層になるわ」

 その声を聞いた新入生たちが、騒ぎはじめる。

「ちょっ」

「いきなり十階層以上もすっ飛ばされても」

「おれたちでは、手が出ないんじゃあ」

 ずんぐりとした体形の女性、昇殿顕子は一分以上目を瞑り、新入生のおしゃべりを放置しておく。

 そのあと、

「はい、静かに!」

 と大声を出した。

 新入生たちのざわめきが、ぴたりと静まる。

「あなた方が心配するようなことは、こちらではすでに考慮済みなの。

 それでも大丈夫な段取りをこちらで整えているのだから、信用しなさい」

 顕子の声は大きく、よく通る。

 それだけではなく、なんとなく逆らえないような威厳が籠もっている……ような、気がした。

「史緒、前に出て」

 顕子は角川史緒を名指しで呼び出した。

 続いて、

「新入生の静乃ちゃん。

 あなた確か〈察知〉持ちだったわね?

 ここから一番近いエネミーはどこ?」

「こっちの方向ですね」

 静乃は通路の一方を指さす。

「しばらく進んで右に曲がったところに、中型のエネミーが何体かいます」

「じゃあ、史緒を先頭にして新入生たちをそのエネミーのところまで連れていって」

「わっかりましたあ」

 どこか投げやりに聞こえる口調で、史緒が歩きはじめる。

「先輩方を信じるのであります!」

 新入生の大男、野間秀嗣がそれに続く。

「マジかよ」

「いきなり実戦とか」

 ぶつくさいいながらも、新入生たちもその秀嗣のあとに続いた。

 静乃もあわてて列の背後についた。


「そこの角を右に曲がり、しばらくいったところに七体の中型エネミーがいます」

 静乃は告げた。

「エネミーの種類までは判別できません」

「便利ねえ、その〈察知〉」

 静乃を横目でみた顕子が、そういう。

「噂のあなたのスキルで狙える?」

「ここからは無理です」

 静乃は素直に答えた。

「わたしのスキルはどれも直進しかしませんから」

「そ。

 では、あなたのスキルのお披露目は、またの機会にしましょう。

 史緒、準備して」

「はいはーい」

 気怠げな変事をして、史緒は立ったままがくりと顔を伏せる。

「新入生たち!

 ここからはあなたたちが戦うんだよ!」

 顕子はそう告げ、すぐに大声で歌い出した。

 何事か、と、静乃は思う。

 傍らにいた葵も、目を丸くしている。

 うまい。

 どこか愁いを帯びた、歌声。

 十年以上前に大ヒットした劇場版アニメの主題歌だった。

「あー」

 新入生にむけて、徳間先輩が説明してくれる。

「こいつは顕子の〈応援歌〉ってスキルだ。

 曲はなんでもいいんだが、こうして顕子が歌っている間は、パーティメンバーの性能が一時的に底上げされる。

 そんで、史緒のは〈呪術〉ってスキル。

 その名前の通り、狙った対象の能力を引きあげ、場合によってはなんらかの不具合を生じさせる。

 この二人は、ふかけんの中でバフとデバフっていう対照的な性質のスキル持ちってことになるな。

 二人とも、スキルを使用中は無防備な状態になるから護衛役がいないときにはこのスキルを使えないわけだが」

 朗々と歌い続ける顕子と、白目をむいてトランス状態でなにやら聞き取れない言葉を小さく呟き続ける史緒。

 確かにスキルを使用中にこうなるのだとすれば、ひどく無防備な状態になるな、と、静乃も思う。

「葵ちゃんと静乃ちゃん。

 悪いけど夏希といっしょに史緒の護衛を頼む」

 その場で棒立ちになっている史緒とは違い、顕子は自由に動けるようだ。

 高らかに歌声をあげながら曲がり角を曲がり、さらに先へと進んでいく。


「〈応援歌〉に〈呪術〉、ですか」

 葵が、誰にともなく呟く。

「知ってるの?」

 静乃は訊ねた。

「いいえ」

 葵は首を振った。

「少なくとも、松濤女子ではこの手のスキルをおぼえた子はいませんでした」

「漲ってきたー!」

 例の、大柄な男子の新入生が叫んだ。

「皆様方、先に行きますぞ!」

 妙に芝居がかった物言いをするやつだな、と、静乃は思う。

 まあ、やる気がある分には文句をいう筋合いでもないのだが。

 その横にも縦にも大きな新入生、野間秀嗣がどたどたとした足取りで駆けだした。

 秀嗣に遅れまいと、他の新入生たちもぞろぞろと続いていく。


「うおおおおおっ!」

 左手に透明な特殊樹脂製の盾、右手に金属のメイスを構えた秀嗣は、雄叫びをあげながらなんの芸もなく真っ正面から中型エネミーにむかって突っ込んでいく。

 盾とメイス、秀嗣の装備はどちらも特殊合金製で、公社の売店ですぐ購入できるような初心者用の安物である。

「あっぶないな、もう」

 その秀嗣のすぐあとに、小柄な人影が続く。

 その声を聞いて、静乃は「あれ?」違和感をおぼえた。

 ほっそりとした体形をしているからてっきり女性かと思ったのだが、聞こえてきたのは若い男性のものだ。

 フェイスカバーを着用した探索者用の装備を身につけると、体格や体形によっては男女の区別がつきにくくなることがある。

 その小柄な人影の動きはキビキビとしていて、華奢に見えるわりにはキレがある気がしたが。


「……せー、の!」

 エネミーまでの距離が二十メートルを切ったあたりで、新入生女子たちは横一列になって手にしていた武器を構えた。

 先輩方から貰ったアドバイスに従って、彼女たちは最初の武器としてスリングショットを採用している。

 スリングショットとは、二股に別れた枝の先に渡したゴムで弾丸を撃ち出す投射武器の一種だった。

 日本では「パチンコ」という名称が一般的で、主として子どものオモチャとして流通しているわけだが、海外ではこのスリングショットを使用した競技などあり、狩猟の道具としても普通に使用されている。

 たかがパチンコというなかれ、ゴムの強度によってはその貫通力は小口径の拳銃以上の貫通力を得ることが可能な武器である。

 その上、銃器のように発砲音を轟かせることもなく、弓ほど技量を必要としない。

 こうした投射系の武器を中期間使用し続けることによって、遠距離攻撃用のスキルが発生しやすくなるといわれていので、ふかけんでは特に体力面で不安がある初心者者には最初の武器としてこのスリングショットを推奨していた。

 探索者用にかなり強いゴムに張り替えてあったパチンコを目一杯引き絞り、彼女たちは手を放つ。

 素人ゆえ標準こそかなり甘かったが、エネミーの体躯自体がかなり大きかったので全弾エネミーのどこかしらに命中した。

 中型、とはいえ、その全長はゆうに一メートルを越えている。

 毛皮の色は白っぽかったり褐色だったりするのだが、その場にいたのはウサギ型のエネミーだった。

 そのエネミーたちはふかけん部員たちの存在に気づき、こちらに突進してきたところだったが、そこにスリングショットが命中して出鼻をくじかれ、若干その速度が落ちた。

 中型とはいえエネミーもこのサイズになれば多少、鉛玉が命中したくらいでは致命傷にはならない。

 命中した場所から血を流しながらも、ウサギ型エネミーたちは秀嗣ら近接戦闘組と正面から接触する。


「はい。

 遠距離組も手を休めないでね」

 金城女史が、後方に控えていたスリングショット隊を促した。

「援護は援護で大事なんだから。

 エネミーを全滅させるまでは手を休めない!」


 エネミーとまともに交戦しはじめた近接戦闘組の武器はマチマチであった。

 秀嗣のように金属製のメイスであったり、やはり金属製の棒であったり、木製の棍なども多い。

 いずれにせよ、この段階ではまだ刃がついた武器は持っていない。

 ふかけんの先輩方がこぞって、

「慣れないうちは、あまり殺傷能力が高くない武器の方がいいぞ」

 と忠告していたからだった。

 それにどのみち、少し経験を積めばそれなりの性能の武器はドロップ・アイテムとして入手できるはずなのだ。

 最初の段階でわざわざ高い出費をする必要もない、と諭されてしまえば、それ以上に我を通してかっこいい武器を買い求める者もいなかった。


「うおおおおおっ!」

 秀嗣が叫びながら透明な特殊樹脂の盾を突きだし、ウサギ型エネミーにぶち当てる。

 そのあと、秀嗣はメイスを振り下ろして右側に迫っていたエネミーの頭蓋を潰した。

 野間秀嗣は身長百九十ニセンチ、体重は百二十三キロほどの巨漢である。

 その動きは決して機敏なものではなかったが、それでもこちらにむかってくることが明瞭なエネミーを迎撃することが可能な程度には動きがよかった。

「せいっ!」

 その秀嗣の背後に回り込もうとしていたエネミーが、鋭い気合いとともに吹き飛ばされた。

 秀嗣のあとに続いていた白泉偉の回し蹴りによって迎撃された形だ。

 偉に吹き飛ばされたエネミーは一度地面に転がり、そこから起きあがろうとしたところで他の新入生たちに囲まれて袋叩きになった。


 大柄な秀嗣は相変わらずメイスを振り回している。

 しかし、エネミーの方もこの巨漢を警戒するようになっていて、秀嗣には近寄らないようになっていた。

 もともと大振りな動きであったこともあり、秀嗣のメイスはしばらく空しく宙を切るだけとなる。


 秀嗣のメイスを回避したエネミーの一匹が、スリングショット隊の集中砲火を浴びて地面に転がった。

 後方から狙いやすい場所というのは限られており、スリングショット隊が他の新入生たちの動線と重ならない場所を狙っていた場所に入った瞬間に一斉射撃をされた形である。

 このエネミーは頭部から胸部にかけて穴だらけになりながら苦痛の声をあげて地面を転がり回った。

 エネミーに隙ができるのをやはり待ちかまえていた近接戦闘隊が包囲して袋叩きにする。

 

 これまで優勢ではあったが、ふかけんの方も無傷とはいかなかった。

 何名かの新入生がウサギ型エネミーの体当たりを受けて何メートルも吹き飛ばされている。

 中型エネミーとはいえ、体重でいえば成人男性の平均に少し劣る程度の野生動物みたいな連中であった。

 まともに体当たりを受ければ、無事では済まない。

 仮に打撲や骨折を免れたとしても、体当たりの衝撃でしばらくは身動きは取れなくなった。

「はい。

 負傷した仲間がいたら、さっさと後方にさげてやれよー」

 徳間隆康がのんびりとした声を出した。

「多少の傷はヒールで即時に直してやるからなー。

 安心してエネミーを殲滅することだけを考えろー」

 今回引率として参加している中では、隆康自身と金城女史、角川夏希の三名が〈ヒール〉持ちである。

 そして、〈ヒール〉のスキルは、同じパーティ内の面子であれば距離に関係なく傷を癒すことが可能だった。


 エネミーとの戦闘は、結局、五分ほどで終了した。

「ま、初陣ならこんなもんか」

 隆康は涼しい顔でそう評した。

「もう少し時間がかかったら、同じ種類のエネミーが応援にきたところだったが。

 ぎりぎり、最低限の戦闘で済んだな」


 いわれた側である新入生たちは、みな、肩で息をしている。

 特に近接戦闘組は、体中がエネミーの返り血や誇りで汚れ、酷い外観になっていた。


「ええ。

 今回は顕子によるバフと史緒によるデバフ効果があったんで、お前らでもこの階層のエネミーに対抗できたわけだ」

 隆康は、そう続ける。

「そうした支援がない場合は、まだまだこの階層のエネミーはお前らでは相手にできない。

 くれぐれもそこのところを肝に銘じて、自分たちだけで迷宮に入る際にはもっと低層から地道に攻略していってくれ。

 自分たちよりも経験がある先輩方と組む場合は、くれぐれもそうした先輩方の指示に従うように」

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