応援コメント

心の仕組み」への応援コメント

  • 完全に埋まったと思ったら端から欠けていくような……それは、すべての「ひと」に通じる心の仕組みでしょうか。共感致しました。急に姿を消してしまう猫、行方を案じてしまいます。
    「ひと」が、自分の手の中にある幸せを「幸せ」と意識して、永遠に大切にしたいと感じたとき、場合によっては「達観」の域に入るのかもしれません。
    生きている限り失い続け、探し続ける……「ひと」とは、つくづく天邪鬼で疲れる生きものですが、そんなふうに神様に仕組まれているのでしょうね。

    作者からの返信

    ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡

    人間は、常に何かを探している生き物ですね。自分の手の中にない何かを探し求める。これはきっと絶対にやめられないのだという気がします。
    そして、今手の中にあるものを、当たり前だと思ってしまう。あって当然のものと、いつの間にか勘違いをしてしまう。

    「今自分が手にしているもの」の尊さを感じ取れないというのは、人間の最も不幸な癖なのでしょうね。今の自分自身に満ち足りるということは、まさに達観や悟りにも近いのかもしれません。

  • このエピソードに★★★ Excellent!!!

    猫を例えにしたところが、また切ないです。
    帰ってこいよー! と、再び姿を見せるまで心の中で叫びたくなりますね☆
    中七の「影のひとつに」で、二重の「影」を感じます。一つは、実際に目の当たりにした猫の背中の影。もう一つは、既に戻らなくなった過去においての残影みたいなイメージ。いいですねぇ。胸の圧迫感が止みません!

    ――『心繋いだ 綱も解けて』

    見えない綱を心で縛り、互いに引っ張り合っていた人と猫。ちょっとした事で解けてしまい、引っ張る手ごたえを失くしてしまったままフェイドアウトしていく様が浮かんできます☆

    作者からの返信

    愛宕さん、コメントをありがとうございます(*^^*)!!

    句を深く読み味わっていただけて、とても嬉しいです!確かに、去っていこうとする猫の背を句に重ねると、寂しさや虚しさというようなものが一層深くなる気がしますね。寒々しいほどの夕方の情景が浮かんできます。

    本当にそうですね。人と猫も、人と人も。ぎゅっと繋いだつもりの綱も、ふとしたきかっけで突然緩んだり、簡単に解けたりしてしまう。強く繋がっていたいと思えば思うほど、するすると緩んだり——心というのは、本当に天邪鬼でままならないものですね。

  • 久しぶりに読ませていただきました^^
    タイトルがとてもいいですね。

    --- 心の仕組

    自分の手の中にある幸せに気づくのは、いつも後になってから。
    だけどその繰り返しで、人は自分なりの本物の幸せのカタチを知ることができるのかもしれないですね。

    作者からの返信

    Keiさん、お久しぶりです!お立ち寄りいただけて嬉しいです(*^^*)!

    心の仕組み。どこかがいつも満たされない。何一つ足りないものはない、と言い切れる人はどれくらいいるのでしょう……
    誰の心にも、何か小さな欠落があって、そこをすうすう物寂しい風が吹き抜けている…そんな気がしてなりません。

    その物寂しさを認め…時に何か自分の好きな物事に没頭してその寒さを心地よく埋めてみたり、嘆くでもなく頬杖をついてその悲しさを眺めたり…そんなふうにうまく自分の気持ちと付き合うことができるようになってくるのが、それなりに歳を経る、ということなのかもしれませんね。

  • 「足るを知る」私もいい言葉だと思います。
    今が幸せであると感じる一方で、全てに満足しているかというとそうは言えず、なかなか「これで十分だ」とは思えない。

    大切なものも、失って改めてその存在の大きさに気づくことはよくありますね。
    もっとこうしておけばよかった、と後悔してしまう。
    なくそうと思っても人間である以上はきっとなくすことのできない心なのだろうと思います。

    作者からの返信

    「足るを知る」という言葉はきっと、その境地に至るのが人間にとって難しいからこそ生まれた言葉なのでしょうね。

    心が完全に満たされることって、人間にはやはりないのかもしれなくて…欠けていると感じる何かを探して歩くのが、人生なのかもしれませんね。

  • 無くさないと気付けない…そんなことばかりです。
    その度に、後悔して…悔やんで…自分を責める。
    その繰り返し…できるなら、子供の頃に戻って、一人一人に謝りたい。
    叶うなら…子供の頃の自分に、一言だけでも言いたいことばかり。

    悔しくて…悲しくて…。

    作者からの返信

    失ってから初めて気付く。
    人間は、これの繰り返しですね。

    失う前に、大切なものに気付く力があったら…でも、きっとそれは、人間には無理なこと…なのでしょうね。
    きっかけがないと気づかないし、考えない生き物なのでしょう、人間は。とても悲しいですけどね…

  • 美味しいお酒と、面白い本があれば、それだけで幸せ

    なんてチッポケな幸せなんでしょう

    作者からの返信

    ちっぽけな幸せ!う〜ん、とっても大好きな言葉です♡(笑)
    それを見逃さず、大切にしながら日々を過ごせる人こそ、人生を楽しむ達人なのだと思います。

  • 単語記事: 幸せ(NICONICO大百科による)※一部変更

    概要
    「幸せ」の定義は、金持ちになることでない。
    「幸せ」の定義は、可愛い彼女や彼氏を持つことでない。
    「幸せ」の定義は、美味しい物を食べることでない。

    幸せの定義は、
    現状に満足、これ以上を目指さなくなることである。

    金持ちにならなくても、彼女や彼氏がいなくても、
    美味しい物を食べられなくても、
    「幸せと感じている」

    言い換えると金持ちになっても、彼氏や彼女がいても、
    高価で美味しいものを食べても、
    「現状に満足できていない状態は不幸」

    幸せと感じるのも、不幸と感じるのも周囲でなく
    「自分の気の持ちよう」ということ。

    「自分は不幸」と考える前に、
    「自分がどうすれば満足、これ以上を目指さなくなるか」

    何を行えば現状に満足して上を目指さなくなりますか?
    現状に満足、上を目指さなくなった状態が「あなたの幸せの定義」


    とりあえずの意見

    現状が他者から見ると不幸な自分ですが満足しています。
    ただし、上は目指しているので「おかしいと感じる」定義。

    つまり、適当な意見でしかなく
    人間の数だけ異なる幸せがあり不幸の意味も違います。

    完璧など存在せず、他者と比較する相対論は違う。
    絶対的な幸せの定義は「自己満足度」の差になります。

    他者が見てつまらないものが誰かにとって必要な場合もある
    「気のもちよう」は人間として心の成熟度かなと感じますね。

    必ずしも全員ガンジーを目指すわけでないのが現実です(笑)
    (さて、成熟と健康がイコールでないのも事実?

    作者からの返信

    ”どんなに恵まれた環境にいても、自分自身の心が「幸せだ」と感じなければ、その人は不幸ですよね。
    逆に、多くのものに恵まれていなくても、心が「自分は幸せだ」と感じるならば、その人は幸せです。
    「幸せはいつも自分の心が決める」
    これ、相田みつをさんの言葉です。ズバリ真実なんだと思います。”

    ↑このコメント、少し前に、他の方の応援コメントのお返事で書いた一部分です。
    本当にうっちーさんの仰った通りだと思います。今の自分に満足しているのかどうかが、幸福感を決めている。

    その一方で、割と人間って、心のどこかにいつもすーすー寂しい風が吹いている、というか…いつも何かを探しているような…そんな気がして。
    みっちりと幸福感に敷き詰められている人というのは、いるのかな?本当に全てを達観したご長寿の方、とか…?あくまでイメージなのですが…(年齢とも関係しているかもしれない、と思い当たりましたが…)その境地に至るのは、なかなかに至難の技なのではないか、なんてふと思い。今回の話を書いてみました。

    なんだかまとまったのでしょうか…まとまったことにしちゃいましょうか(汗&笑)

    編集済