第11話 理想郷。

 僕は理想郷に居た。


 目に写る全ての建物が汚れ一つ無く色鮮やかな新品ような様相で、その合間を漂うように飛ぶ様々な形のドローンに本物と錯覚してしまいそうな立体映像など、華やかかつ活気に満ち溢れていて、暗く沈んだ地下施設とはかなりの差があった。 

 

 そうした光景を見ながら歩道を歩いていると、靴を通してアスファルトと呼ばれる基礎材質の感触が伝わってくる。砂漠とも地下施設の通路とも異なる硬質な感覚だった。


 その周りには大勢の人間が居たが、死体にように寝転んでいる者は一人もおらず、様々な方向へ歩いていて、全員が笑顔を浮かべていた。人間は良好な心理状態にあると、口の両端を曲げる笑顔と呼ぶ表情を浮かべるのだという。

 

 ウォン、ポンド、ペソ、マルクが度々浮かべていた顔の動きをやっと理解することができた。ハデスも浮かべていたと思うが、同類である僕自身は浮かべることができるだろうか?

 

 人間は、子供、大人、老人という成長過程があって、それに応じて大きさが違い、男と女という違いもあることを知った。これらの情報はサングラスを通して得たものだった。


 ベアトリーチェにもらったサングラスには情報表示機能が有り、見ている風景を通して様々な情報がレンズに映し出される仕組みになっていて、左レンズの脇にあるボタン操作で、必要な情報だけを見るように調節もできるのだった。


 歩きながら目に付く店や施設に入っては、書物、芸術、音楽など様々な文化に触れ、映画館ではジョン・ファウストの映像作品を鑑賞し、その後入った店では乗っている機体を玩具化したものを手に取った。理想郷では機動兵器のことを巨大ロボットと呼んでいて、超合金とかいう素材で出来ている巨大ロボット玩具は中々の出来栄えだった。


 飲食店に入ると、メニューにあるものを全て注文して食べられるだけ食べた。食事において、口に入れて良好だと感じることをうまいと表現するとのことだった。これまでの食事では体験したことの無い感覚だったので、とても新鮮だった。ただ、酒という飲みものはうまいと思えず、一杯飲んで止めてしまった。


 なお、支払いという取引を求められた際に、僕が胸に付けている黒いものを見た人間は即座に取引の中止を口にした。ベアトリーチェが、なにをするのも自由だと言った意味が分かった気がした。


 食事を済ませた僕は、公園と呼ばれる場所に来て、ベンチと呼ばれる長椅子に座り、缶コーヒーと呼ばれる飲み物を口にしながら、家族と呼ばれる数人単位の集団を眺めていた。この区画はそうした人間達が憩いを求める場所なのだそうだ。


 缶コーヒーは、地下施設で飲んだどのコーヒーよりもうまく感じ、理想郷で生産されているものは違うと思った。飲み終わり、缶をゴミ箱に捨てると、芝生と呼ばれる場所に行って寝転んだ。背中を通して、草と呼ばれる植物の感触が伝わってくる。それと同時に窓越しに青い空が見え、青空というほぼそのままの名称ということを知った。


 ここには機動兵器の駆動音も銃声も外獣の鳴き声も無い。人の声や乗り物の音などは耳にするが、気にはならなかった。穏やか音の中に身を委ねていると、自分がクローン兵であることを忘れてしまいそうだった。


 「お兄ちゃん、そこで何をしているの?」

 子供が話しかけてきた。サングラスの情報からすると、少女とのことだった。


 「空を見ている」

 「お空? なんで?」

 「僕は青空をほとんど見たことが無いからだ」

 「楽しい?」

 耳慣れない単語だったが、人間の良好な感情の一種と表示された。


 「楽しいのかな」

 なんとなく出てきた言葉だった。僕は本当にそう思っているのか?

 「ふ~ん、変なお兄ちゃん。あ、お母さんが呼んでいる」

 少女は、僕から離れて行った。


 小さな音を聞いて鳴った方に顔を向けると、少女は前のめりに倒れたまま動かなくなっていた。おかしなことをするものだと思っていると、レンズに死亡という文字が表示された。


 僕は、その情報をすぐに信じられず、体を起こして少女に駆け寄って、心臓に触れてみると、全く動いておらず、脈も止まっていた。何が原因なのか分からなかった。武器で撃たれていないことは外傷がないので、すぐに判断できた。なら、病気だろうか、だがベアトリーチェは、ここでは病気にはならないと言っていた。では、なんだろう?


 そう思って、周囲に目を向けると、公園に居る全ての人間が倒れていた。少女から離れ、何人かに触れてみると、同じように死んでいた。僕だけが生きていて、他の人間が死んでいるという状況に、どうしていいのか分からなくなり、その場に立っていることしかできなかった。


 少しの間、そうしていると大きな黒い箱ような形のホバークラフトが近付いてきて、死体の上で止まると次々に吸い込んでいった。人間が乗っているのなら、何か聞けるかもしれないと思って近付いてみると無人だった。


 黒い箱は、僕の正面で一時停止した後、すぐに方向を変えて死体の吸い込みを再開した。これもベアトリーチェが渡した黒いものの効果だろうか?


 一台の箱が、公園から離れていくのを見て、どこに行くのか知りたいと思い、後を付けると、道路に出て走っていったので、近くを通ったタクシーを止めて乗車した後、黒い箱を追いかけるように言った。


 「お客さん、黒い箱なんてどこにあるんです?」

 運転手は前を見ながら返答した。

 「前を走っているだろ。見えないのか?」

 「どこです? そんなけったいなものが走っていれば、あたしにだって分かりますよ。夢でも見ているんですか?」

 「公園で大量に人が死んだんだが、何があったか分かるか?」

 話題を変えてみることにした。

 

 「人が死んだ? 老人ですか?」

 「大人や子供も死んでいるぞ」

 「何言ってんです。ここでは全員”寿命を全うして死ぬ”ことになっているんですよ。ほんとに変なことばかり言うお客さんだ」

 「公園を見てみろ。まだ、死体が残っているぞ」

 僕は、公園を指さした。

 

 「ありゃ”ゴミ”ですよ、ゴミ。だから、ゴミ収集車が来て、収集しているんでしょ。それにしてもあれだけ大量のゴミをいったい誰が捨てたんですかね。悪いことをする奴もいるもんだ」

 「ゴミなのか・・・・・・・・・」

 僕は、自分の言っていることが正しいのか分からなくなってきた。

 「お客さん、そろそろ行き先を言ってくださいよ」

 「中央タワーに行ってくれ」

 「かしこまりました」

 中央タワーに付いた僕は、ベアトリーチェの居る最上階に向かった。黒いものの効果で、青い服を着た男達に許可を取る必要もなかった。


 「なんだ、早かったじゃないか。もう満足したのか? あのまま住み着くのかと思っていたぞ」

 ベアトリーチェは、部屋を出て行く時と同じく、椅子に座っていた。

 「人がいきなり死んだぞ。どういうことだ?」

 「お前、人工調節の場に居たのか。悪い悪い、あんまり当たり前過ぎるんで言うのを忘れていた。ここでは人工調節の為に毎日百人単位で人間を死なせているんだ。理想郷を維持する為にな」

 「人を死なせることと理想郷の維持にどんな関係があるんだ?」

 「人間が増え過ぎると、食料や住居といった問題が発生するんだよ。こうなる前の時代でも人口増加は問題視されていたらしいからな。だから人為的に人を減らしているんだ。メインプログラムがランダムで選ぶからどの区画の人間が死ぬのかは分からない。運良く生き残れれば、じじいやばばあになれるってわけさ。死んだ人間がどうなるかはもう知っているよな」

 「僕等の食料になるんだろ。それで、どうやって死なせているんだ?」

 「脳に埋め込んでいるチップだ。ここでは生まれてすぐにチップを埋めることが義務付けられている。ネットワークによる人口管理という名目でな。そのチップにちょいと刺激を加えれば、痛みも無くコロって死ねるというわけだ」

 「何故、死んだことが分からない? ゴミだって言っていたぞ」 

 「人工調節で死んだ人間に関しては、ゴミだと認識するように指令を送っているからさ」

 「僕等以上に管理されているんだな」

 「お前達は戦闘という分かり易い目的があるし、大半は一回の出撃で死ぬ、だが理想郷では生きる目的は人それぞれだ。だからこそ、完全な管理システムが必要になるんだよ。人間ってやつは自由にし過ぎるとすぐに悪いことをするからな。環境から人間の死に至るまで完全完璧に管理する、人間が目指した理想の管理社会というやつが実現しているのさ」

 ベアトリーチェは窓の外を見ながら言った。

 

 「ベアトリーチェも調節で死ぬのか?」

 「私は死なない。管理人だからな。死ぬとすれば死期が来るか、誰かに殺されるかだ。なんなら私を殺すか?」

 ベアトリーチェは、両手を広げる仕草をした。

 「殺す気はない。敵と認識してないからな」

 「そうか、それでこれからどうする? 理想郷へ戻るか?」

 「いいや、ルシファーが置いてある場所へ行きたい」

 「エレベーターに乗って地下へ行け。着いた後は、サングラスが場所を示めしてくれる」

 「分かった」

 僕は、ベアトリーチェに背を向けて部屋から出て行き、エレベーターに乗って地下へ行った。


 エレベーターを降りると、ベアトリーチェの言う通り、サングラスが位置情報を示し、ホバークラフトなど色々な物資が置かれている通路を通って進んでいくと、ルシファーがあった。

 立っているルシファーは、頭部の左半分の損傷を含め、元のままだった。

 スイッチを押して、ハッチを開けて中に入り、帽子とサングラスを外し、シートに座りながらレバーを引いて閉じた。

 数時間振りのコックピットは、とても安心でき、気持ちが軽くなっていく感じだった。こういう心理作用を癒しというのだそうだ。あれだけたくさんの文化というものに触れておきながら、機動兵器に癒しを感じる僕は、やはりクローン兵なのだと改めて思うと同時に、理想郷に居られる者ではないと強く感じていた。

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