応援コメント

なぜ」への応援コメント

  • aoiさん、こんばんは。
    「鱗雲」も綺麗な言葉ですが「美(は)しき」という読み方も綺麗です!
    規定の文字数におさめようとしたとき「うつくしき」では字が余ってしまいますものね。
    「どこまでも優しい」自然は、確かに其処に在る。それだけで「なぜ」「どうして」と人間に問い掛けませんね。「何故」という気持ちを抱くからこそ考える葦なのでしょうが、たまには問うことをやめて肩の力を抜き、自然と同化するのもいいかもしれません。

    aoiさんはインフルエンザの予防接種をされたのですね。コロナとインフルの二重罹患が懸念されているようですから、予防できるほうを予防するのは非常に賢明! 私も気を付けて過ごしたいです❤

  • 意味も理由もないけれど、どこまでも優しい。

    そうですね。
    空に浮かび、自由に形をかえて、優雅に流れていく雲は、どこまでも優しい。
    (^ー^)

    作者からの返信

    「なぜ」という言葉が、私たちを苦しめるのだという気がします。
    理由を考えても仕方のないことに、「なぜ」と、原因やその理由を探そうとする。
    目の前に起こったことを、その理由や意味を探すことなく受け入れることができれば、人の心はきっとずっと楽になるのだと思うのです。

  • 意味を求めすぎることで肩に力が入って凝り固まってしまうこと、確かにありますよね。
    雲のように風に吹かれて形を自由に変えながら肩の力を抜いて生きていけたら、見上げる雲のように気持ちよくゆるゆると流れていけるのかなぁと思いました。

    私もこれからはもう少し空を見上げる機会を作ろう✨

    作者からの返信

    そうですね。人間って、その理由を突き止めれば、何かいい答えが出てきそうな錯覚を起こしてしまうところがありますね。
    でも、考えれば考えるほどもつれて、答えが出なくて、迷路に入り込む。…結局、「なぜ」と考える必要がない場面もいっぱいある…そんな気がするんです。

    もっと、目の前のことをそのまま眺めるような気持ちでいてもいいのかもしれない。その意味などは考えずに。
    ちょっと動物に近いのかもしれませんが…時にはそんなふうに、もっと自然な心の持ち方をしてみてもいい。そう思います。

  • 肩の力を抜くと、目の前の「なぜ」が、目の前に「ある」に変わることって、ないでしょうか

    作者からの返信

    おお、すごい!本当にそう思います!

    理由がなくなると、ただそこに「ある」になりますね。
    で、「それでいいんじゃないか」と思えてくる。

    気持ちの持ち方って、とても不思議で、大切なものですよね。