先見の明――運転技術にも当てはまるところが絶妙ですね☆
一年前の秋口と今年の秋口、体感的には全く違うものと思えてきますが、よくよく振り返ってみたら、それほど変わらないのかなとも感じてきます。
――『空を見やれば 雲もひとすじ』
今年の立秋過ぎも、空を見上げてみれば雲が櫛を梳いたように流れてて、秋の気配を感じます☆
作者からの返信
愛宕さん、コメントをありがとうございます!♪( ´▽`)♡
遠くを見る。目の前のことに気を取られて忘れがちですが、実はとても大切な気がしますね。
一つ一つあれこれ思い煩うより、全体の大きな流れを意識すれば、些細なことにこだわり過ぎなくてもいい……そんな風に思えてきます(*^^*)
そんな気持ちで仰ぐ秋の空、一層爽やかに感じられそうですね( ^ω^ )
ここのところ、本当に朝夕の涼しさが感じられて秋の訪れを実感します。
夏の風が色と熱を失ったのではなく、新しい秋の風が季節を飲み込んでいくのだ──
そんなあおいちゃんの感性にまた心を動かされました(*^_^*)
そして、苦しみや悲しみは時間と共に薄れていく──
自分や誰かが辛い時、自分にも周りの人にもそう言い聞かせている私ですが、その先の未来を見ることと、車の運転で少し遠くを見ることが重ねられるなんて、それも目から鱗でした!
確かに、そうやって少し先を見るということが、固くなった心をほぐしてくれるような気がします(^^)
作者からの返信
遠くに視線を向けると、恐怖感が静まる…これは、教習の時のリアルな実体験だったので、すごく強烈に自分に刻まれました^^;(笑)
その時ふと、自分自身の日々の歩き方もこれと同じなのかもしれない、なんて感じたんですよね。目の前の些細な一つ一つのことに囚われすぎるのは、大きく見れば無駄な労力の場合もあるのかもしれない。そういう部分を冷静に見られる目が大事なのかも…そんなことを思いました。
夏の気配が去ったのではなくて、秋の色に変わっていくのだ…どうしても夏の終わりは寂しい気持ちになるものですが、次に来るものの中にもまた違う幸せがある。よく考えれば、そういうことなんですよね。
ひまわりちゃんに共感していただけて、とってもうれしいです♡
歩く…だけで、歩を進めるだけで前を向いているということだ。
立ち止まると、後ろを見てしまう。
それは、自分の足跡を…誇れるだろうか?
僕は、自分の足跡が波にさらわれていけばいいと思ってしまう。
僕が歩くのは、過去から逃げるためなのかもしれない。
穏やかな思いで歩ける…そんな今が欲しい。
作者からの返信
桜雪さん、コメントありがとうございます!(*^^*)
自分の足跡を誇る…そんなふうに日々を歩けたら、どんなに幸せでしょうね…
でも…実際、自分の足跡を誇れる人なんて、いるんでしょうか?
自分のやってきたことなんて、いつも迷って、ぐずぐずして、くだらなくて…しっかり見つめてみろ、と言われたら、顔を覆いたくなってしまうようなことばかりで。少なくとも、私はそうです。
だから、今後の自分に必要な反省だけを終えたら、一目散にそこから逃げ出しています。自分の足跡が良かったかどうかなんて、怖くて見られない…それを見ていたら、きっとしゃがみこんでしまう。自分のこの先の道さえも黒く汚してしまう…だから、私はそこから一目散に遠ざかるんです。
私がこのエッセイを書くのは、きっと…なかなか穏やかな心で生きられないから。それでも、苦しく辛い道を、なんとか歩かなければならないから。だから、「そうありたい」という願いを綴っている。…そんな気がします。
人間ってきっと、そんな苦しみの中を必死に歩かなければならない生き物なんじゃないか…そんなふうに思ったりします。
編集済
行いを振り返ったり、自分を見つめなおす。
秋口はそんな季節の様な気がします。
それはそうと100話ですね! おめでとうございます(^^♪
作者からの返信
さつきまるさん、嬉しいコメントありがとうございます!♪( ´▽`)
秋の初め。毎年なんとも言えず切なくて、苦手な時期です^^;(笑)でも、さつきまるさんのおっしゃる通り、静かに自分自身を見つめたり、何かを切り替えたりするにはちょうど良い時なのかもしれません。
うわー、ありがとうございます!!💕自分のノートで祝おう!なんて密かに思ってたところを気づいていただけるなんて…こんな嬉しいことはありません…マジ嬉しいです!!(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)✨✨
人は変わった生き物――小さな変化を望むけれど、大きな変化は望まない。
意味不明だよね?
上手く言えないけれど、たぶん、こういうこと――大局が安定している世界で、自分の周りに新しい流れが起きることを願っている。
よく「ツキが変わる」とか「流れが向く」と言うけれど、まさにアレのこと。窮地に追いつめられたり、どんなにがんばっても状況が好転しないときに事態を打開しようとするときのアレのこと。よく考えると、非現実的で非論理的で神頼みに近いものだけれど、みんな真面目に念じたことがあるんじゃないかな?
そんな変化を呼び込むために、人はいつもと違ったことをやろうとする――習慣や規則的なものをちょっぴり変化させる。流れを変えてツキを呼び込むために。
ただ、そんな変化は望む癖に、大局的な変化――自然の摂理の崩壊は望まない。春の次には夏が、夏の次には秋が、秋の次には冬が。そして、また春が来る。そんなサイクルは変わらないものであって、変わって欲しくないと思っている。
だから――立秋なのに「相変わらず夏」であることにホッとする。今年も秋がやってくる「予定」であることを喜ぶ。
逆に、立秋になった瞬間、気温が25度ぐらいになって、空に鰯雲が流れ出して、食欲が増進して、物悲しい気持ちになったら……きっと、不安な気持ちで夜も眠れない。「ツキ」や「流れ」なんて考える余裕がなくなる。
人には「変わることを求めるのに変わらないことを望む」といった二面性がある。
ただ、「変わったこと」に自分でも気付いていないことがあるのも事実――特に、季節が移り変わるとき、そんな現象がしばしば見られる。季節の変わり目に風邪を引いたり体調を崩すのと同様に、心が変わってしまうことがある。
人と言うのは、ホントに変わっている――大局はそのままで小さな変化を望む反面、内面の変化に気付かないことが多々あるんだから。それは、変化を望まない大局「自然の摂理」が心に作用することで起きた無意識のうちの変化。
変わらないことと変わること――どちらが理想なのかな?
あっ、ごめんなさい・゜゚(>ω<。人)ゴメンチャィ
また自分の世界に入って、意味不明なことをダラダラと。
作者からの返信
RAYちゃん、コメントありがとうございます!( ^ω^ )
もうこれだけで一つの作品のような奥深いコメント、とっても嬉しいです♪(*^^*)!
変わりたい願望、変わりたくない願望。そして、時に大きな変化があっても自分自身は無意識のまま、それに気づかないこともあって。…人間の心は、本当に複雑ですね。
RAYちゃんのおっしゃる通り、大局的な流れが変わることは、人間にとって恐ろしいことなのかもしれませんね。自分の基礎部分が崩れていくような気がして。
欲しいと感じるのは、大きな影響が出ない範囲の、しかも自分にとって心地よく、望ましく感じる変化。そればかりで自分を満たすことなどできないのはわかってるけれど、それを願わずにはいられませんね。
でも、時に、無意識のレベルで自分でも驚くほどの変化をしていて、そんな自分が表面化した時に初めて「えっ」と自分自身にびっくりしたり…
どんなことも、必ず変化していくもの。自分自身が変わっていくことも当然なことなのですが…自分がそうしたいわけではなく、自然な流れが引き起こす変化。自分自身がこれに気づくのは、とても難しい気がします。
だから、物語を書くときも、人物が自分自身の言動に驚くシーンっていうのはあってもいいんだよな、なんて思います。あまり首尾一貫して理屈の通った人格を持っている必要はないし、むしろそれが崩れるところが面白いのかも…なんて思ったり。
あ、私も随分長くなっちゃいました^^;(笑)
突っ込んだお話ができて楽しかったです〜!♪( ´▽`)♡
運転中は先を見ろ、とよく言われますが、気がつくとすぐ目の前ばかりを見つめてしまっている時がありますね〜。気をつけないと。
先の日付…最近考えたのは、着物袋を購入して着物をしまう時です。しまう年月日を書き込むのですが、袋の交換時期が五年後。
五年後って、ちゃんと覚えているのかな…その頃自分は何をやってるのか、周りはどうなっているだろう…と考えます。それはきっと、五年後がちゃんと訪れるに違いないという安心感も一緒に感じているということなんでしょうね(^^)
作者からの返信
黒須さん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
落ち着いて先を見る。運転にも、日々のさまざまなシーンにも大切なことかもしれない、と思いますね。目の前に気を取られると、ハンドルが安定せず、本当に必要な操縦ができなくなる。視野を広く持ってゆったりと構えることが、適切な判断をするためにどれほど大切かをはっきり示してくれているような気がします。
着物は普段ほぼ触れないのですが、交換のタイミングは五年なんですね!時の流れのゆったり感、古くから受け継がれた良き文化に似つかわしくて素敵ですね(*´꒳`*)
次に交換する五年後に思いを馳せるひとときというのも、期待や不安やさまざまな感情が胸に湧きますね。五年後、自分自身に納得できる未来を迎えられるよう、前を向きたくなります(*^^*)✨