ふかけん! 東京迷宮_2015-2016

肉球工房(=`ω´=)

01.〈ふかけん〉にようこそ!

「どうだ。

 よさそうなのはいるか?」

「経験者ということなら何名か。

 有望なのは……見えている範囲なら、とりあえず二名になるかな」

「片っ端から声をかけてみるか」



 その日、早川静乃は城南大学目黒キャンパスに居た。

 敷地内には創立時に植樹された桜の木が植えられており、静乃と同じような年頃の男女が晴れやかな顔つきで歩いている。

 静乃と同じ、新入生たちだ。

 城南大学にはいくつかのキャンパスがあるのだが、教養課程を修める新入生はしばらくこの目黒キャンパスに通うことになっている。

 新入生たち以外にも、様々なサークルの人たちが新入生を勧誘するために来ていた。

 サークルや同好会などのメンバー集めのためであった。

 そうした上級生たちは、なんとか新入生の関心を集めようと声を張りあげたりチラシを渡したりしている。

 毎年、新入生むけガイダンスが終わった直後に繰り返される、このキャンパスでは恒例行事となった喧噪だった。

 新入生である静乃としてはもちろん初めて体験する雰囲気であったわけだが、以前からなんとなくこういうものだろうと想像してきた風景がそのまま目前で繰り広げられていることに、既視感にも似た不思議な感慨を得ていた。


「ちょっとそこの子、いいかな?」

 周囲を見渡していると、当の静乃も声をかけられた。

「新入生、だよね?

 しかもスキル持ちの。

 うち、ふかけん、不可知領域研究会ってサークルなんだけど、よかったらはなしだけでも聞いていってくれないかな?」

 二十歳くらいに見える男性が、曖昧な笑みを浮かべて静乃にそういった。

「不可知領域、研究会?」

 静乃は首を傾げた。

「そういうサークルがあるんですか?」

「そう、あるんだ。

 それも、意外に歴史があるし、人気もある」

 その男性は何度も頷いてみせる。

「なぜかっていうと、そら、探索者っていうのはうまくいけばいい報酬になるからさ。

 うちは学費もそれなりだし、あわよくば在学中に少しでも奨学金を返済したいってやつは結構多い。

 で、なんの伝手もないやつがいきなり自分だけで迷宮に入ろうっていうのも心細いから、経験者である先輩がいて仲間も大勢居るうちのサー クルを頼って押し寄せてくる。

 毎年、この時期だけわな」

 それ、あそこがふかけんの新規会員受付なんだけどね。

 とその男が指さす先には、折り畳み式の長机の前に列をなしている新入生たちの姿があった。

 確かに、その背後には「不可知領域研究会」という手製とおとぼしき看板が出ている。


 あれだけ大勢の人が入会を希望しているということは。

 と、静乃は疑問に思った。

「……それでは、わざわざわたしなんかに声をかける必要もないのでは?」

 静乃は、その点を確認してみる。

「なんにもしなくても新入生が入ってくるのなら、勧誘なんかをする必要もありませんよね?」

「ああ、それなんだがな」

 その男性はゆっくりと首を振った。

「いったろう。

 毎年この時期だけは、って。

 新人さんがどっと入ってくるのはいいが、その新人さんを世話するのやつが足りないんだ」

「サークルの先輩方は?」

「圧倒的に、足りていない。

 というのはだな、興味本位や金目あてで入ってくるやつらの大半は地味な基礎トレの段階で早々に脱落するし、首尾よく探索者登録までこぎ着けてそこそこうまくやっているやつらも、軌道に乗った時点で別口でパーティメンバーを見つけてサークルを抜けていく傾向があるからだ。

 サークルに加入したままだと下級生の世話もしなけりゃならないし、そうなると自分たちの稼ぐ時間が減る。

 だから、ふかけんのメンバー数は春先だけ一時的に膨れあがって、すぐに萎む。

 しかも、大勢の新入生たちを世話する人数が、圧倒的に足りない」

「なるほど」

 男性の説明に静乃は頷いた。

 静乃はこの大学に不可知領域研究会なるサークルがあるのは知らなかったが、大学のサークルならそういうこともありそうではある。

「そちらの事情は理解できました。

 ですが、なんでこれだけ大勢の人がいるのにわざわざわたしに声をかけてきたんですか?」

「ああ、それなんだがな」

 男性はいった。

「うちの三回生に金城さんっていう人がいて、この人が〈計測〉って便利技能の持ち主なんだ。

 スキルの持ち主なら、一目見ただけでそうとわかる」

「……計測、ですか?」

 静乃は首を傾げた。

 語感からいっておそらく、鑑定系のスキルなのだろう。

 静乃は迷宮に出入りするようになってかれこれ四年目になるわけだが、そんなスキル名を耳にしたおぼえがない。

 それに、ここのキャンパスの近くに迷宮はないはずだった。

 探索者のスキルは、迷宮の近くでないと使用できないはずなのだが……。

「ああ、だから、スキルじゃないんだ。

 単なるスキルを超えて、迷宮近くでなくても使える便利技能」

 訝しがる静乃の表情を読んで、男性が補足説明をしてくれる。

「そんなことが……」

 静乃は絶句する。

 迷宮から離れた場所でも使えるスキル、のようなもの。

「君も、そういうことがあるらしいという噂くらいは聞いたことがあるだろう?」

「……ええ、まあ」

 静乃は、曖昧に頷く。

 探索者のスキルは、その探索者の願望や要求に沿って発現しやすいといわれている。

 迷宮から離れていても使用可能なスキル、探索者のスキルであることを超越して体質にまで昇華したスキルの噂は、確かに静乃も耳にしたおぼえがあった。

 ただ、これまで実際にそうした特殊スキルを持っている人に会ったことはなかったので、てっきり都市伝説のたぐいではないかとばかり思っていたのだが。

「君のスキルは〈フクロ〉と〈フラグ〉、〈察知〉と〈狙撃〉……それに〈魔弾〉、か。

 最後の〈魔弾〉は、かなり珍しいスキルだね」

 静乃が半信半疑であることを感じ取った男性が、即座に静乃が所有している具体的なスキル名を口に出した。

「当たっています」

 静乃は、しぶしぶといった感じで認めた。

「でも、あらかじめ探索者名簿で目星をつけておいたりとか……」

「おいおい」

 男性は首を横に振った。

「同じ年頃の探索者だけで、いったい何十万人いると思うよ。

 その中から、うちへの入学者をどうやって区別して、そんで今日この日に狙って声をかけられるかって?

 そんな手間のかかる真似をわざわぜする必要がどこにある。

 なんかのトリックがあるんじゃないのかって思うのは理解できるけどな。

 おれがいっていることが本当かどうかを確かめたかったら、ついて来てくれるのが一番だと思うぜ」


 別にその男性の口車に乗ったわけでもないのだが、静乃はその男性のあとについていった。

 てっきりそのサークルの部室に行くのかと思っていたら、その男性は校舎の中の空いている教室のひとつへと静乃を案内する。

 そこには二人の女性が待っていた。

 背が高い眼鏡をかけた女性と、それに妙に装飾過多な、黒っぽいドレスを着た女性の二人だ。

「おお、これで本命のうちのもうひとりも揃ったか!」

 背の高い眼鏡の女性がいった。

「新入生の中に潜行時間二千時間オーバーが二人もいたのは、僥倖というしかない。

 しかもそのうちのひとりは、〈魔弾〉とかいうレアスキル持ちだ!」

「ええと」

 静乃は慎重な態度を保つように努めた。

「わたしはまだその、ふかけん? ですか。

 そのサークルに入るとは、決めてはいないんですが。

 その前に、本当に〈計測〉なんていう特殊技能を持った人がいるのかどうかを確認したくて……」

「ああ、それはわたしのことだ」

 眼鏡の女性がいう。

「工学部の三回生で、金城革(あらた)という。

 それで、計測のことを疑っているのだったな。

 では、その証拠として君の身長と体重その他をいいあてて差しあげよう。

 身長は百六十二センチ、体重は四十八キロ。もう少し肉がついていてもいいかな。

 スリーサイズは上から八十……」

「もういいです!」

 静乃は慌てて金城を止める。

「その、〈計測〉という特殊スキルは、見るだけでなんでもわかるのですか?」

「残念なことに、なんでもはわからない。

 人間を対象とした場合、名前と性別、身長体重、体温などの表面的なデータと状態異常の有無、それに迷宮潜行時間と所持スキル程度かな」

 金城女史はいった。

 それだけでも、十分にたいしたことなんじゃないかな。

 とか、静乃は思う。

「とにかく、そうしたものが見ただけで読みとれる特殊スキルだ。

 正直、迷宮の中ではあまり役に立つことはないのだが、こういう場とか学科の実習中には大いに役立ってくれている」

「そうですか」

 静乃は興味なさそうな口調で答える。

 実際、金城女史の学業についてはまるで興味がない。

「それで〈計測〉スキル持ちの金城さんが、わたしなんかにいったいなんのご用ですか?」

「すぐにふかけんに入ってくれとはいわない」

 金城は静乃の手を取って顔を近づける。

「いや、もちろん、ふかけんに入ってくれるのが一番嬉しいのだが、入会するのが駄目だというのならせめて一月か二月の間くらい、新入生の引率役をしてくれないかね。

 正直、ふかけんの現役探索者だけではまるで手が足りないのだよ」

「は、はあ……」

 静乃は、気の抜けた返答をした。



 静乃がそんなやり取りをしている頃、不可知領域研究会の受付には数十名の新入生たちが列を作って入会手続きをしていた。

 その列の中のひとり、白泉偉(おおい)は周囲を見渡して、

「意外に、女性が多いんだな」

 とか、思っている。

 偉は、高校卒業にバイトで必要な費用を貯蓄した上で、大学入学前の空白期間中に探索者登録手続きをおこなったきた新米探索者だった。

 どのみち、実際に迷宮に入ってエネミーを相手しにていけば、身体能力などの諸元能力は迷宮付近限定で底上げされる。そういう意味では、探索者とは男女の性差があまり問われない職種なのだが、その仕事はきつい、汚い、危険の三要件を備えたいわゆる典型的な3K仕事であるともいえた。

 だから、偉にしてみれば探索者になりたがる女性がこれほど多いのが意外だったわけだが……でも、思い返してみると、登録時に必要な研修を受けていたもの半分くらいは女性だったような気もする。



「金城さーん。

 もうひとりの有望株、お連れしましたー」

 二十歳前後のラフな格好をした女性が、もう少し年下の、静乃と同じくらいの年格好の少女を連れてきた。

「おお、そうか。

 もうひとりというと、〈刺突〉と〈薙払い〉、〈鑑定〉の人だな」

 金城女史はそういながら振り返る。

「スキル構成から察するに、長いことと前衛をしてパーティを率いてきた経歴があるに違いない」

「確かにそうなのですが」

 静乃と同じように連れられてきたらしい少女は苦笑いを浮かべていた。

「松濤女子学園の部活で六年間、迷宮に入っていました」

「名門じゃないか!」

 金城女史は驚きの声をあげる。


 松濤女子学園は、東京近郊で現在三十三カ所確認されている迷宮の中で唯一、学校の敷地内に発生した迷宮を所有している。

 私有地の中に発生した迷宮自体は珍しくはないのだが、学校の敷地内というのはこの松濤女子学園だけであり、なおかつ、松濤女子学園は迷宮の発生以前から歴史ある中高一貫として有名な女子校であった。

 現在その松濤迷宮は松濤女子学園の学校法人と不可知領域管理公社が共同で管理していて部外者にも使用を許可されているわけだが、女子校の敷地内にあるということで探索者の出入りの管理なども異常に厳しいことが探索者の間で知られている。

 そして松濤女子学園は、全国で、いや、全世界で唯一、部活動として迷宮探索活動を行っている学校でもあった。


「松濤迷宮には何度かお世話になっている」

 金城女史はそういってその女性の手を取った。

 松濤迷宮は、白金台迷宮と並んでこの目黒キャンパスから近い場所にある迷宮でもある。

「エリート中のエリートが見つかるとは、幸先がいい」

「それよりも、なんでわたしはこの場に呼ばれているのでしょうか?」

 どうやらろくに説明もされずに連れてこられたらしい女性が、にこやかな表情を崩さずにそう訊ねる。

「ご用件の方を、先に承りたいのですが」

「ああ、そうだったな」

 金城女史はそういって静乃にしたような説明をした。


「そういうことですか」

 一通りの説明を聞いたあと、その女性は頷く。

「そういうことでしたら、お手伝いをすることにもやぶさかではありません。

 この大学にも、不可知領域研究会なるサークルがあったのですね」

「都内のほとんどの大学に、同じようなサークルがあるんじゃないかな」

 金城女史はそういった。

「なにしろ、探索者になれば手っ取り早く稼ぐことができるというイメージがあるから。

 実際には、よほどうまくやらないと装備類の損耗分ですぐにその儲けも飛んでいくんだけど」

「そうなのですか?」

 連れてこられた女性は小さく首を傾げる。

 松濤女子学園では、部活の際になんらかの収益が出た場合はまず部員たちが使用する装備品などの代金として使用され、残りはすべて慈善事業へ寄贈されることが定められている。

 実際には、部員全員分の装備類を充実させると収益などほとんど残らないのだが、とにかくこれまで部活以外で迷宮に関わってこなかった松濤女子学園の出身者たちにとっては、「迷宮が金になる」という認識が乏しかった。

「とにかく、そのサークル活動をお手伝いすることに異存はありません。

 まずは未経験の方々を迷宮にお連れすればよろしいのですね」

 そういってから、その女性はようやく名乗った。

「わたしは、入学したばかりの一回生で藤代葵といいます。

 先輩方、よろしくお願いします」


 いやわたし、先輩じゃないし。

 と、静乃は思う。

 静乃も、葵と同じくこの場に連れてこられた新入生に過ぎなかった。

「藤代さんは、そのスキル構成からいっても前衛兼パーティリーダーってところだろう」

 金城女史はふむふむとひとりで頷いている。

「迷宮潜入時間からいっても、すぐにでも新人さんたちを率いていけると思う。

 よくわからんのは、こっちの、ええと……」

「早川です」

 静乃は、ようやく自己紹介をした。

「早川、静乃といいます」

「ああ、そうか。

 その静乃ちゃんのスキル構成だ。

 お定まりの〈フクロ〉や〈フラグ〉を持っているのはわかる。

 それに、〈狙撃〉もな。

 藤代さんが典型的な前衛タイプなら、こっちの早川ちゃんは典型的な後衛タイプだ。

 だけど、その割には回復系のスキルが生えていないし、〈魔弾〉なんて聞いたことがない名前のスキルを持っているしで、よくわからないところもある」

 金城女史は藤代葵のことを「さん」づけで呼び、静乃のことを「ちゃん」づけで呼んだ。

 ま、いいけど、と静乃は思う。 

「静乃ちゃん。

 君は、これまにでどんな攻略を行ってきたんだ?」



「これでよろしいか!」

 偉のすぐ前で入会手続きを行っていた大男が、声を張りあげた。

 大男、というより、筋骨隆々というタイプではなく、はっきりといってしまえば太っている。

 縦にも横にも大きいから、大男といってしまっても決して間違いではないのだが。

 その体の大半は、筋肉ではなく脂肪と水分で構成されているように見受けられた。

「はい。

 必要な事項はすべて埋まってますね……って!

 君、もう登録済みだったのか!」

「然り!

 卒業から入学までの暇な時間を有効活用して探索者研修を受けてきたばかりの新人であります!」

 その大きな新入生は気をつけの姿勢をして、ことさらに大声を張りあげた。

 半端な長さに延びていた前髪が跳ねて、大男の顔を隠した。

「学業の傍ら、稼いで稼いで稼ぎまくる所存!

 先輩方もよろしくご教示ご鞭撻のほどを!」

「お、おう」

 なぜだか、受け付ける側の先輩が引き気味になっていた。

「元気があってよろしい。

 歓迎会の日時はここに書いてあるから、本格的な活動はこいつが終わってからだな。

 はい、次の方」

「それでは、失礼つかまつる」

 大きな新入生は、その場で踵を返そうとして、直後にいた偉に背中を軽くぶつけた。

「おっと失礼。

 お嬢さん」

 大きな新入生は意外に俊敏な動きで脇に退き、偉に軽く頭をさげる。

「君も新入生ですかな?」

「ええ」

 偉は大男に軽く頷いてみせた。

「それがしの名は野間秀嗣と申す。

 これからも顔を合わせることもあるかと思うが、どうかお見知りおきを」

「ええっと、白泉偉といいます」

 芝居がかった秀嗣の様子とは対照的に、偉は無難な挨拶を返しておいた。

「なにかの機会があったら、そのときはよろしく」

「はくせんおおいとおっしゃるのか。

 なかなか風流な響きですな」

 そういい残して、秀嗣はのしのしとした足取りで去っていった。

 

「君も、登録済みかあ」

 秀嗣に続いて偉の手続きを担当した先輩が、そういってため息をついた。

「ええ、まあ」

 偉は軽い口調で受け流す。

「なにか問題がありますか?」

「いや、ない。

 それどころか、大いに歓迎する」



「四年前に東北の田舎から出てきまして、それから千葉県にある親戚の家にご厄介になっていました」

 静乃は自分の攻略歴を簡単に説明しはじめた。

「そこの親戚の家が一家ぐるみで迷宮探索を行っていたので、わたしもそれにつき合う形で迷宮に入っていたわけですね」

「その親戚の方々は、専業かね?」

 金城女史が質問した。

「いえ、叔父さんは別に本業を持っていますし、叔母さんも普段はパートにいっています。

 迷宮に潜るのは、週に一回か二回程度で。

 それで、叔父さんの知り合いの方々が飲食店を経営しているとかで、わたしたちが迷宮に潜る目的は主に食用素材の採取になるわけです」

「ドロップ・アイテムが目的ではなく、か?」

「ええ。

 でるかどうかわからないドロップを期待するよりは、ほぼ決まった階層に潜って食肉を集める方が安全で確実ですから」

 探索者、というと一攫千金目当ての山師のようなイメージを持たれることが多いのだが、実際には静乃の叔父一家のようにローリスク・ローリターンの、しかしその分収入が安定した副業として探索者業を行っている者も多い。

「それで、このスキル構成か」

 金城女史は頷いた。

 探索者のスキルは、必要に応じて生える場合と、探索者自身の願望を反映して「生える」場合があるといわれている。

 静乃の場合、〈フクロ〉、〈フラグ〉、〈察知〉、〈狙撃〉、それに〈魔弾〉。

 この五つのスキルさえあれば、必要十分だったのだ。

「だからわたし、迷宮潜行時間の割にはあまり深い階層に行ったことがありません」

 静乃は、そうつけ加えた。

「スキル構成については、了解した」

 金城女史はそういう。

「ついでに、といってはなんだが、もうひとつ確認しておきたい。

〈魔弾〉とは、実際にはどういうスキルなのかね?」 

「狙った場所に必ず命中する魔法弾、なんでですかね?」

 静乃はそういって首を傾げた。

 実のところ、静乃本人にしてから、このスキルの本質を正確に把握しているわけではない。

「当たれ当たれー、って、事前に念じる時間が長くなれば長くなるほど、威力が増します」

「君自身にもよくわかっていないいうことが、よくわかった」

 金城女史は頷いた。

「これは近々、実地に見てみないとなあ」



 城南大学不可知領域研究会通称ふかけんに入会を希望した新入生たちは、すでに探索者登録を済ませた者ばかりではなかった。

 それどころか、迷宮に入るのに探索者としての登録が必要になるということさえ知らな、簡単な予備知識さえない者の方が多数派であり、その結果、入会受付の現場ではそここで軽い悲鳴があがることになる。

「えー!

 その登録っていうのをしないと、迷宮には入れないんですかぁー!」

「入れないな。

 迷宮への出入り口は、不可知領域管理公社というところが厳重に監視している。

 またこれは、迷宮内での無用な死傷事故を減らすことにも繋がっている」

「その登録っていうのを受けるのには、具体的にどれくらいかかるんでしょうか?

 その、時間とか、費用とかは……」

「公社が各迷宮で行っている登録講習は、平日五日間の講義と同じく平日五日間の実習からなる。

 これ以外に、民間の業者によって行われている委託講座も何種類かあるのだが、これらは時間を短縮できる代わりに費用として割高になるからあまりお勧めはできないな」

「その、費用的には?

 一番安いパターンで……」

「一番安いパターンというと、やはり公社が行っているものになるな。

 事前の予約が必要で、だいたい十五万円前後の費用が必要になる。

 これはあくまで講習と登録手続きに必要な費用で、それ以外にまともな装備を一通り揃えようとすると五万から十万が別途必要になる。

 最低でも二十万、余裕をみて三十万あれば、まあそこそこ十分な準備ができるものとみていい」

「結構かかるんもんすねえ」

 質問をしていた茶髪の新入生はそういって軽いため息をついた。

「どうしようかなあ。

 免許を取ってきたばかりで、今、金欠なんですよねえ。

 ……先輩。

 確認しておきますけど、迷宮って噂通りに金になるんすか?」

「やり方次第だな、それは」

 受付をしていた男子学生はニヤリと笑った。

「下層の、あまり金にならないエネミーばかりを相手にしていると、高価な装備を破損する一方になり、経費ばかりがかさんで赤字になる。

 しかし、うちのように先輩のあとをついていって、一気に深い階層で狩りを行っていけば、あまり装備を損なわずに分け前を貰うことも可能だ。

 加えて、金になる階層や場所の知識も得られて、レベリングもして貰える」

「いいことずくめじゃないですか」

「だから、こうして入会を勧めているんだ。

 まったくコネがないところから出発して単独で探索者をはじめるよりは、先達のあとに従いながらはじめた方がずっと効率がいい。

 うちでは地道にそうやって稼いで、一年から二年で奨学金を全額返済したやつも多い」

「ただし、初期費用は自分で用意しなけりゃならない、と」

「それは仕方がないだろう。

 親とかはあてにできないのか?」

「うちはちょっと、そこまで余裕がないもんで。

 ……一月か二月、バイトでもして登録に必要な費用を集めたいんすけど、それでも構わないっすか?」

「ああ。

 登録するタイミングは、いつでいいぞ。

 他人があれこれ口出しをすることでもないしな。

 とりあえず、今からでも入会するだけ入会しておけ。

 入会しておけば〈ふかけん〉会員限定のSNSも使えるようになるし、そこから事前に予備知識を仕入れておくこともできる」

「はいはーい」

 茶髪の新入生は軽い口調で返答をし、差し出された用紙に、

「秋田明雄」

 と署名した。



 静乃をここまで案内してきた男性が徳間隆康、藤代葵を案内してきた女性が角川夏希というそうだ。

 金城女史といっしょにいたゴスロリドレスの女性が、角川史緒。史緒はその名前からもわかるように夏川夏希と姉妹であり、ともに二回生だという。

 どちらかが浪人ないしは留年をしたのか、それとも双子か年子の姉妹であるのかまでは確認する機会がなかった。

 金城女史が三回生で、隆康はなんと八回生だという。院生ではなく、現役の学生だった。除籍になるギリギリまで落第をし続けてきた計算になる。

 どうりで老けて見えるはずだ、と静乃は内心で納得している。

「制度上はそういう方がいても不思議ではないのですが、将来に対して不安になったりしませんか?」

 葵は隆康に対して聞きにくい内容をズバリと質問した。

「いや、ぜんぜん」

  隆康は平然と答える。

「そんなの、なるようにしかならんしな。

 それにいざとなったら、専業の探索者で食っていくさ」

「というか、先輩、なんでいまだに学生なんかしているのかわからないくらいですよね」

 夏希が茶々を入れる。

「迷宮に入っているかパチンコ屋にいるかで、ゼミには滅多に来ていないそうですし」

「うるせえな、夏希」

 隆康は顔をしかめた。

「生活費も学費も全部自前だから、誰にも文句をいわれる筋合いはないってーの」

「徳間先輩はこれでも〈ふかけん〉で一番迷宮先行時間が長いベテランだ」

 金城女史が静乃と葵に説明してくれる。

「ソロで迷宮に入ることも珍しくないようだし、迷宮のことでわからないことがあったらこの徳間先輩に聞けといわれるくらいだ。

 もっとも、すでにそれなりの実績を積んでいる二人は、助言を必要とすることはほとんどないだろうがね。

 それ以外の私生活については、あまり見習って欲しくはないかな」

「褒めているんだか貶しているんだかよくわからない微妙な紹介をありがとよ」

 そういいながらも堀田は、特に気を悪くした様子もない。 

「それで、お嬢さん方よ。

 ものは試しだ。

 探索者同士のことは、いっしょに迷宮に入ってみればよく分かる。

 このあと、時間はあるかい?

 あるようなら、すぐにでも松濤か白銀台にいって迷宮に入ってみたいんだが……」



「そのどちらかの迷宮を選べといったら、やはり松濤の方が都合がいいかと思われます」

 藤代葵がいった。

「わたしは〈フクロ〉持ちではありませんし、松濤へいけば高校時代にわたしが使っていた装備もまだ残っているはずですから」

「そうか。

 そういや葵ちゃんは、〈フクロ〉は持っていないとかいってたな」

 隆康は頷く。

「しかし珍しいな。

 迷宮に出入りするようになってから……」

「中学高校と、あわせて六年間になります」

「うん。珍しいな。

 六年も迷宮に入っていて、〈フクロ〉が生えてきていないってパターンも」

 隆康はしきりに頷いている。

「完全に攻撃専門の、ファイターってやつか?」

〈フクロ〉と通称されるインベントリ能力は、ある程度経験を積んだ探索者であれば十人中、八人から九人は修得するといわれるほど一般的なスキルだった。

 六年間も出入りしていて〈フクロ〉持ちでははない葵のような例は、実はかなり珍しい。

 スキルの修得についてはある程度、本人の意志が関係しているという説があるのだが、その伝でいけばこの葵はこれまで〈フクロ〉のスキルを必要と思ってはいなかったことになる。

「それと、後輩の指導や育成ですね。

 そういったことに忙しかったので、〈フクロ〉のことまであまり気が回らなかったようです」

 他人事のような口調で、葵は答えた。

 重い装備品はたいてい、学校内の部室に置きっぱなしであったし、なによりこの葵はエネミーの死体やドロップ・アイテムに対してもさして興味を示したことがない。

 そうした品々を売ることで報酬に変えることを目的とした探索者が多い中、かなり例外的な無関心さであるともいえる。


「ま、〈フクロ〉を生やさなかった分、他のスキルが伸びているのかも知れないしなあ」

 隆康はのんびりとした口調で応じた。

「葵ちゃんは、キャリアが長い割には生えてきたスキルが少なすぎるし」

「そうなのですか?」

 葵は首を傾げる。

「自分では分かりませんが」

「なに、実際に迷宮に入って見れば分かる」

 金城女史がいう。

「そちらの静乃ちゃんも、今日これから、空いているんだよね?」

「ええ」

 静乃は軽く頷いた。

「特に予定はありませんし、装備品は全部〈フクロ〉に入っています。

 あまり長引かなければ、問題はありません」

「新人ちゃんふたりの実力を確かめてみるだけだから、せいぜい小一時間くらいですませるよ。

 夏希ちゃん、車を正門前に回して。

 徳間先輩は、見届けをお願いします」

 金城女史自身はまだこちらのキャンパスに残り、めぼしい新人を探す役割があるということだった。史緒は、その金城女史について有望そうな新入生を見かけたら声をかける役割としてこの場に残った。



 夏希の運転する国産小型車で松濤迷宮へとむかう。

 松濤女学院という学校法人が不可知領域探索公社と共同で管理している迷宮で、つまりは藤代葵の母校の中にある迷宮ということになる。

 近くのコインパーキングに車を駐め、そこで四人は車を降りて松濤女学院の正門を目指した。


 その立地条件から、松濤迷宮は三十三カ所ある迷宮の中でも随一の堅牢さを誇るセキュリティ体制を所持していた。

 女学院にとっては完全に部外者である、迷宮に用がある者たちのが入れる場所は厳密に決められており、女学院の他の部分とは完全に隔離されている。

 だから藤代葵は松濤女学園に到着したとき、一旦、他の三人と別れて女学園の正門前から堂々と入っていった。

 ついこの春まで松濤女学園に通っていたOGが用事があって立ち寄るわけだから、なにも問題はない。

 在校生にせよ教員にせよ、葵の顔を知らない者はいない、ということだった。

「おれが入っていったら、すぐに摘みだされるのになあ」

 その背中を見守りながら、隆康が当たり前の内容をしみじみとした口調で呟く。

「先輩が入っていったら、変質者としてすぐに捕まりますよ」

 夏希が呆れた口調で隆康に突っ込みを入れる。

「十八歳以下に手を出すのは犯罪ですよ、犯罪。

 そことところわかってますか? このおじさんは」

「うっせぇな、夏希」

 隆康は軽く顔をしかめる。

「いってみただけだ」

 

 藤代葵は五分もしないうちに正門前に帰ってきた。

 金属製の薙刀を肩に乗せ、もう一方の手でヘルメットを抱えた葵が、アイボリーホワイトの保護服に身を包み、大勢の女子中高校生を後ろに従えた状態で。

 ウェットスーツのような質感の葵の保護服はプロテクターと一体になったもので、微妙に体のラインを隠している。

「このカメラはブランク状態のものですから、公社にいってカメラをセットして貰わなければなりません」

 葵は隆康と金城にむかってそういった。

 ヘルメットに内蔵されているビデオカメラに葵の探索者IDが刻印されていない、という意味だった。

 それが済んでいないと迷宮に入ることはできない。

「そんな手続き、五分もかからない」

 隆康はそう応じた。

「必要な手続きをして、さっさと迷宮に入ることにしよう」


「藤代先輩、この人たちが大学の」

「よかった。

 藤代先輩、完全に引退するわけではないんだ」

「藤代先輩、今度いっしょに迷宮に入りましょう」

 葵の背後にずらずらとついてきた女子中高校生が、わいのわいのと騒いでいる。

 その女子中高校生のうち、半分ぐらいが制服姿でもう半分くらいがジャージ姿だった。


「皆さん、お静かに」

 葵はよく通った声で一喝した。

「今日は迷宮に用事があってこの場に立ち寄りました。

 お客さん方のご迷惑になりますから、あまり騒がないように。

 わたし個人への用事はまた別の機会にお願いします」

 あまり大きな声ではなかったが、葵がそう諭すと集まってきた女子中高校生たちは意外に従順な様子で校内に戻っていく。

「すいません。

 騒がしくて」

 葵は他の三人にむかって頭を下げた。

「とても慕われているんだね」

 夏希が感想を述べる。

「一応、昨年までは迷宮探索部の部長をやっていましたので」

 控え目な口調で葵が告げた。

「本当に、迷宮エリートってやつだな」

 ぼそりと、隆康がいった。


 探索者用の出入り口から改めて校内に入り、公社の窓口で葵用のヘルメット内蔵カメラをセットして貰う。

 その間に、葵以外の三人はそれぞれの装備を身につけた。

 とはいっても、別に更衣室を利用するわけではなく、その場で〈フクロ〉のスキルを使用して、瞬時に着用していた衣服と迷宮用の保護服を直に交換しただけなのだが。

〈フクロ〉に限らず、探索者のスキルとは使い込み、慣れればなれるほど細かい芸当が可能になってくる。

 その場で手にしている武器を瞬時に交換するくらいは序の口で、熟練した〈フクロ〉持ちであればこうして瞬時に着ている服や靴を同時に交換することも可能だった。

 隆康と革は葵と同じくプロテクターと一体型の保護服で、静乃だけが保護服の上から外付けのプロテクターを装着するセパレート・タイプであり、その保護服自体も明らかに古い型の、洗練されていないデザインのものだった。

「随分と簡素な装備だな」

 隆康が静乃の格好を見て、短く感想を述べた。

「後衛ですからね、これで十分ですよ」

 静乃は澄ました顔をして答える。

 静乃自身は、探索者の装備は所詮作業着であるとしか認識していなかった。

 機能性やデザイン性よりもコストパフォーマンスの良さを重視して選択しているため、どうしても垢抜けていない格好になってしまう。

「それに、わたしの仲間内ではこの程度の装備があたりまえでしたし」

 とも、つけ加えた。


「不躾ですよ、隆康先輩」

 夏希が隆康をたしなめる。

 探索者の世界は、基本的に自己責任の原理で動いているのだった。

 他の探索者の方針に横から口を出すのは、マナー違反であるとされている。

「いや、別に文句をいいたいわけじゃあないんだ」

 もごもごと不明瞭な口調で、隆康がいいわけをする。

「ただ、女性にしては珍しいな、と思っただけで」


 そんなやりとりをしているうちに、公社の窓口に預けていた葵のヘルメットが帰ってくる。

 他の三人もヘルメットを〈フクロ〉から取り出して装着し、それぞれの武器も出した。

 隆康が大きな丸盾と、ごつい槍状の武器。

 その大きさから見て、人間が製造したものではなく、迷宮内で入手したドロップ・アイテムだろう。

 その丸盾も槍も、隆康の体格と比較すると不釣り合いなほどに、いいや、いっそ非現実的なほどに大きい。

 巨人の装備を無理に持っているように見える。

 探索者として能力が強化された者でなければ、到底扱うことは不可能な代物だ。

 夏希は腰のベルトに細身の剣と彎月刀を刺している。

 葵は前述のように、金属製の薙刀。

 そして、静乃の武器といえば……。

「それ、本物じゃないよね?」

「当然です。

 銃刀法というものがありますからね」

 やっぱりつっこまれたか、とか思いつつ、静乃は答える。

「プラスチック製の、単なる模型ですよ」

「スキルを使用するための媒体ってところか?」

 隆康がいう。

 学生としても探索者としても年季が入っている分、察しがよかった。

「そうです。

 こんな形でも、魔法使いの杖代わりってところですかね」

 静乃は答える。

 スキルを使用するための媒体。

 魔法使いの杖、のようなもの。

 それなしでもスキルを使用できるのだが、それがあるとより円滑にスキルを使用できるというモノ。

 それが、静乃の場合は、このアサルト・ライフルの模型なのだった。


「そんなことより、準備ができたのでしたらすぐに入りましょう」

 葵が、他の三人をうながす。

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