人格メモリー! 保存無し!

ボンゴレ☆ビガンゴ

人格メモリー! 保存無し!

 登校途中、後ろから駆け寄る足音が聞こえてきたので、ユリは歩幅を緩めた。


「おはよ、昨日どうしてたの?」

 

 セーラー服の肩を叩かれたユリが振り向くと、心配そうな表情をしたカンナが立っていた。立ち止まったユリはしばし逡巡したが、意を決して口を開いた。


「昨日、パパが亡くなったんだ」


 それまで神妙な面持ちでユリの瞳を覗き込んでいたカンナの顔から笑みがこぼれた。


「なあんだー。そんなことかー!」


 カンナが胸を撫で下ろし歩き始めたのでユリもその後に続く。


「お父さん死んじゃったんだー。まだ若いのに珍しいねー。てか、てっきりシゲピーと別れちゃったのかと思って、心配しちゃったよー」


 バシバシとユリの肩を叩くカンナ。彼女にとってユリの父の死などは、毎日の小さな話題の一つに過ぎなかったのだ。

 ユリも別段、気を悪くすることはなかった。これが一般的な普通の反応だと知っていたからだ。


「今日お通夜だから、部活休むね」


 カンナは首を傾げた。


「オツヤ……? ああ、お通夜かー。随分と古風だね。今時お通夜なんてやる家庭あるんだー。面白そうだから私も行ってみていい?」


 屈託無くカンナは笑う。昨今あまり見られなくなった通夜をホームパーティーの様なものに感じているのだろう。

 ユリは苦笑しつつも頷く。


「六時からだから、部活のあとでも全然間に合うよ。お寿司とかあるから、みんなで来なよ」


「やったー!」


 無邪気にピョンピョコ飛び跳ねるカンナを見て、


 まぁ、そんなもんだよなぁ、とユリは思った。


  

 21世紀も終盤に差し掛かった世界で、人類は既に「死」を乗り越えていた。人類はDNAを解析し尽くし、さらには脳と心のデータ化に成功していたのだ。

 思考、性格、ささいな行動の癖など、ありとあらゆる情報を数値化し、それを元に人間を仮想空間、要するにコンピュータ上へ復元する事に成功していた。


 人々は毎年行われる健康診断の度に、メタボチェックなどと一緒にその数値化されたデータを保存しておくのが当たり前になっていた。

 そして、このデータを元に死んでしまった人間を仮想空間に復元する事が慣例化されていた。

 

 死してなお、仮想空間上でコミニュケーションが取れるのだから、人々にとって肉体的な死など取るに足らない悲しみになってしまったのだ。

 通夜や葬式よりも肉体が腐敗し始める前に全身をスキャンし、脳の最終データをバックアップし、それをコンピュータへ移行する作業が何よりも優先されるのが常識的になっていたので、カンナが通夜を珍しがるのも不思議ではなかった。

 

 だが、ユリの父はそんな時代の流れに逆らい、自分のデータを残していなかった。

会社の健康診断の際も無料でデータ保存が出来るというのに、敢えて検査項目から外していた。


「個人データを残すことはご家族のためでもあるのですよ。あなたの死後、家族が悩んだり困難に立ち向かう時、あなたが仮想空間上に存在することによって、あなたから助言を貰うことができるんです。個人データを残さないというのは、あなた自身存在やの知識という遺産をご家族に残さない、という事なのですよ」


 何度も医者に言われたのだが、父は頑なにデータの保存を拒んだ。ユリは父が理解できなかった。

 あらゆる媒体で個人データのバックアップを促す広告が散見される社会だし、保険会社がこの個人データ産業へ参入してからは各社が様々なアフターサービスを提供し顧客の獲得を目指しているので、既に個人データについての議論は、データを残すか残さないかの議論ではなく、どこの会社のサービスを利用して残すべきか、という事が語られているのだった。

 欧米などは過去の大統領の生前の個人データを集め、現職の大統領へのアドバイザー兼、栄誉顧問として雇っているし、中小企業のワンマン社長などは死んでからも仮想空間上から経営会議に出席し口を出したりする。

 死者が有益な助言や仕事をすることで、生前同様の報酬が遺族に支払われるので、データを残す事にはデメリットは一つもないのだ。少なくとも各保険会社はそう謳っていた。

 だから、皆が当たり前に行う事を敢えてしない父をユリは理解できなかったのだ。


「俺が死んだら、俺はいなくなる。それでいいじゃないか。俺が死んだって母さんもユリも俺を忘れることはないだろ。忘れられちゃったら、まあ悲しいけど、ふとした時に思い出してくれれば、それでいいんだよ。俺の痕跡がこの世から無くなるからこそ、遺された人の心の中で俺は生き続けられるんだから」


 そんな言葉を残して父は死んでいった。結局、自分のデータは残さずに。


 通夜の席で涙を流す母をユリはぼんやりと眺めていた。人の死が遠くなった現代では人の死は悲しむべき案件ではなくなっていたので、ユリは人が死んで泣いている人を初めて見たのであった。

 出席した親戚は、個人データを残さなかった父を批判していたが、でも、何故かユリは皆と同じように父を批判する気にはなれなかった。


 生前、父は事あるごとに言った。


「文明は進歩したけれど、人類の倫理観、道徳観、知識は進歩しているとは言えない。

 戦争は相変わらず起こるし、新しい宗教も出たり消えたりするし、凶悪犯罪だって減らない。僕達に必要なのは目を逸らさないことなんだ。悲しみを遠ざける事ではない。

 冷めた目で現実を客観視することではない。見たこともない事を理解したと思い込むことではない。楽しい時に笑い、怒った時に叫び、悲しい時にはきちんと泣ける、そんな生き方なんだよ」


 のんびりした口調の父。


「また面倒っちいこと言ってるよ」と耳を貸さなかった、その父の言葉が聞こえた気がした。


「ユリ、お父さんどんな人だったの?」


 通夜の席で寿司を頬張りながらカンナが尋ねてきた。あまり写真も撮らなかった父の遺影は二十年も前の物で、ユリにとっては馴染みのない代物だった。


 それに、病魔に冒されてからは痩せこけて、元気だった父の姿は遠い思い出の彼方であった。

 だけど、それでいいのかもしれない。父はいつでも心の中にいる。


 嫌な思い出も笑えた思い出も全部ひっくるめて、父は父なのだ。笑顔の写真ばかり集めて取っておいたら、本当の父の姿がわからなくなる。

 だから、父を思い出すのは自分の記憶の中だけでいいのかもしれない。


「変だったけど、いいオヤジだったよ」


 ユリは噛みしめるように微笑んで答えた。


 自然と溢れた涙は温かかった。




おわり。

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