愛宕はモーツァルトですと断然『ラクリモサ』なのですが、この讃美歌も良いものですね。晩年のイメージに相応しい、ゆったりとした時間の流れを感じます。
――『諸手差し出し 浴びる許しを』
あの旋律を聞いていると、思わず目を閉じて両手を天に差し出し、何かを祈りたくなりますな☆
作者からの返信
愛宕さん、コメントありがとうございます!(*^^*)♡
人間は、なかなか気楽には生きられない生き物ですね。常に悩み、迷い、後悔して…自分で自分を窮地に追い詰める、どうしようもない性を持って生まれた気がします。
人が神を創り、音楽を生み、何か輝くものに向かい必死に縋り、祈る。——それは、人間の心に埋め込まれたそんな苦しみから何とか自分自身を救うための知恵なのではないか…そんな気がしてなりません。
Ave Verum Corpus バーンスタインのをYouTubeで見つけて聞きました。
本当に、厚く暗い雲が途切れてそこから優しい光が注いでくるような、雨粒がついたすべてのものを優しく輝かせるような、そんな慈愛に満ちた荘厳な雰囲気でした。
死の間際、人間はすべてを許され、解放され、その光の一部となっていくのかもしれない。
年老いた時、自分にまだ死の恐怖が残っているのなら、この曲を聞いてそう感じられたら…と思いました。
作者からの返信
この話は、曲を聴くとその感じをとてもよく感じていただけると思います。慈愛に満ちた、優しく美しい旋律ですよね。
ひまわりちゃんのコメント、あの旋律の美しさをよく表現していて、本当に素敵です(*^^*)
死の恐怖。それは、人間の生と決して切り離すことのできないものかもしれませんね。
けれど、その間際は、きっと何か輝くような開放感に包まれるのではないか…生きている間の悩みや苦しみを手離す瞬間というのは、そんな幸福感があるに違いない。
…この曲を聴くと、それを信じられる気がしてきます。
「Ave Verum Corpus」を聴きながら拝読しました。
きよらかな祈りの曲に聴こえました。
「許すことは、自分を甘やかすこととは全く違う」から、死の間際だけでなく、生きている今も自らを許して愛してあげたい。そして安らかな幸福感に充たされる喜びを感じたいものです。
モーツァルトは明るいイメージを持たれがちですが、その人生は赦免を願う出来事の連続であったのかもしれませんね。だから、このような曲が生まれたのかもしれません。
作者からの返信
ひいなさん、コメントをありがとうございます!(*^^*)♡
どのような成功や栄誉を手にしても、人間はやはり思い惑い、闇の中を泥まみれになりながら手探りで歩く生き物ですね。モーツァルトの晩年は、不吉な男の影に怯える日々だったというのはよく知られていますね。生きている限りつきまとう心の苦しみ。自らの罪を許され、苦しみから解放されたい。まさに祈るような彼の思いが旋律になったのかもしれません。